はてなキーワード: 台詞とは
推しキャラのセリフを同じ声で囁いてくれたら落ちるオタクは居るだろうね。
大好きな作品のファンイベントにいったら、参加声優が飲み会にいった話しばっかりされて心底がっかりした。
ただ台詞をなぞるだけのひとより、なぜそう作画したか、どうしてそう演出したか、どんな理由があってそのセリフにしたか、どうしてこれをアニメにしたのか。
監督さん、キャラデザさん、演出さん、脚本さん、美術さん、プロデューサーさん、クリエイター側の話が聞きたい。
声優のトークイベントもラジオも、うすっぺらくて作品人気に便乗してるだけ。フリーライドにすらみえる。
寄生してるだけってわかんないの?
もういっそAIに演技してほしい。
初音ミクみたいに最初は違和感あっても、きっとすぐに慣れるよ。
「匿名」は気軽に本音が書き込める場だという言い方がまことしやかにされて来た。
まあ、匿名でならと一、二回書き込むくらいの奴はそうかも知れない。
でも、匿名のネットに中毒みたいになって、恒常的に毎日何度も書き込む奴ほど、もっと別のことにハマってると増田は感じる。
そう、それはロールプレイだ。
これは特定の誰かに限った話ではなく、人間は一般的にそうなのだろうが、匿名で書いていると「自分の言葉」であることを忘れる。
そして、普段は自分のキャラクターに合わないから言わないような、台詞がかったことをつい言ってしまうことがある。
これは匿名ネットに対する依存度が高くなるほど顕著になると増田は感じる。
この文章自体、記名で書くなら同じ文体にするかというと甚だ怪しい。
もっと自分のキャラクターを出した、だである調よりですます調のものにするだろう。
それがさらに極まると、自分でないキャラクターを演じたコメントを湯水の如く書き込むなりきりチャットのようなネットの使い方になる。
匿名においては、人は名乗りさえすれば成功者になれたり専門家になれたり実力者を装えたりする。
本来「気楽に本音を書く」ためには、出来るだけ自分の属性は隠した方が良いはずが、匿名のネットに入り浸るようになると自分の存在を認めて欲しくなり、そこに匿名の言ったものがち感が合わさったとき、ある人は自分を好きなように偽る快感を覚えてしまう。
こうなるともう書き込まれることも、本音ではなくただの「言ってて気持ち良いセリフ」になる。
本音ではないので当事者性もないし、内容も無責任になっていく。矛盾しても気にしない。誰かに嫌がられても気にしない。
「露悪」も「偽善」もこの意味では大差ない。ただ自分を偽るということが気持ち良い娯楽なのだから。
Windows 95発売から29年。2ちゃんねるのサービス開始からも25年。そのあいだ、匿名のネットというものに入り浸った人々の普通の感覚はどんどん壊れていく。
古谷徹が70にもなって安室ファンに手を出して不倫をし、安室の台詞を変えて愛をささやいたり、妊娠中絶させて暴力も振るっていたコンボで文春砲を食らった。
ファンを自宅に連れ込み不倫や情報漏洩もしていた鈴木、未婚詐欺で三股不倫をやっていた櫻井、男性声優の不倫は毎度ゲスの極みだ。
若い頃は顔が良いでもなくモテてなかったオタク男が、キャラの皮をかぶっていきなりオタク女に爆モテになり、下半身暴走するからなんだろうな。
龍と苺の竜王戦のために読んできたが、なんか新展開はよくわからないし
MAOはAI小説みたいに生気の抜けた説明台詞だらけになったし
何よりみずぽろとかいう男臭い系ギャグ漫画がちらっと目に入るだけでも辛い
ああいうの(江頭みたいな脱ぐ芸風)、子供の頃から気持ち悪いが先だって面白いと思ったことがないけど、年を経るにしたがってますます無理になってくる。
ああいうのは腐女子(フェミ)受けが良いからだろうが、いつまでたってもポリコレにならないから困る。
見たくないものを見せるなって話では同じだろと思うんだが。
このままじゃ、ポリコレが進んだ世界は男の裸を笑う芸しかないホモソーシャル体育会系みたいな住みにくさになるだけだと思う。
というのも、結局知的な笑いは知的な人にしか作ることも理解することも出来ないから、庶民向けのギャグは必ず過激で、誰かは目を背けたくなる表現が多くなるに決まってるからね。
マジョリティ向けのエロも、差別的な笑いも、自虐すら「ポリコレ」でNGになって、「政治的に正しい過激さ」のゴールデンカムイみたいな男臭いギャグとグロばかりがはびこる世界が本当に多様だろうか。
「私のおかげかな~…なんて…」てなセリフがあった。
そもそも原作にそんなセリフがあったか?って話で調べてみたんだよね。
