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はてなキーワード: 利己とは

2023-11-14

働けば働くほど人間不信になっていく

頑張れば頑張るほどそれを裏切られたときの傷は深く感じるな

一生懸命会社利益上げても、クソモンスター社員意図的トラブルや、身勝手利己的な社員勝手判断台無しにされると

すべての人間を憎みたくなってくる

今まで良好な関係を気づけてきた社員にも、「俺がこんなに苦しんでいるのになにのうのうと笑ってるんだよ」という気分になる

彼らは何も悪くないのにね

まあ現場レベルでのトラブル予防措置とかトラブルの初期対応とかはもう少し頑張ってほしかったけど

あーやだやだ

2023-11-09

人の悪意に触れる仕事

すべての職種トップとは思ってないけど、

まあまあ人の悪意に触れることの多い仕事をしている

悪意というか利己的な欲望というか、「相手から金ぶんどれば勝ち」と思ってる個人交渉をしていく仕事

 

こういう仕事をしていると人の悪意に敏感になるし、人のちょっとした行動に疑心暗鬼が生じてしま

人を信じるということが難しくなる

世の中が敵ばかりに見えてくる

人生つらい

助けて

2023-10-30

anond:20231030213646 anond:20231030214622

理解出来ないなら無理してトラバしなくていいんやで

 

教育格差収入格差地域格差など、

ここって格差問題ってあんまり盛り上がらないよなぁ。

なんなら格差容認的な発言もあったりして。

環境まれてた人や自身のし上がった強者が多いんだろか。

 ↓

生きづらいちゃんくんのあたおかトンチキ主張が多いからじゃない?

 

トンチキ主張以外なら、フツーにサバイバー(当事者)の話題でやり取りしたり、

不遇過ぎる犯罪者の親ガチャ話題でしみじみしたり、

社会的賃金が抑えられている職(介護とか福祉とか運送業とか)に思いを馳せたり、

通貨の弱い国の人や日本ホームレスの人に思いを馳せたりしてますけども

 ↓

差別的!こういうのには思いを馳せないの!

 ↓

ブクマカみてーな軽薄なDQN大っ嫌いだし有害だと思ってるので

 

ただ、それはそれとして、軽薄で利己的なDQNなのではなくて、ガチ知的な困難があって望まずにそうなってる場合は話が変わってきますよね

そういう人には配慮必要だよね

 ↓

攻撃的!自分のまわりのおかしい人に重ねてるの?

 ↓

ブクマカブクマカを兼ねてる増田おかし自覚持った方がいいですよ

泣くの開き直ってたりするレベルおすし。このレベルは余人をもって替えがたい人材であってもだいぶ生きるのに苦労すると思います

収入格差がどうたら以前の問題だね

一例↓

▼関連増田:話し合いの途中で泣いちゃう人への対処、どうすればいいの?

https://anond.hatelabo.jp/20230426081719#

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230426081719

 → 職場真剣な話し合いの最中に泣くのはフツー!生理現象から配慮しろ

anond:20231030205850

ブクマカみてーな軽薄なDQN大っ嫌いだし有害だと思ってるので

人の親なら尚更ね。諸外国のように児童虐待でしょっ引かれたり親権停止されたらいいのに

親がまともじゃなかった結果のケツ拭きするのは社会のみんななんですよね

親が子ども特性にあったサポート放棄した場合(あるいは対応する能力がない場合)はとんでもない社会負担になる

低所得・無就業者ならまだしも下手したら青葉ですよ https://anond.hatelabo.jp/20231024020311#

 

ただ、それはそれとして、軽薄で利己的なDQNなのではなくて、ガチ知的な困難があって望まずにそうなってる場合は話が変わってきますよね

世の中で一般的に言われている『性格が悪い』&『クズ』って、基本的に知能(想像力感情制御能力)の話だから

知的な困難があると、優しかったり共感性はあっても感情制御が困難で不機嫌・不満を結果的に撒き散らすことになったり、

相手を思いやる心はあっても生得的な想像力問題相手立場に立てない。そういう人には配慮必要だよね

オレオレ詐欺いただき女子とかも、明らかに社会に悪意を持った犯罪者なんだから

捕まえて調査して冤罪でないと証明できたら首はねて死刑でいいと思うんだが

悪いとわかってて利己的に犯罪行為するサイコパスは生かしておいてもろくなことないんじゃないか

お題目のように「更生」とか言われるけど更生なんてできてないだろ

2023-10-24

anond:20231024013445

いうてガソリンで燃やされたら困りますしな。マジでこれに尽きるのよ

ただ自分被害にあったら嫌だからこういうのは無しで頼みます絶対大前提としても、

青葉と同じ親ガチャ引いてたら・・・って正直想像することすらしんどい

ワイもサバイバーで親ガチャハズレの方なんですけど、やっぱ物理攻撃(DV)はアカ

しかご飯与えないネグレクトとの合わせ技だから

物理攻撃だけでも超えられない一線なのにほんとしんどい

 

防ぐ方法は親になっちゃいけない人を優生思想以外の方法で親にさせない

例えば、言葉コミュニケーション取れない、感情・性欲の制御能力が死んでる、異常に利己的で軽薄・・・まぁブクマカみたいなのは

親に向いてないですよって教えてあげるとかだと思うのよ

親がまともじゃなかった結果のケツ拭きするのは社会のみんななんですよね。マジで無理して子どもを持つ必要性はない

親が子ども特性にあったサポート放棄した場合(あるいは対応する能力がない場合)はとんでもない社会負担になる

自殺したり犯罪者になったりね。そうじゃなくても予備軍か無就業者

今一度、親に向いてない人にはセックスしたら子どもができるよ?オナニーがあるよ?って教えてあげる

あと恋愛も滅ぼしていいわ、結局はセックスしたいってだけの話なんだからオナニーするか避妊手術した上でセックスしとけ

 

