はてなキーワード: 受験生とは
受験生なんだけどさ自分なりにがんばってどうやったら結果出せるか考えて勉強しても全然成績伸びなくて自分って要領悪すぎる、勉強だけじゃない何事においてもどれだけ頑張っても周りの人の普通に追いつくのが精一杯
親は私が努力してないから結果が出ないって圧かけてきててでも私は頑張ってるつもりなんだよな、努力してないのかな全部から回ってる、私がいるとストレスなんだって私が全部悪いらしい、すいませんでした今から消えるので許してほしい、無駄にお金かけさせてごめんなさい
俺はマーチと呼ばれる大学の文系学部に1年通って合わなくて辞めて、いわゆる駅弁と呼ばれる国立大に入り直して楽しく卒業できた。
メディアの言説だと卒業生の数やマーケティングの影響で都市部の私大が素晴らしいとなっているが俺にとってはそんな事は無かった。
俺は今で言う陰キャでウェーイ系のノリが苦手だった。大人しめのサークルに入ったが、都内の上流家庭か毎月家賃10万+仕送り10万もらってる地方豪族の末裔みたいな子が多くて、金銭感覚が合わなくて無理だった。
大学は学問する所と勘違いしていたが、都内の私大文系で勉強してるのは士業と官僚目指してる人だけ。ガリ勉ダサいみたいな風潮も有った。
今自分が抱えている問題を書くので悩み相談に乗って欲しいです。
身近な人に相談し辛いのでここで回答を募りたいです。
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皆さんご返信ありがとうございます。初めて投稿したのですが、ここまで多くの人にコメントいただけるとは思っておらず感動してます。
せっかくコメントいただいたのに全てにご返信できずすみませんが、似た内容のものについてはこちらにまとめさせていただきます。
→耳からに限らず、文章を読むのも苦手です。人よりも文章を理解するのに時間がかかってますね。
例えば、同じ部分を理解できず何度も眺めてしまったり、(意図せず)読み飛ばしてしまい理解できてないこともありました。
ワーキングメモリ?というものも初めて聞きました。内容的にこの部分も弱いんだと思います。
・発達障害では?(ADHD、APD)精神科に受診してみては?
→確かにそうかもしれないです。APDについて調べたことはありますが、あまりヒットしなかったのでそのまま流してました。
→実は完全テレワーク、出社タイミングも自由、みたいな会社でして、だからこそ録音ができ自由に聞けているというのはあります。
これがもし完全出社だったら。。と考えると今以上に悲惨な状態だったと思います。
→罹患したことはありますが、コロナが流行る前からこんな感じなので多分関係ないです。
1から文字起こししたときとでどれくらい理解に差が生まれるかも確認したいと思います。(別の問題があるかもしれないので)
→(どっちもレベル低いですけど)比較的文字の方が理解しやすい気がします。
文章レベルでの記憶はできないんですけど、あそこにあんな事書いたな、みたいな映像記憶は残りやすく、
・メモを取ってみたら?
→メモは取ってはいます。明確に5W1Hを順番で伝えられたらメモにも落とせるんですけど、
業務上の会話って色々話している中で5W1Hを把握する力が必要だと思うんですけど、そういうコミュニケーションになった時に理解できなくなりますね
最近は「一応確認ですけど、~~ですよね?」と聞くようにはしてます。
ただ、コメント頂いている通り相手から文章で貰う、できるだけテキストベースで仕事を進める、はできてなかったのでそこは早速明日からの業務で実践したいと思います。
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○スペック
・25歳で新卒3年目
○悩み
(今言ったこと復唱してみて、と言われたら詰む)
仕事上で困っていることの例)
・文章としては理解できておらず、なんとかキーワードを拾って自分で理解できる形に落とし込んでいるが、
当然自分の理解した話と違う場合が多々あるので、「いやそうじゃなくて・・・」と訂正されることが多い。
・初めて聞いたキーワードがある場合は、自分の中で理解できず頭がフリーズしてしまう。
・話を理解できておらず、間違った作業をしてしまい関係者に迷惑をかける。
・複数の質問を一気にされると、1つ目の質問はギリギリ覚えてられるけど2つ目以降は覚えておらず聞き返すことが多々ある。
・軽くこれとこれ確認として、と言われた内容を覚えていられず漏れてしまう。
○この3年間どう耐えているのか?
