はてなキーワード: 反抗的とは
経営指南の小山も、社長の桂も、単に知床の海の怖さを知らなかっただけで、
経営的にそれほど間違った判断をしているわけでもなさそうな印象なんだよね。
しらみつぶしに調べたら、そりゃおかしなところも無いわけじゃないけど、
要は、桂が瀬戸内海の穏やかな海で営業してたら、今回みたいな問題は全く起きなかった。
そんな気がしてならない。
海が職場なんだから海を知らなかったというのは言い訳にもならない
瀬戸内海だろうがどこだろうが同じ
4.16の土曜日深夜、ちょっとしたハプニングに出くわし、警察の人にお世話になる事態に発展した。
が、その際の警察官の対応により「これからはなんでも警察の人に協力しまっす」的な気持ちになった。
ので、かなり長くなるが共有したい。
東京ドーム初のキンプリライブが行われていたその日、私と夫は友人らとともに後楽園60周年還暦祭を観戦。
帰りは行きつけの飲み屋で楽しく飲み倒し、夜23時頃解散となった。
コロナ禍以降閑散としていた水道橋は賑わいを取り戻し、友人のトークも冴え渡っており、非常に楽しい時間を満喫できた。
で、調子にのって夫と「水道橋から蔵前まで夜散歩しなから帰るかぁ」と水道橋を後にしたのが、事の始まりである。
その日は満月。どうやら一年に一度の恋の願いが叶う「ピンクムーン」だったらしい。後から知った。
燦然と輝く月明りで夜道は明るく、順調に湯島あたりまでやってきたところで、夫が「せっかくだから湯島天神にお参りして帰ろう」という。
で、湯島天神の正門から入り、つつがなくお参りした後、裏手に抜けて御徒町にショートカットできる「学問の道」へ行こうとした。
その学問の道の入り口、江戸時代からある急な石階段「男坂」の前で事件は起きた。
街頭もないない闇の中、人もそう来ないはずの裏階段の降り口に、うつ伏せで人が倒れているではないか…。
最初は「浮浪者が寝てるのか」と思ったが、近づいてみると、割と小綺麗でいいものを身に着けている男性だとわかる。
近くには彼のものと思しきレザーのメッセンジャーバッグが転がり、さらになぜかパンツ用の革のベルトも落ちていた。
夫が近づき、大きな声をかけて軽く揺さぶるがまったく反応がない。
「さ、殺人?ベルトを使った自殺未遂?し、死んでたらどうしよう~!?」
私はふたりを遠巻きに見ていたものの、足がすくんで一歩も動けない。
夫が何度か大きな声をかけるが、男は微動だにしない…。
さすがにこのままにしておくわけにいかない。
考える間もなく、咄嗟に110番を押してしまったが、ワンコールしたところで、突如男がかすかに呻いた。
慌てて電話を切る。すると、即折り返しで警察から電話がかかってきた。その間わずか1秒。
警察に事情を話したところ「こちらで救急車を手配する。近くの交番から警察官をすぐ行かせるので、そこにいてほしい」と言われるので、おとなしくふたりで警察官を待つことに。
その間約3~5分。
男は何度か呻いて、そのたびに夫が声をかけるが、返事もなく起き上がる気配はない。
万が一頭を打っているかもしれないので、簡単にこちらも動かせない。
急な階段の頂上、しかも今にもずり落ちそうな場所に倒れているので、少しでも寝返りを打てば落ちてしまいそうで、はらはらしながら警察を待った。
私が「警察を呼びました。もうすぐ来てくれますよ」と声がけしたら、突然男がむくっと起き上がる。
ぴくりともしなかった屍状態からの動きに、私も夫も驚いた。が、男は一言も発しないまま、再び倒れ込んだ。
この時点でようやく「単なる酔っ払いか…」と結論付け、安堵したが、様子がいろいろとおかしいので、やはり放っておけない。
急に暴れだしたりしたらどうしよう・・・と、正直生きた心地がしなかった。
わずかな時間で警察官が到着。交番からすごい勢いで走ってきてくれたのが、こちらは高台なので確認できた。
