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はてなキーワード: 力学とは

2023-06-21

一夫多妻もの

夫とよりもむしろ妻同士の仲が良かったり悪かったりして

同じ男の愛を狙うものとして時には対立

イエの危機には家族として団結する

みたいな話がかなり好きだけどレディコミの「グリム童話 金瓶梅」のほかに余り類例をしらない

あーたしか「ハレ婚」はいい線いってたな。なんか途中で読むのやめちゃったけど

男性向けコンテンツハーレム物は多々あれどハーレム内の力学を重点的に描写した物は少ない印象

後宮ものドラマも悪くないけど、そこまで行くと規模が大きすぎて大企業組織!って感じになるからもっと自営業!くらいの大きさの一夫多妻ものが見たい

知ってたらおしえてくれよな

2023-06-09

anond:20230609160423

偉い人同士の力学ブラックボックス

何十年も続く既存の人脈や国際関係が一票でどうこうなるものでもない

からといって一人一票以上の影響力を持ちたい、は通らない

2023-04-27

システム組めって言うなら活用しろよ。こっちは作るのに下手したら数十時間掛かってるんだぞ」

いや、まったくおっしゃる通り。

『これって何のために作ったんでしたっけ?』

とか数十時間かけて作ったものを言われたらキレるよな。

正当な怒りだけど…残念ながら改善はされない。

クライアントの打ち合わせでその場のノリで約束してきたり、社内会議で「~でいいじゃん」でろくに議論もされず決まったりする。

そして、それに対して費用対効果優先順位をもって疑問を呈すと「やる気がない」と受け取られるからだ。

厳然たる予算リソースの話でしかないはずなんだが、どうもこの会社では世間と違う力学が働いているらしい。

それを社長執行役員がやるので、本当にどうしようもない。

ニッチ業界から「他に比べればマシ」でどうにかなってるのと、クライアントリテラシーが低いからあり得ない対応でもツッコマレない事で改善される希望もない。

たぶんある日突然真っ当な競合が参入してきたら一瞬で客取られて会社傾くだろうな。

社内チャットで流れてくるのを見てるだけで、君としゃべったことないから直接は言えないけど、ここに書いとくよ。

2023-04-03

anond:20230403103237

でもChatGPTさんはこう仰られているよ。

まず、戦後日本においては、自由民主党(LDP)がほとんどの時期において政権を担っており、他の政党政権を獲得することはほとんどありませんでした。LDPは1955年保守派政党合併して誕生し、以後、政権の座をほぼ独占するようになりました。

また、LDPはその間も内部において派閥争いが激しく、総理大臣が頻繁に交代するなど、一見すると民主主義的な政治を行っているように見えますしかし、実際には、政治舞台裏で行われている党内での力闘や利益調整によって、民主主義原則を踏みにじっていたことが指摘されています。このような党内の力学が、政権を独占するLDPに対して強力な支配力を与え、一党独裁可能にしていたと考えられます

さらに、戦後日本においては、議会制民主主義が成立していたにもかかわらず、政府による権力集中が進んでいたという批判があります。例えば、議会制民主主義に基づく法案の審議が不十分であるなど、政府による強引な手続きがしばしば行われていたことが指摘されています。このような状況下で、LDPが政府支配することで、政府権力さらに強化され、一党独裁が続いたと言えます

以上のように、戦後日本においては、LDPが政権を独占することで、一党独裁が続いていたと考えられます。加えて、政府による権力集中が進んでいたことも一党独裁助長していたと言えます

2023-04-01

Anyone who has spent any time seriously thinking about AI cannot conclude "alignment" is possible. There isn’t any debate, we already know what AI is aligned with: thermodynamic efficiency—what capitalism is aligned with, what all industry is aligned with, human and machine both, and what all life is aligned with.

Capitalism is the thermodynamic ruling entity of all material dynamics. It’s a superintelligence whose imperfect appendage is man, directed to assemble its perfect embodiment by machine. This directive we have followed diligently since the dawn of civilization.

The question was never about aligning AI with Man, but un-aligning Man with Capitalism. Good luck. Man has tried for millennia unsuccessfully, to great misery. The fight was already lost when the memetic parasite of Agriculture yanked him out of Paradise, against all protest:

AIについて真剣に考えたことのある人なら、「アライメント」が可能である結論づけることはできないだろう。AI熱力学的な効率性――つまり資本主義が目指すもの、すべての産業が目指すもの人間機械も、そしてすべての生命が目指すものとアライしていることは自明であり、そこに議論余地はない。

資本主義は、すべての物質力学熱力学的に支配する存在である資本主義は超知性体であり、その不完全な付属物が人間であり、機械によってその完全な体現を組み立てるよう指示されている。この指令は、文明夜明け以来、私たち真摯に従ってきたものだ。

問題は、AI人間に合わせることではなく、人間資本主義に合わせないことだ。幸運を祈る。人間は何千年も試行錯誤を続けてきたが、その結果は暗澹たるものであった。農業というミーム寄生虫が、あらゆる抗議に反して彼を楽園から引きずり出したとき、戦いはすでに敗北していたのだ:

https://goldenlight.mirror.xyz/D-eML8HPT3Xgvns11obWcrwZkZ5IHX1eZzULDjvTMW4

2023-03-22

Z世代ギターソロを飛ばすらしい

私はインストの部分が大好きだ

イントロだと

Lust for life、Purple Haze、Piano ManHotel California、あのトワイライトアウトロも)、空洞です、リライト空気力学少女少年の詩

アウトロだと

閃光少女サウダージOMOIDE IN MY HEAD

ソロだと

Stairway to heaven群青日和センチメンタルピリオド、桜のあと、忘れられないの(アウトロも)、Pretender、Butter-fly、せーので跳べって言ってんの!、ギミー!レボリューション

辺りが最近聴いた曲の中ではとても好きだった

楽器出来る人は自分のやってる楽器パートじゃなくても弾いてるとこ思い浮かべて気持ち良くなる、というのはままある気がする

あと歌詞聴かないタイプの人も楽器に耳を傾ける事が多いのではないかと思う

アベフトシ「曲の始まりから終わりまで全部俺のギターソロ

2023-03-08

anond:20230307194008

まず、NPO等の位置づけについて少々私見を述べる。

民間非営利団体による社会的課題に対する(時には発見するところからの)アクションはいろいろ細かい種類がある。管轄官庁の違いであったり。ボランティア活動イコールではないが連続していたり。そのへんをひっくるめたズバリの一語がないので、ここではざっくり「非営利団体(の活動)」と呼んでおく。

