はてなキーワード: 前近代的とは
一部前言撤回。
1980~90年代、東南アジアの子供に装甲騎兵ボトムズが人気だったという例があるからw
でもたぶん消費のされ方が違う、リアル貧困暴力的環境だったら、「あえて現代で前近代的ノリ」ではなく、俺らにとっての高校球児みたいな普通のヤツの延長的な憧れの対象に思われてるんじゃないか。
ありていな話、「わかりやすいエンターテインメントフィクション」は前近代的価値観でないと成立しにくい
たとえば、私的な問題に対する司法権力を無視した暴力による解決、私情による復讐での殺人、近代的な企業のビジネスライクな上下関係にはない濃密なロマン性を持った主従関係、所属集団が敵対しているゆえ結ばれない男女……等々
おかげで、それらを描いた作品を作ろうとすれば、時代劇とか異世界ファンタジーになるのが通例
現代劇でその手の要素を描こうとしたら、「現代に生きてる前近代=侠客アウトローの世界」ぐらいしかないのだ
現実の生活においてはとっくに、ヤクザや不良や暴走族を嫌う人間の方が多数であろう
高倉健の任侠物映画や深作欣二の実録ヤクザ映画が若者の基礎教養みたいなもんだった60~70年代に比べれば、ヤクザも不良もエンターテインメントの世界においても随分と隅っこに追いやられた方だと思う
しかしながら、フィクションの世界において現代においてなおヤクザが都合良く使われているのは、みんな心の奥底では「近代の自由・平等ってつまんない、前近代的な暴力性や主従の束縛などがあるほうが”ドラマとしては”面白い」と思ってることの証左
衣食足りて礼節を知るというけれど、あくまでエンターテインメントとしては、平和な時代になったからこそ、むしろみんな前近代的なものを楽しく思うのさ
公式サイトを見る
↓
https://audition0902.jp/download/entrysheet.pdf
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次の①~⑪の事項を、エントリーシート・応募用紙に記載させる、面接時において尋ね
る、作文を課すなどによって把握することや、⑫~⑭を実施することは、就職差別につなが
るおそれがあります。
(略)
本人に責任のない事項の把握
(略)
とある。
https://www.mhlw.go.jp/www2/topics/topics/saiyo/dl/saiyo-01.pdf
これは問題だと思いますが、BWHと違って誰も指摘しないということは日本では特に問題視されないということのようです。
❷家族に関すること
「家族」の職業(有無・職種・勤務先など)・続柄(家族構成を含む)・健康・病歴(遺伝性疾患の家系であるか等)・地位・学歴・
収入・資産などを応募用紙や面接などで把握しようとする事例が見受けられますが、それらの事項は、本人の適性・能力に
関係のないことです。
そもそも、両親のいる家庭であるかとか、親などの家族がどんな仕事についているか、会社の中でどんな役職か、どれほ
どお金持ちかなどによって、本人の就職が左右されてよいはずがありません。また、親などの家族の状況から本人の適性・
能力などを推しはかろうとする考え方も、家柄を重んじるなどの前近代的な因習に基づく多くの予断と偏見が作用した
「面接において家族について尋ねたのは、応募者をリラックスさせるために、答えやすい身近な話題として出しただけ
であり、何かを差別しようとするつもりはなかった」などという場合もあります。しかし、ひとたび尋ねて把握してしまえ
ば、それは知らないうちに偏見や予断を招き、本人に対する評価・見方にフィルターがかかります。はじめは差別するつも
りはなかったということでも、結果として、把握したことが採否決定に影響を与え、就職差別につながるおそれがあるの
です。
また、家族について尋ねるということは、例えば家族の離死別・失業など、本人に責任のないそれぞれの家族のさまざま
な事情に立ち入ることにもなり、もし応募者がそれらの事情を尋ねられたくないと思っていたならば、本人を傷つけた
り、動揺させて面接時に実力を発揮できなくさせ、結果としてその人を排除してしまうことにもなりかねません。
家族に関することは、尋ねる必要がないばかりか、本人自身の適性と能力を公平かつ客観的に評価するためにあえて尋
ねないようにする考え方が必要です。
現役医学部5年生です。
東京医大の裏口入学、男女差別を知ってびっくりしました。こんな前近代的なことをまだ日本の医学会はやっているのか。どんなに世界に追いつきたくてもこの状況では絶対に追いつけない。
間違いを認めましょうよ。
変えていくマインドを医療人が持つとともに、一般の人たちも持っていきましょうよ。
OECD26/32カ国中で女性の医師比率は50%を超えてるところが多いです。この数字をみたら、日本で女性医師が半数を超えても問題ない、と思いませんか。
でも超えられない。これは日本固有の「男は外で働き、女は家を守る」という考えが蔓延ってるんじゃないでしょうか。そろそろ終わりにしませんか。女性の社会進出が望まれている一方、産休や育休を取るからって言って邪険にするのは、もうやめてもらっても良いですか。
結婚はいつか、出産はいつか、って聞く癖に、実際育休を取ると嫌そうな顔をする上司。その顔やめてもらえませんか。
出産はあの先輩が出産してからにしなよ、とアドバイスをくれる同期。それって異常なアドバイスだと思いませんか。
結局、将来働くのは男子だから、男子の入学数が増えるのはしょうがないことだよね、という女友達。私はこの現実に妥協したくありません。
これは危機感です。日本がこのまま人権を大切にする国にならないんじゃないか。このまま、日本がどんどん衰弱していくのが怖いです。