正直、全力で走ってくる姿がマジでヒーローに見え、「ここだよ~(半泣)」と負けじと全力で手を振ってしまった。
しかしふらふらでなので、階段から転げ落ちそうになるのを夫と警察官が抱きとめる。
「お名前は?ここがどこか分かりますか?どこで飲んでたんですか?」
と警察官が丁寧な口調で男に質問するが、頭が回っていないのか、個人情報をいいたくないのか
「誰だよお前は」「言いたくない」「わからない」「言いたくない」「仕事何してるかって?頑張ってますよ!」
そのうち救急車が階段下の大通りに到着するも「誰が呼んだんだ」「お前が呼んだのか」「絶対に乗らない」と次第に怒りがヒートアップ。
警察官に食ってかかって掴みかかり、いまにもケンカになりそうな勢いに。
警察の人が絡まれている!ヤバい!と変な正義感から、私が自分から「私が呼びました。すいません」と申し出ると、男は急におとなしくなった。
「女性にからんだらいけいない」と理性が働いたのか…思ったよりもいい人かもしれない。
「とりあえず救急車には乗らなくていいですから、救急隊に、もう大丈夫とご自身で説明をしてください」
と警察官に促され、男は「俺が呼んだんじゃねぇぞ」とブツブツうわごとのように呟きながら、救急車に向かっていった。
私たちは「そろそろもう帰っていいですかね…」と警察官に訴えると、簡単な事情聴取をしたいので、その場に残ってくださいと言われ、さらに待つこと5分。
で、遠目でふたりを見守っていたのだが、救急隊に事情説明して帰ってくる頃には、なぜか男が警察官に打ち解け心を開いて戻ってきたのには心底驚いた。
酔いが醒めて正気を取り戻してきたのか、男は「そんなに若いのに、どうして僕にこんなに優しくしてくれるの」と警察官に話しているのが聞こえる。
男の年齢は私たちと同い年か、少し上ぐらいか…さみしさから泥酔してしまったのだろうか。
いろいろとしんみりくる。
戻ってきた警察官に簡単な個人情報を聞かれたあと、警察官は男を途中まて送っていくとのことで、私たちはようやく解放された。その間約30分。
男から丁寧に「ありがとうございました」と言われ、私たちも「お気をつけて」と気遣い、最後には気持ちよく別れられた。
しかし、目覚めたばかりの時に「単なる酔っ払いじゃくなてヤク中では?」と思うぐらい恫喝的で完全にヤバい人だった男に対し、随時丁寧な口調で接し、あんなに荒れていた男の心をいつの間にか懐柔していた若い警察官には、本当に頭が下がる思いだ。
上野御徒町湯島の客層を考えれば、こんな通報は日常茶飯事なのだろう。
https://twitter.com/tomiahonen/status/1502588098777079808
このへん英語までさかのぼって読んだけど結局どういうことなのか謎だった
・なぜかキエフまであとちょっとのとこにきてる補給トラック(積み荷は重い弾薬系メイン)が2週間60キロにわたって列をなして路上駐車したまま。2週間自主ひきもりはさすがに退屈なのか道からそれてそのへんの民家にこんにちわしてる民間トラックドライバーもいるらしい。で、キエフ周辺のロシア軍、弾無し状態らしい。
←なんですすまないの? 前後にけっこう戦車いるんでしょ? やっぱロシア軍に徴発された民間トラックドライバーが反抗的なの?戦場にいくとこまでは俺の仕事じゃねえよって? たんなるよくある共産的怠慢? まあ犬5匹で羊100頭ってうごかすことはできても人で人動かすのは無理なんかね…
・なぜかウクライナ側はそっちからなら必ず通るってわかりきった一本きりの国道(意訳)を待ち伏せも攻撃もしてないらしい。←一時的に橋でも落としたのかとおもったけどそういうこともないらしい。まあ人道的にはそうなんだろうし、そもそもウクライナの所有する大事な国道なんだろうな。大事な交通路を自分から壊してしまうほどおいつめられてもないし。
・なぜこれでほぼ負け確なのにますます悪行詰んでるのプーチンさん…←やぶれかぶれなんかね?
