はてなキーワード: 刺繍とは
服を買うのも楽しいし、その日のコーデの色の組み合わせを考えるのも楽しい。
黒、白、ベージュ、紺、グレー、ブラウン等の馴染みやすい色の服ばかり着ていればファッションの知識がなくてもおしゃれに見えるし周りから浮かないのだが
周りに影響がある赤や緑や黄色やピンクや青の服を着るのも楽しい
無地の服は着まわしがきくし、大人っぽくおしゃれに見えるので、一時期は無地の服しか買ってなかったが最近は刺繍の服や柄物の服も買っている。
他人のコーデを見るのも楽しくて
東京住みなので外に行けば美人でスタイルのよいおしゃれな女性がたくさんいて目の保養になるし、雑誌からでてきたような流行の格好をしている人がいて面白い。男性の白Tシャツに黒パンツはもう見飽きたわ。白Tシャツにベージュのパンツの組み合わせの男性を見つけて、「あ~その色使い好きだー」と思ったり
SNSでおしゃれな人のコーデ見るのも楽しいし、YouTubeのLOOKBOOKを見るのも楽しいし
コスメは底無しの沼だが服も底無しの沼
一生楽しんでいられる
正直、私は煮詰まっていた。
推しのコンサートのチケットが全く、もう全く取れないのである。
ファンクラブに入っていても番号が新しい為、チケット抽選のふるいに掛けられてもピッと弾かれてしまう。
今推しているグループは、どうやら古参番号の方が取れやすいようで、新しい番号では中々どうにもこうにもチケットが取れない。
数少ない私の友人の中にも某J事務所のグループを推している子がいる。
その子もファンクラブの抽選が全滅だったにも関わらず、なんとコンサートには何度も行っている。
高額転売から購入するでもなく、定価で。定価で。(定価is正義)
なぜならその子は当選しなくても、その子のオタ友が当選して、同行者として友人が参加しているからである。
私もオタ友作りたいな…!?!?!?(もう目が完全チケットになっている)
ただ友人の話を聞いているとオタ友の中にも色々しがらみがあるらしく、
成人した女性のするような喧嘩か?女子中学生か?と思うような内容も多々。
(私以外の人と仲良くすると妬いちゃうな、コンサート他の人と行こうとしてたの酷い等々)
それでも私は、推しに会えるならいいじゃん!推しに会いたい!会いたい会いたい会いたい!
例えキャットファイトを繰り広げようとも推しに会えるならいいじゃん!いいじゃん!会いたい会いたい会いたい!
よしオタ友作ろう!(もう目が完全チケットになっている)
知り得る限りではオタ友作りにおいて必要ツールは【Instagram】か【Twitter】だが、
Instagramは写真や加工センスが問われるため私には無理。ないない、センスない。
推しの写真とメンバーカラーのドライフラワー、果物、小物らを並べて写真撮ってそれっぽい英単語加工してとか、アー無理無理。
あの推しの誕生日に飾り付けるオタク達は尊敬する、私には出来ない。そんな物臭女なんだけど推しは大好きだよ…。
ただ独り言をつぶやいて信者(フォロワー)が出来る程のセンスは持ち合わせてないし、
絵も描けないし、
#○○推しと繋がりたい
#○○好きと繋がりたい
こういったタグ付けをしている人にメンションを取るのだ。
どうせオタ友を作るなら楽しくやりたいし、自分はこういった人間だよ、とTLにも極力出すようにした。
それでもよければ良かったら仲良くしてくださいな、よろしくお願いします、と。
いくら推しに会えれば良いとは言え、やっぱり避けれるもんならキャットファイトは避けたい。
そしたら徐々にお話が出来る人が増えてきた。
共通の推しがいるって強い。こんなにも話が続くものなんだ、と改めて推しへの愛を再確認出来たのと、
オタ友とのやり取りにも楽しさを見出すことが出来た。
ねえ会ってオタ活しようよ!という話になり、聖地巡礼、鑑賞会を行った。
わ~~~あ~~~~たっのし~~~~~~☆彡☆彡☆彡
と純粋に思っていたのだが………
内容は推しの事だったり仕事の愚痴だったりプライベートなことだったり。
えっ距離感!