これを見てる皆さんも絶対思ってるはず。何か根本的なものを変えないと、日本はこのまま弱っていくだけ。男女平等がない故におこる出産率低下、復職低下。研究費カットによるイノベーションの低下。日本の会社はどんどん世界に合併されていく。
これ以上、落ちていくところを見たくありません。
今起きてることが異常だと気付いてください。それを気付いて変えてください。
医療サービスが買えないということはすなわち「何も悪くないのに苦しんで死ぬ」ことである。また、大昔は宗教がそうであったのかもしれないが、代替サービスも少ない。よってある程度価格が高くても買われるサービスである。一方、人間年をとるとあちこち悪くなるので、価格が一定程度安いと需要が爆発的に増えるサービスでもある。
要は、価格がニーズや需要を反映せず、言い換えれば価格感応度が低く非常にいびつな需要曲線を形成するサービスである。
(更には、供給が滞ると社会不安を招くので採算度外視で供給されがちであるとか、需要者たる患者と供給者たる医師とのサービスに関する情報格差が激しい、等の特徴もある。)
以上から、医療サービスは自由に市場で売り買いするのが難しいサービスである。米国を除く多くの国では、医療サービスは規制され市場の仕組みに寄らない形で供給されている。
人間年をとるとあちこち悪くなるとはいうものの、壮年までは健康な人の方が圧倒的に多い。一方、医療サービスは決して安いサービスではない。よって、「多くの人から少しづつお金を集め不幸にも病気になった人に支払う」という保険の原理に良く馴染む。
医療サービスは市場の仕組みに寄らない形で供給されており、その供給量は保険金の総額で決まる。保険料が十分安ければ上述どおり需要は増えるので、保険金の総額=供給量=需要量となる。
医療サービスは一般的に決して安いサービスではない。供給側も多くの資源を投入する必要がある。専門性が高く、収入が少なくなったからといって別業種に転換するのは難しい。一方で、ニーズの総体ではなく保険金の総額という制約のもと供給が決まるので、国が医療保険を運営している場合、どうしてもサービス価格に下押しの圧力が掛かる。価格がニーズや需要を反映しないことは供給側資源価格でも同じなので、すなわち、何もしなければ「医師が離散しない程度」までサービス価格は下がることになる。実際、冷戦期の東欧諸国では上記の事態に陥った国もある。
医師会が強力な政治力のもと、(医師の品質管理的な意味合いもあって)医師数を抑制気味に保ち、よって個々の医師の収入を高止まりさせることに成功した。
一方で、価格がニーズや需要を反映しないので、供給者サイドでの人や資源の配分に価格情報(≒優秀な人は高い収入の場所へ、そうでない人はそれなりに)は使えない。よって、基本的には厳しい上下関係の下、医局が各所のバランスを取って独善的に決めていた。個々の医師に自由は少ないが、「若い時には医局に居て激務に耐え年を取ったら開業医になって高収入と余裕を得る」というキャリアパスで報いていた面がある。但し、このキャリアパスの仕組みは本質的にヤクザの鉄砲玉と同じである。
また、このキャリアパスでは常に開業医が大学病院勤務医の先輩になるので、医師会は開業医の発言力が圧倒的に高い組織であった。
医師に自由がなく医局が独善的に全て決めるということはさすがに前近代的だということで、この仕組みは弱まった。
そうなると、医療サービスの特殊な需給構造の中で、個々の医師が自らの経済合理性・医師としての信念でものごとを決めていくことになる。価格がニーズや需要を反映しないこととは、供給者サイドでいえば優秀な医師もそうでない医師も一件は一件で受け取りは同じ、ということである。
ここで生じたことは「中庸への集中」であった。保険金総額の制約があり、品質を過度に磨いても固定価格であることから、リスクを抑えながらその中で品質を保ち十分な件数をこなすことが多くの医師の最適行動になる。
最新情報に数年遅れをとる若いうちの僻地勤務はダメ、高収入でも業務はきつく医療訴訟のターゲットにされやすい外科はダメ、必要性は高くても医療訴訟のターゲットにされやすい産婦人科はダメ、等。これらは社会的意義もニーズも大きいが、そもそも自由に市場で売り買いできない医療サービスでは、「リスクに見合う価格」はもとからない。個々の医師がこれらを行う合理性は全くない。
結果として、個々の信念に頼るか、負担は大きくなっても別枠で予算を確保して充てることになる。
女子が外科等を選ばないということは、女子の方がより合理的な選択をしているということである。もしくはリスク許容量が少ない状況であるということである。
お前(受け取り拒否見たの)初めてか?力抜けよ。
当方の主張は「左のいつもの手口」。であるから左の類似事例を挙げてるわけよ。受け取れないように受け取れないようにやって、相手のせいにするプロパガンダ、もういつもの手口ですわ。
「その人」じゃなくて、左系はそういう行動をしばしば(100%ではないぞ)とるよね、様式だよね、という話なわけ。で、様式であることを示すために、ちゃらっと調べて出てきたのを張ってるわけ。チョコの奴は記憶だから曖昧だがね。どっかにいい無料のニュースアーカイバねぇかね。
今回通告してるし
んじゃ、今回の「抗議文」どうやって渡したんでしょうね。まず抗議集会の開始は、はい、「午後7時」。普通の企業団体ならもうとっくに店じまいだわ。そんな時間に判断がいるモノ受け取れるわけないでしょう。夜間警備の警備員しかいねぇんだから。婚姻届ぐらいだわそんな時受け取るのは。ちなみにご本尊のツイッターだと渡し損ねて記念写真が午後8時ごろですわ。そりゃ絵図が当たってニッコニコのエビス顔で記念写真も撮ろうってなるわな。
え、特級市民にして偉大なるLGBT様のためならカス自民党職員共は居残りでも残業でもしろと?そのために事前連絡もしましたと? さすが特級市民の皆様、ブラックだねぇ、下々にはそんな発想できねぇね。その事前連絡いつよ?それ、リスケできるタイミングじゃないでしょ?
