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2023-08-12

anond:20230808200202

これ四十九日がおわってないとまだ初盆にならないんだな。そっか。

2023-08-08

このあいだ親が死んだんだけど

7刻みなので47日きとかいうらしい。

まずは今までありがとうである

がんばって闘病して、いろいろできないことが増えていって、内心は情けないとかいろいろおもってたかもしれないけど忍耐して恬淡としたものだったな。

増田お葬式だしたあとは、いろいろ考えたりはしたな。

遺された親のほうがいろいろあったからな。

さすがにちょっと疲れたけど普段運動不足もあって親のどちらのせいでもないな。

なんかすっごく楽しいことは年取ってるせいで間延びしてる。いつもどおり。

ガチャもあたらない。いつもどおり。

本当にわりといつもどおりの日常

でもそれが親ののこしたもの、思いやりとか平和日常ってやつなんだろうとおもう。

初盆台風でふきとばされないように、もどってこられるならちょっとのぞきに来てくれ。

庭の花もそこそこ咲いてるっぽいぞ。

2023-07-13

なんか色々辛い。(恋愛とか実家との関係とか)

2023年1月、母が亡くなった。

末期の癌、発覚から4ヶ月だった。

2021年8月、弟が結婚

2022年4月、弟が結婚式をあげた。

不幸中の幸いにも母が亡くなる直前に、弟嫁も含めて、父・兄・私・弟・弟嫁と実家で過ごす時間が1週間ほどとれた。

弟夫妻は関西在住。東北とある県の実家での時間は、弟嫁にとっては、恐らくしんどかっただろうな。

私は関東で1人暮らし、兄は実家のある県で一人暮らし

母が亡くなったあと通夜葬儀など実家で過ごす間で、寝る場所で揉めた。

母の生前仏壇のある部屋で寝ていた弟夫婦が、

母の死後、遺骨のある部屋で寝るのはイヤなので、

私が寝ていた両親の寝室を譲ってくれと兄を通して伝えてきた。

仏壇のある部屋は、

元々私が帰省した際に利用していた部屋で、

夫婦結婚後、仏壇のある部屋をあけ、両親と共に両親の寝室で寝ることになった経緯がある。

兄を通して伝えてきたことに腹が立ったし、遺骨がある部屋で寝るのは..というのも何調子いいこと言ってんのと思い、両親の寝室を開けなかったことで、兄と弟と父と揉めた。

それがきっかけで、実家場所がないように感じ、追い出されてるような気がした。

初盆帰省を悩む中で、実家帰るのもなぁと思っていたのところ、父から兄の結婚報告を聞いた(デキ婚)

デキ婚自体特になんとも思わないけど、

喪中なのになーという気持ち実家に居場所がなくなるなぁという気持ちで、辛くて涙でてきた。

自分恋愛が上手くいってればもっと喜べたんだろうか

2023-05-07

コロナ5類移行後が恐ろしくて仕方ない

正直明日から生活が怖くて仕方ない。

マスコミは一切コロナのコの字も出さなくなる。

その上で5月風邪流行り出すと思う。

しかも数日寝込む重症だ。

だが、おしなべて「コロナじゃないんだけどちょっとキツめの風邪で…」と言うのが気味悪い仕草になるんだろう。

警戒を続ける人はこれから暑くなるにつれ激減してマスクをしていると気狂いみたいな目で見られるようになる。

その癖『謎の風邪』の症状がおさまっても変な咳が続いたりメンタル不安定になったりポンコツ化した連中の尻拭いをさせられる事になりそうだ。

腹が立つの6月にはその謎の風邪が沈静化する事だ。

その間、葬式の数がやたら増えるし、あんな元気だった部課長が急死したのは過労死だろうなんて噂話も絶えないだろうけどな。

そして夏休みはいよいよ本格的に日常が戻ってきた!昨年までピンピンしていた両親の初盆もあるし帰省旅行に大忙しだ。

これまでの反動や国を挙げたプロパガンダも奏功してインバウンドも含めた夏季休暇の経済効果過去最高を更新

はぁ?何今もマスクなんかしているんだといよいよ気狂い扱いだ。

だが異変が起こるのは夏の終わり頃。

子供の同じクラスの誰それちゃんが亡くなったそうよ。

え?おじいちゃんじゃなくて?

