はてなキーワード: 区分とは
人類は、有史以来、男女という2つの性別を定型として社会を営んできた。
今の男女を定型とする社会設計を維持したまま非定型である性別違和を感じるマイノリティの社会包摂をするには、男とはなにか。女とはなにか。性別移行する必要がある人はどういう条件を持つ人か。という『トランスジェンダー』の定義が必要になる。
だが、例えば視床下部のホルモン値を測定して判定できる客観的指標ではない自認主義を掲げてしまうと、トランスジェンダーの定義は極めて困難だ。解釈によってはススキノ殺人事件の被害者のレイプ犯女装男も含まれる。ましてや、このTwitterで問題発言の多いアコという人がトランスジェンダーでないとする説明にはかなり無理がある。
(性同一性障害は医者による診断という一定の客観性が保たれるが、主流のトランス運動家は、性同一性障害という診断を受けた人、受けたい人への攻撃も行っており、性自認は病気ではないという主張をしている。)
一方、今のLGBTQ思想が、性は自認で時系列で変遷するものなので今の社会の男女という二元論的な区分事態を廃止しようという考えならば、二元論前提の性区分スペースの利用にこだわらず、誰でも使えるスペース等の拡充を求めるのが筋で、MtFが女性トイレに入れないのは差別だという主張は成立しない。社会認識の変遷期に、旧来の二元論で運用する社会システムと新しい考えの性自認主義で運用する社会システムは併存するものだろうが、一方が一方の存在を否定することは包摂ではない。
ただし、自分は従来の男女二元論社会システムの否定は、女性差別を透明化すると危惧している。
定型的な生物学的女性だけ、望む望まないにかかわらず、生まれつき妊娠出産授乳する機能を持っており、その能力は、物理的な腕力を持った生物学的男性から搾取され差別を正当化する理由として使われてきた。
産まないという選択をした女も、男と同じ労働時間と労働量をやってみせても、生物学的女性だからという理由で差別をされてきた。
女装しているから女言葉を使うから差別されてきたわけではない。
女性差別の緩和のため、いくつかのアフォーマティブアクションが始まったのはつい最近のことだ。
自分は、クオータ制が導入された政策決定委員会の女性枠がMtFで埋まる状態や、女性スポーツの奨学金や賞金の受賞者リストがMtFで埋まる状態を望まない。
かつ、性犯罪被害者が社会に被害を訴えてもバッシングされまともに取り扱われない状況は今も続いているのに、性被害による妊娠のリスクを抱える生物学的女性専用のスペースが減らされる状態も望まない。
ニート歴15年からどうやって社会復帰したのかという問いあったので、簡単に記そうと思う。
まず俺が最初に走ったのは飲食店のバイトだったが、これはすぐに採用されたものの長続きしなかった。白状すると1月未満で辞めた。
飲食店というのは高度なコミュニケーションやマルチタスクを必要とする職種で、俺とは絶望的にマッチしていなかった。
簡単と思われているバイトすら無理なのかと絶望した俺は、母に付き添ってもらって市役所で相談した。
すると以前うつを患ったことで精神障害の手帳があるという点から福祉課に案内され、障害者としていくつかの就労手段があることを知った。
その手段は主に2つ。
1つは、就労継続支援というサービスで、行政から支援を受けた事業所が障害者を雇って簡単な仕事をするというもの。
2つ目は、就労移行支援というサービスで、こちらは一般の企業に就労することを想定して支援を受け就活をするというものだ。
楽な方を好む俺は前者に飛びついた。
家から歩いて20分くらいのところに事業所があったので、そこで面接し、無事採用されたが、じきに現実を知ることになる。
俺が行くことになったのはA型事業所というもので、このA型になると、その事業所と雇用契約を結ぶことになる。
なので最低賃金は保証されており、一日に4時間、週に20時間の労働という雇用形態になるので、月収は9万円前後が見込める。
ちなみにB型事業所の方は雇用契約を結ばず、作業内容に応じた工賃が支払われる。
こちらは見に行ったことがないので詳細は分からないが、収入は非常に低いもの(一日に1000円とかそういうレベル)であると伝え聞いた。
さて、俺が行ったのはA型事業所だが、どういう仕事をしていたかというと、ネジにナットを通す作業や、パイプにゴムを巻く作業などだ。
非常に地味で単純な仕事である。単価も1工程1円とかそういう次元だ。