・(ほんとはいけないけど)お客さんとの会議や上司との会話を逐一録音して、
文字に書き起こしています。そこまでやって初めてちゃんと文章として理解できるようになってる気がします。
普通の人はこんなことしてないんだろうなと思って惨めな気持ちになりますし、能力的にこの会社に場違いなんだなと思い勝手に疎外感を感じてます。
1年目のときは今以上に何も理解できず、それを産業医に相談してみました。
「慣れ」の部分が大きいのではないか、と回答されまして、確かに慣れで1年目よりは周りとの理解のずれが少なくなりましたが、
こういう悩み相談を周りからされないし、そんな悩みが無い前提で仕事が回っているように感じるので、会社の人には誰にも相談できません。
(相談したとしても、その悩みのプロではないので解決策など出ず、「できない奴」として評価されるだけな気がします。)
・現代文の成績は昔から下~中の上くらいでした。文章の読解力が会話の理解に繋がっているのかもしれないですね...
・思い返すと、これまで留年や浪人もなく、普通に卒業はできているけど、授業は先生の話を理解する、というより、とりあえず板書や先生の発言内容をノートに写すことに必死になっていた気がします。
これは理解ができなかったがための行動なのかもしれないです。
・大学生のときは飲食店でアルバイトをしていましたが、料理名を誤って聞いたり、間違ったテーブルに料理を出したりして迷惑をかけていました。
・両親も私と同じようで、質問したのに全然別の方向の回答が返ってきたり、そもそも話を理解できていない、というケースがあり、
会社での自分を見ているようで辛くなり帰省の足が遠のきました。遺伝とか家庭環境も関係あるんですかね。。?
・高校1年の冬からずっと予備校に通って夏休みも受験生顔負けなくらい、青春を投げ打ってひたすら勉強していましたが、大して偏差値は上がらず、地方国公立大と中堅私大しか受かりませんでした。
出身高校からすると快挙と言える合格大学ですが、上京した際に受験勉強と並行して青春を謳歌した上で自分と同じ大学に入った人やそれ以上の大学に通っている、「完全上位互換」がそこら中にいて死にたくなりました。昔から親族や親友から「努力家」と評されますが、実際は人並みになるために人の何倍も時間がかかっているのが現実です。
大学受験は大失敗し、私立文系Fラン大学(9.5割推薦入学)へ入学した。
当たり前と思うかもしれない。抽象的だから刺さらないかもしれない。
しかしメンタルをやられると、合格=志望校の試験に受かるという結果であることを忘れてしまう。
増田の敗因を挙げるならば、
・指定校推薦を取って遊んでいる友達が羨ましかった(遊びへの我慢)
・模試でいい成績をとる友達と比べては病んでいた(いい成績の人に囲まれて辛い環境の我慢)
・毎日睡眠時間4時間半で勉強していた(睡眠欲に耐える我慢)(10/11追記:嘘っぽいのここか。マジで睡眠欲に耐えてただけなので肝心な勉強は集中できてないということ。通学1時間半かけてたから毎朝6時起きなのに寝るの大体1時半だった。)
というところだ。
1つでも多くの問題を解けるようになることが大切なのに、
履き違えていた。
・遊んでいる友達を羨むのではなく、問題集を1ページ進めてから息抜きする
・人と比べて病むのではなく、1問でも多く問題を解けるように模試を1問解く
・睡眠時間を減らして眠気に耐えるのではく、ある程度寝てから集中して単語5個を覚える
たまに我慢と努力の履き違えをしたまま病むだけ病んで受検失敗した子を数人見た。
遊べないのが辛いなら、遊ぶべきだと思う。
実際に高校の先輩で、二年まで定期テストクラスで下から数番目、夏休みまで部活していたものの、
夏休み明けからは、日曜の午後は一切勉強しないというルールだけを徹底し、某公立大学に合格した先輩もいる。
もう一度伝えるが、受験においては志望校の試験に受かるということがゴールだ。
(人生では受験や大学入学は通過点であるべきだけどね。辛い人は今は考えなくてもいいかも。)
増田が入学した大学は、推薦以外の0.5割は同じ受験失敗組だった。
