はてなキーワード: 勝率とは
・ブキの射程でチーム分けがされるが、同じ射程のブキ内での強弱が激しい
・その上で直近の勝率が平均化するようにチーム分けがされている
・4人対戦なので1人が担う責任が大きい
強い方が勝つ(=自分が勝敗に関わる)というより弱い方が負ける(=戦犯が居る方が負ける)という感覚になりやすい
2以降は自分が世界でどのくらいの強さかが可視化されるようになったため1戦1戦の価値が高くなり負けるストレスが増えた
1の頃は一定以上の強さはみんなS+99という枠内におり1戦負けたところで次に勝てば気分は晴れたが、2以降は負ければランキングが下がるし勝ったところで結局実力相当に収束するだけなので高が知れておりモチベーションが削られ続ける
世界中で比較され少数の勝ち組以外全員負け組になるという構図は明確にグローバル資本主義の問題点なので、任天堂は子どもたちに新しく幸福な社会を模索してもらうためにあえてそうしていると思う
いや?そんなこと全く無いが?
野球やサッカーで5-4で勝って「よく分からんけど勝てたぜやったー!」とか、次やったら普通に負ける奴の考え方だろ。
点取られた以上に取り返してるのが計算通りなのか、単に根性で逆転しただけなのかの分析は必要だろ。
根性で逆転したにしろ、次にまたそういった形になった時に根性ワンチャンを再現するための賭けに出方を一応分析しておくのは今後の勝率を上げるのに必須じゃん。
勝ったら途中の失点が全部チャラになるなんてことは一切ないんだよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/nwknews/archives/6123813.html
上記の件見てふと思い出したのだが
昔はスレタイのこと見たいなこと考えていたんだよね
「なんでこんなに文句いっている人が多いのに自民党が支配されてるんだろう」とかさ
「知らなくても」の優しさは東京のが多いよなぁ
というのがわかったり
むしろ私の親戚一同はその自民党の地方議員のお陰で飯を食うことができているとか(土建関連
盲が開かれたというか世情とは複雑で面倒くさくて必要なことだとわかったことを思い出した
まる
最近はてブにもちょろちょろと上がってきていたカビゴンLO問題で、ちょっとポケカ界隈の治安の悪さを解説してみようと思う。
まず、ポケモンカードゲーム(ポケカ)は、いわゆるトレーディングカードゲームで、集めたカードで一対一で対戦するカードゲームだ。
そして、集めたカードで対戦するんだから、トランプのように決まった山札があるわけではなくて、それぞれが自分でカードを選んで準備する。この自分のカード群をデッキと呼ぶ。
ゲームの流れは色々とあるが、基本的には、自分の手番に山札から1枚引き、何か行動して、相手の手番へと移る。
そして、相手のポケモンを6匹気絶させると基本的には勝利できるが、特殊な条件で勝ち負けが決まることがある。
ここで、議論になっているのは、通常友達同士と遊ぶ分にはあまり問題にならない、時間切れの問題だ。
トレーディングカードゲームで遊んだことがある人ならコントロールデッキ、という名前を見聞きしたことがあるかもしれない。
相手にしたいことをさせない、コントロールするためのデッキのことだ。
特にその中でもLO、ライブラリーアウトと呼ばれる相手の山札をゼロにしてカードを引けない状態にして勝つことを目指すデッキがある。
カビゴンLOとは、カビゴンを主体にしたライブラリーアウトを目指すコントロールデッキの名称、と言える。
(具体的な手法とか戦法、何をどうコントロールするかは本質的には関係ないのでここでは触れない。各自調べて欲しい)
ポケカには大会がある。そこでは1試合25分という対戦時間が決まっていて、時間切れは双方の敗北になる。
(同点だったりするとオポネントという今日の勝敗が良かった相手にどれだけ勝ってるか、みたいなもので計算されるので、両者敗北よりは投了が良い、みたいなのもあるがこれも省略する)
さて、ポケカの大会では基本60枚のカードでデッキを作って対戦する。最初に7枚手札を取り、相手のポケモンを気絶させた時のご褒美用にサイドと呼ばれるカードを6枚横に置き、ゲームがスタートする。
つまり、60-13=47枚の山札がある状態から始める。繰り返しになるが1試合25分である。
ライブラリーアウトという戦法は、かなりの無茶が求められる。この47枚を試合中に様々な手段を駆使して無くす必要があるわけだ。
そして、頑張ると25分以内に終わるコントロールデッキって、果たして許容されうるのか?という問題なのである。
先行するトレーディングカードゲームは星の数ほどあれども、ある程度の歴史と実績を持つものとしてマジック:ザ・ギャザリング(M:tG)がある。
当然のようにコントロールデッキも存在し、何をどうコントロールするのかで頭を悩ませるので時間を消費する、という点でも同じだ。
そしてなんとM:tGは2本先取で制限時間50分という大会が多く、ワンゲームに使える時間が20分に満たないということも多い。
当然、この時間配分にはもめごとも多い。ジャッジと呼ばれる審判が遅延行為だと判断すれば懲罰になることもある。(という具合に、当然遅延行為で時間切れの引き分けに持ち込もうとする対戦相手もいる)