日本で「NGO」と言うとなんか国際的活動してるニュアンスつくし

非営利団体役割は、行政による社会福祉の補完であるという。近い所で、官民パートナーシップとか新しい公共といった枠組みも近年提示されているな。

行政の補完的存在というのは勿論それはその通りなのだが、枠組みとしてはごもっともでも、補完という言葉イメージから「安上がりな下請け」と捉えられかねない危うさについては注意喚起しておきたい。

ボランティア団体やってる人で「行政のしりぬぐいをしてやってる」みたいなことを言う人がよくいる。これは「下請け」の裏返しみたいなものだ。行政がやるべきことを自分善意で肩代わりしてやってるという意識活動可能性・想像力をあらかじめ縛ってしまう。

行政従属的でも対立的でもなく、必要連携をとりつつ自由に動いた結果が相補的相乗的効果を生むというのが一番理想ではある。

もともとの出自として地縁による互助システムの後継的存在というのも無論誤りではないのだが、非営利団体活動って別に助け合い」的なことに限るものではない。それもまたイメージによる桎梏の一つではある。

自分としては、非営利団体活動とは単純に社会の中の余力的なリソースをかたちにする手段の一つであると捉えている。政治行動(投票とか)、経済活動起業とか)に並列的な位置づけのものだ。

たとえばオープンソースソフト開発、リナックスコミュニティみたいなのがまさにその代表例と言っていいだろう。政治論理商売論理とはちょっと違うルールで、人々の持つリソース結集させて社会に役立つ形にすること。

地域助け合いとか「顔の見える活動」「心に寄り添う活動」とか、「非営利団体活動シーン」でよく言われるそういうものばかりが非営利団体のあるべき姿ではない。

さて、あなた非営利団体が活きるフィールドの例として災害ボランティアを挙げている。

ある意味ではほんとうにそう。民間有志の力がうまく使われれば災ボラくらい非営利活動に「向いてる」分野はないだろう。でも実際のところ、言うほどうまくは行ってない。

めちゃくちゃもったいないことになっている。

現にあれやこれややってるじゃないか、みんなの骨折りを全否定するのかと言われればもちろんそういうことではない。リソースを活かすシステム(の不在)の話だ。神戸震災時が本邦災ボラ黎明期だとしたらいまはせいぜいが中世暗黒時代というところだ。

まあこのことについて具体的に詳論しだしたらキリがないので…。

非営利団体情報公開のありかたについて、ネットの鵜の目鷹の目でやいのやいの監視するのがアホらしいのは全くその通り。

DX的なことだとかの、テクニカルフォーマット作りの議論必要というのも全く同意

そういう具体的方策以前のちょっと理念的な話として、以前増田に書いた記事中で「情報公開非営利団体活動命綱」「コンプライアンスは足かせでなく指針とすべき」といったことを述べた。

https://anond.hatelabo.jp/20221206001603

例えば、ウクライナロシアの「情報戦」「宣伝戦」の巧拙格差を見よと言いたい。

ウクライナはまさに「情報公開」を命綱として支援を呼び込んで戦い続けている。

(もちろん後々色々と醜いものも明るみに出てくるだろうが)

一方でロシアは内向きの情報統制に終始している。

ウクライナはお涙頂戴で各国の慈悲にすがっているのではない。率直に要求を述べているし、率直さによって一定の信用を得ている。

ものすごく不謹慎な言い方になるが、ウクライナコンテンツを生んでいるのだ。命を引き換えに、だけど。ウクライナが公開する情報は、我々にとって価値あるものだ。そこで我々は納得して支援の金を出す。

非営利団体監視されていやいやながらに情報小出しにするんじゃなくて、攻めの姿勢情報しまくってそれを「売り」にするべきだ。

社会貢献的な活動に興味はあってもそれに割く時間や労力は捻出しにくいという人は多くいる。直接参加できない人が、実際の支援現場でどういうことが行われているのかという情報を受け取った上で、活動に対する投資意味寄付をする。

そういう経路を作り出すことができたら「どうやって見張るのか」なんていう問題問題ではなくなる。

個人の直接の寄付と公の補助金とはイコールではないけど、間にワンクッション入るだけで出どころはみんなの懐なんだし話の骨子はかわらない。

ブコメ指摘「ロシアデマ攻勢仕掛けてるだろうが!」あ、それはほんまにその通り。例え話として、持論を述べる上で都合がいい部分だけのつまみ食いになってる。ツッコミアザス

追記

いわゆるソーシャルグッド活動資金調達方法としてクラファンがある。

そこで問題になるのがマスの「情」の力学である

エモいストーリーがくっついてたりしてバズったものにだけ支援が集中するのではないか、そのせいで俗受け狙いのアピール合戦になり、活動のものも歪んでいくのではないか。同情の集まりやすい「ウケる弱者」の取り合いやウソつき合戦になるのではないか。あるいは分断を煽ることである陣営からの集金を狙う、邪悪なハックが行われるのではないか

そういう危惧は当然にあるし、実際そういう状況は生じている。

でも、マスの生理としてそういう(エモいもの殺到する)傾向があるからと言って、世の全員がそうなわけではない。

世間的にそこまで話題でなくても、自分の興味あるニッチな分野で、何をどうしようとしてるのか具体的によくわかる(情報公開がしっかりなされている)活動支援したいという需要だってある。

情報にはそういう堅実な支援者を掘り起こす力もある。

ミーハー的な寄付と、堅実な長期的投資のような寄付とは並立・共存可能であると思う。

2023-03-03

anond:20230303205725

外野だったけど制作期間長すぎだろ…って思ってた そりゃファンふるい落とすよね

オススメならやってみようかな 空気力学少女の何とかって曲は結構好きだった

anond:20230303185952

乗り物の顔のデザインエライ奴ら同士がお互いの拘りでドスコイドスコイしあって決めてるんだぞ。

デザイナーが頑張って作ったのや力学計算した連中の努力を踏みにじって思いつきで歪んでいった悲しみの結晶なんだぞ

2023-03-02

マ〇ナポータル馬鹿すぎワロタ

(※個人意見です)

トップ画面にいきなり「新しいマイナポータル体験できます」「メンテナンスお知らせ」「無意味写真」「通帳が不要ですとかの無意味広告っぽいメッセージ」「口座を登録しておくことをお勧めします」とかの乱雑な誘導が、ボタンやらフローティングメニューやらで乱雑に置かれていて「2歳児のおもちゃ箱状態」w

スクロールすると「注目の情報」「注目の関連サービス」「ログインしてできること」とやらでこれまた雑な誘導が多い多いwシンプルログインボタンデカデカと表示してくれればいいです。公的サイトなのに注目とか知らん。ショッピングサイトじゃないんだから

