はてなキーワード: 半島とは
ブコメに返信
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240606184619
基本的にそのつもりは無いですし、邪魔だからと踏みつぶすのはコスト高いので避けたいです。
ただ、一義的に、住民避難は自治体の仕事ですし、避難がうまくいかずに巻き込まれるリスクはあると思います。
そのリスクを絶対に回避したい場合は、防衛線を国外に置くか(まあ、太平洋戦争みたいに結果的にうまくいかないでしょうが)、そもそも軍事的威迫を伴う要求は無条件で飲む(ただし、ある国の傀儡になれば、別の国の侵略をうけるリスクはある)という選択肢しかないかと。
首里から喜屋武半島に撤退した段階で避難していた住民を大量に巻き込むことは自明だったので、この現地司令部の判断については批判があって当然。ただ、相手が米軍かソ連軍(またはPLA)かで正解は変わると思う。。
首里が落ちた時点で、軍事的にはほぼ意味のない状態に陥ってましたから、降伏してよかったと思います。
長勇の攻勢が無ければ…
ザコの海空は秒殺されるけど俺たち陸の勤皇の志士がニッポンを守る!あとはアメリカさんよろしくお願いします!ってか。うーん戦争に負けたせいで戦前より価値観が歪になっとる。
ザコというか、空港、レーダーサイトという固定施設に拘束される航空戦力は初期段階で、少なくとも攻撃正面での活動は不可能になるということと、隠掩蔽が不可能な海上戦力は航空優勢下じゃないと活動できない、という当然のことを言っているまでです。
また、米軍の救援以外でも、相手の攻勢限界、空自の復旧、海自の活動再開という中での、逆襲も十分に考えられるかと思います。
陸軍が敵上陸部隊を釘付けにしている間に、海軍が補給線を叩くような連携が出来てたらまだ善戦だと思うけど、どうも陸海の縦割りを良しとしている風潮が続いているようで心配である。
その戦争の様態にもよりますが、先制攻撃からの大規模着上陸のような場合は、不可能かと思います。
海自さんが、CDG級(=E-2シリーズの運用限界)程度の正規空母を何隻か持っているなら、話は変わるでしょうが…
まあ、自衛隊が無い日本列島を、諸外国がどう見るかは面白いとは思いますが。
当然に、大規模着上陸を伴う戦争では、米軍も自衛隊も事前察知は十分に可能でしょう。
しかしながら、その攻撃が明日始まるのか、1か月後に始まるのか、あるいは結局始まらないのか、というのは起きてみないとわかりません。
ウクライナ戦争でも「ロシア軍はいつでも侵攻できる」と専門家はみていましたが「いつロシア軍が侵攻するか? そもそも、侵攻があるのか?」というのは、始まるまで誰も答えられていませんでした。
だったら尚更幹部は靖国なんか行くなって感じ。現代においても合理的な活動してるって正々堂々反論すればいい。カルトに尻尾振ってたら日頃の言動にも疑いが持たれても仕方ない。
これは本当にそう。靖国クソ食らえと、私は思う。
だが、靖国以外に、自衛隊員に対して「祖国のために笑って死ね」「お前らは正しい」と言ってくれる存在が無いので、それに依存するしかない。まあ、戦後の平和日本において、自衛隊は鬼子なんですよ。
濡れた手で電線に触れば、感電するのは当然。と言いながら、それを放置している側を批判もせず、感電している被害者の責任に転嫁することが認められるなら、社会なんて成り立たないな。冷笑家はアナーキスト。
自衛隊が「それを放置している側を批判」したら、越権も越権、下手すりゃクーデターでしょw
軍の本分は戦闘にありとキリッと冷笑ムーブ決めるなら、「勝てもしなかった軍隊が偉そうにフカすな」という批判も甘受するんだよね?まあ正直に書いてくれてありがとう。従来通り敬慕も信頼もしなくて済みそうだ。
はて、自衛隊は「勝てもしなかった軍隊」だった記憶は無いのですが? そもそも戦争してませんからね。旧軍の後継組織は厚生労働省社会・援護局ですし。
幹候・幹部を騙らない点だけは好感が持てます // 降伏勧告を黙殺して住民多数が無駄死にした上に、司令部が軒並み自決・戦死でも「善戦」なら、何でもありですね。ゴキブリ退治のために家ごと全焼させても問題ナシ!