そして、先行しているだけあってM:tGの大会でも、相当に治安が悪いこともままある。
完全オンライン版のマジック:ザ・ギャザリング アリーナでは、完全にコンピュータ上でオンラインで行える利点を最大限に活かして、複雑怪奇なルールの双方の持ち時間をカウントすることである程度の公平性を保てるようになっている。
対戦相手がいて、公式大会があり、上位入賞や他の大会への参加権がかかっていると、真剣度合いが格段に上がる。
そうしたときに、「自分が最大限努力してパーフェクトなプレイをしても、相手のプレイスタイルによって敗北せざるを得ない可能性がある」ということを許容できない人たちがいる。
ルール上認められているデッキで、ルールにのっとってプレイをしていて、それでもなお双方敗北という時間切れになる可能性がある。
もちろん思想信条には自由があるけれども、これを「公式が対策するべきだ」ではなく「そういったデッキはお行儀が悪いので使うべきではない」という風潮を作り圧力を加えようとするのは、治安の悪い行為だと思う。
そもそも、大会に出るのだから嫌がらせでもない限りは基本的には勝利を目指すデッキ構築(カードの組み合わせを考える)が原則だ。
そして、カビゴンLOとはわりと現在の環境(大会で使えるカードの種類やルールの総体)では、勝率が悪くない。ハッキリ言えば強い方だ。
しかしそれは、相当に双方が努力して達成しないとできないくらいの速度で試合を進めないと25分以内には収まらないのも事実ではある。
これに、もともと「したいことをさせてもらえない」というコントールデッキの特徴も相まって、嫌がる人が結構な数出てきている、というのが現状なのである。
対戦相手からすれば、「したいことをさせてもらえない」「時間切れの可能性も高い」「相手は何するか結構考えることも多い」と相当にフラストレーションがたまる対戦になるのだ。
根本的な解決方法としては、完全に電子化して各々の持ち時間制度に移行するしかないと思う。
いやあのカードを対策すれば、とか、昔のように試合時間を30分にすれば、などは根本的な対策にはならない。
なぜならば、コントロールデッキというのはそういうデッキであって、そういう戦法で戦える以上どう対策しても結局似たことはできるし、それが30分だろうと40分だろうと、ギリギリの時間で勝率の良いデッキが組める可能性は常にある。
そして、そんなデッキはお行儀が悪いと口汚く罵るのもまた、まあ、試合ごとの世界では良くある話なのだ。
紳士的に(というと昨今はまずいのかもしれないが)スポーツマンシップに則って、正々堂々と戦おう。
ルールで認められている以上、ベストを尽くして時間切れになるのなら、そういうもんだと割り切るしかない。
初心者が入ってきて時間切れで俺の敗北になるのは納得いかないと炎上したのも記憶に新しいが、故意の遅延行為以外は、基本的には割り切るしかないのが公式ルールなのだ。
そういう意味ではトレーディングカードゲームが宿命的に抱えている仕様バグ、という言い方もできるかもしれない。
カビゴンLO大いに結構で、いまのルール上認められているのをお行儀とかで締め出そうとするのは、先細り先鋭化するので止めた方が良いと思っている。先の初心者の件もそう。
いまは大会ルール上、運が悪いと対戦相手次第で双方敗北になるのがルールなのだから、そのルールに文句を言う以外には、おおらかにカジュアルに遊ぶべきゲームなのだと思っている。
一応は、レート制を取り入れるとか、ルールで縛るとか、いくつか方法があるとは思うが、正直ガチ勢向けの大会は、全面電子化に舵を切った方が良い気がする。
だからまあ、スマホのポケカって、わりと良い方向性だと思うんだよなあ。
今後Pokémon Trading Card Game Pocketにレート制が取り入れられて、一定のレートからしか参加できないオフラインのポケカ大会で出てきても、俺は驚かないな。
■良い所
・手軽にプレーできる
・更新頻度が高い(週1でアップデート、数か月に一回中型?アップデート)
・ガチャが安い。1選手100円くらい。しかもガチャもボックスガチャなので150体が上限
■悪い所
スーパースター(上から2番目のレベル)はまあまあのベテランユーザーでも勝てないことがあって、
実際自分なんかは勝率5割くらい。異常なボールキーピング力のせいで油断するとすぐ負ける。
なんなら1試合で5~7点取れるくらい弱い。
一部のレアスキル(スルーパス・ブロッカーとか)はマジで出ない。
他の人気スキルは各3~4個持ってる今もそれらは全く出ない。
150選手いる中で15選手が当たりだとして、15回バラで引いて出ることはまず無い。
10連回すとまあまあ出ることはある。
連続引きユーザーに甘いのと、バラで引いた時の確率が低すぎる。
いくつかプランがある
一つはファンダ、米利下げに乗っかる
去年は乗れなかった、去年って利下げしてないしノリで下げただけなんだよね、乗れんわそんなん
今149円戻ってきてくれてよかった、このまま上げ続ける可能性もあるけど、どっかで巻き戻るだろうからS目線で継続しとくだけで勝率上がると思う
米国が利下げしたら、2、3ヶ月待って今度はユーロ円、ポンド円のショートチャンスが来る
