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はてなキーワード: 台北とは

2019-08-14

台北おすすめスポットある?

月末に毎年恒例になりつつある台湾行く予定。

だいたいいつも3泊4日で一日は地方観光スポット行って、それ以外は台北近郊で遊んでる。

だけど今回は一日弱予定が空いてるままで少し考えてる。

もう数回言ってるから有名どころ(九份とか故宮とか)はある程度抑えたかなぁと言う感じ。

個人的にはあまりしっかり見れていない淡水に半日あてて残り台北で過ごすつもりなんだけど、

一日から半日で行けるおじさんでも満足できそうな穴場スポットありませんか?

2019-05-06

[]【1】2019 春、韓国釜山・光州





0일



出発前


新元号が「令和」に決まった。

昨年から世の中やネットを賑わした天皇生前退位とそれに伴う10連休

予定を立てずに漫然と迎えれば、塞ぎ込んでしまうか、掃除洗濯ジム通いと動画巡りで終わってしまうかのいずれかに決まっている。

から早めに予定を組んでしまう事にした。


休暇の予定といえば自分にとってアジア旅行

台湾香港国境を越えて深圳広州)、ベトナムを訪れたけど、韓国未踏だった。

韓国が後回しだったのは、台湾香港に比べてネットで見聞きする風景フォトジェニックでないし、K-pop政治関連のニュースで、何となく「知っている気」になっていたからで、興味が湧かなかったからだ。

しかし、昨年訪れた博多の街で、思った以上に韓国人が観光にやって来ているのを知って、「こうやって沢山の韓国人が日本にやって来ているのに、俺は韓国の地を自分で見た事がないな。」と思った。

「じゃあ、彼らが来るように、今度は俺が行こう。」

行き先に定めたのは、あの博多から目と鼻の先の街・釜山と、昨年みた映画タクシー運転手」の舞台になった光州。

ポップカルチャーで先端をいくソウルより、韓国地方風景の方に興味があった。


「知ってるつもり」だけど見た事はない隣の国。

航空券ホテルの予約をとった時には、文政権と日本政府の関係は冷え切り、韓国司法徴用問題日本企業に対する賠償請求権を認め、政治司法関係は最悪の状態

とはいえ出発の頃には状況は変わってるかもな」と思ったが、一向に状況は良くならない。

しろちょうど良いかも。

これだけニュースで「関係が悪い」と言われる国というのは、実際どうなのか。

出発は4月末。

令和最初の日は、過去戦争を巡って揺れる異国の地で迎えることになった。





1일



1日目

さよなら平成 in 釜山


雨天の影響か成田20分遅れで出発したJL969便は21:00に金海国際空港に到着。

空港からホテルのある釜山まで、バスタクシーを使う手もあったが、ここで交通カード・T-moneyを購入して、韓国の移動を便利にしたかった。

空港1階のコンビニに入り、忙しそうに動き回る店員さんに声をかける。

素っ気なく「Sold out」。

売り切れだった。遅い時間のせいか

止むを得ず、駅に向かって、そこで買い求めようとしたが、ここでも売り切れだ。

そうこうしているうちに時間はもう22:00。

一度ホテルチェックインしてから、西面に引き返してデジクッパの店で夕食をとろうかと思ったが、そんな時間は無さそうだ。

慣れない券売機コイン型の切符を買い求め、やって来た電車に乗り込んだ。


よく、韓国についてネットで「キムチ臭い」という話が聞かれて、多分にバカにした響きで語られるので本当のところはどうなのかと思ったが、実際、電車の中のような密閉空間だと、確かにそういうキムチを入れた冷蔵庫的な匂いはする。

やや年配男性の方が匂いが強い気がするので、長年の食習慣は影響するのかもしれない。

街中の匂いという点においては台北でも漢方のような匂いはしていたし、日常的にある匂いには慣れて感じなくなってしまうので、韓国の人には特に感じないんだろう。

そう思うと日本外国人にとってどんな匂いがしているんだろう。


23:00

遅くなったがホテルに到着。

富山駅にほど近い東横INNだ。

東横INN韓国であっても全く日本と変わらない東横INNで、カウンターでは日本語も通じる。

ちょっと予想外があって緊張もしていたので、いつもと同じすぎるほど同じな東横INN安心した。


コンビニで買ったハンバーガーかぶりついて旅行記を書いているうちに24:00。

平成最後の日はバタバタと過ぎていった。


【2】2019 春、韓国、釜山・光州  2日目|クルクルパーマと韓国女子 へ >>

2019-04-29

anond:20190429192312

とりあえず今から

トラベルコかスカイスキャナーのサイト開いて、

明日から航空券を確保しよう。

普段より割高だけど、

年末年始ほどじゃないと思う。

手軽なのは台北上海

足を伸ばしてバンコク

頑張っちゃってイスタンブール

ゴールデンウィークはまだまだ遊べるぜ。

ガイドブックなんかは空港で買えばいい。

2019-02-05

[]肉形石

中国清代に作られたという彫刻現在台湾にある。

素材は玉髄で、全体は暗褐色に染められ、上面には毛穴まで彫り込んである

どこからどう見ても豚の角煮である

翡翠白菜そっくりに彫り上げた「翠玉白菜」という珍品もあり、

「肉形石」と合わせて台北国立故宮博物院の二大至宝として人気を集めている。

2018-11-26

anond:20181126074957

それはそうだよ。

単純に中国国民党スタンスが知りたい。独裁時代台北中心部の近くに原発を作ったという話もあった。

民主進歩党スタンス矛盾がある(と思う)から、そこまで日本に譲歩しなくて良いと思う。

2018-11-22

[] 2017 台湾旅行記 第三部分

anond:20171012191320






3


3日目 午前


旅先では余り眠れない事が多い。

今日が今回の台湾旅行最後の朝だけど、グッスリはいかず、7時前に目が覚めた。


ボーッと窓の外を眺めていると、部屋の外からオバちゃん2人の声が聞こえて来た。

お客さんかな?ベッドメイクかな?

それにしても、楽しそうによく笑う。



朝食を済ませた後、ホテルのすぐ隣にあるコンビニで、スイカ牛乳japan walker、烏龍茶を買った。

japan walkerは鎌倉特集

昨日も女性誌を買ったけど、現地の雑誌というのは興味を唆られるものだ。

昨日、台北車站の地下街を歩いているとき中山地下書街」という掲示を見たが、午前中の地下街は人の流れもまばらで、場所がよくわからなかった。

わかれば本屋も覗いてみたかったんだけどな。

烏龍茶を飲んで「美味い!」と呟いた。

ペットボトルのものでも、日本のものとは香り全然違う。

あとで再購入したときによく見ると、材料表には「香料」もあったが、それは台湾人の嗜好としてこの香り重要という事だし、美味ければ大きな問題は無い。


ホテルの窓際でこの旅行記を書いていると、ザっと雨が降って来た。

台湾は雨が多いので、雨具を持って来ていたが、旅行を通して行動に困るほどの雨がなかったのは幸運だった。

雨はすぐに小ぶりになったけど、窓の外にはまだ傘の花が咲いている。

あと数時間でチェックアウトだ。



午前9:45分。


雨はとっくに止んでいる。

定刻にはまだ数時間あったけど、チェックアウトする事にした。

空港への送り迎えのため、ここには21:00にまた戻って来る事になる。

ベッドに上に「謝謝」と書いたメモを1枚残してホテルを出た。




3日目 午前


世界に展開するグローバリズム象徴スターバックスはここ台北にもある。

わざわざ海外に来て、世界中にある店に入り、ローカル微妙な違いを見るもの楽しいものだ。

150元を支払い、アイスカフェモカグランサイズを受け取って2階に上がると、そこでは男女がラップトップを開いていた。

世界のどこに行っても、スタバでやる事といえばコレらしい。


スタバで注文するのが苦手な人は一定数いる。

もしあなたがそうでも、安心してほしい。

台北にはドトールもある。

コーヒーを飲んだ直後で大してのども渇いてなかったが、入ってみる事にした。

入り口には行動を禁ずる、べからず集が書いてあり、犬とハンバーガーバツ印が書いてある。

その下に「禁止打牌」。

ペットを連れ込むな、食べ物を持ち込むなはわかるが、「トランプするな」は新鮮だ。


ドトールで頼むものといえば、ミラノサンドのA以外ありえなく、これはスタバドヤリングと同じ様式美なのだが、残念な事に、11:00以降しか頼めないようだった。

少しがっかりして、70元を支払ってアイス紅茶を頼むと、何も入れなくても甘かった。

台湾の人はアイスドリンクをなんでも甘くする。



旅行を通して概ね正しいエリーさんの助言に一つ違を唱えるなら、台湾suica、悠遊卡についてだ。

エリーさん曰く、チャージした金額有効期限は2年だし、デポジット100元が勿体無いので、頻繁に台湾に来るのでなければ購入を勧めないとのことだったが、実際に使ってみると、メチャクチャ便利。