その次に重要なのは児童権利もっともっと強くすることだと思うんだよな

子どもをひとりにしたらダメとか非現実的!』とかじゃねーんですわ。諸外国のようにDQN親の親権ガンガン停止しとけ

そしてDQNから子どもを回収しとけ

人と関わって良いことなんて一切ない

これは真実

皆よく我慢して人間と深く関わるよね

人間と関わるより人間が創った創作作品文章音楽料理…なんでもいいから創られたものを通して人間を見た方がよっぽどいい

素のままで、単体で見た人間って例外なくすべて利己的な俗物しかなくて、ただただ汚いだけ

 

嫌いにならないためにも幸せであるめにも人間と関わらない方がいい

飛行機から見下ろす夜景の点々みたいにして人間を見ると、人間が少し好きになれる

 

でもこういう考えを誰一人理解してくれないのも知っている

多分私は人間じゃないんだろう

2023-10-22

Netflixアッシャー家の崩壊

・私だけ見て系利己ヤンデレのヤバさを

解らせて頂いた 長男長女は若干キャラ弱いなぁから

退院した(させた)奥さんへのヤバムーブ

お前がナンバーワンや…ってなった

・段々浸出液?で奥さんの包帯が汚れてくのが時間経過を感じさせて

ヤバ感演出倍プッシュだった

歯を抜くのもヤバだけど「一瞬の苦痛」じゃなくて

抵抗できない状況でずっと相手コントロール下におかれて

日にちが経過していく終わりの見当がない」タイプ苦痛

・話が進むごとに父のザコ感が増す

若い頃、ココリコ田中直樹に似てない?

死神さん、化粧服装髪型全然雰囲気うから同一人って気づかなかった

コナンドイルファンならもっと楽しめると聞いて羨ましい〜ってなった

性別の嗜好が多様性があった

・画面が豪華

2周目みた

・2回目だと「この発言はこういう意味合いだったのか」とか思いながら見れて2回目の方が楽しめた

1回目は「なんか思わせぶりなセリフなのは分かるがそれで?」と置いてきぼりキレしてた

でも2回目でもジッジのポエム意味わからん

2023-10-13

中ほどまで進まないマン全体最適

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2240401

自分が中ほどまで進まない・進みたくない理由」を書き連ねるブクマカがたくさんおるけど、

実は、本来は中ほどまで進む必要なんかないんだよね。

 

そもそも、「中ほどまで進んでくれよ~」と感じるほどの混雑になった時点で、一人の客がほかの客を掻き分けて通路中央部に到達するのは難しくなっている。

もう個の力ではどうにもならんのだ。個の力じゃなくて集団の力が必要な段階だ。

 

車内の混雑にあわせて全員が間隔を調整すれば、ドア付近だけ混んでて中の方は空いてるなんてことにはならない。

ドア付近が混んできたなと思ったら、ドア付近にいる人々がじわりと中ほどに一歩進めばいい。

その奥にいる人もじわりと中ほどに半歩進めばいい。

全員がせーのでじわりと動くだけで車内の混雑の不均衡なんて簡単に解消するの。みんなが全体最適意識すればね

でもそうはならない。

ほとんどの乗客がボーッと生きてて、時々刻々と変化する車内の混雑度に応じた行動を起こそうという意識がないから。

いったん「ボクはこの吊り革に掴まるんだい!」と決めたら自分が降りる駅までその吊り革を掴んでればいいと思ってる。

狛犬ポジションから動かない人も吊り革に掴まったまま動かない人も、「その場を動こうとしない間抜け」という点では同類なんだよ。

 

たとえばですよ。

自分の奥にいる客がひとり降りたらそこに一人分の空間ができるよね?

この空間を空けっ放しにしてない? ひどい時なんか、立った人の空席をそのままにしたりとか。

自分がそこにスライドしたら(奥にたった一歩だよ)、一人分の空間自分よりドア寄りに移る。

その空間さらにドア寄りにいる人がスライドする。これを2、3人がリレーすれば、ドア付近に一人分の空間ができるんだよ。

これを「詰め合わせる」とか「繰り寄せる」とか言うけど、これ意識してやれてる人どんだけいる?

やってみればわかるけど、自分が奥に繰り寄せたら、隣の人もつい釣られて繰り寄せてくるんだよ。「ああそうすればいいんだ」みたいに。

ボーッと生きてるやつらは周りの動きに釣られやすいから、お手本しを示して釣ってやればいいんだよ。

自分の奥に空間ができたら詰めて空間をドア寄りに送る、たったこれだけのことですよ。

 

全体最適指向できない人は、満員電車に限らずどこに行っても邪魔

これは利己的な行動だけに限らない。無駄利他的な行動にも言える。

雑踏とかビルの出入り口とか道路のすれ違いとか、〈相手を待たせて自分が先に行ったほうがスムーズな場面〉なのに自分が待っちゃう人いるでしょ(女性に多い)。周りが見えてねーな。

全体最適から逆算すれば、その場で自分がとるべき行動なんておのずと導かれてくるんですよ。

2023-10-11

anond:20231011130134

頭良い人間マクロ環境改善する事をまず考えちゃうし、頭悪い人間自分しか興味無いか根性論精神論ミクロ自己利益だけを追求してマクロをより悪くする

頭いい人間マクロミクロどっちが効率が良くてどちらがより効果的かや、長期的目線での影響とかを考えて行動するんだよ。

自分の影響力が極小なのに「俺は頭がいいかマクロ環境改善を考えるぜ」ってリアリストとはかけ離れ過ぎてるし、その思考の結果起こす行動がアンフェって馬鹿すぎるわ。

 

馬鹿って「頭がいい人はこうする」みたいな型が好きだよね。

頭がいいなんて曖昧概念だし、頭がいい人の中には一定数「利己的な幸福を追求する」って結論選択するのは明らかなのに、「利他的行動は頭がいい」「利己的行動は頭が悪い」ってわかりやす基準つくっちゃう認知能力キャップある馬鹿の考えた「賢い人の像」って感じでマジで笑えるわ。

