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はてなキーワード: 刊行とは

2024-09-20

anond:20240920113021

母原病(ぼげんびょう)とは、日本小児科精神科医徳重盛が1979年刊行した『母原病母親が原因でふえる子どもの異常』(教育研究社

で発表した精神医学的な考えで、母親育児下手が子どもに様々な病気問題をひき起こしているとするものである

科学的根拠がなく、個人的意見の域を出ない疑似科学の類である

2024-09-12

はてなブックマーカー文章が読めなくてビックリ

https://note.com/syosin_kai/n/n86f654833d52

1997年から2002年ゲーム関連の店舗の減少をあげて、何があったのかを解説した記事なんですが、これに対して「なぜダウンロード販売の影響を書いていないんだ。この記事は信用できない」って反応があってとてもビックリしたことは心に残っています。そして教訓になっています

https://x.com/syosin_kai/status/1833986674063487342

 

おそらく人は(自分を含め)、書いてある文章を読むことができないんだなということを肌感覚理解しました。

https://x.com/syosin_kai/status/1833986885938741525

上記note記事では、序盤のほうで1997年から2002年までの店舗数の激減をデータとしてあげており、その後の文章でも2002年までに刊行された文献を参考に当時の状況を分析している。ダウンロード販売話題が入る余地がないことは明らかだ


しかし、当時のはてなーの反応はこのようなものだった。題名しか読んでいないはてなーしかいない

tsutsumi154 ダウンロード販売に移行してるのに旧態依然だったからでは CD屋と本屋物理媒体必須としないのに勘違いしてる まだ物理

workingasadog-kt ん?ダウンロードする方が便利なのに実店舗いらんやん、で終わる話と思ったけど違うんか…(ビデオレンタル店が消えたのと同じ話じゃないの)

tettekete37564 中古対策としてベスト版出し始めたのとダウンロード販売一般化。中古屋のネット移行、のあたりと思われ。/ あー確かに> “店舗に行ってはいものの、店頭にある情報は参考にしていない”

lex010 少子化通販ダウンロード版の登場かな

mayumayu_nimolove ダウンロード配信主流になったからでは。あ、その前にAmazonが現れたからもあった。

aratety 競合となる蔦屋が現れた(そしてそれは町のゲーム屋としてカウントされない)・ネット販売が普及した・DL販売などの直販が普及した これに対してプラス要因は0 そりゃ潰れるわ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/syosin_kai/n/n86f654833d52


こちらは文章が読める変わった人

UhoNiceGuy ダウンロード販売Amazonが普及する前の2000年より前の話やぞ//ゲームソフトが小規模店に合わなかったのかねぇ。でも、個人店の八百屋も見なくなったし、小規模店は現代では厳しいのでは ゲームマーケティング歴史

2024-08-22

米国株本一覧

米国株本を年代順に並べてみた。書名に「米国株」「アメリカ株」(「米国投信」)が含まれているものに限ったが、葉山櫂「外国株投資入門」(1997年)はパイオニア的な本なので含めた。電子書籍は除いたが、Panさんのものは含めている。

1990年代】(6冊)

外国株投資入門: リッチマンへのバイパス (実日ビジネス) – 1997/7/1葉山櫂 (著)

1,000ドルから本気でやるアメリカ株式投資 : インターネットで始めよう! 荒井拓也 著 NTT出版 1998

インターネットを使った株式投資 : あなた日本株,それとも米国株 大和総研 監修,大村岳雄, 野口祥吾 著 中央経済社 1999 (CK books)

1,000ドルからアメリカ株式投資 : 徹底編 Coca-ColaからYahoo!まで 荒井拓也 著 NTT出版 1999

アメリカ株急落、日本株急騰する日 : なぜ日本が再び復活し、アメリカは沈むか 藤井厳喜日新報道 1999

デイ・トレード入門: インターネットインフラがもたらした究極の投資米国株投資 (WEBビジネスシリーズ) – 1999/11/1中谷 恒敏 (著)

2000年代】(9冊)

Nasdaq100社の徹底研究 : 米国株投資10倍株の宝庫 荒井拓也 著 講談社 2000

オンライントレード入門 : ダイレクトアクセストレード対応する : 米国株投資 西郷一輝 著 ソシム 2000 (Webビジネスシリーズ)

日本語だけでできるアメリカ株 : これが銘柄の全注文状況を把握できるリアルタイムトレードだ! 櫻井貴志アスカエフプロダクツ 2000 (CD book)

投機バブル根拠なき熱狂 : アメリカ株式市場暴落必然 ロバート・J.シラー 著,植草一秀 監訳,沢崎冬日ダイヤモンド社 2001

決定版 1000ドルから本気でやるアメリカ株式投資―長期資産形成!いま、原点から戦略

荒井 拓也 | 2002/11/1

米国株夜間トレードで儲ける方法 : 日本語だけで買える 宝島社 2004 (別冊宝島 ; 1034号)

米国株面白いほど儲ける本 : ネットで始める英語不要米国株投資入門 米国株トレードを楽しむ会 編 中経出版 2004

原油高騰でザクザク儲かる米国株を狙え! スティーブン・リーブ, ドナ・リーブ 著,盛岩外四 監訳 ランダムハウス講談社 2005

アメリカ投資完全マニュアル 基礎知識&口座開設編 麻生稔 著 パンローリング 2006 (本気の海外投資シリーズ ; 3)

2010年代】(8冊)

アメリカ株 長期投資入門―2022年NYダウは4万ドルへ上昇する 2010/6/18中丸友一郎 (著)

2011年はドル米国株で儲けなさい : アメリカ経済大復活! 中丸友一郎/著 徳間書店 2010

日本人が知らなかった海外投資 米国株 アメリカゲートウェイ世界中の成長市場に賭ける(ソフトカバー2012/1/12戸松信博 (著)

世界マーケットで戦ってきた僕が米国株を勧めるこれだけの理由 松本大 著,マネックス証券株式会社 監修 東洋経済新報社 2013

米国株は3倍になる! : 日本株も上昇に転じた2018年投資戦略 江守哲 著 ビジネス2017

バカでも稼げる 「米国株」高配当投資ソフトカバー) – 2018/4/28バフェット太郎 (著), はるたけめぐみ (イラスト)

お金が増える 米国株超楽ちん投資術 – 2019/10/18たぱぞう (著)

40代資産1億円! 寝ながら稼げるグータ投資術~初心者でもできる、はじめての「米国株投資ソフトカバー) – 2019/10/19たぱぞう (著), アゲオカ (イラスト)

2020年】(5冊)

バリュ投資家のための「米国株データ分析―ひと握りの優良株が割安になるときの見分け方(ソフトカバー)– 2020/1/25ひろめ (著)

世界一やさしい 米国株教科書 1年生 – 2020/6/2はちどう (著)

金を買え 米国株バブル経済終わりの始まり2020/7/22江守哲 (著)

もみあげ米国株投資講座 – 2020/10/17もみあげ (著)

今こそチャンス! 資産を増やす米国株投資入門(ソフトカバー)– 2020/12/3岡元兵八郎 (著)

2021年】(17冊)

超ど素人がはじめる米国株ソフトカバー2021/1/18 20代怠け者(上本敏雅) 著 翔泳社

No.1ストラテジストが教える米国株投資の儲け方と発想法 = ADVANTAGES ASSOCIATED WITH LONG-TERM INVESTMENTS IN US STOCKS菊地正俊日本実業出版2021/1/26

はじめての米国株入門 : はじめ方から勝利のコツまでオールカラーでやさしく解説! 2021/2/2岸泰裕 著 成美堂出版

英語力・知識ゼロから始める!エル式米国株投資で1億円 = START FROM ZERO AND BECOME A MILLIONAIRE WITH US STOCKSエル 著 ダイヤモンド社 2021/2/10

増える! りんり式米国株投資2021-03-16 (TJMOOK)りんり 監修 宝島社

経済的自由をこの手に! 米国株で始める 100万円からセミリタイア投資2021/6/23たぱぞう (著)

図解でよくわかるたぱぞう式米国株投資 : 目指せ!資産1憶円! 2021/6/29たぱぞう(著)きずな出版

素人でも稼げる! まんがと図解で超カンタン 1億円をつくる米国株投資 2021/7/5エル (著), とも (著), 配当くん (著), はちどう (著), もみあげ (著), NUK (著), PAN (著)

【完全ガイドシリーズ325】米国株完全ガイド (100%ムックシリーズ) 2021/7/14晋遊舎 (著)

米国株 S&P500インデックス投資 2021/8/10堀越陽介 (著)

10万円以下からはじめる! 米国株超入門 (TJMOOK) 2021/9/13竹内弘樹 (監修)

今日から始める! 米国株投資超入門: 松本大がやっぱり勧めるこれだけの理由 2021/10/8松本大 (著)

世界一やさしい 米国ETF教科書 1年生 単行本 2021/11/19 橘ハル (著)

2022年度決定版! ゼロから始める 米国株投資入門 雑誌 2021/11/27たぱぞう (監修)

いちばんカンタン! 米国株の超入門書ソフトカバー2021/12/4安恒 理 (著)

33歳で年収300万円台でも 米国株投資爆速1億円 まーしー(著) 2021/12/8

80分でマスター! [ガチ速]米国株入門(ソフトカバー2021/12/17 金川顕教 (著)

2022年】(13冊)

株探 最強投資米国株FIREの達人が伝授! ほったらかしで1億円を作る! 2022/1/21 カロリーナ (著), たぱぞう (著), ふくと (著), まーしー (著), PAN (著)

めざせ1億円!米国株投資超入門 (COSMIC MOOK) 2022/2/21宮原晴美 (著)

米国株チャート最強の教科書ソフトカバー2022/2/23鎌田傳 (著)

米国株 長き宴の終わり 単行本ソフトカバー2022/3/1若林栄四 (著)

2022年米国株の稼ぎ技196 (SIB) 2022/5/2ループプロダクション (著, 編集), 松田遼司 (著), 伊藤亮太 (著), 伊藤キイチ (イラスト), たぱぞう (その他)

知識ゼロから米国株投資入門 2022/5/11岡元兵八郎 (監修)

米国株なんて買うな! インデックス投資も今はやめとけ! グローバル割安株投資ソフトカバー2022/5/21日野秀規 (著)

たぱぞう式 米国株お宝銘柄投資 たぱぞう 2022/7/15

【完全ガイドシリーズ355】米国株完全ガイド (100%ムックシリーズ)晋遊舎 2022/7/21

20万円の不労所得を手に入れる! おけいどん式ほったらかし米国ETF入門 桶井道 2022/8/12

めざせ「億り人」!マンガでわかる最強の米国株入門 安恒理2022/9/14

月3万円で3408万円の超安心資産をつくる! 毎月5分のシン・米国株投資レイチェル 2022/10/3

米国株「レバナス投資 月1万円の積み立てから狙う“悪魔的リターン” 風丸 2022/10/28

2023年】(5冊)