で、この行動のどこに、真摯に相手方に文書を手交しようという意図があるの?
一方的に電話で通告するのが真摯なの? 時間外に呼びつけるのが真摯なの? 衆の力を借りて暴力的に囲むことが真摯なの? 判断もできない現場の警備員をいじめ散らかすのが真摯なの? すげぇな、偉大なる領導であらせられるるLGBT様って奴は。
大体「連絡した」っつってるの、片側の主張じゃね?それ丸呑みして相手のせいだっての、すでにプロパガンダの丸のみなわけよ。
で、絵図かいてはめた連中がいろんなところで「我々の聖なる抗議文を極悪なジミンは拒否した!特級市民様の声を聴かないジミンを成敗せよ!」とかやる。低能な支援者とか間抜けなブクマカとかが「まあ自民党やっぱり感じ悪い!1!!」ってなる。そりゃお左さまにしてみりゃウハウハ、低能釣りのために飽きもせず繰り返しますわ。左Aがやれば左Bがぱくって、それと連帯する左Cがコピッて、その団体から崩れたやつが流れ着いた左Dでもチャレンジして・・・・ってやってるうちに行動様式として定着するわけよ。
ちなみに、例えば、じゃあ45分後におまえんちか、お前の関係先に抗議文渡すからちゃんと受け取れよ、罪状は無断IDコールによる心的外傷で謝罪と賠償要求するからな? と言ったらどうするんだよ?受け取るのか?得体も知れねぇ野郎(or尼orその他な有象無象)を近寄せようとするか?
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180730024721
よくあることについてはご理解頂けたようで何より。
遺憾ながら左派はいついかなる時でも虚偽を言う事当然(ex.放射脳共が意図的にふりまくデマ、国会におけるイラク2外交官殺害米軍陰謀説を唱えた民主党)況やほかの状況においておや。
大体「通告」なるモノの内容時間はだれか公開してましたっけ?
それに党員が出ろとは言ってないよね?時間が遅いから最初から警備員に渡しててそこは問題にしてない。しかも最終的に受け取られたし
関係ない業者が受け取っていいものかどうかわからんのに押し付けようとする行為が是なんだ、ふーん。業者いじめやね。政治家なら、政治的な文章の取り扱い位どうすべきか知ってるのにわざわざ末端が困るように行動して恥じないわけだ。さすが特級市民にして偉大なるLGBT様はちげぇね
さらに言えば
https://twitter.com/KamikawaAya/status/1022910260418207749
いないこと知っててやってるわけですよ? これでイノセントだって言い張るんだ。さすL
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180730024721
公開され無くても自民が通告に抗議しない以上、常識的だったと理解すべきだ。警備員は関係ないというが、受け取り自体は業務内で行えて後に渡してるから、自民側から事前に話を回せばいいだけでは。
なんの証拠もなく、受け渡し側の言い分を丸呑みするという信仰告白であると受け止めます。しかし、こちらはそのような宗教を信じているわけではないので、説得には全く寄与しない言説でした。なお、相手側に強弱はあれ負担を強いるのはすでにして失礼な行為では。
その他にご異存はないようなのでまとめると
信じる根拠が身分だけ、というのは些か前近代的は御発想で素晴らしい奴隷根性であると申し上げたいと思います。懐疑の心ってやつは"身内"に向かんもんですな。議員がどのようなウソをつくのか、まさかご存知ではありますまいに。
合意していたら、そもそも騒ぎなぞにはならんでしょう。それほど
脱近代を目指しているとの情報を得た。気になって、テレビの取材と猪瀬氏との対談を読んだ。
1, 考えに対する、雑感
近代化できた日本人は少数で、残りは近代化すらできていないという、認識を(増田が)持っているので、脱する近代が無い様に思える。
大衆と一部のエリート(権力の中枢にも結構前近代がいる印象)は、前近代を生きていると思われる。
もし、彼が脱近代を目指しているとすれば、
・彼は、一度近代システムを受け入れ、その後、脱近代を考えている
・同じ様に、一度、近代化した人に向けて書いている
・近代化できない人々は、諦めている(システム的に管理する対象と考えている。まぁエリートはそうだな。)
と考えているっぽい。
2, 行動戦略
彼の目指すところは、脱近代 ≒ 人類補完計画 であり、そのための手段の説明に日本古来の概念を用いている、と予想している。
そして、どうもこれが、日本の面倒な(右っぽい)前近代的権力に対する戦略の様にも思われる。
3, 気になる点
・脱近代の軌跡の描き方
残りは読後に書く。
物理的に広大なスペースを長時間支配するというコンセプトがあの世代の感性にマッチしたからだと思う。
車もそうだが、情報化以前の娯楽はある意味前近代的なところがあって、物理的な空間の踏破と密接な関係がある。
逆に今の若者にゴルフがウケないのは、もちろん経済的制約も無視できないが、根本的に上記感性との相性が悪いという点があると思う。
情報化社会に生まれた人間にとって、物理的距離の支配が持つ意味は相対的に薄れる。
同時に高速通信の恩恵を受けることによって、短時間に大量の娯楽を消費できるようになった。(実際にコンテンツはそういう方向に進化してきている。)
そういう状況下においては、娯楽というものの性質が根本的に変わってくる。
本当は、情報化やインターネットというのは物理的距離・時間の踏破が飛躍的進化を遂げた1つの形だが、その断絶があまりに大きすぎるがゆえに、感性の部分で世代的断絶が生まれているのが現代社会の歪な姿だろう。