2023-10-07

BookOffに行った

三連休初日、やることもなかったのでBookOffに行った。

先日、本屋に行った際に、中山〇里の〇養〇人シリーズが6巻まで出ていることに気づいたので、あったらいいなという期待もあった。

残念ながら既に購入済の4巻までしかなくて、代わりに映画化された『〇られなかった者たちへ』を買った。

映画になると中古に出るのも早いなと思ったけれど、2年前の作品だった。

これだけの話だが、これをXにポストすることはできない。

何故なら、中古で買うことは害悪のように思う人達がいて『作家応援する気持ちがない』『作者の目の届くところで言うべきではない』みたいな面倒なことになるのだ。

作者はそんなの見てないだろうが、『エゴサしたら出てくる』らしいので。

なので、検索されないように伏せた。

ちなみに、私にも愛書家の端くれとして、作家応援する気持ちはある。

しかし、9月京極夏彦の鵼とクレイヴンのワシントンポーの新作、あと、推理小説ラノベ漫画新刊を買って7千円を超えた。

欲しいものをすべて定価で買う金銭的な余裕はない。

発売してすぐ読みたいとまではいかなくても、そこそこ早めに読みたい本だと、発売後1ヶ月待つと、電子で旧作扱いになって『週末18%OFF』みたいなキャンペーン対象になるので活用している。

しばらく待ってもいいものだと、中古に出るのを待つこともある。

そこは個人感覚で、本と作家によるとしか言えない。

それはそれとして、いいなと思う作家応援したい気持ちちゃんとある

応援という言い方は適切ではないと感じるが。

選ぶネタでいいなと思った作家次回作も読みたいと思う話を書くかもしれないという利己的な理由から

そういう諸々をひっくるめて、新人作家の本や翻訳物は本屋で早いうちに買うようにしている。

売れないと次回作がない可能性があるから

ただ、今回は〇山千〇だからな。

あれだけ多作で売れてる作家なら、今更、私が1冊や2冊中古で買ったからって痛くもかゆくもないだろう。

応援する気持ち』はないかもしれない。

これもXではポストできない。

カエル男は発売月に定価で買った。とても良かった。

2023-10-01

anond:20231001134536

インボイスにしても発注側は仕入税額控除を利用したいからそうして欲しいと言ってるわけで、正義からじゃないんだよね・・・

利己的同士だれから文句言われないはずなのに

2023-09-26

(ほとんど)すべてについて間違っている――デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロー著『万物黎明書評

万物黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的冒険的で実験的なものであり、自由平等呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつ体制から抜け出せなくなっており、その理由理解しようと努めなければならない。

これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たち人間性を規定する政治的本能社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。

彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせ虐待支配実験しただろうと主張しているようだ。

G&Wは、私たち革命過程社会的道徳的人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間言語意識親族関係道徳は漸進的な進化過程進化し、それが巨大な社会的政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間本来利己的で競争的だから社会主義不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的偏見に挑戦することであった。

はいつもこう答えていた。そう、私たち類人猿一種である。そう、私たち霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的本能を持っている。しかし、それが私たち成功の原因ではない。優秀な母親父親になる能力自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力道徳的ルール確立する能力他人自分を見ているように自分も見ている能力音楽ダンス言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命産物であり、成功した革命なのだ

クリストファーボーム人間革命

この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファーボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスジェンダー力学についての言及を一切省くことで、政治的観点から安全策を講じた理論バージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスバージョンなのである

ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下から集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たち祖先チンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観コミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである

G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑羞恥、遠ざけ......他の霊長類類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術進化過程人間の本性を形成する上で重要役割を果たしたという考えである

ボーム説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類基本的平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)

唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉引用に値する:

ひとたびどこかのバンド平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)

これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類基本的平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつ特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである

万物ティータイム

かなり不当なことに、『万物黎明』は現代進化論を社会進化論混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀物語であるダーウィニズム科学である私たちは語り聞かされるが、実際は純粋神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類起源に関する視点を、読者が真剣検討することを期待している。

この著者たちが認める唯一の科学は「考古学科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。

このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端ダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学儀式の実行パターン性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.

残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間本能心理形成における集団的育児重要役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別神話を「重要もの」と表現している。そして、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、このような洞察部分的ものしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディ画期的研究が、私たち共通ミトコンドリアDNA祖先年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

石器時代新石器時代考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽言語に対する生得能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!

タイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『万物ティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期フランススペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。

さな狩猟採集民のバンド

G&Wにとって、狩猟採集民の祖先アフリカもっと早くから平等主義的なライフスタイル確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。

まり狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間文化的知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。

ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的抵抗狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型である結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベル政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいか危険かを理解する知性があると彼は説明した。

富の不平等は許されない

しかしG&Wによれば、富の不平等問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀ヨーロッパの「文明」を批判したファーストアメリカンカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初アメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。

G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:

こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?

どんな未来アフリカ狩猟採集からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。

はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。

(続く……)

2023-09-13

どっちにしろ譲ったほうがいいんですよ。

anond:20230912211531

 

ロジカルに考えましょう。

元増田が言ってることが正しいなら、元増田の言う通り、譲ったほうがいいですよね。

逆に、元増田が言ってることが大間違いで、ただ早く先に行きたいだけ前走者を煽る走り屋キチガイなら、そんなやつもやっぱり譲ってやり過ごすほうがいい。だってそうしたほうが安全だもん。

ね、つまり山道で追いつかれて煽られたら、どっちにしろ道は譲ったほうがいいんです。

 

いちばんダメなのは山道で追いつかれて後続車をじりじりさせてるのにいつまでも道を譲らないことです。

一部ブコメはいものごとく「法律を守って制限速度で走るのが正しいに決まってるじゃん」みたいな意固地でお花畑な極論を展開してますが、正しさって何でしょうね。好きだよねー、正義

元増田オレオレルールって言うなら、「こっちは道路標識だけを守る、他人の指図は受けねえ、文句あっか!」みたいな態度だって十分利己的だと思いますよ。利己的というか、融通が利かないというか。

 

車を運転しない人や運転しても町中だけって人はわからないと思うけど、山道には後続車に気遣いするならわし・しぐさみたいなのがあります

不文律とかマナーと言ってしまうと少し大げさだけど、少し想像力を働かせればわかると思います。ご説明しますね。

 

山道、峠道はだいたい途中に分合流のない一本道です。それが数キロ、長ければ20キロとか続きます

ということは、道の途中で前後位置関係になった車同士は、ずっと前後同士のままなんです。別の車が間に挟まる機会がないので。

もし前の車のほうが少しペースが遅かったら、前後車両の間隔が広がることはありません。後ろの車はずっと前の車の後ろ姿を見ながら走り続けることになります。峠道が終わるまで、数十分間。

前の車は前が空いているのでマイペースで走ることができますが、後ろの車はその先の数十分間他人のペースに合わせ続けなければいけません。

前の車がどこかで先を譲ってくれさえすれば、そこからは両車ともマイペースで走り続けることができます。車間は広がっていきますから、両車は邪魔しあうことがありません。

幸せになる人数、後者のほうが一人多いと思いませんか?