複雑な購入手続き切符を買う必要なく、地下鉄も台鐵もバスもピッとやるだけでOK

交通機関現金決済したのはタクシーだけだった。

多少の損を補って余りある便利さの悠遊卡なので、台湾に来る際は是非購入を勧めたい。


帰りの便までまだまだ時間があるので、悠遊卡に100元チャージして、地下鉄台湾北部の景勝地、淡水に向かった。




3日目 午後


淡水は異国情緒ある海岸の街。

日本でいうところの横浜とか神戸といったところらしい。

駅前を歩けばすぐ海岸で、晴れ渡った空の下、おっちゃん達が釣り糸を垂らしていた。

ふと見ると赤い看板

台湾ではコーションは赤い看板に書かれるらしい。


「本河岸遊客衆多

 為維護遊客安全

 本路段禁止甩竿汉示」


「この海岸には観光客がたくさん来ます

 観光客安全のため、ここでは釣竿は振らないでください。」



さて、初日寧夏夜市で食うつもりで、メモまで描いたが、食えなかったものがある。

千と千尋の神隠し」で、千尋の両親が食って豚になってしまったモノではないか、と言われている謎のプルプル、肉圓だ。

海岸から山の方に上がろうとして通り掛かった海の家で、「肉丸」と書かれた看板が掲げられていた。

昼時で丁度いい、食おう。

おばちゃんに「肉圓 QQ〜」と描いたメモを見せる。40元。

「それだけでは足りない」とエリーさんが言っていた肉圓だが、いざ食って見ると、正体不明のプルプルは意外とお腹にたまり、1杯で小腹を満たすに充分な量だ。

こんなものを大量にガツガツ食えば、それは豚にもなってしまうのかもしれない。


海も見て、肉圓も食って、煉瓦造りのキリスト教会も見た。

歩き疲れたので、台北に戻ろう。



台北についたのは午後14:00過ぎ。

今なら人に流れについていけば「中山地下書街」を見つけられるかもしれない。


地下街中山站方向に歩く。

やがて中山站を過ぎると、右手地下街にそって長い本屋が見えて来た。

中山地下書街」

やった、本屋だ。


「誠品書店」に入って見ると、平積みにされていたのは、謝馬力 著「女子翻轉」

女性生き方に関する本らしい。

台湾Sex and cityか?はたまた中国ジェーン・スーか。


しばらく歩くと、料理本一角

料理本って、みてしまう。

ほとんどの本が何を書かれているか、全くわからないんだけど、1冊、ピクルスの作り方に関する本があった。

美しいイラスト作ってみたくなる写真

これならなんとか分かるかもしれない。

からなくても、開いているだけで楽しそうだ。

買って帰る事にした。300元。



地下街を歩いていると「新光三越」の文字

台湾にも三越はあるらしい。

三越があるなら、正真正銘デパ地下があるはずだ。

これは是非行かないといけない。


新光三越に着くとデパ地下はどうやら地下2階。日本より小ぢんまりとして、お菓子などが中心ではあるが、これぞデパ地下という光景があった。

色々な店が軒を並べる中、お茶の店があり、白磁蓋碗ディスプレイされている。

日本に帰って、同僚とお茶を飲む為に、何か茶器が欲しかたから丁度いい。

560元は、多分日本より安い。




3日目 夕方


あと5時間で迎えが来るが、台湾でやりたい事リスト最後の項目がまだだった。


サツマイモが入った台湾式の清粥を食べる。


台湾で清粥といえば、飲んだ後に食べるものらしく、店が開くのは17:00からだった。

最近アルコールに弱くなったし、台湾では心置きなく食いたかったので、旅行中は一切、酒類は飲んでいなかった。

しかし、別に飲んでなくても問題ないだろう。

17:00ジャストに、「無名子 清粥小菜」に入った。


この店では、ショウウィンドウの中からおかずを選び、それにお粥が付いてくる。

どれにしようか?

ショウウィンドウ越しでハッキリ見えないが、美味そうな炒め物を頼んだ。


席に着くと、鍋一杯のお粥

さあ食うぞ。

しかし、運ばれて来たおかずを見て一瞬たじろぐ。

それは「牡蠣豆豉炒め」だった。

もっとよく見りゃ良かったぜ、ここは屋台ではないが、エリーさんの忠告を思い出す。

これを食えばあとは帰るだけとはいえ、もし飛行機の中で降せば大きな問題を抱える。

最悪当たるにしても、迎えのくる21:00までにスパっと終わるか、自宅に帰り着く翌10:00以降にしてほしい。

恐る恐る口に運んだ牡蠣は、豆豉の風味が効いて美味く、お粥は歩き通しの身体に優しかった。

これで、「台湾でやりたい事リスト」はコンプリートした。



無名子 清粥小菜を出て、おそらくこの旅で最後地下街を乗り継ぎ、ホテルの最寄り駅に出ると、道路しっとり濡れていた。

参ったな、あと一息で雨だ。

でも3日間で学んだのは、台湾の雨はすぐ上がるという事。

意を決して歩き出すと、どうも降っていたのはさっきまでだったらしく、殆ど雨には当たらなかった。

この調子で、願わくば牡蠣にも当たらないでほしい。




3日目 夜


ホテルフロントでこの旅行記を書きながら迎えを待つと、女性2人の親子連れが入って来て、フロントに尋ねた。

「この近くに喫煙所はありますか?」

日本語だ。

そんな基本的な事を聞くって事は、多分今日 このホテルに着いたのだろう。

自分は今夜、日本に帰るが、今日日本からたかもしれない人がいる。

ここでは毎日、入れ違いで人が行き交うのだろう。


しばらく待っていると、また日本から家族連れがフロントにやって来た。

お父さんが、自分の胸を指差して、現地で買ったTシャツになんと書かれているか聞くと、フロント男性は、ちょっと戸惑いながら答えた。

「えっと・・・簡単に言うとですね、『ゴキブリ』です。」


またしばらくすると、20人程の旅行客がやって来た。

話しているのは中国語で、スーツケースの大きさから見ると、多分大陸の人だ。

一団はひっきりなしに喋っていて、声も大きい。

この旅行であった人たちの中で、もっとも賑やかな人たちかもしれなかった。



嵐のような一団がフロントを過ぎると、迎えのツアーガイドがやって来た。

ガイド若い男性で江(チャン)さんという。

英語名はありますか?」と聞くと、「無いですね、僕も英語は喋れませんし」どうもみんなに英語名がある訳では無いらしい。


チャンさんは人当たりが良く、風貌イケメンというか、今風で、ちょっとチャラい感じといえなくも無かった。


空港までの車の中で、たくさん起きたことを話し、少し疑問だった事も答えてくれた。


台湾男性が機内でメガネだったのは、ちょっと上の世代伊達メガネブームがあった事。

台湾男同志性愛を描いた映像作品を観たのは、おそらく同性結婚が法的に認められたのと関係がある事。

ドトールトランプ禁止は、解禁するとギャンブルをやっちゃうからである事。

ついでに、チャンさんは実は以前に日本に来たことがあり、出逢いを求めて相席居酒屋に行ったら、40代以上の女性ばかりで少しがっかりした事も教えてくれた。

やっぱりちょっとチャラかった。


チャラいけれども、仕事をきちんとする好漢のチャンさんは、チェックインまで付き合ってくれると、出国手続きや再両替についても教えてくれた。

台湾出会う人は素晴らしい人たちばかりで、チャンさんもまた例外では無かった。


もう直ぐ台湾を去る。

台湾でしたい事の全てが予定通りに行えて、多くの予想以上があった。

言葉にすると陳腐だけど、これ以上正しい表現が思いつかない。

「全てが掛け替えのない3日間だった。ここに来て本当に良かった。」


チャンさんは日本語が堪能で、何を言っても理解してくれる。

でも、最後は、滞在中に助けられ通しだった方法以外にあり得ない。

「じゃあ、僕はここで」と微笑む彼に、ホテルの部屋で朝に書いた、最後メモを見せた。


「太棒了、台湾

2018-10-27

大阪地下鉄の構内アナウンスアナハラ

よく地下鉄駅構内通路を通るんだが、ひっきり無しにけたたましいアナウンスが繰り返される。

黄色点字板の上で立ち止まるな、荷物を置くな

災害募金箱が駅長室にあるから入れに来い

女性専用車両には女性子供以外は乗るな

                     云々

だいたい、点字板の上で立ち止まったり荷物を置いているヤツなんて一度も見たことないし、

点字板の上であろうがなかろうが、大勢が通行する通路でそんなことしたら迷惑だろう。

もし、本当に駅構内で困っていることがあるなら、そのランキングの順にアナウンスしたらどうか?

・酔っ払って駅員を殴るのはおやめ下さい

とかw

駅構内での喫煙はおやめ下さい

とか(昨日の昼前、堺筋本町駅プラットホームタバコを吸ってるバカを見たぞ!)

アナウンスするなら、費用対効果をまず考えるのは、民間会社なら当たり前だけど。

そう言えば、エスカレーターのところでも

・ズック靴や長靴は注意しろ

って言ってるけど、今時、靴屋で「ズック靴」って言って通じるの???

トイレが綺麗になったのは、橋下さんがやれと言ったからやっただけで、

結局、思考停止前例主義お役所仕事そのままじゃないのか?