要約すると週末ゴルフはクソ
厚生労働省が公開している資料「公正な採用選考について」を見れば企業の人事担当者が守るべき基準というものが分かります。
求職者・就活生においては、その企業はまっとうな選考を行っている会社かどうかのチェックリストにもなります。
本人の適性・能力というキーワードが出てきます。仕事をする人材を求めている以上、本人の適性・能力を図らないといけないため、
本人の適性・能力に無関係とされる項目を考慮することは良い人材の採用につながらない、すなわち企業の損失になると考えて良いかと思います。
http://www2.mhlw.go.jp/topics/topics/saiyo/saiyo.htm
http://www2.mhlw.go.jp/topics/topics/saiyo/dl/saiyo-01.pdf
次の①~⑪の事項を、エントリーシート・応募用紙に記載させる、面接時において尋ね
る、作文を課すなどによって把握することや、⑫~⑭を実施することは、就職差別につなが
るおそれがあります。
本人に責任のない事項の把握
② 「家族」に関すること(職業・続柄・健康・病歴・地位・学歴・収入・資産など)
③ 「住宅状況」に関すること(間取り・部屋数・住宅の種類・近隣の施設など)
⑤ 「宗教」に関すること
⑥ 「支持政党」に関すること
⑨ 「思想」に関すること
⑩ 「労働組合(加入状況や活動歴など)」、「学生運動などの社会運動」に関すること
❷家族に関すること
「家族」の職業(有無・職種・勤務先など)・続柄(家族構成を含む)・健康・病歴(遺伝性疾患の家系であるか等)・地位・学歴・
収入・資産などを応募用紙や面接などで把握しようとする事例が見受けられますが、それらの事項は、本人の適性・能力に
関係のないことです。
そもそも、両親のいる家庭であるかとか、親などの家族がどんな仕事についているか、会社の中でどんな役職か、どれほ
どお金持ちかなどによって、本人の就職が左右されてよいはずがありません。また、親などの家族の状況から本人の適性・
能力などを推しはかろうとする考え方も、家柄を重んじるなどの前近代的な因習に基づく多くの予断と偏見が作用した
「面接において家族について尋ねたのは、応募者をリラックスさせるために、答えやすい身近な話題として出しただけ
であり、何かを差別しようとするつもりはなかった」などという場合もあります。しかし、ひとたび尋ねて把握してしまえ
ば、それは知らないうちに偏見や予断を招き、本人に対する評価・見方にフィルターがかかります。はじめは差別するつも
りはなかったということでも、結果として、把握したことが採否決定に影響を与え、就職差別につながるおそれがあるの
です。
また、家族について尋ねるということは、例えば家族の離死別・失業など、本人に責任のないそれぞれの家族のさまざま
な事情に立ち入ることにもなり、もし応募者がそれらの事情を尋ねられたくないと思っていたならば、本人を傷つけた
り、動揺させて面接時に実力を発揮できなくさせ、結果としてその人を排除してしまうことにもなりかねません。
家族に関することは、尋ねる必要がないばかりか、本人自身の適性と能力を公平かつ客観的に評価するためにあえて尋
ねないようにする考え方が必要です。
「住宅状況」「生活環境」「家庭環境」などは、そもそも本人の適正・能力に関係のない事項ですが、それらを把握すれば、そ
こから本人や家族の生活水準(収入水準・家柄など)を推測し、さらにそれに基づいて人物を評価しようとする考え方に結
びつくおそれがあります。
以上引用。
この考えで行くと、キラキラネームは面接で不利というのは、「家族に関すること」に関わり(名付けたのは親だから)合理的な理由がないということになりますね。
ふだん差別や人権にうるさいはてブ民が、女性専用車両には賛成一辺倒で頭がクラクラした。
確かに乗り込んでくる運動家はマトモじゃない。なんせ一刻一秒を争うサラリーマン様の通勤車両を12分も遅延させたんだ。よりによってなんで俺らがこんな目に……殺意を覚えるのも無理はない。
しかし、彼ら運動家を否定できる倫理的な根拠を、はたして我々は持っているのだろうか?
実のところ、今回の運動家に対して寄せられた批判を見るにつけ、賛成派は大した説得力を持っていないのではないかと改めて確信させられた。
以下は、ハフィントンポストの記事に対してスターを集めていた上位2つ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2018/02/15/woc-chiyoda_a_23363098/
そりゃ、プロレスラー専用車なら今回の事件が起きる確率は低いだろう。なぜならば、有無を言わさず力で排除される可能性が目に見えているからだ。しかし、これは明らかな論点のすり替えである。具体的には、運動家の主張の是非ではなく、「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っているのでないか」という行為の道徳性が疑問とされている。
そもそも、この運動は代替の効かない公共機関における、特定の属性を押しやる「専用車」それ自体が問題になっているのであって、なにも「女性専用」であることが問題となっているわけではない。今回のような示威行動が起きる確率は低くなるとはいえ、プロレスラー専用車でもやはり大きく問題になり、運動家は出てくるだろう。その場合、どのようにケチをつけるのだろう。今度は「殺人犯専用車だったら絶対やらないだろう。所詮その程度の連中だよ」とでも言うのだろうか?