 

ところで、「ペース」という言葉が出てきました。

山道運転イメージできない人のために、ペースについて少しご説明しますね。

ドライバー技量自動車の性能などによって、自然に、楽に、快適に走れるペースは車ごとに異なります

たとえば、山登りトレッキングをする方なら、途中で「階段」が出てくると「ウッ」となりますよね? 自分にとって楽な歩幅ではなく、無理やり階段の歩幅や段差に合わせて歩かされるからです。人間の体格や筋力は人それぞれですし疲労度なども場面で違いますから、好みの歩行ピッチ階段と一致するほうがむしろ稀です。

自動車運転も同じです。運転技量や車の性能によって、山道を楽に快適に走れる速度はそれぞれであり、他人のペースに合わせて走らされるよりも、前に誰もいない道を自分のペースで走るほうがずっと楽なのです。

 

ペースとか楽とか快適とか言う前に制限速度を守れや! まず制限速度ありきやろが! と思われるかもしれません。

はい、その通り。ここから大事なところです。

たとえ「上限◯◯km/h」という制限速度を全員が守っていたとしても、やはりそこにペースの違いはあるんですよ。

ペースの速い車と遅い車は、制限速度よりも下のエリアでやっていることが全然違うんです。

ブレーキの違い、加速の違い、旋回速度、ライン取り(1車線の幅の中にも効率的走行ラインはありますよ!)、等々を総合したものがその車のペースです。

制限速度より下のエリアでの出来事なので、遵法運転でも(イニシャルDのように攻めなくても)、差ははっきりと出ます

 

やたら手前からブレーキングを始め、必要以上にそろそろとコーナリングし、カーヴが終わっても加速がもたもたしている。そんな車はペースが遅い車です。

必要位置でしっかりとブレーキングし、前輪に荷重を残しながらスムーズコーナリングし、コーナーの出口に向かって加速していく、これはスポーツドライビングの基本ですが、この走り方を街乗りの速度域でやさしく行うと「滑らかで乗り心地のいい運転」になります。車の運動合理的なので、ペースはとても速いですよ。

制限速度の範囲内でも、山道はカーヴだらけですから、このちょっとしたテクニックの差が掛け算で効いてきてしまうのです。

 

同じ制限速度の中で走っていてもペースの違いがあることがおわかりいただけましたか

譲る/譲らないは、制限速度を守る/守らないの話ではなくて、制限速度の範囲内におけるペースの違いなんです。

ペースは、山道運転においてはドライバーの練度に大きく左右されます

自分大名行列の先頭になったのなら、それは後続車が制限速度を守っていないからではなく、あなたのペースが遅いのです。

ペースの速い車にストレスをかけ続けることをやめて、すみやかに道を譲りましょう。

 

見通しの悪いところで無理に譲る必要はありません。というか、そんなところで譲られても危ないので後続車は抜こうとしないと思います

見通しのいい直線、あるいは退避エリアが出てくるまでご自分のペースで走ってください。

退避エリアは突然出てくるのでなかなか機敏に反応できないかもしれません。後続車に気を使ってスピードを上げるとせっかくの退避エリアを通過してしまますので、「もうちょっと待ってね~すぐ譲るから待ってね~」と念じながら安全に走ってください。

 

よろしくお願いします。

2023-09-05

Web3ヤーたちはどう生きるか

Not Financial Advice。個人的メモ、現状の文字起こしと雑な未来予想。自分Web3ヤーとして整理したかった。

ビットコイナーが望まない形でBTCがATHを迎えるシナリオ

根源的にビットコインは規制禁止することはできないので、できるところから規制されるトレンドは今後も続くだろう。目下、短期ナラティブETF承認であるAML/CFT観点ビットコイ現物流通はなるべく制限したい規制当局側と、ビットコインのエクスポージャーが欲しいだけの大多数の投資家の思惑の両方が、現物ETF承認という形で結実するのである。その後、ビットコイETFが高い流動性を持つようになれば、既存金融機関ビットコイETF担保にした金融サービス派生金融商品を展開できるようになる。

また、大手マイニングプールと、(すでにマイニングプール株主となっている)ETF取扱金融機関提携する未来もありえるだろう。例えばマイニング収益プール参加者ウォレットアドレスに引き出されることはなくなり、プール参加者証券口座ETF残高として入金されるようになる。これはプール参加者規制当局どちらにも利点がある。プール参加者にとっては、ブロックチェーン手数料秘密鍵保管といったブロックチェーン特有リスクを負わなくて済むし、ビットコイETFを通して既存金融多種多様流動性へ容易にアクセスできるようになることも喜ばしい。規制当局にとっても、本質的規制できないマイナーとBTC現物が切り離されることは喜ばしく、win-winなのだ。すでに大手マイニングプールマイナーにKYCを求めているので、マイナー分散思想よりも規制された安定を選んでいる。マイナー投資家保護環境の整ったETFに乗り換えるのは合理的選択なのだ

ビットコイナーの思想とは相反するものの、市場原理とは相反しない力が優勢となって働くことで、ビットコインはATHを迎えるのである

少数マイナーの寡占は問題か?