まあ独占企業から顧客志向とかお客様満足度という単語自体、知らないし、

いたこともないんだろうな。

ユーザーからすれば、安全で安くて時間通りに運行してくれたら、それでいいのだ。

とにかく静かにしてくれ。私鉄ならこういう経験は少ない。

最近増えているインバウンドからすると不安を覚えるとか、想像できないんだろうな。

上海だろうが台北だろうが、地下鉄駅構内って静かなもんだろうに。

さら最近は、朝からオッサンの生アナウンスも導入されて、天気や気温、運行状況、熱中症に気をつけろ

今日も素敵な一日を過ごせ、そんなこと朝っぱらからわざわざオッサンに言われたくないし、早く暇なオッサン

クビにして運賃下げてくれたらみんなハッピーだわ。

橋下さんの後の市長大株主ならもうちょっとちゃんと面倒見て欲しいし、民間会社なら、

アナウンス業者発注元との癒着について、調査よろしくね!

2018-09-21

今、台北にいるけど何したらいいの。

昨日到着して、有名なドーナツ食べて、めちゃんこ美味しかった。サクサクもちもち。

で、夜市で夕飯食べた。ニラ餃子がツルツル入っておかわりした。

朝はMr.Linのフレンチトーストサンドイッチ食べて、ホテルプールで泳いだ。

で、お腹いっぱいなんだけど、台北観光ってどこ行けばいいの?

2018-09-05

自転車での環島(台湾1周)でのあれこれ

環島っていうのはこれ↓

https://taiwanisshu.asia/taiwanisshu-web/

台湾では自転車でやるのが流行っているらしい。

環島用のルートが制定されていることもあって、日本から観光客もやっている人が多いが

本やブログでは「自分頑張った!」的な内容ばかりで、よくわからないことだらけだったので参考になればいいなと思いメモ

ちなみに行ったのは先月。

トラブル等もあったので8日間くらいかけて踏破(ただし、2日間は電車になってしまった)

あくまでも真夏ベース情報なので、ご了承いただきたい。

あと、個人の感想なので、信用しすぎないでほしい。

なんだかんだでものすごく悩まされたのが天気。

現地のテレビ天気予報を見ても、晴れと曇りと雨と雷のマークが1カ所の中に全部出ているなんてこともあり全部役に立たない。

あっちは南国なので、毎日スコールだと思ってほしい。

対処方法としては、「朝早くスタートして、夕方前にはゴールしている」ようなスケジューリングを組むこと。

朝は比較的天気が安定しているけど、夕方になると毎日のように激しい夕立がある。

暗くて大雨よりは明るくて小雨の方がまだマシ。

自転車道といっても車道のサイドに自転車専用レーンがついているだけなので、夜の雨は怖すぎる(そして気分も落ちる)。

ブログとか読んでいると「毎日快適に走れました!」みたいなことを書いているけど、思ったより…

台湾北側台北新竹台中高雄など大都市が集中しているので、信号が多い。

郊外はまだ我慢できるけど、町の中心部はただただイラつく。

自転車用の停止線はあるけど、原付も共用だから原付に思いっきり囲まれる。

(で、たまに檳榔カスを吐かれてますますイラつく。)

台北から反時計回りで出発したんだけど、初めは川沿いの完全な自転車道だったから快適だった。

その自転車道を出た後はなかなかひどい。

台中過ぎるまでは町の中心部はひたすら我慢

南側北側に比べるとかなり走りやすい。

環島用の道路基本的には標識があるので迷うことはないんだけど、ごく稀に工事をしていて通れない。

そして、回り道がどこなのかが書いていないことが多い。

(書いてあるのかもしれないけど、地図はなく文字だけなのでわからない)

また、三貂角灯塔近辺の道は環島用の標識のとおりに行くと、漁村へ寄り道するだけなので

googleマップ等で最短ルート確認しておいた方がいい。

  • 電車と並行して走っているが故に…

線路を跨がなければいけないところは立体交差になっていることが多く無駄な坂が発生。

荷物をいっぱい積んで走っている身としては辛い。

時間節約を考えるとコンビニが一番。

毎日毎日セブンイレブンファミリーマートハイライフ台湾コンビニチェーン)にお世話になっていた。

日本コンビニと違い、イートイン文化が発達している。

トイレも貸してくれるし、疲れたならアミノバイタルを買えばいい。

塩分タブレットも売ってたし、場所によっては空気入れを貸してくれる。

何よりいいのが、コンビニ基本的にはガラス張りなので自転車盗難を見張れること。

町の食堂は「台湾きたな!」っていう気分にはなるけど、牛肉麺ばかりなので飽きる(偏見かも)。

これ以外だと50嵐やCOCO都可のようなドリンクスタンドにもお世話になっていた。

環島の自転車道と並行して電車が走っているので、どうしても疲れるようであれば電車に乗ればいい。

輪行バッグなしでも電車に入れられるけど、対応している電車が日に数本しかないので事前に調べておいた方がいい。

(ググれば詳しく書いてあるブログに行き着くはず)

自転車留めが車両の中にあるタイプ自転車を詰める貨物車があるタイプ一般車両にそのまま入れるタイプ自転車留めはない)など様々。

予約時に自転車があることを事前に言えればいいが、言えなかった場合でもどうにかなった。

環島用道路近辺のホテル自転車の扱いに慣れているのか、みんな室内に停めさせてくれた。

ダメ場合もあるかもしれないので、あくまでも参考程度に)

長期で行っていると、汚れ物がたまる

(雨でぐしょぐしょになっていることも多いし)

それなりに大きな都市24時間営業コインランドリーがあるから、そこまで衣類の予備は必要ない。

洗濯30分+乾燥機毎日ピカピカ!荷物の重量節約

  • 現地の人に声をかけられる

環島用道路を大荷物乗せて走っていると声をかけられることがある。

ただ、日本人だと思われていないので、魔法言葉「我是日本人(Wǒ shì rìběn rén)=私は日本人です」を唱えるといい。

英語日本語が話せる人は言語を変えて話してくれる。

また、対向車などに「加油(Jiāyóu)=ファイト!」と言われたり、サムアップされたりする。

台湾の方々はとても人懐っこく、親切。

ものすごく助けられた。

個人旅行で行っていたのだが、某G社がサポートする環島用のツアーに参加している人とかち合うことが多かった。

傍目から見て、「とても甘やかされていて、こんなので1周したと言えるのか…?」といった様相

まず、彼らは荷物を持たない。

着替えなどはサポートカーに積んでいるし、そもそも自転車のリペアグッズとは無縁。

自転車がトラブった場合はG社のメカニックが直してくれる。

大雨が降れば、自転車に乗らずサポートカーが適度な位置まで運んでくれる。

疲れた時も同様、運んでもらって進めばいいじゃない!という感じ。

そして、観光スポットで記念撮影

ある程度のロングライドができる体力があり、パンク交換などリペアの最低限の知識があるのであればツアーでなくても問題なし。

宿はBookingなどで予約すればいいし、地図標識googleマップでどうにかなる。

致し方ない車体トラブルが起きれば駅まで徒歩で行き、電車に乗って大都市自転車屋さんに行けば済む。

ツアーは体力がない、ウェブリテラシーがない、だけど「環島したよ!」って自慢したい人が参加するものだと思う。

ちなみに、ツアーに参加すると太るらしい。

1日8時間自転車に乗ると約2000kcal、基礎代謝が1500kcalだとすると1日3500kcal以上摂取してやっと太ることになるのだが…察してほしい

(肉が筋肉に変換されたら太るけど、それを差し引いても…)

楽しいことは楽しいです。

それは他の人の記事ブログを読んで感じてみてください。

サイクリストで時間がある人は是非!

