はてなキーワード: 受験シーズンとは
幼稚園の頃から父親や同級生に殴られてて常に痣があった。わたしはコミュニケーションが不得意でブス。他人から嫌われたり疎まれる要素しか無かった
小学校も中学校の時も先生や親から理不尽に毎日怒られる生活。 親はともかく先生はきっと理不尽に怒っているつもりは無いのかもしれないが出来ないことに怒ってくるので理不尽だと思っている
生活がガラッと変わったと思ったのは中学2年生の頃私にスマホという名の黒船が到来した。
深夜にネットサーフィンをして病み垢と言うものの存在を知った。知った瞬間からTwitterのアカウントを作ったと思う。病み垢のお姉さんから夜の仕事(所謂デリヘル)の存在を教えて貰って、どんなクズ人間でも高給を貰える仕事を知ってから密かな将来の夢がデリヘル嬢になった。
年も開けて中学3年生、受験シーズンになると担任の先生からどんな馬鹿でも入れる女子校を勧められ勉強できる頭も器量も環境も無かったのでそこにした
これが私の間違いだったと思う。
私は病み垢のキラキラした女の子達を見て重大な欠陥を忘れていた。ブスという事である
女子校においてブス、コミュ力なし=人権なしなので私は1軍と呼ばれるキラキラグループからは離され所謂普通の女の子である二軍の女子からは陰口を言われ同類と思っていたチー牛女オタクからはTwitterで悪口を書き込まれていた。
遂に精神を来たし始めた私は担任の勧めでメンタルクリニックを受診しはじめるようになる。
全ての落ち着きのなさ、コミュニケーションの取れなさに病名がつきほっとしたような気持ちになった。
これが高校2年生までの話。この頃にはデリヘル嬢になりたいなんて馬鹿な夢は消えていたと思う。
高校3年生の確か夏、担任の先生からは推薦での進学を勧められていたが名前の知らない九州と北海道のFラン大学だったため就職コースに乗った。
最初は製造系の面接を受けてその次はショップ系その次はスーパー。最終的に5つくらい受けた。高校の就活は1人1社なので普通2つ受けたら受かる筈なのに何故か全て落ちた。おかしいと思い5社目に落ちた理由を聞いたら障害がある事が理由だった。
私は障害がある事を先方に伝えていなかったのに担任が勝手に障害がある事を伝えたらしい。
だから勉強の出来ない私に大学を進めていたのかと思うと妙な納得感が出てきた。
結局1社も受かること無かった私は4月1日30万円の入った封筒を父親に投げられ家を追い出されることとなった。
30万円を持ち私が向かったのは東京だった。
昔見たインターネットカフェ難民の動画を見て下手な知識をつけた私は下町の激安ネットカフェを拠点に生活していくこととなる。
だがこれが間違いの元だった。基本的に住所のない人間はどこも雇ってくれないことを私は知らなかった
激安ネットカフェでコンビニの飯を食べながら東京生活を満喫していた頃には渡された30万は残り5万程度になっていた。
ある日、東京の街を徘徊していると「求人、高収入」と歌いながら走っているトラックを耳にした。
急いで拠点に戻りそのサイトを見てみると風俗の情報がいっぱいあった。
職業が決まった私は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
サイトに貼られた時給は顔がいい女の時給で私の給料は8時間で6回して9000円。
しかも私は上手いこと乗せられて知らないおじさんの客に初めてを捧げてしまった。
惨めで死にたくなってしまいそうな時もあったがそこしか私の居場所は無かった。死ぬ度胸も無かったし
退勤している時ホストに声をかけられホイホイついて行った。そして売掛という形で借金を作った
なんで私の人生はこんなにダメなんだろうか。 発達障害だから?馬鹿だから?計算がまるでダメだから?
話は変わるが男女論を見る度に女は股を開けばお金が稼げるという煽りを見るが股を開いてもブスだと二束三文にしかならない。なぜ自分が股を開けば稼げる美人に産まれると勘違いしているんだろう。
もう書きたいこと思いつかないのでやめる
大学の行財政関係科目の教員をやっているのですが、民青が受験シーズンに合わせて受験生を大学近くで勧誘しててモヤモヤしています
というのも、
①自分が見たときは通行できなくはなく、通行はスムーズだったもののの、道路を占有して椅子と机、看板・のぼりを広げて活動していて、ただ単に立って勧誘をしている予備校関係者や不動産屋に比べて明らかに邪魔、
②大学の学費について該当の人にシールを貼ってもらって意見を聞くボードをもっていたのですが、日本とは大学の位置付けが異なる国(フランス)の話をして『そこだけ切り取っても、、、』と純粋に自分の専門の観点から思った
③制服姿の受験生が(まんまと?)勧誘されて、入会届的なものを書いているところで、大学に受かってからサークル活動やゼミがあったり、授業で色々なことを学ぶ機会があったりするのに、そういう機会に出会う前に特定の政党の指導を受ける団体に入ってしまうことが残念
ということをそれぞれ感じたからです。
民青の指導団体の主張についてはさておき、こういう形で受験生を勧誘してメンバーにしていくのはちょっと頂けないなあと思ってしまいました。
色々と選択肢がある中でアピールをして民青に興味のある方から選んでもらえる組織なのであれば、健全だと思うのですが、まだ合格かわからない学生をデフォルメした主張をしつつ道を占有して勧誘しているのはどうなのかなあと思ったり。