はっきり言って誰でもできる仕事であり、昔なら内職などで斡旋されていた類の作業だと思う。
はっきり言うと、知的障害の人が多い。
精神障害の人は少数派で、身体障害の人は皆無。そういう世界だった。
つまり何が言いたいのかというと、やりがいが全くないという事と、知的障害の人と全く分かり合えないということだった。
働いている精神障害の人もあまり健康そうには見えず、知的障害の人が出来ない事をカバーする役割を担っていた。
これがもう絶妙に苦しくて逆に病みそうだったので、俺は数か月でこの事業所を辞めた。
俺にしては長続きしたが、これじゃ失業給付も受けられないし、多くの人から逃げたと思われるだろう。
……まあそれは兎も角、俺が次に頼ったのは就労移行支援のリタリコワークスという事業所だ。
ここは就労移行支援の中では大手で、全国的にサービスを展開している。
俺の運が良かったのは、この事業所が非常に肌に合っていたことだろう。
普通、就労移行支援の事業所というのは物静かで暗いイメージなのだが、その事業所はスタッフも利用者も共に明るく、俺は凄く居心地が良かった。
社会で働く上でのマナーや礼儀作法、就活における書類や面接のコツなどを1から教われたし、周囲とも楽しくおしゃべりが出来た。
面接訓練は毎週受けていたし、電話応対訓練で実際に事業所にかかってくる電話の取次ぎを日常的に経験出来たのは大きな自信に繋がったと思う。
そして何より、20社近くの見学や実習に行った事で自分の世界が大きく広がった気がする。
就活と並行して発達障害の診断も受け、うつではなくASDとADHDを主軸に戦うようになった。
そういうわけで、就労移行支援というサービスは利用期間に期限があり、2年までしか利用出来ないのだが、幸いなことに、俺は1年で内定を貰うことが出来た。
ここまで来るのに2年の歳月がかかった。
よく分からないクリニックに連れて行かれてIQテストを受けさせられた
IQテストの点数を結んだ折れ線グラフは引くほどギザギザしていて「あ、自分は健常者じゃないんだ」って子供ながらに思った
普通の人間の検査結果のグラフは平坦で、山や谷なんて出来ないらしい
俺が小さい頃、高機能アスペルガーは「個性」じゃなくて「障害」だった
障害者だからたくさんの人が配慮してくれて、道を踏み外さないですんだ
健常者と同じペースで競争しなくて済んだ
中学高校でいじめにあっても先生達は「障害者」だから味方してくれた
本当なら進級できないような出席状況だったのに成績だけなら悪くないからってどうにか便宜を図ったりしてくれた
今思えば当時の自分はいじめにあって当然のクズだったけど、それが後からちゃんと分かるように社会が人生に余裕を持たせてくれた
長い時間をかけて俺は健常者のフリなら出来るようになった
ASDの小さい子供達は昔の俺と同じくらい学校に行くのが苦しいはずなのに、もう誰も俺たちを「障害者」として扱ってくれない
「個性だから頑張ればどうにかなるでしょ」とか言われて、脳の仕組みから絶対に無理なことをやらされて精神を病む
不登校も障害のせいじゃなくて自己責任になって、全部お前が頑張らないせいだって言われるんだろう
どれくらいたくさんの子供が未発達な心を罪悪感に押しつぶされているんだろう、精神が歪むんだろう、道を踏み外して非行や犯罪に走ってしまうんだろう
俺みたいな子どもからIQテストの話をだんだんとあまり聞かなくなった
たぶん、生まれつきのことを調べようとするなんて差別的だってことなんだろう
でも俺達は障害者なんだ
プラモデルを黙々と組み立てたりすることだけ得意で、雑談が苦手で、口を開けば他人を怒らせる
脳の機能が足りてないんだよ
子どもたちにこんなことを「個性」だって言って押し付けるのは残酷だよ
「障害」って言ってくれた方がずっと優しいよ
俺は障害者だから配慮してもらえたのに、今の子どもは自力でサバイブしないといけない
個人が特定されないようにある程度ぼかす。A社とB社から運良く内定をもらえたのだが、どちらも行きたくて迷っている。以下は両者の情報。
どっちも同じくらい行きたいから迷う
頂いたコメントには増田にない視点がたくさんあり非常に助かる。一方、議論に関係ないところで人格否定をされると悲しくもなった
「扱う金額がデカい仕事」というのは割とすぐに慣れてしまう(結局数字の大小でしかなく、デカいことをやってると感じにくくなってくる)ので、扱う金額の大きさでは決めないほうがいいと思う。だからA社かなあ