司令部が壊滅しても、有効な遅退作戦が出来たのは善戦だと考えます。
あと、常に敵は降伏勧告してくるので(ロシアもウクライナに降伏勧告をしている)、それを真に受けるのは無いでしょう。
「沖縄は捨て石、時間稼ぎに使われた」と発言したら「大和を送ったり、沖縄を護ろうとしていた」みたいな反論が死ぬほどくるが、こうした文脈だと「時間稼ぎ出来たので善戦(キリッ」みたいな掌返しに辟易してる
今ではみんな知っている。
どんな難しい問題も、ゆかたんの手にかかれば解決され、みんなが頼りにしていた。体育祭では、ゆかたんが指揮を取るとチームが一丸となり、どんな競技も楽勝だった。
そしてとても可愛かった。彼女が大雑把に結んだ髪を揺らして廊下を歩けば、誰もが振り向かずにはいられなかった。中学2年の頃には、その可愛さは美しさへと変化していた。
ゆかたんは常にみんなの中心にいた。彼女がいるだけで、その場が楽しくなる。彼女はカバンの中にお菓子をたくさん持ち歩いていて、何かあるとすぐにお菓子を人に与えた。
遅れてごめんね、この前は行けなくてごめんね、今度その人を紹介してね、遊びに行くのを楽しみにしているよ、彼女がそう言いながらお菓子を渡せば、すべての問題は解決した。
しっかりと結ばれた髪は、目元の強い意志と合わさり、ある種の風格を感じさせた。
鮮やかな浴衣が彼女の明るさをさらに引き立て、誰もが目を奪われた。みんなが「ゆかたん、きれいだね!」と褒めた。わたしはその時、少しだけ妬ましかった。少し遠くでその人の輪を見守った。
夏祭りの夜、ゆかたんと一緒に花火を見た。花火が夜空に咲くたびに、ゆかたんは笑顔で「きれいだね」と言った。その笑顔を見ていると、わたしの妬みはどこかへ消えていった。ゆかたんは本当にみんなを幸せにする力を持っていたのだ。
中学校を卒業してから、わたしたちは別々の道を歩むことになった。ゆかたんは地元の高校に進学し、わたしは少し遠くの学校に通うことになった。連絡は取り合っていたが、次第に疎遠になっていった。わたしは大学に進学し、忙しい毎日に追われるようになった。
わたしが大学2年生の夏、ゆかたんから突然電話がかかってきた。一緒に海外旅行へ行かないかと、弾んだ声で聞かれた。その頃わたしは仕送りも少なくて、バイトを掛け持ちしながら夏の集中講義にも出ているような状態で、ゆかたんの話がとても能天気なものに聞こえた。
だからすぐに断った。ゆかたんは少し驚いたようだった。彼女の頼みを断ったのは、これが初めてだったかもしれない。「次はもっと楽しいことに誘うね」と言って、ゆかたんは電話を切った。
その1年くらいあと、ゆかたんは海外へ留学したと別の友達から聞いた。海外で行方不明なったとも。
美しく成長した彼女は、羽織った浴衣をはためかせ、ユカタン半島旗を掲げて、革命の最前線に立っていた。
なぜそうなったのかは知らない。ニュースを呆然と見ていたが、次第に納得するような気持ちになっていった。
旗揚げをした場所が、ユカタン半島だったというだけの話なのだ。
彼女のことを思い出すと、最後の電話のことを考える。あの時、もし断っていなかったら、わたしも革命に加わっていただろうか。彼女の隣で、飴やなんかを貰いながら、彼女のために尽くし、命を賭けて戦う人生もあっただろうか。
考えてみるとそれも悪くない。彼女の笑顔は全てを許し、わたしは全てを許されるのだ。
あの時はごめんね、ゆかたん。わたしの嫉妬心が少しでも君を傷つけていたなら、心から謝るよ。またいつか一緒に遊びたいね。あの夏祭りの夜のように、笑いながら。
そのころ都知事は男性が何度か擁立されたがうまくいかず、女性が統治しはじめて数世代を経ていた。
歴代の女性都知事は初代の名を襲名し、鏡を奉じて男性側近に補佐を受けつつまつりごととまじないとを能くしていた。
相模湾西部の熱海市近郊の海上。伊豆七島の領有をめぐって勃発した静岡県との抗争に際して、初代から数えて第17代目となる百合子は旗艦「神田」上で如上のセリフを口にした。