何でかって言うと、先生は基本個性出ないようにセリフや描写が大分制限されてる。選択肢の形で台詞を言うこともあるが、それ以外にも相手のキャラの反応で「恐らくこんな言動をしたんだろうな」と推察するしかない場面も多い。
でもってここの先生とノノミのやりとりは以下の通り。ノノミのみしゃべってる。
ノノミ「以前だったら他の学園と関わること自体を嫌がっていたはずが…かなり丸くなりましたね。」
ここに先生のセリフは「ゲーム内では」ない。ただ本当に台詞が無かったとしたらノノミが独り合点してるセリフになってしまう。それだと不自然になると考えたのだろう。でもって「うん、」という同意と「先生のおかげですね」というセリフからすると自然、先生のセリフは限られてくる。
これに文句を付けるのはエアプか、完全にプレイ時の事忘れてるのかどっちかだろう。
でなんで「未プレイ」と断定したのか?という事だけど、ブルアカはシナリオがVol.1,Vol.2,Vol.3…と別れてるけど、別に最初から順に全て読んでいかないといけないという事は無い。
Vol.2のシナリオを読むには、Vol.1の第一章14話までで良いし、Vol.3のシナリオ「エデン条約編」を読むにはVol.2の一章5話まででよい。
で、最初のノノミと先生のやり取りは、Vol.1第一章17話。
そもそも、ブルアカのメインストーリーは変則的でVolとナンバー表記してあるが、1が終わったら2が配信されるとかいう形式ではなく、
Vol.1の1,2章配信後に、Vol.2の1章配信がされて、次にVol.3の1,2,3章が配信。その後Vol.4の1章が配信されたかと思えば、Vol.3の4章が配信されたり。要するに前のVolが終わってからではなく各Volが並行で配信されている。
どういう経緯でこうなったのかは分からない。
何か意味があるのか?
ただ、アニメでもVol.1を元にしたストーリーが不人気で、実際プレイしてみてもあんまりおもしろさを感じなかった所を見るに、Vol.1のシナリオが大分不評だったから、本来ならVol.1の後にくるVol.2を先行して配信したんじゃないかなぁ。
前からこうなのかは知らないけど、少なくとも自分はVol.1半端に放置してVol.2やった覚えがあるから、
多分大半がVol.1つまんなすぎてさっさと飛ばしてVol.2に行ったんだと思う。
AIの小説、なんかもったいぶる割に登場人物の台詞が間抜けだったりオチがつまらなかったりするんだが、テレビでしょうもないチープミステリーを見てると結構同レベルな感じも受ける。
テレビドラマの場合、華のある有名俳優がやってるからとりあえず存在感があるだけで、これ文字情報だけだとめちゃくちゃじゃねってのも結構。
ストーリーがちゃんとしてるとかしてないってのも、結構思い込みというか、人間がやってることに対する過剰な信頼に成り立つものって大きいんじゃないか。
そんなことを思う今日この頃。
https://twitter.com/kouzu/status/1789545894045725132
こうず@kouzu
ぼっち・ざ・ろっく! のアニメ版は原作にあった年増いじりや低学力いじりみたいなブラックなネタがカットされてたり、ぼっちちゃんの両親が家事を分担してる描写がさりげなく入ってたりと、リベラルな思想の人が作ってるんだろうなと窺わせるものはやっぱりあった
じゃあ何で新宿FOLTの銀次郎が初登場した時、きくりの「銀ちゃんは心が乙女なオッサンだよwww」ってトランスジェンダーいじりする台詞はそのままアニメでも残しちゃったんですか?
リベラル思想の人がこういうとこだけ都合良く見過ごすはずありませんよね。
女性が不快になる台詞はカットして、トランスジェンダーが不快になる台詞は残すっておかしくありません?
こんなわざわざ揶揄するような台詞残さなくても、現代なら銀次郎がそういう属性だって自然に提示できるでしょ?
当然原作でもあった描写だけど、原作はどちらかといえば作風全体が無邪気な無神経って感じだからそこにイデオロギー的な思惑は無いと思うんだけど(なんせはまじあき先生は少女漫画の世界に嫌気がさして、より男性目線的なきらら系で再デビューした作家だ)
アニメの脚本家が本当にリベラル思想なら一方は配慮して一方は配慮しないってあまりに不自然だし、その事に気が付いてないなんてあり得ないし。やるとしたら意図的に・・・・
あっ・・・、もしかして吉田恵里香先生ってTERFなんじゃ・・・・?
そんな吉田恵里香先生脚本のNHK連続テレビ小説「虎に翼」絶賛放送中!!!!!!!
北原みのりさんも郡司真子さんも毎日観て咽び泣いています!!!!!!!!!!!!!
あっ、そういえばこの2人もゴリゴリのTERFでしたね!!
類は友を呼ぶ!?