また、仮に「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っている」としても、それは運動の価値を毀損するものではない。声を通せる場で声を通すことが重要だからだ。
この言説は本当に悪質で、「Aを利用している人間が不安に駆られる状況こそ、Aが必要な証拠である」と言っているに過ぎない。つまり、利用している人間が不安に駆られていなければ(満足していれば)、Aの必要性が証明されているし、不安に駆られていれば(満足していなければ)、なおさらAの必要性が証明されている、というわけ。一切の批判を許さないので、イデオロギーに近い。これは「共産主義に異議が唱えられ、圧力を受けている。同志の生活が脅かされている。これこそまさに共産主義が必要であることの証拠なのだ」という議論を考えてみれば分かる。どう思いますか?
賢いリベラルの集うはてブですら、こんなブコメがスターを集めてるのだから、まったくもって酷い有様だ。
ただ、浅薄なロジックはさておき、問題意識は理解できる。以上の2つはともに、女性専用車両とは「弱い者のための暴力からの隠れ家」であるとの認識に立っているからだ。ここでは、関係性は暴力の関係として解釈されている。ゆえに「より強い暴力を誇示できるプロレスラー」に、“ただの暴力”は萎縮するだろうし、「異邦者の闖入」という暴力が起きることこそが、暴力からの隠れ家の必要性を裏付けている、というわけだ。
この「弱い者にとって『暴力からの隠れ家』が必要なのではないか」という問題意識自体は真っ当だと思う。3つ目にスターを集めていた「痴漢被害によるPTSD抱えてる人でも乗れる交通機関は必要」というのは、優先席と同じで傾聴されていい。しかし、これを認めると、1つの帰結にたどり着く。
なぜ、女性だけが「暴力からの隠れ家」の恩恵にあやかるのだろうか?暴力に怯える人間なら、誰であろうと招かれてしかるべきだ。
つまり、女性は「暴力に支配された弱い者」なのか?そして、一般成人男性を排除することは、一般成人男性それ自体が潜在的な暴力の行使者であることを前提としているのではないか?
なお、女性専用車両に対し、「女性が『暴力に支配された弱い者』であることを認めるのか」というフェミニズム的な指摘は、欧米でも盛んに巻き起こっている。
例えば、英メディア紙The GuardianTelegraphでは、女性記者が率直に「女性専用車両は負けを認めることだ」と述べている。彼女によれば、「女性専用車両の導入は、性的暴行を所与とする(normalise)ものであり、あたかも原因が私達にあるかのように、状況平等志向から女性を取り除く(remove from the equation)ことが解決策だ、と世界に向けて言っているようなものだ」とのこと。そこでは日本が、メキシコやタイ、イラン、インド、ブラジルと同格の“人権後進国”として引き合いに出され、イギリスは導入することでそんな国、つまり今欧米で流行りのディストピア・ドラマ「The Handmaid's Tale」の世界のような、女性をモノのように扱う国と同じ方向には向かうべきではない、といったようなことが語られている。
http://www.telegraph.co.uk/women/life/women-only-train-carriages-keeping-women-safe-separating-men
「女性トイレやレディースデイはどうなのか」という賛成派の反論についても、女性専用車両の正当化には繋がらないことを提示したいがキリがないのでヤメておく。とりあえず、リソースの適切な配分(特定の属性だけが特定の扱いを受け、それ以外の属性が不平等な負担を強いられるべきではない)、代替選択肢の存在(「イヤならそこを使わなければいい」が可能か)、その施策が成り立つ前提の倫理的妥当性(女性専用車両なら「女性は潜在的な暴力被害者であり、男性は潜在的な暴力行使者である」という前提)において、質が異なる問題ですよ、とだけ。ちなみに、スウェーデンでは、属性によって分けるトイレから「個室トイレ」に向かっていっているらしい。
はてブの皆さん、差別や人権にうるさい皆さん、本当にこれでいいんですか?皆さんの大好きな世界標準から、馬鹿にされてますけどいいんですか?「日本人男性が世界標準以下の性欲アニマルだから仕方ない」で開き直っていいんですか?