この時代は東京都統帥権は都知事が有した。百合子は政治的には東京都知事であり、軍事的には東京辺境領戦姫巫女の肩書きを世襲する。いわゆるエクストリームシヴィリアンコントロール体制の時代にあった。
なお付言すると、東京辺境領の名は京都臨時政府(京臨)による侮蔑的呼称であったものを、関東人がアイデンティティ形成の中で好んで自称するようになった歴史的背景がある。
緒戦において豊富な物量と都税による作戦を展開。酒匂川での会戦に勝利し現今都軍は湯河原に本陣を置く。
静岡県伊東市まで伸びるJR東日本は内通済みだ。往古の契約である伊豆急行と国鉄との境界と、静岡県と神奈川県との境界の差異を利用した政治的戦略である。
伊豆七島のある相模湾沖に睨みを効かせる必要は当然あるものの、静岡県府は遥か西方だ。
県民による「静岡県は東西に長いですからなぁ〜」が現実味を持っていやらしく聞こえてくる。
古い時代に伊豆熱川にもたらされた甘蕉鰐(バナナワニ)なる生物を飼い慣らし、軍事作戦に同行させる兵科だ。
甘蕉鰐兵は甘蕉鰐と寝食を共にし、巧みに甘蕉鰐を動かし、酒匂川でも川辺故に都軍を脅かした。
その大隊が伊豆の国市に駐屯しているという。半島側から攻めるにしても三島に出るにしても睨みが効く位置にある。
意外に、静岡は粘り強く戦うかもしれない。
浜松の手前には、300年前に先祖のリニアさえを止めた大井川がある。
大井川にも特殊兵科がある。鉄道機関車の正面に面妖な顔面を据えた戦術機関車がいくつも配備されていると聞く。
元増田と同世代で、同じくサブカルチャーを通してネトウヨを脱した。
あの時代はネットのそこかしこで半島を揶揄する“悪質かつ愉快”なコンテンツが溢れていた。それらに日常的にアクセスする無知な消防厨房が嫌韓思想に染まるのは自然な成り行きといえるだろう。
ファビョーンと暴れるニダーのイメージは、悪徳反日国家韓国・北朝鮮へのヘイト感情に違和感なく移行した。
今の若い子は00年代のネットの空気に憧れていると聞くが、あの時代は数多のネット発カルチャーの黎明期であると同時に信じがたいデマとヘイトに溢れた暗黒期でもある。Xで「〇〇人は劣等民族」などとほざいている悲しきおっさん達はひどいインターネットの負の遺産なのだ。
私も元増田と同じように、成長に伴って最低限のリテラシーを獲得し、信じていた愚劣な半島像がほぼデマか誇張だと理解した。
しかし後遺症は残った。江南スタイルの流行は内心怖いなと思っていたし、凶悪犯罪者が逮捕されれば「コイツもしかして」と一瞬悪い想像がはたらいた。
後遺症改善のきっかけは韓国の縦読みマンガだった。2012年ごろ、まだLINEマンガもピッコマもcomicoもない時代。
ガラケーでケータイまんが王国に親しんでいた私は、買いたてのスマホでも漫画が読みたくてApp Storeで LINEマンガの前身のさらに前身であるアプリをインストールした。韓国産でも読めれば何でもいいだろうと。
アプリのUIはとても簡素だった。広告は小さいバナーだけで鬱陶しいポップアップもない。
NAVER WEBTOONの人気作が訳され、作品ごとに割り当てられた曜日に更新される。コメント欄はなく、星で5段階評価をつける以外に作品にリアクションするすべはない。課金要素は皆無。チケット制ですらなく1話から無料で遡って読み放題だった。どのように収益化していたのか未だにわからない。
はっきり言って読み始めて間もなくはほとんどの漫画がつまらなかった。あの頃の韓国漫画は今ほどシュッとしておらず、大半が芋っぽかった。
絵柄がダサイ、つまらないと思いながらも通学時間の暇潰しに毎日毎日読んだ。慣れてくるとじょじょに面白く感じるようになった。
すると不思議なことに、次第に韓国社会に息づく個人の生活を感じるようになったのだ。特にエッセイ漫画の影響が大きかったように思う。日々の些細なことに一喜一憂するその様子は、言語やいくらかの文化の違いを除けば日本人と何も変わらない。