リアルガチ!3倍になる米国個別株の見つけ方 月収30万円ボーナスなしサラリーマンでも2.6億円つくった方法 チョコ (著) 2023/1/26

ほったらかし投資FIRE 手間なく7年で早期リタイアする「米国株」高配当投資単行本ソフトカバー)ゆうパパ (著) 2023/2/2

【完全ガイドシリーズ372】米国株完全ガイド (100%ムックシリーズ) – 2023/7/26晋遊舎 (著)

世界一わかりやすい「米国株投資」の教科書ゼロからわかる新NISA活用法~PAN | 2023/10/23Kindle版 (電子書籍)

最強の米国株2024 for Beginners (パワームック)大洋図書もみあげ | 2023/12/18

2024年】(4冊)(8月20日現在)

負けない米国株投資術 米ヘッジファンドの勝ち方で資産を増やす!まりーさん | KADOKAWA (2024/3/1)

NISAではじめる 米国株投資2024/6/10岸泰裕 (著)

米国株大全 2024-2025 NASDAQ100&配当スペシャル (パワームック) – 2024/7/16大洋図書 (その他)

NISA米国投信かんたんスタートガイド (100%ムックシリーズ) – 2024/7/24晋遊舎 (著)

注釈をつけだすと切りがないので、いくつか注釈するにとどめる。

葉山櫂「外国株投資入門: リッチマンへのバイパス」(1997年)が、たぶん米国株本のトップバッターである外国株投資入門を謳っているものの、ほぼ米国株についてしか書かれていない。著者略歴には「1958年横浜出身1981年上智大学法学部卒業後、大手タイヤメーカーに勤務。西はパキスタンから、南はインドネシアまで、ほぼアジア全域を行脚。85年より中国専門担当になり、香港拠点マーケティング活動、87年帰国。88年より大手証券会社転職、同年より93年まで再び香港駐在通算、7年半の香港駐在)、帰国後、東京本社外国株式を専門に分析プロモート開始。現在に至る。」とある。この本の他に「精霊たちの夏」という小説1994年刊行している。この二冊の本を刊行してから消息は分からない。

この頃はなかなか米国株を買うのは難しかったようである。もちろん、東証上場している企業の株は買えたのであるが、それ以外を買うには、日本証券会社は取り次いでくれないので、現地の証券会社に口座を作らなければならなかったようである東証アップルは買えたが、マイクロソフトは買えなかったらしい。

ツイッターでは、同書は十年に一度くらい言及されているようである

ki-iphone@kiiphone:「@furontorsan 尊敬します。マクロとか、ミクロとか、よく分からんです。「外国株投資入門 - リッチマンへのバイパス葉山櫂 もお勧めです。私のバイブル。分かりやすい。絶版だと思うので、アマゾンマーケットプレイスか。これを参考に投資して私は120cm水槽を買いました。」(20101月26日

KazooJr.@kazooJr:「相場は大荒れ、おっさんには手が出ないので、だって反射神経が若者と段違い。/初めて買った株の本、外国株投資入門、葉山 櫂著を引っ張り出して読んでいる。/1997年発行の古い本だが、中身は古くなっていないのに驚く。」(2020年3月20日

「中身は古くなっていない」というのはその通りであろう。これは日本アメリカも変わっていないかである。同書には、アメリカ開放的で、あらゆる人種の人がしのぎを削っているが、日本は閉鎖的であり、ハイテクのような新しい産業アメリカに敵うわけがない。日本はこれから没落していき、長期的には円安傾向になるであろうといったことが書かれているが、当たっていた。円安傾向はアベノミクスから始まるとはいえ成長産業がないので、遅かれ早かれそうなっていたはずである。この本が出たのは1997年であるが、この年は、山一証券拓銀が潰れて、危機的な経済状況に突入した年であり、そういう年に米国株本というジャンルが産声を上げたというのは象徴である

しかし、葉山櫂「外国株投資入門」はほとんど知られていないようである。むしろこの頃の米国株本を牽引したのは荒井拓也である荒井氏の「1,000ドルから本気でやるアメリカ株式投資」(1998年)はそれなりに売れたようで、それから何冊も米国株本を出している。しかし、アメリカITバブルであり、ここで買っていれば損をしたのかもしれない。

この頃はインターネット草創期でもあり、ネットで株が売買できるようになった(1998年松井証券が始めたらしい)。しかし、ネットで行われていたのは米国株の売買というより、FXなどのデイトレードであろう。迷惑ユーチューバー煉獄コロアキも、デイトレードで稼ぎ、3億くらい資産があったこともあった(誰にでもできることではない)。しかし、勝ち続けるのは難しく、現在では借金が1億くらいあるらしい。

ITバブル崩壊から立ち直った途端にリーマンショックが襲った。ここで買っていれば儲かったのであるが、買おうと思えるような状況ではなかったことも事実である。そんな中、2010年に中丸友一郎は2冊の米国株本を出しているが、これは今から見れば大当たりである中丸氏はウィキペディアにもページがあり、世界銀行エコノミストなどを歴任し、2004年から2021年にかけて28冊の本を出している(ウィキペディアの著書一覧は2017年までしか書かれていない)。発売当時のツイートに次のようなものがある。

たり@talisman1975:「2011年はドル米国株で儲けなさい:中丸友一郎 支店長にもらった本。浅井隆みたいなのかと思ってたけど、ものすごく Permalink | 記事への反応(0) | 09:48

2024-08-04

東浩紀伝2

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年教育雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。

東のゼロ年代ゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムゼロになる」という意味らしい(「現代日本批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか

3 ゲンロン

ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。

ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズ2010年4月6日創業された。2009年の秋の飲み会アイデアが出たそうである宇野常寛濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズ代表就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかたかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。

一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿2010年代に書かれたのですが、出版震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代パラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもの民意をくみ上げようというものであるゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代ゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。

サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画2ちゃんねる動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。

一般意志2.0」の次の主著は「観光客哲学」(2017年であるが、サブカルチャー批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれからアニメゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客哲学 増補版」第2章によると、観光客二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタク原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客住民暮らしなどお構いなしに無責任観光地をつまみ食いしていく。このように観光客現実二次創作しているそうである

福島第一原発観光地化計画思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発事故があり、ダークツーリズム対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズム二次創作への抵抗である(「観光客哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地観光に出かけると、普通場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである二次創作への抵抗)。

社会学者開沼博福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞ウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故イメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年東京大学大学院情報学環准教授就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣脱原発哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラー佐藤博論(「権力抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤バトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラー著作邦訳を担っている)。「脱原発哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。

観光客哲学」はネグリハート帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学であるとして、郵便マルチチュードとしての観光客対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというものリベラルマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二こたつぬこ木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実革命的なあまり革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命成功していることになるのか」(「現代日本批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。

東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうであるブレイディみかこ松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員代表を務めている。

観光客哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学であるこちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能なのだという(森脇「東浩紀批評アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。

こうして現在2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身気質自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体境界侵犯欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀桜坂洋キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。

宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利宇野要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である映画原作なのだろう)が、宇野ウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代批評をふり返った本の終章なのだから2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。

濱野智史は「アーキテクチャ生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised情報社会倫理設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドル流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史社会学者)が経験したアイドルプロデュース真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。

千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベント千葉ゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。

大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。

福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談現代日本批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。

津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督就任し、東は2017年10月企画アドバイザー就任する。しかし、企画展「表現不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルから顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。

東は2018年12月18日にツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

2024-08-02

酷暑刊行

くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます…😟

2024-07-27

小山田圭吾QJイジメ記事は当時からオカシイものだったよ

このオカシイというのは倫理的ものじゃなくて、コンテキスト的なおかしさのこと。端的に言うと「だせぇ陰キャ流行りの鬼畜系の真似をしてみたイキリ」だ。

https://anond.hatelabo.jp/20240724141703

最近で判り易い例で喩えると、石原伸晃報道ステーションに出て「ナマポゲット~」とか医療費削減の為に安楽死がいいとか言ってたヤツ。あれだ。

若しくは駅員の注意に弱そうな撮り鉄が細い声で暴言吐いてるのとか、江ノ電ニキに「金か?金なんだろ」と細い声を張り上げてるあれの同類

 

伸晃の場合ネットに触れるようになって良い年したオヤジネトウヨサイトに感化されてるのが明白で、当時としても「バカじゃねーのこいつ」と思った人は多かろう。特にネットをよく使う人なら文脈をよく知っているからおさらだ

から小山田QJ記事についても「バカじゃねーのこのダサ坊」という扱いであった。少なくとも神保町書泉ブックマート地下一階でQJ立ち読みした増田はそう思った。その理由を記す。

 

暴力コンテンツと不良文化

90年代少年マガジンは不良と暴力に全振りしていて、暴走族の抗争とか集団リンチして半殺し、不良同士の抗争で殺人、それへの復讐というようなマンガで埋め尽くされていた。

そうなると実際の不良文化にも影響は出てきて、どこそこの生意気な女を輪姦してやったぜとか友達の友達喧嘩相手の頭を執拗に殴って耳血が出て意識不明とか、そういう自慢が横行していたワケ。

自分暴力的だ、と云う以外に暴走族池袋チーマーなど暴力傷害殺人を犯した人間と繋がっている、というのが自慢になり得たワケだ。

 

鬼畜

同時に鬼畜系というコンテンツ流行ってたのだが、これは背後に外連味があるものだった。「夜想」とか「WAVE」とか「〇〇評論」とか、文化評論系のA5版雑誌流行していて、それらは外連味が溢れるサブカルものだったのだが、その雑誌群の編集者が興したのが鬼畜系だったのだ。

その代表人物自称中卒工員の精神障碍者村崎百郎は『夜想』などの編集者で、外連サブカルの中心に居る人物でもあった。後に自身精神異常者だとの嘘を恨まれた読者に殺される事になったが、相応しい最期と言えるかもしれない。

『危ない1号』の青山正明なども模試成績一位になった事がある元優等生であった。因みに青山ロリコンブーム仕掛人でもある。

 

鬼畜系はゴミ漁りによる個人情報漁り、麻薬精神世界(綺麗じゃない糞尿垂れ流しの方)、奇形趣味身体欠損、時代遅れになっていた新左翼セクト変態セックス特に獣姦など)を扱っていた。

だが、wikipediaの「鬼畜系」の項には過去変態春画や無残絵、宮武骸骨などが載っているように、「高尚な文脈」で関連付けがされうるもんである。それは単に良識人が目を逸らす悪趣味の羅列じゃなくて外連サブカル編集者達が興したブームであり計算されたものであったこと、それまでの文脈を踏まえていた事、それによって高尚な文脈の中で論じることが知的であるという文脈惹起されるからに他ならない。

