はてなキーワード: 分掌とは
20年ほど前
「うちの学園では4大卒は事務室でも教育職で取っている、君は教員免許はないが教育職で取る」といわれた
担当の教授に相談した所「それはいい!学校内での立場がまるで違うはずだし、給与もいいはずだ」といわれ、そういうもんかと思い就職した
「実はサッカー部の顧問がいなくなりあいてしまう、君やってもらえないか?」といわれた
「いや、サッカーどころか運動のようなものはやったことがない」
「でも、君は教育職として採用しているので部活動をやる義務があるんだ」
といわれ、やることになったもちろんそこからはおきまりのコースだった
事務室は勤務時間が7:30から16:30と9:00から18:00を一週間ごとに変えるという勤務体系だったのだが僕は学校から離れたところにあるグラウンドに行かねばならないので7:30固定になり16:30になると急いでグラウンドに行った
そして18:30まで部活をやりその後残業という勤務になった。もちろん土日は部活動でなくなることが多くなり平均の月の休みは2日ほどになってしまった
教員はなんだかんだいって夏休みは半日程度の部活動のことが多いが事務室はそういうことはない、部活がないときは事務室で通常業務、部活があるときは夏休みでも残業になった
そこまではまだよい(よくはないが)、あるとき僕と同い年の同僚の給与と僕の給与を比較するチャンスが有った
なんとその同僚のが高かったのだ!
これはなぜかというと教育職はいくら残業をやっても残業代は出ず、基本給の4%のみ最初からついてくるという特例で、逆に事務職は勿論普通に残業代が出る
僕らは月に平均40時間ほど残業があった、そのため同年齢の高卒の事務職の方が基本給は安いものの基本給にプラス30%ほど割増の残業代がつきトータルの月給はぼくより多かったのだ、ボーナスを含めたらどうなるかわからないが、これにはすべてのやる気を失ってしまった
なにしろ普段の日は僕のほうが部活の分、仕事が多少遅くなり帰宅時間自体は僕のがいつも遅く、しかも、土日は部活動で休みがないのに、普通に休んでいる人のほうが給料が高いのだから精神的に参ってしまった
もちろん、このことを事務長にいい、校長に報告がいったらしかったが結局、部活をやめるのにその後4年かかった、僕より若い男性教員がなかなかはいらなかったからだ
具体的な例は示せないがこんな印象。
システム監査や業務監査に対応するために設計書や議事録は残さないといけないし、テストはテストコードでは監査のエビデンスにならないから(監査人が読めないから監査OKの判定を出せない)、神Excelのテスト仕様書と吹き出し付き画面キャプチャのセットを作らないといけない。
監査のために隅々までログや管理者機能を作らないといけないし、運用が回っていることを証明するための分析機能も作らないといけない。
昔取り入れられた内部統制なんちゃらのせいで、職務分掌が絶対とされ、開発者が本番環境を触ることが出来ない。開発者が本番環境にプログラムリリースするために独自で構成管理システムも作らないといけないし、運用部隊を通じて本番環境を調査するための申請システムも作らないといけない。
本番稼働が始まったら開発者一人居れば回るような規模なのに、開発担当、開発責任者、運用担当、運用責任者の4名が必要となる。
10年前に米国から輸入されたSOX法のしがらみが続いている日本ではDevOpsなんかあり得ない。
システムが動くことよりも、監査に堪えられる仕組みを作ることが重視されている。
監査対応は上場企業であれば必要となる。所謂Web系のベンチャーが「上場準備」を始めた段階でシステム対応のスピードが大きくダウンするのもこのためである。
《追記》7/14、追記を書いたのでぜひ読んでほしいです。
https://anond.hatelabo.jp/20170714184542
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在学中に受けた県の教員採用試験には不合格だったので、臨時登用の名簿に登録していたら3月30日に連絡が来て、4月1日から県立高校で非正規教員をしている。
まず前知識なのだが、非正規教員と一口に言っても「期限付(任期付)講師」と「時間講師」に区分されることは案外知られていないのではないか。
前者は常勤。半年や一年という任期付きではあるものの、クラスの主任を持ったり、部活動顧問や校務分掌(進路指導、生徒指導など)も持つ。
お給料も正規と同じく月給制で、ある程度の年齢までは毎年昇給があるらしい。
後者は非常勤。塾の大学生アルバイトのイメージが近いのではないだろうか。
週〇コマと決められていて、時間単価と勤務コマ数の掛け算で給料が支払われる。
「県立〇〇高校、週〇コマで講師をしていただけますか」と電話がかかってきて、幸い実家から通勤できる距離の学校だったし、「現場で経験を積みながら合格を目指そう!」なんて希望に燃えて二つ返事で快諾。
厳粛な任命式も、指導や研修(正規の新採用はほぼ毎週あるらしい)も何もなかったが、他の先生たちと同じように1人で担当クラスを持ち現場に立っている。
手探りの日々で頭を抱えることもあるものの、生徒から反応が返ってくるこの仕事に誇りや充実を見出している。
ところでもうすぐ夏休み。
子供の頃は「先生はいいよね、生徒と同じように夏休みがあるんでしょ!」と思っていたがそんなはずもなく、当然他の月と同じように出勤して仕事に取り組む。正規の教員は。
正規の教員で足りないコマ数を補って授業を行うために雇われているのだから、授業がなければ当然仕事はない。
授業だけが教員の仕事ではないので、正規の教員や常勤講師は研修会、企業訪問、会議、行事の調整、部活動指導、調査への回答…など山積みの仕事を行う。
しかし、授業だけが業務とも言える我々時間講師の場合、授業がなかったら仕事はなく、仕事をしていないのだから当然給料もない。
(ちなみにそのときは試験期間で、通常の授業がないため時間講師の仕事はごっそり削られたのである)
働かざる者食うべからず、とは聞き慣れた言葉である。
また、「仕事がないはずがないだろう、選ばなければどんな仕事でもあるはずだ」と最近まで私も思っていた。
しかし、本当に8月は仕事のしようがないようなのだ(生徒の補習や夏期講習は正規教員で事足りるらしい)。
私は抜けているところがあるので、「授業を行ったぶんだけお給料が出ます」の裏にある、「授業がないなら無給だよ」の意味に最初気が付かなかった。
気が付いたあとも、「時間数は減るだろうけど、夏休みなら補習もあるだろう」と思っていたのである。
8月、どうやって暮らせというのだろう。
幸いなことに私は実家暮らしで、家族も「正規合格を目指す」という私の目標を理解してくれているので、すぐさま困窮する事態には陥らない。
一人暮らしの家賃や光熱費を払い、日々家計のやりくりをしなければならない状況だったとしたら?