とは言え、別に高校生を勧誘するのは高校生活で色々な選択肢を見てきた高校生にアピールして選ばれたということでもあるのだから問題ないとと思うし、受験生は大抵成人しているのだから、成人しているのであれば勧誘に乗るのは自己責任でもあるし。
ちゃんと自分の力を出し切った上で、理想通りの自分になれずに絶望する。
その顛末こそが最高だろうがよ。
その状態の自暴自棄になっている受験生を食い物にするとかなら、まだ変態として理解できるんだよな。
チャチな理不尽で人生を台無しにするだけじゃ、破壊の芸術としても未熟というか、何も分かってないと思うんだよね。
喩えるなら、全く熟してもないな果実を盗んでいくような無能な泥棒でしょ。
せめて収穫出来るタイミングで盗みに来いよ。
捕まりにくいかどうかじゃなくて、捕まるリスクを犯してでも得るべきものがあるかを大事にしろって。
変態ってさ、高レベルだからこの世界に存在が許されてるんだよね。
本当受験生狙うなって思う。
同じような「痴漢になんて構ってられないような時期」を狙うにしても、憧れの学校に入ってウキウキ気分で真新しい制服に袖を通して入学式に向かうその電車で精液をぶっかけるとかがあるじゃん。
こっちだったら相手の人生に最悪の汚点を残すっていう高度な芸術性が産まれるんだけどね。
そういうのってさ、痴漢にメンタル乱されたせいで本来合格するべき娘が消えれば消えるほど、落差を稼げなくなると思うんだよね。
たどり着くべくしてたどり着いたゴールなのに、そこで最悪のスタートを切るってのがやっぱ大事なわけよ。
もしもその娘が既に受験時に痴漢された上で合格したとしてもさ、それだと身構えることが出来るから落としきれないしね。
はーほんま、熟すタイミングも理解できないまま果実を盗んでいくバカな泥棒は消えてほしいね。
殺処分でいいよ。
今は個人情報の問題があって難しいと思うが、私が子供の頃は、担任の先生から必ず年賀状が来ていた。
よく考えたら、年賀状代はおそらく私費なんだろうし、40人分近く印刷するのだって、それなりに手間がかかる。
そんなふうに、プライベートな費用と手間まで費して、教員というのは本当に大変な職業だと思う。
その点ではむしろ、教員が生徒に向けて年賀状を出す習慣というのは、無くなった方が平和なのかもしれない。
さて、年賀状は来たら基本的に返信するものである。私も担任の先生に返信していた。
そして、担任から外れた次の年からは、感謝なのか慣習からなのか、年賀状は自分から出すようになった。
すると、いつ辞めるかが問題になる。私の場合は大学生になってようやく辞めた。
逆に言うと、大学生になるまで、担任だった先生への年賀状を延々と出し続けていたのだ。
初めてもらった年賀状は幼稚園の先生からだった。なので、一番長い先生だと10年以上やりとりを続けていたことになる。
そんなに長くやりとりが続いて、微笑ましいことだって?
なぜなら、担任の先生が年賀状を送るのは、おそらく「学級通信」の延長みたいなもので、
担任としてのコミュニケーションを円滑にするためであろう。そうであるならば、担任と生徒の関係が終わったあとは、
こんなに長く年賀状をやりとりするなんて望んでいなかったんじゃないかと思うのだ。
年賀状でしか接点の無い単なる一生徒から、10年以上も年賀状を送り続けられて、果たして嬉しかったのだろうか。
「○○高校に行きました」と報告されても、多数居る教え子の一例でしかないのだ。
そんな多数の中の一情報に「嬉しい」と感じられるものなんだろうか。私が教員なら無理だと思う。
それに、この件で何が一番たちが悪いかというと、私自身の対応の仕方だ。
大学生になるまで担任だった人に年賀状を出し続けるというのは、そもそも私の本意ではなかったのだ。
他人と年賀状をやり取りできる嬉しさで、10年以上も会っていない人に年賀状を出し続けたわけではなかった。
具体的には、「担任だった先生に年賀状を出さないなんて礼儀を失している」と親に怒られるんじゃないかと思っていた。
担任の先生を想ってではなく、親に怒られるのが怖いという一心で、出したくもない年賀状を出していたのだ。
先生も年賀状を作るのは手間だったろうが、当時子供だった私には、年賀状作りなんて冬休みが憂鬱になるほど面倒な作業だった。
30代を終えようとしている私が子供の頃は、PCなんて普及していなかった。
そのため、自分で干支のイラストをクーピーで書き、「高校では○○部に入り、云々」みたいな近況を知らせる文面を考え、
ペン書きなので、書き損じにならないよう(つまり、無駄になったと親に怒られないよう)、必死に気を使って書き付ける。
そんな、夏休みの工作みたいなことを大学生になるまで毎年繰り返していた。
高校3年生の受験シーズンでも、受験時のナーバスな時期だからこそ、親に怒られるなんて絶対に嫌だと思って、
干支の絵をお絵描きしていた。そしてそれを、例えば幼稚園のときの先生に送っていたのだ。
こうして、改めて今になってよく考えると、本当に頭のおかしいことをしてたんじゃないかと思う。
高校生になっただろう相手(男性)が、小学生みたいな干支のイラストで毎年年賀状を送りつけてくる。
きっと、なんでこんな稚拙な絵を延々と送り続けてくるのか、新年早々の疑問になっていただろう。
などと客観的に考え出すと、我ながら恥ずかしいことをしてきたと、枕に顔を押し付けて叫びたくなるほど後悔する。
受験勉強をセーブしてまで、やりたくも無いお絵描きを10枚近く、きっと存在しなかった親の怒りを恐怖するために書き続けていた。