 

単純暴力系と鬼畜系の中間路線

マガジンみたいな馬鹿向け暴力賛美と、知的に思われたいがそれは隠したい、自身個性的と思いたい馬鹿向け鬼畜系、二つの路線が同時に存在するとその中間路線活性化する事になる。

それで鬼畜系の中からドラッグタトゥーなどだけを特集したより実践的な雑誌群が刊行されるようになった。実践的というのは、実際にタトゥーを入れたり骸骨アクセサリをジャラジャラさせたり、アムステルダムで実際に飛びツアーをしたりという実際のファッションライフスタイルと結びついていたから。

こっちはワルだけどチーマー暴走族みたいなバカはやりたくない、或いはファッションワル向けだね。

 

小山田背伸び

さてそうすると今でいう陰キャとかオタクっていうのはこういうのに絡んでこないって事になる。鬼畜系とは親和性が高そうだが、なに分にもぶっ飛びすぎていて真似するのは難しい。

そんな中でクイックジャパン刊行されたのだ。

創刊号はよくあるサブカル雑誌という感じ。だが3号くらいから迷走をはじめるのである

芸能人インタビューを入れたり、オウム事件を扱ったり。芸能人記事を入れるのはメジャー路線化だ。多分1-2号が売れなかったのだろう。一方でオタク路線にも足を踏み込んでいた。その甲斐あって10号でエバンゲリオン特集が組まれてそれで話題になるのであった。

 

で、こういう迷走と試行錯誤の始まりに収録されたのが件の問題小山田インタビューだったワケだ。

そもそも小山田コーネリアス渋谷系に分類されるが、アンテナショップ役割タワーレコード渋谷店でもWAVE渋谷でも「渋谷系」の棚なんて無かった。商業主義HMVには渋谷系のコーナーがあったが、渋谷に来る若者には「渋谷系」なんて恥ずかしいものだったわけだなw(カヒミカリイやピチカートなどは除く)。

 

そんな渋谷系の彼がQJに登場して自慢したのが件の障碍者虐めであったワケ。

これはかなり見てられない。そもそもそんな良くない事をすでにメジャーデビューしてる小山田がわざわざいうのは自慢であって、鬼畜系や暴力標榜アピールだったのである

でもその内容は「学校での」「虐め」体験であった。

そもそもタトゥ入れまくりだの、悪趣味鬼畜系だのというのは、自分社会規範から外れている、反逆しているとのアピールが含まれている。そこで「学校での」「虐め」体験を語るというのは、学校というレールから外れずに来た子供のままで「デビュー」していないという事であって、かなり痛々しい、背伸びした陰キャ行為だ。いかにも悪ぶった陰キャの自慢という痛さに満ちている。

政治家のガキとして不自由なく育って齢50過ぎになってネットに触れて悪ぶってナマポゲット~」とか言ってた伸晃の痛さと相同である

 

共感羞恥

そういう訳でして、小山田発言は当時の悪趣味、反良識文脈を踏まえたものだったというのは確かにそう。

でもそこで学校での虐めを誇るというのは当時としても痛々しいし、背伸びしてそれかよというモンであって単に陰キャのイキリでしかない。実に恥ずかしい。

そしてそれが原因で後年に大舞台公職を解かれるに至っては自業自得の上にバカ屋上屋を架すと言った代物であり、撮り鉄江ノ電ニキ罵倒大会に伸晃(50代)が混じって「金だろ?ナマポゲット~」と一緒に叫んでるような恥ずかしさとバカ煮凝りの如しだと思うのである

2024-07-25

フィクションにおける「世界征服」の歴史を知りたい気分だ

いわゆる悪の組織が最終目標に掲げるような世界征服

この概念の形が定まったのはいつ頃のどんな作品群によってなのか

病院の待ち時間暇つぶしに調べるのにちょうどいいお題だ

世界征服目的とした組織自分がまず最初に思いついたのは仮面ライダーショッカーだな

さて、ここから過去に向けて掘っていくか

こういうときニコニコ大百科にだいたい独自研究がまとまっているから助かる

あー、サイボーグ009ブラックゴースト世界征服目的

おっと、仮面ライダーサイボーグ009のどちらも石ノ森章太郎作品じゃないか

じゃあ「石ノ森章太郎作風に影響を与えたものは何か?」のような路線で掘っていけば何か見つかるかもしれないな

そういった観点であれば何か参考文献も見つけやすそうだ

別の観点でも一旦調べるか……アメコミとかだとどうなんだろ

ファンタスティック・フォーに登場するヴィランドクター・ドゥームも世界征服目的として掲げている?

ドクター・ドゥームの初登場が1962年7月

サイボーグ009刊行がいつだっけ?1964年7月

ドクター・ドゥームの方が早いが……

ファンタスティック・フォーを読んだことないんだよな

登場してしばらくして世界征服とか言いだしたかもしれんし

判断できない

しかし興味深いな

確かドクター・ドゥームってのは何かの組織首領みたいな感じではないんだったか

それに対してブラックゴースト組織世界征服を掲げている

ヴィラン個人で掲げる世界征服悪の組織として掲げる世界征服という違いがあるのだなあ

サイボーグ009(というか石ノ森章太郎)が影響を受けている可能性がある作品として007シリーズがあるか

007世界征服を目論む輩はいたっけか

いるわ

スペクターですね

さて、これの初出は?

小説の『サンダーボール作戦』で1961年かな?

なんかこの時代らへんって世界征服をもくろむキャラクターが登場する有名作品が沢山誕生しているんだな……

冷戦下のスパイ小説とかが世界征服をもくろむ悪人キャラクターの源流なのかしら

もっと過去に遡れるのかどうか

ナチス崩壊1945年あたりまで遡れるかも、という勘がある

当時の人にとって「世界征服」はフィクションではなくREALに起こりうる危機という感覚があったのかしら

核戦争による終末はREALの感覚があったかもしれないけれど世界征服はREALだったのかNOT REALだったのか

こういう「当時の人がどのような意識でこれを読んでいたか」という肌感覚を知ることができたらなあ

石ノ森章太郎自伝だかルーツをたどるみたいな本は予想通りあるみたいだな

じゃあ病院帰りにジュンク堂に寄りましょうね……

国会図書館デジタルコレクションで「世界征服」で検索するとだいたい1890年~くらいの資料が見つかる

けれどモンゴル帝国世界征服だったりナポレオン世界征服だったりどこぞの国が世界征服をもくろんでいるので我が国富国していこう(←これ正しく読めてないかも)みたいな文脈での用例になる

今の興味はあくまフィクションでの世界征服なんでね

あー、「世界征服という単語がREALからフィクションでの出来事となったのはいつか?」というテーマにもできるのか

横道にそれた話→現実の話で「世界征服」と言ったとき、「世界」が「地球全土」とか「地球上に存在するすべての地域」とかを意味していない場合がある

1984』の刊行1949年

世界征服とはちょっと違うか?しかし少なくとも隣接ジャンル

石ノ森章太郎SFの人だから海外SF小説に源流を探しに行くのも面白そうだ

宇宙人による地球侵略も隣接ジャンルだけれど……探す範囲が広範になってしまうな

当時のトキワ荘メンバーに源流があるかどうか?も探すか

陰謀論世界征服にまつわる話があるかもしれんな

エンタメとしてフィクションの題材に用いられるような類の陰謀論ネタ歴史が古いモノが何かないか一応見ておくか

ある程度調べたら日記にまとめるか

一旦ここまで

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読む

黄禍論 百年の系譜

黄禍論日本人 - 欧米は何を嘲笑し、恐れたのか』

2024-07-24

中原一歩の「小山田圭吾 炎上の『嘘』 を読んだ

炎上以降定期的にだされる小山田圭吾擁護シリーズの最新作で内容としてはいもの

グルグルまきにしてうんこ食わせたというのはデマというのを力説しつつも小山田本人がいじめだったと認めてるダンボールに押し込んで黒板消しの粉を振りかけたやつやロッカーに閉じ込めてガンガンけったやつについては可能な限りスルーないし矮小化する

・とにかく小山田謙虚ないいやつであることを全編にわたりアピール

・俺の知ってる小山田君はこんなことする人じゃないかいじめはなかったに決まっているという結論ありきで展開される擁護

いじめっていうなら小山田ネットリンチしたネット民のがカスから小山田圭吾被害者なんだわという結論

この四点セットによって作られてる本なんだけど

・今まで小山田本人しか言ってなかったうんこ食わせたは嘘の部分を同級生インタビューとってこの部分についてはデマだろうという事の信頼度を挙げた

小山田圭吾擁護シリーズに標準搭載されていたフリッパーズギターズの音楽は素晴らしくてぇ…コーネリアスこと小山田圭吾無知蒙昧な愚民どもにキャンセルされることは文化的な損失でぇ…みたいな過剰な小山田圭吾賛美がオミットされてる

・前回の小山田圭吾擁護本みたく孤立無援のブログとその管理人がともかく全部悪いしあの管理人カスみたいな感情的悪口は言ってない(でも孤立無援のブログに触れた時その孤立無援のブログをやたら叩いてた本を読めみたいなこと書いてたから同じかもしれない)

・他の小山田圭吾擁護シリーズが徹底的に無視するなんで27年間定期的に燃えたこのことを放置してたの?についてきわめて小山田圭吾に同情的な口ぶりながらも触れて放置したのはよくなかったときちんと指摘してる

小山田圭吾擁護シリーズは後半になるほどネット民カスさをなじることに力を入れがちなんだけどこの本はその点は控えめ(代わりに記事訂正応じないロッキング・オン・ジャパン編集長と大した裏どりもしないで批判たれながした大手メディア等のメディア批判は多い)

以上の点から今まで刊行された小山田圭吾擁護本のなかでは一番客観的な本だったと思います

でもやっぱり一番センセーショナルな部分はデマだったとしても本人が認めてよくなかったと思ってる部分についても擁護したり

いじめにあったとされる沢田君(仮)の内心を取材できてないないのに沢田はいじめれてなかった二人には友情があったみたいに断言するのは

小山田圭吾本人がだいぶ出そうとしてる反省してる感を大きく阻害するので控えたほうが良いと思います

戦国大名黒人奴隷を求めた」説、ロックリーさんの捏造ではない

追記をはじめに書くべきとのブコメがありましたので修正しました。

追記

○増補新版しか弥助の記載がないってコメントあるけどそうなの?そもそもロックリーの本の方が先にでているらしいし、頑張ってこんな微妙ウソつくのはどうなんだ。/そもそも記載は本当でも南蛮人から買うしかない

○弥助の事書かれて無い2017年大航海時代日本人奴隷持ってるけど、2021年発行増補新版の間で何かに目覚めたんかな?17年版は序章の改宗ユダヤ人異端狩りを逃れて日本へ逃げ込む所なんか凄い面白い本なんだけど

