はてなキーワード: 南相馬とは
ふと、広大なネットの海に彼の断片が揺蕩っていないことに、一抹の寂しさを覚えたので。
彼に逢ったのは大学2年の春のこと。九州出身の僕にとって、コートが手放せない北関東の春寒に辟易していた頃であった。
新歓委に適当に名を連ねた自分は、準備のために何ひとつ手を動かすこともなく、当日ふらりとやってきては三枚目を演じる役目に殉じていた。
定かではないが、正確にアイデンティファイしたのは、何度目かの食事会のことであったろうと思う。えらく目に残る濃紫のダウンコートに、これまた鮮やかなスカイブルーのボトムス、黄緑のリュックという出で立ちで、ママチャリを漕ぐ小柄な姿に、台湾の街なかをゆく人を彷彿したものである。
彼が口を開けばすぐに明晰さに気がついた。女史の多い学類の中で数少ない男子、話を聞いてみると、さらにマイナーなところで史学徒志望とあっては、親交を温めるに十二分であった。必然的に同じ授業を受けることになり、同じ時間に学生控室に居ることになった。
半年も経つ頃には、先輩風なぞ吹かせられないほど優秀であることを思い知らされた。彼の謙虚な姿勢で分かりにくかっただけで、史学は勿論、政治、社会、哲学、文学、芸能に至るまで幅広く人文学の素養を蓄えているさまは、正しく博学才穎と評するに値する。
なるたけ楽をしようという学生と対照的に、彼は努力の人でもあった。史学徒らしく先行研究を丁寧に洗い、批判的思考の先に論理的な積み重ねをするといった基本を忠実に守り、そしてその先を直向きに追究していた。
彼の尊い所は、それらの要素をコメディカルに自嘲し、扮飾していることであった。口癖に「チャップリンのような男になりたい」と言っていたが、恐らくはそのあたりに起因するのだろう。オフの彼は道化であることを心がけていたように思える。
実際、彼が醸し出す人間的魅力は、接する多くの人々の心を開かせてきたに違いない。それは悲しいかな、告別式に集まった人の数で可視化された。
院進を悩んでいた頃、自分の無才さとそれを補えない怠惰を刺激され、逃げるように就職した。
少ない給料でも、彼が困ったときに本代くらい捻出できれば、それで十分だと思って。自分は一線で人類の知を切り開く探求者にはなれなくとも、彼らを応援することくらいはできる、そう思っていた。
遺された人にはありがちな思考過程ではあるが、彼が居なくなった後の世界は何も変わらなかったことが恨めしかった。まるで彼という存在を皆忘れているかのようで。
自分もそんな世界の一員だった。彼の告別式でも、その後一人で2月の寒空の下をバイクで3時間走ったときも、ひとつぶの涙も出やしなかった。次の日にはケロッと出勤した。
暫くして事後処理で窶れきった主査の先生へ手紙を書いたとき、初めて涙が溢れた。「彼の分まで生きましょう。彼もきっとそれを望んでいるから」と、宛てたのは先生へだったが、届いたのは自分のところだったのだろう。
思いきり泣いたことで随分気持ちは楽になったのだが、前よりもずっと、フラットに彼と向き合える自分がいることに気づいた。それは嬉しいことだった。少し遠いところに行ってしまった、くらいに思えて、以前よりずっと身近に彼がいるような気がするからだ。聖書にある「神に近づいた」状態と似たような心持ちなのだろう。
以来、こうやってことあるごとに彼を思い出すわけだが、そのたびに僕の中の彼が記憶のリフレインだけでなく、その先の知新を促す。僕は過去の一時点に比べて、ずっと世界に対して心を開けるようになった。
彼がやっていた南相馬の農村社会史を引き継ぐことはできないが、彼がやろうとしたことは自分にも引き継げる。今、僕が眼の前の人々を愛し、その未来へと思いを馳せることを大切にしているのは、きっと彼がそうだったからだろう。
彼の不在は世界を変えなかった。だが、彼の存在は僕の視座を変え、そして僕からまた誰か別の人へ伝播する。それが世界を変える頃に、誰も彼の名を知らずとも構わない。よもや小汚い小男から手渡されたバトンだとは世人も思うまい。彼という人間の射程の如何に大きなことか。
君がいなくなっても地球は回り続けている。コロナで世の中がひっちゃかめっちゃかになって、東京五輪があって、君の好きだった能年玲奈は今も芸能界で頑張っていて、相馬の野馬追祭りは久しぶりに開催された。国会は相変わらずだけど、安倍さんのことは、そっちに行ったから君のほうがよく知っているだろうね。