推しの話は良いとして、仕事の愚痴、プライベートなことはオタ友じゃない友達にプリーズ?????
いや、分かるよ。オタ友から始まったけど、意気投合してプライベートでも会うようになりましたっていうのも実際にあると思う。
始まりはオタ友でもバイト仲間でも良い、けどTwitterのやり取り1週間程度、初めましての1回でこの距離感の詰め方~~~~~!!!!!
分からない、私が根暗だからその距離の縮め方に引いてしまっているのかもしれない。
でも心底どうでもいい、取引先の人に言い寄られてるとかそんな話は心底どうでもいい。
昔からそうだけど、男女問わず出会って早々にグイグイ来られると引いてしまう自分がいる。
「この人なんて気さくな人なんだろう」ってポジティブに捉えられない。
この私の不信感、紐解けば自己肯定感の低さとか、自分に人を引き付けるような面白さや魅力がないってネガティブに思っているとか色々あるんだろうけど、今回の場合はこうだ。
【私がチケット目的でオタ友作りを始めたように、相手も同様チケット目的なのではないか?】
たくさん居るオタ友の中からふるいに掛けられて同行者が決まるのだ。
あのオタ友の一番手・二番手・三番手となる相方にならねば同行者の道は閉ざされてしまう。
だから相手もあの手この手で「私は心開いてますよ」「あなたのこと好いてますよ」と必死なのだ。
片手で足りるくらいしかいない、リアルな友達にだって、「うん私はあの子の一番だな」なんて自信を持って言える子はいない。
そこから更にSNSの海を泳いで一番二番三番手になるなんて…気が遠くなる。
それでも推しに会える可能性が増えるのなら頑張ろう、と目をひん剥いてる状態が今。
私の場合、動機が推しに会う為、なもんだからこんなに息苦しいのだろうか。
いや純粋に推しの話してるだけでも楽しいんだけどね。難しいね。
でも小さくて深いオタクの世界、やっぱりどこか人を惹きつける才能がある人は居るもんで、まあこの人ステキって近付こうとしても、
チケット目的だと思われたら嫌だな…なんて奥手になっちゃう自分がいる。
あ~~~~感情めんどくせえ~~~~~~(でも推しに会いてえ~~~~~~~)
タイトルが「オタ友こわい」なんだけど、私は何が怖いんだろうって考えた時に、出会って間もないのに近すぎる距離感と、オタ友(ゴリゴリのチケット目的)っていう新たな試みに対しての緊張感?緊迫感?に対して胃がキュ~ッとなって、「あ…コワ…」ってなってる。
記憶の限り一番古い自分の財布。パステルカラーので手のひらサイズ。地元の駅ビルに入ってたファンシーショップみたいなところで買ってもらった。自分で支払う場面がない年頃なので持ってる意味があったかは分からない。
どこで買ってもらったかは覚えていない。財布の端にうさぎとクローバーの小さい刺繍があった。子供心に気に入っていたのに外に遊びに行った時に紛失した。その日行った道のりを丸っと探したのに見つからず半泣きで家に帰った。中には20円くらいしか入ってなかったのだが、お気に入りの財布をなくしたのがとにかく悲しかった。
例のバリバリするやつ。どこでどう手に入れたのかは記憶にないし、使うたびにバリバリいうけど、お金の取り出しやすい財布だった。最近は子供の財布が話題になってたけど、自分の財布がバリバリいうことで友達付き合いに変化があったか?と聞かれても特にそんなことはなかった。まあ10代にもなると似たような人で交友関係を築くようになるから、ブランドなどにこだわる人たちと縁がなかっただけかもしれない。知らんけど。
修学旅行の前に買い物に出かけた時の「折角だからお財布買い替えたら?」という母のすすめで新調した。特にブランド品でもなんでもないけど、色んな財布が置いてある陳列棚の前で母とああでもないこうでもないと財布選びをしたのは覚えてる。
2~3年使って、傷みとか何かしら気になる部分ができたら買い替えている。相変わらずノーブランドの何千円みたいなのを買ってるが、それで不便や不満を感じるでもないので私にはあってるのだと思う。
改めて書き出したら、昔の財布のことを結構覚えてたし自分なりに思い入れもあったんだなと実感した。
余談だけど、ブランドの財布欲しくならないの?と聞かれたとしても正直いらない。昔からブランドに興味がなかったし、ロゴとかモノグラフの入ったデザインにも魅力を感じない。でもそこに価値を見出してる人たちがいるのも確かだろうから、他人がブランドにこだわってても外からとやかく言うものではないな、という程度の分別はつけてるつもり。
いわゆる今!