別途
川島ofレジェンド(はんにゃ川島)さんがいじめのターゲットにされている、LoL日本鯖のあまりにもひどすぎる現状
https://note.com/oredayo_ore/n/n59eb5751a804
じゃあ何でケイン・コスギは穏やかにLoLできてるの? って話になる。
ケイン・コスギは味方に不満を言わない。
そのうえ、ひたすら鍛錬に励んでゴールド(川島が目指すランク)に到達した。
ひたむきにLoLする姿に多くの視聴者は好感を持ったし、念願のゴールドに到達した時は感動を巻き起こしたもんだ。
誠実な態度のおかげで、ケイン・コスギの配信はビックリするほど穏やかだ。
ゴールドを目指して上達する企画なのに、教わったことはロクに覚えない、反抗的で文句を言う。
不誠実な態度のせいで、ガラの悪い視聴者に絡まれるようになった。
中学生の頃、母親への鬱憤がたまっていたもののそれを表に出せなかった。母は子供が反抗的な態度を取るのを許さない人だった。
そんなとき、ゲームキューブのどうぶつの森+にハマり、最初は順当に楽しんでいたのだが、いつしかゲーム内の手紙を出す機能で住人たちに母親の愚痴をしたためるようになった。
毎日毎日、お気に入りの住人であるマールさんに母への怨嗟を打ち明ける手紙を送り続けた。
友達が来た時に自分の村を訪問されると、愚痴の書かれた手紙を住人が見せびらかすことがありヒヤヒヤした。
実家にまだゲームキューブやメモリーカードが置いてあるが、もし起動したら恥ずかしい手紙の数々を見ることになるのであまり触れたくない。
少なくとも彼は障害者を人として扱っていなかったと思う。ここで言う人として、とは人道的にという意味を遥かに超え、認知として人に見えないものであると思っていたように感じる。人に見えない動物に類するのだからいじめても問題がない、という認識がそこにあった。人と動物のボーダーラインを知や自立意識に設定するなら、障害者の振る舞いは確かに人間的に映らなかったのだろう。では、小山田はなぜあんな事を言ったのか。
彼はダウナーの代表格だったことは紛れもない事実で、メジャーへの反権力的思想を持っていたと思われる。すると彼のとる言動とは、人間でないものを人間として扱うことはおかしいことだ、という反抗的精神をもって行われたと見ることもできる。小山田がいじめを行った当時からこのような明確さを持っていじめていたという話ではなく、いじめを行ったと大々的に述べた経緯から、いじめられるものはそれ相応の人間らしさを失していて、それに乗り切れないものは小山田認識の扱いを受けて当然だというものだ。ロッキンオンジャパンは文字通りロックの雑誌で、こうした反メジャーの言動が「キレ」ていて拳を世間に投げつけやすかったのだろう。
ではこの功罪がダウナー側だけに与えられるかというと、そうではないと考える。アッパー以前にはネアカ・ネクラという現在で言う陰キャと陽キャの分類があり、ネアカからはみ出した連中は皆非差別的な扱いを受ける傾向にあったからだ。結局小山田のやったことは人間の階級化であり、昔から人間がやっていることは普遍的で変わりがなく、その点で彼の行動は別段英雄視されるエポック・メイキングでもなく、極めて平凡で凡庸な叫びに相違なかった。その平凡な反抗心は今では本来の意味すら取り沙汰されずにいる。
しかしよく考えると小山田という平凡な人間が集団リンチを受けてキャンセリングされるに至って、彼という価値は全く異質で理解され難いものとして排斥されつつある。まるで彼自身がいじめ発言によってロックないしパンクな立場に――彼の音楽ジャンルは指していない――立ったよりも更に無機質で集団的な運動によってだ。
巷では小山田圭吾のイジメ問題で大炎上している。……どんな時代でもイジメはなくならないというが、イジメのスタイルや感性は時代とともに変わってきたようにおもう。
70年代は、ゴリゴリの暴力やカツアゲという"利益目的のイジメ"だった。社会全体が貧しく、不良はイカつげで、弱者や障碍者はカモだった。だが大多数の層は「見て見ぬ振り」か、せめて白い目では見ていた。