ギャンブルで金銭感覚が麻痺している人の話を聞くとあり得るのかもしれない。もっと仕事内容を精査してみる
最近は短期インターンが一般化して上司や同僚とは面識あるだろうひ、内定もらってるなら内定者のLINEグループとかあるのでは。ブコメが時代についていけてないっぽい
わかる。でもブコメの内容にはむしろ少し年季の入ったものを求めているので感謝している
入る前の会社なのに「上司も同期もいい人」だなんてなぜ言えるのか。悪い人はわかるとしても。本当にいい人かどうかがわかるのは一緒に働いてからだし、いい人がいい人でいられるかは会社によると思う。
完全に増田の直感。パワハラはないんじゃないのかな。少なくともラボと比べるとどっちも気持ちの良いコミュニケーションをする人しか会わなかったし、話が通じないと思ったことはない
これは本当にそう。メールで聞いてみる
過去の選択の結果は全部自分で正解にしてきた。マクロではxxxガチャみたいなのはあると思うけどミクロでは自分でどうにかできる方法を探すしかないと思っていて後悔はない(念のため。他人にこの考えは強要しない)
①自分が求めることに重要度をつける(全部で100%になるように割り振る) ②A社とB社に①の項目ごとに点数をつけていく ③①×②の総合値が大きい方を選ぶ
雑に重み付けした計算結果も載せておく
同期・同僚 30%
A = (30 * 100 + 30 * 100 + 20 * 100 + 10 * 50 + 10 * 80) / 100 = 93
B = (30 * 100 + 30 * 100 + 20 * 60 + 10 * 100 + 10 * 100) / 100 = 92
[B! 統計] ゲームを趣味にしている人の割合が多いのはどのくらいの収入の人たちなのか調べてみた - nonameのノート
ここでブクマカが年齢別にも出さないとって言いながら誰も自分で調べる気はなさそうだったので調べてみた
元にしたデータはこれ
年齢と収入が両方入ってるデータがこれしか見つからなかったから、元記事だと有業者なのにこっちは単身世帯の世帯主のデータになってるみたいだけど許して
政府統計ちゃんと見たことないのでもっといいデータを知ってる人は教えてください
100万円未満 | 100~199万円 | 200~299万円 | 300~399万円 | 400~499万円 | 500~699万円 | 700~999万円 | 1000万円以上 | |
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15~19歳 | 80.7 | 93.1 | 92.5 | ... | ... | ... | ... | ... |
20~24歳 | 78.1 | 80.5 | 63.1 | 83.0 | 77.6 | ... | ... | ... |
25~29歳 | 61.2 | 75.8 | 67.7 | 72.7 | 74.4 | 69.5 | 41.9 | ... |
30~34歳 | 78.8 | 66.1 | 69.0 | 72.8 | 67.6 | 67.2 | 70.6 | ... |
35~39歳 | 69.0 | 55.8 | 71.9 | 78.5 | 50.5 | 61.9 | 88.5 | 59.0 |
40~44歳 | 36.6 | 57.9 | 58.2 | 61.2 | 50.7 | 64.5 | 78.7 | 76.8 |
45~49歳 | 51.0 | 39.7 | 43.3 | 47.1 | 51.3 | 60.5 | 60.3 | 85.1 |
50~54歳 | 34.6 | 41.9 | 39.9 | 43.3 | 34.0 | 46.0 | 42.4 | 27.2 |
55~59歳 | 32.8 | 31.9 | 34.2 | 29.6 | 25.6 | 34.8 | 42.1 | 36.5 |
60~64歳 | 21.3 | 20.0 | 30.3 | 26.3 | 31.2 | 23.0 | 48.8 | 36.4 |
65~69歳 | 9.6 | 16.3 | 20.5 | 20.1 | 17.6 | 19.0 | 32.1 | 19.6 |
70~74歳 | 5.1 | 12.1 | 12.8 | 19.5 | 11.3 | 13.7 | 21.8 | 5.5 |
75~79歳 | 5.5 | 4.9 | 14.0 | 8.3 | 28.9 | 24.6 | 3.0 | - |
