はてなキーワード: 口唇口蓋裂とは
キミはルッキズムを治そう
『顔ニモマケズ』一度は読んでみるといいぞ
口唇口蓋裂(唇や上あごがつながっていない症状)の女性は、中学でいじめを受けて「死んじゃおうか」と思うまでに追い詰められている。しかし、アート系の高校に進学したことで超個性的な同級生に囲まれて、「私、すごい普通だからこのままだと埋もれてしまう」と逆に焦るほどになったという。
眼球の腫瘍で片目をなくした男性は、就職活動の面接で目のことが大きな壁になる。そこで「第一印象の比重が大きい面接は、自分向きのシステムではない」と考えてインターンで働くところを見てもらい、みごと内定を勝ち取っている。
他にもピグモンとか大やけどとか色々
落合陽一さんが口唇口蓋裂の息子さんの写真をツイッターであげてることで話題になってたので私も便乗。
学生時代、医者になりたかった母は奇形とか性病とかの本や写真を見るのが好きで口唇口蓋裂も事前に知っていたこともあり、
「へ~。」と答えたらしい。
(余談だけど、最近母は「私は入試の女子差別があったから医者になれなかった」と冗談で言い出した。いやお前、まず私立文系出身だろ。)
事態が呑み込めてないのかなと思った医者が詳しく説明しようとした時に
「口唇口蓋裂ってことは確か歯の矯正代が医療費になるから安く矯正ができますよね~。私、歯並び悪いの嫌いなんですよね~。あっ、でも手術とかでいろいろ面倒かぁ~。まあ、プラマイゼロですかね~」と言って医者を驚かせたらしい。
温厚ですこし抜けてる父は、さもないことのように言う母を見て、通院の回数が増えてめんどくさいんだなという認識で、まあさもないことなんだなと思ったらしい。
うるさかったのは、両祖父母。
特にお互いの両祖父母にとって初孫で、しかも女の子だからかわいそうっていうことで散々騒いだみたい。
ただ、ウチの両親はまあ、そんなもんだろうと思っていて、ガンガンかかってくる電話にもうっさいなとしか思っておらず、
「今日の夕飯何しようかな」と考えながら相槌職人となっていたらしい。
古い人達だから差別的な用語も言われたらしいけど、まともに聞いてないからあんまり覚えておらず、
「まあ、貴方が口唇口蓋裂で生まれたからあの人達(両祖父母)も心配でボケられなくていいんじゃない??年寄りなのに元気じゃんね~」と言っていた。
まあ、もちろん両祖父母は祈祷やらもやり始めたけど、それにも付き合ったらしい。(祈祷で口唇口蓋裂が治るなら医者はいらないつーの。)
母曰く、「自分のストレスにならない程度に相手に付き合ってあげることが大事。ちゃんとした神社の祈禱料なんてたかがしれてるじゃない。変な宗教とかに大金払ってなきゃ親の金だから親が何に金使おうがどうでもいいわよ。それにしても神主さんも医者と違って結果が変わるわけじゃないことを変わるって信じてる祈祷しなきゃならないんだから大変よね~」
で、生まれてから母は口唇口蓋裂の「兎口」という呼び方をなぜか気に入っており、私が兎年生まれなのもあり、私のことをたまに「うさぎちゃん」と呼ぶ。
視覚障害のある友人が親から盲人だから「もーちゃん」と呼ばれてることを知ったさいには「牛じゃないんだから」と言ってたけど、お前が言うな。
ちなみに、兎口って今は蔑称なの??「みつくち」は蔑称てウィキペディアに書いてあったけど。
小学校では学級懇談会で母親とか障害を美化する傾向のある担任(いまはのぶみがお気に入りらしい)が
「お子さんの障害を受け入れてすばらしい!立派!通院や入院とかの準備や付き添いをして母親の鏡!!」と演説をし始めた際に
「まあ製造物責任がありますからねぇ~」と言って、場を凍り付かせたらしい。
こんな両親に育てられたけど、今では母親が望んだ歯並びがきれいな女の子です。