どうか、もう少しそこで待っていて欲しい。君の好きな偉人たちがごった返しているだろうから、ヒマはしないだろう。僕はもう少し僕にしかできないことを探してやってみるよ。また会えたときには色んな話をしよう。
前回までのあらすじ
東日本大震災によって全ての整合性を失い、南相馬市に住んでいて4月から高校生になるはずのあぶくま君は何故か東京でホームレスをすることになる。保護されるべきだったあぶくま君をホームレスの道に引き込んだおじさんはあぶくま君を怪しいおじさんに売りつけ、あぶくま君は24時間勤務を月給8万というタコ部屋もびっくりの仕事に着く。そして唐突に思い出した親友と彼女に急にメールを送るが「返事あるわけないか」と数秒くらいで諦めてしまった。
「返事…ある訳ないか…」
あぶくま君でジュースを啜ると、それまで沈黙していた携帯電話が急に鳴り始めた。相手は非通知だ。
「もしもし?」
「もしもし、あぶくま君?」
電話の向こうの声は聞き覚えのある声だった。
「あなたは誰ですか?」
「僕のことはどうでもいいから、今からすぐにそのハンバーガー屋から出るんだ!」
「は?誰だか知らないけど訳の分からないこと言わないでください」
「いいから、すぐに!」
渋々あぶくま君が残ったジュースを持って外へ出ると、そこはハンバーガー屋ではなかった。
「あれ、僕はハンバーガー屋に入ったはずなのに」
「そこはおそらくスタバだ。その証拠に、君の持っているジュースを見てみろ」
あぶくま君がジュースを見ると、それはフラペチーノに変わっていた。
「おかしいな、僕はハンバーガー屋でジュースを飲んでいたはずなのに……」
「いいから落ち着いてよく聞いてくれ。君は東京でホームレスなんかやってない」
電話の相手は何か大事な話をしようとするが、雑踏の真ん中でポカンと突っ立っているあぶくま君にたくさんの人が体当たりして来るのであぶくま君は何度もポムポムと転がされてしまい話を聞くことが出来ない。
「そんなよくわからないこと言われても…あんまり覚えてないし…」
「それは…体調不良で…」
「本当にそうか?」
「そうだっけ…?」
「いいか、これから家に帰るのかもしれないけど、今日は帰らないでどこかに行け。漫喫でもいいしファミレスでもカラオケでもいいしそのまま警察に駆け込んでもいい。とにかくあそこには帰るな。それと携帯はしっかり充電しておけ。いいな」
「帰るなって言われても…どうすれば…」
あぶくま君は飲みかけのフラペチーノをゴミ箱に捨てると、当てもなく歩き始めた。気がつくとホームレス生活をしていた公園に来ていた。あのおじさんを探そうと思ったけど、何だか辺りの雰囲気が変わっている。
「あの、すみません」
あぶくま君はその辺のホームレス風の男性に片っ端から声をかけた。しかし、あのおじさんのことを知っている人はおろか、あぶくま君のことを知っている人もいなかった。
「どうしてだろう、そんなにすぐみんないなくなってしまうんだろうか…」
「くりゃ寿司…くら寿司…南相馬にくら寿司なんてあったっけ…あれ、そもそも外食なんかしたかな…」
寿司を食べたような気もするが、食べたのはスーパーのパック寿司で、回転寿司など行ってない。
「記憶が…違ってる…?」
急に怖くなったあぶくま君は電話で指示された通り、その辺の漫喫に入ろうとした。
何故かどこの漫喫にも入れてもらえない。仕方なくファミレスで夜を明かそうとしたが、夜10時を回ったところで追い出されてしまった。
「どうせ僕の居場所なんてないんだ…」
フラフラ歩いていくと、よく知った顔を見つけた。
それは1個上のお付き合いしているはずのカエデちゃんだった。カエデちゃんは生きていたのだ。
「いきなりキモイんですけどー」
「カエデ知り合い?」
「えーこんなクマ知らないんですけどー」
カエデちゃんたちはあぶくま君を笑い飛ばしてどこかへ行ってしまった。
「きみきみ、こんな所で何をやってるんだね」
あぶくま君に声をかけたのはあのホームレスのおじさんだった。
「おじさん、生きてたんだね!」
「はぁ?」
よく見るとおじさんの身なりはしゃんとしていて、「補導」というバッジをつけている。
あぶくま君はおじさんに今までの話をしてみたが、おじさんは頭を抱えてしまった。そして携帯電話でどこかに連絡を取っていた。