80~84歳 | 1.7 | 4.9 | 6.1 | 8.1 | - | 20.0 | - | 3.1 |
85歳以上 | 0.7 | 2.0 | 2.0 | 7.5 | 7.5 | - | 7.1 | ... |
そもそもの主張が「法的に問題ある!」という趣旨で、それが事実として間違っているのであれば「法的には問題ない」という主張は筋が通っているが、
君が「お気持ち」と区分するような倫理観やマナーで話してる人たちに「法的に〜」とか言い出すのは完全にズレてるしそれが構ってちゃんでなければなんなんだよって話
「お気持ちによる議論」であろうが中傷などに当たらなければ何も問題ない(むしろマナーなんかの議論はそれでしかでしない、選挙の投票基準の議論も大概が法とは別にある)んだから、わざわざ自ら「空気の読めない奴」になる意義とモチベーションも謎
埼玉出身、実家を出てからも結局埼玉県内在住のワイからすれば、埼玉県民は知事が言うような「自己主張弱い上に寛容」なワケではない
単に「競争とか闘争とかの場面が古来より少なかったので、県民性も全体的に普段はノホホンとしてるだけ」である
埼玉は日照時間が長く、水に困らず作物はよく育つ。だから飢饉由来の社会問題が起こりにくかったのである
また、地震や台風などの災害が起こっても、海が無い上に地盤が安定的なので、デカい被害があまり無い。川はいっぱいあるけど、治水・灌漑がちゃんとしてる。それでも念には念を入れ、公立の小中学生は、通学時に橋渡らなくて済むような学区分だったりする(めちゃくちゃ山奥は例外かも)
てなワケで、ベースとしてノホホンとしているのである。まあ近年はベッドタウンとしての機能が加速してるから他都道府県からの移住者や移民が多く、生粋埼玉県人の割合は減ってるから、あまりそういうイメージ持たれてないかもだけどね
「図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーシヨン等に資することを目的とする施設」
と、図書の管理だけでなく、一般公衆の教養からレクリエーション等幅広く活用されることが目的となっており、そこには勉強を行うことも、ワークショップを行うことも、読み聞かせ会を行うことも含まれる。
であるからして図書だけに狭めるべきだとの意見には妥当性が低いと考える。
利用目的によって利用者間の不満があるのであれば、スペースや時間の拡張や区分等仕組みや運営で対応することが必要となるが、そこには別に人員や限られたスペース等の問題が存在すると考える。
図書館という資産を地域でどのように有効活用して行くのか。地域の目指す方向性に沿って議論していくべきである。
また、ここで言う図書館は大学図書館等を含まない「地方公共団体、日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人が設置するもの」を言う
街路樹あるじゃん。あれほんとなくなればいいと思ってる。木だけじゃなく植え込みもなくなってほしいと思ってる。以下理由。
2.根が歩道路面を隆起させることにより転倒による怪我や事故リスクが上がる。
...
経験談で恐縮だが以前歩道を徒歩で通行中に後方から接近してきたクソチャリに死ぬほどベルを鳴らされた挙げ句に舌打ちされたことがある。その歩道は一定間隔に植込みがあるのだがクソチャリが接近してきたときはちょうど植込みがあり歩道の幅が1メートル程度に狭くなるところだった。追い越したいクソチャリと避ける道理はない歩行者(自分)による状況においてクソチャリが前述のベル攻撃をしてきた。
まあ、クソチャリが道交法(正確にはわからんが察してくれ)違反してベル鳴らすマナー違反が悪いのだろうが、それよりなにより歩道の幅を減らすほどの植込みがなければいいんじゃね?とも思うわけよ。
頭の足りねえクソチャリは掃いて捨てるほどいるわけだし、脳みそツルツルなクソチャリにイチから教育していくなんて時間と予算がいくらあっても足りないなかで、とりあえず歩行者の安全を脅かす遠因でもある植込みを無くせば(同様に街路樹も)少しは安全になるんじゃないかと思うわけで。
あとさー車の運転でも街路樹邪魔でクソほど危ない目にあうことあるじゃん。よく見ろとか言われてもそもそも物理的に見えないものをどうしろ。
1.景観、美観
2.植木屋が儲かる
ぐらいしかなくね?これ市民にメリットある?安全を犠牲にするほどのメリットなの?