そう、この恥ずかしい行動の原動力は「親への恐怖」だったのだ。ここがいまだに、自分のことながら意味がわからない。
どうして、そこまで親に恐怖していたのだろう。別にそこまで仲が悪いわけでも無かったのに。
12月になると、特に希望もしていないのに、親から毎年無地の年賀状を10枚渡されて、
それを無駄にすると怒られると思ったから?それにしたって、「もう高校生だから」と断ればよかったのだ。
本当に、私は頭のおかしなことをしてたと思う。「親への恐怖」という妄想で、かつて担任だった人々に迷惑をかけた。
まあそれでも、大学生のときには、担任だった先生への年賀状を辞めることができた。
大学生になったので、塾のバイトを始めて給料が手に入り、年賀状くらい自分で買えるようになる。
当然、親から年賀状をもらう必要も無い。「年賀状は自分で買うから」と、ようやく断ることができたのだ。
そして、自費で年賀状を買う段になって気づいた。気づいたことは2つある。
まずは、それなりの額を出せば、イラストが付いた年賀状が買えるのだということだ。
それまで、イラストと挨拶が書かれた年賀状は、大人が業者に頼んで大量注文しないと手に入らないものだと思っていた。
それが、大学生協に並んでいたのだ。これは、本当に救われた!という気分になった。
そんなの、コンビニやスーパーにも並んでるから大学生にならなくとも気づくだろ、と思われるかもしれない。
しかし、私は大学生になるまで、ろくにコンビニに入ったことが無かったのだ。
その理由は、私の家ではお小遣い制度が無かった(金銭は必要なときに必要なだけもらえる)というのが大きい。
学級帰りにコンビニに立ち寄ってパンでも買って帰ってくる、みたいなことをするお小遣いが手元に無かったのだ。
スーパーにしたって、中学生以降は親と行動するのが恥ずかしくなるわけで、ろくに立ち入ることが無かった。
まあ、そもそも田舎に住んでいたので、自宅から歩く距離にはコンビニもスーパーも無かったわけだが。
話が横道に逸れたが、とにかく、金を出せば年賀状に稚拙なイラストを載せなくてもよいと知ったわけだ。
そして、もう一つ気づいたことは、そもそも論になるが、担任への年賀状に意味はあるのかということだ。
それは大学生になって、担任というシステムから解放されたのが大きい。
(いや正確には、学年全体での担当教授は居た気がする。しかし、有名無実というか空気みたいな存在だった。)
大学では、自分の知識は多くの教員がバラバラと与えてくるものであり、担任という唯一の存在に依存する必要が無い。
(まあ、ここについても、研究室に配属されるようになると、考えはまた変わってくるわけだが。)
そう考えると、それまでの「担任」という人々に、こんな10年も経ってまで感謝を示し続ける必要があるのか疑問になってきたのだ。
そういうわけで結局、大学一年生のときに年賀状は完全に取り止めた。
ちなみに、当時は実家暮らしだったため、自分が年賀状を出していないというのは、親にも当然バレるはずだった。
正月以降に、毎年来るはずの担任の先生たちから年賀状が全く来ない、という形でバレるはずであり、戦々恐々としながら新しい年を迎えた。
しかし、親には怒られなかった。
今考えれば、親に怒られるなんて全て私の妄想だったので、当然の結果だったわけだが、当時は心の底からホッとした。
まあ、そこからようやく「親への恐怖」が自分の妄想であることに気づくようになり、
前述のとおり、これまで稚拙な年賀状を出してきたことをトラウマに感じるようになってしまうわけだが。
結局、自分の妄想で他人を振り回してしまったわけで、その点は今でも申し訳なく思っている。
そして何より、自分自身も稚拙なイラストを書いたり本当に苦痛だった。
そんなお互いに苦痛な習慣を、自身の勘違いで長年続けてしまったのは本当に黒歴史だ。
リアルな相手にはとても言えないけど、黒歴史な思い出は文章にしてちゃんと客観視しないと、
いつまでも「思い出しアー」になって苦しむことになる(実際、毎年年末に思い出して苦しんでいる)ので、一通り書き出した。
あとはこうして、匿名掲示板に記して供養としたい。
ちなみに、年賀状はトラウマになったので、大学生以来誰にも出していません…
となれば、お話し的にはキレイな展開なんだと思うが、高校のときの友人との年賀状は、数枚ながらもまだ続いている。
大学生の頃は、年賀状なんか一生出すもんか!とも思っていたのだが、卒業すると就職で散り散りとなり、お互いの近況を知りたくなった。
現在であれば、それはLINEか何かで実現できるのだろうが、15年以上前の話なので、そこはやはり年賀状でのやり取りとなった。
携帯メールはあったんだけど、何かこう、正月だとかのきっかけがないと、お互いやりとりしないよね。
って、やっぱり私も古い人間なのかも。
まあとにかく、子供の頃は色々やってしまったけれど、年賀状を誰かに出す習慣はまだ潰えていない。
今はさすがに年賀状はコンビニで買ってきたものを使っているけれど、その印刷された文面の端っこに、
問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい 川北 天華
川北天華。当時は進学をめざす高校生。進学は最終目標ではなく過程のひとつだろう。
単語と語法は平易。しかしそれらはすべてべつの何かを表象する。示唆により言外を表象するテクニックは掛詞とよばれるが、この歌は全句が掛詞で構成されさらに全体として言外のなにかを表象する。このため通常の和歌の範疇を超え、たぶんに神話的な雰囲気を持つにいたる。