ちなみに非常勤なので社会保険にも加入できず、自分で国民年金16000円を払っている。
「1コマ3000円で週10時間、だいたい月12〜14万円か」と分かってはいたが、ここから保険料や税金を支払い、最低限の仕事服や通勤定期を買い(一律で定額支給の通勤手当は雀の涙ほどだった)、働き出してからは貯金も全くできていない。
こんな月収でも年額130万円を超えてしまうので、親の扶養にも入れない。
他のことをして収入を得ようと思ったこともあるが、「正規の教員で不足するところを補ってね」と時間割を割り振られたので、月〜金全ての日に授業があるし、「4時間目だけ」「2時間目と6時間目」のような振り方なので、時間が全く自由にならない。
2時間目と6時間目の間の数時間、何をしているのかと言われると教材研究や生徒の課題のチェック、試験後にはその採点、成績表のデータ入力などである。
しかしあくまでも「週10時間」の任命なので、これらの空き時間についてはもちろん無給。
1コマだけ授業があるような日でも、その時間だけ学校に行って終わったら即帰宅というわけにはいかないし、何時間働く日であっても通勤にかかる時間は同じである。
文章の収拾がつかなくなってきた。
まだ1年目の1学期を終えたところでこれだけ思いつくので、これから先どれくらいこの身分の恐ろしさを痛感するのか、未来が真っ暗である。
そもそも来年度以降も同じ学校に勤められるとは限らず、そもそも任用があるのかも分からない(おそらく3月末の連絡がそれなのだろう)。
他にも時間講師の人はたくさんいるが、新採用の正規教員のように1箇所に集まって研修を受ける機会などはなく、年齢も担当教科も割り当て時間数もバラバラなので、話す機会がほとんどない。
中には現役を引退したベテラン教員、夫の扶養に入れる範囲で勤めている子持ち女性などもいるようだが、この仕事だけが生計の手段であるような若者〜中年も少なくないようだ。
「(モンスターペアレント、部活動指導、教育改革などになる)教員のブラック労働」と「(民間の)非正規労働者」の問題については注目が集まっていると感じるが、「非正規教員」はその合わせ技といえるのではないだろうか。
知っていてなったはずだ。
だめでも、コツコツやってみようと思っていた。
けど今すごく疲れてるんだよね。
校務分掌の仕事を先輩から引き継ぐ間もなくとりあえずやってみよう
からの、部活動の練習試合とか予定をうかがって(ちなみに未経験運動部メイン)
ただ校務分掌の仕事は今やらなきゃ職員全体に響くしマストの作業が多いところだ。
しかも分掌の仕事も確認をお願いすると手直しは当然でるし、でも締め切りには間に合わせると。
初めてだから仕方ないよね。っていう点もあるけど、
部活動も相手側の都合があるので優先して電話をする時間をとる。
終わらない仕事をずっと抱え、なおかつ進捗が遅い、なんたっていろんなことを重複してやらなきゃいけないから。
だから仕事が一切おわった気にならず、今も授業をこれから作るけど
自分がこういうことで「はぁ」とため息をつく日が来るとは思わなかった。
それに、そんな授業をしてるからかな、斜に構える生徒だっている。「あいつ何?」と。
そういう生徒がいて当たり前だと思う。
けど、こっちも人間だ。何回もそういう態度をとられ続けると落ち込むのも事実だ。
生徒がいったことだから気にしない、ことを微妙にまだできていない自分は、人格否定されてる気分になり下がる。家でね。
大人じゃなくて子どもに否定的なことを言われるってそれだけなんだろうけど
やっぱり悪いことって言われたくないし思われたくないんだ。誰でもって思う。
授業改善しなきゃ、そして自分もかかわっていかなきゃ、と思うとまた体力の摩耗に気づいたりする。
おそらく、こういう「しなきゃ」で動いてしまえば、子どもの目にもそう映ってしまうのだろうに。
支離滅裂になったけどとても疲れてるってことを書きだしたかった。
じゃないとどっかで、ネジ飛びそうだ。
とりあえず金曜日をどうにか乗り越えてゆっくり寝てることを期待している。
4月からはじまって土曜日まともにゆっくり休めるのは今回は2回目だから、うれしい。
なんなら連休がここにきて初めてだから、うれしい。テスト期間ようやく・・・。
仕事って大変だね。みんなこうやって生きてるんだ。
5年ほど働いたあと、主に給与面に不満があり、縁もゆかりもない県の教員採用試験を受けて合格し、今は教員2年目です。
中学高校と美術部(という名の漫研)だったので、運動は死ぬほど苦手ですが、意見が通るわけもなくバドミントン部の副顧問をすることになりました。
部活は主顧問の先生がとても熱心で、会議のある水曜日を除けば毎日練習があります。土曜日は昼を挟んで一日練習です。
教員になった初日に顧問の先生に呼ばれ、買うべき道具が書かれたリストと部活の予定表、事務作業のマニュアルを渡されました。今は練習試合1つするにも5種類以上の書類が必要になります。
先週は22時前に帰ったのは金曜日だけです。保護者との飲み会があったので。
今日は部活が終わったので、明日の授業の準備と分掌業務をしています。分掌というのは進路指導部とか、生徒指導部とか、総務部といった役割の仕事です。生徒会の担当として学校祭の準備をしているので死ぬほど忙しいです。
それなら部活の顧問をやめればいいと言われると思いますが、顧問を拒否したら白い目で見られ、職員室に居づらくなります。それを言った同期はしばらくの間陰口のターゲットになっていました。
部活動の手当てが教員の副収入になってる!けしからん!といった声も聞きますが、8時間拘束されて3000円です。練習試合等で15時間働こうが3000円で据え置きです。
毎月3万払うので部活辞めさせてください。
ここ数年、転職したり出向したりで何社かの組織を跨いで動くことが多かったんだけど、真面目に今の40歳前後の管理職、おっさん、無能。
管理したこともされたこともありません、マネジメントの本(根性論とかじゃない、組織論の本)も読んだこともありませんてなアホンダラが、単に当て込む人間が組織に残ってないってだけの理由で管理職になってる。
何が無能って、まず指示が出せない。職務分掌できない。というか自分に責任が発生する行動言動ことごとくから避ける。とりあえずあやふやなこと言ってその場しのぎに甘んじる。
上司なんて、自分の責任範疇で他人に仕事させるから金もらってるようなとこあんのに、その懐がない。上げ膳据え膳希望のマザコンみたいなやつが本当多い。
で、当然組織が回らない。若手が辞める。特におっさんより能力ある若手が率先して辞める。その後を追って新人も辞める。
なんなの?40歳前後のおっさんらは呪われてんの?ホント、年功序列とか言ってないで、30歳あたりの活力あるやつにサッサと権限と収入ガツンと充ててやったほうが、成長するって組織はかなりあるよ。
なんつーか不稔の世代だね。花だけ咲いたけど実はならないみたいな。サッサと刈り取ったほうがいいよ。生やしておいても、栄養だけ吸って枯れるだけだから。
野党の戦略として、現状武器が日程闘争しかないと以前書きましたが、これは国会の議論をしないようにする、というマイナスの面がありつつも、日程制限があることで、多数政党の提案する法案についても、その議会通過の粘着性(viscosity)の高さゆえに、逆説的に国会に権能を持たせているところがあるのが問題を複雑にしているのです。これを単純に日程闘争による議会の粘着性を問題視して、議会の粘着性を失わせれば、多数を持っている政党の党議拘束が強い現状を考慮すると、行政の抑制が難しくなってしまうことにも注意が必要です。たとえばイギリスは日本と似ていて、会期性を取っていますが、会期は最低ほぼ1年あり、かつ造反議員への懲罰もそれほど厳しくはないようです。単純に会期を長くすればいい、というものでもないでしょう。野党が現状持っている唯一の武器を奪ってしまうだけになってしまいます。まぁ現与党による永遠の施政を望んでいる人にはそれが望ましいのでしょうが。ですから国会の権能を確かなものにするためには、野党にちゃんと戦うための武器を与える必要があります。もちろん政権を打倒するための武器ではなく、行政を監視するための武器です。つまり国政調査権です。