まあ、100歩譲って都心(都内ではない)のような木々のない所にはあってもいいよ。よくないが、まあいい。
だが、少し視線を上げれば雄大な、木々が生い茂る山々が見えるような地方の歩道に街路樹や植え込みは必要なのかと問いたい。いらねーよ。
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<追記>
なるほど日陰ねー。たしかに信号待ちのときに日陰があると便利だ。でもそれは交通安全を犠牲にするほど重要なものか???ちなみに俺は今年の夏から日傘を導入したがあれほどいいもんはないと実感した。永久に日陰がついてきてくれる。マジおすすめ。
緑化はCO2の吸収源として有効と言っているけど、それって歩道に植えなきゃだめなん?まあ排ガス発生源(車)の真横に植えるのが効果的に思えるけど地球規模で考えるとどっかの土地にまとめてドカッと植えたほうが効果ありそうじゃない?それとももはや道路脇にしか植えられないほど土地が無いの?むしろ工場の緑化をもっと厳しくブチかましてやれ。マイカー通勤とか舐めんな。
書いていて思ったけど道路脇ってことは人やモノの活動圏内ど真ん中であって手入れも管理もやりやすいってのもあるのか。は~よく出来てる。植えてハイ終わり!じゃそれはそれでなにやってんの?になるしな。
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あまりに邪魔なので市に文句言おうと色々調べたら国道に生えてる街路樹は国が管理で、市道町道は自治体管理で、自治体の中でももっと小さい区分(◯丁目自治会とかそういうやつ)で管理している場合もあって何がなんだかわからん。
エロ本であれば、書店にエロ本コーナーを作って、「エロ本コーナー」と明示すればよい。
それだけでゾーニングになる。
本来のゾーニングは「そこにあることを知らせる」ために行われるのである。
ところがいま「ゾーニング」を推進するフェミニストが望んでいるのはむしろ逆である。
彼らはゾーニングのことを「そこにあることを気づかせない」ための手段だと思っている。
「自分にとって不快なものを視界に入れたくない」と訴えている。
つまり、これは「ゾーニング反対派」と「ゾーニング推進派」の対立ではなく、
「本来のゾーニング」派と「フェミ・ゾーニング」派の対立なのだ。
「本来のゾーニング」と「フェミ・ゾーニング」は正反対と言っていいものだが、
その食い違いが意識されていないために議論が迷走してしまうのである。
そして「フェミ・ゾーニング」には本質的な問題が存在している。
仮に、エロ本を見たくない人の視界から、エロ本が完全に消えたとしよう。
一つめは、彼らはエロ本が消えたということにすら気付けない、ということだ。
なぜなら「フェミ・ゾーニング」とは「その存在に気付くまえに撤去されること」であるからだ。
二つめは、「彼らが認識しうるなかでいちばんエロい本」が新しく「エロ本」の座に収まる、ということだ。
つまりイスラム教徒が女性の生脚を見ただけで興奮するのと同じ現象である。
この二つが組み合わさると怖ろしいことが起きる。
既にゾーニングが行われているにもかかわらず「なぜこの店はゾーニングをしていないのか」という苦情が来るようになるのである。
当時のコンビニからは、一般に「18禁」とされるエロ本が既に撤去されていた(これは「フェミ・ゾーニング」である)。
残った「全年齢向けのエロ本」でさえ、わざわざ「成年雑誌」というコーナーにまとめられていた(これは「本来のゾーニング」である)。
にもかかわらず「コンビニに18禁のものを置くな」「コンビニはちゃんとゾーニングしろ」という意見が絶えなかったのである。
10が撤去されれば9が糾弾され、9が排除されれば8が問題視されるようになる。