余談だがロケットニュースでは、ニュースのタイトルが「【キモイ】今朝の東京メトロ千代田線の遅延理由が「頭おかしすぎる」と話題 / 男性複数人があえて女性車両に乗り込み……」となっている。この記事にも「然り!」のブコメが沢山ついていた。
https://rocketnews24.com/2018/02/16/1021546/
「キモイ」「イケテナイ」「ダサイ」「カッコワルイ」。こんな調子で、本当にいいんですか?ネット最後の良心だと思っていたはてブがこんな調子では、私は一体どこへ行けばいいんだ。
はてブにも良心があって安心しました。捨てたもんじゃないですね。ひとまず、Twitterとブコメで寄せられた、いくつかの重要な質問に答えます。
手段が低コストであることが、その手段に正統性を付与するわけではありません。あくまでもその手段で影響を受ける人間の利害関係によって調整されるべきです。これは極端な例ですが、麻薬犯罪を無くすために犯罪者と中毒者はその場で殺害、あるいは火事を鎮火させるために周囲の家を片っ端から打ち壊し。ともに「ラクな解決手段」ですが、 適切ではないのは明らかですね。
マシなものがないのではなく、マシなものが鉄道会社に選択されないから、そう思うだけです。これは上の「低コストで予防できるんだからいいじゃん」とも関係しています。ただ、監視カメラ・警備員の配置、満員電車の解消、あるいはより良いシステムの構築に向けた過度的なものなら悪くはないですね。
これは確かに一理あるのですが、この話をしだすと論点がズレるか、あるいは論点先取になっています(女性専用車両は痴漢対策だ。痴漢こそが対策されるべき問題である。よって女性専用車両は必要である)。かつて、盗聴法の成立時に「法の是非を問うより、盗聴されるような行為をするヤツをまずは問題にしろよ」という議論があったのにも似ています。もちろん、諸悪の根源は痴漢です。しかし、ここでは対策の方法がもたらす帰結(あるいは、そもそもその対策方法が妥当か)が問題になっているのです。
また、「痴漢を撲滅することの難しさが女性専用車両を生んだ」というのは「犯罪者を撲滅することの難しさが、(犯罪者の多くはAという属性を持つので)Aという属性はお断りの○○を生んだ」と言っているのと同じですが、これに何も疑問を覚えないのでしょうか?それでも特定の属性を「潜在的犯罪者」として括りたいのであれば、もう私からは何も言えません。入れ墨外人温泉入浴問題と同じですね。どうぞ、ファシズムに突き進んでください。
その存在を「暴力からの隠れ家」として否定していないことには注意してください。
もちろん、特定の状況下における「合理的区別」は合法でしょうし、鉄道会社の営業の自由も一定度は認められてしかるべきでしょう。すでに社会的に認知されていることをもって、女性専用車両の存在を「公知の事実」とする判例も出ています。しかし、ここで私が問題にしているのは、法律ではなく、倫理です(「まず痴漢の倫理を問題にしろよ」という方は、上記の3を参照してください。「いや、それでも合法だから正しいんだ」という方に対しては、これ以上私からは何も言えません)。
ちなみに、「障害者専用車両みたいなもの」という意見は、はてブ民が大好きな欧米のリベラルフェミニズムから相当な反発を食らいそうですね。深くは立ち入りませんが、この例えを安易に使うならせめて「骨折患者専用の障害者専用車両」に限定した方がいいかと思います。
アファーマティブアクションがいい例ですね。非対称性や権力勾配の是正措置自体は、それが段階的な解消を狙いとした施策であればアリでしょう。
ただし、代替手段のない公共サービスの鉄道、それも日本の通勤電車で、はたして導入されるべきなのか。また、そもそも車内における男性と女性の関係において、暴力的な非対称性が一般的に存在しているのかにも注目する必要があります。この存在を認めると「女性は庇護されるべき対象」となりますが、ここから先はカトリーヌ・ドヌーヴの議論にも通じるものがあるかも知れませんね。
それから、私が「逆差別だ」とは一言も言っていないことには注意してください。あくまでも、ここで私が問題にしたいのは、賛成派とされるはてブ民のくだらなさ、何よりも“潜在的な何か”を理由にした排除の論理は、新たな権力構造を生むだけではないか、ということです(女子トイレなどとの比較は、別のホテントリにお任せします)。
しっかりと読んでいただければ分かるかと思いますが、私は「暴力からの隠れ家」として特別枠が設けられることには、否定的ではありませんし、優先席も公正な資源配分の観点から注目すべきだとは思っています(廃止すべきだ、という議論を完全に否定ではできませんが)。
これはシンプルな代案ですが、「ケア車両」はどうでしょう。暴力に怯える人は誰でも入ればいいじゃないですか。その代わりその車両には、監視員や監視カメラをガンガンに配置する(もちろん通常車両もなおざりにして良いワケではありません)。監視の目が行き届くよう、乗車の人数制限も設ける。
これである程度は、無関係な人間による車両乗車への抑止力が働くでしょう。それでも「傍若無人なオッサン」が闖入してくる可能性はありますが、実のところ彼を排除する合理的な理由はどこにもないでしょう。
「女性専用車両よりもコストがかかる」というツッコミがあるかもしれませんし、「じゃあ早速オマエが鉄道会社に直訴してこいよ(笑)」という揶揄もあるかもしれません。しかし、コストがかる&直訴されて突っ返される可能性が高いからといって、この歪な構造、そして痴漢犯罪が「女性専用車両(あるいはケア車両)」を免罪符にして放置されていいことにはならないのです。
いろんな意見があるかと思いますが、これについては私のスタンスが勘違いされるのも野暮なので、ハッキリ言っておきます。対抗して男性専用車両を作るのは、個人的にはトラブルを増やすだけだと思っています(総量を男女比に応じて適切配分するのはアリかもしれませんが、はたしてそんな前近代的なディストピアの到来を望みますか?それで賛成派の皆さんがいうところの「非対称性」は解消されますか?)。そもそもトイレや風呂と違って、ジェンダーやプライバシーが密接に関わり合うようなものでもありません。
しかも男性専用車両を望む男性の皆さん、男性専用車両があるなかで一般車両に乗ってしまい、冤罪に遭った時のことを想像してみてください。もう、どうなるか分かりますよね。ちなみに、同じことが女性にもすでに起きています。こういうの、警察(「なんで一般車両に乗ったの?」)と鉄道会社(「専用車両を用意したじゃないですか」)が笑うだけなんですよ。男や女に対する排除の論理ではなく、上で挙げた「ケア車両」のような“包摂”の論理で対策を考えませんか、と私は思うんです。そもそも鉄道会社が誰かをケアする義務を負うのか、という根本的な問題はありますが。
これは、以前Twitterで流行った「『告発を無力化する話法』として無力化する話法」ですね。特定の集団が抱えている痛み・苦しみが、特定の属性の排除を許すわけではありません。もちろん、何度も述べているように被害者の痛みに寄り添うことは大切だと思います。ただ、そうであるならば「痛み・苦しみを抱える人」は、男女関係なく包摂されるべきではないですか?もしかして、その有無・大小を性差(しかも外見上の特徴)で見分けるのですか?