2018-07-29

台北ホテルでもらした

台北ホテルの自室にて、パンツを下ろした瞬間に気づいた。くさい。

下痢漏れていたのだ。

下痢パンツにこびりついていたのだ。

どのタイミングパンツ下痢が付着したのか、まったく検討がつかない。

洗面台でパンツを洗ってみたが、匂いがとれなかった。パンツゴミ箱に投げ捨てた。

幸いなことに予備のパンツは2枚あるから大丈夫だ。下痢のついていないパンツの履き心地はすこぶる良い。

さて、日本に帰ろうか。

2018-07-18

車の運転って結構難しいよね

こないだ台北に行ったんだけど、タクシーに乗ってて「こりゃー運転したくないな」って思った。


普段東京に住んでいて、免許取得後10年ちかく、年間走行距離は平均で1万kmに届かないくらい。

ようやく初心者を脱したドライバー戯言と思って読んでくれ。

実質ほぼサンデードライバーなんだけど、日本では運転したくない場所ってのは特にない。

一部の首都高とか羽田サーキットとか初見長崎市内とか、それなりに緊張する場所はあるけどね。


で、台北運転するのが難しそうだなって思った理由は主にふたつ。


まず右側通行。これがやばい

タクシーに乗っているだけで、右折左折で猛烈な生理的違和感を感じる。

もし僕がここで無心で運転したら、間違いなく左折後に左レーンに突っ込むと思う。

まり、なれるまでは常に集中していないといけないので、運転基本的精神負荷が慣れた国内の比ではない。


あとは、トラフィック煩雑さとマージンの少なさ。みんなツッコミ気味で来るし、はみ出しもものすごい。

いちいちチャイニーズパワーを感じる。京都名古屋の比ではない。行ってないけど台湾でも田舎は良いのかもしれない


で、東京運転が難しいという話も聞くけど、一部に限ると思う。

午前中の超都心部交通量も路駐も多い上に仕事で来ている慣れているドライバーが多くてビジーだけど、

夜なんかはとっても走りやすいよね。個人的には田舎よりも走りやすい。

車は減って道は広いし夜でも明るいし。

あとは、基本的作法が明確なので慣れることが出来る。


首都高は当初びびったけど、3環状9放射名称と交点のインター名をだいたい暗記したら

かなり走りやすくなった。首都高が難しいとかいうのはこれくらいの努力はしてからにしてほしい。

ごめんうそ最初にやるにはおすすめ方法なのでやってみて。

僕は覚えてから時間が経ったので、普段使わない箇所は結構忘れちゃったけどね。



なんかこう、右側通行ドライビングシュミレーターとかないのかな。グランツーリスモでやればいいのか。

あと首都高熟練テストとかも定期的にやりたい。そういうのないのかな。


皆さん、なんか良いこと知ってたら教えて。


あ、ちなみに僕はニュル北はPP500のSSタイヤで7分前半をコンスタントに出せる。

もちろん速い人はもっと速いけどね。

2018-07-03

anond:20180703185654

「そこら辺の街」例を一つ出せ定期

マカオか? 台北か?

2018-02-18

台北観光ってどこ見たら良い?

夜市、九份、十分、101ぐらい行っとけばok

2018-01-28

日本辞書における台湾関連の記述

<背景>

産経新聞が次のような記事掲載している。

広辞苑台湾を「台湾省」 20年前から記載 「日本代表的辞典としては瑕疵と言わざるを得ない」(1月26日

http://www.sankei.com/life/news/180126/lif1801260004-n1.html

広辞苑」に相次ぐミス指摘 “国民辞書”揺らぐ信頼

http://www.sankei.com/life/news/180126/lif1801260003-n1.html

今回の広辞苑第七版ではLGBTしまなみ海道記述の誤りが指摘されている。しかし、台湾については触れているメディアほとんど見かけていない。

私はまだ広辞苑第七版を見ていないが、広辞苑第六版その他の辞書記述について気づいた点を記す。

<私の結論

1)広辞苑第六版の「中華人民共和国」にある〔中華人民共和国行政区分〕は日本刊行する辞書としての中立性に欠ける。

2)広辞苑以外も日本国語辞典は総じて現在中華民国に冷たい。現在中華民国は「名称」であり、台北首都ではなく主要都市なのだ

画像

1 産経新聞より

http://www.sankei.com/smp/life/photos/180126/lif1801260003-p1.html

2 広辞苑第六版より

https://pbs.twimg.com/media/DTTEa_YVwAAJM6J.jpg

<本文(長い)>

きっかけは昨年秋、広辞苑新版ニュースになりはじめたころの、1つの記事だった。

日本広辞苑が「台湾中国の一部」に改定。日台の絆に深い傷

http://www.mag2.com/p/news/333476

ただし、この記事有料メルマガ抜粋であるため、詳細を確認することができなかった。

そこで、近くの図書館に行き、台湾関連の記述確認することにした。

まずは「台湾」を引いてみた。

【1】「広辞苑」第六版第一刷(二〇〇八年一月一一日)新村出

たいわん【台湾】(Taiwan中国福建省台湾海峡をへだてて東方二〇〇㌖にある島。台湾本島・澎湖諸島および他の付属から成る。総面積三万六〇〇〇平方㌖。明末・清初、鄭成功オランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果一八九五年日本植民地となり、一九四五年日本敗戦によって中国に復帰し、四九年国民党政権がここに移った。六〇年代以降、経済発展が著しい。人口二二八八万(二〇〇六)。フォルモサ。→中華民国。➖・あひる台湾鶩】(以下略

まぁ、こんなもんかな、と思った。

他の辞書も見てみることにした。

【2】「大言海」新訂版第四刷(昭和五十七年十二月一日)故大槻文彦、大槻清彦

たいわん・ぼうず(タイワン・バウズ)(名)臺灣坊主明治二十七八年戦役ノ際、臺灣に出征セシ兵士ノ、此病ニ罹リ、つるつる坊主ニナリテ歸國セシ故ニ云フト〕(以下略

台湾自体見出し語になく「台湾坊主」という禿頭病の説明だけだった。

【3】「角川国語辞典初版昭和五十七年十二月二十日)時枝誠記吉田精一

たいわん【台湾中国福建省東方にある島。面積三万五六〇〇平方㌖。明(みん)末、清(しん)初のころから中国人が多数移住して中国領であったが、日清(にっしん)戦争後、日本領第二次世界大戦後、中華民国返還され、一九四九年以降は蔣介石の国民政府がこの地によっている。中華人民共和国台湾省という。

続いて【台湾海峡】【台湾総督府】【台湾泥鰌(どじょう)】【台湾パナマ】【台湾坊主】と続いた。

【4】「広辞林」第六版第一刷(一九八四年三月一〇日)三省堂編修所

たいわん【台湾中国福建省東方にある島。中国の一省。

これだけの辞書もあった。続いて【台湾征討】【台湾総督】と続く。

【5】「岩波国語辞典」第7版新版第1刷(2011年11月18日西尾実岩淵悦太郎水谷静夫

台湾」はなく、【台湾坊主】のみ。禿頭病のほか、低気圧意味も載っていた。

【6】「旺文社国語辞典」第十一版(2013年10月13日山口明穂、和田利政、池田和臣

たいわん〔台湾沖縄諸島南西方中国大陸福建省東方位置する島。中心都市台北タイペイ。➖ぼうず【ー坊主】(以下略

台北が初めて出てきたが「首都」ではない。

【7】「国語辞典 言泉」第一第一刷(昭和六十一年十二月二十日)尚学図書

たいわん【台湾日本列島西南方にある紡錘形の島。島のやや東寄りに高峻な台湾山脈が南北に縦走し、西側平野がひらける。気候亜熱帯モンスーン気候原住民インドネシア系とされる高山であるが、人口の大部分は華南から移住した漢民族が占める。明末・清初から中国領日清戦争日本領。一九四五年中国返還され、四九年中国国民党政府がここに移った。略称は台タイタイワン。

高山族が出てきた。

【8】「新明解国語辞典」第六版第一刷(二〇〇五年二月一〇日)山田忠雄柴田武酒井憲二、倉持保男、山田明雄

これも【台湾坊主】のみ。

【9】「大辞林」第三版第一刷(二〇〇六年一〇月二七日)松村明三省堂編修所

たいわん【台湾中国福建省東方位置する大島台湾本島とその属島からなる。米・サトウキビ・茶・バナナなどを産する。製糖・製紙・機械セメント・造船などの工業が発達。先住民高山であるが、住民の大部分は漢民族一六八三年から中国領土。日清戦争日本植民地になり、一九四五年中国返還されたが、四九年国共内戦に敗れた中国国民党がここに移った。主要都市台北。面積三万六千平方㌖。人口二二七五万(二〇〇五)。

かなり詳しいが「中華民国」とは書かない。以下【台湾海峡】【台湾兜虫】【台湾銀行】と続く。

【10】「日本国語大辞典」第二版第八巻第一刷(二〇〇一年八月二〇日)日本国語大辞典 第二版 編集委員会小学館国語辞典編集部

たいわん【台湾中国の南東方にある紡錘形の島。本島のほかに澎湖島などの付属島を含み、台湾海峡を隔てて中国福建省広東省に対する。島のやや東寄りに高峻な台湾海峡が南北に縦走し、西側平野がひらける。ほぼ中央を北回帰線が通り、亜熱帯モンスーン気候を示す。先住民はマライ・インドネシア系とされる高山であるが、人口の大部分は華南から移住した漢民族が占める。明末・清初から中国領日清戦争後の一八九五年から日本領。一九四五年中国返還され、省制がしかれたが、四九年中国国民党政府がここに移った。面積三万五九八一平方キロ

かなり細かい記述

台湾については大体こんな感じだったが、「中華人民共和国」と「中華民国」も引いてみることにした。

【1】「広辞苑」第六版第一刷(二〇〇八年一月一一日)新村出

➖・じんみんきょうわこく【中華人民共和国中華民国国民党政権革命によって倒し、一九四九年一〇月一日、中国に成立した共和国中国共産党指導のもとに、全国人民代表大会国家権力の最高機関とする。社会主義体制標榜しつつ、七〇年代から経済改革・対外開放を推進、近年発展著しい。面積約九六〇万平方㌖。人口一二億九六〇〇万(二〇〇四)。首都北京