日本国憲法第62条「両議院は、おのおの国政に関する調査を行ひ、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる」
これも森友学園や加計学園、日報隠蔽問題の解決を妨げているもののひとつです。日本の国会では、この国政調査権を委員会に実質的に分掌していますが、委員会は、証人喚問等には全会一致を、その他の国会法第104条に基づいた(これも主語は各議院、委員会だからね)記録等の請求に対しては、委員会による多数を求めています。これが問題解決を妨げている原因のひとつです。つまり完全に委員会で多数を占めている政党にとって都合の悪い調査は、行わないことができるということです。たとえばドイツでは少数調査権が保障されており、4分の1の議員による動議で、調査委員会(Untersuchungsausschusse)を設置し、証人喚問を行うことができます。こういった機能を持たせないと、野党に、十分な行政監視機能をもたせることができていないことが、まさに、いわば、現状明らかになっているところであろうと、このように考える次第でござます。つまり現状、与党の自身から形成されている内閣に対する国政調査権というものは、良心にのみ依拠しているというところを加味して今日の共産党、辰巳孝太郎議員への大塚拓財務副大臣の答弁を見ると味わい深いものがあると思います。
森友学園の、土地値引きの根拠になった試掘調査データを出すのに、なんの個人情報もないのに、なぜ民間業者の許可が要るのかとつめてます。まぁ前半も大事なところですが、何回も何回もやってるところなので省略。まぁ基本的には杭をどこに何本打ったかがわかる資料を出せ、とそれが値引きの根拠なんだろ、とこうやっているわけです。
「審議に必要な資料がまったく出てこない。これも問題です。刑事訴追とは無関係な一般的な資料提出もない。たとえば国交省この間、有益費のこの中身について、先ほど少し言っていただきましたけども、補償した項目をすべて、資料として出すように私は求め続けてまいりました。ところがこれらの資料について、国交省や財務省は、”与党の許可がないと出せない”とこういってきたわけであります。理財局長、行政機関が、1政党の許可を得ないと、国会議員の資料を出せないと、これ法的根拠を示していただきたい。」
「お答えいたします。あの、本件森友学園に対する国有地の処分に関しましては、二月以降報道をはじめとして、国会でもさまざまな議論をいただいております。それ以降ですね、議員の方々から、説明、あるいは資料の提出、多数ご依頼いただいてございます。こうした中、ご依頼に対してましては、多忙な中、可能な限り、ご説明申し上げ、確認を行ったうえでの資料の提出について対応させていただいているところでございます。従いまして、資料に関しましては、不開示事由の有無の確認等の事務が生じますが、こうした対応を丁寧に行う上で、一定のお時間を賜りますことについては、ご理解を願います。そして、先ほどご質問いただいた事項でございますけれども、えー予算委員会で理事会協議事項とされているものと承知してございます。いずれにいたしましても、我々、提出に向けての作業を進めさせていただきたいと思います。」
「答えてないですよ。私は予算委員会で、理事会で求めた以外のものも、一般的な資料の提出を求めてるんです(レクでの資料提出依頼のことだろうね。)。それも与党許可なくしては出せない、とこういってるんです。それの法的きょんこ(かんでてかわいい)示してください」
「えー、委員ご指摘の資料につきまして、私ども、委員とその、財務省職員との間でのやりとり委細承知してございませんので、いずれにいたしましても、予算委員会での理事会協議事項となっている資料につきましては、当然のことと承知してございますので、委員と所定のやりとりをさせていただいているところでございます。いずれにいたしましても、我々、提出に向けての作業を進めさせていただきたいと思います。」
「副大臣、副大臣、どう思いますか。これ。行政機関が、1政党である、与党の許可なくしては資料ださないっつってんですよ、三権分立の観点からもコレおかしいと思いませんか。」
「えー本件相当政治的な問題になってますから、一般的に与党の理事に相談するのはこれ普通のことじゃないかなと思いますが、これ(場内どよめく)えっそうですかね。たとえば(ヤバイか?ちう顔をしていらっしゃる)まぁいずれにせよ(ごまかした)国会審議、私も予算委員会、決算委員会などでいろいろお伺いしておりますけれど、ま可能な限りー、契約書(海苔弁なー)、評価書、など鑑定資料もー、お示しをするとともに国会審議の中でも丁寧にご説明させていただいていると思っております。いずれにせよ、不開示事由、これは個人情報の有無、等を含めて間違いがあってはいけないところですので、これはきっちり、間違いのないように、丁寧に、作業を進めていると伺ってございます」
「今、問題発言ですよ、問題発言ですよ。かつて年金問題のときに、野党からの資料請求に、与党への事前報告を求めたことがこれ、大問題になったことがありました。しかし今回行われているのは、それだけじゃないんですよ。与党の許可が出ないと、野党には提出できないと、こういってるんですよ。これ与党議員による、事実上の検閲であり、国会審議の形骸化ですよ。国会、国権の最高機関であり、唯一の立法府である、私は国会の自殺行為やと思います。これ副大臣もっかい答弁してください(やさしいね)」
「その担当者がどのようなお話をさせていただいたか、詳細には私は存じませんけども、通常の資料要求に対して、通常にお答えするのであれば、不開示事由があったらいけませんけども、そういうところきっちり精査をした上で、丁寧に対応させていただいているという風に思っておりますけども。まぁ事前検閲とかそういうことではないと思いますけど。」(チャンスをいただいたのにフイにする副大臣。でも”私の責任で出す”とかいっちゃうと、松本洋平内閣府副大臣みたいになっちゃうもんねー。大変だね、同情はしないけど。)
「検閲ですよ。具体的には、理財局の国有財産企画課長に、文書の提出を求めると、”与党議員に聞かなきゃなんない。アポが取れずに許可が取れないので、資料の提出は待って欲しい”と私に再三述べてまいりました。またこれ決済文書のですね、一部、これ黒塗りのところだけでもいいから出してくれと、求めると、これは”与党の許可が出ない”と拒否をし続けたわけです。こういうことが起こってるんですよ。国交大臣、国交省でも同じようなことが怒ってるんですよ。このようなあり方は、三権分立を形骸化させるものではないですか。」
「委員が今、同じようなとおっしゃいましたが、同じではないんですね。私どもの職員が、委員とどのような対応をされたか私は承知をしておりません、仮に、そのー与党議員の云々と発言したとするならば、その発言の趣旨はおそらく、要求された資料を公表するかしないかが、理事会協議事項となっている場合に、資料公表にあたり、関係する委員の皆様に説明する必要があることを申し上げたのかと思います」
「理事会協議以外の資料もそういって出してこなかったんですよ。この間、私はレクの中でですね、貸付料の滞納があるんではないかということを聞いてまいりました。これ理事会の協議にも予算委員会でもなってないですよ。これ与党の許可がないから出せないんだ、こういうこと言っていたのは国交省なんですよ。これ大臣知らないんですか。局長どうですか」
