はてなキーワード: 収束とは
人口爆発が続くにしても少子化になるにしてもそれを解決するのは科学になるんだろうけど
人口爆発に対応する技術開発よりも少子化に対応する技術開発のほうが技術革新の要求水準は低そうな気がする
少子化に対応だとようは労働力の代替を研究すればいいのであって資源の減りが穏やかになるなどのメリットがある
反面人口爆発は人があふれて職が無くなるという戦争開始の毎度のパターンに加えてあらゆるリソースが枯渇するなかでその代替を探していかないといけない
今は日本だけだけど世界的に生活レベルの向上と労働力資源としての人間の平等が進むにつれいずれ少子化が進むことになるので
それの進み度合いによって一時的に人口ボーナスの恩恵を受ける国が発生したりはするけどいずれは世界が少子化になる。
日本は今までのように場当たり的に人手不足対応の技術革新を進めて行けばいいだけだと思う。
少子化対策などといって子供を産ませるためのあれやこれやの政策だとか人買いまがいの移民政策を進めても効果は一時的なものだと思うしいずれゼロ収束するだろうから
え?ああ、累積根抵当というのは、民法の、398条の18番目に規定されているもので、たくさんの不動産に根抵当権がある者は、ほとんどいたるところで、有権権を行使できる、という規定です。
これは、1966年に、フェッファマンが考えたんですけど、枝番があるので、だからそれだけの規定ということです。内田貴先生が、なんか、この、民法のですね、民法の、債権の辺りは、剣山とか
山であるとかいうんですけど、それだけ驚愕的な技術で立法されていて複雑に精緻に整理されてるというかですね、そういうところで、そこの、この、民法398条の18をみても、やたら技術的な文言に
なっていますので。 私は、内田貴の、民法Ⅰ~Ⅲまでは買って自宅に置いていたんですが、Ⅳは買わなかったですね。 民法4部は判例集だけでそういうダットサンみたいなものは買わなかった。
その民法ⅠⅢも結局面白くなかったので東大の図書館の棚において寄付して帰りました。私は大学のときに、なんとかという先生の実解析の教科書を持っていてそれを読んでいて、でもつまらなかった
ので、こうなんか、収束というのは扱いにくいものであるというのを、εδ論法で扱えるようにしたとかね。それで、なんかたくさん読んでいると、色々あって、遺留分減殺請求権とか、消滅時効とか、表見代理
とか難しい論点があって、民訴法の既判力の問題にも難しいものがあって、藤原大介先生の、ファインマン積分とか、BMOとか、そういうのにも関心をもっておられたらしくて、非常に面白いなあと思って
それでですね、この宮脇が扱っている、行政法って言うのを、そんな名前が付いた法律がなくて、そこの中の、 ヴァイマルツングズアクトつって、行政行為といって、ファーマルツングズアクトっていうのは、
板橋区福祉事務所志村地区が、石で出来ているのは、石で作ることが古典的にどんどん力強くなって生産性があるらしいと当時の東大の研究で考えられたからであり、逆に、ローマン的なものは
破産すると言われていたので、総合的に考えたところで、前野福祉作業所の存在が展開し、 前野福祉作業所の稚児は、エロに走ったので現在は全く不明で、宮脇は、令和元年6月13日
訪問当時、もうないと言っていたので、生活保護法は、初等法ではなくて現代法なので、マニュアルが大量に存在し、その技術的側面も、語られることがないものであって、ケースワーカーの小俣が、
2016年度の生活保護運用マニュアルを持っているが、使い古した汚い本で、事務処理の手順が大量な社会的現象の複雑な場合に対する処理基準を定めているだけで、カールソンの定理は、
最大関数はいたるところでその関数に概収束し、証明は、大学教養程度でできる。ここの制限された可測集合上にコンパクトサポートがあって、その、制限された可測集合における、
補完定理にみられるような、三平方の定理の証明は、そういう補題があること自体が驚愕的なので、生活保護法を定めるときに、生活保護法の目的は何かというと、憲法25条の趣旨を具体化
することであるので、憲法25条の趣旨は、福祉国家と、制限された可測集合上に、最低限度の生活があるらしいということを具体化することにあるので、それを強引に書きなさい、というものであって、
あらゆるルートの結論が「親密な1対1の人間関係の中にしか人間の救いはない」と語っているようで気持ちが悪い。
人間は他者と交流することによって社会を形成してはいるが、そこにある救いの形を1対1の恋愛関係に収束されてしまうのはどうも筋が悪いように思う。
こんなことを恋愛シミュレーションゲームに言うのがそもそも筋違いであるのだが、あの頃※1のオタク界におけるエロゲの勢力拡大は凄まじく全てのADVが自動的にエロゲの文脈に落とし込まれていった。