逆イールドが解消したら少しずつS&P500、ダウ、ナスを売りたい
日経平均はわからん、やるかやらぬか、あまり増やしたくはないから2、3種くらいにする
株がいい感じに下がったら少しずつ買いたい
今回どのくらいの深さかが分からないけど、ピークから25%落ちたら買う感じで
ドル円は定期的に大きくリバるだろうから、S入れつつ上がりそうなら両建て短期Lしたい
最悪150円戻っても死なないように
収束からのバンドウォーク発散がいい感じだったので、使っていきたい
こんなところかなあ2025年まで
目指せ無理せず100倍
与えられた仕事がない時は自分で仕事を見つける必要がありますが、やる価値のあることは少ないのです。
やってコストになるならやらないほうがマシです。
それで、私は「これをやってほしい」とあちら側からやってくるのを切望しているのです。
社畜といえばそれまでですが、私は金儲けは得意ではないので、金儲けの戦略を考えるような話では戦力外です。
「生産性を上げるためにこういうツールが必要だ、作ってくれ」という話ならば、やる気が湧くのですけどね。
それはそうと、私のチェスの腕前は素人レベルなのですが、chess.comで勝つといい気分になります。
結局、チェスとは1日における有限の集中力の割り当てゲームです。休日に朝起きて、朝食を食べた後ぐらいにやれば勝率が格段に増加します。
しかし調子に乗って二戦やると、すでに集中力を使っているので負ける公算が高いのです。
何か新しい趣味はないだろうか、と探し続けてしばらく経ちますが、ブログの執筆というのが一番しっくりくるような気がしているのです。
私はこれまでに何種類かのブログを書いてきました。
学生時代はサイバーセキュリティのブログ、就職後は自然言語処理ブログ、あとはいくつかの黒歴史です。
バカも黙っていれば利口に見えるというのは、聖書にすら書いてあります。
ブログなど書いても、チェスの集中力の話と同じで、いつか気力の弱い時にボロが出るだけでしょう。
それよりも一冊、フィクションの小説を書いてみるというのはどうでしょうか。
いや、私は知っています。世の中には溢れんばかりの小説がありますが、その需要は限界を迎えていることを。
例えばこういうのはどうでしょう。つまり、語り弾きの録音をして、soundcloudで発信するというのは?
もしかすると、アウトプットのできる趣味を求めるのが間違っているのかもしれません。
そもそもアウトプットは社会を前提とします。私の脳が社会的本能を持ってしまっているために、社会に何かを出したいと思ってしまっているのです。
しかし誰かに認められることなく、家の中で数学をやっている虚しさを私は経験しています。
結局学問というのは、社会に成果を発表してこそやる意味があるのです。今、卓上で宇宙の真実を発見したと言っても、虚しいだけです。
では趣味全般が、社会との交点を有意義さのために必要とするのでしょうか。
いえ、そんなはずはありません。私の母親は趣味で農業やダイビングをやっていますが、情報発信などせずに充実しているようです。
そうすると、なぜ私は社会のことを過剰に気にしてしまっているのでしょう。
それについては、たぶん私の「新規探究性」にあると思います。遺伝的に私は新規探究性が高いので、ようするに新しいことをしたいのです。
インターネットに不満を感じ始めたのは、目新しさが減り、なにもかもがありきたりに感じ始めたからかもしれません。
私はtiktokが出た時も、「ありきたりなアイデアだなぁ」と思っていました。
マルチメディアは動画・画像・テキスト・音声ぐらいしかなく、そのバリエーションで言えば、動画の次元である「再生時間」に制限を加えたSNSが出てくることぐらいは誰もが予見していたでしょう。
生成AIが出た時は、「AIもここまで進歩したか」とちょっと驚きましたが、触ってみるとすぐに飽きるのです。小説AI,ChatGPT,画像生成など色々試しましたが、AGIが出てこない限りはあまり驚くこともないでしょう。
なるほど。
確かに「メイクとカードゲームで不一致な部分」は多いのだろうな。
増田の言ってることは間違ってない。
だがな、ネットで今話題になっているのは「メイクとカードゲームの一致している部分」の話なんだ。
そして皆別に「これからはメイクをカードゲームに喩えることを全世界の共通言語にするよう国会にかけよう」とまで盛り上がってはいないのだよ。
シンデレラと月姫を箇条書きトリックで比べて「一致してる!月姫はシンデレラのパクリなんだ!オタクはシンデレラに憧れるお姫様(タツ兄)であることの証明完了!」と盛り上がってるようなものなんだよ。
皆が注目している一致部分は
・強みを伸ばすか弱みを補うかの選択がある
・金をかけて揃え始めると自己増殖を始める
・金をかけずにそれなりの結果だけ求めるなら割りと安く済む
・いい結果を出すことより個人的な拘りを優先する人もいる
・金に糸目をつけない癖がつくと雪だるま式にかかる金が増えていく
といった所かな。
これの面白い所は、カードゲームをやる層とメイクをやる層がほぼ一致してないこと。
遊戯王の孔雀舞みたいなのは現実にはほぼいないことは知ってるよな?