あぶくま君はそのままおじさんに連れられて交番へ行った。そこでお巡りさんに今までの話をもう一度するように言われ、なるべく細かく話した。
「うーん、そうすると、君は南相馬から東京までやってきて半年経っている、と言うんだね」
「違うんですか?」
「念の為先程君の名前を行方不明者リストから探してみたんだけど…ないんだよ」
「行方不明者…?」
「住民票がどうのと話していたけど、そんな届けも確認されていない。そもそも南相馬市にも君の名前はないんだ」
あぶくま君はお巡りさんの机を見た。机にはお巡りさんの家族写真があった。
「これはヒデ君だ!」
「じゃあ、僕の家族はどこにいるんですか?」
お巡りさんは明日南相馬に家族のことを聞いてみると言った。そして今夜は遅いので交番の仮眠室を貸してくれると言った。時刻は午前2時を回っていた。
「あと朝になったら雇い主の話も聞かせて欲しい。警察としていろいろ聞かなきゃならないことがあるんだ」
お巡りさんはそう言うとあぶくま君を仮眠室に案内して、交番に戻った。
あぶくま君が1人になったところに、携帯電話が鳴った。また非通知だった。
「どう?家には戻ってないか?」
先程の声の主にあぶくま君は怒鳴った。
「説明するも何も…君も気付いているんだろう?」
あぶくま君はドキリとした。カエデちゃん、おじさん、ヒデ君。みんなあぶくま君の知っているはずの顔がまるで違う人になっていた。
声は続ける。
「しかし、気付いているだろうが君の記憶その物が全てハリボテだ。現実にはヒデ君もカエデちゃんもおじさんもいない。そして君の家族もね」
あぶくま君は何となくそんな気がした。
「君が家族や友人たちを気にかけないのは当たり前だ、元々存在しないものを気にする必要はないからね」
「じゃあ僕は何なんだ!?」
すると交番の壁がミシリと軋んだ。
「おっと、それ以上自分に疑問を持っちゃいけない。この邪悪な物語の思うがままだ」
「どういうことだ?」
「あぶくま君、君はこの話の主人公だ。しかし、この話の製作者があまりにも手抜きで君を作り上げたがために、この世界自体の存在意義が揺らいでいる。その辺の人の顔が君の知っている人に急に割り当てられ始めてるんだ。そのうち家族や知人と同じ顔に出会うかもしれない」
「そんな……」
「だから君は自分で行動を起こさなきゃいけない。製作者の意図を超えて、主人公として」
「僕が主人公…?」
「そうだ、君が君の意思で動くんだ。そうすればお話は製作者から離れて歩き出す。そこに整合性が生まれる。ハンバーガー屋がスタバになることもない」
「でもどうすれば…」
「君は今、何がしたい?」
「…南相馬に帰りたい」
「帰ればいいじゃないか」
「帰れるの?」
「君は自由だ。製作者の指示に従うとまた記憶を消されるぞ。今のうちに行動しろ」
「…わかった。ありがとう」
通話は切れた。相手は誰でもよかった。この世界で整合性を獲得すれば、また会えるだろう。
「さてと…どうしようか」
あぶくま君はこっそり交番を抜け出した。交番のあった場所はゲームセンターになっていた。
「整合性を取り戻す…か」
整合性のある世界。あまり覚えていないが、このままでは世界がめちゃくちゃになってしまう。それを救えるのは、主人公のあぶくま君だけだ。
「よし、まずは駅に行くぞ」
いわゆる「原発の半径20キロから30キロ」のエリア、「屋内退避指示区域」とも呼ぶ
この地域は原発の半径20キロ圏内ではないため避難指示も出ず、
支援を行うトラック組合に対して「制限区域なのでなるべく立ち入らないよう」に指示を出した
また、マスコミは早々に「取材禁止エリア」を設置して記者の立ち入りを止めた
同様のことは、その区域に含まれている飯舘村田村市川内町いわき市広野町でも起こっているはずだ
政府は「うちはちゃんと待機しとけと指示を出しただろ」としらばっくれるかもしれないが
ソース:
テレメンタリー2016「その時、『テレビ』は逃げた~黙殺されたSOS~」
どうも南相馬市民です。
震災前後は東京で暮らしていたけど思うところあって戻ってきて1年が過ぎた。
ここで暮らしていると県外の温度差だけではなく、行動でも温度差を感じます。
たとえば20キロ圏内の『警戒区域』の人と30キロ圏内の人『緊急時避難準備区域』と30キロ圏外という南相馬市に至ってはおおまかに3つ