本文にさして問題は感じないが、問題は〔中華人民共和国行政区分〕なる地図である

(1)北京市に始まり(34)マカオ特別行政区まで掲載されている中に、しれっと(26)台湾省が何の説明もなしに入っているのは、非常に違和感を覚える。

➖・みんこく【中華民国辛亥革命の結果清朝が倒れた後、一九一二中国最初共和制政体として成立した国。初代大統領袁世凱(えんせいがい)。二八年中国国民党国民政府樹立、全国を統一したが、第二次大戦後共産党との内戦に敗れ、四九年本土を離れて台湾に移った。

ちゃんと中華民国見出し語になっているのだが。

【3】「角川国語辞典初版昭和五十七年十二月二十日)時枝誠記吉田精一

➖・じんみんきょうわこく【ー人民共和国

中国大陸支配する社会主義国首都北京ペキン。(以下略

➖・みんこく【ー民国

中国大陸の南東海上、台湾島を中心とする共和国。辛亥(しんがい)革命により一九一二中国大陸に成立。のち、蔣介石の率いる国民党によって統一されたが、第二次世界大戦後、国民党共産党に敗れ、一九四九年台湾に移った。首都台北タイペイ。面積三万五九六一平方㌖。

中華民国見出し語にあり、台北首都である

【6】「旺文社国語辞典」第十一版(2013年10月13日山口明穂、和田利政、池田和臣

中華人民共和国のみ見出し語にあり。中華民国台湾については特筆すべき点なし。

【7】「国語辞典 言泉」第一第一刷(昭和六十一年十二月二十日)尚学図書

中華人民共和国については特筆すべき点なし。

➖・みんこく【中華民国】(一)辛亥革命後の一九一二から中華人民共和国が成立した四九年まで、中国代表する政府採用した国名。(二)一九四九年、中国共産党との内戦に敗れ、台湾に逃れた国民党政府使用している名称

最も正確な気がした。

【9】「大辞林」第三版第一刷(二〇〇六年一〇月二七日)松村明三省堂編修所

➖じんみんきょうわこく【中華人民共和国アジア大陸東部を占める国。中国革命成功により一九四九年一〇月一日、毛沢東主席として成立。中国共産党指導の下で、土地改革農業集団化、数次の五か年計画などを遂行し、文化大革命による混乱を克服して「四つの現代化」を掲げ、社会主義国建設を目指している。国家の最高機関全国人民代表大会首都北京。面積九五九万七千平方㌖。人口一三億一五八〇万(二〇〇五)。

➖みんこく【中華民国辛亥革命の結果、中国誕生した共和制の国。一九一二孫文臨時大総統として南京ナンキン)に政府樹立されたが、袁世凱政権を奪って政府北京に移した。のち、中国国民党国民政府樹立し、北伐をおこない全国を統一したが、日中戦争内戦を経て、四九年中国共産党中華人民共和国が成立。台湾に移った国民党政府は、中華民国国号使用

【10】「日本国語大辞典」第二版第八巻第一刷(二〇〇一年八月二〇日)日本国語大辞典 第二版 編集委員会小学館国語辞典編集部

ちゅうか-じんみんきょうわこく【中華人民共和国ユーラシア大陸東部にある人民共和国東部はやや湿潤な平野からなり、内陸部は乾燥気候で、山地高原盆地が多い。大多数を占める漢民族のほか、チワン族蒙古族ウイグル族チベット族など五五の少数民族からなる多民族国家北京上海天津の三直轄市と、二二省、五自治区、ニ特別行政区香港マカオ)に分かれる。中国国民党との内戦勝利を得た中国共産党の全国統一により一九四九年一〇月、毛沢東主席として成立。中国

広辞苑第六版の地図比較すると、この時点では重慶直轄市ではなかったようだ。そして台湾省は「二二省」には含まれていないと思われる(広辞苑の「省」は23ある)。

ちゅうか-みんこく【中華民国】(一)辛亥革命後の一九一二から中華人民共和国が成立した一九四九年まで、中国代表する政府採用した国名。一九二七年を境として、前半の軍閥組織を背景とした北京政府と、後半の中国国民党による国民政府時代とに分けられる。首都は前半は北京、後半は南京。(ニ)一九四九年、中国共産党との内戦に敗れ、台湾に逃れた国民党政府使用している名称

【11】「国語辞典第一版第七刷(昭和五十七年二月十二日)尚学図書

➖・じんみんきょうわこく【中華人民共和国

国共内戦記述があり、首都北京とあるが、台湾についての記述はない。

2017-10-12

[] 2017 台湾旅行記 第二部分

anond:20171012190019






2


2日目 午前


南国 台北10月でも朝からクソ暑い

ホテルの朝食の後、午前のおやつの蛋餅を食い、猫の村 猴硐→九份に向かうことにした。

今日台湾鉄道、台鐵に乗る。


まず地下鉄での行き先は台北車站(セントラルステーション)だ。

着いたら、駅周辺を散策する事にした。


台北車站周辺は綺麗で近代的だった。

すぐ近くに市場があり、その中ではここでも屋台的なものがあった。

台北では其処彼処で料理をして、其処彼処で誰かが何かを食っている。

日本より食品衛生に関する公の決まりが緩いんだろう。



市場を出ると小雨が降って来たので、近くにあった美術館に入ることにした。

美術館はひんやりして心地いい。

照明を落とした展示室では、赤と青の幻想的な浜辺で艶めかしく肌をさすり合う男2人と、それを覗く小太りな水兵の映像作品が放映されていて、よくわからないけど南国を感じた。

勝手な印象だけど、中華圏の現代アートは男の性を描いたものが多い気がする。

美術館をでたら、むしろ雨は強くなっていたが、3分もしないうちに止んで、強い日差しが古式ゆかしい建築様式美術館を照らしてきた。

きっと今日もまだまだ暑くなるんだろう。




2日目 午後


台北車站に戻り、台鐵で猫の村として名高い猴硐に向かう。

この途上でも旅の目的の一つがあった。

台鐵弁当だ。

台湾鉄道には日本統治時代から伝統駅弁があるそうで、これは蚵仔煎と並んで是非食べなくてはいけないものだった。


どこで売っているのかわからず、改札を通ると、改札のすぐ脇に売店があり、そのまえの待合所で、老若男女が弁当ガツガツ食っていた。

台北にいる人間は本当に隙あらば食う。

きっと、現地人も食うために生きているし、旅行者もここに何かしら食いにきているに違いない。


排骨スペアリブ弁当イチオシのようだったが、暑さにやられたのか、少し重い気がして、なんだかわからない別の弁当を頼んだ。


でてきたのは、角煮弁当だった。

台鐵弁当は温かい状態で供される。

温かく、蕩けるように柔らかい角煮を口に含んだ瞬間、思わずうまい」と呟いた。

台北の食い物は、不味いものこそなく、むしろ多分ずっと食べても嫌になる事は無いだろうと思うくらいには美味いが、「びっくりするほど」とまではいかなかった。

しかし、別に飯屋でも屋台でもなんでもない、駅の待合所で、遂に美味くてびっくりするもの出会った。



台鐵を乗り継ぎやがて猴硐に着くと、ホームには猫ならぬ、猫耳のついた麦わら帽子を被ったお嬢さんがいた。

ここに来る人は、自らも猫になって来るらしい。


改札を出たらさぞかし猫だらけなのだろうと思ったら、改札を潜る前にすでに1匹、窓際で寝息を立てている。

一枚写真に収めて改札を通ると、其処彼処に猫が。

観光客にすっかり慣れているのか、どいつもこいつも写真を取られようが撫でられようがどこふく風。南国は猫も呑気なもんだ。


カフェに入って一息つく事にした。

大きなテーブルアイスコーヒーを飲んでいると、4人客が入ってきて、マスターが「席をかわってくれないか?」

いいよ、と窓際席に行くと、椅子の上に寝息を立てた白猫が。

猫村にきて最も至近距離で猫をフレームに収めることができた。


と、少しすると、不意に便意をもよおしてきた。「やっぱエリーさんの言った通りだったかな?」とも思ったが、一昨日の飛行機から寝不足気味ではあったし、正直台北の食に関しては衛生的に完璧といったものは少なかったので、何が原因か特定が難しい。