現実でカードゲームしてるのは身だしなみチェックガンスルーで逆アロマタクティクスしてくるようなクリーチャーが大部分だ。
そんな相反するものの間に共通点がいくつか見つかったことで皆盛り上がってるんだな。
別に本気で「カードゲームでたとえると超わかりやすい!」なんて言ってるわけじゃないんだよ。
一瞬でブームが過ぎるお遊びに過ぎん。
TCGで「このコンボ超強いじゃん!ワンショットデッキ組めるぞ!」と勝率が高いわけでもないコンボが急に流行るのと同じようなもんだよ。
そこにマジレスして「いや……勝率ちゃんと測ってみろよ……下手なスターターより弱いぞその紙束……」とかいい出したら空気読めないすぎだろ?
渡辺九段が「天彦さんや豊島さんは、(最前線の)研究合戦から降りた(12:48-)」と表現していたのが印象深かった。
しかし、「降りた」というのはネガティブな表現だけど、実際のところ、将棋は自由なゲームであって、相手に勝てるんなら当然何をやったっていいわけだよ。勝つために降りたんだと言ってもいい。
極端な話、藤井竜王名人が勉強時間の8割を序盤研究に充てていたとしたら、豊島九段が同じ8割を研究に充てても、差は縮まらないし、パソコンのスペックや研究効率でむしろ差は広がってしまうかもしれない。でも、研究が役に立たない力戦に持ち込めば、別のところで勝負ができる。だったら、研究以外のことに勉強時間を割いたほうが、結局は「地力が強くなって」勝ちやすい。プロ棋士レベルで地力が伸びる余地があるかは配信でも疑問が投げかけられていたけど(1:25:20-)、序盤研究も実戦対局も詰将棋も、将棋に関わる時間なら勝率にいくらかでも貢献するはずだ。そういう勝負環境のバランスがありうるし、実際にいまそれが起きている。
やがてそういう理由で仮に最前線が角換わりから振り飛車に移ってきたら、今度は振り飛車がAI研究で焼き尽くされるかもしれない。けど、幸いにして将棋はめちゃくちゃ広大なので、そもそも角換わりだってAIレベルでは焼き尽くしの途中だし、居飛車にも振り飛車にも枝葉に分かれた戦型は山ほどある。そして何より、AIがすべてを焼き尽くしても最終的には「人間にはすべてを覚えきれない」という絶対的な砦が残されている。
もちろん、もう一方には、増田康宏七段のように「相手の研究の隙を突いたり出し抜いたり、自分だけがもっと研究している局面に持ち込む」という方法で立ち向かう人もいる。
スプラで2500達成した!
今まであんまりアクションゲームしてこなかったけど色々試行錯誤したら達成できた!
5勝もできるようになってs+10上げるのも前より楽になったので勝率上がった方法をまとめていくことにする。
まずメモリープレイヤーをしっかりみるようになった。で見ながら状況を読み上げていく。人数状況とかスペシャルが溜まってるかとか目に入り次第ブツブツ呟いていた。
勝ち試合も負け試合もみるようにした。敵と味方の視点も見るようにして、ここでこう動くのストックを貯めていった。
負けた試合を見るのは心苦しかったけどここでデスするのは良くなかったなとか、勝ち筋負け筋みたいなのがだんだんわかってきた。
コーチング動画もツッコミながら見るようになった。そしたらだんだん試合内でも戦況が見えるようになってきて動きやすくなった。
主に敵の位置がちゃんと見れるようになって、スペシャルの溜まり具合も把握できるようになってきた。ステージの理解もできるようになってきてヒラメの勝率上がった時は嬉しかったなぁ。