日本と同じで、韓国にも国民の総意なぞ存在しないという至極当たり前のことに気づいた瞬間、自分の中で未知の生き物だった韓国人が完全に同じ人間になった。
また、日本漫画への親しみの強さを感じたのも理由のひとつだ。話の中に差し挟まれるコナンやスラムダンクのパロディの向こうには、日本の全てを憎んでいて日の丸を燃やして喜ぶモンスターのような韓国人はいなかった。
彼もただの人間だった。
避難所への水や食べ物、物資の搬入が遅れたのは、半島で道路が寸断されるなどした地理的要因もありますが、被災地で起きていることを把握するシステムが機能しなかったことも要因です。それがトップの判断を誤らせています。
しかし、今回は「控える」の一色になったことで、被災者にとても厳しい結果を招いたと思います。交通渋滞の問題ならば、例えば緊急援助の迷惑にならない道をボランティアラインとして示す方法もあったのではないか、と思います。
と、明らかに道路事情を承知の上で、初動が遅い、投入が足りないと主張していたんだよな。
https://digital.asahi.com/sp/articles/ASS1G2P91S1CUTFL01Y.html
では、通らんのよ。
デンマークといえば、みんな大好き「(植民地とかではない)メインの領土が大陸にあるのに首都が島にある」2か国のうちの1つだけど(もう1つは赤道ギニア)、確かに「現在の」地図を見れば、首都コペンハーゲンはずいぶんと端っこにあるように見える。だが、コペンハーゲンはもともと国土の中心にあった。現在のスウェーデン南部スコーネ地方はもともとデンマーク領だったが、17世紀に戦争でスウェーデンに奪われたのだ。つまりコペンハーゲンは、ユラン半島とスカンジナビア半島南端部というメインの2つの領土をつなぐ、ちょうど真ん中の位置にあったことになる。仮に東北地方がソ連に奪われていたら、東京はずいぶん国土の端っこにあるように見えるのではないだろうか。
言うまでもないだろう。仮に将来南北統一が実現したら、ソウルは統一コリアのど真ん中に位置することになる。
これも言うまでもない。独立当時のアメリカは東部の13州しかなかった。13州のうちの北部と南部のあいだの妥協案として南部に新しい首都が作られたが、地図を見ると、まあ、「真ん中よりちょっと南」の立地と評価できるのではなかろうか。
ソフィアはずいぶんと国土の西側に偏っているが、本来はそこが国土の中心になるはずだった。20世紀の初頭、オスマン帝国領バルカンに残されたマケドニア地方を周辺の3カ国が虎視眈々と狙っていた。セルビア語とブルガリア語の中間のような言葉を話すその地の住民を、セルビアはセルビア人と呼び、ブルガリアはブルガリア人と見做し、ギリシャはスラブ化したギリシャ人の裔であると主張した。二度のバルカン戦争を経て、その地方は主にセルビアとギリシャの間で分割される(このオスマン領マケドニアのうち、セルビア領になった部分が現在の北マケドニア共和国)。……そう、ブルガリアはマケドニアという果実を得られなかったのだ。仮に幻の「大ブルガリア」が実現していれば、ソフィアは「大ブルガリア」の中心部に位置することになっていただろう。
オーストラリアはもともと1つの国だったわけではなく、オーストラリア大陸に作られたいくつもの植民地が寄り集まって独立した国だ。独立するときに二大都市のシドニーとメルボルンのどっちを首都にするかでモメたので、その2都市の間に新しい首都を建設することにした。つまり、国土の中心ではないが、二大都市の中間に首都があるということだ。まあ、オーストラリアの文字通りの中心、人住めなさそうだもんね……
交通に便利なパナマ地峡に街(パナマシティ)が作られる→交通に便利すぎて街のそばに運河が作られる→アメ公が大西洋と太平洋をつなぐ運河の支配権を欲しがる→運河地帯の住民による独立運動を煽ってコロンビアから独立させる、という経緯で作られたのがパナマ共和国。つまり首都のまわりが国土になるように切り取られた国なので、国土の真ん中に首都があるのは当たり前なのだ。