エロゲの文脈とはすなわち「主人公が、女の子と恋愛関係になり※2、その結果として主人公や女の子が抱えていた人生の宿題が解決する」というものだ。
人生におけるありとあらゆる問題は人間関係の結果として解決されるわけだ。
現実が相手ならそんなわけはないと言えるが、生憎あれらはゲームなので、そういう文脈なのだと言われたらもうぐうの音も出ない※3。
俺はCROSS†CHANNEL※4,5 が好きなんだが、あのゲームは泣きゲーに近い所はあるし、人間関係の中に人生の答を見出すが、それは1対1の関係の中に見出すわけじゃない。
アレは、世界と自分の関係について自分の中で答を落とし込んでいく過程として他者との交流、相互理解があるという物語だ※6。
俺だってさ、誰かが本気でお互いのことを考えてくれたら一人では解けない愛のパズルが解けてついでに人生も大体どうにかなるってファンタジーが嫌いなわけじゃないよ。
でもそれがこの世界におけるあらゆる感動的な物語の全てなんじゃないかってぐらいの勢いでそんな話ばかりされるのにはうんざりしてたんだ。
今はもうすっかり業界も下火になったし、力のあるライターが外に出ていったり、ソシャゲを作ってたり、そしてエロシーンを積まない業界でやってたり、トゥルーエンドが一般化したり、そういったことによって「エンディングの形はヒロインと結ばれることだけである※7」という考えは薄れてきているように思う。
そもそも「泣きゲー」というジャンル自体がかなり弱まってきて、人の気持ちを震わせる方法はいい感じのBGMを流しつつ声優に涙声演技させる事だけじゃないし、ガチで感動できるゲームは泣く以外にも笑ったり感心したりさせてくるから「泣き」に特化してるわけでもないなと界隈の空気が変わってきている気がするんだよな。
だからもう俺の「泣きゲー」アレルギーみたいなのも時代遅れになった。
時代遅れになった今だから言えるんだが※8、俺は「泣きゲー」と言われているものが好きじゃなかったよ。
さあ、これが俺のEDだ。
スチルを出してEDテーマを流そう※9。
※1 20年ぐらい前のエロゲ全盛期。KANONや月姫の時代。ネットでは皆エロゲをやっていて、未成年はPS2とかでエロゲをやっていた。きっと多くの親御さんが「この子もキモータになるのかしら」と心配していたことだろう。今はスマホで出来るので親にバレなくて安心。
※2 一部の鬼畜ゲーだと恋愛関係にはならずレイプしたり調教したりする関係になる。が、今回は泣きゲーの話なので省く。が、レイプとかする関係の泣きゲーだってあるにはある。が、今回はその話は省く。
※3 うぐぅに空目したかも知れないが、俺はちゃんと「もうぐうの音も」と書いている。お前の心が歪んでいるからそう見えるんだ。
※4 Google日本語入力が覚えてくれているおかげで「ダガー」で変換する必要がなくなったの楽ちんだね
※5 山田ロミオの名作エロゲ。全ての発達障害と障害者と自閉症とその他諸々がプレイするべき。ただし精神疾患を持っている人がやると危ないので辞めたほうがいい。
※6 そして物語の最後、それぞれのキャラクター達との間でそれぞれの形での1対1の関係が描かれ、それが受け手に「いろんな形でのつながり、いろんな他者の解釈があっていいのだ」と伝えてくれるわけだ。
ミキミキの解釈と霧の解釈が2つに割れて、それに対してお互いが「自分の内心は譲らない」「相手の内心を無理に変えさせる気はない」という形に自然に落ち着いている所が、救われるんだよな、他人の中にある自分の像にもまた多様性が許されていいっていうただそれだけの話なんだけどさ、現実の世界にいる奴らはいざそういう話になったら「そんなの当たり前だろ?」って顔するくせに実際には「いやいや、同じ情報を与えられてその人から得る印象なんて概ね1つに定まるんじゃないの?」みたいな風に平気で思い込んでたりするんだろうなってのが滲み出まくってるじゃん俺はアレが本当に辛くってさ、救われたんだよな、二人のそんな姿に。
※7 バッドエンドとして一人ものエンドがあるだろってツッコミもあるだろうが、アレはGAME OVERの1つでしかないだろ?
※8 俺はKYじゃないから、流行り物に水を差したくないってことだ。
※9 バッドエンドじゃないのかって?そうかも知れないな。結局、俺の物語は奇跡が起きなかったんだよ※10。
奇跡が起きて全員が助かる話
はるかぜちゃんが批判されると「ツイフェミがー」って何故か全部フェミに収束させる人がいるが5月に判決が出る予定の人は男性だしフェミ騎士でもないぞ
あの人は10年ぐらいずっと粘着してたので、高額賠償ビッグウェーブに乗って200万ぐらい出そう
年数と件数を重く見て300万超えもありえるか?