あれ?なんかまた風邪ひいたみたいだ。

季節の変わり目だしな。

熱も高いか病院行ってこよう。

病院には貼り紙がしてある。

本日先生は急病のため休診します。

発熱でお越しの方は下の電話番号でご相談ください。

0570ではじまる高いダイヤルだ。

どうも体が辛すぎる。

仕方なくかけてもしばらくお待ちくださいで10分間。繋がらない。1000円無駄にした。

せめて薬局で解熱剤を…。

薬局はどこもシャッターが降りていた。

なんとか帰宅してとにかく寝る事にする。

妻も子供達も寝ているようだ。

酷く寒い。熱があるのに。寒い

テレビワイドショーでは最近孤独死だけでなく家族死が増えてきていると特集している。

家族間でもコミュニケーションが不足しているので、もっと家族での会話の時間を増やしましょうと頭の悪い事をFラン大学の長ったらしい学科教授したり顔で話している。

ネットでは深刻な症状をもたらす変異種の流行を警告する声もあったが、この頃にはすっかり電波カルト扱いで無視される存在になっている。

この状況になってもほとんどの人は耳を貸さない。

論理破綻した政府の言う事にすがるだけ。

秋も深まり、まだ夜も明けない内に家を出る。

通勤電車が2時間に1本しか出ない。

毎日同じ車両各駅停車

一般家庭には電気が夜間しか供給されないから出勤せざるを得ないのだ。

ただ、そんなダイヤでも満員になる事は無い。

皆、マスクだけでなくゴーグルまでして一切話さない。

職場に着くが、通常5人必要なのにワンオペになってもう何日?何週間?

だが、今日で終わりだ。

昨日給料が振り込まれていないのをようやく確認できた。

銀行オンライン不安定だ。

スマホSMSが送られてきた。

正午から政府の緊急発表があるそうだ。

やっとか。

ここまでならないと動けないんだな。

そりゃあこの国は没落するはずだ。

内容はおおよそわかっているが、78年前より酷そうだ。

まもなく本格的な冬がやってくる。

この冬は寒くなると言ってたな。

2022-10-04

葬式観ってご家庭で色々どころか人によって色々過ぎて、主催意向に沿うようにするのがいいんだろうな…

離婚した両親は性格も合わなかったけど、もちろん葬儀観も全然違ってた

うちの父は葬儀四十九日初盆も全部家族全員揃わないなんて有り得ない!!!って感じでコロナで忙しい時期に度々休み貰って会社申し訳なかったし、離婚した妻(私の母)にまで声かけてたのを後で知ってちょっと引いた

母は母で、母方の祖父が亡くなる前にはそろそろだから週末にでも一目会いに来てほしいと言われて施設の窓越しで手振るだけのために日帰りしたけど、祖父葬儀終わるまで死んだことを聞かされなかったくらいだったし、葬儀自体も母と叔母の二人だけでやったらしい

2022-08-14

今年の春に親が死んで初盆

盆には帰ってくるというが

帰ってきたところで自分の部屋で過ごして顔合わさない感じだろうか

それとも一緒にテレビなんか見てるだろうか

2022-07-22

ちむどんどん本日放送分がキモすぎてもうだめだ

見たくないんだが同居人が週間として朝飯時刻に時計代わりにつけているので見てしまっている…その場にいる全員でツッコミ入れながらだけど。

もうツッコむ気力も失せた。

吐き出しておきたいかちょっと書いとく。

ーーーーーー

沖縄とは何度か観光した以上の縁がなく民俗研究とかしてない身だけど、沖縄文化はご先祖様を大事にしてお盆は盛大にやる、くらいは知っている。こちらでいうお盆はウークイといい、旧盆の時期にやるのだそうだ。古来より盆暮正月帰省が許されるんだから、お母ちゃん再婚の噂で「すぐ帰る!」とかトチ狂ったこと言わすんでなく、ウークイだから帰ります、でいいんじゃねーのかよ。旅費高いから数年ぶりの帰省って感じにすれば当時の沖縄との距離もだせたじゃんよ。

ウークイは盛大にやる=準備が忙しいわけで、こんな時期に「だけ」遺骨収集にいくお母ちゃんっておかしいだろ…比嘉家なんも準備してねえな?お父ちゃんのお迎えとお送りしねえの?いや、自分ちが親戚全滅してたとしても近所のお手伝いとかあるじゃん社会から完全位孤立してんのか比嘉家。これまでの行いからして孤立してても不思議じゃねえけど。

そもそも山原沖縄の北のほう)からガマのある南部って片道移動に半日かかるぞ…。

で、石川家の嫁、なんで実家にいんの?ここんとこ娘の姿がねえな、どこにやった?海に沈めたのか?子役スケジュール押さえられないなら、子供出すなよ。

そもそも博夫は実家から出てアパート暮らしてんだから、そこに合流すればいいだけなのに良子が実家にいる理由はなんだ?実家に入れば育児は歌子に丸投げできるからだろう?「この子母親は私しかいない!」とか言ってたのは無かったことになったんだな。