世の中で流行ってる餃活ってわけ。
私は初めてニンニク餃子を挑戦しようと思って張り切ってニンニク増し!って言ったつもりだったけど、
もうさ、
うーんってなったけど
食べてみることができて良かったんだけど
私のニンニク餃子チャレンジが惜しくも達成できなかったわけなのよ
挑戦すらさせてくれなくって。
私にも自覚があったの。
はて?待てよ!
ちょー待てよって思ったけど
その日1日モヤモヤしていたんだけど、
なんで目の前で聞いて聞き間違えるのかしら?
私はハッキリ言ったつもりだったけど、
まあ仕方ない餃子後の祭りフェスティバルってことにしておいて、
それはそれで楽しんだわ。
でもなんだか不燃焼感が拭えなくて、
餃子の焼き加減は良かっただけにってやかましーわ!って言いたいところだけど、
また再度ノールービーで餃子チャレンジしなくちゃーって思ったわ。
意外な発見だけど
ノールービーだとなんだかものが酔いに誤魔化されずに味がしっかり味わえる気がするのは気のせいかしら?
新大陸でもあるし、
世界ふしぎ発見でもあるわけなんだけど、
でさー
船で公開しているときに
あの望遠鏡みたいのを除いて
あれは新大陸だ!って開口一番言ったのかしら?
地球一周して元来たところに戻ってきてるくね?って。
でも逆に言うと
向こうに新大陸があるとも限らなかったわけじゃ無い。
天動説を唱えていた頃
あの亀の海の縁から落ちたら怖くね?っておじけづく船員もいたはずよ。
だからあの船に乗っていた人たちって
本当に大冒険だったのかも知れないわね。
それに比べたら私の餃子チャレンジが1回ぐらい失敗したからって
くよくよしている場合じゃないわよ。
って餃子新大陸って検索したらお店名がヒットしてくるから笑っちゃったわ。
発見してないつーの。
うふふ。
昨日買って食べ損なって私を見損なわないで欲しいんだけど、
私海鮮モノ大好きなのよね。
絶対あったら欲しいんだけど
牡蠣と虎が睨み合って一触即発な様子の背中に刺繍の入ったスカジャンがあったら絶対買うわ!ってぐらい海鮮なのよね。
朝その海苔巻きだったので、
アガリだけにって
てへ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
・ノーアクセサリーはだめ
・ファーは殺生を想起させるからダメ→なら肉料理出さないでくれる?
・フェイクファーは毛が抜ける=縁起悪いからダメ→結婚式はハゲ禁止なのか?
・膝を出すな
・肩をだすな
・肩をだすな(キャミソール型のワンピ禁止派)→Tシャツの袖が無いだけみたいなやつはOKってこと??
・肩をだすな(ノースリーブ型のワンピ禁止派)→二の腕の上部をだすなってこと??
・2つに分かれるを連想させるからツーピースはだめ→スーツは???????靴は????イヤリングは??