そのなかの2人と友達になった。
2人がいたので、1年次は傷を舐め合いながら生きていくことができた。
2人は、1年次終わったら休学して地方国公立へ再受験すると言って大学で見なくなった。
連絡が疎遠になってしまったが、2人目は再受験したのかどうかすらわからない。
この前連絡がきたが、今何をしているかは聞けなかった。
その子が言っていた「上ばっか見てるのは辛いから、たまには下を見てああはなりたくないと思うことも必要だよ」という言葉はずっと覚えている。
増田は仮面浪人も編入もせずそのFラン大学を卒業した。意外と大学の授業が面白かったのと、もう二度と苦しい思いをしたくなかったからだ。
大学で割といい成績を取り、教授にもそこそこ気に入られてたため、卒業式の卒業生代表挨拶に選ばれるかもと噂があった。
結局私より成績が良い人が1人いて、その人が代表挨拶だった。同じゼミのAO入学の子だった。最後の最後までプライドをへし折られた。
別に失敗したっていい。
大学名は就活に影響あるけど、ある程度大学での行動でカバーできるし、
何回か就活の面接で話題に出したし、ウケが良かったこともある。
社会人で強靭なメンタルで仕事できているのでこの大学に入ってよかったと思う。
受験の失敗経験を活かし、早めから就活対策して大手メーカーへ運よく就職することができたが、社内の新人賞も後少しのところで落とした。
人生こんなもんですよ。
助けてほしい。
完全に染まりきってないから今ならまだ引き返せるかもしれない。
母は今話題のレプリコンワクチンについて、Xでネガティブな意見をたくさん読んでいる。
昔から自然派っぽいところがあり、私が風邪を引いたときはキャベツの葉をかぶらされたし、食品添加物とかをものすごく気にしていた。味の素、ヤマザキの食パン、マーガリンは食卓に並んだことがない。
HPVワクチンも私が打つというとずっと反対していた。一回本気でケンカになって「もういい、勝手にしろ」と言われた。来週1回目打ってくる。キャッチアップ、短縮日程になってしまったが仕方ない。
母は今までのコロナのワクチンは4回目くらいまで打っているし、今もわりとコロナを気にしていてあまり遠出もしていない。
なぜ今になってこんなふうになってしまったんだろう。
美容院とか大手のヨガ教室とか札幌大谷とかが声明を出してるのを間に受けてて、打った人の呼気や汗からシェディングで〜と毎日私に話してくる。
そんなものは非科学的だ、といっても信じてくれない。私もあんたも理系じゃないから、理系のえらい人が言ってるなら信じる、だそうだ。とてもつらい。
私が受験生のときは勉強を軽視していたし女は家に入ればいいんだ、とか言ってたのになあ…
抗がん剤では曝露があるから、ワクチンのシェディングも絶対ある、という。抗がん剤の曝露は正直私も初めて知ったので、うまく反論できなかった。こういうとき知識がないのと、ディベートが下手なことを心から悔やむ。
私の前ではシェディングを信じてもフラットアーサーになっても構わないけど、父とか友達とか親戚とかの前では絶対に言わないでほしい。
どうしたらいいんだろうなあ…
https://anond.hatelabo.jp/20241001221236
八
このあいだの晩九時ごろになって、与次郎が雨のなかを突然やって来て、あたまから大いに弱ったと言う。見ると、いつになく顔の色が悪い。はじめは秋雨にぬれた冷たい空気に吹かれすぎたからのことと思っていたが、座について見ると、悪いのは顔色ばかりではない。珍しく消沈している。三四郎が「ぐあいでもよくないのか」と尋ねると、与次郎は鹿のような目を二度ほどぱちつかせて、こう答えた。
「じつは金をなくしてね。困っちまった」
そこで、ちょっと心配そうな顔をして、煙草の煙を二、三本鼻から吐いた。三四郎は黙って待っているわけにもゆかない。どういう種類の金を、どこでなくなしたのかとだんだん聞いてみると、すぐわかった。与次郎は煙草の煙の、二、三本鼻から出切るあいだだけ控えていたばかりで、そのあとは、一部始終をわけもなくすらすらと話してしまった。