先日Twitter話題になっていたので急遽追加する。

マイニングプールが結託して51%攻撃を起こすことは、マイニングプールにとっても合理的ではないので、少数マイナーの寡占状態が直接的にビットコインを破壊に導くとは考えにくい。しかし、大きな金額を動かさないといけない巨大プール既存金融保護されざるを得ず、規制圧力に対しては脆い。同じ51%でも1 ✕ 51よりも25+26の方がCensorship ResistanceやOpennessといったブロックチェーンの本源的な価値は損なわれやすい。なのでマイナーに寡占が起こることを問題視しないのも間違いである。

ツイートの人の反論もあるので一応参考程度に

https://x.com/nook_ethereum/status/1696476655475171759

仮の話だが、完全に当局規制を受けてコーポレートが牛耳る、本源的な価値を失ったビットコインが、too big to failな状態ゾンビ化した時どう振る舞うのだろうか?そのタイミング古参クジラ離脱して一時的に売り圧が発生する気もするが、そのままトリクルダウンとなるほどのトリガーかというと分からない。これはビットコインに使われる暗号の危殆化などのリスクと一緒で、起こるまで想像ができない。そのフェーズP2P電子決済システムビットコインという壮大な社会実験重要ハイライトになるに違いない。

Drivechain

ビットコインのブロックスペースを使って、レイヤー2上で好きなブロックチェーンを誰でも立てられるようにする新機能。まだ提案段階の機能だが、賛否両論を招き、界隈を真っ二つにしている。

https://www.drivechain.info/

ちょっと前に流行ったStacksの仕組みと異なり、BTCを子チェーンにオプトインするような仕組みも備える。もちろんオプトアウトもできる。

ただし、Drivechainが認められると、ビットコインのスケーラビティを向上させるソリューションとしてのLightningネットワークの意義がかなり失われる。Lightningは”P2Pで”高速決済したい人が使うための機能という、かなり思想が強い人向けの錆びついた技術になり得る。

Drivechainの提案自体は昔からあったが、最近になって流行り出したのは単なるナラティブ作りであろう。ordinalsやStacksもそうだが、新しい技術はそれだけで盛り上がりやすい。ordinalsの場合だと、昔から追っていた人は、自分が優位でいられる情報非対称的な時期に、短期で出口流動性イナゴ養分)をたくさん集めて、たんまり儲けて売り抜けることができた。

ちょうどBitcoin, not Cryptoな時期で、Drivechainのような特大アップデートがあればナラティブとしては強力だ。しかし、だからこそ、どうしてもDrivechain利権存在を勘繰ってしまう。Lightning利権とも対立しそうだ。

Lightningはビットコインにマルチシグだけあればできる機能だが、Drivechainはソフトフォークとは言え、これだけのために新規のオプコードメッセージの追加など、開発リソースをかなり費やす大幅なアップデートなので非常に図々しい。ソフトフォークをexcuseにすればなんでもありだと言うわけではない。

今更dAppsが走るサイドチェーンを作っても、Ethereumで起きているようなゴタゴタをビットコインに持ち込むだけで、Bitcoin, not Crypto神話を汚すだけになるだろう。

DeFiはDaFi(Dark Finance闇金融)へ

実質管理者のいるDeFi規制煽りを受けて存続は難しくなっていくだろう。ハッキングインサイダー、スキャム(詐欺)、ラグプル(持ち逃げ)から投資家保護できないファイナンスは、たとえゲイリーゲンスラーSEC長官を退任したとしても長期的には必ず規制対象になる。また、そうはならなくとも投資家の方から勝手離脱していく。

しかしながら、オフショア規制の及ばないチェーンを舞台に、リスクを恐れない投機家の間でDaFi(Dark Finance闇金融)に転じたDeFiがしぶとく生き残るのはどうしようもない。

ただ、そのようなDeFiはもう社会生活金融インフラになることはないだろう。結果的に今のDeFiはDaFiかCeFiに分岐していく。

CeFiの意義

CeFiという語彙は以下のツイートから使わせてもらった。ブロックチェーンを使っているが、規制もされている金融サービスくらいの意味だ。

https://x.com/kimurayu45z/status/1695988782871498898?s=46

ブロックチェーン上の金融サービス規制をかける場合、どのようなものになるだろう。まずCeFi事業者に対する当局による管轄投資家のKYCは必須になる。そうなってくるとブロックチェーンでやる必要はあるのかいよいよ分からなくなってくる。かの有名なWhy Blockchain?の声がまた聞こえてくるのだ。

少なくとも、トークンガバナンスするような機能プロトコルに組み込む必然性はなくなり、ガバナンストークンは株や証券に近いものになっていく。また、仮にアプリケーションどころかL1チェーン自体規制されれば、PoSなどのトークンベースコンセンサスアルゴリズムはもはや茶番になる。

ユーザー目線でも、KYC済みのアドレススマートコントラクト登録してまで、入札や取引したい投資家がどれくらいいるのか今のところ分からない。

もしもかつてのDeFiバブル違法事業者非合法的な取引で盛り上がっていただけの幻想だった場合、KYC後のクリーンなCeFiにどのような実需があるのだろうか。

MEVは重い問題

MEVというのは、ブロック生成者が承認前のブロック内の取引を盗み見れることをいいことに、他人取引を先取りしたり、順序を利己的に入れ替えることが可能である性質から生じる、ブロック生成者が独占できる収益源泉のことである

筆者は以下の記事勉強させてもらった。

https://keccak255.substack.com/p/mev

https://mirror.xyz/0x95d7660ceb04b402fdBAf112a8278980335616d4/aDB1Zh4ybztR3DJsY1pgoK8h63wH05PlOMOEj0zvL3U

MEVがあるせいで、ブロック成行為が中央集権化しやすくなったり、ユーザーサービス体験が低下したりするため、dAppsが動くブロックチェーンにおいては重要課題だ。

もちろん技術的に解決するSuaveのようなソリューション提案されているのだが、分散化にメドがたっているわけではない。また、問題が外部化するだけで本質的解決にはなっていないのではと思う。