増補版しか手元にないせいでわからなかった

そしたらロックリー先生初出、岡・ソウザ先生がそれを取り入れた可能性もあるのか

そしてそれを取り込んでしまったせいで目茶苦茶な記載になったのかも

追記2

先生著作ミスについてコメントしていた。

肥後に弥助の妻子がいたと読み取れる件について)

○その部分は、校正の最終段階で、段落を丸ごと削除した際に残ってしまったミスです。2021年再版刊行時にすでに修正済みです。アカデミアの方であれば、そういったことが生じることはご存知ではないでしょうか?それに、弥介の話は前段落で終わっているのは、文章を読めば理解できるところです。

○なおkindleは初版以降の修正は反映されないことが確認されたため、本日中央公論新社協議の上、Amazon修正依頼しました。来週には修正される予定です。本日大規模重版かかりましたので、同じ頁の数字の誤字も修正されます。ご指摘、どうもありがとうございました。

(後掲岡先生のXより)

アカデミアでは段落丸々削除する程度のミスは当然に生じうるか問題なし、またこれを弥助の話と取るのは読解力の問題、とのようだ。

弥助の話をしている流れで肥後の妻子の話を続けているのだから普通の読解力だと弥助の話と受け取ると思うのだが。アカデミアの方々の高度な読解力は凄いね

また、私なら、まずミスしてしまった本を読んでしまった読者に謝罪するけどアカデミアの流儀は分かんないね

なお、「廿」については修正されていそうだが、「器量すくやか」の誤読(?)についてはコメントされていなかった。

本論

戦国大名黒人奴隷を求めた」説、ロックリーさんの捏造ではない

かもしれない。

アサクリの弥助問題から派生して、日本大学准教授ロックリー先生が、「戦国大名黒人奴隷を欲していた」とデマを流している、との言説がある。

しかし、これはロックリー先生デマではないのではないか、との意見がX上で交わされているので、ロックリー先生名誉のためにまとめておこうと思う。(リンクが多くなりすぎるのでリンクは省略)

おそらく初出は岡先生ソウザ先生では?

東京大学史料編纂所准教授の岡美穂子先生と、その配偶者であり東京外国語大学特任教授ルシオ・デ・ソウザ先生の共著である大航海時代日本人奴隷 増補新版」(中公選書)という学術書がある。

この書籍にはこういった記載がある。

屈強で珍しいカフル人を従者にすることは、日本人にとっては「富貴」や「威風」の象徴で、交易関係する大名たちはこぞってその所有を望んだと思われる(215ページ)

https://i.imgur.com/ul26Fbq.jpeg

また、ロックリー先生著作の「信長と弥助」(太田出版)にはこうある。

権威象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。(13ページ)

https://i.imgur.com/3pNcW5T.jpeg

ロックリー先生著作2019年出版、岡・ソウザ先生著作2017年であることからロックリー先生は岡・ソウザ先生著作を参考に書かれた可能性がある。

まり、岡・ソウザ先生は従者と記載しているのを、ロックリー先生奴隷と言い換えてしまったようなのだ母国語ではないせいで細かいニュアンスが変わってしまったのか、意図的なのかは不明だが。

ちなみに岡先生ソウザ先生著作に「「富貴」や「威風」の象徴…こぞってその所有を望んだと思われる」とあるが、その根拠は示されておらず、不明である。岡先生ソウザ先生の博識にてらすと論ずるまでもないことなのかもしれない。

ただ、ロックリー先生著作英語版では内容が異なるという話もある。そこまで追えていないが。

というわけで「大航海時代日本人奴隷 増補新版」(中公選書)を読もう

商売上手の中央公論新社が、話題になったこの機会を捉えて「大航海時代日本人奴隷 増補新版」を増刷してくださるそうだ。(https://x.com/chukoshinsho/status/1815737944243573035

せっかくの機会なので皆様も是非お読みいただきたい。

注目すべきページがある。(https://i.imgur.com/aQlemYT.jpeg

弥助の年齢

書籍内では「16、7歳」(4行目)とあるが、実は信長公記では「廿六、七」と書いてある。もちろんこれは26、27歳のことであり、①単純なミス発見できなかったか、②「廿」という文字が読めなかったか、ということになる。ケアレスミスだろうか。

弥助の特徴

書籍内では「穏やかな気性」(5行目)とある。これも信長公記にあたってみると、「器量すくやか(健やか)」とあるが、現代文に訳すのならば「立派な」や「頑丈な」、「才気にあふれた」といった意味となる。これもケアレスミスだろうか。

肥後に妻子がいた?

書籍内では肥後に妻子がいたとされている(後ろから2行目)。文脈上これは弥助のことだと思われるが、史料中で弥助に妻子がいたことを示すものはまったくない。何を根拠にしているのだろうか。

余談

ルシオ・デ・ソウザ先生は、ロックリー先生の最新作「A Gentleman from Japan」の推薦を書いており、関係は良好だと思われる。

余談2

岡美穂子先生によると次の通りだ。

ゲンダイ」系の媒体、上から圧力にも曲げず、頑張ってらっしゃいます。どうせ競馬女性の裸の写真しか載っていないんだろうから読者の質など知れていると、オカミはタカをくくっておられるのかもしれませんが、なかなかどうして、左翼知識人から、かなり支持されておりますのですよ。私は左翼でも、知識人でもありませんけど。でも右翼絶対嫌だ。

そんなこんなんで、お友達がいるわけでもない日刊ゲンダイで、本が紹介されました。とても嬉しいです。

https://web.archive.org/web/20201101144221/https://mdesousa.exblog.jp/m2017-06-01/

先生ブログによると、左翼知識人日刊ゲンダイをかなり支持しているとのこと、また、御本人は左翼でも知識人でもないけど、右翼絶対嫌とのことだ。

ちなみにこのブログは、2024年5月16日まではウェブアーカイブにて確認できるが、岡先生が今回の弥助・黒人奴隷議論に御参加されるころには既に削除されてしまっている。

知的財産喪失だと思われ、非常に残念に思う。

余談3

弥助・黒人奴隷議論に際し、岡先生のなされた御発言をまとめておこうと思う。

○これだけ「歴史修正主義」って叫ぶ人が出てきてるのに(笑)、右系論壇が沈黙しているのは、さすがにこの問題に関わったら、常識を疑われると認識できているのだろう。

○将来を嘱望されていた呉座さんがあんなことになってしまったのは、あなたたちのような人と不用意に繋がってしまたからでしょうね。

○「権威象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」という文章否定しろ、という意見が多いようですね。ここで迂闊に発言すれば揚げ足をとられそうです。外務省から正式要請があれば、史料付きでやっても良いですよ。外務省がこの問題を本当に「国際的国益問題」と判断すればですが。

○私はロックリーさんの著作は、日本語も英語も「歴史読みもの」であり、学術研究であるとは考えておりません。しかしそれが書かれるにあたって、彼が様々な文献にあたり、想像を超える努力したことは存じております

○彼等にとって、ロックリーさんの著作が、歴史日本への関心を形成するバイブルであるのだとしたら、それを否定するのは、彼等をとても傷つけることであり、それに対する防衛として、ネットの中で「歴史戦」が展開されているのでしょう。

○に「裏で」繋がっていませんが。私が海外出版した本のレビュー権威あるジャーナルで紹介してくれたのは彼ですし。面識のない人を「あんた」と呼ぶのは、いかがなものでしょう。おそらく、現在表に出ている人間で、彼を表舞台に連れてこれるのは私だけですが、こんな人のためにはできませんね。

https://twitter.com/mei_gang30266

ここから、①右翼右派に対する敵対心がある、②ロックリー先生著作は読み物だが、ロックリー先生努力やそれを信じる人のためにも否定しない。(ロックリー先生史実と主張しているが)、③政府から言われれば自身著作修正しても良い、④ロックリー先生とは夫婦揃ってかなり深いつながりがある、という御意見をお持ち・事実関係であるいうことが読み取れそうだ。

余談4

著名な学者であり、岡先生の同僚でもある隠岐さや香先生まで、岡先生擁護論陣を張っていた。

先生はじめまして。大変お疲れ様です。横から失礼します。

日本研究者への歴史観にまつわる誹謗中傷オンラインハラスメントは「アジアにおける学問の自由への脅威」の一例として報告されるレベルでして、まさに言論弾圧一種として国際的にも認識されています

https://www.asianstudies.org/publications/new-threats-to-academic-freedom/

https://x.com/okisayaka/status/1815268791099764775

ちなみにオンラインハラスメント日本での事例として、隠岐先生御紹介のページでは望月衣塑子さんの新聞記者が挙げられている。あれってフィクションじゃなかったっけ…?

2024-06-24

響け!ユーフォニアム 刊行期間:2013年12月5日 -

中学生で読み始めた読者が社会人3年目ぐらいになってようやく物語が終わるってどういうこと?????

流石に時間がかかりすぎでしょう。

その昔どっかのラノベ編集者が「ラノベ読者の寿命は短い。ちゃんとした子は中高6年間で卒業してしまう。だからその半分の3年ぐらいで駆け抜けなければいけない」と言ってましたけど、本当にそうだと思います

ブギーポップのような「遠い遠い平成時代、まだスマートフォンも出来てなかった時代にこんなフォークロア流行っておったんじゃホッホッホッホ」で済ませられる作品はいいですけどね、そうじゃない作品はもうちょっとこうリアルタイム性をもたせるべきでしょ。

西尾維新刀語みたいに毎月刊行して1年でバシっ!と終わらせるのが健全ってもんじゃないんですか?