与次郎のなくした金は、額で二十円、ただし人のものである。去年広田先生がこのまえの家を借りる時分に、三か月の敷金に窮して、足りないところを一時野々宮さんから用達ってもらったことがある。しかるにその金は野々宮さんが、妹にバイオリンを買ってやらなくてはならないとかで、わざわざ国元の親父さんから送らせたものだそうだ。それだからきょうがきょう必要というほどでない代りに、延びれば延びるほどよし子が困る。よし子は現に今でもバイオリンを買わずに済ましている。広田先生が返さないからである。先生だって返せればとうに返すんだろうが、月々余裕が一文も出ないうえに、月給以外にけっしてかせがない男だから、ついそれなりにしてあった。ところがこの夏高等学校の受験生の答案調べを引き受けた時の手当が六十円このごろになってようやく受け取れた。それでようやく義理を済ますことになって、与次郎がその使いを言いつかった。
「その金をなくなしたんだからすまない」と与次郎が言っている。じっさいすまないような顔つきでもある。どこへ落としたんだと聞くと、なに落としたんじゃない。馬券を何枚とか買って、みんななくなしてしまったのだと言う。三四郎もこれにはあきれ返った。あまり無分別の度を通り越しているので意見をする気にもならない。そのうえ本人が悄然としている。これをいつもの活発溌地と比べると与次郎なるものが二人いるとしか思われない。その対照が激しすぎる。だからおかしいのと気の毒なのとがいっしょになって三四郎を襲ってきた。三四郎は笑いだした。すると与次郎も笑いだした。
「まあいいや、どうかなるだろう」と言う。
「先生はまだ知らないのか」と聞くと、
「まだ知らない」
「野々宮さんは」
「むろん、まだ知らない」
「金はいつ受け取ったのか」
「金はこの月始まりだから、きょうでちょうど二週間ほどになる」
「馬券を買ったのは」
「受け取ったあくる日だ」
「それからきょうまでそのままにしておいたのか」
「いろいろ奔走したができないんだからしかたがない。やむをえなければ今月末までこのままにしておこう」
「今月末になればできる見込みでもあるのか」
三四郎は立って、机の引出しをあけた。きのう母から来たばかりの手紙の中をのぞいて、
「金はここにある。今月は国から早く送ってきた」と言った。与次郎は、
「ありがたい。親愛なる小川君」と急に元気のいい声で落語家のようなことを言った。
二人は十時すぎ雨を冒して、追分の通りへ出て、角の蕎麦屋へはいった。三四郎が蕎麦屋で酒を飲むことを覚えたのはこの時である。その晩は二人とも愉快に飲んだ。勘定は与次郎が払った。与次郎はなかなか人に払わせない男である。
それからきょうにいたるまで与次郎は金を返さない。三四郎は正直だから下宿屋の払いを気にしている。催促はしないけれども、どうかしてくれればいいがと思って、日を過ごすうちに晦日近くなった。もう一日二日しか余っていない。間違ったら下宿の勘定を延ばしておこうなどという考えはまだ三四郎の頭にのぼらない。必ず与次郎が持って来てくれる――とまではむろん彼を信用していないのだが、まあどうかくめんしてみようくらいの親切気はあるだろうと考えている。広田先生の評によると与次郎の頭は浅瀬の水のようにしじゅう移っているのだそうだが、むやみに移るばかりで責任を忘れるようでは困る。まさかそれほどの事もあるまい。
三四郎は二階の窓から往来をながめていた。すると向こうから与次郎が足早にやって来た。窓の下まで来てあおむいて、三四郎の顔を見上げて、「おい、おるか」と言う。三四郎は上から、与次郎を見下して、「うん、おる」と言う。このばかみたような挨拶が上下で一句交換されると、三四郎は部屋の中へ首を引っ込める。与次郎は梯子段をとんとん上がってきた。
「待っていやしないか。君のことだから下宿の勘定を心配しているだろうと思って、だいぶ奔走した。ばかげている」
「そうかな、それは間違いだろう。もう一文も取るのはない」