・キラキラ素材やジュエリー飾り、スパンコール系は夜ならOK、昼はダメ
・2つに分かれるを連想させるからバイカラーはダメ→もうお箸も禁止にしよう
・生足NG
・ブーツ禁止
これらは結婚式のルールだから披露宴だけならもっとフリーだよ派もいて意味わからん。
あーあ、
中田ヤスタカさんとの出会いがなかったら今のパフュームはなかったです!とかって私も言いたいわー。
ファミレスでさ、
私見ちゃったの。
注文の料理が来た寸前の直後に離席したお客さん私の目の前の人、
「あらあらダメよ」なんてお母さんは言いながらうふふなんて笑ってて
だれも見守られてない中よく離席できるな!って
苺を食らわば皿までって言うけど、
さすがにそれはないわー!って
みんな他人を信用しすぎなのよ。
戻ってきたハンバーグのお客さんは何食わぬ顔というか素知らぬ顔してと言うか知らぬが仏というか
私はただならぬものを事件を目撃したことを目にしてしまったことを
誰にも告白できずに
私の目の前に起こったことを
書き記しているところよ。
食事きて誰からも見守られてない中で離席するのは危険すぎるわって。
もっと、
あれがニューヨークだったら
ニューヨークのと言うかアメリカの地下鉄で居眠りなんて出来ないぐらい、
寝てしまったらハンバーグまるごと持っていかれて食べられる始末よ。
持続可能な開発目標を持ったなんだか環境に優しいままのハンバーグでもあるし、
一人で料理残して離席するなんてありえないわ。
でさ、
離席していない間に料理が未完成だと気付いてシェフが慌てて厨房から出てきて、
テーブルで仕上げるって方がまだマシじゃない?
樽みたいなデカいチーズの塊の凹みにご飯入れて目の前で調理的なと言うか仕上げ的なと言うか
どのぐらいでいいですか?って
私は良い頃合いでストップ!って言うタイミングを失ってしまって
もうチーズまみれだったわ。
美味しかったけど。
そういうのとは訳が違うから
やっぱりファミレスで一人料理を残して離席して未完成だったならまだしも
もう大将!指丼に入ってるぜ!って言うのともまた訳が違うのよね。
パフォーマンスの一環でもあると思うのよ。
あれって結局。
でもでも、
ちびっ子がハンバーグに指突っ込んであらあらダメよってお母さんも笑いながら通り過ぎて言ってしまうのは
あれはなんて言うのかしら
ハンバーグ食べる人が気の毒というか
ほんとうに知らぬが仏とはこのことだわって
子どもちゃんがハンバーグに指突っ込んでるイラストにして欲しいわ!
さすがにこれこういうイラストはいらすとやさんにはないと思うけど、
その後に通り過ぎたお客さんが着ていたスカジャンの背中の刺繍は虎と馬が睨み合ってる刺繍で、
もう本当に絵に描いたように私の目の前でトラウマが通り過ぎていったわ!って
このハンバーグと虎と馬のスカジャンの背中の刺繍のことは一生忘れないわ!って
思い浮かべる1つのシーンだと思うわ。
居酒屋でさ、
一人ホッケを頼んで離席した隙を狙われて骨だけ綺麗に取り除かれていたら
それもそれで恐怖じゃない?
知らない間に骨が取り除かれて食べやすくなっていたら
違う違うそうじゃない、
ほっとけないわ!ってな感じよね。
うふふ。
し、しかも1個1000円とかするんですってー。
どんだけ良い美味しいおにぎり食べてるのよ!って思うわ。
でもそのお店の拘りがあって
どちらかというと
運んでくる水代の方が高いとか言ってたわ。
そう昨日見たグルメおにぎりチャンネル「松坂弘樹の世界を握れ!」って番組で見たのよね。
水筒にも入れて持っていくわ。
この時期はホッツがなにかと捗るわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
そんなん当たり前ちゃうの。
社会学の研究で「強力効果論」というのがあって、悪い内容の本は読者を悪い行動に走らせるわけ。
そうなる前に誰かが止めないと。
https://twitter.com/dankanemitsu/status/1455696455004405761
2019年、カナダのオンタリオ州南部にある教育委員会が学校図書室から「原住民やマイノリティに対して差別的な表現」等が問題とされた図書4700冊を処分。30冊ほどを「浄化の儀式」として焚書。その灰を植えた樹木の肥料とした。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/船橋市西図書館蔵書破棄事件
船橋市西図書館蔵書破棄事件(ふなばししにしとしょかんぞうしょはきじけん)は、船橋市西図書館の女性司書だったA(実名非公開)が、西部邁や新しい歴史教科書をつくる会会員らの著書計107冊を、自らの政治思想によって独断で除籍・廃棄した事件[1]。
Aが執筆した童話絵本『ぬい針だんなとまち針おくさん』を、船橋市立図書館が35冊も購入し所蔵していたことが明らかになっている[21]。これはベストセラーである『世界の中心で愛を叫ぶ』(23冊)や『負け犬の遠吠え』(16冊)よりも多かった[注釈 2]。またAが翻訳した『メリーゴーランドがやってきた』も32冊が所蔵されていた[注釈 3][注釈 4]。
この事件の調査中にも、服部公一著作の「作曲入門」という本が寄贈された当日に除籍されたり[注釈 5]、女性に人気がある『刺繍の入門実用書』が購入の1週間後に除籍されるなど、不審な処置が次々と明るみにされた[22]。図書館長は『刺繍の入門実用書』については、掲載されている刺繍のデザインの1つにヌードをイメージしたものがあり担当者[注釈 6]が気にくわなかったのだろうと述べた[22]。
ありありやありなし、なしあり、
それよりか、なしなしって言う方が大人っぽくない?