そんなに深刻な不調でもなかったので、トイレを借りて用を足し、「もっとまずくなったらその時は台北に引き返そう」位で、旅程を続ける事にした。



お土産の猫型パイナップルケーキを買うため、また筆談メモを描いていると、ブレスレットが何処かに行ってしまった事に気付いた。

頻繁にカバンに手を突っ込んでいるうちに外れてしまったのだろう。

少し探したが見つからない。

そうこうしているうちに雨が降ってきたこともあって、諦めて駅舎に向かう事にした。

高いものではないから良いんだけど、少し残念だ。

エリーさんの忠告を思い出す。

「山の天気は変わりやすい!」


猫型パイナップルケーキを売っているお土産屋さんのおばさんは日本語が堪能で、結果としてメモ無駄だった。

やはり日本から、これを目当てに来る人間は多いらしい。

目当ての品も手に入ったので、駅前散策していると、「ブーーーーン」という音。

ふと見ると、お姉さんがなんとドローン飛ばしていた。

こんな辺境で最新テクノロジーを見るとは。

猫の写真を撮りきにて、実に珍しいものカメラに収めることができた。



まだ日は高い。エリーさんのオススメに従って、猴硐から遠く無い、十分の瀑布を見る事にした。

十分駅に着いたは良いが、急に決めて下調べがないので、滝までの行き方が分からない。

とりあえず人並みに従って歩くと、沢山の人がいろんな国の言葉で天燈を空に飛ばしていた。

十分は、色々な願いが書かれた天燈が宙を舞う事でも有名な村だ。


天燈の翔ぶ界隈を過ぎれば、川沿いの通りに出た。

さあどうしよう。

見ればタクシーが止まってるじゃないか

これに乗れば確実だ。

メモに滝の絵と「十分瀑布」と書いて、運転手のオッチャンに見せる。

すると、呆れたような顔で「歩いた方が早いよ」

そうなのか。

ワンメーターでも乗せて、良い加減な値段でもふっかけりゃ稼げるだろうに、正直というか商売っ気が無いというか。

でもよくよく考えれば、そんな客を乗せるより、ここから直接九份台北に行く客を待った方が良いのかもしれない。

オッチャンが指差す方向にしばらく歩くと、「十分瀑布公園」に到達した。


渓谷にかかる吊り橋を2つ渡ると、遂に大瀑布が見えてきた。

滝の飛沫と折から降ってきた小雨であたりはビショビショ。

傘をさしてカメラを構える訳にもいかないが、幸い雨ガッパを持ってきていた。

用意周到。エリーさん、そんなに迂闊な男でも無いんだぜ。

飛沫と小雨に濡れながら、十分の瀑布をカメラに収めることが出来た。

さあ九份だ。




2日目 夕方


十分から九份最寄り駅の瑞芳に向かう車内、向かいに座っていた女性2人の親子連れ、娘さんの方が騒ぎ出した。

言葉を聞くと韓国からきたようで、どうもこの列車が瑞芳に留まるかどうかがどうしても気になるらしい。

手元にスマホがあるので調べれば一発なのだが、なぜか地図アプリなどを見ていて要領をえない。

遂にそば若い女の子2人連れに聞き出した。


のだが、声をかけられた方も言葉がわからない。

英語でお互い話そうとするも伝わらない。

かねた同乗の韓国人らしき2人連れの兄ちゃんが割り込んだ。

同郷の旅行者の手助けで、お姉さんの心配は無くなったらしい。

お姉さんが先程の女の子に聞いた。「あなたは何処から来たの?」「I'm chainese.」大陸の人だろうか?

台湾の同じ列車に、韓国人と中国人が乗っている。

「ここに日本人もいますよ」シャイ日本人らしく、心の中だけで言った。




2日目 夜


瑞芳に着く頃にはすっかり日も落ちて、九份観光には絶好の時間帯だ。

から九份老街へは迷わない様にタクシーでいくと決めていた。

駅前で張っていた兄ちゃんに「九份」伝えると、すぐに車を紹介してくれる。

タクシーのオッチャンに行き先を伝えると、出発進行。

オッチャンは曲がりくねった山道めっちゃ飛ばす。

しばらくすると九份老街に到着した。

中国語発音ダメ英語中学生レベル日本だって怪しい。

ならいっそ全部言ってしまえ。

サンキューありがとう、謝謝。」



台湾は人気の観光地だから日本人が沢山いると思ったら、これが意外と会わないもので、むしろ白人の方がよく見かける位だったが、ここ九份ではちょっと歩くとすぐ日本語が聞こえる。

一番日本人を見かけたかも知れない。


急な階段を登り、幻想的な風景カメラに収めた。

しかし、良い加減、歩き通しで疲れてきて、少し具合も悪くなってきた。

脱水症状かな。

九份ではお茶でも飲もうかと思っていたのだが、人ですごいし、都合よく茶藝館も見つからない。

写真も撮ったし、もう切り上げようか。


ふと茶器の店が目に入ったので入ってみると、幸運な事に、茶藝館が併設だった。

茶藝館では店員さんがお茶の淹れ方を流暢な日本語で説明してくれる。

きっと日本観光客もよく来るのだろう。

赤く光る街を見下ろして、ゆっくり金萱茶を飲んでいると、果たして大学生か若手社会人と思しき兄ちゃん3人連れが、賑やかにやって来て、日本語で高山烏龍茶お茶菓子を頼んでいた。


諦めかけていた目的が果たせたので、会計の際に店員さんに伝えようと思い、「旅行目的の一つが九份お茶を飲む事だったんです。」と言ったが、さすがに日本語で複雑な言葉は伝わらないようだった。

説明日本語が余りに流暢だったので油断したが、あれは決まり文句なのかも知れない。

からシンプル一言だけで言い直した。

「最高だ。」

「謝謝!」



>>3日目



[] 2017 台湾旅行記 第一部分

台湾に行って来た。

一人での海外旅行は初めてだ。

台湾であった事、感じた事つらつらと書く事にする。

長いし、起こった順に書いていて、特に脈絡もないので、ドラマは期待しないで欲しい。

取り留めない旅行記だ。

もし文書の中で一文でも、行ってない人の興味を唆れたり、行った事のある人に「あ〜、あるある」って思ってもらえたら嬉しい。




出発前


そもそもなぜ台湾に行こうと思ったかというと、少し前にちょっと凹むを事があり、いつまでも気に病んでも仕方ないし、何か面白い自分の興味を引かれる事がないかなぁなんて考えてたところ、「そういえば、台湾料理で気になってるものがあるんだけど、実物を食べた事がないんだよなぁ」と思い出し、休暇の予定も決まってなかった事もあって、「じゃあせっかくだから行ってみよう」となった訳である

初めてなので、ツアーを予約して、飛行機ホテルの世話だけをして貰うつもりだった。


いざ行くと決まれば、何より問題なのは言葉で、元々日本でもコミュ障気味なのに、別の言葉が話されている国で過ごすのは甚だ不安だった。


でも出発当日が来て、フライトをまつ夜の羽田空港国際線ターミナルで、簡単中国語を暗記していてた時にふと気付いた。

そうだ、俺、イラスト描けるじゃん。

普段から言葉より絵の方が伝わる事があるのは分かってる。

言葉の通じない国に行くんだ、使えるスキルは何でも使わないと。



格安ツアーの出発は変な時間だ。

午前4:50、タイガーエアに乗り込んだ。

台湾LCCとはいえ、機内はほとんど台湾人。

ツアーなので、自分の他にも出発する日本人がいるかと思ったが、日本人は少数派のようだった。

ちょっと不思議に思ったのは、機内の台湾人の男性はほぼメガネ

なんでどいつもこいつも目が悪いんだ。

から更に不思議だったのは、台北の地に着くと男子メガネ率がむしろ低いのだ。

台湾人は飛行機に乗る時だけメガネをかける決まりでもあるのか?






1


1日目 午前


LCCの狭いシートで変な姿勢に耐えながら3時間フライトを終え、朝の桃園空港に降り立った。

空港でキョロキョロしてると、いきなり兄ちゃんに現地の言葉で話しかけられた。

バス?とか言ってたので、行き先に迷ったと思われたらしい。

一瞬どう答えていいか迷ったけど、オレンジベストを着てゲートのすぐそばに立っている女性を指差し、「大丈夫」と言うふうに手を振ったら、彼は「なんだ」という顔をした。

あ、言わなきゃ。

「謝謝」


ベスト彼女自分の到着を待って立つツアーガイドだった。


実はツアーガイドはすぐに見つけていたのだけど、他のツアー参加者が集まってから声をかけようと思っていた。

しかし、誰も集まる気配がない。

どうやらこのツアーの申し込み者は自分一人らしい。

機内に日本人が少ない筈だよ。

「すいません」と日本語で言うと、ちょっと訛った日本語で「どこにいたの?すぐに声かけてよ〜」と笑顔で言われた。


ツアーガイドは黄さんと名乗ったが、「エリと呼んでね」。

台湾の人は英語の二つ名を持っている人が多いという。

より覚えやすくする為に、勝手に「エリーさん」と呼ぶ事にした。ちょっと伸ばしただけだから大きく違わないだろう。



ホテルに向かうミニバンエリーさんに「何かみたいものある?」と聞かれたので、「九份に行きたい」というと、「どう行くか調べてますか?」

「ざっくり」と答えると、「ざっくりじゃダメよ!」とひどく呆れられた。

エリーさん曰く、九份は凄く人気、今は祝日台湾人も行くから人でごった返している、行くなら早くいけ、と。

さらにはついでに十分も行くべきで、こんなこんなこんなツアーがあって・・・説明が止まらない。


「実は蚵仔煎と肉圓を食べに来た。あとお茶も買う予定」と言いうと、彼女は「それだけ?」とまたもや呆れ顔で言った。

「それだけじゃ量が少ないよ!」

さらっと書いているが、この会話の中で、エリーさんは料理名前を何度も聞き返している。

曰く、「発音メチャクチャから何言ってるのかわかんないよ!」

日本人とは随分テイストの違う接客なので思わず笑ってしまった。


夜市にも詳しいエリーさんによると、蚵仔煎の様な夜市料理行列の店で食べるべきで、それは味の問題というより、回転の早い店の方が素材が新鮮なので、当たる事が少ないかであるとの事だった。