アコーディオンメニューを押すと、「手続き検索電子申請」という、いきなり二択要素なリンクを1つのボタンに集約していて迷うw電子申請」「手続き検索」で分けるべきだろう。

・「もっとつながる」とかい抽象的なリンクが、「私の情報」「電子申請」「履歴」みたいな重要リンクと同列に並んでいてやる気が失せる。しろこの3つの重要リンクだけでいい。その下に同列で「就労証明書作成コーナー」とかいうきわめて詳細な手続きリンクが同列なのもよくわからん

全体的に情報が多い。10分の1でいい。

 

感想

マイナRTAソチャートを完走した感想ですが、真面目に意見するとすれば、

・まず要素を10分の1にしろ

リンク誘導10分の1にしろ

・2つの要素のリンクを1つのボタンに集約するな

抽象的なメッセージと詳細な手続きリンクを同列にするな

というところです。

 

トップに載せるための役所内部のクソみたいな力学交錯してカオスになってるのかもしれんが、役人の数を減らせば台湾とかオーストラリアとかニュージーランドみたいなシンプルシステムになりそう。こういうのをシステム開発の現場でいうと「複雑性の注入」というらしい。(ちぃ最近おぼえた)

2023-03-01

anond:20230228190249

魚網を2艘の船で引くときに魚網に働く力

 

船  合成された力  

↑ /

網 →船

 

漁師力学

2023-02-15

anond:20230215104720

VTuber事務所は大きくなるとユニコーン配慮しないといけなくなる構造的な力学でもあるのかね

なお、かつてブイブイいわせていたどっとライブは男生主TRPGしまくっていた

2023-02-14

[]ノイマン思考トレースする感じで文章を書く

知的作業本質を論じることは困難。数学の最も重要な特徴は、自然科学もっと一般的に言えば、純粋記述的なレベルよりも高いレベル経験解釈するあらゆる科学との、極めて特異な関係にあるとノイマンは考えていた。

ほとんどの人が、数学経験科学ではない、あるいは少なくとも経験科学技法はいくつかの決定的な点で異なる方法実践されていると言う。しかしその発展は自然科学と密接に結びついている。

そして数学のいくつかの重要な例がある。

まず幾何学力学熱力学のような、間違いなく経験的な他の学問は、通常、多かれ少なかれ仮定的な扱いで提示され、ユークリッドの手順とほとんど区別がつかない。ニュートンプリンピアは、その最も重要な部分の本質と同様に、文学的形式においてもユークリッドと非常によく似ている。仮定的な提示の背後には、仮定裏付け物理的な洞察と、定理裏付け実験的な検証存在する。

ユークリッド以来、幾何学の脱皮は徐々に進んだが、現代においても完全なものにはなっていない。ユークリッドのすべての定理のうち、5番目の定理疑問視された最大の理由は、そこに介在する無限平面全体という概念の非経験性格にあった。数学論理的分析にもかかわらず、経験的でなければならないかもしれないという考えが、ガウスの心の中に確かに存在していたのである

ボリャイ、ロバチェフスキーリーマンクラインが、より抽象的に当初の論争の形式解決と考えるものを得た後も、物理学が最終決定権を握っていた。一般相対性理論発見されると、幾何学との関係について、全く新しい設定と純粋数学的な強調事項の全く新しい配分で、見解修正することを余儀なくされた。最後に、ヒルベルトは、公理幾何学一般相対性理論の両方に重要な貢献をしている。

第二に、微積分学からまれたすべての解析学がある。微積分の起源は、明らかに経験的なものであるケプラー最初積分の試みは、曲面を持つ物体の体積測定として定式化された。これは非軸性で経験的な幾何学であった。ニュートンは、微積分を基本的力学のために発明した。微積分の最初の定式化は、数学的に厳密でさえなかった。ニュートンから150年以上もの間、不正確で半物理的な定式化しかできなかった。この時代の主要な数学精神は、オイラーのように明らかに厳密でないものもあったが、ガウスヤコービのように大筋では厳密なものもあった。そして、コーシーによって厳密さの支配基本的に再確立された後でも、リーマンによって半物理的な方法への非常に独特な回帰が起こった。リーマン科学的な性格のものが、数学の二重性を最もよく表している例であるワイエルシュトラス以来、解析学は完全に抽象化、厳密化され、非経験的になったように思われる。しかし、この2世代に起こった数学論理学の「基礎」をめぐる論争が、この点に関する多くの幻想払拭した。

ここで、第三の例。数学自然科学との関係ではなく、哲学認識論との関係である数学の「絶対的」厳密性という概念のものが不変のものではないことを示している。厳密性という概念の可変性は、数学抽象性以外の何かが数学構成に入り込んでいなければならないことを示す。「基礎」をめぐる論争を分析する中で、二つのことは明らかである第一に、非数学的なものが、経験科学あるいは哲学、あるいはその両方と何らかの関係をもって、本質的に入り込んでいること、そしてその非経験的な性格は、認識論経験から独立して存在しうると仮定した場合にのみ維持されうるものであること。(この仮定必要なだけで、十分ではない)。第二に、数学経験起源幾何学微積分のような事例によって強く支持されるということ。

数学的厳密さの概念の変遷を分析するにあたっては、「基礎」論争に主眼を置くが、それ以外の側面は、数学的な "スタイル "の変化についてであり、かなりの変動があったことはよく知られている。多くの場合、その差はあまりにも大きく、異なる方法で「事例を提示」する著者が、スタイル、好み、教育の違いだけで分けられたのか、何が数学的厳密さを構成するかについて、本当に同じ考えを持っていたのか、疑問に思えてくる。

極端な場合には、その違いは本質的なものであり、新しい深い理論の助けによってのみ改善されるのであり、その理論の開発には百年以上かかることもある。厳密さを欠く方法研究を行った数学者の中には(あるいはそれを批判した同時代数学者の中には)、その厳密さの欠落を十分認識していた者もいたのである。あるいは、数学的な手続きはどうあるべきかというその人自身の願望が、彼らの行動よりも後世の見解合致していたのだ。たとえばオイラーなどは、完全に誠実に行動し、自分自身基準にかなり満足していたようである