だいたいそもそも、ウークイは毎年巡ってくるだろ?子供時代のお父ちゃん死んだ初盆子供に教える体でお作法とかやって、お父ちゃんとお母ちゃんの話をちょっとして「幸せになりなさいね」ってやればよかったやんけ。そしたら視聴者もウークイの勉強になり、ストーリーもなんぼか見られるかたちに積み上がったのに。30近い兄弟雁首揃えて、はじめてのウークイの体ではじめてお母ちゃんの昔話聞いてる体が不自然すぎる…気持ち悪…。

昔話パートでも、親戚探しにいくと言って、親戚の一人でもあるオーナーに親戚の消息を報告するでもなしにいきなり結婚して山原に住むと事後報告とか、お父ちゃんも大概だな。

そして沖縄戦の悲劇は合計30分未満の語りで終わって、ノブコとクズピコのラブシーンの踏み台にされただけだった。は?きも。海と三浦大和の歌で誤魔化しきれると思ってんのか?八百屋あんちゃんはもう退場なのか?オーナーの、メイレイハゼタイって要らんだろ。きも。

ただ、昔語りの2日間はノブコが「マサカヤー」「アリエン」と金切り声あげなかったから耳に優しかった。それだけは評価する。どうせなら顔映すのもなくてよかったかな。あの人声が良くねえ。あの子供っぽい喋り方はそういう演出なのか?厨房では髪を結べ、汚えな。

本土復帰50周年作品と銘打ってしまたか沖縄を使ったけど、沖縄文化を描くでもなく、本土復帰前後のもろもろの社会運動や復帰後の混乱を描くでもなく、ただ顔の濃い方言女子おっさんの考えるカワイイムーブさせたかっただけじゃねーか感。

料理とか取ってつけた感しかないし、イタリア料理について調べもしてない。食材ぶちまけるとか焦がすとかい寒いギャグの連発を見るに、製作陣は、食事エネルギー補給のエサとしか思ってないんじゃないか鶴見居酒屋下宿して、自転車10分の横浜寄りの小綺麗な洋食屋修行でよかったじゃないか

そして1970年代80年代前半の新聞記者様(エリート)は当時の鶴見なんぞには絶対に住まないので、クズピコノブコが同じ下宿=やりまくりですね!になるんだよ。あーあ下半身の相性が良すぎてステータスと金を持ってくるはずの婚約者切っちゃった、とな。

放送開始前に思い描いたのは、沖縄舞台にして綺麗な海や山原のモリモリの森やギンギンの太陽を背景に、地元食材を使って、戦争の傷を抱えた人々とともに食のアメリカ化に抗う沖縄料理食堂を切り盛りする物語だったのに…。なんでこんな…。

本土復帰前後は「二人のウルトラマン」で描かれてた。

2022-07-12

伝統宗教も信用ならん!

安倍首相が撃たれた数日前に母が亡くなった。元々、癌を患ってはいたけれど、本当に急だった。まだ70歳だった。

父が「小さなお葬式」に急いで電話しろと言うので連絡を取ると、「小さなお葬式」は地元葬儀場を繋いでくれる単なる「ポータルサイト」だった。知らなかった…

繋いでもらった葬儀場のスタッフは、「次回、ご不幸がありましたら直接我々にご連絡くださいね。″小さなお葬式″を通すと手数料を取られますから。あ!あと、google評価もして頂けると助かりまぁす!」とコンガリ焼いた赤黒い顔から白い歯を覗かせていた。

一応、父の実家浄土真宗だったが、お世話になっているお寺さんは特に無かったので、葬儀場でお坊さんを手配してもらった。

葬儀当日、お坊さんからやたらとパンフレットを貰った。フェリシモか?っていうくらい。

「身近な人が亡くなった時に」「千の風になって」「浄土真宗の基本」等など。

だいたい「ふーん」と流し読みをしてたのだが、気になる文章がいくつかあった。

――――――――――――

言葉意味理解するように心がけましょう!」

●よく耳にする言葉「〇〇さんどうぞ天国で安らかに⋯」

天国ってどこ?キリスト教の方には当たり前ですが、仏教ではふさわしくない言葉です。多分「歩行者天国?」とか「子ども天国?」(遊園地)の意味で言われるのでしょうか?