いや、
ありなし、って言ったときと
なしあり、って言ったときで
砂糖とミルクどっちがありなしなのかその順番も気になるところだけど
あり寄りのなし、なのか
なし寄りのあり、なのか
弱めの中火とか強めの中火とか
なかなかフィジカルには難しい調整でもあるように、
きっと砂糖とミルクの絶妙などちらかに寄せるテクニックがあるのかも知れないわね。
でさー
話し変わるんだけど、
今日の日替わり何かなーって
私のもう一つの肩書きである日替わり定食探検家の異名を持ちまくっているんだけど、
私がメモしておいた
今月の日替わり献立表をみたの
私すっかり忘れていたけど、
もう10月じゃない。
てっきり10月の日替わりカレンダーも書き留めておいたと思っていたら、
思いっ切り9月のままで
窓から放おり出して捨てる様のように
すっかり月替わりしていたことを忘れていたわ。
だから今日また新しい今月の献立日替わりメニューを侵入調査すべく、
お店の前に今日の日替わりはこれです!って写真が掲載されているサイネージパネルちっくなものがあるんだけど、
今日初めてテーブルに座ったときに今日の日替わりはこれね!ってお楽しみクジを引くかのように楽しみにしていたかったので、
いやペッパー君より仕事できてるそのサイネージパネルを見て見ぬふりして
知ってた?
不覚にも頭を打ちつけてしまうところだったわ。
で早速私は今月の日替わりメニューを極秘入手してこれもこっそりなんだけどスマホで写真撮ったからもうバッチリよ。
もうそろそろフライトの時間ね!ってユリオカ超特Qさんが出発の時間になるより前に食べきらないと行けないフライト前のさ
ご飯食べようって思っても搭乗手続きする前だとソワソワしちゃうじゃない?
ハッキリ言うと私あまりこの
コスパに見合わないというか、
元気を出してって言い出しそうなぐらい大人しめの少し痩せたそのハンバーグに似合う服を探しに街に出るように控えめなハンバーグに
これまた大人しめの以下省略的なこれまた同じような痩せている海老のエビフライって二重表現をしても足りないぐらいの細い海老フライなの。
でも今日のエビフライトハンバーグ日替わりにも良いところがある!って私はそれらの良いところを10個でも見付けようとしてみて味わってみたの。
初回私はあんまり良い印象を覚えていなかったから期待していなかったんだけど
グルメレポートで「ふわふわ」「柔らかい」「ヤバイ」って3ついうボケを全部出来てしまいそうなほど
口当たり良く肉汁がほどけて溢れてきて
以前はバーグ、
揚げたてでサクサクで、
私はまたグルメレポートでいう3つのボケを言ってしまいそうだったほど美味しいのよ。
そこには大海原をかつて自由自在に泳ぎまくっていた海老の姿が見えたの!