以上、チラウラの私の話でした。
生まれた時から人と違った。上唇と上顎の一部が欠損した口唇口蓋裂という形で生まれた。
この欠損は特別珍しいものでもなく、500人に1人くらいの割合で起こるものらしい。また現代の医療は素晴らしく、成長期までに複数回の外科手術をすることで本当に目立たないようにしてくれる。でも目立たないのと自分の中のコンプレックスは別。物心ついた頃から、「自分は人と違う。出来損ないだ」って思ってた。思春期の頃はアルバムを引っ張り出して赤ちゃんの頃の写真をビリビリに引き裂いて捨てるほどだった。普通になりたかった。だから将来の夢はサラリーマンだった。
小中学校では、「普通の人たち」に認められたくて、たくさんの友達を作った。ギャルっぽい女子も暗い男子もヤンキーも関係なく話しかけて100人くらい友達がいた。大人に認められるために良い子を演じてたから授業も真面目に聞いて、成績も良かった。でも、どこか劣等感を抱いていたので、少しでもコンプレックスを取り除くために進学校と呼ばれる偏差値の高い高校に行けた。
高校では、それなりに運動ができるようになりたかったから、体育会系の部活を一生懸命取り組んだ。
すごくキツい部活で何度も辞めたくなったけど部活動加入率が90%超える高校だったので帰宅部は普通じゃないと思ったので耐えきった。部活を必死にやってたので学力は落ちた。周りの奴らは部活も勉強もできる奴らばっかで、みんな早慶とか国公立に行く人ばっかだった。相対的にバカな私は一浪して、自分の中でまぁ納得出来る大学までいった。
大学生活コンプにならないためにサークルもバイトも人並みにやったと思う。相変わらず友達をたくさん作ったのでレポートとかテストもいろいろな人の力を借りて乗り切れた。留年はしなかったけど成績は良くなく、下から数えたほうが早い席次だった。自分のいた大学では理系の8割くらいは大学院に進学した。普通を求める自分は、とくに何も考えずに進学を希望した。
元いた大学は研究界隈ではコンプレックスを抱きかねないくらい設備に乏しい。だから大学院では東大に行った。ちょっと残ってた学歴コンプも研究能力コンプも払拭するつもりだった。研究室での2年間はしんどかった。優秀で、勉強も運動も恋愛も遊びも就活も要領よくこなす奴らに囲まれた。かたや自分は、知識も経験もモチベーションも全て中途半端だった。周りの優秀な東大生はもちろん社会的にも評価されて、大企業から内定をもらってた。私は大企業だと生き残れないと思ったので、ワークライフバランスを重視している中堅企業に狙いを絞って、なんとか一社内定を貰えた。就活が終わって、久々に元々いた大学の友達と飲んだとき、彼らも一流企業の内定をもらってた。優秀な人たちだったから、納得は出来た。でもやっぱ彼らに対して劣等感を抱いてしまった。俺は東大にいっても変われなかったんだって悟ったのかもしれない。
ねじ曲がった心から生まれたサラリーマンという夢も叶えられたし、就職先もひっくるめて今までの人生に後悔はしていない。友達も尊敬できる人にもたくさん出会えたし、自分のできる限りを尽くして生きてきた。しかし私は東大生に求められる能力を持っていない。コンプレックスも解消できなかった。どんなに頑張っても牛の尻尾にしがみつくのが限界だった。ESでは、なんでもできる努力家を偽っていた。しかし現実は全て中途半端でADHD気質のコンプ持ち落第生だ。来月から会社でやっていけるのだろうか。一生懸命頑張ってもいつも周りには「より優秀な人」や「もっと頑張れるヤツ」がいる。
どれだけ、いつまで頑張れば私はコンプレックスをなくすことができるんだろう?
どれだけ走り続ければ私は幸せになれるんだろう?