和歌山市行政職員1700人のうちの十数人だからわずか1%程度とはいえ、この人達っておそらくですがお金に関わっているだろうから3年おきに移動するんですよね。
そして、通報した人の細かい職域までは分かりませんがおおよそ同じような職域なんだろうなと。
もちろんその職域から広域通報した人を離してもいいんですけど、そうした場合は「身内にけんかを売って島流しになった外様」という立場に追いやられますよね。
それは結局メンタルへの悪影響はかなり大きいのではないかなと。
広域通報した人の不利益を回避するとなると、職域は維持したい。
すると結果的にその職域の3%・5%下手すればそれ以上の割合で一緒に働けない人が出てくる。
たとえば「12月生まれの人と同じフロアでは働けません」という職員がいて、その人もその周りの人も3年周期で移動するとしたら、それって現実的だと思いますか?
細かく部屋を区切れば10人ぐらいですし、階層全体をぶち抜きで大きなフロアと捉えれば最大で100人ぐらい入れられるかも知れませんね。
どうにしても「当時一緒に働いていた十数人と全く別のフロアになるように管理してあげるべきだった」というのはかなり現実的ではないように思えます。
その中でどうにかしようとしたら、その職域からの追放という形を取ることになるわけですが、これが許されるのかということです。
極めて現実的な結論を申し上げると「公益通報をした時点でさっさと公務員をやめて、民間企業に転職しなかった本人の判断ミス」と言わざるを得ないと思います。
自殺までして公務員という立場にしがみつこうとしたことが判断ミスですね。
同和利権が絡もうが絡むまいが、公文書偽造はそもそも日本のお役所にとっての十八番のようなものです。
それが嫌なら公務員を辞める以外の選択肢なんてないと思うんですよね。
当時20代だったのなら転職もまだまだ可能な年齢でしたし、今の転職市場はかなり温暖な気候なので元公務員でも案外なんとかなると思います。
決め台詞は「不正が酷すぎて公益通報しました。許せません。でもこの分野で働きたいんです。働き方は変わるでしょうけど頑張ります」ですかね。
こっちの台詞だよ
あーマジで見てられね―な。
お前がブルアカのこと好きでもなんでもないことは明白なんだよ。
バ レ バ レ って奴ね。
ブルアカの本質、透き通るような世界観の青を理解していればブルアカアニメが何を目指していたのかぐらい秒で理解できる。
ブルアカが目指していたのは「韓国原産ゲームのアニメ化という偉大なる成功体験の再現」なんだよ。
韓国産ゲームが二次元大国日本に文化侵略を繰り返し、その象徴としてアニメ化というゴールへと到達した日々の走馬灯こそがブルアカの見る夢なのだ。
原作ゲームを荒削りに再現し、キャラ萌えと狂気と闇(ニチャァ)で安易にオタクを刺激しようとする牧歌的で原色的な平成中期のポップカルチャーをやり直しているわけ。
原作ブルアカのOPを聞いた時、君は言いようのない懐かしさを覚えたはずだ。
ブルアカはね、若いオタクが青春を味わうゲームじゃないんだよ。
年老いたオタクたちが、自分たちの夢見ていた青春を思い出すゲームなんだ。
青春を夢見ていた頃の気持ちを共有することで、オタクとしての若々しい情熱を蘇らせてくれるんだ。
今風の技術と絵柄を使っているだけで根っこの部分は何十年も前に流行ったような王道楽園美少女動物園だ。
偉大なるキム・ヨンハが目指しているのは、まだ美少女動物園が青々と輝いていた頃を懐かしむことなんだよ。
レッドオーシャンしていくなかで差別化のために迷走を繰り返し、パイを広げていくためにオタク臭の脱臭を図りだす前の時代の追憶だ。
彼は未来を見通す賢者ではなく、自分が経験によって学んできた歴史を課題に評価する愚者だ。
愚者であるからこそ、余計な知恵を振りかざさないからこそ、その実直な気持ちが受け手の心を捉えるのだよ。
日本カルチャーが忘れた原始的な萌えの体験を愚直になぞり続けるキム・ヨンハの繰り出した新たな一手こそが、オタク黄金時代風なアニメ化なわけだ。
OPだけやたら気合が入ってて本編の作画はちょいちょい手抜きを感じさせるこの空気、これを懐かしめない奴はブルアカのことを何も分かってねえ。
声優がフルボイスで全部の台詞を読んでくれているだけで嬉しいと思えるかどうかが試されていることが、自分が本当のファンであることを証明してくれる試練となっていると思えねえのか?
ブルアカのアニメは俺達に大事な気持ちを思い出させてくれたぜ。
このガッカリ来るような気持ちがよ、当たりの少なすぎるガチャのような理不尽さがよ、スコッパーたれと言うが如くの玉石混淆、これが俺達の脳をぶっ壊してきたんだろうが!
☆3が全然引けねえから☆3を同時に引けただけで自慢スクショ取っちゃうような、そんな賭博性が快感の大原則なんだよ!
ブルアカのアニメだから成功して欲しいという気持ちが裏切られたと感じる時、その気持ちに「コレだよコレェ!」となれないような奴がブルアカをいっちょ前に語ってんな。
そしてアニメ版エデン条約編の評判の良さを聞きつけて帰ってきてから「クソすぎて途中離脱してたわwwww」と言ったことから炎上して全部のアカウントが凍結されるがいいさ。