●「ご冥福をお祈りします

電報会社の例文にもありますが、「冥」は「迷」のこと。しかも「暗い迷いの世界」を意味します。そこに「しあわせ」が有るのでしょうか?黄泉の国は穢れた国であり、昔から日本人はを穢れとして遠ざけてきました。私の身近な人、そして私もそんなに往くのでしょうか?仏さまの世界浄土、清らかな世界意味します。

●「故人も草葉の蔭でさぞかし喜んで⋯」

葬儀の「葬」という字は昔亡くなった人を低

い台に安置し、その上に草を掛けて葬ったことを表わす字です。だから草の蔭というのでしょう。私がいのち終わって往くところは仏さまの国です。筆葉の蔭はデンデンムシさんやコオロギさんにまかせしましょう。

――――――――――――

なんじゃこりゃ。

貰ったパンフレットは全部捨てた。

結局さ、伝統的な宗教だって信者増やしてなんぼよね。人の弱みや不幸に漬け込んでくる。初七日四十九日初盆、〇回忌をやりましょうっていうパンフレットや、仏壇墓地パンフレットが大量に送られてくるけれど、いつだって心の中で祈ればそれで良いと思う。私には宗教なんていらない。お坊さんの有難い言葉もいらない。

親戚の手前、四十九日だけやって、樹木葬合祀してもらおうと考えている。

母は、自分の父母(私の祖父母)が創価学会員だったが、無宗教を貫き、よく「死んだら″無″だよね。生まれ変わりなんて無いし、天国地獄も無いと思うわ。」とよく口にしていた。

神様も仏様も居ないけど、母さんはいだって私の心の中に居る。有難う、母さん。安らかに

2021-08-16

お父さんの初盆

去年の秋にお父さんは肝硬変で亡くなった。

お父さんは終戦の年に生まれたので、この時期になるとニュースでお父さんの年齢が流れる。今年で76だ。生きてたら。

お父さんとは年が離れすぎていて、仲良くも悪くもなく、あまりさなかった。それでもちゃんと育ててくれて、欲しいものは買ってくれて、やや貧乏だったけど不自由なく生活できて、ずっと薄味の幸せを感じられた。僕はお父さんの息子でよかったと思っている。

もうすぐ亡くなるってときに、お父さんに「育ててくれてありがとう」と伝えた。とりあえず言っておかないとという気持ちで。お父さんは泣いてしまった。

お父さんにしてあげられなかったことがたくさんあって未だに後悔するけど、「育ててくれてありがとう」を伝えられただけで幾分かマシになる。伝えられてよかったと今でも思う。

大雨とコロナで控えめな初盆は、あっさりと終わった。

お父さんと会わない夏なんて何度もあったはずなのに、今年は妙に物悲しい。僕の人生から、「お父さんと何々する」「お父さんに何々する」といった選択肢がごっそりなくなったのは、すごく寂しい。スイカを買ってきて、クーラーの効いた部屋で、お父さんと一緒に赤い鍾乳洞を作ったあの頃が恋しい。

お父さんが亡くなってから、僕はエナジードリンクを飲むようになった。特にエナジー必要とするわけでもなく。お父さんが肝硬変で死んだように、僕も糖尿病とかで死ぬんだろうな。

2021-08-12

アホみたいな足の引っ張られ方してるし

初盆だしこの先の話せざるをえないからやむなく帰省するのに休むな帰るな言われるし

あほくさ

2021-05-15

[]anond:20210514150728

挨拶がコラァ!だったおじさんの話

私の地元地方都市都市部から1時間ほどかかる、まあそこそこの田舎町で、住宅地を少し外れると田んぼ放置された畑が広がっているような土地柄だった。田舎特有の濃い人間関係や噂話は大嫌いだったが、むせ返るほどの草木の緑や、稲穂金色に輝いて風に揺れる様を見るのが好きだった。

私の実家周辺は1人の地主土地を抱えており、そこの地主コンクリートミキサー車の運転手と、稲作農家兼業農家だった。父の古い知り合いで、安く土地を譲ってもらったと聞いた。丘の上で見晴らしの良い実家家族は全員気に入っていて、仕事のことや人間関係の面倒ささえなければ、今でも私はその周辺の土地に家を建てたいくらいだ。

土地を買った時私はまだ幼かったので、地主のおじさんのことを、私は「タロのおじさん」と呼んでいた。タロというのは、地主の家で飼われている犬の名前である。このタロのおじさんというのが中々にファンキーな親父で、幼い頃から度肝を抜かれてきた。

まず、小学校からの帰り道、農道ぼんやりしながらひとりで帰っていると、後ろから「コラァ!!」と声がする。「コラァ」なんて可愛いもんじゃなかったかもしれない。「グォラアア!!」とか、そのくらいの勢いがあった。気がついたら後ろに馬鹿かいコンクリートミキサー車があり(移動音に気づかなかった私も大概だが)、その窓から、タロのおじさんが強面でニヤついている。なおこれが彼の精一杯の笑顔である。いつも目は笑ってない。