「なに、前借りをしようと言ったのだ。ところがなかなか貸さない。ぼくに貸すと返さないと思っている。けしからん。わずか二十円ばかりの金だのに。いくら偉大なる暗闇を書いてやっても信用しない。つまらない。いやになっちまった」
「じゃ金はできないのか」
「いやほかでこしらえたよ。君が困るだろうと思って」
「そうか。それは気の毒だ」
「ところが困った事ができた。金はここにはない。君が取りにいかなくっちゃ」
「どこへ」
「じつは文芸時評がいけないから、原口だのなんだの二、三軒歩いたが、どこも月末でつごうがつかない。それから最後に里見の所へ行って――里見というのは知らないかね。里見恭助。法学士だ。美禰子さんのにいさんだ。あすこへ行ったところが、今度は留守でやっぱり要領を得ない。そのうち腹が減って歩くのがめんどうになったから、とうとう美禰子さんに会って話をした」
「野々宮さんの妹がいやしないか」
「なに昼少し過ぎだから学校に行ってる時分だ。それに応接間だからいたってかまやしない」
「そうか」
「それで美禰子さんが、引き受けてくれて、御用立て申しますと言うんだがね」
「そりゃ、どうだか知らない。しかしとにかく大丈夫だよ。引き受けたんだから。ありゃ妙な女で、年のいかないくせにねえさんじみた事をするのが好きな性質なんだから、引き受けさえすれば、安心だ。心配しないでもいい。よろしく願っておけばかまわない。ところがいちばんしまいになって、お金はここにありますが、あなたには渡せませんと言うんだから、驚いたね。ぼくはそんなに不信用なんですかと聞くと、ええと言って笑っている。いやになっちまった。じゃ小川をよこしますかなとまた聞いたら、え、小川さんにお手渡しいたしましょうと言われた。どうでもかってにするがいい。君取りにいけるかい」
「電報はよそう。ばかげている。いくら君だって借りにいけるだろう」
「いける」
これでようやく二十円のらちがあいた。それが済むと、与次郎はすぐ広田先生に関する事件の報告を始めた。
運動は着々歩を進めつつある。暇さえあれば下宿へ出かけていって、一人一人に相談する。相談は一人一人にかぎる。おおぜい寄ると、めいめいが自分の存在を主張しようとして、ややともすれば異をたてる。それでなければ、自分の存在を閑却された心持ちになって、初手から冷淡にかまえる。相談はどうしても一人一人にかぎる。その代り暇はいる。金もいる。それを苦にしていては運動はできない。それから相談中には広田先生の名前をあまり出さないことにする。我々のための相談でなくって、広田先生のための相談だと思われると、事がまとまらなくなる。
与次郎はこの方法で運動の歩を進めているのだそうだ。それできょうまでのところはうまくいった。西洋人ばかりではいけないから、ぜひとも日本人を入れてもらおうというところまで話はきた。これから先はもう一ぺん寄って、委員を選んで、学長なり、総長なりに、我々の希望を述べにやるばかりである。もっとも会合だけはほんの形式だから略してもいい。委員になるべき学生もだいたいは知れている。みんな広田先生に同情を持っている連中だから、談判の模様によっては、こっちから先生の名を当局者へ持ち出すかもしれない。……
聞いていると、与次郎一人で天下が自由になるように思われる。三四郎は少なからず与次郎の手腕に感服した。与次郎はまたこのあいだの晩、原口さんを先生の所へ連れてきた事について、弁じだした。
「あの晩、原口さんが、先生に文芸家の会をやるから出ろと、勧めていたろう」と言う。三四郎はむろん覚えている。与次郎の話によると、じつはあれも自身の発起にかかるものだそうだ。その理由はいろいろあるが、まず第一に手近なところを言えば、あの会員のうちには、大学の文科で有力な教授がいる。その男と広田先生を接触させるのは、このさい先生にとって、たいへんな便利である。先生は変人だから、求めてだれとも交際しない。しかしこっちで相当の機会を作って、接触させれば、変人なりに付合ってゆく。……
「そういう意味があるのか、ちっとも知らなかった。それで君が発起人だというんだが、会をやる時、君の名前で通知を出して、そういう偉い人たちがみんな寄って来るのかな」