配置
物理か地学の問題文をなす歌を助詞などを除去し単語をならべその内容を検討。
内容は上記のとおりテスト、光景に二分され、交互にならんだふたつの要素がリズムを形成している。
テスト、光景、ふたつの要素は卑近。受験をひかえた高校生という状況をあてはめると、この世代特有の神話的要素がうかぶ。
テスト、光景という対極を交互につなぐ構成は内外両極を往還するリズムを生んでいる。対句法ではくくりきれない振り子のようなリズムである。その振り子は往還をくりかえしながら全体をある方向へとすすめてゆく。机上の1枚の切片にしるされた問12という即物的な文言は夜空を数式で描けと命じそのときは下界を無視せよと結ぶ。一枚の切片がもとめる問いは振り子のようなリズムのなかで一瞬にして無限の宇宙へと拡大し発散する。読者はこの内外両面、両極往還のリズム、そして机上のちっぽけな紙片から数式をとおして一気に宇宙にひろがる強力なベクトルによってここちよく翻弄され、さまざまな記憶作用を楽しむことになる。じっさいのところこのリズムとベクトルは、おとなとこども、他発と自発、受動と能動、服従と自立ーつまり境界面を生きる高校生の生活のリズムとベクトルそのもので、それらが作者、あるい読者のこころのゆらぎそのものを表徴する。
問十二
夜空
青
街
明り
良い
各々の単語および叙述は高校生にとって卑近ではあるが軽くはない。試験問題、ふと見上げる夜空、その奥にひろがる宇宙。それらは作者の人生の主要な一部、あるいはすべてかもしれない。ひとつひとつの単語が表層の意味から遊離して現状と行く手の不安、悩み、探求、願望、希望、決意といった、思春期から青年期にかけての心象を表象する。この歌は、読者ひとりひとりに当時の記憶を想起させる力を持つ。
展開は三部で序破急をとる。
テストの問題文からはじまる文章表現はそもそも斬新なのだが、それを体言止めとして何かを宣言している。この宣言は直裁に読者にとどき、読者はこの歌とともに問いに挑むことになる。
十二は天文や暦法と関連がある。詠人だけにわかる何かの符丁かもしれない。だがそんな読み解き以前に十二月は受験シーズンであり、夜空がもっとも冴えわたる季節でもある。受験生たち、あるいはかつての、そしてこれから受験生となる読者たちは、冴え渡る夜空にひろがる大宇宙を仰ぎ何を思うだろう。
この衝撃はじゅうぶんに非凡な序を一気に振り切り読者を天空に打ち上げる。
微分される夜空の青とは何か。
それは学問的対象として規定される夜空であり、それゆえ純粋に観察と探求の対象であり、その分野への進学を目指す詠み人にとって、それは宇宙であり未来であり、そして自分でもあるだろう。それだけではない。その解をもとめる読者じしんの姿でもある。
街のあかりとは成功し定着したものたちの放つ光、そうしたしがらみとははなれた位置にいる受験生にとって、街のあかりは外部か雑音にあたるかもしれないし、いつか自分が再参入する場所かもしれない。
この歌はテストの問題文そのものであり、解答は記されない。作者はこの問いに答えることも思考の過程を示すこともせず、それらすべてを読者に投企している。そのため読者は作者の投げかけた問いの答えを探すことになる。読者は自問し夢み思惟し想像し記憶を想起する。歌を鑑賞することで作者の心象に分け入る作業がいつのまにか自問となり、ときには自分の過去、あるいは未来、そして今この瞬間を投影する。
上記のような構成は、ありていに言えば時分の歌、青春期限定の叙情歌といっていい。さしあたり言語機能の極限をさぐる現代短歌のなかではこうしたテーマははやらない。ではそれだけを根拠にこの歌の価値を限定できるのか。
そうかもしれないが、それで終わりにしてほしくない。なぜなら、こうした心のゆらめきを大切に記憶し想起し記述する行為は自己と世界のはざまから生まれる認識の、つまり哲学と科学の原初のすがたであり、その姿勢が現代短歌の流行からはずれていようといまいといっこうにかまわないから。
結句を復唱したい。
俗世、しがらみ、現実などを表象する「街の明かり」を無視してもよいと歌い上げる。かそけき深き空の青さが真実ならばその対極にある現実など捨象してかまわないとも歌い上げる。
時分の歌かもしれないが、そこに込められたまっすぐに真実を見ようとする迷わない力をわたしたちは大切に保持してゆきたい。なぜならそれはたぶん、うしなってはいけないものだから。
この受験シーズンに、文学部進学への風評被害を起こすのはやめてくれ。
当方、同じく宮廷の文学部卒(しかも1留)だったけれど、フツーに就活し、大手金融機関から内定をもらったよ。
フツーに宮廷・私学上位校の選考プロセス(「リク面」とか)に乗っかって就活できた。
2010年代の話だけど、現在の就活戦線でも変わらないんじゃないかな。
「大手金融機関」がすごいとかすごくないとかただのソルジャーだろとかそういう面倒くさいことを言いたいのではなく、
テレビ局とか広告代理店とか5ch就職偏差値ランキング的なやつで上位企業に入社した文学部卒は、周囲にも数多くいた。
だから、後進のためにも「文学部卒だと就活がヤバくなる」みたいなデマを流すのは控えてほしい。
事実として、親の世代が言う「一流企業」に文学部卒でも行く人は多いのだから。
「文学部に行くと人生終わる」とか「文学修士卒だとお先真っ暗」というお決まりの議論にネットで触れる度に思うのは、