「なんしよっとかぁああ!!帰りよっとかあ!!」

乗っていくかぁあ!と続いたので、私は大慌てで首をブンブン振って走って逃げた。

タロのおじさんは近所の至る所に出没した。しかし必ず声かけ大音量の「コラァ!!」だった。至極ビビりで大人しい性格だった私はその度に心臓を震え上がらせた。タロのおじさんは大抵、ミキサー車軽トラトラクターに乗っており、腰に鎌を携え、作業着肌着に麦わら帽子かぶっていた。考えてみてほしい。ビビリの小学生女子がそんな戦車に乗ったモンスターの様な佇まいの親父に毎度コラコラ言われるさまを。第一、何も悪いことなどしてないのに、何故コラから入るのだろう?普通こんにちは、とかじゃないのか?と幼心に理不尽を感じ、タロのおじさんに会うとすぐ逃げまくっていた。

タロのおじさんは私の実家にも時々出没した。

気がつくと、大きな梯子と枝切り鋏を抱えてやってきて、庭木の剪定をしているのだ。

「庭木が伸びきっとるのが下の道から見えたけぇ切っちゃっとるぞ!!」

母と私はザクザクと切られていく庭木を唖然として眺めていた。帰ってきた父が、若干ハゲになった庭木と庭に散らばった切られた枝葉(ちなみに片付けはしない)を見て驚いている。

それから、父が頼んだわけでも、もちろん母が頼んだわけでもないのに、タロのおじさんは嵐のようにやってきて、勝手剪定していった。今やったら住居不法侵入罪とかの結構重めの罪になるのでは?と思う。でもタロのおじさんは純粋に親切でやっていたのだと、今なら多少無理矢理だがわかる気がする。

そう、タロのおじさんは基本的にめちゃくちゃアクティブな善人だったのだ。

付近の山に害獣の猪がでれば罠を仕掛けて仕留めるし、子供を見れば怖がられても声をかけて様子を見ているし、隣の土地雑草田畑の世話をし、犬も猫も鶏も沢山飼って可愛がっていた。

あの土地のことが好きだったのだろうと思う。多分私も、その一部だったのだ。

今、私は母親として都市と言われる場所暮らしていて、地域の人との関わりといえば本当に限定的ものしかないし、そんなおせっかいすぎるほどおせっかいなおじさんやおばさんは居ない。上品で物腰の柔らかい、決して私たち家族に深入りをしない、好ましい距離のとりかたを分かっている人達ばかりだ。田舎者の私はその上品さにたじろぎながら、ここでの人との接し方を学んでいるところだ。

別にタロのおじさんみたいな人になりたいわけじゃないし、私の娘がタロのおじさんみたいな人に会って、「コラァ!」と声をかけられたら、絶対警察に連絡する。絶対にだ。

それでも、タロのおじさんのことが時々懐かしくなる。あの乱暴おせっかいが懐かしくなる。

タロのおじさんは、マムシに3回噛まれて呆気なく死んでしまった。だから最期に会ったのは、初盆遺影の前。天国でもミキサー車で乗りつけて、乱暴おせっかいを焼いているのだろう。