2024-06-23

かつて一般攻撃魔法無双の術だった

https://anond.hatelabo.jp/20240623011829

漫画もやたら絵描き評価されてるけど絵の素人にはよくわからない

後追いだとそういう評価になるのは別に間違ってない。ただし漫画家はじめ玄人からの絶賛も正しい。

大友克洋漫画技法」というのは日本マンガ歴史においてソルトラークのもの

斬新さと完成度を兼ね備えていたが故に「特定作家個性」ではなく絵柄(もう少し広く「作劇手法」でもいい)丸ごと咀嚼されて、以後日本ストーリー漫画を描く上での必修科目になった。

これが起きたのはAKIRA(連載83年~90年)以前の、「ショートピース刊行(79年)や「童夢掲載(80年~81年)の頃。

(もちろんどれだけ大友を取り入れたか、という作家個々の選択にもよるが)70年代以前と80年代以降で「なんか古臭い絵柄のマンガ」の比率が大きく違うのはそういう事で、

ある意味その後の絵柄の進化が大きくないとも言えるわけだが)現在でも80年代マンガの多くが絵柄の違和感なく普通に読めてしまう、というのは実はとんでもないことだ。

例えば80年代には40年代マンガなど大半が絵柄の時点で古臭くて読むのに努力がいるものだったが、本来文化特に流行という側面のある大衆文化の変化はそういうものである

ところが、現在マンガ読みにとっては(少なくともストーリー漫画については)、「40年前でも普通に読むに堪える絵柄の作品が多い」という妙な事態になっているわけで、

これには「作劇手法面での十数年分のマンガ進化大友克洋一人で先食いしたせい」というのは多分にある。

大友以前・大友以後」と良く言われるのはそういう話であり、ゾルラーク一般攻撃魔法になったように、我々はまだ「大友以後の時代」に生きているのだ。

2024-06-21

ヒストリエの話するけど

刊行ペースがむちゃくちゃ遅いのに

読むとめちゃくちゃ面白いから

んぎぎいいーーっっっ!!ってなる

あと前の話忘れてるから読み返すと面白すぎて

結局最初から読み返すことになってんぎいぃーーーっ!!ってなる

なった

2024-06-13

anond:20240612202143

少女小説ライトノベルではない。

それまでの一般的ラノベ定義史観を覆す、非常に大胆な主張である

ただ、一部のラノベ読者が過敏に反応はしたものの、この時点ではアカデミシャンとはいえあくまでいち個人の主張に過ぎなかった。

それが正式な形で世に出たのは、2014年のことになる。著書としての刊行である

少女小説 ライトノベル」でAmazon検索したら一番最初に出てきたのが2014年刊行された本だった。

ライトノベルから見た少女/少年小説史: 現代日本物語文化を見直すために」

https://amzn.asia/d/71JY4uS

anond:20240612003341

この間4冊目の単著刊行されました

エロ漫画ですが、僕のはてなでの発言権は相当上位ということで大丈夫でしょうか?

2024-06-12

少女小説、もしくは「女性向けラノベ」とラノベ関係

言いたいこと:少女小説ラノベに含めても無視してもボコボコに叩かれる」という難しい状況がある。

女性けが省かれるラノベ150選

いま、ライトノベルオールタイムベストを選出する作業が進められている。

ラノベ社会に認められるためには、売り上げだけが唯一の評価である現状では差し障りがある。文化としての成熟には体系化と批評存在必須であり、その一歩としてたいへん意義のある活動と言えるだろう。

その暫定的な成果であるラノベ150選が先日公開された。

あくまで叩き台であり、作品数的にもより拡張した形を目指していくようだが、現時点でも各年代に目の行き届いた、ラノベ歴史の流れを俯瞰できる内容となっている。

ただ、この手の企画はどのような基準で選んだとしても、あれがないこれがないという不満はどこかから出てしまものだ。ラノベ150選も例外ではない。

その中で今回特に目についたのが、「女性向け作品がない」という声だ。

これに対する企画者の返答は、女性向け作品については単独ガイドブック等が先行して存在しているから、というものだった。

合理的判断だと思うのだが、これでも納得していない人は多い。少女向けをないがにしろにするのか?と憤慨し、容赦なくボッコボコである

増田は、ライトノベル少女小説(もしくは「女性向けライトノベル」)の歴史のものについてはともかく、ライトノベル少女小説との関係性についてはちょっとした知識がある。

今のままでは企画者氏があまり不憫なので、これについて簡単解説しておこうと思う。

「ソノラマ・コバルト系」から始まったライトノベル

用語としての「ライトノベル」が誕生したのは、1990年

ニフティサーブSFファンタジーフォーラム内で増えてきたある種の若者向け小説話題を別会議室独立させるにあたって、管理人神北恵太氏が命名したものである……

といった事実は、ラノベ史ではすでに常識と言っていい情報だ。

もちろん名前はそうでも、ジャンルとしてのラノベ自体が90年に突然生まれたわけではない。起源をいつとするかは諸説あるものの、ラノベ作品はそれ以前から存在していた(存在命名の順であってその逆ではない)

そのようなラノベ小説群は「ライトノベル」が定着する以前には、個人コミュニティごとにさまざまな呼ばれ方をしていた。そのうちの一つに、ジャンル代表的レーベルから取った「ソノラマ・コバルト系」というものもあった。

言うまでもなく、コバルト文庫少女小説代名詞というべきレーベルである。つまり命名の時点では「ライトノベル」は少女小説(の少なくとも一部)を当然に含むような形で規定されていたということだ。

(ここでの「少女小説」とは当時のコバルト文庫ティーンズハート文庫などのことであり、たとえば吉屋信子や創刊直後のコバルトシリーズなどは当然ながら想定していない)

以後、他メディア化の機会などの関係男性向け作品の方が存在感はあったものの、ライトノベル(的なもの)は女性向けを含めたひと塊のカテゴリとして扱われていく。

2000年代に入り、語としての「ライトノベル」が一般に定着して以降も、この認識はそれほど変わっていなかったはずだ。

少女小説ライトノベルではない

この状況に大きな変化をもたらす出来事が、2010年代前半に起こった。

まずは2013年とある文学研究者ツイッターでこのような発言をしている。

少女小説ラノベそれぞれのジャンルについての価値判断を含んでいるとまでは言わないが、これが少女小説の側に立った発言であることはまず間違いないだろう。

少女小説ライトノベルではない。

それまでの一般的なラノベ定義史観を覆す、非常に大胆な主張である

ただ、一部のラノベ読者が過敏に反応はしたものの、この時点ではアカデミシャンとはいえあくまでいち個人の主張に過ぎなかった。

それが正式な形で世に出たのは、2014年のことになる。著書としての刊行である

この本で研究者氏は丹念に事実を積み重ねた論証により、まさに「少女小説歴史的にライトノベルではない」ことを証明してしまったのだ。

詳細は省くが、

少女小説戦前から少女文化独自伝統を直接的に受け継ぐ文学ジャンルライトノベル戦後マンガ文化等の影響から新たに生まれた新興の娯楽であり、その出自からして全く異なる別物である

ということだ。

この、市井オタクではとうてい太刀打ちできない完璧な形の少女小説ラノベ論の出現により、少女小説ラノベ派の多くは白旗を上げて沈黙することとなる。逆に、少女小説ラノベの枠内で扱われることに不満を感じていた少女小説業界関係者・読者は、我が意を得たりと快哉を叫んだ。

日本文学研究者による恐らく初めての本格的なラノベ論ということもあり、この本はもともとラノベ少女小説に興味のあった人間にとどまらず、幅広い層の人々に読まれていった。今やラノベ関連の研究ではほぼ必ず参照される一冊となっており、アマチュアでもラノベ定義歴史を語るなら必読と言っていいだろう。

これによりパラダイムが決定的に転換し、少女小説ラノベに含めるような人間は、もはやそれだけで時代遅れな「分かってないやつ」の烙印を押されるまでになったのだ。

フェミニズム的な意識の高まりにより、女性文化少女小説)の功績を男性側(ラノベ)が都合よく収奪してきた、という構図に気まずさを強く覚えるようになったのも、この傾向を後押しした)

この空気の変化は以前/以後と呼んでいいほどに劇的なものであり、刊行から10年経った2024年現在にいたっても、更新される気配は特にない。

少女小説ラノベでなくても

お分かりだろうか。

まり少女小説は「ライトノベル」ではない、というのは、もともと少女小説サイドが言い出した主張なのだ

現在では、ラノベ定義歴史との関連で(特に男性の論者が)少女小説に触れる際には細心の注意が要求されるし、実質的にはほぼタブーに近い。

企画者氏がラノベ150選から女性向けを除外したのも、世間のその暗黙の風潮におとなしく従ったという側面がやはりあるのではないだろうか。

加えて企画者氏の場合は、かつて不用意にレジェンド少女小説作家を「ライトノベル作家」と呼んで、少女小説から激しい批判に晒された当事者でもある。そのため今度は、なおさら慎重に配慮したつもりだったのだろう。本人としては。

結論として今回の件は、気遣いがすれ違ってしまった悲しい事例ということになる。

少女小説読者といっても一枚岩ではないし、自分はそんな配慮ぜんぜん嬉しくない。多数派がどれだけ否定していても自分少女小説ラノベに含めるべきだと言い続けるぞ。という人もいるだろう。その気持ちもよく分かる。

分かるが、少女小説ラノベに含めても無視しても必ずどちらかからボコボコに叩かれることになる、板挟みの苦しい立場のことも少し考えてみてはもらえないだろうか。

オールタイムベスト企画者氏は現在文化としてのラノベ保全のため「ライトノベル図書館」の設立計画を進めており、クールジャパン予算を獲得すべく自民党国会議員に働きかけている。ラノベオールタイムベストはその陳情材料にもなる予定らしい。

こうした活動文化的な意義を踏まえた上で、できれば多少の意見の相違は呑み込み、振り上げた拳をどうかそっと下ろしてはくれまいか……

という、無関係第三者増田からのお願いでした。

レスゾーン

長え! 一番言いたいことを最初に置いとけよ。

追加しときました。

核心部分が何で匿名やねん

はてな規約関係っすね

ラノベルーツの1つは少女小説である」と「少女小説ラノベである」は意味全然違うと思うが(後者を主張してる人いる?)

ラノベオールタイムベスト”に、ある少女小説を推すとした場合、(少女小説全体やレーベル全体ではなく)少なくともその作品は「ラノベ」で(も)あることが自動的に前提となるのでは。

逆に言うと、ラノベではないがラノベオールタイムベストに入れろ、は通らない。

逆になんでそんなに熱心に漫画しろラノベしろ女性向けのもの排除したがるのがわからんモチベが怖い。

排除ではなく、少女小説の側がラノベに括られることを拒否した運動があった、という話です。

クール・ジャパンから公金を引っ張るために少女レーベル未分化期を無視するのは仕方ないキリッ されて、納得は出来ないですけど………

リストから少女向けを除外した理由(と思われるもの)と、批判トーンをなるべく抑えてほしい理由は、別々に書いたつもりです。

wikipediaより「1990年初めにパソコン通信ニフティサーブの「SFファンタジーフォーラム」において〜「ソノラマ・コバルト」などのレーベルから出版物に「ライトノベル」と名付けたことが始まりコバルト入ってるやん