80年代は、お笑いブームと金余りもはじまり、不良はヤンキー臭があってもお笑いもイケる奴が「モテ」になった。暴力や貧しさという負の側面はイジることで笑い飛ばす風潮になった。ヤクザはヤッちゃんと呼ばれ、貧乏長屋はパロディになり、弱者や障碍者はイジりの対象になった。暴力的な不良でなくとも、弱者のみっともなさや不自然さを笑えば勝ち組に回れる。暴力より笑いのほうが平和じゃん?と。弱者をマジ顔で擁護する正義漢なんてアナクロだしダサい。強きを助け弱きをくじくタケちゃんマンは笑いにくるんだ本音としてウケた。そんなライト感覚で従来の一般層も弱者を笑うほうに回った。
90年代は、社会が隠蔽する負の側面を見世物小屋的に取り上げるサブカル民の一部……つまり従来のモテの条件だった暴力も金も顔も微妙だが面白いことは言えるし弁は立つ……が、80年代モテ系のイジメ作法を真似し始める。知的階級は弱者や障碍者を擁護すべしという戦後リベラル的な不文律を、「だーってそんなんじゃモテないし、助けてもいいことないし、素直に見たら笑えるじゃん?」と開き直った感じでもある。つまりはビザール系な知的興味の"対象物"扱いである。
かくて不良系のみならず知的とされる階層までが、「ジョークだよジョーク」、「悪ふざけが過ぎたけど一緒に遊んでただけ」、「社会参加しさせろというから仲間に入れて遊んでるんじゃん」とうそぶく、そういう笑いにくるんだ「道化イジメ」に精を出す時代ともなった。
小山田圭吾が「俺はアイデア出してただけよ?」と言い募るのは当然だ。彼はサブカル民だから、「あたまのわるい不良みたいに直接暴力に訴えるなんてダサイ真似は、この俺がするわけないよ?」と言いたかったわけだ。
前フリが長かった。
この時代のEテレに、児童向け特別支援教育番組の"グルグルパックン"というものがあった(1994~1999年放送)。かの有名な"ストレッチマン"が最初に登場した番組である。当時の生活リズムとちょうど合う時間に放送されていたのと、自閉症や知的障害の児童たちのゆるさとストレッチマンのハイテンションの不思議な空気感に、何となく習慣的に見るようになっていた。番組内容はゆるくて差別感や悪意も感じず、むしろ怪人に扮した支援学級の先生たちの奮闘や障害児童の頑張らない日常……チャリティ番組的なお涙頂戴ではない……は穏やかでいい感じであった。
ある日、寝ぼけまなこでテレビをつけた時、そこには隅に小さく番組のロゴが映っていた。自分は目を疑った。
https://pbs.twimg.com/media/EubSIAtVIAEI9Rp.jpg
寝ぼけた目に小さなロゴは、"クルクルパークン"……"くるくるパー君"と読み取れたのだ。(画像を縮小して、目を細めてぼやっと見てほしい。) ものすごい悪意を感じて、たじろいだ。
もちろん。「自分の目がボケてた見間違いでしかないじゃん」、「差別意識や被害意識のある奴はどこにでも差別を見出すんだよな」、「障害児童を画面に出すのも微妙なのにそんなヤバいことしないでしょ?」と、矢のような反論が飛んでくるのはわかっている。ただの見間違いから因縁をつけているだけと言われるだろう。ただあの、「弱者や障碍者に親切顔で接近しながら裏では小馬鹿にして嘲笑うことは、知的でイケてる層のウィットに富んだ身振り」とされていた90年代の雰囲気を踏まえると、何とも奥歯に物がはさまったような釈然としない気持ちにもなる。ましてや、「NHKでは知性や学歴を鼻にかける高慢で反抗的な奴はEテレに回される」という風説を耳にしていると、陰でイジメをする優等生が「見間違いで妄想して何を言っているんだ。邪推でみんなの善意と努力を否定する気なのか?」とうそぶくような、抜け道確保済みの確信犯的な振る舞いじゃないかとも思えてくる。いや、出てくるみんないい人だよ。それら全部を身内ごとひっくるめて嘲笑うような"見間違い"だから、知識人特有の底意地の悪い見下しを感じたのだが。
そういえば、このあたりから日本の成長は失われていったな。二枚舌が使えない者が"発達障害者"としてあぶり出されはじめた時期でもあった気もする。
真偽は謎の上に、四半世紀前のことを持ち出して因縁つける気もないが、世間の話題にのっかって「90年代はそういう風潮だった」と確認し、「だれか同じようにロゴに気づいてた人いなかったのかな」と書きおいてみたかっただけだ。読み捨てていただきたい。