また会う日まで、タロのおじさん。

2020-08-02

帰省 初盆 コロナ

コロナ禍で自粛ムードが漂う中帰省する

懸念されるような親族の会食もない。

コロナがはじまるちょっと前に逝去した親の初盆と、実家解体する前に一緒に過ごすために行く。

去年とは違う寂しい夏休み

2019-08-31

実際飯塚幸三ってよく家に居られるなあ

自分運転する車で何にも引き裂いて、その時の衝撃だって悲鳴だって覚えているはずなのに

罪を償って赦されたいとは思わないのだろうか

それとも、ポリニャック夫人よろしく文句があるなら上級世界へいらっしゃい、とでも思ってるんだろうか

なくなった母子に関してはこの夏が初盆だったわけだが、書類送検すらされなかった

こうもなっちゃあ、飯塚幸三のメンタルの強さには驚くばかりだ

死ぬまで、高級家具に囲まれた家でぬくぬくできても、犯した罪、償わなかった罪は消えないのに

よく自●しないよなあ

妻も息子も孫も、よくそんな恥ずかしい祖父を持ってのうのうと日常生活を送れるなあ

今や、免許を返納しなかったこと、無理に運転を続けたこと、人を轢き殺したことよりも、なによりも、罪を償わなかったことの方が何倍も恥ずかしい

2019-08-20

十年以上、病に苦しんだ父が、半年前ついに死んだ。

働きながら介護をする母を労うでもなく我が儘放題な態度が腹に据えかねて、私の中の父はとうに死んでいた。喪失感はなかった。

晩年はずっと病院暮らしで、テレビにも音楽にも興味を失い、言うことを聞かない身体をたまにもぞもぞと動かしながら、四六時中白い天井を眺めているだけだった。

屍のようだ、と頭の片隅に思いながら、正月だけ義務的に見舞い続けた。

初盆で、祖父母と父が眠る墓参りへ行くことになった。

見栄っ張りな祖父が購入したお墓は車で行きづらいところにあったが、自家用車は父が寝たきりになった時点で手放した。最寄り駅で集合し、タクシーで向かうことになっていた。

途中、電車の窓から病院が見えた。

父がまだ通院で済んでいた頃、しばしば付き添いで行った病院だった。ちょうど大学に通うのを辞め、働き始めた頃だった。

診察後に併設の喫茶店で二人で食事したことを思い返す。

大学は行かないのか」と聞く父に、大学に通えなくなった幼稚な言い訳と、仕事やりがいを語って聞かせた。

「好きにしな」と父は短く返して、パスタを啜った。

私が志し、そして諦めた学科は父と同じだった。働く父は好きだった。

あの病院での会話が、「生きた父」との最後のやり取りだったなと回想して、少し涙ぐんだ。

信仰心がない私にとって、お墓は単なる骨の安置場所だ。

清掃して、お供えをして、お線香を上げて、手を合わせても、「生きた父」には二度と届かない。病院で寝ていた屍と同じようなものだ。

お盆墓参りは、正月のお見舞いと同じように、ただ義務的に続けることになるのだろうな。なんだか嫌だな。

2019-08-16

実家からウンコ臭いしかしない糠床が発見されたとき

はたしてそれは糠床なのかウンコなのか

答える主なき初盆の夏

2019-07-20

『天気の子』浅い感想

じゃあ、書いてくぞ。ネタバレ注意。

『天気の子』を振り返る。

森嶋穂高モノローグから始まる

ていうかモノローグが多い

・ほんもののお姉さん(間宮夏美

少年さ~」

須賀圭介の姪。

自然災害系で信仰

ー天気の子巫女

鳥居神道系。

豪雨ー2年前の西日本豪雨などを彷彿とさせる。

君の名は。』では隕石落下という自然災害が起きた。

人間はどうしても自然に勝てない?

君の名は。』でも宮水神社舞台になっている。

陽菜には「陽」が入っている。

・銃

少年マンガ定番

・龍

ー魚

魚は龍の派生。(SEKIROより)

浴衣

花火

自然な形で陽菜浴衣を見せた。

倍賞千恵子立花冨美

立花瀧のお母さん?

ここでは瀧のお父さん?の初盆

後で宮水三葉も出てくる。

四葉どこいた?

・「公妨ォ!!!

すき。

未成年で将来を誓い合う

青春モノ定番

・涙=雨

雨は天の涙という。

実際、陽菜が泣く。

警察カーチェイス

青春モノ定番

夏美就活

いやほんと誠さぁ・・・

・生傷だらけの顔、手錠

青春モノ定番

手錠はさぁ!!手錠フェチkore

最後空中でもつれつつ手錠がかかさって離れなくなるとか思ったじゃん。

・狂った世界 とは?

その後、警察に確保された二人は2年離れ離れになる。

誠はエンディングの前に必ず離れ離れにしたくなる病にでもかかっているのだろうか。

お前、、、やめろよ、、、(秒速の恐怖)と思ったがちゃんと再開。

ここでの陽菜巫女というより聖女という印象。

結局、銃の出どころや、水に沈んだ東京への納得の仕方は、消化不良。

だが、こんな狂った世界でもいいんだよ、というエンド(?)

まとめ

君の名は。ほど青春喪失感がなくて精神衛生上よかった

『天気の子』浅い感想

じゃあ、書いてくぞ。ネタバレ注意。

『天気の子』を振り返る。

森嶋穂高モノローグから始まる

ていうかモノローグが多い

・ほんもののお姉さん(間宮夏美

少年さ~」

須賀圭介の姪。

自然災害系で信仰

ー天気の子巫女

鳥居神道系。

豪雨ー2年前の西日本豪雨などを彷彿とさせる。

君の名は。』では隕石落下という自然災害が起きた。

人間はどうしても自然に勝てない?