台湾人がよく行列するのは、そういう理由もあったのか。なるほど。


エリーさんの勢いに呑まれかかってたけど、会話が少し止まって、ふと窓の外から街を見れば、台北市は建物が密集しているのに気付く。

その中にセブンイレブン

漢字コンビニも人の背格好も一緒なのに、行き交う人は全然別の言葉を話している。

それは不思議な感じだ、と言おうかと思ったけど、それを言うとエリーさんが凄いエネルギーで何かの説明をしそうなので言わないでおいた。


ホテルに着いたらチェックインの15:00まで、荷物を預けて自由観光

エリーさんは、台湾での見所と注意をまくしたてたあと「わからないことがあったらLineで連絡して!」と事細かに連絡方法を教えてくれた。

「あと折りたたみ傘を持って行って!今の台湾は天気が変わりやすい!」

どうやら手が届く限りは面倒を見ないと気が済まないらしい。

台湾人は親日とよく聞くが、接した感じでは、どうもナショナリズム問題ではなく、何か人間が親切というか、お節介焼きであるように感じた。



エリーさんと別れてしばらく歩くと、南国の陽射しの下、台湾国旗がはためいている。

明日がちょうど建国記念日国慶節からだろうか。

そういやエリーさんに「暑いな、さすが南国」と言うと「ここは南国に入らないよ!台南の方が亜熱帯!」って言ってたっけ。

急に冷え込んだ東京から来たら、十分暑いエリーさん。


すぐに暑さに耐えかねて、冷房の効いてそうな店に飛び込んだ。台湾で食べたかったものの一つ、豆花を食べていると、店内ラジオからはB'zが流れて来た。

日本アーティストなのに、なぜかより台湾を感じさせる。

かい注文が出来ないので、かき氷ピーナッツの甘煮だけをトッピングしてもらった豆花はとてもアッサリしていた。



台湾はとにかくスクーター乗りが多い。

大通り信号が青に変わるたび、びっくりするくらいのライダーが駆け抜けて行く。

この台湾光景を収めようと交差点歩道カメラを構えたら、後ろから「前方!」という様な声をかけられた。

振り向くと、自転車にのったおじさん。

「前危ないよ」とでも言われたのだろうか?ひょっとしたらもっと荒っぽい表現なのかもしれない。

台湾人は親切だけど直接的でもある。




1日目 午後


ホテルチェックインの15:00にはまだ間があったが、台北は午後になって更に気温が上がって来た。

エリーさんが言ってた事には、日中は36℃になると言う。

当て所なく歩き回るにはキツい時間だ、せめて目的が欲しい。

本来は2日目の午前にこなす予定だった、台湾茶の買い出しを前倒す事にした。


エリーさん曰く、祝日台湾人は勤勉では無いらしく昼頃にようやく起き出すとの事だったので、一抹の不安を抱えてはいたが、しばらく歩くと、お茶のいい香りが漂って来た。

通りに面した倉庫の様な店。

林華泰茶行。

上質なお茶が卸値で買えるとの事で、予め来ると決めていた店だった。

実際に来て見ると、その倉庫の様な空間に微かに漂う不思議で素敵な香りに心が踊る。


ただ、少し計算が狂ったのは、店が思った以上に小ぢんまりとしているし、本来問屋なので、店員ぶっきら棒

タンクトップから腹を放り出したオッさんが茶葉のチェックなどしていて、ゆっくり見るのは場違いだった。

そこでは吟味しながら4種類買う予定だったけど、実は到着直後の免税店で、エリーさんの勢いに押されてすでに高山茶を1つ買っていたので、3種類にした。


金萱

東方美人

蜜香紅茶


20代とおぼしきにいちゃんに、それぞれ「1/4斤」とメモして伝えると、「150?1300元」とぶっきら棒に返して来る。


台湾店員さんは人がよく、自分言葉が変でも何とか必死コミニュケーションを取ろうとしてくれていて、それが返って不甲斐なく、少し凹んでもいたのだけど、さすが問屋のにいちゃんにそんな忖度は無い。


今が出す時だ、と思い、空港で描いたメモを見せた。

一杯の茶のイラスト

「喜歓的香味(とても好きな薫りです)」

「謝謝。」にいちゃんは微笑んで言った。

初めてエリーさん以外の台湾人とちゃんコミニュケーションが取れたと思った。



昨日から大して寝ずに動き回ってるので、良い加減疲れて来たけど、ホテルチェックインにはそれでもまだ時間がある。

台北101に向かう事にした。


地下鉄にのっていたら、博愛席(日本でいうところの優先席)に座ってたばあさまが、乳幼児を抱いている母親に気付いて、手招きして席を譲っていた。

台湾人はほんとうに人が良い。

うっかり降りる駅を間違えて、次の電車を待っていたら、地下鉄ホームロードバイクを押す人がいた。

台湾輪行ダイナミックだ。


ブルータス台湾特集の表紙が台湾人には不評だったらしい。

曰く、あんな古くさい台湾ではなく、もっと近代的な今の台湾を見てくれ。

でも、実際歩いてみると、やはり台北の街は自分イメージするアジアエネルギーノスタルジーに溢れている。


そうかと思えば、台北101は東京で言うところの押上ソラマチの様に、周囲から浮いて急に出現した近代モールだった。

台北という街は混沌の中での変化の真っ最中なのかもしれない。



さて台北101の地下はデパ地下であり、フードコートだ。

このデパ地下も、旅の目的の一つだった。

その地にはその地の食い物が有る。

よくわからない果物料理ディスプレイされてるのは最高だ。

乾麺のコーナーで、刀削麺と同じ棚に讃岐うどんが並んでるのには何だか笑った。

うどん台湾では烏龍麺と書く。


大して腹も減ってなかったけど、疲れを癒す意味で、ここのフードコートガソリン補給をする事にした。

加油、俺。

頼んだのは排骨魯肉飯のセットで排骨には八角の強い風味が有る。

これが中華な味だ。

魯肉飯をかっ込んでふと顔を上げると、半袖シャツを着た対面のにいちゃんの袖から綺麗な花柄が覗いていた。

そういえば林華泰茶行に行きすがら、通りかかった裏路地でも、書き描けの紋紋を背負ったおっちゃんが上半身裸で何かを食っていた。

台北では割とカジュアルに紋紋にでくわす。


デパ地下と紋紋に満足したので、人でごった返した展望台には登らなかった。

良い加減、ホテルチェックインしてシャワーを浴びたい。




1日目 夕方〜夜


やっとホテルチェックインできて、シャワーも浴びてさっぱりできた。

一休みしたら晩飯だ。

どこで何を食うかは決まっている。

寧夏夜市で蚵仔煎を食べるのだ。


実はエリーさんに、この暑くて食品が傷みやすい時期に牡蠣を食べるのは勧めないと止められていた。

私たち台湾人間は胃が大概のものに慣れている。でもあなたたちは違うでしょ」と。

一理あるんだろう。

でもこの旅行重要目的の一つが本物の蚵仔煎を食べて、どういうものか知る事だったのだ。これはマストなのだ

から、せめてエリーさんの忠告を一つ守ることにする。

屋台料理行列の店で食え」

日が落ちて、明かりが灯った台北の街。

地下鉄を乗り継ぎ、寧夏夜市の行列の店を目指した。



道中驚いたのは、街中に野良犬がいた事。

少し遠巻きにしてる人もいたが、同時に野良犬を気にするふうでも無く、すぐ脇で座ってなんか食ってるおっちゃんもいて、日本ではもうない風景日常なんだなぁと驚いたりもした。



やがて、台北B級グルメ天国寧夏夜市が見えて来た。

日本で伝え聞く喧噪はちょっと盛ってるんじゃないかなんて疑っていたが、実際に行くと日本縁日以上の人、人、人。

屋台が軒を連ねる通りは真っ直ぐ歩くのも難しいくらい。

食習慣が全然違うのを肌で感じる。


夜市を一回りすると、一番行列のできてる店がわかった。

ここに決めた。

朝にエリーさんに酷評された付け焼き刃の台湾語は捨てて、筆談だ。

蚵仔煎を描いたメモを見せて注文する。

やがて店内に通されて、目当ての品が運ばれて来た。

おお、これが蚵仔煎か。

まず写真を一枚。

そして口に運ぶ。

プルプルしている!台湾風にいうとQQだ。

牡蠣オムレツと言いながら、片栗粉ような生地の方が主で、それに卵が絡み、その中に青菜と小粒の牡蠣が旨味を添えていた。

かかっているタレは甘酢か。テーブルに置いてある辛味噌を添えると更に風味が増す。

エリーさんの忠告は忘れてないが、ひょっとしたらヤバいものを食べているのかも知れないというスリルもまたスパイスのようなものだった。

「很好吃!」メモを見せると、店員のお姉さんはサムズアップした。



>>2日目



2017-05-19

ルジャンドルフランスウラン(Oullins)に生まれランス大学およびパリ大学に学んだ[1]。父親のJean-François Legendre-Héralは人物像を得意とした古典主義彫刻家エコール・デ・ボザールの教師[2]。24歳のときニューヨークの著名な弁護士の娘であったクララヴィクトリア・ミュロックブリュッセル結婚した。結婚後すぐに米国移住し、帰化した。