「貸付料の件ですが、日時は覚えておりませんが、委員がご質問される前日のレクの際に、提出をさせていただいたと記憶してございます。」
「私が提出を求めてから2週間も、3週間も提出してこなかったのは国交省なんですよ。それで質問する前日になってやっと出してきたんですよ。こういうことがね、森友問題では起こってるんですよ、これね、与党が行政機関と一緒になって森友疑惑を隠蔽すると、こういうことですよ。これ、絶対許せないと。事前検閲絶対許せないと申し上げて、私の質問を終わります。」
いや大塚さんの言ってることは官僚の行動原理はちゃんと説明してて、「政治的な問題」(マルセイ案件というらしいですが)を官僚が許可なく野党に出すことをビビッて忖度してるか、与党が命じてるか知らんけど、まぁ実情は把握されてんだろうねぇ。
首相夫人付職員が、旅費法に定める旅行命令の発令なしに出張することを、職員本人が自ら判断したとか
夫人付職員が、わたくしに知り合った人間からの問い合わせに対し、
勤務時間内に職場の電話を使って問い合わせをして職場のFAXから送ってもそれは職務ではなく、かつ職務専念義務違反でもなく、
つぎつぎに弥縫策的答弁を閣議決定していることは話題になっていますが、
森友学園の土地取引の詳細について、「法令にしたがって適切に処理している」が典型的ですが、
加計学園の獣医学部設置を認める今治市の国家戦略特区認定に関して、森ゆうこ議員への答弁がとてもひどかったのです。
これは経緯がわからないとひどさがわからないので、話題になりにくいとは思うのですが、
ちゃんと説明できないのであれば、今後の政府が出してくるペーパーについての信頼性を大きく損なうものでした。
これまで、獣医師には人員の偏在の問題はあるものの(医師が田舎に行きたがらないのと似ている)人員不足ではないとして、
獣医学部の新設は不要とされてきたほか、安倍政権以前にも加計学園は構造改革特区に15回提案して、15回とも落ちている。
しかし鳥インフルエンザなどの畜産等に影響を与える獣医学部の新設を可能とする国家戦略特区認定をすることと安倍総理が判断し、
地域選定がワーキンググループで話し合われたが、そもそもは地域を限定した公募ではなかったので、
ここ最近、鳥インフルエンザ研究などバイオサイエンス分野に力を入れている京都産業大学、新潟薬科大学も公募するつもりで準備を進めていた。
しかし、ワーキンググループの会合で、獣医師の偏在が問題だから空白地帯に限るということになり、
採択理由は加計学園の提案のほうが熟度が高かったからとされたが、加計学園の提案書はA42枚。京産大の提案は21枚。
公募期間は2週間。当然、今治で計画してきた加計学園だけが公募し、選定されることとなった。
その一方京都産業大学の提案書、ヒアリングの議事録については、他の事例ではすぐ公開されるのに、公開せず、外部からの指摘により
ようやく公開したが、加計学園の提案にくらべ、はるかに具体的で、研究者資源の面からも充実していると見られるものだった。
さらに、この決定がいつ下されたのかについて、山本有二農水大臣、山本幸三特命大臣、松野文科大臣が3大臣合意をして、
パブコメで否定的な意見が多く、日本獣医師会からも反対声明が出たため、
1校に限ると3大臣で合意して決めたと答弁したが、桜井充議員が、内部情報で、会合や資料作りなどはしていないと告発を受けたため、
合意に関わる文書、ならびに会合等の議事録の提出ができるかと問われたところ、文書はないから出せないといわれた。
その後山本有二農水大臣が12月22日に持ち回りで署名したと答弁したため、
桜井充議員、森ゆうこ議員がじゃあその合意文書、稟議書を出せといったが
なかなか出てこない。やっと4月4日に森ゆうこ議員に提出されたわけです。
もし本当に12月20日に合意文書を作成したというのならファイルのプロパティをみせろと要求し、
理事会に諮ったらそれを理由に書類を出さなくなるから松本副大臣の責任で見せて欲しいと要求し、
松本内閣府副大臣が前向きに対処することを約束したところまでが、背景。
18分30秒ごろから
「その結果といたしまして、そもそも行政文書は国家公務員がその職務を遂行するに当たりまして法令等に基づき、
適正に作成、保存しているものであり、これに違反した場合には懲戒処分など、さらには公文書偽造などに該当することになるなど、
その真正性については制度的に担保されているということ、またその真正性を証明するために、
逐一電子ファイルのプロパティデータ等にさかのぼって確認することを要求されるとすれば、
行政サイドとしては、対応ができないとのことで内閣府の中で結論を出させていただいた。」
公務員が作った文書を偽造すれば公文書偽造に問われるから、その真正性は担保されているし、
国会議員が見せろといっても電子ファイルまでみせるまでもないってんですからね?
全部見せろって言ってんじゃなくって、合理的に疑いがもたれる(今までないっていってたものを突然出してきた)ものを
公文書偽造の疑いがあるから、本当なら確認させて、っていったら
偽造したら罪に問われるから大丈夫だって大本営発表かって話ですよ。
追記
修正するのもめんどくさいのでご勘弁を。
これはほんとに推測だから書かなかったけど、
多分桜井議員や森議員は、3大臣が合意してきめたんじゃなくて、
国家戦略特区の議長である安倍総理が加計学園の今治に決めたんじゃないかと疑ってると思うんですよね。
なぜなら告示が総理名、類似事例の国際医療福祉大学では関係大臣の連名署名文書がすぐ出ていたこと、
ワーキンググループのメンバーが八代さんとか竹中さんで、獣医学部の新設のためにどうすればいいのかについて
さらに山本幸三が一旦、山本有二農水大臣、松野文科大臣と話し合った記憶はないと口走っていること、
だから何度も分掌されているのかについて質問したり、合意文書の真性性にこだわってるんだと思う。
まぁそこまでいくのは無理だと思うけどね。
とても悲しく感じると同時に、昔ちょっとだけ高校で教員をやっていた自分は、現在の部活動の仕組みにまた憤りが湧いてきた。
この安全面における危険性について、一人でも多くの人に知って欲しくて今回記事を書いている。
悪天候の中自然の力に大きく左右される競技を敢行したり、ビーコンや連絡機器の管理がなっていなかったりなど、責任者である以上はその辺りは弁解の余地はない。
ただ、常日頃からこの国の部活動制度自体がもっときちんと整えられていれば、このような事故が起こる可能性など元からなかったのではないかと思ってしまう。
大前提としてその日の定時内での業務を終えた後に夜7時8時まで、または土日に終日部活動を見なければいけないし、その手当は土日の「日当」が千円ちょいなどだ。
週休0日など普通だ。
もちろん部活以外の業務ーー授業や授業の準備、テストの作成や200人分の採点、生徒指導、クラス運営、進路指導、受験対策、広報などの他の校務分掌ももちろん山ほどある。
これほど多くの業務を一人の教員が抱えているなんて日本くらいで、国際的に見ても異常なことである。
ただ今回フォーカスしたいのは「部活動の安全面」なので、教員の多忙さについては今回は割愛しておく。
さて私はスポーツ経験なんて高校の時に強豪でも何でもない普通の卓球部に所属していただけで、体育ではなく一般教科担当だったが、赴任して任されたのはサッカー部。
サッカーは一般的な競技ではあるけれども、10代のまだ加減を知らない若い子たちが全力で取り組むのだから、試合も普段の練習も本当に危ない。
だが、ボクシングなど特別な資格が必要な競技でない限りは、毎年誰かが顧問枠に入らねばならない。
たとえベテランのノウハウが必要な危険の伴う競技であっても、例えばその年に前任者が離任すれば、適任者がいなくても誰かがその顧問枠に入らねばならないのだ。