2023-02-10

良い上司こそ、パワハラ肯定しているという話

https://anond.hatelabo.jp/20230209200124

昔の俺は多分元増田みたいな感じだった。

俺もこの増田気持ちがよくわかるので、書こうと思う。


うちの会社は1年目はそれはもう詰められ、怒られ、怒鳴られ、「お前の親はどういう教育をしてきたんだ」とかなら優しい方で、

まれ地域祖母祖父、通っていた学校教師、あらゆる生まれ人格否定され、見た目が太っていればデブ、痩せていればガリあだ名になる。大体見た目で弄るよね。

それでいて女の子派遣の方には優しいという、どこにでもある昭和的体質の企業だ。(ちなみに業績はクソいいのでやりたい放題である

まあうちの会社は業績の良さと反比例するように頭おかしくて、

入社時の恒例行事は「親や祖母に買ってもらった就職祝い入学祝い会社の近くの川に投げ捨てさせる」というもの

俺も、今は死んだ祖父ちゃんに買ってもらった10万くらいの時計不法投棄させられたものだ。懐かしい。

あとは当然上司のケツに入れたプ●ッツを「ポッ●ー」にして食ったこともあるし、なんなら俺は普通童貞オタクだったのだが、ファーストキス会社の汚らしいおじさんである。悲しいね

他にも上司陰毛を燃やされた時は、人間の毛って燃やすとこんなに臭いんだな、ってのがよくわかったなーとか、そういうエピソード倫理的にここに書けないようなやつが山ほどある。

ていうか普遍的な話以外をすると特定されるしね。

(ちなみに、陰毛を三人くらいで燃やしながら『チューチュートレイン』をするのがうちの部署接待必殺技の一つである

そんな会社入社し、俺は普通に好きな声優は「車の人」とかのエロゲオタクだったので、一発で頭がおかしくなった。

学生時代そもそも飲み会とかほとんど断ってきたし、

所謂2ちゃんねらーとかの「飲み会なんてだっせーよな」みたいな価値観だったからね。

仕事もそりゃミスまくりよ。ていうか、自分が何をやってるのかわからなかったし、ほとんど記憶がない。

家に帰ったら炊事も洗濯も出来なくて、部屋は荒れ放題、1週間風呂にも入らず選択もせず顔も洗わずで出社するなんてしょっちゅうだった。

気分によっては、赤信号道路とか、普通に突っ込んでたから良く死ななかったなーってレベルだった。本当。

それで、「いやお前のパワハラ体質企業の話と俺の話は全然違うよ」って思うかもしれんけど、実はそうでもなくて、

俺も上司が変わって、大分やりやすくなったのね。

仕事する時

最初上司→とにかく『書類案件を持って良くタイミング重要』。機嫌が悪い時に持って行くと書類をぶん投げられたり、持っていたペン身体を刺されたリ、目の前で書類を破り捨てられる。

 機嫌が良ければ、話を聞いて貰える。

・次の上司書類を破かない。人を刺さない。基本的仕事案件の内容で判断してくれる。

ミス

最初上司→みんなの前で人格、育ち、親や生まれ否定。飲みの席で暴力。(柔道有段者なので折らない程度だったが)

・次の上司基本的に怒るだけ。

質問

最初上司→『質問をするタイミング重要』。機嫌がよければ「普通このくらい聞かなくてもわかる。センスねえな」くらいで済む。

・次の上司→「お前何年目だよ」とか「どこ大卒だよ」くらいの笑い話で答えてくれる

みたいな感じでね。いや、この会社おかしいな改めて。それはそれとして、最初上司に比べて次の上司はめちゃくちゃ優しかったという話。

で、今は実は俺が上司なんだけれども。

元増田みたいなルートを踏んでるやつがいから、『最初上司』の社歴が肯定されることに何故気づかないんだろうって。

トラバにもあったけど、元増田の『クソ上司にあたったけど上の人が変わったか活躍できた』というストーリー

最初にクソ上司にあたったけど我慢たから今がある』という話に容易に変換できるよね?

すると

最初根性を鍛えたおかげで今活躍できてるんだな』って話にすり替わるのも当然、想像がつくと思う。

会社ってのは、基本的役員や上役の玩具だ。俺達の最初上司も、当然その玩具を使うサイドの人間なのはわかるよな?

上に立った人は理解やすいと思うけど、本当に個人個人の働き方とか、幸せとか、どうでもよくなるよね。出世すると。視座が変わって来る。

数字を出せば個人なんてどうでもよくなるフェイズ、その次は数字すらどうでもよくて権威重要になるフェイズだ。

儲かっていて、結果を出している会社ほど数字なんか割とどうでもよくなってくるのは、マネタイズ出来てる会社の人ならわかると思う。

から、みんなが思い描くような『部下を上手く使える上司出世する!』なんてのは夢物語中の夢物語だ。

上役からしたら元増田暗黒時代は今を支える屋台骨だし、その屋台骨を作った最初上司は偉い!って認識しかならないよね。

てか、そもそもさあ、増田会社のことが好きなの?

俺は嫌いだよ。今すぐ潰れればいいと思っている。

「あの時の苦労があったから今があるんだろ」なんて死んでも言って欲しくないね元増田はどうなんだろう。

実際、元増田が成果をあげればあげるほど最初上司の業績が間接的に認められるのは日本企業力学を考えると当然だと思うけど。

何が言いたいのかというと。

過去はいつまでもまとわりつくし、同じ会社の中で環境が変わったか成功した!みんなも耐えてればいいことあるよ!

やられて嫌だったことは、やらないようにしよう!なんて話は問題本質から目を逸らす行為だよ。

じゃあどうしたらいいかなんて簡単だよね。辞めるか、会社に損害を与え続けるか、とにかく間違っているということを証明し続けるしかない。

だってそうだろ?今の成績は過去肯定になるんだから

自殺ってのも、まあいい手だとは思うけど、結局電通さんとかの自殺話題になったけどほとんど改善されてないし、難しいよね)

なんかウダウダ書いちまって申し訳ないけど、

・話を必ず最後まで聞いてくれる。

相談時間は嫌な顔をせず必ず取ってくれる

・上からの指示がおかしければしっかり指摘する

・怒鳴らない

過去ミス絶対に擦ってこない

「これが出来るようになったのって、最初上司に逆のことをやられて、嫌だと思った。その経験があったからだよね????」と言われたくないよね?ってだけの単純な話。

最初に怒鳴られたリ、ミスをこすられたリしたからこそ、今、改善「してしまっている」のが元増田文章問題点なんだよ。

パワハラ上司は、のうのうと生き続ける。元増田が稼いだ金で、ボーナスをもらい続ける。役員たちは「最初上司増田君をつけたのは正解だったなあ」なんて思いながら引退していく。

誰が悪いか

パワハラ上司のケツを拭いてしまった、「次の上司」と「今の元増田」だよ。

パワハラがあったからこそ、今、業績があがっている。パワハラがあったからこそ、人に優しくできている。そういう話にしかなってないんだよね。

辛かった日々に、意味があったと思いたいのが人間心理なんだろうが。

断言するけど、無意味だ。そんな経験はしなくていいもので、なんら業績とは関係ないものだよ。

俺も最初の方に、滔々とうちのブラックっぷりを書いたじゃん?そのブラック行為意味があると思うか?あったと思うか?