Suaveについて参考までに

https://writings.flashbots.net/mevm-suave-centauri-and-beyond

また、MEV利権がすでに巨大化している政治的事情もあり、問題はかなり複雑化している。このように込み入った問題を、さまざまなステークホルダーの思惑が入り混じる、非効率的分散ガバナンス解決するのは前途多難と言わざるを得ない。

チェーンのTVLが巨大化し、RWA(real world assets)などのMEVファクターがチェーンのエコシステムの隅々まで組み込まれれば、MEVがもたらすマイナス・サムの影響はユーザーにも感じ取れるくらい甚大なものとなるだろう。さらに、可視化できないリスクを嫌う大手投資家の参入を阻むことにもつながる。

そうなったときパブリックブロックチェーンの夢は雲散霧消するか、中央集権正当化された世界でregulatedなブロックチェーンが生き残っていくかのどちらかになる。

DeFi社会限界

一旦DaFiやCeFi、MEVのことは忘れて、全てが解決して、DeFiがそのままメインストリームになった社会を想定してみる。そこで注目したいのは、チェーンに閉じたDeFiでは信用創造ができず、分散型ステーブルコインなどの場合は常にover-collateralized(過剰担保)させなければならない点だ。つまりロックされた資本以上の価値市場に再投資されない。原資本は再投資のたびに指数関数的に薄まっていく構造になってしまうのだ。

そのような先細りの金融インフラの上に展開される資本主義及び自由市場経済社会が、規制された金融に基づいた現状の社会よりも、高い資本効率経済成長率を達成できるのかは甚だ疑問である

一昨年のDeFiバブルの正体が、USDTなどの法定通貨担保型のステーブルコインがチェーン外から流入することで起こったに過ぎなかったのだとすれば、DeFi世界はCe要素なしには拡大できないということになる。実際、USDT、USDCなどの法定通貨担保型のステーブルコインの時価総額無視できないほどに巨大だ。そういった規制アセット流入なしにはリターンが期待できない構造的欠陥がある限り、DeFi規制を拒んで信用収縮の道を選ぶか、信用創造のために規制を受け入れてCeFi化していくしかない。

ブロックチェーンイノベーションなのか?

分散自己主権といったブロックチェーン思想を全く気にしない大多数のユーザー目線で見ても、国際送金や金融取引が瞬時に透明性高く行えるブロックチェーンが便利なのは間違いない。しかし、それは既存金融サービス規制というかなり重いハンデを付けられた状態で戦ってくれているからそう見えるだけで、ブロックチェーンという技術自体イノベーションからではないのではないか?つまり、仮に規制の側が妥協して、金融業界リバタリアン並みの自由化を勝ち取った時、ブロックチェーンは、例えばApple銀行のような大規模なWebインフラを使った金融サービス技術として勝てるのだろうか?

もしも、ポンジスキームやスキャムであることが明らかなミームトークン、発行主体を名指しできるXRPや、ガバナンストークン全般が、規制されない(もしくは証券ではない)と判決された場合Apple銀行プログラマブルトークン発行プラットフォームを立ち上げればブロックチェーン競争に負けてしまうのではないか?秒間取引処理数が少なくて、手数料も高く、ウォレットも使いにくいブロックチェーンの優位性はどこにあるのだろう?

とはいえ実際に既存金融が完全自由化することはありえない。あり得るのは、既存金融業界ブロックチェーン業界が融合していく中で、その両極からの声を取り入れながら、長期的には両者の境界線が最も曖昧となるような規制環境が整備されていくシナリオだ。それはトークン証券化かもしれないし、証券という概念が古くなるような全く違う新しい法概念規制フレームワーク誕生かもしれない。そうなったとき果たしてブロックチェーン技術市場競争力を持つのかは、改めて問われなければならない。使いやすさより分散思想を優先するユーザーなんて殆どいないはずだ。

日本海外Web3コミュニティ

日本Web3界隈は、昔から霞ヶ関巡回する界隈と海外組の界隈に二分されていたが、最近海外からの出戻り組が増えてきたように思える。かつてJapan色がなかったAstarが最近Japanを押し出すことが増えてきたので、これも出戻り組と言えるだろう。京都で開催されたIVS Cryptoでは、かつての海外組が、今後は日本にもコミットしていくしたたか姿勢も見せていた。

Astarが政府機関やJTCと手を取り合って、提携関係や共同研究関係を結び始めたときは、何をしているんだと正直思っていた。しかし、当時から規制側に歩み寄らなければブロックチェーンは存続できないと読んでいたのか、単なる嘘から出た誠なのか、こうなった今では一定妥当性が理解できる。

とはいえ規制と近づきすぎるとパブリックブロックチェーン特性邪魔するはずなので、その擦り合わせは茨の道だろう。Why Blockchainの最前線で闘う姿勢評価したい。

渡辺氏も、もしAstarがダメになっても、日本は偉い人と仲良くしておけば何とかなる国なので、かつてのホリエモンのような毒を出さなければ、どこかしらの利権に入れてくれるだろう。そこら辺を踏んでいるのか、彼のポジショニングは上手いなと思う一方で、FTXのサムが破滅直前まで政府蜜月関係を結ぶのに奔走していたことを思い出させるから少々怖くもある。当局に近づくと不透明性が増すので、個人的にはまだASTRに買いを入れる勇気が持てない。

さて、クリプトコミュニティ一般の話だが、これも昔よりは成熟してきたと思う。悪しき通貨自然淘汰される市場原理が働いたというのもあるが、個人の中にも、かつては歯に衣着せぬ物言いオピニオンリーダーになったインフルエンサーが、今ではバランスの良いコメンテーターになったりと、心境の変化なのかポジショントークなのか、変化を感じざるを得ない。日本人垢にも外国人垢にもそんな人は多い。

例えばVitalik氏は、かつては大衆向けに過激なことを吐いていたが、最近難解な理論提示にとどまり過激な使い道を見つけるかどうかは受け手自由ですよ、という我関せずな態度に改まった。

しろ危ないのは、陰謀論界隈や極右派をバックにした米国会議員をはじめとするすでに過激コミュニティが、ビットコインやWeb3に活路を見出そうとしていることだろう。余計なポリコレリスクを抱えると面倒である

Web3ヤーたちはどう生きるか?