南北戦争[編集]

1861年に南北戦争が勃発すると、ルジャンドルは第51ニューヨーク志願兵歩兵連隊兵士募集に協力し、1861年10月29日に同連隊少佐に任官した。その後ノースカロライナでの戦闘従事し、1862年のロアノーク島の戦いにも参加した。しかしながら、1862年3月14日、ニューバーンの戦いで重傷を負った。

負傷にもかかわらず、ルジャンドルは軍を離れず、同年9月20日には中佐に進級。1863年には第9軍に配属され、多くの戦闘に参加した。1863年3月14日には大佐に進級。ヴァージニア荒野の戦いではユリシーズ・グラント将軍の指揮下にあったが、その最中の1864年5月6日ルジャンドルは再び重症を負った。今回は顔面を撃たれ、左目と鼻を失った。アナポリス病院入院したが、その間にも南軍最後攻撃から街を防衛するための準備を手伝った。その後ニューヨーク移送され、そこで第9軍の兵士募集を手伝った。1864年10月4日名誉除隊したが、1865年3月13日には准将名誉進級した。

中国[編集]

1866年7月13日ルジャンドル厦門米国領事に任命された。7月ニューヨークリバプールに向けて出港し、その後ヨーロッパアジア大陸旅行12月厦門に到着した。領事として、ルジャンドルは5つの条約港、すなわち厦門基隆台北、淡水および高雄責任を持った。そこでは、年季奉公人の不正取引抑制に尽力した。

1867年3月12日米国ローバー号が台湾遭難し、その乗員が台湾原住民殺害されるローバー事件(en)が発生した。ルジャンドルは福州へ赴き、台湾中国側当局問題解決圧力をけるように、福建・浙江総督を説得した。福建総督は自ら行動は起こさなかったが、ルジャンドル台湾に行く許可を与え、台湾知事が協力するように紹介状を書いた。

ルジャンドルは、遭難現場訪問のために米国船アシュロット号を雇い、台湾当局に行動させようとした(これは失敗した)。その後アメリカ合衆国海軍ヘンリーベル少将懲罰作戦実施したが、これも失敗した。さら情報を集めるため、ルジャンドルは再び台湾に出向いた(このときは、紹介状は無しであった)。

中国へ戻ったルジャンドルは、南台湾に軍隊派遣するよう福州の総督を説得し、ようやくこれに成功した。ルジャンドルは400〜500人の規模を希望したが、これよりはかなり小さな遠征隊が、1867年7月25日台湾に送られた。ルジャンドル砲艦派遣ベル提督要請したが、これは拒否された。このため、武装商船ボランティア号が雇われた。ルジャンドル9月4日台湾上陸したが、上司に対しては全くの傍観者として行動したと報告している。

ルジャンドル直ちに本来任務を開始した。南台湾の険しい山岳地帯を通りぬけ、原住民酋長と難破した欧米の船員の安全保証するための条約協議した。

1871年9月6日琉球宮古島)の船が台湾沖で遭難したが、ローバー事件と同様に、多数の船員が殺害された(宮古島島民遭難事件)[3]。1872年2月29日ルジャンドルは先に結んだ条約日本人船員にも適用するよう拡大するため、台湾に出向いた。任務は不成功に終わり、またルジャンドル北京駐在米国公使フレデリックロウ(en)とも不仲になってしまった。

日本[編集]

1872年厦門から米国へ戻る途中、ルジャンドル日本に立ち寄り、明治政府台湾問題武力解決提唱した。これは副島種臣外務卿意見とも一致しており、ルジャンドル米国領事の職を辞し、1872年12月12日外交および軍事顧問として明治政府雇用された[1]。1873年2月、副島は2年前に台湾で起きた宮古島殺害事件の処理交渉特命全権公使外務大臣として北京派遣されたが、ルジャンドルもこれに参加した。この交渉部分的には成功であったが、引き続きルジャンドル1874年台湾出兵の準備を手伝った。台湾問題に関して、ルジャンドル駐日米国公使チャールズ・デロングの支援を受けており、また個人資格でこの遠征に参加するつもりであった[4][5]。加えて、2名のアメリカ軍人が雇用された。ところが、デロングの後任の米国公使ジョン・ビンガムは、ルジャンドルを支持せず、1874年4月19日台湾出兵は一旦延期とされた。ルジャンドルらは長崎で出征準備を整えていたため、大久保利通長崎に向かった。結局遠征部隊5月18日長崎を出港したが、ルジャンドル大久保と共に東京に戻った。その後、ルジャンドル交渉のため福州に派遣されることとなったが、アメリカ総領事職場放棄の罪に問われ、短期間ではあるが上海収監されてしまったため、遠征には参加できなかった。1875年には日本政府から勲二等旭日重光章を授与されたが、これは外国人としては最初のものであった[1]。その年の末には顧問を辞任した。

ルジャンドル1890年まで日本滞在し、大隈重信個人的顧問を務めた。

韓国[編集]

1890年3月ルジャンドル日本を離れ、朝鮮王高宗顧問となった。1899年9月1日漢城(現 ソウル)で卒中により死亡するまで、その職を務めていた[6]。

2016-11-12

観光庁参加MMD杯1011

総合優勝

【第10MMD杯本選】 戦場アイドル春香さん

【第11MMD杯本選】ルパン三世VSアイドルマスター

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国土交通省JTB創価学会

JTB、社員公明党支援要請 創価学会から依頼受け - 選挙朝日新聞デジタル

http://web.archive.org/web/20141209150030/http://www.asahi.com/articles/ASGD94QJDGD9ULFA00K.html

旅行大手のJTBが、14日投開票衆院選で、公明党に協力するよう求める文書グループ2社に送っていたことが分かった。 公明党支持母体創価学会から依頼があったという。

旅行業国土交通省が所管しており、太田昭宏国交相公明党公認東京12区から立候補している。

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国土交通省外局観光庁とJTBとアイマス

台北漫画博覧会2013アイドルマスターミリオンライブステージ開催! | JTBエンタテインメント

http://www.jtb-entertainment-academy.com/pro/?p=4280

8月17日・18日、台北漫画博覧会2013 日本観光庁ジャパンブースステージ

アイドルマスター ミリオンライブ!』より

百瀬莉緒役の山口立花子横山奈緒役の渡部優衣が出演します!

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アイマスドワンゴ

THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!

https://pbs.twimg.com/media/CBHQBXiVEAA2XZI.jpg

協力

ドワンゴ

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創価大学ドワンゴ

星野康二とは (ホシノコウジとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%98%9F%E9%87%8E%E5%BA%B7%E4%BA%8C

星野康二とは、実業家である2012年11月よりドワンゴ社外取締役を務める。

創価大学星野基金を設置【創遊会だより】

http://web.archive.org/web/20080113230456/http://www.soka.ac.jp/news/sun/Sun19/soyukai.html

2016-05-06

http://anond.hatelabo.jp/20160506042300

景勝地写真なんてwebで見られるからぼっち旅行景勝地訪問はあまり意味ないような。

多分ぼっちコミュ障には都会の方が楽しいと思うので、台北香港あたりがおすすめ

国内じゃどこに行ってもさほど変わらないけど、海外なら飛行機を降りた途端に色々違うから面白いよ。

2016-03-06

世界都市俺的格付け

俺が行ったことある都市

海外

※行った理由旅行or出張で最短1泊最長5泊

国内

行ったことある都市全部いれると多過ぎなので、参考として下記都市海外都市に混ぜ込む。

エリア代表する都市横浜神戸などのようなその地方の2位以下は行政エンタメ産業などで中心地になりにくいので除外。)

格付けの考え方

比較的有名な世界都市ランキング複数https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%83%BD%E5%B8%82)を参考にしながら、訪れた際に感じた「楽しそう=エンタメメディア産業」「住むのによさそう=公共サービス交通、清潔度、マナー食事物価」「旅行に最適=史跡・名所、観光サービスなど」を総合的に判断

その街の魅力だけです。例えば、那覇市なら那覇市のみ。うるま市のビーチの魅力も、嘉手納の米軍基地のことも考慮にいれません。

俺的世界都市ランキング

Sランク
  1. 東京
  2. ニューヨーク
  3. パリ
  4. ロンドン
  5. シンガポール
A+ランク
  1. 香港
  2. 台北
  3. 大阪
  4. 福岡
Aランク
  1. ロサンゼルス
  2. 上海
  3. 名古屋
  4. ホノルル
  5. ウィーン
B+ランク
  1. バンコク
  2. プラハ
  3. 広島
Bランク
  1. モナコ
  2. クライストチャーチ
  3. 那覇

その他ご参考まで

住みたい!
観光おすすめ!(史跡よりエンタメ食事系)
ちょっと怖いな、、、な街

さぁ議論しようぜ!

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