与次郎は、しばらくまじめに、三四郎を見ていたが、やがて苦笑いをしてわきを向いた。
「ばかいっちゃいけない。発起人って、おもてむきの発起人じゃない。ただぼくがそういう会を企てたのだ。つまりぼくが原口さんを勧めて、万事原口さんが周旋するようにこしらえたのだ」
「そうか」
「そうかは田臭だね。時に君もあの会へ出るがいい。もう近いうちにあるはずだから」
「そんな偉い人ばかり出る所へ行ったってしかたがない。ぼくはよそう」
「また田臭を放った。偉い人も偉くない人も社会へ頭を出した順序が違うだけだ。なにあんな連中、博士とか学士とかいったって、会って話してみるとなんでもないものだよ。第一向こうがそう偉いともなんとも思ってやしない。ぜひ出ておくがいい。君の将来のためだから」
「どこであるのか」
「たぶん上野の精養軒になるだろう」
「ぼくはあんな所へ、はいったことがない。高い会費を取るんだろう」
「まあ二円ぐらいだろう。なに会費なんか、心配しなくってもいい。なければぼくがだしておくから」
三四郎はたちまち、さきの二十円の件を思い出した。けれども不思議におかしくならなかった。与次郎はそのうち銀座のどことかへ天麩羅を食いに行こうと言いだした。金はあると言う。不思議な男である。言いなり次第になる三四郎もこれは断った。その代りいっしょに散歩に出た。帰りに岡野へ寄って、与次郎は栗饅頭をたくさん買った。これを先生にみやげに持ってゆくんだと言って、袋をかかえて帰っていった。
三四郎はその晩与次郎の性格を考えた。長く東京にいるとあんなになるものかと思った。それから里見へ金を借りに行くことを考えた。美禰子の所へ行く用事ができたのはうれしいような気がする。しかし頭を下げて金を借りるのはありがたくない。三四郎は生まれてから今日にいたるまで、人に金を借りた経験のない男である。その上貸すという当人が娘である。独立した人間ではない。たとい金が自由になるとしても、兄の許諾を得ない内証の金を借りたとなると、借りる自分はとにかく、あとで、貸した人の迷惑になるかもしれない。あるいはあの女のことだから、迷惑にならないようにはじめからできているかとも思える。なにしろ会ってみよう。会ったうえで、借りるのがおもしろくない様子だったら、断わって、しばらく下宿の払いを延ばしておいて、国から取り寄せれば事は済む。――当用はここまで考えて句切りをつけた。あとは散漫に美禰子の事が頭に浮かんで来る。美禰子の顔や手や、襟や、帯や、着物やらを、想像にまかせて、乗けたり除ったりしていた。ことにあした会う時に、どんな態度で、どんな事を言うだろうとその光景が十通りにも二十通りにもなって、いろいろに出て来る。三四郎は本来からこんな男である。用談があって人と会見の約束などをする時には、先方がどう出るだろうということばかり想像する。自分が、こんな顔をして、こんな事を、こんな声で言ってやろうなどとはけっして考えない。しかも会見が済むと後からきっとそのほうを考える。そうして後悔する。
ことに今夜は自分のほうを想像する余地がない。三四郎はこのあいだから美禰子を疑っている。しかし疑うばかりでいっこうらちがあかない。そうかといって面と向かって、聞きただすべき事件は一つもないのだから、一刀両断の解決などは思いもよらぬことである。もし三四郎の安心のために解決が必要なら、それはただ美禰子に接触する機会を利用して、先方の様子から、いいかげんに最後の判決を自分に与えてしまうだけである。あしたの会見はこの判決に欠くべからざる材料である。だから、いろいろに向こうを想像してみる。しかし、どう想像しても、自分につごうのいい光景ばかり出てくる。それでいて、実際ははなはだ疑わしい。ちょうどきたない所をきれいな写真にとってながめているような気がする。写真は写真としてどこまでも本当に違いないが、実物のきたないことも争われないと一般で、同じでなければならぬはずの二つがけっして一致しない。
高専を卒業してからしばらく経つのだが、定期的に高専はうんぬんですごいみたいなXの投稿が流れてくる
実際のとこ世の高専卒のみなさんってその選択に満足しているのだろうか?