「鶏が先か卵が先か」という因果関係に大きな混乱があるということ。
そもそも、文学部に入る『卵』、つまり文学部に進学する人々には偏りがある。
文学部に入ったから就活に苦労するんじゃなくて、そもそも就活に苦労しそうな人が文学部を選ぶ傾向がある。
なんとな~くネクラというか、社会不適合者予備軍っぽい人が文学部には一定数いる(決してマジョリティではないが)。
おそらく、フツーの受験生というものは、将来の仕事がなんとなく不安で、経済なり法学なりを選択するもんなんだろう。
にもかかわらず、文学・歴史・思想・美術など、あんまり金儲けにつながらないのが明白な文学部を選ぶ時点で、
その「ズレ」は、新卒一括採用型のいまの就活で致命傷になりかねない。
就活対策本片手に浅薄な「自己分析」をひねり出し、就活戦線が本格化する前にインターン、面接ではマニュアル的な話法でハキハキと語る必要があるいまの就活では。
介護系とか、なんかよくわからない事務員とか、まあそういう進路になった人々は確かにいた。
「何様だよ」ってこと大胆に雑く言うけど、彼ら彼女らは文学部卒でなくとも似たような進路を辿ったんじゃないかなと思う。
もちろん、文学部という環境が、学生から就活を経てビジネスパーソンに成長するのにベストではない点には同意する。
旧帝なら特にひどいと思うけど、そもそも教員は学部生に興味がない。どうせ2、3年でいなくなるし。
だから学部生の就活はおろか、下手すれば学部生の教育さえあまり興味がない。
学部の教務が言い訳じみた就活セミナーみたいなのをやるけど、あまり効果はなさそうだったと記憶している。
確かに、大学は教育機関だけでなく研究機関でもあるし、「そもそも大学は就活予備校ではない」という議論もある。
それにしたって、今の文学部教育に大きなミスマッチがあるのは事実だと思う。
この問題はどっかの偉い人がはやくなんとかしてくれるといいんだろうけど。
まあ、あなたの日記をダシに思いつくことを自由に書かせてもらった。
あなたの批難の矛先は「文学部教育」そのものではなく、「文学部を不注意に選んだ自分自身」だということは理解しているつもり。
それでも、この受験シーズンに文学部進学への風評被害が及ぶのは避けたほうがいいと思って、長文レスさせて頂いた次第です。
言うほど就職も悪くないので。
きっと、あなたにとって理想的な「勉強」は、たとえば法学部で特許権についてゴリゴリ勉強して大企業の知財部に行くとかそういう種類のものだったのだろう。
知財の例を流用すると、今からでも法学部に3年次編入したり、法律系大学院へ死ぬ気で「勉強」して入るとか、そういう道をたどれば知財部への就職も可能だろう。
全然別のところなら、公務員試験とか、中高の教員になるという選択肢もあるし。
なんせ若いあなたにとっては、過去のミスマッチを嘆くよりも、自分が本当にやりたことを見つめ直して、そのために何をすべきかを考える方が、有意義だよ。
それは誰も教えてくれないんだから。
前回https://anond.hatelabo.jp/20211124223202
インターネットはしばしば酒やタバコやその他の薬物に喩えられる。
無限に時間を吸い込み、人間の脳を麻痺させ、人生を破壊し、それでいて人生に役をなしていると錯覚させる。
ニコニコ動画が産まれた少しあとに「作業用BGMなど存在しない」という言葉が産まれたが、まさにインターネットと作業の関係はコレだ。
飲酒運転をするものが飲酒による客観性の喪失により自分がいつもより上手に運転できていると錯覚するのと、インターネットをやりながら作業をすると捗る気がするのは同じだ。
結論から言おう、インターネットに絡み取られれば人生は全く捗らなくなる。
だがそれは酒屋の店主になるような道だ。
そしてそんな道に進める酒飲みはほとんどおらず、大部分はインターネットを仕事に繋げられることなくただそこで人生を無駄にして管を巻くのだ。
高校2年生、受験シーズンが始まった頃のある日のスケジュールである。
6時半起床
7時 出勤
|
17時 帰宅
親が帰ってくるまでの間に昨日インターネットから落としておいたオカズでオナニー
眠くなったので昼寝
21時 親が帰ってきたので夕飯
22時 風呂
親の気配を感じたら勉強してるフリ
25時 親が寝たのでオナニー
寝る
もちろんオナニーと昼寝の間に消えている。
その間にネットやゲームもしなきゃいけないのでとても忙しくて勉強などしていられない。
そうだ悪いのはネットじゃない。
テレホーダイを親が払っていればあとは無料でエロが見放題なのだ。
他人を嘲笑う下品な笑いや、私が目指していたけどなれなかった「一人で完結したゲームクリエイター」が作ったフリーゲームだって遊びまくれる。
もちろん、大学は落ちた。
その次の年、なんとか滑り止めに受かった。
まだプログラマーという生き方に未練が合った私はそういったことが学べる学部に行くことにした。
ちなみにプログラミング部をやめてからプログラミングに費やした時間は0である。
無理だと思い知ったのではなかったのか。
後悔はつきない。
どうやって知ったか覚えていないが、インターネットを徘徊するのが好きだったので、もしかしたらこの匿名ダイアリーをきっかけに知ったのかもしれない。
過去の遍歴が興味深いと言ってくださる友人がいたので、久しぶりに投稿してみる。先に言っておくがオチはない。
当時の私は親のDVやモラハラに苦しめられ、学校ではいじめられて孤立。