出生率の低下に喘ぎ続けて、四半世紀以上経つけれど、最近の学校関連の報道を見てると結構納得するよね。
世帯収入、保育園等々を含めた子育て支援の手厚さ、そもそも日本の先行きがヤバすぎる気しかしない等々…。
こういう話題の時に必ずと言っていいほど言及するように、上に挙げたようなマクロ的な影響は大きい。
大きいけれど、
上に挙げたような要因の影響もかなりあると思う。
折角子供から手が離せそう…と思ったのに、意味の分からない・明らかに必要じゃない儀式じみたルールを課せられてしまう。
結婚相手を探すのも大変、産むのも大変、産んだ後職場に復帰するのも大変、義務教育段階になったら大変、高等教育は金がかかって大変…。
子供を産んで育て上げるまでの全てのフェーズで立ちはだかる障害がみんな分かっちゃってる。
子供を産んだ後の生活が明らかに前途多難すぎて、「子供を産まない方が幸せだよね!」「っていうか結婚しない方が幸せだよね!」って結論の人は多いよ。
まあ、どうでもいいけど。
そりゃ「ズルしてる」のは野党やシンパやマスコミだと思ってるからだよ。
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マスコミも野党もあれが出るまで、まるでもう安倍夫人が大金を寄付していたと決めつけて宣伝して拡散していたよね。
なのに手書き領収書が出て、講演料を受け取らなかったのを森友側が勝手に寄付金扱いで処理しただけらしいってことになったら、それまで「大金寄付されたのは間違いない。とんでもない問題だ」と言って、国民に結果的にデマをまき散らしていたことを一度も謝罪せずに話をすり替えた。
加計問題でも、安倍総理側の主張や玉木を批判している民進議員の証言はほとんど報道されない。
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国民を不正確だったり憶測を元に印象操作して、間違っていても知らん顔して訂正しないことは「ズル」以外の何物でも無いけど、反安倍さん達は自分たちのズルには異様に寛容だよね。
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ネトウヨというか、モリカケに批判的な人たちは、安倍総理は野党と「マスゴミ」の卑劣なズルの被害者だと思ってるわけよ。被害者に同情するのは当たり前。権力者だから同情してはならないとかいう人たちは「自分が権力者認定した相手には人権はない」ていうリベラルの基礎である天賦人権説を否定する前近代的な人間で、単なる自分より偉い奴が嫌いなだけなんだろうなと思ってる訳ね。
波風立てたいマンが大騒ぎしてるバニラエア騒動だけど、なんで人に迷惑をかける行為が正当化されるのか全く理解できない。
しかも、黒人差別と比較して人に迷惑をかけることで社会が変わってきたとかいうトンチンカンなこと言う奴まで現れる始末。いや、バリアフリー推進ってもう法的にも社会的にも認められてますけど?黒人は奴隷だってことが決まってて、なんの権利なくも法的な保護も世論の支持もない人たちならそうするしかないのは十分理解できる。
けど、バリアフリーに関してはもう既に認められてることだ。相互理解に基づく建設的な対話によって推進されることに決まってる政策なんだよ。対話をする権利、認められない時に法的、社会的に訴える権利を奪われてる人なんかいない。
ねーよ。
本人の人柄や行動が立派でも、女系になっただけで皇室に手のひら返して敬意を捨てるって?
そんな薄情なクズはごく一部だろ。
結局女性宮家反対派の根拠って「昔からそうだから」以外に何もないの?
法的/社会的な位置付けも仕事の内容も服装も住んでるところも変わったのにそっちはスルーなの? ダブスタやん。
伝統を変えたら断絶するってなら、戦後に象徴天皇になった時点でもう断絶してるだろ。
つか「2000年間男系だった」って、「2000年間男尊女卑社会だった」ってだけじゃん。ただの恥じゃん。
時代を考えれば仕方ないんだろうが、今改めない理由にはならんよね。
直虎うんぬんも話にならん。なんで封建時代の家制度前提の話を持ち出してんだよ。
「外から嫁が入ってもストーリーは途切れないが、婿が入ると途切れる」ってどういう理屈なのか論理立てて説明できるのかよ。
まあ国民の総意に基づくんだから、国民の多数が抵抗感があるなら認めなくてもいいとは思うけど。
実際のところどうなんだろうなー。
万世一系なんて気にしている人が多いとは思えないし、とりあえず親子関係さえあればいいやって人が大多数じゃないの?