そして実際、素人の私が見ていて、ゾッとしたことが何度もあった。
生徒が過呼吸を起こして倒れた。
生徒がボールで顔を打ち前歯がぐらついた。
こんな緊急時に、スポーツに関して何の資格も持っていない、ただ「教員」をやっているだけの素人が、人命に関わる判断を速やかにしなければならない。
幸い大事には至らなかったが、運が良かっただけだ。
その生徒たちも、私もだ。
引率していた教員たちの中に、どれだけ登山に詳しくて顧問をさせられていた先生たちがいただろうか。
また「ベテランの教員が同行していた」とも報道されたが、私としては「どれだけベテランでも所詮教員だ」と思ってしまう。
授業をしたり、クラス運営をしたりという多種の職務の傍ら、その「片手間」と言わざるを得ない多忙な状況下で顧問をしてきたに過ぎない。
何年登山部に関わっていても、登山を専門にやっているプロではないのだ。
預けさせていいのか。
甲子園などの部活動文化が定着している日本では、なかなか難しいと思うけど。
でもせめて、登山やサッカーなど危険が伴う競技を、その競技に関して無資格の人間に、さらに他の業務で多忙な状況下で監督責任を押し付けるのは、今すぐにでもやめよう。
お金がかかっても、体育の教員を増やしたり、きちんとしたインストラクターを雇うべきだと思う。
「部活動に励む生徒と先生」は青春の一部として美化されがちだが、そこに生徒に対して危険があるのならば、変革が必要ではないだろうか。
この話を「教員になったなら当然のこと」「自分で選んだ職業だから仕方ない」で片付けないでほしい。
学校は子どもの命を預かる現場だし、実際にこのような事故が起こってしまったのだから、この悪しき因襲と環境は一刻も早く改善されるべきだと思う。
ブラック企業だとか過労死だとか、色々と話題になっているので私も一言物申そうかなって
私は高校教員一年目。全校生徒200人未満の小規模校に働いてます
朝7時半に出勤して、打ち合わせまで前日やり残した仕事を片付けます
終わったらすぐに部活です
授業の課題をチェックしたり、学年の仕事をしたり、分掌の仕事を片付けたりするうちに22時です
うちに帰ったらやっと授業の準備ができます
月曜日が始まる前に、なんとかやらなければならない仕事の95%くらいを消化できれば良い方です
こんな感じで日々を過ごして、月1くらいですごい無理(夜の2時まで仕事するとか、同僚に泣きついて手伝ってもらうとか)して、なんとか仕事を落とさないでやってます
子供の学力が落ちているだとか、教師の質が悪いだとか、よく聞く話ですが、解決策は明確です
教員の人数を増やせばいいんです
それが厳しいのなら、事務員を増やしてください
おそらく2倍くらいになれば、教員は自分の授業や生徒対応にかける時間が増え、結果的に学力も上がるでしょう.
PTAのお知らせを作ったり、模試の会計作業でくっっそみたいに面倒な書類を作る時間があったら教材研究したいんですお願いします
死にそうな顔をしながら適当に準備した授業をされる生徒の身にもなってください
適当にやるなって? つまりもっと働けってことですか? 死ねってことですか?
確実にオーバーワークなのを、県の教育委員会は知っているはずなのですが、全く動く気配もありません
そりゃあ、きちんと残業代を払えば人件費も跳ね上がりますからね、触れたくないですよね
月の時間外労働時間を数えてみたら、平均して100時間超えてました
手当は3万円ほどです
なんとかしてくださいお願いします
http://anond.hatelabo.jp/20170207224412
昨日(エントリを書いた次の日)の昼休みにパンかじりながらスマホをチラ見したら、エントリがすごいことになっててうろたえた。目に入ったコメントに泣きそうになったからそれ以上は見なかったよ。
仕事から帰ってきてセブンイレブンのおでん食べながら、ざざーっとコメントとか関連エントリを読みました。セブンイレブンのおでんは白滝が好きです。
読みながらちょっと感動して、いろいろ書きたくなって書いたんだけど、疲れすぎてて気づいたらソファで寝てた。書いたものは消えてた。スマホめ、グーグルアプリめ。
で、仕切り直してもう一回、今日、いま帰ってきて、書いてます。揚げ鶏食べながら。
長くなってしまうかもしれないけど許してほしい。
エントリをたくさんの人が読んでくれたみたいで、東洋経済の教育困難校シリーズも読んでくれたかな。そうだったら嬉しい。
こんな状況があるってことを、少しでも多くの人に知っててもらえるだけでも、同じようなしんどい思いをしてる同業者たちにとっては、きっと心強いと思う。
単純な感想としては、まずこんなにたくさん反応をもらえるとは思ってなかったというのと、その中でも好意的というか、問題をすごく深く捉えてくれている人たちが多くて驚いた。あと励ましも。嬉しかった。
自分頑張ってるアピールうざい、みたいにもっと言われるかと思っていた。意外と言われなかった。なんかごめんなさい。
実は、あのエントリの中で書いたことには、私の経験だけじゃなく、私が教員として信頼している人、尊敬している人の経験も混ざっている。全部が全部、私が現在進行形で抱えている事象ではないのでご安心を。まぁ、じゅうぶんしんどいけどね。
だまされたと感じた人がいたらごめんなさい。いろんな形で頑張って、生徒と向き合っている人たちがいることを伝えたかった。もちろん勤務時間外の対応は別に義務でもないし、勝手にやってるだけと言われればそれまでなんだけど、生徒の大変な状況を目の前にして放っておけないって人が多いんだと思う。うちの旦那さんとかね。
私はどちらかといえば、職業教員というか、仕事だから、って割り切っているほうだと思う。だから、同じようにしんどい思いをしていた旦那さんに肩入れし過ぎだって言ったこともあるし、熱い前担任からクラスを引き継いだときは、やりにくいと思った。
私が生徒に時間をかけて関わるのは、そうしないほうが大変なことになるということを経験してるから。どんなに罵詈雑言を浴びせられても、授業以外でも生徒たちと関わる時間を最低限とって、個別に声をかけて、あなたのことをきちんと認識しているよ、見ているよ、ということを相手にわかるように伝えてあげないと、今よりもっと大変なことになる。そこで少しでも信頼関係がつくれたら、そこを拠り所としてなんとかやっていける。うまくいけば、その子の拠り所にもなれる。
でも、罵詈雑言を浴び続けて、心が折れて、生徒と一切関わらなくなった人もいる。気持ちがわかるだけに、本当につらい。けど、本当にしんどい。
そうなると、その人の授業はさらにひどい地獄絵図になる。その指導や巡回を他の教員がすることになって、自分のために使う時間がさらに削られる。職員間の関係性も悪くなるという負のスパイラル。
つらい。
私が首都圏、都市部で勤務しているのでは?という声を見かけた気がするんだけど、地方の公立高校国語科教員です。都市部で働いたこともありますが、いまは担任も分掌の仕事や、その他の主任業務も当然かけもちくらいの規模の学校にいます。分掌っていうのは、教務とか進路とか、生徒指導とか生徒会とか、授業そのもの以外の学校の業務もろもろ。大規模校だと、担任業務か分掌業務かどっちかだけで良いパターンもある。
ちなみに、学校で絶対にやらなければならない授業以外の業務ってほぼ一律で、絶対量はどんな規模の学校でもほとんど変わらない。
だから、職員数と授業以外の仕事量はほぼ反比例する。規模が小さくなれば職員数が減るので、単純に一人当たりの仕事量が増える。あと、受け持つ授業の種類も増える。小規模校の先生はどこも大変だと思う。情報共有がしやすいというメリットはあるけど。
だから大都市の大規模進学校に行きたい教員が多い。生徒はおとなしいし、仕事量は少ない。自分の得意な分野で勝負できる。定時で帰れる人も多い。