今ならTikTokでDVやいじめの証拠を上げたら味方になってくれる人が沢山いただろうが、当時はTwitterに画像や動画を載せる公式機能がない時代だった。
今も昔も、相も変わらず悲劇のヒロインだ。
親ガチャは中の下だと思う。
小さい頃から家ではひっくり返った家具が散乱し、壁やドアには穴が空いていた。この惨状を掃除をすると怒られるため、割れたガラスの上を歩いていた。
夜明けまで怒鳴り声が聞こえ、家は度々揺れた。何かが壊れる音は日常茶飯事だったが、そのおかげで電話の着信音や車のクラクションで頭が真っ白になるようになった。
DV被害者の専業主婦の母には、離婚してほしいことや転校したいことを懇願したが、「この家に生まれたからには人生を諦めなさい」と言われ、私は事あるごとに諦めるのが習慣となった。
進路も親の意向が厳しく、父はコミュニケーションも適切にとれない人間だったから、自分が希望する大学の出願書はビリビリに破られた。
質問サイトに経緯を綴って相談したら「学費を払ってもらえるなら我慢して言うことを聞くべき」と言われた。
過保護に育てられた世間知らずな自分が家出をしてお金を稼ぐ勇気もなく、結果的にはその通りの道を歩んだ。
高校ではいじめっ子に盗撮されてネットに悪口付きで晒されるなどの被害を受けたため、受験シーズンでも授業は図書館、カウンセラー室、校長室でサボっていた。
お昼はもちろん便所飯。(便所飯の存在を否定するコメントを目にすると胸が痛くなる)
学校の先生に強制的に診療所に連行されたことがある。その時お医者さんに「一時的な悲しみですね」と言われた。
これが私の最初の診断だった。自分は病気ではなく、これは一般的な苦しみなんだと解釈して絶望した。
それでも、できることは全部したつもりだ。
命の電話に相談、学校の先生に相談、心療内科・精神科に通院。医者が合わなければ他を探し、いろんな薬を試し、カウンセラーも何名かとお話した。
結局のところどれも解決には至らなかった。
それどころか、大学時代には死ぬと思われたのか、とあるカウンセラーには警察に通報されて逮捕されたことがある。それ以来、カウンセラーは一切信用しなくなった。
皆が寝ているであろう深夜に警察に部屋を侵入され、「動くな」と拳銃を所持した警官に言われた。「寮の鍵や財布を持っていって良いですか」と聞いたら「ダメだ、お前はもうここには帰らない」と言われた。
パトカーの光が暗闇で飛び交う中、カウンセラーと寮長が遠くからこちらを見ていた。意味が分からなかった。
牢屋のような個室で凍えながら数時間放置され、検査が終わったら「特に問題ありませんね」と夜明けに病院から追い出された。
面白いことにどう帰宅したか全く覚えていないのだが、気がついたら寮の前にいた。おそらく警察が車で送ってくれたたのだろう。ドアをノックしたら寮長が気づいてくれて鍵は再発行してもらった。
DVといじめの経験があると、友達の作り方が尚更分からず、大学時代は声を発する機会がほとんどなかった。この地獄が終われば親の呪縛から解放されると思った。
親の夢を一通り叶えた時に私は束縛から少し解放された。だがしかし、親の敷いたレールから外れようとした時に精神的な暴力を受けていた人間は、解放されたとて自発的な意欲や判断能力が蘇ることはもうないのだ。
もう遅かったのだ。
当然の如く就活は失敗し、実家でニートをしていた。それでも自分のペースで努力はした。
重い腰を上げて心療内科に通い、ひきこもりの集会に参加し、会話の練習をした。
死ぬ前にもう一度だけ頑張ってみようと思い、ハロワで就職支援を受けた。中小企業になんとか採用してもらえることになった。
中途入社の社員が一ヶ月で退職することが珍しくなく、3年で社員がほぼ全員入れ替わるような会社だった。同僚が突然音信不通のまま出勤しなくなったり、新卒が鬱病で休職したのちに退職した。
転職にも挑戦してなんとか成功したのだが、入社して半年で部署の上司が全員退職した。
会社のシステムがボロボロなことに気づき、どうにか変えられないかと偉い人に提案を試みたものの、最終的には「お前は前の上司に洗脳されている。俺には弁護士がいる。過去に社員を訴えようと思ったことがある。口コミサイトにたとえ事実だけ書いても被害は発生するから損害賠償を請求する。」と脅された。(本人は誹謗中傷や脅迫の自覚は一切ないようだった。)
仕事に向いていないことに気づいたので定職についている時に婚活にも勤しんだ。
大学院卒で大企業勤務、趣味も同じという人と奇跡的に出会ったが、交際後に相手が少しモラハラ気質であることが発覚した。
身だしなみに興味がない相手に鼻毛や眉毛を整える提案(よければ私がやる)、美容院の選定、洋服のコーデを一緒に選び、「興味がなければ私が払う!」と言ってみたものの彼は嫌がった。その否定の仕方はどれも心無いものだった。
他にもエピソードは沢山あるが、頑なに別れの相談に応じなかったところでブロックした。
ここで、最低限の清潔感もない男性は外見や内面をアップデートする努力を拒否する可能性が高い種族だと学んだ。(一緒くたにするのは良くないが、個人的にはもうこりごり)
その後、またニートに戻ったのが今。
運や環境が悪かったのもあるし、会社や人を見極めるのが下手な自分も悪かった。努力の方向が間違っていると指摘する人もいるだろう。
10年前もある種無敵な人だった。死にたかったし、誰かを巻き添えにしたって構わなかった。友人がなんとかできた今でさえ薄らそう思う。
でもどうすれば救いがあったのか?