活きが良いってことことなのね!って
箸ですくって海老フライに乗せようとしたタルタルソースが箸から落ちてしまって
タルタルソースも活きが良いのね!って
もうまだ5つぐらいしか良いところが見付かってないのに
10個良いところが見付かった気分になったわ。
でも5つで充分だったわ。
私のお腹は満たされたんだもん。
背中に牡蠣と虎がにらみ合っている刺繍が施してあるスカジャンを見たときのように
これもハンバーグと海老フライが定食としてそのステージで戦っている刺繍の施されたスカジャンが見えたのよね。
だから良いモノ見たな!ってね。
お腹も心も大満足ってワケ。
うふふ。
鮭おにぎりよ。
たまに食べる朝の鮭おにぎりが身体に染みウマで美味しいのよね。
そのままパリパリとパリで食べなくてもパリパリな海苔を海苔だけでいただいた方がいいわね。
ちょっとホッツ白湯ウォーラーからたつ湯気で炙るように海苔をかざせば
しっとりとしたタイプ手前の海苔にもなるから一度試して欲しいわ。
そう言うメリットもあるのよね、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
こんなとこに書いても無駄かもだけど。
メンタルを安定させたい。
今年初めて彼氏ができて、ずっと好きだった人だからすごく嬉しいし、ご飯に行ったり遊んだり、すごく楽しい。ラインでおはようってくるだけで嬉しい。
でも彼氏は資格の試験を受けたいらしくて、最近勉強で忙しくてなかなか会うことができない。お願いしたら電話してくれるけど、二週間顔が見られなくて寂しい。
寂しすぎて逆に別れたいってなったけど、やっぱりすごく好きだし、別れたらめちゃくちゃ悲しいと思う。
実際付き合ってって言ったときに、事前に勉強が忙しいから彼氏っぽいことは出来ないかもとは言われていたけど、それでもいいよって言ったのになー。
人間の欲にキリがないみたいで、どんどん会いたくなってしまうし、会えないと悲しい。
という連絡を見舞いに向かう新幹線で受け取った。
誰かに話を聞いてもらいたい気もするが友人に突然こんな重い話をしても反応に困らせてしまうだけなので、匿名で流してとりあえず自己満足を得ようと思う。
いろいろと問題もあるが、こういうおおらかさはインターネットのいいところだと思う。
話を戻す。
癌による病死だった。60台半ばだったので、特別に早いわけではないが、今の時代から考えると少し早いなと感じる。祖母もどちらも健在であるし。
増田は兄姉に比べてだいぶ年の離れた末っ子で、母が増田を生んだのは38のときであった。ちょうど羊水が腐る歳なのでよく覚えている(増田自身はおおよそ健康に生まれ育ったが)。
増田は大学院の修士課程まで通わせてもらった。大学では留年もしてしまったが、おかげで学んだことをほぼそのまま活かせる技術者として働くことができるようになった。就職したのは去年のことである。
母は PTA だの保護者会だのをよく押し付けられるタイプの人で、それなりに忙しそうにしていたことが多かった。
その中で人間関係を築いたりと良いことももちろんあったし楽しんでいないこともなかったのだろうが、自分ではなく他の誰かのために時間を使うことが多いなと感じていた。
年の離れた末っ子であったことやそのくせ大学院まで通ったこともあり、もう少し早く子育てから解放されてもおかしくないと考えることもあったのが、より強くそう感じさせたのかもしれない。
まあ、生まれ育ったことも大学院までぬけぬけと通ったことも特に後悔はしていないのだが。
後悔はしていないのだが、なんにせよ母が(子供ではなく)自分のために時間を使えるようになったのは去年になってようやくである(と増田は感じている)。
いわゆるセカンドライフがこれからだ、というところで逝ってしまったことがとにかく悲しい。
これからまた楽しいことがあるぞ母さん、と思っていた矢先のことであった。
母は何をしたかったのだろうか。
数年前にゴルフを始めていて、父もゴルフが好きだから一緒にたくさんゴルフをしたかったのだろう。
手先が器用で刺繍などもしていたことがあったから、そういう時間を今まで以上に取ることもできただろう。刺繍は猫によく邪魔されていたが。