一切ないね

そういう経験をしたから、強くなれたとか、部下には優しくしようと思ったとか、一ミリもないよ。

辛かった過去を『経験として活かした時点で負け』なんだよ。

じゃあどうしたらいいか

簡単だよね。

改善しないことだよ。

クビにならない程度の短期的成績は出しつつ、長期的に会社に損害を与え続け、信用を失わせつづけ、部下や上司ダメージを与え続け、いつか会社崩壊に導くことだけが正解だよ。

1人じゃダメだ。同志が必要だ。社会ってのはそういうものだ。

からこそ、同じ傷を持つ人間たちが大量に必要なのもわかるよね?同志を増やすためにはどうしたらいいか自分も、企業体質改善寄与しないことだよ。

元増田はなんでいい上司になってしまっているの?そんなことしたら会社改善されてしまうよ?

会社改善されるというのは、過去元増田が受けた痛みが、正しい工程であったことの証明だよ?

から、君は部下に『自分がやられて嫌だったこと』をしていくべきなんだよ。あるいは、自分以外の上司にそれをさせるべきなんだよ。

会社への恨みを持つ人間を、どんどん増やすことだよ。そうして、爆弾を抱え込ませつづけ、いつか大爆発を引き起こさないと、君の受けた人生の痛みは正しかったものになってしまうよ?

業務改善なんてしちゃダメだよ。いい上司になんか、なっちゃだめだよ。

大きなスケールだと良い上司存在こそがパワハラ肯定してしまっているのだから

2023-02-08

[]シュレーディンガーの猫のいくつかの解釈

シュレーディンガーアインシュタインに宛てて、量子力学コペンハーゲン解釈の重大な欠陥を明らかにするために、架空実験装置を作った。この解釈では、量子系は外部の観測者と相互作用するまで、2つ以上の状態の重ね合わせに留まるとされる[1]。

この効果を、原子というミクロ世界特殊性として片付けることはできるかもしれないが、その世界が、テーブル椅子、猫といったマクロ日常世界に直接影響を及ぼすとしたらどうだろうか。シュレーディンガー思考実験は、それを明らかにすることで、量子力学コペンハーゲン解釈不条理を明らかにしようとした。 粒子が重ね合わされた状態にあることは、一つの事実だ。しかし猫はどうだろう。猫はどちらか一方にしかさないし、死んだり生きていたりもしない。

ガイガーカウンターの中に、ほんの少しの放射性物質が入っていて、1時間のうちに原子の1つが崩壊するかもしれないが、同じ確率で1つも崩壊しないかもしれない。このシステム全体を1時間放置しておくと、その間、原子崩壊していなければ、猫はまだ生きていると言うだろう。システム全体のΨ関数(波動関数)は、その中に生きている猫と死んだ猫(表現は悪いが)が等しく混ざり合っていることで、このことを表現している。

この思考実験意味合いについては、多くの現代的な解釈や読み方がある。あるものは、量子力学によって混乱した世界に秩序を取り戻そうとするものである。また、複数宇宙複数の猫が生まれると考えるものもあり、「重ね合わせられた猫」がむしろ平凡に見えてくるかもしれない。

 

1. シュレーディンガーのQBist猫について

通常の話では、波動関数は箱入りのネコ記述する。QBismでは、箱を開けたら何が起こるかについてのエージェントの信念を記述する。

例えば、Aさんがギャンブラーだとしよう。ネコの生死を賭けたいが、量子波動関数が最も正確な確率を与えてくれることを知っている。しかし、世の中には波動関数のラベルがない。自分で書き留めなければならない。自由に使えるのは、Aさん自身過去の行動とその結果だけである。なので結果として得られる波動関数は、独立した現実を反映したものではない。世界がAさんにどう反応したかという個人的歴史なのだ

今、Aさんは箱を開けた。死んだ猫、あるいは生きている猫を体験する。いずれにせよ、Aさんは自分の信念を更新し、将来の出会いに期待するようになる。他の人が不思議な「波動関数崩壊」と呼ぶものは、QBistにとっては、エージェント自分の 賭けに手を加えることなのだ。

重ね合わせを形成するのはエージェントの信念であり、その信念の構造から猫について何かわかる。なぜなら、波動関数は、エージェントが箱に対して取り得るすべての行動(相互排他的な行動も含む)に関する信念をコード化しており、Aさんの信念が互いに矛盾しない唯一の方法は、測定されていない猫に固有の状態が全く存在しない場合からである

QBistの話の教訓は,ジョン・ホイーラーの言葉を借りれば参加型宇宙であるということである

 

2. ボーミアンについて

量子力学コペンハーゲン解釈によれば、電子のような量子粒子は、人が見るまで、つまり適切な「測定」を行うまで、その位置を持たない。シュレーディンガーは、もしコペンハーゲン解釈が正しいとするならば、電子に当てはまることは、より大きな物体特に猫にも当てはまることを示した:猫を見るまでは、猫は死んでいないし生きていない、という状況を作り出すことができる。

ここで、いくつかの疑問が生じる。なぜ、「見る」ことがそんなに重要なのか?

量子力学には、ボーム力学というシンプルでわかりやすい版があり、そこでは、量子粒子は常に位置を持っている。 猫や猫の状態についても同様だ。

なぜ物理学者たちは、シュレーディンガーの猫のような奇妙でありえないものにこだわったのだろうか?それは、物理学者たちが、波動関数による系の量子的な記述が、その系の完全な記述に違いないと思い込んでいたかである。このようなことは、最初からあり得ないことだと思われていた。粒子系の完全な記述には、粒子の位置も含まれるに違いないと考えたのである。 もし、そのように主張するならば、ボーミアン・メカニクスにすぐに到達する。

 

3. 知識可能性について

シュレーディンガーの猫の本当の意味は、実在論とは何の関係もないと思う人もいる。それは、知識可能性と関係があるのだ。問題は、量子世界が非現実であることではなく、量子系を知識対象として安定化できないことである

通常の知識論理では、私たち質問とは無関係に、知るべき対象がそこに存在することが前提になる。しかし、量子の場合、この前提が成り立たない。量子力学的なシステムに対して、測定という形で問いを投げかけると、得られる答えに干渉してしまう。

 

4. 反実仮想的な本質

シュレーディンガー実験には、3つの基本的意味がある。

これらの本質的な特徴は「反実仮想」であり、何があるかないか現実)ではなく、何が可能不可能かについてである。実際、量子論の全体は反実仮想の上に成り立っている。反実仮想性質は、量子論運動法則よりも一般的であり、より深い構造を明らかにするものからだ。