今でも疑問に思う。
当時、子供なら誰か助けてくれると思っていたが、実際には学校もカウンセラーも命の電話もできることに限界があった。
若い女性は男性より支援を受けやすい聞くが、あまり性差はなかったように思う。(特権に気づいていないだけかもしれないが)
お前がブサイクなだけだからでは?と思うかもしれないが、ファッションやメイクの流行を追うのは好きだし、軽い美容整形にも投資しているので、表向きはむしろ幸せそうな人間に見えていると思う。
なら風俗やキャバクラで頑張ればいいじゃんと言われるが、TikTokでキャバ嬢、メンエス嬢、風俗嬢の日常を見る限り、彼女らはとてつもない努力と精神力で今の地位を得ている。
どれもリスクが高い仕事だし、メンタルが弱く話術がない自分には不向きだ。
こんなパッと見普通の女性の苦労話をもっと可視化して発信すれば、幸せそうな女性に対する偏見が少し収まるのかなとも思うが、嘘松認定されたらそれで終わるので難しいところである。
希死念慮を抱えていた人間が「いつか絶対に報われる」と言われ続けて10年生きてみた人の感想。
時間が経ったからか、トラウマは笑いながら話せるくらいには乗り越えたし、鬱状態の自分を静観?できるようになり、ゲームをする元気も出るようにはなった。親も歳をとり、物をひっくり返したり家が揺れることも減った。また、親の夢を叶えたことに免じて、ニート状態も許してもらっている。
挑戦することから逃げなかったという意味では、小さな前進は継続的にできていた人生だったと思う。
しかしながら、お金を稼ぐための力や社会の厳しさに耐えられるメンタルがないと分かった今、正直当時自殺しても良かったんじゃないかとも思う。
今後何しようかというと、死ぬ前に同人エロゲでも作ろうかなーと思ってる。
絵も描けるし動画も作れるしゲーム開発経験もあるから。今は3Dモデリング勉強中。
それとも自分の境遇をブログでコミックエッセイのように発信しようかなとか。
でもただの悲劇のヒロインエピソードだし、オチもないし、批判や個人特定が怖いしなーと公表することに悩み中。
でもなんでもやってみることが大事だよね。
10年以上はてなにいる皆さんはどのように暮らしが変わりましたか?
人生に悩んでいる後輩がこれを読んでいるとしたら、参考にならなくてごめんね。
先輩は何か知恵があったら教えてね!
好きで好きでしょうがなかったけど、パリンパリンの童貞だった自分には彼女にアプローチを仕掛けていく術など無く、「彼女に触れたい」という思いはいつしか「彼女が触れたものに触れたい」という気持ちに転化して、必然的に変態行為に走ることになった。
しかし変態行為が彼女に発覚してしまってはすべてが終わってしまう。表面ではあくまで紳士的にふるまいつつ、悟られぬように事を行わなければならない。言ってみれば変態紳士だ。
手はじめに、蔵書整理の時に彼女が使った軍手を持って帰って匂いをかいだ。ホコリの匂いがした。
それからおもむろに股間にはめてオ○ニーをしたが、終わったあとはものすごい罪悪感におそわれて、彼女をそういう卑猥な対象にするのはやめようと思った。ホコリまみれの軍手をはめたせいで股間に雑菌が入って大変なことになったが、天罰だと思って耐えた。
彼女が使っている髪留めと全く同じものを買い求め、こっそりとすり替えて匂いをかいだ。ゴムの匂いがした。
もっと強く嗅げば彼女の匂いがするかもと鼻の穴にねじ込んだら、奥まで入りすぎて勉強机の上に嘔吐した。親から勉強のしすぎでストレスがたまったかと疑われて検査入院させられたり、いない間に机の掃除をされて秘蔵のエロ本が軒並み廃棄されたが、天罰だと思って耐えた。
ある夏の日、彼女の水泳バッグが準備室に置いてあった。準備室には自分ひとり。逡巡の後バッグを開けて顔を突っ込んで、思いっきり匂いを吸い込んで元に戻した。塩素の匂いがした。次の日の水泳の授業の時にそのことを思い出して勃起してしまい「勃起ング」という不名誉かつ月並みなあだ名をつけられたが、天罰だと思って耐えた。
放課後の貸出カウンターで彼女は私物の本を持ち込んで読んでいることが多かった。図書館にはこんなに蔵書があるのに、それ以外にも読む本があるとは!との畏敬の念と、集中して本を読むその横顔を眺めるのに夢中でついぞ声を掛けることなどなかったのだけど、勇気を出して何を読んでいるのか聞いてみた。尾崎翠の「第七官界彷徨」だった。もう何回も読んでいるから興味があるなら貸すよ、という申し出に一も二もなくうなづいて借りて帰った。
自室で正座して本を広げると、わずかに花のような香りがした。劣情を催すよりも、どうしてお互い図書委員で本が好きなのは分かっているのにこういう普通の交流が思いつかなかったのかと、自分の浅はかさに慟哭した。
一週間かけて何度も読み直し、いかに素晴らしい本であったかを控えめかつ熱意をこめて感想を述べると彼女は微笑んで「気に入ってもらえて良かった。今度は君のお気に入りの本を貸してね」と言った。