そもそも論を言うなら血筋をありがたがるなんてのは前近代的な恥ずかしいことだし、人は生まれながらに平等という人権思想にも反している。
とはいえ慰問に喜ぶ人もいるし、結婚や出産の話題があれば何だかんだで明るくなるから、そのへんはまあ目くじら立てず棚に上げてるのが今の天皇制でしょ。
教科書には、第一次世界大戦から総力戦になったとか書いているだろうが、戦国時代から既に総力戦になっている。戦国時代後半には足軽という非正規雇用が進み、職業軍人だけで戦争をしているわけではなくなった。安土桃山時代には、鳥取の飢え殺し(かつえごろし)という事件が起こっている。兵糧攻めでも降伏しなかったので、領民までもが餓死し、共食いも起こったらしい。死体を食ったようだ。
経営者や管理職が自己や組織の対面を維持しようとすれば、非正規雇用から犠牲になる。戦争ともなれば、兵士でなくとも犠牲になる。
桃山時代には刀狩りが行われ、つまり民間人に対する武装解除が行われて、職業軍人の時代に再び戻された。
今でも、兵士と民間人を区別して、「民間人を巻き込むな」と批判することは一般的だ。しかし現実には、民間人は普通に兵士として使われる。
「大東亜戦争」では、通称「赤紙」が乱発されるが、これは民間人に対する徴兵。軍事工場を普通に空爆しても、そこで非戦闘員が労働している。学徒動員とかいうのは、職業・学生を軍事産業に就労させたわけであり。さらにクソ愚かなことに、竹槍持たせて戦闘訓練をしたりとか、焼夷弾で空爆されるのにバケツリレーで消火しようとか、これが現実じゃなければ爆笑ものである。
全国民が一丸となって戦おうとか言うと、もしかするともしかして美談に聞こえたりもするのかもしれないし聞こえないのだろうけれど(笑)、一般人を犠牲にしてでも体面を維持して、少しでも有利な条件を引き出そうとする卑怯な、組織の論理だぞ。しかしこの手法がまともに通ずるのは前近代の戦争までさ。
前近代の戦争ならば、敗戦するのにも一矢報いて有利な条件を引き出そうとしたわけさ。例えば戊辰戦争にしても箱館に立てこもって楯突いたのがいたわけで、戊辰戦争後には、既得地位を奪われた人々に対して北海道を知行するという補填が行われている。そうして大名が移住して開拓したり、下級士族が屯田兵に転職したりしたわけさ。けど、こういうのは前近代的な、取引としての戦争だ。
絨毯爆撃して沖縄戦しても屈服しないうえに、特攻してくる連中見て、アメリカ人はビビったんだが、ビビったからなおさらに無差別に殺戮してきたさ。そいで、広島と長崎は原爆の実験台にされたんだぜ。結果、敗戦したうえに、天皇制維持をかろうじて死守しただけだろ。交渉になっていない、むしろやればやるほど失われたってこと。同胞を捨て駒にして、なんの得も無かったんだから、実に、実に、クソバカだ。
歴史に学んでいない。歴史を学んでいないんだろう。今も学んでいないのだろう。教えられる奴も居ないんだと思う。まだまだおんなじことやり続けるんだろうね。今でも、人は国家社会の歯車だろ。会社人間とか企業戦士とか、そして社畜とか、丁稚奉公の時代から変わっていないしな。丁稚奉公の時代だから未だに毎年数度は「帰省ラッシュ」が起こるだろ。滑稽で笑われるような現象だけど、異常だという自覚すらないようだね。休日を国家が決めていて、皆それに合わせないと生きていけないとかいう(以下略)(笑
景気が悪化し続けるのも当然で、国家のために増税したり、企業のために人件費削ったりして、組織構造を優先して、所得や雇用を減らすことばかりやっているからね。遣えるカネないんだから、消費は増えない。採算をとるために人件費削るのに必死で、企業すら多くは遣えるカネ無いしね。建前では戦争やってなくて平和ってことになっている今も、実質的には戦時中だな。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/230558/031000011/
ブクマ長くなったんで格納っぽく。
父親である朴正煕は、最貧国から脱出することに力を注ぎ、貧乏な国民を見ると「申し訳ない」と涙を流した。同様の思いは、朴槿恵氏からは全く感じられない。
藩基文(パン・ギムン)前国連事務総長だ。「韓国の大統領には、国家と国民のために、自分の人生を犠牲にする覚悟がいる」と、著名な政治家から決意と信念を求められた。彼は、大統領選への出馬を表明しながら、突然撤退を表明し、国民と国家を捨てて逃げ出した。ハーバード大学の教授になるという。国民のための苦労を嫌い、自己の利益と名誉を選んだ。
韓国には、国家と国民のために自らの人生を犠牲にする、覚悟ある政治家はいないのだろうか。韓国の友人の未来を思うと心が痛む。
そうやって朴正煕を持ち上げますが、朴槿恵の父親である朴正煕は暗殺されて終わったよね? 歴代大韓民国大統領の人気ランキングNo1の自国大統領を暗殺しちゃう国が韓国なわけだ。そんな国やそんな国民が「自らの人生を犠牲にする覚悟ある政治家」なんて求めるのがおかしい話だとなぜ思わないかな? そもそも人生の生贄を要求しないと回らない政治体制は前近代的でおかしいでしょう。
あらゆる仕事に対して報酬は適正に有るべきだ。この報酬は金銭のみならず敬意や理解、さらには周囲の協力も含まれる。韓国は、指導者に適正な報酬を今まで支払ってきたのかな?
朴槿恵を政治的に擁護する気はまったくないし、おそらくそういう動機ではないと思うけれど、「父親を暗殺された娘が生涯をかけて、故国をめちゃくちゃに破壊する復讐の物語」だとすれば、ヒューマンドラマとして俺個人は一定の理解できるよ(重ねて言うけど、そんな確固たる意思の選択ではないと思うけれど)。