ある程度の進学校にいた人たちは、高校の先生って楽そうだな、そんなんでお金もらえるなんていいな、って思ったことあるんじゃないかな。私は思ってた。バカにしてた。
でも全然違ったよ。世の中にはいろんな学校があって、いろんな先生がいた。進学校にも、進学校の良い先生がいる。
脱線した。
私は、辞めようと思ってる。決心したのは本当に個人的な理由なんだけど、流産したから。
誤解しないで欲しい、別に生徒に何かされたわけじゃないよ。私の体の問題なんだと思う。
でも、それをきっかけに自分の生活を大事にしたくなった。自分の子どものことを考える生活をしたくなった。それだけ。ありがたいことに、私が無理して働かなくても生活はしていける環境もある。
辞めるって思ったら、ちょっと楽になった。逃げるは恥だが役に立つ。
最初のエントリ、言葉遣いもひどいし、差別的に感じるところもあったと思うけど、私の正直なところだった。
発達障害については色々思うところあるけど、長くなるからやめておく。
差別と言われればその通りだと思う。たくさんの発達障害の生徒や教員(旦那を含む)と付き合ってきた上で、私は差別というか、区別している。人間誰でも苦手なことはあるし、発達障害はその延長線上だし、フォローし合えばいいと思う。でも、コミュニケーション必須、むしろそれが全て、という教員という職業に就いていて、コミュニケーションが苦手なので自分の好きなように授業だけします、っていうのは許されないと思う。どんなに進学校でも、もちろん教育困難校でも。
長いですね。すぐ語っちゃう。
誰かに聞いて欲しかったんだな。
この職に就いたばかりの頃にお世話になった先生に、「誘ったらすぐ飲みに行ける異業種の友達がどれだけ居るか、が良い教員かどうかのバロメーター」って言われたこと思い出した。最近、飲みにも行ってない。狭いな。飲みに行きたいなー。
色々、わーわー言いましたが。
お子さんがいる保護者世代の方々、理解してくれている人たちがいると思うと心強いです。ありがとうございます。
エントリをきっかけに色々考えてくれた方々、心配や励ましをくれた方々、ありがとうございました。勇気付けられたり、気付かされたりしたことがたくさんありました。
教職経験者の方々、共感やアドバイスほんとに嬉しかったです。泣いた。
http://anond.hatelabo.jp/20170208200842
私はこの職に就いた頃にあなたのような尊敬できる教員と出会って、たくさんのことを教えてもらったから、ここまで続けてこられたし、教員という職に対して誇りも意味も見出せたと思う。女性教員だから難しいこともあるけど、女性教員だからこそ得意なこともたくさんありますね。
こういう素晴らしい教員も、現場にはたくさんいて、頑張ってる。それが少しでも伝われば嬉しい。
全国の教育困難校と言われる学校で、磨り減りながら頑張っている先生。
しんどいですよね。
でも、理解してくれてる人もいるみたいです。
ちょっとでも、これで心が軽くなる人がいたらいいなと思う。
教員でも、全然違う環境で、見えないところでしんどい思いをしてる人でも。
生徒と一緒で、大人も、誰かが自分の状況を理解してくれてるって思うと安心するよね。
そういう教員でありたかった。いろんな生徒の状況を理解したかった。でももう今はしんどい。
とりあえずあと1年、無理しない範囲で生徒と関わって、彼らの人生にとって少しでもプラスになることを残せればと思ってる。
もう絶対に教員なんてやらない、という気持ちではないです。いつか、他の学校でまたやるかもしれない。
でもとりあえず、いったん少し休もうと思ってる。今はね。
長くなってごめんなさい。
ありがとうございました。
またソフトテニス部の顧問になったよ。7年目だよクソ。俺は中高水泳部だよ。経験ねーよ。
土日休みがねーよ。なにが4時間以上で3000円だよ。わり算すると最低時給以下じゃねーか。ブラック企業だよ全く。遠征は交通費もでないよ。どうすんだよ。赤字じゃねーか。
平日は日没まで部活指導。しかも経験がないから威厳なしで生徒にはなめられっぱなしで精神的に辛すぎ。校務分掌や授業準備で帰宅は毎日11時過ぎ。酷いときは終電だよ。土日は練習、試合の引率・・・
世間が思う教師の夏休みなんてねーよ。今年はお盆の三日間以外全部部活だったよ。しかも一日中。熱中症とか心配だから常に気を張って監視だよ。自分も熱中症になりそうだったが。
どうすんだよ、新婚だけど、早速愛想つかされて、妻は殆ど実家で過ごしてたよ。夏。
何が日本の人口一億人を維持するだよ。俺たちは若手教員ってだけで休みのない運動部顧問を担当させられて、家庭を見返る時間もねーよ。子どもができても子育て手伝えねーよ。くそ。イクメンなんてなりたくてもなれねーよ。
俺は数学の教員として教員免許を取って、採用試験でも合格したんだ。数学のプロであって、テニスのプロじゃねーよ。素人だよ。もっと数学のプロとして授業をするための研究時間が欲しいよ。なんで勤務時間内にその時間が無いんだよ。おかしいだろ日本の教育。
部活動は教員のボランティアだろ。日本のスポーツ界は教師の部活動顧問の犠牲の上で成り立ってるということを自覚しろ。なにが「オリンピックで金メダル何個以上が目標」だよ。いい加減サービス精神に頼るのはやめにしろよ。サビ残に頼るんじゃねーよ。
離婚なんてしたら、生きてけねーよ。ソフトテニス部顧問は正直苦痛だよ。生きがいにはならねーよ。何の興味もねーよ。俺は数学を教えることに生きがいを感じるよ。本来の業務の授業がテキトーになってしまうのがマジで苦痛ですよ。もう。
教員を部活動で酷使したいなら、採用試験試験で部活動に関する問題出してみろよ。採用条件にも書いてみろよ。正々堂々と。
できねーんだろ。法的にはブラック企業だもんな。採用面接では部活のぶのじも聞かれなかったぜ。だって本来の業務じゃないもんな。
暗い話しだけど、何度自殺しようと思ったか分かるか。鬱病だと思って何度精神科行こうと思ったか・・・。でも、生徒のこと考えたらそんなことできない。ましてや妻のこと考えたらそんなことできないだろ。もう、どうしたらいいかわかんねーよ。もう。
文科省は早急に対応しろ。俺はもう、限界だ。助けてくれ。ゴールデンウイークも毎日部活だよ。考えるだけで心臓がバクバクするよ。
権限があるのが文科省だろ。今こそ命令しろよ。部活の顧問は強制じゃないの。やりたいやつだけやれよ。やりたいやつだけやれや。
せめて日曜だけでも部活を規制してくれ。そうしたら週1日休めます。ゆっくり寝れます。本当お願いだからまずはそれを命令して。
部活動顧問の負担を軽減する施策を建て前じゃなくやってほしい。
時間があれば本来の仕事の授業研究がしたい。日没後、部活指導で疲れたあとには頭が働きません。
文科省、教育委員会、保護者、生徒、そして校長、あとは部活大好きの教員の皆さん、私のような教員がいるということを認めて下さい。
家庭円満でいつつ、教師として立派な授業を出来るための時間を下さい。
部活動顧問の問題も日本の学校教育の大きな問題だと思います。保育士の手当てが低いという問題と同じようにメディアでも国会でも取り上げてください、。
私にとっては喫緊の問題です。ほんとうに。本来の業務である「授業・学級経営」に専念させてくれよ。
さあ、明日からも頑張ろう・・・。生徒のために・・・。シルバーウィークも大会で休みなし。大会多すぎ。いろんな連盟の名のもとに大会が多すぎ…。
労働のわりに給料が少ないという元教師に対して「先生なんだから給料うんぬん言うな!」「子供への愛情があればむしろ無給でもいいくらいだ」という人がいたからだ。この意見は極端な例で、まさか本当に教員は無給でも働けると思っている人はいないだろう。
しかし、「先生だから」子供へ無償の愛を注ぐことができるかというと別の話だ。
子供というと誰を思い出すだろうか?