ブラチスラバは国土の端っこにあり、立地的にはほぼウィーンである。スロバキアというのは、元々「ハンガリー王国北部でスラブ系言語を話す人たちが集住しているところ」に過ぎず、伝統的な行政区画を持っていなかった(これは「オーストリア側でスラブ語話者がいっぱい住んでるところ」に過ぎなかったスロベニアと同じ。この2つの国名が似ているのは偶然ではなく、両方とも「クロアチア」みたいに伝統的な地域名を持っていなかったので、それぞれが「スラブ人の土地」と名乗った結果なのだ)。それが第一次世界大戦のドサマギでハンガリーから分離したわけだが、当然「どっからどこまでがスロバキアか」という合意があるわけではなかったので、チェコスロバキアとハンガリーによる実力での分捕り合戦になった。その中で、「大都市(当社比)だし交通の要衝だから、スラブ人率は低いけど占領しとこうぜ!」となって占領されたのがポジョニ、のちのブラチスラバである。ブラチスラバはあまりに「国際色」が強すぎたので(20世紀初頭の時点で人口の4割がドイツ語話者、4割がハンガリー語話者)、国土の中心にあってスロバキア民族運動の拠点でもあったマルティンにスロバキアの首都を遷そうぜ! という議論が戦間期に行われたのだけれど、結局ブラチスラバが首都として維持された(ところで日本語版ウィキペディア、マルティンの記事名が「マルチン」になってるな。確かにスロバキア語ではtiと綴ると「チ」と読むけど、Martinみたいな外来語の場合は「ティ」の音が維持されるんだよ!)。
島国といっても、メインの島が1つなのか、複数なのかでだいぶ違ってくる。というのは、小さな島がたくさんある国だと、まずもって「国土の中心かどうか」というよりも「島のデカさ」で首都が決まることがありえるからだ。そりゃ、真ん中にある小島よりも、端っこにある大きな島に首都置きたいよね……典型的にはトンガとかがそうで、南端にあるトンガタプ島のヌクアロファに首都が置かれている。あるいは、「大きな島+小さな島」の組み合わせでできている国は、たいてい大きな島の方に首都がある。バレッタ(マルタ)とか、バセテール(セントクリストファー・ネイビス)とか、セントジョンズ(アンティグア・バーブーダ)とか、ポートオブスペイン(トリニダード・トバゴ)とか……(元増田が挙げてるニュージーランドは例外)
では、メインの島が1つしかない国はどうだろう? これなら「国土の中心」も定義しやすい……あれ、意外と首都の位置偏ってんな。元増田が挙げてるアンタナナリブ(マダガスカル。ちなみにマダガスカル語ではoと綴ってuと読むので「アンタナナリボ」は間違い)は確かに真ん中ら辺にあるし、ダブリン(アイルランド)やダグラス(マン島)やディリ(東ティモール)やアロフィ(ニウエ)やポートルイス(モーリシャス)やスリジャヤワルダナプラコッテ(スリランカ)もギリギリ真ん中辺りと言えるかもしれないけど、台北(台湾)もハバナ(キューバ)もキングストン(ジャマイカ)もレイキャビーク(アイスランド)もマナーマ(バーレーン)もヌーク(グリーンランド)もヤレン(ナウル)も島の端っこの方にあるな……首里、沖縄本島の中心都市として見ると南すぎるけど、奄美~先島までの琉球王国の首都として考えると割と中心に近くて草。
首都の立地はよくよく考えますよね。ここは盆地で長らく中央集権国家だったから真ん中に首都があるやろとか、端っこの部族が全土を統一したから首都は端っこにあるんだよとか、東部は原生林が多いから人口の多い都市は西部に偏ってるんだよとか、港町を中心に発展したんだよとか、そういうことを地図描きながら妄想するだけですごい楽しい……だから元の「首都が国土の中央部にないのはおかしい」っていうツッコミは全然理解できないっていうか、変な形の国作って変な場所に首都置くのが楽しいんやんけ、となってしまうよね……