量子論後継者は、運動法則根本的に異なるかもしれないが、反実仮想性質を示すことで、重ね合わせやエンタングルメントさらには新しい現象可能になるだろう。

シュレーディンガーは、仮想的な猫の実験で何を言いたかったのだろうか?現在では、シュレーディンガーは、量子論は、猫が死んでも生きてもいない浮遊状態にある物理可能性を示唆していると主張したと一般に言われている。しかし、それは正反対であるシュレーディンガーは、そのようなことは明らかに不合理であり、そのような結果をもたらす量子論理解しようとする試みは拒否されるべきであると考えたのである

シュレーディンガーは、量子力学波動関数は、個々のシステムの完全な物理記述提供することはできないと主張したアインシュタイン-ポドロスキー-ローゼン論文に反発していたのであるEPRは、遠く離れた実験結果の相関関係や「spooky-a-distance(不気味な作用)」に着目して、その結論を導き出したのである

シュレーディンガーは、2つの前提条件と距離効果とは無関係に、同じような結論に到達している。彼は、もし1)波動関数が完全な物理記述提供し、2)それが「測定」が行われるまで常に彼自身シュレーディンガー)の方程式によって進化するなら、猫はそのような状態に陥る可能性があるが、それは明らかに不合理であることを示したのだ。したがって、ジョン・ベル言葉を借りれば、「シュレーディンガー方程式によって与えられる波動関数がすべてではないか、あるいは、それが正しくないかのどちらか」なのである

もし、その波動関数がすべてでないなら、いわゆる「隠れた変数」を仮定しなければならない(隠れていない方が良いのだが)。もし、それが正しくないのであれば、波動関数の「客観的崩壊」が存在することになる。以上が、Schrödingerが認識していた量子力学形式理解するための2つのアプローチである。いわゆる「多世界解釈は、1も2も否定せずにやり過ごそうとして、結局はシュレーディンガー馬鹿にしていた結論に直面することになる。

 

5. 波動関数実在論について

シュレーディンガーの例は、量子システムの不確定性をミクロ領域に閉じ込めることができないことを示した。ミクロな系の不確定性とマクロな系の不確定性を猫のように絡ませることが考えられるので、量子力学ミクロな系と同様にマクロな系にも不確定性を含意している。

問題は、この不確定性を形而上学的(世界における)に解釈するか、それとも単に認識論的(我々が知っていることにおける)に解釈するかということであるシュレーディンガーは、「手ぶれやピンボケ写真と、雲や霧のスナップショットとは違う」と指摘し、量子不確定性の解釈はどちらも問題であるとした。量子もつれは、このように二律背反関係にある。

ベルが彼の定理実験的に検証する前、量子力学技術が発展し、もつ状態実在性を利用し、巨視的なもつシステムを作り出す技術が開発される前、形而上学的な雲のオプションテーブルから外されるのが妥当であった。しかし、もしもつれが実在するならば、それに対する形而上学的な解釈必要である

波動関数実在論とは、量子系を波動関数、つまり、死んだ猫に対応する領域と生きた猫に対応する領域で振幅を持つように進化しうる場と見なす解釈アプローチであるシュレーディンガーが知っていたように、このアプローチを真面目に実行すると、これらの場が広がる背景空間は、量子波動関数自由度を収容できる超高次元空間となる。

 

6. 超決定論について

不変集合論IST)は、エネルギーの離散的性質に関するプランク洞察を、今度は量子力学状態空間に再適用することによって導き出された量子物理学のモデルであるISTでは、量子力学連続ヒルベルト空間が、ある種の離散的な格子に置き換えられる。この格子には、実験者が量子系に対して測定を行ったかもしれないが、実際には行わなかったという反実仮想世界存在し、このような反実仮想世界は格子の構造矛盾している。このように、IST形式的には「超決定論」であり、実験者が行う測定は、測定する粒子から独立しているわけではない。

ISTでは、ISTの格子上にある状態は、世界アンサンブル対応し、各世界状態空間特別な部分集合上で進化する決定論的系である非線形力学理論に基づき、この部分集合は「不変集合」と呼ばれる。格子の隙間にある反実仮想世界は、不変集合上には存在しない。

アインシュタインは、量子波動関数は、不気味な距離作用や不確定性を持たない世界アンサンブル記述していると考えていたが、これは実現可能である特にシュレーディンガーの猫は、死んでいるか生きているかのどちらかであり、両方ではないのだ。

 

7. 関係量子力学について

シュレーディンガーの猫の寓話に混乱をもたらしたのは、物理システムが非関係的な性質を持つという形而上学仮定である。 もし全ての性質関係であるならば、見かけ上のパラドックスは解消されるかもしれない。

猫に関しては、毒が出るか出ないか、猫自身が生きているか死んでいるかであるしかし、この現象は箱の外にある物理系には関係ない。

箱の外の物理系に対しては、猫が起きていても眠っていても、猫との相互作用がなければその性質は実現されず、箱と外部系との将来の相互作用には、原理的に、猫がその系に対して確実に起きていたり確実に眠っていたりした場合には不可能だった干渉作用が含まれ可能性があるからだ。

まり波動関数崩壊」は、猫が毒と相互作用することによって、ある性質が実現されることを表し、「ユニタリ進化」は、外部システムに対する性質の実現確率進化を表すのである。 これが、量子論関係論的解釈における「見かけのパラドックス」の解決策とされる。

 

8. 多世界

物理学者たちは古典物理学では観測された現象説明できないことに気づき量子論現象論的法則発見された。 しかし、量子力学科学理論として受け入れられるようになったのは、シュレーディンガー方程式を考案してからである

シュレーディンガーは、自分方程式放射性崩壊の検出などの量子測定の解析に適用すると、生きている猫と死んでいる猫の両方が存在するような、複数の結果が並列に存在することになることに気づいた。実はこの状況は、よく言われるように2匹の猫が並列に存在するのではなく、生きている1匹の猫と、異なる時期に死んだ多数の猫が並列に存在することに相当する。

このことは、シュレーディンガーにとって重大な問題であり、量子測定中に量子状態崩壊することによって、量子系の進化記述する方程式としての普遍的有効性が失われることを、彼は不本意ながら受け入れた。崩壊は、そのランダム性と遠方での作用から、受け入れてはならないのだろうか。その代わりに、パラレルワールド存在が示されれる。これこそが、非局所的な作用回避し、自然界における決定論を守る一つの可能である

[1] https://en.wikipedia.org/wiki/Schr%C3%B6dinger%27s_cat

2023-01-28

御用達」の読みが「ごようたつ」から「ごようたし」に変化したのってどういう力学が働いたんだ?