はい

その話を本文に書いています

その、とある文学研究者って誰だよ。名前を出してくれないと分からないよ。2013年の事なら記憶にありそうなものだが思い当たる人がいない。

ツイートの件はともかく、著書の話を見ても心当たりがないなら、たぶんそもそも知らないんじゃないかな……

そんな知らん研究者お気持ちなんか知らんがな その研究者とやらが何言おうが150選選んだのはその企画者だろう

その「知らん研究者お気持ち」が定説化して力を持ってしまっているという現実があるのです。

 「女の扱いがわからいから透明にしておきました!」

たとえとして適切か分かりませんが。

ナンパ不快に感じるA子さんと、女をナンパしない男は無礼だと信じるB子さんがいるとします。二人のナンパに対する意識は、事前に外から判断できないものします。

この場合男性が取るべき行動は、ナンパをするではなく、ナンパをしないになるのではないでしょうか。

後者消極的不作為に過ぎませんが、ナンパ行為はA子さんにとって積極的な「加害」となるからです。

2024-06-11

anond:20240611184901

こと人類史に限って言うと、サピエンス全史や銃・病原菌・鉄が一時期もてはやされたものの、最近刊行された万物黎明って本でその当たりが否定されたよ

2024-06-09

anond:20240609180837

発達障害普通に生きられなかったわたし交際0日で結婚するまで

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784794971746

著者等紹介

安藤まな[アンドウマナ

1997年東京都生まれ主婦。幼少期から登校拒否、落第寸前などを繰り返し、大学在学中に発達障害の診断を受ける。なんとか「普通のレール」に乗ろうという強迫観念から日々もがき続けるも、結婚し養ってもらうことで生きることを決意。当時気になっていた男性とお付き合いをせず、親に黙って交際0日で入籍。その後始めたブログで、発達障害毒親結婚エピソードが大きな反響を呼ぶ。『発達障害普通に生きられなかったわたし交際0日で結婚するまで』が初の著書(本データはこの書籍刊行された当時に掲載されていたものです)

2024-06-08

国会図書館デジタルコレクションで見る明治時代新撰組の扱い

明治時代新撰組庶民からどのように思われていたのかを調べるために、庶民の目に触れていそうな(?)雑誌記事だとか読み物だとかを抜粋していく。

明治10年『昔今豪雄見競鑑』

こちらは明治10年頃の「番付表」を集めた書籍のようだ。

『昔今豪雄見競鑑』は歴史上の英雄明治期の英雄を対比したものだが「都ノ猛勇 悪源太義平」と並んで「脱走ノ勇士 近藤勇とある

近藤勇ってどっかから脱走したっけ?と思ったが、幕府瓦解後の旧幕府軍のことを「脱走方」と言ったらしいのでそのことだろう。

同じく「古今英雄競」「本朝今昔英雄鑑」「古今英雄三幅対」などにも近藤勇の名が挙がっている。

このような番付でよく名前が挙がる程度には知られていたらしい。

明治16年『徳川義臣伝』岡田霞船

まずは近藤勇について。

近藤勇武勇衆に秀で当時其英名尤も人に知られり新徴組の隊長となりて始め京師に在り又大坂に退き伏見の戦ひ幕兵乱るる中より取て返し迫る官兵を追捲り銃丸足に当ると雖も屈せず大ひに勇名を現し江戸に返りてより諸士を煽動して甲府に至り勝沼駅にて寄手を破りしが遂に衆寡せずして敗軍なし残兵を率いて走りたるが官軍厳重に探索を遂流山に於て勇(いさみ)を捕へんとす勇(いさみ)力戦して縛に就き板橋駅にて斬せらる

新徴組と間違えられとるやんけ!

新撰組時代よりもその後の甲陽鎮撫隊時代のほうに力点が置かれた説明のような気もする。

土方歳三も紹介されている。

土方歳三幕府の旗下にして始め京師にあり伏見鳥羽戦争破れしより江戸に返り諸士を募り主家を再興せんと謀り軍議を決して榎本永井の人々と共に品海を脱し函館に趣き尚ほ奥羽の士を募り官軍の来るを待受屡々寄手を脳す然れ共官兵は新手を入替無二無三に攻立たるに脱兵防戦に尤も苦む歳三毎も真先に進み敵を切る数十人に及ぶ後乱弾にあたりて死すといふ。

新撰組について何も触れられてねえ!

とはいえ「義臣」と銘打っているだけあって悪いようには書かれていない。

明治18年『汗血千里駒』坂崎紫瀾

『汗血千里駒』は坂本龍馬主人公として、その名を一躍有名にしたという小説。その龍馬暗殺犯として近藤勇が登場する。

縦令ひ其不意を打ちたるにもせよ鬼神と呼ばれし海援陸援の両隊長をば斯く容易く一挙に斃し負せる其の手練と謂ひ肝気と謂ひ天晴れ日本一の剛の者と思はるるも実に理りなり彼の刺客は当時徳川将軍の御内に其人ありと聞えたる新選組の旗頭近藤勇等にてありしと

近藤勇とその腹心の土方歳三が、二人で近江屋に討ち入り、坂本龍馬中岡慎太郎を斬って、「そのとき義経少しも騒がず…」と高らかに謡いながら出ていき、今際の際にそれを聴いた龍馬が「あの刺客は只者ではない、彼らのような豪胆さがあってこそ大事を成せるのだろう」と慎太郎に語る、という描写があり、これがのちの様々な作品踏襲されていったようだ。

当時幕府の亡びなんとするは天の命なり民の望なり社会自然の気運なれば今は百の勇(いさみ)ありとも亦之を如何ともすることなきをば思はずして健気にも唯忠を己が仕ふる所にのみ尽さんとしたるは愚かにも又哀れとや謂わん

時代の流れに逆らって忠を尽くした健気だが哀れな武人…といった感じで「敵役でありつつ悪役ではない」という扱いに思える。

明治22年『女侠松竹梅』奥村玄次郎

偖は其方が近藤なるか。其方幕府を笠に着て国を憂ふる正義の士を多く害せし大罪人。此処で遇しぞ僥倖なれこれまで其方の手にかかり不幸にも寃に死したる正義の志士の忠魂を弔ふための復讐せん

お松・お竹・お梅という三人の娘が勤王の志士を助けて新撰組と戦う、といった話らしい。

こうしたいかにも勧善懲悪な読み物では「典型的な悪役」として描かれていたようだ。

明治26年『活文字』鈴木力・佃信夫

近藤勇の話

江川太郎左衛門が琴の譚に比らべて、劣る事なきは、近藤勇の謡なりけり、以て幕臣中の双美とこそは為す可けれ、左に説かむ。

武勇と剛胆とは、麾下九万の士人中、勇(いさみ)ぞ其第一位を占めたりける、さればまだうら若き身を以て、新撰組の頭領として、海内動揺の中心たりし京城鎮護の命を稟げ、一時其独力をもて、鷙悍狂躁の浮浪はらを打鎮め、幕廷擁護干将莫耶とは成りたりけり。

めっちゃ褒めるやん。

土方歳三は、豪邁不屈、肝気非常の男なれども常に勇(いさみ)を相輔けて、死生を共にせむ事を約し、巴港戦死の時に至る迄、其生前の交義を追想し、風吹く日雨降る夜ども、寒窓の下に俛泣し、時世は既に望なし、片時も早く、泉下に亡友を尋ねましとぞ歎ちけるとぞ、其人をしらまく欲せば、先づ其の友を見るべかる、この一斑の譚を見ても、勇(いさみ)が全豹をぞ推すに足る。

国粋主義系の雑誌らしいんだけど朝敵をこんなに褒めていいのか。忠義を尽くして死ぬ話がやはり好きなのか。

コラムの後半では坂本龍馬暗殺の話が書かれていて、この頃はやはり「龍馬を殺した男」という印象が強かったようだ。

明治29年『近藤勇の少年時代』中野三鷹子

『家庭雑誌』という婦人向け雑誌掲載されたコラムらしい。

著者本人が古老に取材したもので、幼少期の勇が近藤周助の養子に迎えられて「近藤勇」と名乗るまでを紹介している。

是より後のことは明治維新の史にくはしく、今更いふべき要もなし、唯其妻の事継嗣のことおよび処刑後の事并びに近藤勇と尤も関係ふかき土方歳三ことなどは、世に知られざるふし多しそは又時をかへて語らん。

として次号に「近藤勇の妻及子」、また別の号に「土方歳三少年時代」が掲載されている。

婦人雑誌でも「今更いふべき要もなし」と言うほど近藤勇知名度は高かったのだろうか。

花を浮べし徳川の流れの末荒浪立ち騒ぎて、二百六十余年は名残の夢となりける時、武士道の意気地を立て貫きて、板橋の草に赤きこころの血を染めたる近藤勇の名を知る人は、函館の浦吹く風に露と消えたる土方歳三の名を忘れざるべし。

かっこいい。

明治30年『幕府名士近藤勇』松林伯知

松林伯知は、永倉新八から『浪士文久報国記事』を借りパクした疑惑があることで知られる講談師で、新撰組講談主人公とした最初期の人物だったという。

巻末に「夢物語」と題した短編が収録されていて、それは函館に入った土方歳三が「公武合体成功した新政府のもとで陸軍を率いる近藤勇海軍を率いる坂本龍馬が仲良く会話する」という夢を見る、というifルート的な内容のようだ。胸熱

本編では、坂本龍馬暗殺したのは近藤勇ということになっているし、新撰組結成前に江戸近藤勇坂本龍馬が手合わせをしていた、というような場面も描かれている。

明治30年『坂本龍馬(名士伝)』竹林巌

少年世界』という、その名のとおりの少年向け雑誌掲載された坂本龍馬の伝記で、そこに近藤勇が登場する。

人と為り魁夷、斗酒を嗜なみ、勇悍独歩肝臼の如し。幕の末路に当り新選組の長となりて徳川氏の為め新日本の活舞台上に仇すること実に巨多なりとす。彼は常に歩百歩の外に潜行して西郷大久保坂本等を暗殺せんと睨むこと茲に年ありき。就中龍馬が大勇は向に新選組百有余人をして全く色なからしめ、以て其長たる勇(いさむ)の面目を天下に唾し去り。(中略)勇(いさむ)は今や血燃え、涙滾りて自から禁ずる能わず。すなわち刎頸の友、土方歳三を招きて何をか耳語すること久し。忽ち相頷きつつ頗る決色ありき。

として近藤勇土方歳三は、二人して坂本龍馬暗殺に向かうのだった、という筋立てになっている。暗殺の場面は『汗血千里駒』を踏襲している。

明治31年『新撰組十勇士伝』松林伯知

こちらも松林伯知の講談を筆記したもの

前述の『幕府名士近藤勇』には沖田総司永倉新八は出てこないが、こちらの『新撰組勇士伝』には登場する。

ただし、沖田が天才剣士だとか、そういうキャラクター付けはまだ無く、せいぜい「名前のある脇役」くらいの立ち位置のようだ。

芹沢鴨暗殺山南敬助切腹伊東甲子太郎との敵対池田屋事件などのエピソードはある。

また、こちらでは龍馬暗殺近藤本人ではなく「近藤勇の命を受けた佐々木只三郎」によるものということになっている。

京都見廻組佐々木只三郎らが龍馬暗殺したという説は明治2年には出ていたようなのでそれを取り入れたものか。

明治41年『二十世紀之京都』

京都観光ガイドブックらしいが、壬生寺についての紹介で新撰組言及がある。

節分には疫除祈祷の為め参詣者群れを為せり、去れば維新前後天誅組と称し近藤勇土方歳三など当寺に立籠り壬生浪士といへば婦人子供の戦慄せし当時を思へば御代太平を喜こばぬ者はない