しかし自分は吉川英治や山岡荘八などの時代小説しか読まないうえに、自分で本を買う金を惜しんで図書委員になっているくらいだったから蔵書というものもなく、あれこれ悩んでいるうちに受験シーズンとなり貸出業務のローテーションから外されて、彼女に本を貸す機会にはついに恵まれなかった。
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彼女は女子高に進学し、それから全くの音信不通となった。クラスも違えば共通の知り合いもなかったので、彼女がどこで何をしているのか知らないままに僕は大学を出て地元に戻って就職した。
働き始めて1年たってようやく気持ちに余裕が出てきたので、久しぶりに本でも読もうと市の図書館へと足を運んだ。何冊か物色して貸出カウンターに行くと、そこには彼女が、当時の面影を残したまま、いや、それよりもだいぶ/かなり/相当きれいになった彼女がいた。
「「こんなところで何やってんの?」」
貸出の手続きを終えて「それじゃあ」と言って図書館を出た後、しばらく外のベンチに座って頭の中を整理して、もう一度貸出カウンターに向かった。
「どうしたの?」
「裏にケータイのアドレス書いてるから、時間があるときにでもメールちょうだい」
と言って返事もまたずに家に帰った。本当は、
「借りるのを忘れた本があるんだ。君という一冊の本を。あの時読みたくて、読めなかった本。貸出期限は無期限で頼むよ」
と言うつもりだったが、言うのをやめて本当によかった。言っていたら多分、天罰だと思っても耐えきれなかっただろう。
幸いなことに彼女からはその日の夜すぐにメールがあって、何度かのやりとりの後には映画に行ったり美術館に行ったりして、なんやかんやあって今年の秋、彼女と結婚することになった。
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中学高校大学と、華やかで彩られた学生生活とは無縁の人生を過ごしてきたけれど、人間地道に真面目に生きていればいいことが起こるんだなあと、しみじみ思っている。なので、現在のところ暗い学生生活を送っている人も、自暴自棄にならないでいい感じに頑張るといいと思う。
それと、件の変態行為については彼女は全く気がついていなかったようだ(勃起ングという不名誉なあだ名は伝わっていたけれど)。そのおかげで今の生活があるのだと思うと、変態行為を行うのは男として仕方のないことだけれでも、あくまで紳士的に、相手になるべく迷惑のかけない形で行うのが良いよ、と伝えたくてこの文章を書いた。今では思う存分、彼女の脱いだ靴下や下着の匂いを嗅いでいます。
体育大嫌いだったなあ
①
②
そのまま皆の前でテストをやらされて、みんなできるのに自分だけできなくて惨めな思いをする
③
試合をやらされ、自分と同じチームの人に申し訳ない気持ちで参加する。私と同じチームになってしまった子に「うわあ…」みたいな反応をされる
④
ここまで受けてきた惨めな気持ちと恥ずかしさと諸々で体育をどんどん嫌いになっていく
(おまけ)
発育が早く高身長だったので初対面で「バスケ/バレーやったら?」と言われまくるも実力を見られがっかりされる
同様に例えば自転車の練習をするにあたり「こんな大きい子がまだ自転車なんて練習してる…」なんて思われてそうな気がしてくる(被害妄想ではあるかもしれない)(逆に誰にも見られない場所で反復練習できる勉強は好きだ)
そりゃあ練習しろよって言われたらそれまでなんだけど、とにかく皆が当たり前にできることが自分はできないこと、それが周りの皆に知られてしまうこと、さらに私なんかと同じチームになった子に不利益を与えてしまうことが辛かった
あと上記の話とは全然違うけど持病で水泳に参加できなかったとき、体育の時間は代替で持久走をやるのに加えて課題として運動に関する資料(ピッチ走法がどうとかストライド走法がどうとか)を原稿用紙30枚くらいにまるまる書き写す課題が出されて教師のあまりの脳筋ぶりに引いたこともある(ちょうど受験シーズンだったから本当に時間の無駄で辛かった)
そう言うと大将はバリキャリのラーメンを運んできた。麺の中にとてつもないキャリアを積んだフェミニストじみた女が漂っている。
女は暫くスープの中で泳いだあと息絶え、男の口に運ばれた。高慢なバリキャリに負けないためにいつも男はここでラーメンを食す。
向こうのテーブルでも声が聞こえる。
「イケメン一つ」
年頃のJKだろうか。制服姿、それも一人で来るのははばかられるはずなのに、やってきたイケメンを貪るように食らっている。
胴と首が歯型で切り離されたイケメンが器の中でひとしきり暴れたあと息絶えた。彼女はイケメンを食いまくりたいらしい。
息子にそっくりな少年が小皿に乗って運ばれ、ピチピチしている。これは良い替え玉だと思った。受験シーズンしか食べることができない。