自分は高専卒業後に大学編入をして、以降は普通の大卒のルートに乗って社会人になっているので、キャリア的な不満は一切ない
高専卒でそのまま働いている人たちはみんな早婚で20代で2人子供がいる人もよく見かけており、それなりに幸せそうには見える。学生時代女性に縁がなさそうだったやつも子供がいたりするので、実質男子校に5年間幽閉されても恋愛面での影響はないのかもしれない
一方で学業的の不満はたくさんある。
5年間の学生生活で講義はフル単を要求され、受けないという選択肢がない。
きちんと出欠を取るのでサボることも難しく、それでいてどの科目も宿題があるので放課後も忙しい。高専は進級要件が厳しく全単位の平均点数が6割を超えてないと留年したりするが、自分の高専は下限の学生に合わせた救済措置がある。課題プリントの点数が最終点数のn割、中間期末試験の点数の10-n割が最終点数として計算されるケースが多かった。
まあ大学の講義でも似たようなシステムを採用してたりしますが、編入学志望の学生は大学受験と関係ないことにかなり時間を割かれるので厳しいわけです
高専は四半期に10科目以上の講義を受講し、それぞれの最終点数平均で席次が決まる。体育や第二外国語みたいな科目の点数も席次に影響してくるので、本当に5年間学生生活にコミットしないといけない。それに加えて受験科目の勉強も必要なので拷問
厄介なのが、就職希望の学生もいいとこの推薦が欲しいので成績ガチ勢になる。席次を上げるのが受験生活で1番苦しかった
推薦入試はこの席次の点数配分がめちゃくちゃに高いので受験までの4年間きちんと努力しないといけない。
特に苦しいのが、旧帝大などハイレベルな大学はそもそも一般受験を受けるために推薦が必要となるため、受験勉強に全振りすることができないところ。よく編入生は優秀なんていわれたりするが、単に受験難易度が高いから本来の適性の大学に進学できていないだけでは?と感じる。一方で地方駅弁レベルの大学はそれほど受験需要が高くないので、クラスで下位の学生が数ヶ月勉強して受かってたりする。上を見るときついが、とりあえず進学したいならたしかにコスパのよい選択肢かもしれない
編入のペーパー試験は過去問を公開している大学が少ない(特に旧帝大など)ので情報量の格差が大きい。それだけでも赤本というものが存在する普通受験が羨ましい。他にも模試が定期的に開催されるので自分の適正感を測ることもできるし、お金さえかければ学習塾でみっちり対策できる。編入試験は基本的に宅弁なのでね、内省力とか調査力が高くないと受験競争に勝てない
高専はどこも金がない、まともな論文指導ができる教員もいないし、講義の熱量は教員によって露骨に違う。授業時間の半分くらい高専卒は優秀、大企業にコスパよく入社するのが幸せを連呼する教授のせいでその専門科目が嫌いになった
大学の図書館のような時間を忘れて学業に専念できる空間もないし、そもそも専門科目が難しくなる時期は受験生なのでそれほど授業に集中できない。編入生は在来生よりも専門科目が得意っていうのは当時から大嘘だと思っている。東大の講義資料でクラウド構築して〜とかやってたりするのを見ると、高専ではBASICでGOTOしてましたとは言えない。
レポート作成も全部手書きだし(多分地元では今でもそうだと思う)、なにかと無駄が多い。大学はなにかと勉強するためのストレスが一切ないので楽しすぎワロタだった
あとはサークル活動もしょぼいし、恋愛模様も少ない。というか年齢層が中学卒業したてから大学4年生(専攻科)の年齢まで在籍している空間なので、校内恋愛が本当に歪で気持ち悪い。16歳と20歳で恋愛していることもザラだし、学校見学にきた中3と連絡先交換して付き合ってた奴はマジでキモかった。女性が希少すぎるのでとんでもないブスが高飛車になってたりして、男女双方に悪影響すぎる。女性の理系進学が推されている昨今ではあるが、自分が親ならせめて大学の理系学科進学にしときなさいと伝える
社会人になってから久々に高専出身の人間にあうと、みんなどこかズレてるなと感じることが多いが、いつまでもあの頃のノリで会話ができるのは嬉しかったりする。愚痴っぽくなったが、それなりに悪くはない選択だったと思っている
たぶん、東大を田舎にというのは、土地が高すぎて大学に使わせるには勿体無いって話で、それ以上でもそれ以下でもない。
東大に限らず、東京の大学、国公立も私立も含めて偏差値が高いのは、都民が家から通えるから好んで受験してるためというのは確実にある。
今日日、一人暮らしなんかしようもんなら生活費に200万くらいかかる。国公立と私立の学費の差なんか吹き飛ぶ。
お金がないから国立しか行けなかったとかいう理屈が通るのは、70代くらいのお年寄りの論理。
とにかくとして、偏差値の高さは立地に支えられている。
例えば、東大よりも設備が揃い、教授陣が揃い、最高の教育環境、最高の研究環境があったとしても、立地が稚内市だったら、偏差値は高くはならない。Fランは潰せという議論はいつもこの話が無視される。
もちろん、日本の受験生全体の上澄がどこに流れるかというだけの話で、偏差値75の学生が東大に来なくなったところで、偏差値75の学生が消えるわけじゃない。
受験生というリソースにはなんの損失もないのだけど、大学としては、優秀な学生が欲しいのも理解できる。
それでもやっぱり問題は、受験の偏差値を高めるために、好立地を確保するというのが、国としてあまりにコスパが悪い。
駅前の一等地、普通に企業や個人が所有したら莫大な固定資産税がかかる土地に、大学がある。
大学の質(研究の質、学生の質)を高めるために立地は重要だというほどに、貴学の卒業生の活躍は、貴学の教育が良かったのではなくて、元々優秀だったという話ですか?研究成果もそうなんですか?