当時の京都人の認識がうかがえるものの、「天誅組」といえば倒幕派武装集団なので新撰組とは正反対存在である

単なる勘違いなのか、それとも庶民あいだでは混同されていたのか。

明治44年『幕府名士近藤勇』『怪勇後の近藤』玉田玉秀斎

松林伯知のものと同じタイトルだが別の講談師によるものらしい。

こちらには沖田総司永倉新八斎藤一らも登場するが、池田屋事件の場面において、

中にも沖田惣司の働きに至っては実に目ざましい、此処彼処と戦ふて居りまする中に、最う最後と思ふ、折りしも何処からか一人の敵が、惣司の袖の下を潜って逃げんとする 沖田「己れッ………」と云ひながら躍りかかつて、エイッ……只だ一刀に斬って落とした、其の時に急に持病の肺患が起つて其の場に気絶をした

とあり、喀血ではないが、沖田総司の発病の描写があるのが興味深い。

同じ明治44年に刊行された鹿島淑男『新選組実戦史』(デジタルコレクションには1975年の復刊版しかない)にも同様の記述があり、そちらは新聞連載をまとめたものだというので、講談師が紙面で読んで取り入れたものか。

ちなみに『新選組実戦史』は吉島力『新選組顛末記』の元ネタで、『新選組顛末記』は子母澤寛新選組始末記』の元ネタらしい。

まとめ

明治の始めにはまず「近藤勇個人が知られ、「新撰組」はそれに従属する情報にすぎなかった。

・『汗血千里駒』によって坂本龍馬の人気が高まるにつれて、「坂本龍馬暗殺した男」として近藤知名度を上げた。

近藤の腹心として土方歳三が登場することは多かったが、それ以外の隊士たちはほとんど取り上げられなかった。

近藤は概ね「維新志士の敵ではあったが立派な剣士だった」と捉えられていた。

しかエンタメ寄りの勧善懲悪ものでは典型的な悪役を演じることもあった。

・やがて永倉新八の『浪士文久報国記事』などをもとに、近藤勇主人公とした講談が演じられるようになった。

明治末にはさまざまな証言資料が揃ってきてディテールが深まり近藤土方以外の隊士が取り上げられることも増えていった。

・やっぱり京都からの評判は悪かったらしい。

2024-06-02

新書タイトルが思い出せない

80年代90年代刊行されたベストセラー的なやつで、地理地図からなんか読み解くやつだった気がする、、、

誰か思い当たる人教えてください〜!!

2024-06-01

うおおおおおノベルス雑語りしたくなってきたー!!!

ノベルスがライトノベルか否かって言われたら雑なノベルス語りをしたくなってきたぜ!!!!!

ということでしていきます

ライトノベルノベルスの違い

そもそもライトノベル」と「ノベルス」を分ける定義の人たちってのは昔から連綿と存在していて、例えばノベルスって言うとどういうものかっていうと以下のようなレーベルです

等々……

さて、ライトノベルとどう違うの?と言われると、ものすごい簡単にいうと「文庫新書か」という分け方になる

ライトノベルは主に「文庫」で書かれているレーベルを指すことが多く、ノベルスは「ノベルス版(新書版)」と呼ばれるちょっと細長い感じの本で二段組で書かれているものを指す。

違いはそれだけか?と言われるとまあそれだけなんだが、もうちょい踏み込むにはノベルスの歴史を知る必要がある

1950年代ごろだと、そもそも日本における新書サイズの本と呼ばれるものは「岩波新書」に代表されるお堅い学術書が主だったもので、それに対して光文社が「大衆向けのもうちょいわかりやす教養レーベルを作りたい」として作ったのが「カッパ・ブックス」と呼ばれるレーベルになる

(余談だが著者近影という文化を始めたのもこのレーベルが初らしい)

で、そこから姉妹レーベルとしてフィクション物語を扱う「カッパノベルス」が創刊された。

カッパノベルスは松本清張西村京太郎小松右京など書いた日本ミステリSFエンターテイメント小説に多大な影響がある作品を出して大ヒットを飛ばした。

それを見た他の出版社もこぞってノベルスレベルを立ち上げてそれぞれのレーベル作品を発表していった。

これが大体1960年から1980年くらいにかけてのものすごい大雑把な流れで、ライトノベルより早い段階で日本エンターテイメント小説ノベルスは多大な影響を及ぼした

特にミステリファンタジージャンルに関してはこのノベルスの影響度が尋常じゃないほど高く、ミステリだとカッパノベルスや講談社ノベルス、ファンタジーに関してはC★NOVELSなどで有名作品が数多く存在する

ライトノベルノベルスに含まない人の意見

じゃあ、なんでライトノベル定義論でノベルス含む含まない論争になるかというと、ここからは若干雰囲気ベースになるが「出自ターゲット層」じゃないかというところになる。

ノベルスは刊行されているものを見てみるとわかるが結構ターゲットの年齢層が高い。ぶっちゃけサラリーマンとかそっちくらい向けの作品群が多いのだ

この辺りはレーベルの当初から社会派ミステリ松本清張などを使っていることからも伺えるだろう

内容としてもハードボイルドや伝綺小説などが多く、いわゆるエンターテイメントの中でも硬派でおじさん主人公のもの結構多い

対してライトノベルというものは、ジュブナイル小説と呼ばれるいわゆる青少年向けの文化に影響を強めに受けていて、ターゲット層的にも青少年ないし大学生くらいが主だったターゲット層になる

この辺りの歴史的経緯から来る文化圏の違いみたいなものが、「含まない」という人たちが多い理由ひとつだろう

ライトノベルノベルスに含む人の意見

では逆に、「含む」派閥がなぜいるのか。というと、そもそもノベルスの歴史を見てもカッパ・ブックスの成り立ちからして、「大衆向け」でありエンターテイメント小説の土壌としてあったのはここまで話した通り

で、ライトノベルも言ったらエンターテイメント小説の集合の一部なわけで、まあ内容的に近しい作品が多いからだ

この辺り、時代を経るにつれライトノベルノベルスというのは似た成長を遂げた経緯を歩んだところがある

ライトノベルは様々な近傍文化漫画アニメゲームジュブナイル小説)をごった煮でまとめていったというのだけれども、

ノベルスは時代が経るにつれて対象である大人たち」の変化を受けて、アニメ美少女ゲーム文化さらにその近傍文化を取り入れていき、ライトノベルと似たような変遷を辿っていった

特にこれらを取り入れていったのが、講談社ノベルス(及び講談社BOX)とC★NOVELSである

講談社ノベルス(BOX)で言うと、西尾維新奈須きのこ佐藤友哉など

C★NOVELSで言うと、茅田砂胡多崎礼

あとはどちらにも書いている森博嗣京極夏彦などなど……

上記作家たちは、ご存知の通り小説もさることながら、アニメゲーム漫画などにも多大な影響を与えていった(というか奈須とかに関してはゲームそもそも出自ではある)

これらの作品群は内容的にライトノベルでも出ていてもおかしくない作風のものもあれど、ノベル刊行になっている

また、ライトノベルにおいても、「C★NOVELSで出てそう」「講談社ノベルスで出てそう」みたいな作品結構ある

個人的には紅玉いづきさんとかはわりとC★NOVELS風味かなと思ったりもする)

実際「ブギーポップシリーズ上遠野浩平講談社ノベルスで「殺竜事件」等の「戦地調停シリーズ」を書いているし、ラノベ出身作家ノベルスレベルで書いている例も多い

まとめ

こういった経緯で位置としてはめちゃくちゃ近い位置にあれど、しかし、ノベルスをラノベに入れるか?みたいなのがとても別れやすい、という妙な性質がこの二つにはある

個人的には、まあ歴史的経緯もあるし、レーベル史観でいいんじゃね?という意見なのでノベルスはノベルス、ライトノベルライトノベルでいいかなあと思っている

ただここまでの歴史的経緯を踏まえても、現状似ている作品群も多いというのはあるので、含める気持ちもわかる

なので、もし今後議論する際には内容派閥レーベル史観派閥かの宣言くらいはしてもいいんじゃねえかなあと思う

ただそれはそれとして、ノベルス、ライトノベル双方に面白い作品はたくさんある

ノベルスが好きな人も、ライトノベル好きな人もそれぞれお互いに合う作品結構あるので探してみるのもいいのではないだろうか

更新履歴

24/06/01

指摘があった「ノベルス」と「ノベルズ」の表記ゆれ修正。ちなみに表記は「novels」を日本語読みしたものなのでどっちもあるっぽく、出版社によっても呼び方に揺れがある。(トクマノベルズはズ、講談社ノベルスはス)。自分もなんかノベルスっていったりノベルズと混ざっていってしまうので癖です……

2024-05-15

1度目のアニメ化

計6誌に連載されていたにもかかわらず、連載当初はあまり注目されていなかったという[19]。1973年最初テレビアニメ化が日本テレビ放送網で行われたが、制作会社日本テレビ動画解散により半年で終了。『ドラえもん』の人気も一段落したとみなされ、漫画連載の終了も模索されるようになる。

単行本の発売と2度目のアニメ化による人気爆発

単行本1974年8月から刊行開始された。第1巻はレーベルてんとう虫コミックス』の第1号作品である

単行本は当初、全6巻だけでの予定で刊行開始されたが小学館にとっても予想外のヒットとなる。この反響を受け、1977年には各学年誌掲載されたドラえもんがまとめて読める雑誌コロコロコミック』を創刊。人気・知名度さらに上昇し、単行本1978年の時点で1500万部を売り上げた[20]。そして1979年に再びテレビアニメ化、その翌年には映画もヒットを記録し、社会現象となった。1979年発行の単行本第18巻は、初版印刷部数が100万部を記録した[21]。2019年11月時点で関連本を含めた国内累計発行部数は約2億5000万部を[22]、2020年時点で全世界累計発行部数は3億部をそれぞれ記録している[23]。1974年8月発行の単行本第1巻は5.4ヶ月のペースで毎年重版が行われており、2019年11月時点で246刷に及ぶなど[24]、小学館代表する作品となっている。

本作が爆発的にヒットしたことで、

本作の出版物のみならずアニメーションなどのメディアおもちゃなどのグッズは巨大産業と化した。1980年代の前半から藤本執筆活動は本作の短編大長編作品が中心となり、それまで定期的に発表していたSF短編仕事を引き受けることができなかったり、『エスパー魔美』の新作執筆不可能になったりする等の弊害も生じた。