多くの人は自分の子供や親戚の子供など、自分と関わりのある子供を思い浮かべるだろう。
しかし教員が相手にしているのは、いわば他人の子供であり、自分が産んだ子でも親戚の可愛い子でもない。
こんなことを書くと「では教員は子供に対して愛がないのか!」というアホ野郎が出てくるだろうがそうではない。
教員を目指す人は多くの場合、子供が好きで教職に情熱を持っている。
赤の他人の子供でも愛をもって叱ったり褒めたりすることはできる。ただ、その愛は親から子への無償の愛ではない。
「いう事を聞かない、提出物も出さない、暴れる、他の生徒に嫌がらせをする、なんにでも口を出してくる親がいるような子へ
無償の愛を注げというのは無理がないだろうか?
昨今話題となっているブラック企業では、いくら働いても残業代がでないという。残業代を出さないのに長時間の勤務をせざるをえない企業をブラックと呼ぶのなら、教員もまたブラックなのではないだろうか。
教員にはそもそも残業代など存在しない。基本的に残業は当たり前だからだ。残業代などだしていたら県や国が破産する。
それでも人はいうだろう「他の仕事に比べたら良い給料もらってるじゃないか」と。
冒頭にも書いたが、労働と給料が見合っていないと思う教員は少なくない。それは教員かがめついというより、休みがなく週6勤務が当たり前とかしているからだ。中には週7勤務の教員もいる。
子供を相手にする仕事というわりに、圧倒的に休息が足らないのだ。これでは毎年教員の自殺者が出てくるのも頷ける。
特に中学高校では思春期の子供を相手にしているから、子供も親も常にピリピリモードである。
素直さもない。自我の芽生えが肉体とうまく結びつかずイライラする気持ちを教員という身近な大人にぶつけ、最低限のしつけをしない親からの苦情の電話をとり、国や県などが上辺だけで決めた研修で子供とか変わる時間が減り、何も分からない若手に多くの分掌が回ってくる。
そしてなりより問題なのが、教員の世界に新人などいないという事だ。
これは例え新卒で教員になったとしても、失敗は許されないという意味である。ここ最近、団塊の世代が続々と定年を迎え、教育界も人手を失っている。そのため、新卒で採用試験に合格した者も次の4月から担任を持たされることが増えてきた。
大学もストレート合格な22歳だ。一般的に22歳と言ったら一人前だね!という人がいるだろうか?22歳の新卒に一人前の仕事を任せる企業があるだろうか?
教職は、何の経験もない22歳に30何人のクラスの責任を負わせるのだ。
こんな馬鹿げた話があるだろうか。相手は子供で何があるか分からない。どんな事で傷つくか分からない。大人と違って気持ちをうまく整理できない。そんな子たちを相手に仕事をし、雑多な事務処理をし、休日には部活指導をするのだ。
それなのに世間から聞こえてくるのは「先生だから仕方ない」「子供への愛情があればできる」と言った言葉ばかり。
そりゃあ、いいでしょうね。あなたたちの相手は大人なんだから。
普通に話しても通じるもんね。でもね、教員は子供に対して話さなきゃならないのよ。
頭をフル回転させてるの。それでいて当たり前?馬鹿言うなよ。
療養休暇の先生何人いると思う?数えた事ある?
そんなのひどい。
またソフトテニス部の顧問になったよ。7年目だよクソ。俺は中高水泳部だよ。経験ねーよ。
土日休みがねーよ。なにが4時間以上で3000円だよ。わり算すると最低時給以下じゃねーか。ブラック企業だよ全く。遠征は交通費もでないよ。どうすんだよ。赤字じゃねーか。
平日は日没まで部活指導。しかも経験がないから威厳なしで生徒にはなめられっぱなしで精神的に辛すぎ。校務分掌や授業準備で帰宅は毎日11時過ぎ。酷いときは終電だよ。土日は練習、試合の引率・・・数えてみたら30連勤だよ。
どうすんだよ、新婚だけど離婚届突きつけられじゃねーか。
何が日本の人口一億人を維持するだよ。俺たちは若手教員ってだけで休みのない運動部顧問を担当させられて、家庭を見返る時間もねーよ。子どもがいても子育て手伝えねーよ。くそ。イクメンなんてなりたくてもなれねーよ。
俺は数学の教員として教員免許を取って、採用試験でも合格したんだ。数学のプロであって、テニスのプロじゃねーよ。素人だよ。もっと数学のプロとして授業をするための研究時間が欲しいよ。なんで勤務時間内にその時間が無いんだよ。おかしいだろ日本の教育。
部活動は教員のボランティアだろ。日本のスポーツ界は教師の部活動顧問の犠牲の上で成り立ってるということを自覚しろ。なにが「オリンピックで金メダル何個以上が目標」だよ。いい加減サービス精神に頼るのはやめにしろよ。サビ残に頼るんじゃねーよ。
離婚なんてしたら、生きてけねーよ。ソフトテニス部顧問は正直苦痛だよ。生きがいにはならねーよ。何の興味もねーよ。俺は数学を教えることに生きがいを感じるよ。本来の業務の授業がテキトーになってしまうのがマジで苦痛ですよ。もう。
教員を部活動で酷使したいなら、採用試験試験で部活動に関する問題出してみろよ。採用条件にも書いてみろよ。正々堂々と。
できねーんだろ。法的にはブラック企業だもんな。採用面接では部活のぶのじも聞かれなかったぜ。だって本来の業務じゃないもんな。
暗い話しだけど、何度自殺しようと思ったか分かるか。鬱病だと思って何度精神科行こうと思ったか・・・。でも、生徒のこと考えたらそんなことできない。ましてや妻のこと考えたらそんなことできないだろ。もう、どうしたらいいかわかんねーよ。もう。
文科省は早急に対応しろ。俺はもう、限界だ。助けてくれ。ゴールデンウイークも毎日部活だよ。考えるだけで心臓がバクバクするよ。
権限があるのが文科省だろ。今こそ命令しろよ。部活の顧問は強制じゃないの。やりたいやつだけやれよ。やりたいやつだけやれや。
せめて日曜だけでも部活を規制してくれ。そうしたら週1日休めます。ゆっくり寝れます。本当お願いだからまずはそれを命令して。
部活動顧問の負担を軽減する施策を建て前じゃなくやってほしい。
時間があれば本来の仕事の授業研究がしたい。日没後、部活指導で疲れたあとには頭が働きません。
文科省、教育委員会、保護者、生徒、そして校長、あとは部活大好きの教員の皆さん、私のような教員がいるということを認めて下さい。
家庭円満でいつつ、教師として立派な授業を出来るための時間を下さい。
部活動顧問の問題も日本の学校教育の大きな問題だと思います。保育士の手当てが低いという問題と同じようにメディアでも国会でも取り上げてください、。
http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160322-00000116-jij-soci
id:toronei 労基署って税務署より本来持ってる権限は上だと聞いたけど、人手不足で全くその権限使えてないらしいので、やっぱりさあ公務員減らすって国民の生活に悪手過ぎねえか?