さらに特定避難勧奨地点、さらに昨年4月は警戒区域の中でも避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域と本当に細かく細かく分断されていてここに暮らしている自分らですらわかりません。
・沿岸部でも線量が高いと言われる山間部以外の地域は、ほぼなんともなく暮らせている
・地元民でも親戚が亡くなった人とかいない限り、海や山の仮置き場を見ない限り被災地を忘れ始めている
という声が多い。
沿岸部でも家を流された人たちがすでに家を作り始めたり、県外に移住したりという状況
ただ家が完成するのは相当時間がかかる。このへんの事情というより地方の問題として震災前が建設業や土木業が不景気だったのでどの会社も人を削減していた中だったのでどこも少人数しかおらず慌てて募集をかけているが、追いつかない現状がある。
警戒区域の方は借り上げ住宅、県外に避難、仮設住宅に暮らしている
家を片付けたくても仮置き場が決まらずゴミの回収がつい最近までできなかった
同じ町の住民でも仮置き場や放射能物質について意見が割れてしまい仮置き場が決まらない現状だけどいつまでも批判したりしてもしかたないと思う
30キロ圏外はどうなんだ?という声ですが
30キロ圏外は震災直後から30キロ圏内と20キロ圏内を受け入れたのに医療費控除など同じ街なのにサービスが受けられず更に有無をいわさず受けれたので亀裂が生まれた。お金って怖いよ。賠償金と家に戻れないストレスからスーパーに行ってありったけのものを買って仮設に帰る人を見た人もいる。
けどここの人らは基本震災前であれば表立って騒がなかった。しかし震災後本当に色々な騒動が起きている。
震災直後はここに住んでいる人らに聞いても誰一人悪く言わなくてありがとう!!が多かった
しかし震災1年を過ぎたあたりから『俺らは支援に来てやってるんだ!!』、『大学や高校の夏休みでボランティアに来ました』など明らかな自分の不安を満足させたり、自己の成績・成果を求める人らの活動場所に変わっていた。その頃から仮設住宅以外ではライブや展示会が多くなり、仮設住宅では代わり代わりの支援。そこも仮設住宅とそうじゃない借り上げや家がある人らと気持ちと考えの分断が生まれた。自立したくないのか?という声ともらえるものはなんでももらおうという考え。それで免疫がついた地元人らが支援者をうまく使いものやNPO、一般社団法人を立ち上げた。中には暑い思いで仕事をやめて立ち上げた優秀な方もいたが大半は若い方が社会起業家なるものを目指して立ち上げたものばかりだった。震災から2年を過ぎて露骨にNPOなどの団体に対して嫌悪感を持つ市民が増え始めた。特に地元民のNPOや一般社団法人も様々な内紛の声が外に漏れたりお金の話(助成金)で離れていく声が増えてきた。
私の一意見になっちゃうかもだけどここの野菜は基本放射能測定しないと市場に出せないから福島県外の野菜よか数字は見える。
100ベクレル/キロという意見もあるけど、よく冷静になって考えて欲しい
1回の食事で1キロ食べるものは何だ?トマトを食べるか?キャベツを食べるか?ナスを食べるか?
むしろそういう人がいたら教えて欲しいんだ。で内部被曝というけど内部被曝で数字として現れるのはもうわかってきている
測定をしないで市場に出ていない野菜や米を自分で作ったり購入した人らだ。
私なんか測っているものを気にせずに食べているが体にも異常がないし健康そのものだ。
むしろ1つ目に上げたことが目障りでストレスになっているのがあるだけで・・・
ながながと書いてしまったがもし聞きたいことがあったら書いてくだされ
http://anond.hatelabo.jp/20110923092610
こんなこと書くのは心苦しいけど、敢えて書く。
東京人が電気で世話になってるってたって、一方で労働力も増えてたし交付金も貰ってたんでしょ?
福島産の風評被害を回避するために、放射線計測器で詳しく計測するとか
あるいは、各スーパーに計測器を置く。
(やましいこと沢山あってごまかしたくて仕方がない連中だから無理か...)
消費者庁の連中よ、おまえらの本分わかってるのか?例の議員とかまけて、こんにゃくゼリーで売名してる場合じゃねえだろ。
もしくは東北ってところでは
福島という共同体からのぬけがけを許さないという因習が未だに残ってるのかな?と感じる。
って、そりゃ嫌だよ。
ましてや子供らに放射能の危険(があるかもしれない⇒計測してないから)にさらせなんてな。