という話になる。
だったら税収のためにどっかいけよと。
予備校勤務の立場から、「英文学科で後悔しない視点」をまとめた。
関東圏限定で、多少厳しめに書いたが、これらをクリアすれば楽しい学生ライフが待ってると思う。
多くの英文学科が、TOEIC受験を必須にしたり、観光•メディアも学べるコースを配置して、受験生の親に「就活に対応しています」PRしている。
しかし、注意して欲しいのが、英文学科の学びの中核は、「イギリスやアメリカの文化を学ぶこと」であって、TOEICが対象としているビジネス英会話も、オーストラリアやシンガポール、カナダと言った国々の文化も中心ではないことだ。
• メディアや観光業界に惹かれるなら、それらの要素が強い学科も検討しよう。専門にする国を時間をかけて選びたいなら、国際系学部もあわせて検討しよう。
英文学を専攻するにあたり、演劇や映画の授業はついて回る。演劇や映画専攻ではない、文学部での演劇や映画の学びは独特であることを理解しよう。
演劇や映画専攻の場合、実際の創作や演技がカリキュラムに組み込まれており、他の大学生と協働して作品を作り上げる。それぞれの嗜好や制約の中でロジカルに考え、ベストを尽くす経験は、色々な業界に行っても役に立つ社会人基礎力が得れる。しかし、英文学科の場合、学ぶのは一人で行う批評であり、これが得意なタイプの人もいる。
•高校生のうちに、シェイクスピア演劇を複数回観て、観客か、提供者側のどちらが向いてるかを考えよう。関東の場合、さいたま芸術劇場(今度やる真夏の夜の夢は18歳以下無料!)神奈川芸術劇場(今度やるリア王は高校生以下1000円!)シェイクスピアカンパニーなどが公演をやっている。観劇前に無料のミニレクチャーがあったり、劇場の裏側見学ツアーもセットになってるのも楽しい。
•アニメやゲームに関心がある場合、作品づくりという点で演劇や映画専攻のほうが興味に近い場合もある。
これは持論で恐縮だが、文学部の学びは、キャンパスの立地が重要だと考えている。
理想は京都洛内のような、面積あたりの知識人や職人の割合が多く、学生に優しい街だ。
東京の場合、ふらっと行ける帰り道に、映画館や劇場があることや、寝床が近いことが重要なのではないかと思う。文学部の学びは、偶然の作品との出会いや、夜通し学友と語り明かしたりすることを通して洗練化されるので、通学時間が長かったり、郊外で生活が完結してしまうのは少し難しいと思う。
•これは少しズレるが、大学の四年間、「週五日、オンライン英会話教室を続け、年に6回、演劇を観にいく」と仮定してみよう。それを差し引いて学びたいことがありそうかを、志望学科の教員の専門から探してみよう。
•大学の教員と楽しく話せそうな目処があることが、中退や留年を防ぎ、大学生活を楽しむ上で特に重要だと思う。
それ、受験生用じゃねーか
よくワカッテTVを見ることで大学名を知れる、バカにされないように勉強を頑張るモチベーションが湧くなどといわれる
だがそれは違う
説明しておくと、ワカッテTV京大中退の高田ふーみんと早大卒のぴーやまが街で色々な人間に学歴を訪ねて馬鹿にして回るというチャンネルで決めぜりふは「Fランやないかーい」
ワカッテ視聴者によく見て欲しいのは大学名だの、バカにされるされないだのでは無く、バカにされてヘラヘラしているFラン学生だ
彼らはバカにされても一切怒る気配が無く、ただ笑っている
それは一体どういうことか
低学歴、特にFランであるというのは障害者であるというのと同義だ
学歴をバカにされても笑っているというのは障害をバカにされて笑うのと等しい
「やーい、お前の母ちゃんガンでつるっぱげーww」
「お前の弟ビッコひいてるけど100m何秒なの?ww」
等と面と向かって侮辱されても全く怒らず一緒になって笑っているのだ
そんな人間と3ヶ月共に過ごすだけでも精神への悪影響は大きい、
貴重な4年間のキャンパスライフを一緒にするとなればその害は計り知れない