このタイトルは煽っているように聞こえるかもしれないが、流行りに乗っただけで煽ること自体は本意ではない。ジブリのあの映画を見た頃、こんなこと考えてたんだなぁと後でエモくなるための筆者なりのギミックなのだ。もし不快な思いをしたクリプトに携わる人や投資家の方がいれば、そこは大目に見ていただきたい。

また、ビットコイナーは Permalink | 記事への反応(0) | 21:52

2023-09-04

ネットによって知性が落ちていく話

世の中には三つの話があると思っていて、

1.倫理学人類文化学や政治学法学等を含めた、専門家調査学説歴史等に基づいて、学術的な定義を積み重ねて行う学術議論(これは体系的な知識必要で、素人簡単に参入できない)

2.データ文書遺伝子検査血液検査などの単なる事実の集合(+専門家による解釈)

3.個人日常で考えた思想経験


で、いわゆるオタクやネット民は1と3を混同した話し方をしていることがよくあるので物凄く気になるんだよな。

1と3は明確に相容れないものなので。


例えば、「○○は差別ですよ」という言葉

正義とは何か、差別とは何か、などの議論基本的には1の領域である

専門家以外のネット民発言は、間違いなく3だ。

なぜならネット民差別に関する定義の変遷、思想の変遷、歴史や諸問題学説論文法制度、各国や各種団体対応社会問題に関する体系的知識を専門知として得ているわけではないから。こういった学説論文査読批判反論、再反論など長い道のりを経て、洗練されてから1つの学説としてのポジションを獲得する。


オタクの言う「定義」は、『その辺の人が特に専門的体系的知識もなく関係ないまま、ただ個人的になんとなく考えてたこと』だったりするので、こんなネット空間に触れていたら大衆の知性がどんどん落ちていくのではないか危惧している。

内容が「人による」「人の考え方次第」の域を出ない素人談義にすぎない。1なら定義はズレないし内容が人によるとか人次第にはならない。

議論可能な程度に統合された意見ではない。単なる積年の感想だ。

差別という言葉日常的に聞いたことがあって辞書で引いたレベル知識量で適当に使ってるだけの耳学問だろう。


専門家は123を完全に区別して使っているが、ネット有象無象は123を混同しており、そんなネット有象無象意見さらに参照・引用して(例:HNマスダ氏は○○○を唱えているが、のように)メチャクチャネット談義が活発に行われている。



ある方のツイート引用してみるが、

別に差別したっていいんだよな。「差別してでも安全を選びます」という選択をしても全然いい。

悪臭を放つおじさんから逃げ出すのは差別であり、決して正義として誇っていい話ではない。

誰の判断なのだろう?この人の?個人的にいいと思う、悪いと思う、こう思う、なら分かるのだが、ここでも断定されている。

1と3が区別できてないのだろうと思う。

そこを取り違えて自分たちが行っている安全のための差別をさも自分たち正義かのように語るのが危険なわけでさ。そうして差別は拡大していくんですよ。

拡大するかどうかにつき、この人に差別史の知識はないだろう。やはり、1と3が混同されている。

この後も似たような語調が続くのであるが、


例えばすでに存在する学説引用であるならまだわかるのだが、市井の人がなんとなく自分なりに定義することや感想を持つことを、定義とは言わないし、見解とは言わないのだ、ということをネットに親しむ人は分からなくなってしまうのではなかろうか。


人の認知は必ず歪むし人は利己である。3のように誰でも思ったことを言うだけなら、マッド気質の人が殺人自由を主張することだって意見になってしまうし、適当なことを意見として言うことも可能だ。定量化もされていないままの意見議論にはならない。

から、3は3として、体験感想体験感想として重視され尊重されるが、1とは区別しないと社会全体がまともな議論のできない国へと変わっていってしまう。

その社会的な損失を考えると頭が痛い。

2023-09-01

ネトウヨパヨクの違いってこれだけで説明出来るよな

ネトウヨ自分は損していいか日本に勝ってもらいたい

パヨク自分が得した上で日本には負けて欲しい

これだけで説明付いちゃうんだよな

ネトウヨ奴隷として使えるけど、パヨク利己的なだけじゃなく自分所属が負けるよう動くから

断然ネトウヨの方がマシなんだよな

お前らも大人しくネトウヨやっとけよ

ネトウヨ増えれば川口で暴れてる奴らも凶星送還だしさ

2023-08-31

anond:20230831093325

これに反論してる馬鹿そもそも自然状態ではみんな利己的にふるまい暴力支配する世界になるところを、技術による圧倒的な暴力で強いものを無理やり協力的にさせてるというところを分かってない、圧倒的な暴力としての軍事力は秩序を維持するために必須

それと同じで過労死するまで働かされるのは会社が悪いも一理あるがそもそもはそういう雇用形態人間がいる一方でのうのうと生産性ゼロ虚業にいそしむ権威主義者のせいでもあり

そういう社会構造は高度に分業化した資本主義社会である以上は解消されないので過労死する人間がいないと社会は立ち行かない、過労死するレベルで働かされる人間社会にとっては必須

よってどちらも「社会健全に維持されてゆくためには軍備も過労もなくならない」のに世の中のこと理解せず過労してる何万人もの人間犠牲の上でのうのうと暮らしながら罪の意識から逃げて甘いこと言ってる馬鹿ということ

2023-08-29

anond:20230829153235

お前も上層に生まれたらどうせ同じようにしてる

いつ枯れるかもわからない目の前の甘い汁をあえて分け与えるほど人間的でいられるのかお前は

から俺らもまた利己的に生きねばならんのだよ

実際現代社会では利己的に生きることが生存戦略として正解なのだ

人間流動性が加速していく昨今で過度に周りの人間固執する必要はないし、取り返しのつかない大失態を犯しても環境一新させることも比較的容易にできてしま

そんな中で利他性を保って生きていくことが生存につながったような昔に造られた人間本能準拠する既成道徳因習に過度に凝り固められ縛られているから生きづらいのではないか

現代社会において利他的行動は我々に幸福感と生の喜びをもたらしてくれるポエム的なものに過ぎなく、利他的行動により生存が圧倒的に優位となれる可能性が高いわけではない

利他的行動は相手良心に身をゆだねるため相手利己的ならば奪われる

野生に生きる動物たちはむき出しの本能で日々血なまぐさく争っているが、人間は理性を用いて自分身体性の限界拡張する炎や武器などの圧倒的な暴力を生み出し、暴力支配された自然の理を理性で制限人間利己性を押さえつけることに成功した。そして各々の利己性は利他性に奉仕させられそれを美徳とすることで人間地球覇者となった。