そうやって猫に邪魔されて仕方ないなと笑いながら猫を構ってやることもあっただろうと思う。
父の住む田舎と子供の住む東京を行ったり来たりして、友人に会ったり孫の世話をしたりすることもあったと思う。
孫の世話に疲れたときは独り身の増田の部屋に避難させてくれ、なんて言っていたこともあったから、今住んでいる部屋を出るときは広めの部屋にしようなどと考えていたこともあった。
きっと思い出せばいくらでもこのようなことは出てくるであろうが、なんにせよ母にはこれからも楽しく日々を過ごしてほしかった。
とりあえず学校を卒業できて就職も叶い一人で生きていく姿を見せられたから、最低限はクリアしたと言えるのかもしれない。
友人の中には早くに親を亡くした奴もいるから、彼らに比べれば贅沢なことを言っているかもしれない。
ただ心残りがあるとすれば、一回でいいから自分で稼いだお金で美味しいものを食べさせてあげたかった。
そうやって感謝を示したかったのかもしれないし、単に立派になったと褒めてもらいたいといった子供じみた思いを抱えているだけかもしれない。
なんにせよ、その機会が訪れることはなかった。就職と新型コロナウイルスの流行が被らなかったらそうした機会もあっただろうと思うと、どうしても時期が悪かったなぁと感じざるを得ない。
昨日の夜に容態急変の知らせを受けて次の朝というタイミングとはいえ、死に目に会えなかったのも不孝者なのかもしれない。現に姉家族は始発の新幹線に乗っていて間に合っている。起きるのが苦手なのはずっと変わらなかったよ、母さん。
先程母は自分のために使えた時間が少なかったと書いたが、それでも母は幸せだっただろうか、いい人生と言えただろうか。
兄姉ともども迷惑や心配のかけ通しであったが、増田たち兄弟や父をはじめとする家族との時間が少しでも楽しい、幸福なものであったらいいと願わずにはいられない。これは不出来な息子のエゴであろうか。エゴであったとしてもいい、どうせ自分で思うだけだから。
少なくともこちらは幸福であったのだろうと思う。以前自宅で療養している母を見舞いに行ったときに「ただいま」と言って「おかえり」と返ってくることが、「いってきます」と言って「いってらっしゃい」と返ってくることが、母の発するその言葉の響きが殊の外好きであるらしいことに気づいた。
変わらない日常の、帰ってくる家の象徴だったのであろうと思う。気づいたときは唐突なことであったし気恥ずかしさもあって伝えそびれてしまったが、こんなことになるなら伝えておけばよかったかもしれないと思う。急にこんなことを言われても困ってしまったかもしれないけど。
このような小さな後悔はいくらでも出てくるし、これからも出てくるのだろうと思う。ただどうしようもないことでもあるから、それらを教訓に父などの家族をはじめ他者との関わりに活かしていくのしかないのだろう。このようなありふれたことに改めて気づくなど、愚者は経験に学ぶというのは本当にその通りなのだなと感じる。
さて、いよいよまとまりがなくなってきた。だからといってまとめ直したりすることはないし、「結局何が言いたかったのだろう?」と考えることもしない。もしこれを読む人がいたとして「結局何が言いたかったんだよ」となるかもしれないが、それについては本当に申し訳ないが特に考えていないとしか言いようがない。
多分この手のことは何かを言いたくて言葉にしているのではなくて、何かしらを言葉にすることが大事なのだろうと思う。
そういえば、もう何年も前だけどTwitterに編み物が趣味だという男性がいたけど、毛糸玉をそこらに転がしたまま編むと毛糸がもつれてしまって「効率が悪い」ってんで、効率よく編み物をするための毛糸玉台を発明しておられた。
編み地に違う色で模様を入れる時も、その毛糸玉台を使用すれば糸同士が絡まないとか、まあ便利そうではあったけど、ただの趣味の編み物に「効率」を求めてドヤっているのを見て、この男と自分は相容れんと思った。
編み物とか刺繍とかそういう手仕事系って、必要に迫られてやる時以外は、頭の中を無にしてただ手を動かせればいいだけで、作品の量産とかどうでもいいから。