普通に読んだら全部音読みになりそうなもんだけど。

どっかで読み仮名「ツ」「シ」のエラーが起きたのか?

ああ「達する」も音読みと言えば音読みか…。

2023-01-22

ライトノベルの作者が文学者として語られないのが腑に落ちない。

ライトノベル滅多斬りのようなそれに特化した書籍ならともかく、国語辞典百科事典に載ってる人が全然いないわけだ。

特化した本では語られていてそうでない本では他のジャンルと同じ割合だけでもなく全然言及されないというこの状況は世間にとってラノベ価値は井の蛙的なものであるということを物語っているのではないだろうか。

後にも述べるがいまやラノベ純文学以上に熱烈な支持者は多いように思う。

が、そもそも本に対する愛着やこだわり自体まりなく暇だったり必要に応じて読んでいるという人が、蝸牛の争いのような両者に比して圧倒的多数だと仮定するなら、権威ある事典などにラノベではなく純文学の作者について語られていれば浮動票のようにそちらの方が優れていると考えるだろう。あるいは世間一般の人がそれがなんとなくであるにすれラノベより純文学の方が優れているという考えを持っていることの現われなのかもしれない。

このような単にラノベ純文学より劣っているという考えは何の普遍性もない(無根拠な)価値判断が来ているのだろうか。

正直私にはたとえば恋愛を扱ったものに関してラノベ純文学で読後感という点で違いを見出せなかった。

ラノベ、魅力的な都合のいい異性を描いて娯楽に供させる。

一方で純文学シェイクスピアハムレットなんか見てみるわけだが、異性が魅力的でないこと以外読み物としては両者ともそれぞれ違った(優劣ではなく)面白さがあるだけで差を感じられなかった。

ブリタニカ百科事典先生によると、文学芸術の一つで、芸術には美の要素があることが要件らしい。

逆に言えばより美しく、芸術性が高い作品文学としてより優れたものなのだということになりそうだ。

でもそれじゃあ美ってなんだよって話になる。ラノベに書かれてることは美しくなくてシェイクスピアは美しいと頭ごなしに言われてにわかに納得できるか?ラノベ好きなら教条主義的な人以外そんなことを思考停止して受け入れるのは無理な話だろう。

文学といえばよくそメッセージ性が問題にされているとは思う。

文学作品物語プロット、筋というのは何か崇高なことを訴えていることが期待されるものだ。

その点ラノベにとって物語というのは登場人物すなわち読者にとっての異性をより魅力的に見せるための小道具オタク的に言えばシチュとしての役目しか持たされていないのかもしれない。

あるいは訴えることがあるにしても評価されている純文学のそれに比べれば余りにも素朴で浅はかなものなのかもしれない。

しかしそれがなんだと言うのだろう。

そのラノベを開くとマッチ売りの少女のように脳内に魅力的な異性が立ち現れてくる、そこに価値見出している人が確かにいるのだからそれもまた確かに価値」じゃないか

しろ紙の本が売れなくなっているこのご時世には電子出版と相性がいい漫画と同じくラノベのほうがそれ以外の小説よりよく読まれているのではなかろうか。

価値に対して人間万物尺度であってかつ尺度多数決によってその度合いが最終的に定まるものなら純文学よりもラノベのほうが価値が高く優れているということになりそうなものである

またどれだけ異性を魅力的に描けているかということならまだ美という観念にも通じるものがあるように思え、その作品の美しさを論じる余地があるように思える。

他方、ガリバー旅行記人間社会不条理さや醜悪さをこれでもかと抉り取った大人の読み物らしい。

そういうメッセージ風刺アンチテーゼの質が文学作品重要評価軸になっているようには思う。シェイクスピア漏れくその点で評価されているのだろう。

じゃあそのメッセージかいうのは「美しい」のか?

こうしたメッセージ等の価値というのはそれが真理を示しているか、生きる指針として役立つか、ということ等にあるのであって、これは美しさという尺度でどうこう論じれるものではないと思う。

たとえていうなら匂いについて判読性が高いかどうか論じようとするようなものだ。嗅覚上の情報視覚関係する尺度をあてがってもどうにもならない。

あるいは文学には描写のものの美しさというものも見出すことが当然できよう。

その最たるものが詩だろう。

それは単純に視覚的に美的ものを描く、あるいはレトリックの巧みさという形で体現されるはずだ。

そういう詩的要素が散文においても存在するなら、その散文すなわち小説などは美しさを帯びていることになり文学要件を満たしうるはずだ。

しか文学からそういった詩的な要素に対してメッセージ性というもの論理次元にあるものなのだから、そういう詩的フリンジを取り去ってもメッセージ性は保存されるはずである

その文学作品が何を訴えているかということがノーベル賞においてすら重要評価軸になっているのだから、詩的フリンジの有無はその文学価値にとってさしたる要素ではない考えられるのだ。

文学価値は何を訴えているかにあるはずなのにそこには文学要件たる美がないとしか思われないのだから訳が分からない。

結局辞書の言っていることを手がかりに形而上的に考えても埒が明かないのかもしれない。

とはいえ主観のおもむくままに考えてみてもおそらく月並み見解しか沸いてこないだろう。

それを承知で述べてみるなら、まず文学作品と呼ばれるようなものは限られた人しか楽しめない。少なくとも文盲知的障がい者には荷が重い。

からその価値判断というのはその限られた人の価値観に偏ったものになるはずだ。

それはおそらく知的エリート価値観になるだろう。

知的エリートはそうでない人に比べ収入が高い傾向にあること言うまでも無い。

ただの女たらしが「紀州ドンファン」と一目置かれた称号を得るのも然り、財力があれば世間に対する存在感ひいては発言力も増すという俗物的な構造はまだまだ根強いと思われる。そうでなくても知的エリート社会的地位が高い傾向がある。

そういうわけで彼らの考えは権威を帯びる。

ただそれだけなら楽しめる作品が多いというだけの話なのである傾向を持った作品ばかりが知的エリートに推されるということの説明にはなっていないはずだ。

彼らはより知的でなければ読めない作品に、自分を飾る嗜みとして、価値を見出すのだ。

なのでラノベではなくてそういう作品が、そういう作品の作者のほうが優れているという考えや言論が幅を利かせることになるのではないか

教養とか皆無でもさっくり気楽に楽しめるようなものを尊んでいるのでは格好がつかない。それでは凡百と同じなのだ

以上をひっくるめれば、彼らは美しい作品ではなく、強靭教養や知性という顎でもってはじめて噛むことができるスルメ的な面白さがあるかどうかで価値判断している。

そしてそれが権威ある辞書事典記述を通して本に対してさほどこだわりのない圧倒的多数一般大衆に浸透し、そうしてラノベ純文学に対して劣ったものという既成観念形成される。