1979年から続くアニメ放送

人気を維持し続け長寿番組となっている。放送しているテレビ朝日は、同社(およびANN系列局)の実質的マスコットキャラクターとして扱っており、さまざまな番組広報誌などでドラえもん意匠使用している。災害発生時には「ドラえもん募金」の名前募金活動が行われている。

高い知名度から教育分野にも広く浸透している。小学校教科書に『ドラえもん』のキャラクター使用されているほか、大学入試問題にも登場した[25]。

2002年には、

タイムアジア版の「アジアヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された[26]。『日経エンタテインメント!2007年10月号「最後に読みたい本・マンガは何ですか?」というアンケートでは第1位にランク入りした。

2024-05-12

anond:20240512200706

ニンテンドースイッチゲームまた50本遊んで感想書いたのでまとめ(その三)


普通

アオイシロ

和風伝奇ジャンル女の子同士の恋愛表現する、アカイイトと同じ世界観ノベルゲーム

今作では主人公小山内梢子が剣道の有段者ということもあり、バトルよりのエピソードが多めになっている。

衒学趣向の文章がかなり多く、ラスボスと戦っている最中ですら、語源歴史解釈小ネタが挟まるので徹底した味合いだった。

対して恋愛パートの文量はあっさりめなので、前作との比較で好みが分かれてしま作品だった。


嘘からはじまる

嘘と恋愛テーマにした短編連作ノベルゲームで、複数エピソード連作っぽいミステリーズなストーリーになっている。(ミステリーズなストーリーとは、いっとき東京創元社から刊行される短編連作小説がみんな揃ってやってたアレを揶揄している)

中学高校大学とそれぞれの学校舞台にした短編で、どれも嘘のテーマを上手に処理して、恋愛の起伏を描いており、やりたいことは理解できた。

特に成人年齢になる大学生編では、テキストだけの表現とはいえエッチ過激な内容も多くあり、なるほどと感謝できるシーンが多くて好き。

信頼できない語り手にまつわるミステリ議論は、まあ本作の本題ではないし、多様な好みを許容したい。


人形の傷跡

行方不明大学生の姉を探しに上京した上条明日美が、サイコホラー事件に巻き込まれノベルゲームで、90年代後半の同人ゲームリメイクしたもの

姉を思う主人公気持ち以外一切信用が置けないストーリーが展開されるため、出てくる登場人物全員が怪しく見えてくる怖いゲームだ。

ストーリー的に意味がない読者を驚かせるためだけの仕掛けがあるのは、時代性を感じた。

少し駆け足な展開が多く、せっかく田舎から上京したのだからなにかアクティティを楽しみ、キャラたちを立てるパートがあっても良かったかもしれない。


いづみ事件ファイルVol.2黄昏編

携帯電話専用ゲーム移植版で、物語としてのミステリー、というよりは推理クイズ体裁シリーズ第二弾。

事件概要構成要素こそ前作とは異なるが、大きな流れとしてはほとんど変わっておらず、話の筋が非常に薄い。

シリーズを通してのキャラクタや、前作とのちょっとした繋がりなど、ひっかかるところもあるにはあり、特に主人公のいづみの傍若無人ぶりは相変わらず面白い

とはいえ、謎を解く過程議論こそがミステリの本懐であり、ただ謎を提示され、その謎に対する答えを選ぶ現代文試験を、ミステリ呼称するのは個人的な好みとは外れていた。


千羽鶴

恋人のお見舞いに病院に行くことから始まるホラーノベルゲームで、携帯電話専用ゲーム移植版で千羽鶴シリーズ第一弾、シリーズではあるが、作品間の繋がりは薄く、今作独自世界観キャラクタが楽しめる。

生理的嫌悪感を煽るようなホラーが中心で、とにかく徹頭徹尾おどろおどろしい嫌な雰囲気が漂っている。

特に不快臭いに関する描写は妙に文量が細かく、ねっとり描写されるので、否が応でも話に引き込まれしまった。

ルートごとに異なる世界観分岐するため、根幹の設定が違う妙が楽しめるのだが、割とどれも似たような話が多く、エピソードの幅が小さいのは惜しい。


幽限御界堂探偵社 1章

妖怪実在する世界でそれを退治する役目を持った御界堂守丸が主人公コマンド選択肢アドベンチャーゲームシリーズ第一弾。

現場捜査容疑者への聞き込み、知識図書館で調べるなど、妖怪という突飛な設定ではあるが、地に足がついた丁寧なゲームを遊べる。

最終的に妖怪対峙するパートになるが、ここは要するにミステリ系のゲームにおける容疑者証拠を叩きつけるパートになっていて、本作独自翻案がうまくできていた。

シリーズものなので、縦筋となる父親の謎、ヒロインとの関係値、敵の親玉など気になる設定も出てくるが、次作の第二章でシリーズ展開が止まっている。


幽限御界堂探偵社 2章

妖怪実在する世界でそれを退治する役目を持った御界堂守丸が主人公コマンド選択肢アドベンチャーゲームシリーズ第二弾。

今作はAIロボット殺人を犯すという魅力的な謎が提示され、妖怪だけでなくSFもやるのかとワクワクしたが、そういう話ではなかった。

妖怪ロボットといった要素だけなく、殺人事件すらも本題ではなく、ゲストキャラたちの関係値のエピソードが主になっており、二作目ながら番外編っぽい立ち位置作品

シリーズは今作で止まっており、縦筋となる布石が回収される見込みがないのも残念なところ。


ANGEL WHISPER

ノストラダモスの大予言間近の1998年に、フリーゲームプランナー由島博昭が開発業務を通じて世界真実に気づくノベルゲーム

1999年に発表されたゲームのフルリメイクで、当時の時代感が色濃く出ており、非常にらしさがあった。

陰謀論に傾倒するヤバい人と一蹴するのではなく、自分ごとのように読めるような具体的なエピソードと設定の開示の工夫の丁寧さが面白かった。

リメイク時に追加されたエピソードも、ノストラダモスの大予言世界が滅んでいないという前提にたったメタ視点面白く、短いプレイ時間の中に壮大な世界があって良かった。


Night of the Crabz ~カニの頭に気をつけろ~

ライターの兼城と保村の二人が、炎上事件に苦悩している旅館取材に行く、インターネットミームてんこ盛りのコメディアドベンチャーゲーム

終始不真面目なテキストが一貫しているちょけた作品ながら、しっかりとフリとオチが決まっていて、作品としては真面目に作られている。

なお、大浴場でお風呂に入るサービスシーンで、ヒロインの保村がお風呂には入るが、変えの下着を忘れていたため同じものを履き回すシーンは、お風呂に入らない系女子に大きな感情を向けがちな僕としては、気が効いている良いストーリーだと感謝した。

アドベンチャーゲームではあるが、RPGアセットテンプレートを流用しているからか、ステータス画面や謎の戦闘シーンがあるのは、開発会社の続編への布石らしいので、そちらにも期待したい。


刑事J.B.ハロルドの事件簿 マーダー・クラブ

パソコンゲーム黎明期から続く犯罪事件操作するコマンド選択アドベンチャーゲーム第一弾。

聞き込み、探索、聞き込み、探索と、刑事は足で稼ぐの格言の通り延々とコマンド選択して証拠を集めていくタイプゲーム

ストーリーは非常に薄く、容疑者たちが語る人間関係から、その間柄を想像で補完しながら遊ぶことになる。

昔のゲームは、今と面白さの尺度が違うものも多いが、テキスト主体のアドベンチャゲームは、概ね今も昔も変わらず一貫した良さがあるなあと再確認できた。


刑事J.B.ハロルドの事件簿 マンハッタン・レクイエム

パソコンゲーム黎明期から続く犯罪事件操作するコマンド選択アドベンチャーゲームの第二弾。

ひたすらに延々と聞き込みを繰り返す昔ながらのスタイルで、謎らしい謎はあるものの、基本的には犯人たちが自ずと語ってくれる。

UIテンポがいいので、コマンド選択することで主人公刑事と一体感が楽しめるのは、アドベンチャーゲームの根源的な楽しみだった。

なお、同名の被害者が三人いるという非常に魅力的な謎は、途中で明らかにゲーム容量やUI画面の大きさの都合であることが伝わってくるのも、パソコンゲーム歴史を感じさせられた。


刑事J.B.ハロルドの事件簿 キス・オブ・マーダー

パソコンゲーム黎明期から続く犯罪事件操作するコマンド選択アドベンチャーゲームの第三弾、というか第二弾のマイナーチェンジ版。

いや、アドベンチャーゲームマイナーチェンジ版ってどういう意味なのかよくわからないと思うけど、要するにキャラ絵と背景絵を使いまわした番外編。

前作の事件構成要素は同じだが異なる事件が展開するので、はっきり言って続けて遊ぶと混乱した。

流石に当時の開発事情をとやかく言うのは野暮なのだろうが、全くそういった知識を入れずに遊んだので、なんらかのトリック時間移動による世界線改変とか、作中作による叙述トリックとか)を疑った身としては拍子抜けした。


Looking Up I See Only A Ceiling 上に天井がある。

イタリアインディーゲームで、学生少女テスト勉強の合間に色々と苦悩するアドベンチャーゲーム

翻訳がかなり丁寧にされており、独白中心のこじんまりとした世界観がよく伝わってくる。

特に朝食を用意するパートで、頑なに自分が決めた順序でしか動こうとしない主人公の生きづらさは必見。

読者に解釈を委ねるような物語賛否あるだろうが、短い時間で遊べる短編としてはこういうのも有りだと思った。


秋田・男鹿ミステリー案内 凍える銀鈴花

ファミコン風のレトロドット絵サスペンスドラマのようなストーリーが楽しめるコマンド選択ADVミステリー案内シリーズ第二弾。

事件解決目的に来たはずの刑事旅情を楽しむパートが多いのはシリーズ恒例の展開だ。

前作と比較すると3倍ちかくボリュームが増えており、警察サイドのサブキャラ複数人登場、容疑者も多数おり、謎も二転三転していき、事件も数多く起こる。

しかし、謎の振りと落ちが整理されていない箇所が多く、ボリュームは多いのに消化不良感が残るしっくりこない結末は残念だった。


BUSTAFELLOWS

時を巻き戻す能力をもったフリーライタの女性テウタが、法律に縛られない自分たちの正義を実行するフィクサー集団出会うことから始まる乙女ゲーム

キャッチコピーの「あざやかな悪に染まれ」の通り、悪徳弁護士殺し屋クラッカーなどの犯罪を厭わない男性キャラとの恋愛が楽しめる。

いわゆるクライムサスペンスじみた展開もあるにはあるが、本題はあくま女性主人公目線での男性キャラとの恋愛パートにあり、悪を成す部分の段取りの薄さは気になった。

アメリカ舞台なので、出てくる飯がピザテイクアウト中華が多くなかなかお腹がすく展開が多いのは好き。

○好きじゃない

該当作品なし

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