現在、28歳。
ブサメンだから、彼女できなかったと嘆いてきたが。ふと思った。なんで整形してないんだよ。
普通に、整形すればいいじゃん。
というか、整形というから重い話になるが。
たとえば、鼻をスッとさせる手術って、わざわざ美容外科でなくても、普通の耳鼻科で、鼻中隔湾曲症(かなりの人が有している)を改善する手術を受ければいい。
ここに、何の負い目も無い。
また、目をパッチリさせたいなら、形成外科で、眼瞼下垂の手術を受ければいい。眼瞼挙筋は日本人は先天的に切れてる人が多いし、40代ではほぼ100%切れるので、これをつなぎなおせば、目がパッチリする。
いずれも、安い値段で、医療保険使えて、イケメンになってたはずだ。
そういう知識を持っていながら、なぜ俺はやらないんだろう。
将来ガンになったときの再手術での癒着のリスクとか、謎の理屈だろうか。
①自分の顔にたいして引け目を感じることに罪悪感がある
でもさ。親からもらったからだでも、たとえば口唇口蓋裂(鼻と口がつながってる)で生まれたら手術適応なわけで。
自分は他人を見た目で評価しないし、能力にしか興味ない。人格とかも興味なく、能力しか興味ない。
だから、ここまで見た目が気にされる世の中になっていることが、理解できていない。
だから、整形で人生がイージーになるということに対して確信が持てなかった。本当にそんなに変わるのか?と。
でも、今ある程度社会生活送って、理解できる。確実に人生変わるなと。というか、他人からちやほやされてクッソ楽だろうなと。
とくに、今の時代はまさにイケメンが利益総取りクラスで楽だろうなと。
たとえば、ブサメンで就職活動に突入するくらいなら、さっさと整形して、大学などでウケルことを確認してから就職に望むべきだろう、つか韓国とかそんな感じなんだろ?合理的だと思う。
人生の数少ないチャンスのために、整形をしないってのは不合理だと感じる。
楽に生きられるってことは、他の事に対して楽に挑戦できるなって思う。
でも、歴史的な仕事を成し遂げた人達は、別にイケメンばかりじゃないし、むしろブサメンが多い。
イケメンで楽できることにアグラをかくほうが人生の達度が下がってしまうんじゃないかとも思う。
その女性は、もともと十分かわいいし、それでもやるってのは、馬鹿な男に騙されてるような予感がしたから。
男のために整形したいってのが裏にあるような気がプンプンした。
そういうクソ馬鹿男のために整形しても、後の人生で後悔するだけだし。そうやって手に入れた顔で調子に乗るリスクのほうがはるかに高い。
人生見誤ると思ったので、止めた。
気持ち悪くないとか言ってる人。なぜ医療が障害を治そうとしてるのかを考えろと。気持ち悪いから治そうとするんだろと。
綺麗に治るから大丈夫とか言ってる人。つまり治す前は綺麗じゃないってことだろと。そもそも綺麗に治るっていうのも嘘。大人になっても跡は分かるし顔のバランスもおかしいから、この人手術したんだなって大体わかる。
ブスブサイクと同じだろとか言ってる人。この奇形はブスブサイクより社会から取り除かれるべきものだから。ブスブサイクは自分の意志で整形する。でも顔面奇形は子供の頃から意志と無関係に整形される。どちらが消えなければいけない存在なのかは明白。
赤ちゃんはみんなかわいいとか言ってる人。要するに「(かわいい)赤ちゃんはかわいいよね」っていうトートロジーなわけで。かわいくない奇形の赤ちゃんは無視してるだろと。赤ちゃんなのにかわいくないから奇形なんだろと。
親から見ればかわいいとかいう人。そもそも親でさえかわいいと思えるか不安なくらいの奇形なわけで。なんとかかわいいと思えたところで、奇形なんてない方が素直にかわいいと思えたのにね。複雑な心境だろうね。残念だったね。産まれてきておめでとうじゃなくて、産まれてきて御愁傷様ですみたいな。
産まれてくるだけで奇跡、とか言ってる人。障害を持って産まれて来なかったら奇跡ってことだろ。障害を持って産まれてきたら奇跡じゃないだろ。励ましてるようで実は自尊心を得るための卑怯な言葉でしかない。
顔面奇形で生まれた後はさ。子供の頃は気持ち悪がられて避けられるだろうね。学生になって集団の中に入ろうとしても笑い者にされるか不気味がられるかだろうね。大人になっても奇異の目で見られるだけで信頼されないんだろうね。
一生孤独か一生蔑まれるかなんだろうね。一生好きでもない人間としか接せず妥協だらけの人生を歩むんだろうね。不幸だね。世の中顔だね。
顔面奇形はそうじゃない人より身分が低いまま一生を終えるんだよ。そんな世の中おかしいって言ったって、それが正常だからこそ奇形は奇形って呼ばれるんだよ。奇形は引っ込んでなきゃ。