ちな訴えられた発言はこれ
「毎日のようにモラルのない言動に及んだり、あるいは自分が無関係の案件にくびを突っ込んでは自分の意見が正しいかのように振舞ったりして売名売名」
「もはやただの畜生でしかない そんなだからまともなところにはいつまでも使ってもらえないんだ」
前に示談金300万払った人も男性で、特にフェミ騎士ではない人だった
昔のはるかぜちゃんはいいね稼ぎのために色んなことに噛みついて逆張りで「3.11おめでとう」や「ナチスは悪くない」とかあらゆる手段で注目集めようとしてたので
・ブキの射程でチーム分けがされるが、同じ射程のブキ内での強弱が激しい
・その上で直近の勝率が平均化するようにチーム分けがされている
・4人対戦なので1人が担う責任が大きい
強い方が勝つ(=自分が勝敗に関わる)というより弱い方が負ける(=戦犯が居る方が負ける)という感覚になりやすい
2以降は自分が世界でどのくらいの強さかが可視化されるようになったため1戦1戦の価値が高くなり負けるストレスが増えた
1の頃は一定以上の強さはみんなS+99という枠内におり1戦負けたところで次に勝てば気分は晴れたが、2以降は負ければランキングが下がるし勝ったところで結局実力相当に収束するだけなので高が知れておりモチベーションが削られ続ける
世界中で比較され少数の勝ち組以外全員負け組になるという構図は明確にグローバル資本主義の問題点なので、任天堂は子どもたちに新しく幸福な社会を模索してもらうためにあえてそうしていると思う
代々続く家業があるが、それを継げる人がいないのだ。
元々後継とされていた兄も、妹の私も、家業とは別の会社に就職した後、数年前に過労で精神を壊し今も後遺症を抱えている。
家業は厳しい業界かつ激務を伴うことは父を見て知っていた。それでも父がいつも私たちに優しくしてくれた思い出しかない。
兄はクリエイターの道に進んでいる。いずれは海外移住をしてヘンプ農家をやりたいらしい。壮大な夢だ。
私も細々と仕事をしているが、自立できるほどは稼げておらず、どころか毎年発作を起こしては救急車で運ばれ数ヶ月療養することを繰り返している。激務が続くとそれは顕著だ。
両親も高齢にさしかかり、先のことが気になってくる。両親はたくさんの教育費をかけてくれたけれども、私は全然ものにできなかった。
せめて両親の老後の負担にはなりたくないけれど…全然できないことだらけで本当に申し訳なくなってくる。せめて両親の老後を支えられるくらいの経済力と体力が欲しい。
その最後の不確定要素も6割は俺の勝ちなので10000回やれば浮いてる状態に高確率で収束するやろなってところまで織り込んで無心で試行回数を稼ぐのが勝ちに行くギャンブルや。
えーとそれで、この、カールソンの言っている、f(x)に対応する最大関数のことを、 最大関数というのはインターネット上では、 その関数の最大値を返す関数と書いていますがここで言っている
最大関数は、プログラミングの min max値のことを言っているので、この、 max f(x)というのは、カールソンの言っている最大関数のこととは違うので、ここの、カールソンの、最大関数が、
ほとんどいたるところで、f(x)に概収束するというときの最大関数とはどんな定義を与えているのか全然分からない。ここでいう最大関数とは一般化された特異積分作用素のリプシッツ空間上とソボレフ空間上の有界作用素のことで、応用としてカルデロンの交換子作用素C_A f(x) = ∫(A(x)一A(y))/(x-y)^2 f(y) dyがA'が有界かつリプシッツ連続関数のとき、上の空間上で有界作用素であることを証明できた。というようなことを考えていると平成の株式会社と法が出来るかどうかと金のことしか考えていなかったのが露見して、こうなんか、段々嫌になるわけですね、 それで、
根拠提示しない否定というのは真正面から反論できない人の末路よな。
数ヶ月か経ったある日、私は「そろそろ自分も慣れてきたし……」と勇気を出してとあるスレに書き込みを行いました。
なんて書いたかはもう記憶が定かではないのですが、いわゆる厨房(=言動が中学生のような奴。2ちゃんねるでは蔑称)くさい書き込みだったと思います。私も若かったのです。(実際若い)
そこで私はいくつかの罵倒めいたレスをもらい、怒り心頭でさらにレスを返し…という典型的なレスバトルを繰り広げ、結果的に「半年ROMってろ」と言われ、その場は収束しました。
納得はできないものの、あのときの板の雰囲気の悪さに書き込む勇気も失った私はなんとなく言われた中でよくわからなかった「半年ROMってろ」の意味を調べました。
そこで私はその言葉が「空気読めねえ奴は出て行け」という意味を持つと同時に「ルールがわかるまで黙って見ていろ」という意味を持つということを知りました。
↑しごく状況に理解が整合した好例だと思うがこれが間違ってるなら何が合ってると?