君の名は。』でも宮水神社舞台になっている。

陽菜には「陽」が入っている。

・銃

少年マンガ定番

・龍

ー魚

魚は龍の派生。(SEKIROより)

浴衣

花火

自然な形で陽菜浴衣を見せた。

倍賞千恵子立花冨美

立花瀧のお母さん?

ここでは瀧のお父さん?の初盆

後で宮水三葉も出てくる。

四葉どこいた?

・「公妨ォ!!!

すき。

未成年で将来を誓い合う

青春モノ定番

・涙=雨

雨は天の涙という。

実際、陽菜が泣く。

警察カーチェイス

青春モノ定番

夏美就活

いやほんと誠さぁ・・・

・生傷だらけの顔、手錠

青春モノ定番

手錠はさぁ!!手錠フェチkore

最後空中でもつれつつ手錠がかかさって離れなくなるとか思ったじゃん。

・狂った世界 とは?

その後、警察に確保された二人は2年離れ離れになる。

誠はエンディングの前に必ず離れ離れにしたくなる病にでもかかっているのだろうか。

お前、、、やめろよ、、、(秒速の恐怖)と思ったがちゃんと再開。

ここでの陽菜巫女というより聖女という印象。

結局、銃の出どころや、水に沈んだ東京への納得の仕方は、消化不良。

だが、こんな狂った世界でもいいんだよ、というエンド(?)

まとめ

君の名は。青春喪失感がなくて精神衛生上よかった

2018-12-07

anond:20181207022807

蜘蛛絶対に殺さない。

昔、バカ殿で、田代蜘蛛の巣にかかった蝶を助けてあげると夜に田代のもと蝶が恩返しに来て気持ち良い事をしてくれたのを見たバカ殿が、同じように蝶を助けるのだが、蜘蛛を懲らしめようと踏んでしまい、蝶が恩返しにくるのだが、蜘蛛復讐に来るというコントがあった。

xxxHOLiCでは、百目鬼蜘蛛の巣を取り払ったせいで蜘蛛に呪われて目が見えなくなるエピソードがあった。

婆さんが死んだ初盆でお坊さんが蜘蛛の糸の話をしてくれたあと、盆の間に絶対してはいけないことが殺生であり、虫一匹の命であなた極楽浄土へ行ける可能性も生まれるという話をしてくれた。

蜘蛛は益虫でゴキブリや羽虫などを捕まえて喰ってくれるという話も聞いた。

から、俺は絶対蜘蛛は殺さない。

蜘蛛を殺すやつはかわいそうだとおもっている。

2018-11-08

anond:20181107032122

葬式って終わった後も四十九日あって香典返して百か日、初盆、1周忌3回忌…と死んだ人が忘れ去られるまでずっと続くんだよね

2017-09-30

ババァって電気無駄遣いに敏感だけど

父親初盆で夏は親戚が集まったけど、ババァどもはテレビや照明はマメに消すのに、エアコンをつけてる部屋の出入り口は開けっ放しにして平気なんだよな。

年寄りってエアコン嫌いだから普段使って無くて、よくわからんのだろうけど。

2017-08-25

姉ちゃんが熟年離婚しそう

今年は父ちゃん初盆で遠くに住んでる姉ちゃんが帰省してた。

母ちゃんと姉ちゃんと三人で世間話していて、俺は60で仕事やめて隠居するって言ったら、母ちゃんがそのときは家を売って実家に帰って来いって言うのな。

そしたら姉ちゃんまで、私もここに住んでいい?とか言い出した。

俺は奥さんが亡くなって一人だからどこに住んでもいいけど、姉ちゃんは旦那子供がいて、マンションも買ってるし、どういうことだと思ったら、旦那とうまく行ってないらしい。