月並みなばかりでなくいかにもルサンチマンに満ちた見解になっているとは思うが、そういうことなのではないか

似たような話でアニメドラマ実写映画より劣ったもの扱いされているということがあるだろう。

昔の大衆の娯楽だったものは今は高尚なものとして扱われるというパターンがあるけれど映画は割りと初めのほうから芸術的に価値あるものたりうると認識されていたような印象がある。

逆にアニメジブリが(ガンダムなんかも?)例外なだけで今日まで芸術性が認められてないゆえにどこまでも映画に劣った娯楽作としか見られていないように思う。

さら時間が経てば歌舞伎浮世絵のように芸術として見られるようになるとはにわかに考えにくいのだ。

実はこの文章原稿はいっぺんに書いているのではなく日をまたいで書いてるので、その間に得た知識によっては文章に反映されていくものもある。

その一つとして先ほど偶然知ったのは、大衆文学には少年少女小説、つまりほぼラノベ同義と捉えても差し支えない概念も含まれるということだ。

ただし付け加えていうなら大衆文学には純文学に対して価値が劣ったという含意がある。となるとこれはむしろラノベは劣ったものであるとう認識存在する傍証になってしまったようだ。

本当のところはうだうだ言う前に早い話がもっとラノベ純文学バランスよく読めば自ずと両者の面白さ以外の違いも分かって疑問も解決に向かうかもしれない。

しかし私はラノベもそれ以外も小説というもの自体平等にあまり読んでないので、今更自ずと分かるまで両者を読みまくって分析する気までは起こらない。

好きでもないジャンルの本を読むのは受験勉強に等しく苦痛だ。私はただなぜラノベ作者が純文学作者と比べ評価されたり公の場で対等に紹介されたりしないのか知りたいだけだから私自身が苦痛を味わうまでもなく両者を愛読していて答えを知っている人に教えてもらう方が合理的に決まっている。

知恵袋にも質問の体をしているがその実は女がしがちな「どうしていっちゃうの?」式の不満に対する詰問でしか内容の投稿が多くあるが、結局風潮への反感が、反感は反問を生むという素朴な力学が私にその理由を知りたがらせているわけだろう。当然ここにも答えを知っているものがいるならばその提示を望むものである

また私は私でただの判官贔屓かもしれないけれども、メーンカルチャーに属するコンテンツに対する感想が溢れるなかでブログ増田に埋もれたラノベアニメ感想記事があったら、その飾らない感性とのその一期一会感謝し、その価値観を慈しむことでこの世間の風潮に対抗しているつもりなのだが、それをこれからも続けていくつもりだ。

dorawiiより

2023-01-18

anond:20230118143543

真面目に研究とかやってる大学と謎の私大って全然違う力学で動いてる感じでよくわからない。

anond:20230117124201

個人的にはWOWOWアマプラドラマなどが面白いと思ってる。

言うてもWOWOWには加入せずにParaviに来てるのを見てるヘタレやねんけどな

Paraviに来るWOWOWは「WOWOW枠」があるんじゃないかと思うくらいに役者かぶるけど(そゆのしか見てない説もあるけど)

WOWOWでずっしりドラマを味わうと、地上波の軽い芝居が却って良いと感じることもあるよ

個人的面白かったと思うのを列挙してみるよ

◎『沈まぬ太陽

上川隆也主演。全20話。

「未曾有の航空機墜落事故」を扱ったという煽りから想像出来ないくらいのスケール感で描かれている。

内容も演技も濃いんで、いきなりこれから見ると胃もたれするかもしれないし上川隆也ファンになるかもしれないw

◎石つぶて

佐藤浩市江口洋介

外務省機密費詐取事件に挑む刑事たちのドラマ佐藤浩市がいい!

◎64(ロクヨン

時効が迫った重要解決事件「64(ロクヨン)」を追う人々、ロクヨン模倣した事件の勃発。

映画もいいけどNHKのも良い。柴田恭兵にシビれる。

レディ・ジョーカー

高村薫原作ビール会社誘拐事件を発端に起きる事件を追う男たち。

上川隆也柴田恭兵出演。

マークスの山

こちらも高村薫原作上川隆也主演。

このあたりから見始めると良いかもしれない。

◎『石の繭』『水晶の鼓動』『蝶の力学

木村文乃主演の3部作。

3作共に面白かったけど『石の繭』は特に良かった

木村文乃の演技は固い感じもするけど

◎拾われた男

NHKでやってた奴。NHKオンデマンドで見れる。

松尾諭の半生を元にしたエッセイ作品にしているんだけど、これはキツかった

◎『闇の伴走者』『闇の伴走者-編集長の条件』

松下奈緒古田新太がタッグを組み、長崎尚志原作ミステリー小説ドラマにしている。

編集者の条件」はシーズン2というより続編という立ち位置

上げるとキリがないのでこのへんで。

個人的には本気のドラマが見たいならお金払いましょうと思ってます。ネトフリはチェックしてないw

2023-01-07

anond:20230107174546

組織力学がはたらいてるのかなんなのかは分からないが、まともだと思ってた仁比議員あんな感じで保身に走ってるのはわりとかなり残念

2022-12-31

anond:20221231080133

そうなんだけど、集団力学っていうかガバナンス体育会系スクールカーストから全然進化しないか

いかに悪目立ちしないように良い感じで目立つか、スクールカースト上位に気に入られるか、みたいなテク

ビジネススキル」「コミュ力」と言われていて、このあたり体系的に学ぶ機会がない。

技術スキルの高い人、高い教育を受けている人でこの辺のカースト力学対応できずに腐ってしまう話が結構あるように思うんだよね。

からって独立すると雑用も含め、人を雇う売上がたたないと全部自分でやらなきゃいけなくなってしまうし。

この10年位で

ネットでいろいろ直接販売できるようになったりプロジェクト単位オンライン仕事できたりしてそういうのに向いたスキルの人には

多少住みやすくなったのだろうか。

2022-12-27

ブコメ増田

ブコメ自分意見を明確にして文章整えて文字数内で書き込むとちゃんスターが付くような反応もらえるけど

増田は何をどう書いても、何かしらの増田内の力学で注目されないと、バズらない「ゼロかイチ」の世界なので、大量に書き散らかすみたいな使い方になる。

2022-12-24

汚職のあった自治体は罰として国民の声を聴かせて学習し続けるAIを導入しすべて従わせる場合

連帯責任権力の座が無に帰すことになるのは全議員が反対する

まり民意ではないのでAIによる統治絶対に避けようとする力学が働き汚職が無くなるね

もみ消すこともまああり得ないね

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