まり人間性の起点は利他性にこそ存在している。しか人間はいつまでも本質的な原始本能である利己性をなくすまでには至ることができないでいる。

それは人間がやはりどこまで行っても獣であり、自分の体に縛り付けられた理性しか持ちえないからだろう。

から我々人類共生歴史根深く完全な利己的行動に走るには良心の呵責が伴いこれは簡単に捨てることができない。

完全に利己的行動へ堕するには獣にならなければいけない

獣になってでも生き延びることが美徳か?人間らしい利他性のために殉ずることが美徳か?

それを決めるのは個人自由で良い、この世の縦横無尽に広がる無限の地平線の深遠さに比べれば本当にとるに足らないことなのだから、、、

anond:20230829135302

それは相手立場に立って考えた時、自分がリターンを与えそうだという事を認識から省いた為に生じるものだと思いますよ。

利己的で自責に寄せた人間というのは、あなたと関わると楽しい、もしくは面白いといった理由で、あなた友達の中にいるかと思います

anond:20230829132015

なかなか面白いけど、利己高いやつで他責が低いやつを見たことがない

人間に見るコスト

利他的自責的な人間など存在しないという事をざっくり語ろうと思う。

人間精神のあり方は、コストのやりくりが如何にやりやすいかで優劣が定まる。

コストが尽きれば廃人コストを持て余せば我儘になる。

おおまかに二種に分けてしまえば

コスト高 利他←←←←←→→→→→利己

コスト高 自責←←←←←→→→→→他責

となる。

利己的というのは自己完結した行動でコスト回復がどれくらいできるかという事であり、利他的とは他人依存して何かをすることでコスト回復できるという事である

利他的は度が過ぎれば相手に対して求めるコストが高くなり孤立する。要はめんどくさい人である

利己的も過ぎれば同様である。よく自分勝手と言われるものである

自責的というのはトラブルが起きた時、それを自身課題と受け取れるという事であるが、これには高いコストを要する。

他責的と言うのは自責の逆であり、低コストだが度が過ぎると精神的成長が見込めなくなるなどデメリットが大きい。

例えば、利他的10割、自責10割というビルドを組んだとすると、コスト回復のしようがない。

相手に与えた恩というものが与えた分だけ帰ってくるという事は無い。あまり知られていないが、人間には他人の苦労を正確に認識できないという特性がある。

そのため相手から見た自分の恩も、自分から見た相手の恩も過小評価されるのだ。

そうして恩を与え合った時、自分視点で見た時の帰ってくる恩というのは主観10%程度の物であり、これで消費コスト分を回収するのは不可能である

この場合に起きる不具合として、「自分ばっかり頑張っている」と考えてしまバグがある。事実はそうではない。そうではないが確実にこれは態度に出て、日常生活に支障をきたす。

一方で利己的で他責的というと、これはもうよく見るものなので詳細まで語らないが醜悪ものである彼女達はコストはあり余っているが、どこか余裕の無いようにも見える。

これは、コストが減る事に対する耐性が無いゆえに、可処分コストが少ないかである

どちらに偏っていてもやる事は似たような物になる。

大事なのは両者のバランスである。が、自分を変えよう!といった事はほぼ不可能であると言ってもいい。自責他責バランスはまだ変化させることができるとして、利己的と利他的の変化については至難の業であると思う。

最初から利己である人間簡単で、自責に変えても他責に変えても良い。1~2か月ほどかかるかもしれないが、何かトラブルが起きた時に「自分がなんとかできたかもしれない」とか、「これは相手が悪いな」とか考える癖を付ければ良いだけである

それで自責他責バランスは変化させることができる。変化にどれくらいの時間を要するかは周囲の環境とそれに対する自分の立ち振る舞いに依存する。

利己的と利他的バランスを変化させる事はとても難しい。これは、それまでの人生を反映するからである

人生の中で自分を殺す事があったり、道徳を信じる事があったりするとより利他に寄る。

逆に自身の望みを叶えようとしたり、面白い事をやっていると利己に寄る。

利他的というのは異常な状態と言っていい。普通の人は道徳に従う事があっても信じる事はない。道徳を信じたくなる時というのは、理不尽から逃れようとしている時に限る。

利己とは健常な状態である

利己的な目的の為に相手に優しくするというのが普通の事であり、優しくした結果、相手から良いフィードバックを得た。というのは一見道徳的な話に見えるが良いフィードバックを得られる相手を選んだからである

道徳に殉じた利他的人間利己的に戻るというのは難しい。どうすれば戻れるかは今後の課題とする。

書くのに飽きたのでざっくり理想的ビルドを紹介すると

利己7利他3自責6他責4

ビルドが最も理想的であると思う。利己的に回復しながら、自責コストを費やし、たまに他人のせいにして生きる。それくらいが良い

2023-08-26

反社最近家のWIFIが遅くてなぁ~」

ワイ「ルーターが熱持ってる可能性あるから涼しいところにおいて定期的に再起動してみてはどうですか」

反社「ほーん」

(後日)

ワイ「なんか接続早くなりましたね」

反社「うん(無言)」

これが反社本質である

搾取攻撃世界に生きているので、「感謝」だとか「フィードバック」という概念がない。

「タダでもらった情報ネット早くなった」で終わりである

 

仏教用語でいうと「利他」がなく、「利己」がすべてなのである

しろ利他」なんてやっていたら他の反社仲間に食われてしまう。

 

こうした積み重ねがボディブローのように跳ね返ってくるだが、それはまた別のおはなし。

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