夫婦は仲いいと思ってたのに。

2017-08-22

親孝行

昨年、親をイオンライフに入会させた。

会員になると、映画を見る時にドリンクポップコーン無料でもらえるのだ。

映画が好きな親へのささやかプレゼントでもあった。

毎月のように映画館へ出かけるようになって、幾許か表情も明るくなっていった。

あの日終活提案してよかったと思う。

初盆を終えたので記す。

2017-08-06

今日松本人志和田アキ子番組が見れない

自宅はアンテナがないかテレビが見れない。

5月に父親が亡くなって実家母親一人になったから、初盆までは週末は実家に帰ることにした。

車で片道一時間くらい。

それで、土日曜はテレビを見るようになったのだけど、日曜の午前中の松本番組と、昼の和田アキ子番組面白いな。

今週は台風で、親が帰ってくるなって言うから久しぶりに自宅で過ごしてるんだけど、テレビみたいわ。

2017-07-13

友達の死の悼み方ってなんだろうね






昨年、友人が亡くなった。



お葬式では、讃美歌を歌いながら泣いた。

故人の経歴というものも聞いた。

「人の一生を紹介するには、20年間というのは短すぎるんだな」とそのとき思った。



私はまだ20代前半で、同年代の友人の死に未だに現実感が沸いていない。

友人たちにお葬式の連絡をするときも、「そうだ。○○(友人名)にも連絡しなきゃ。」

式の前日も、「○○は明日来るかな。久しぶりに会うなぁ。」

と考えてる有様だった。

それは参列した他の友人や知人たちも同じようで、慣れないスーツに身を包む彼らはぎこちない様子で、

初めて1人で来たお葬式に戸惑っているようだった。




お葬式で涙を流すだけ流した私は、それ以降彼女の死を思い出して泣くことはなかった。

たった数分泣いただけって、自分は薄情なのかなと思う。


最初彼女は長期の旅行に出たんだ、と思い込もうとした。

けれど、インターネットがあってリアルタイムに連絡を取るのが当たり前のこの時代では、

そう思い込むというのは無理な話だった。

いくらLINEをしても既読すらつかないし、彼女twitterのページは新しいツイートを表示しない。

Facebook更新されていない。



ここ一年生活の折々で彼女の死を思い出すような生活を送っていた。

でもやっぱり私は薄情なのかもしれない。

ちょうど一年前のこの日この時間は、彼女は生きていたという、そんな事実も遠い過去のような気がしてしまう。





もうすぐ彼女誕生日だけどお祝いもできないのが悲しくなって、増田に書いた。

誕生日に仏花なのもあんまりからチューリップとかそういう可愛いお花を供えたいけど、

お墓も知らないし、かと言って、初盆も迎えてない彼女実家に送るのもつらいし。

お寺や神社で祈ろうにも、何を祈ればいいかからないし。




やっぱり悲しくなってきた。

2016-08-13

ある出来事の遺族として

「こんな形で初盆を迎えるとは思っていなかった」そうつぶやいた父に私は何も言わなかった。言えなかったのではなく、言わなかった。扇風機の音、読むでもない新聞をめくる音。

父は「彼」に思い入れや思い出があるのだ。私が生まれる前の話、それは知っている。しかし私には何もない。「彼」と意思の疎通が図れたことも、まともに顔を見合わせたことも、互いの名前を呼んだことも、何ひとつない。そもそも私は父方の親類とは没交渉であったのだけど、「彼」とはその中でも格段に関わりがなかった。

年齢差もさることながらそれ以上に心の距離がはじめから埋められないほどに遠かったのだ。身内に○○な人がいる、その程度の知識しかなかった。他方、「彼」が私について知っていたことはもっとずっと少なかっただろう。私が小さなころ、近くにいると知っているときでも、ただの一度も顔を見せようとはしなかった。従兄弟なのだからしかけてくれてもいいだろうに。避けられた理由は今もわからない。ただ強烈に嫌われていると感じた。子供心に関わってはいけないのだと思った。はじめから向こうから避けてきた人に、避けられ続けてきた人に、どうして思い入れを持つことなどできるだろうか。

「彼」が無惨な死を迎えたあとも思い入れの無さは何も変わらなかった。「へえ、そんなところで暮らしていたのか」それが一報を聞いたとき思ったことだった。

まだ若かった。死の瞬間を想像する分にはかわいそうだと思う。あんまりな話だとも思う。でもそれは、同時に亡くなった人びとに対する思いといささかの変わりもない。

葬儀には出なかった。行かなかったのは私くらいのものだったそうだ。親類たちは「彼」に迷惑をかけられた反面思い入れもあるのだ。親類の一部は私に対して怒っていたとも悲しんでいたとも聞いた(行けば行ったでこいつは誰だとか何故こんな奴がここにいるんだと陰口を叩かれるのだけど)。

もし「彼」が生き続けていたとしても私と会う機会などあのまま何ひとつなかっただろう。どこかですれ違っても互いの顔に気付くことなどないし、相手のことを想像することも一切ないままだったろう。平穏に死んでいたならば私が葬儀に出る出ないなど話題にすら上るまい。

それが、たまたま悲劇的な死を迎えたというだけで、私は「彼」を悼むふりをせねばならんのか。ショックを受けた人や思い入れのある人のために?

葬儀は死者のためにするのではなく遺された者のためにする、それは知っている。けれど「彼」の場合、生きているとき私たち暮らしとは十分に離れたものだったではないか。こんな出来事でもなければあなたたちは「彼」の死でそこまで集まりましたか

五輪の実況が隣室から小さく聞こえる。ビールを飲み終えた父は何も言わずに寝室に立った。

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