こういうボンヤリしたブコメに☆がたくさんつくところを見ると、はてな民には阿呆が多いと思わざるをえない。
「~だと聞いた」「~らしい」という伝聞推定の上に成り立つフラフラした主張に、どうしたら同意できるのだ。
さらに、本当に「人手不足だと職権が行使できない」のか、なぜ疑わないのか。行使できない、行使しない他の理由はないだろうか。
少しでも疑問をもてば、「労基署は忙しい」という阿呆のようなコメントに安易に☆などつけないはずだ。
これも正確ではない。労基署員は「特別司法警察職員」として、必要な際に司法警察権を行使できるという点で「税務署より上」かもしれないが、
http://anond.hatelabo.jp/20150329100124
現実の産休・育休制度は、現場に残った人たちの努力で支えられている。
制度がある以上、その制度を使った人が責めを負うものではない。
その制度を行使されたことによる現場の疲弊を、雇用者はカバーする義務があるはずだが、
それは実質的に守られているない。何も知らない派遣社員がその空席を埋めるのが関の山。
奥様の友人が教師ということは、おそらく公務員であり、なんら躊躇なく産休・育休制度を
教師の仕事は授業、その準備、校務分掌、部活動と、思った以上に忙しいらしい。
そのようば職場で、あてにしていた職員が長期離脱。しかもペナルティなし。その状況下で、
産休とるくらいならいっそ辞めてくれよという人の気持ちが、それほど理解不能だろうか。
本件の問題は、働きづらい職場を作った雇用者ではなく、産休・育休制度を使った人が矢面に立ってしまうことで、
問題の本質が覆い隠され、解決への糸口がつかめなくなってしまうところにある。
だれか、頭の良いはてな民が最適解を導いてくれないだろうか。
はてなブックマーク - 熱血先生26歳の死、労災認定 授業や部活に追われ…:朝日新聞デジタル
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASH324T4JH32PTIL01H.html
たまに登場する高校教諭増田です。ニュースとそれに対するコメントを見て感じたことや自分の考えの整理を書いておく。
学校外では部活動について多様な意見がある。「部活指導は外注すべき」から「やりたいスポーツなんて学校外でいくらでもやらせればいい」まで。
現場で働く個人としては、部活動は学校にはあるべきと考える。むしろ部活動はやりたい生徒たちにとって学校生活の大半を占めるくらい大切な時間であり、そういった場での同学校同学年の仲間たちの時間が人間形成に大きく影響する。あることに打ち込んで成果を出すという成功体験は学校外のクラブチームなどでできないわけではないけど、「部活動に打ち込んだ時間があって学校生活が充実していた」、「3年間毎日朝練をし続けたことがささやかな自信になった」というような経験のある人は少なくないと思う。もっと極端な例では、クラスでは仲間に弾かれて居心地が悪く、部活動が学校での良い居場所となり楽しい時間を過ごし、運動によりストレスの発散にもなるということもあったりする。
学校に部活動はあった方が良い。1年次は強制入部とかそういう変な学校もあるけど、やりたいという生徒たちには環境を用意してあげるべき。
教員の中には「俺は学校生活を部活動に捧げたし、部活動指導をしたくて教員になった」という人が教科問わずいる。そういう人たちは本当に部活動に力を入れている。10年くらいかけて「部活動を育てあげる」ということをやってのける。弱小で、チームとして何も出来上がっていない高校生たちを、何年もかけて、代の交替を見守りながら、練習に対する意識や指導者への礼儀、仲間同士でのコミュニケーションを教え、学校の特色とも言えるような部活動にしていく。
吹奏楽部なんて大きな組織づくりになるから本当にすごい。顧問は経験者であれど楽器は個々で違うので全てを指導できるわけではない。他校の顧問とのつながりから人脈を広げ外部の指導者を雇い、放課後や土日の練習に指導を依頼する。外注するだけでなく顧問ももちろん指導をするし、全体の演奏の指揮を執る。さらに顧問が行うのはそういった技術指導だけではない。生徒一人ひとりの性格を把握しパート毎にパートリーダーを決め、部長副部長とパートリーダーを中心とした組織づくりを行う。そういったリーダーとなる生徒たちには、リーダーとして必要なことは何かを考えさせる指導をし、また組織全体に、外部指導者に指導を仰ぐ態度や礼節を厳しく指導をする。そんな真剣な部活動の取り組みは、練習の中の躓きやそれを超える瞬間、コンクールでの成功の度に生徒たちにカタルシスをもたらし、かえがたい体験となる。このような指導を重ねていくと、部員全体が学校生活全体を通して凛とした(男子部員もいるがあえて全体にこの言葉を使わせてほしい)立ち居振る舞いをするようになっていく。そんなしっかり取り組む部活だから外部指導者を雇ったり楽器を修理する予算も下りる。運動部を指導しながら傍から見ていて、素晴らしい教育だなと思う。偉業と言っていい。
閑話休題。とにかく部活動を熱心に指導する教員は本当に熱心だ。そしてそんな教員を中心に、現状として基本的に部活動指導はその学校の教諭が行っている。
その現状について、最近は世間的に問題点にフォーカスされているが、まず良い面について述べておきたい。その良い面というのは、生徒たちと同じように、教員にとっても教室の外で生徒と関わる中身の濃い機会となるということだ。
教科の教員として、ある生徒を教室内だけで見ていても、どうしても一面的なことしかわからない。部活動の時間に好きなことに取り組んでいるときの表情は当然違うし、そういった場でも生徒とコミュニケーションをとれるというのは、生徒掌握や生活指導など様々な側面から大きなメリットを得られる。わかりやすいケースを挙げると、授業の時間の中で自分の部員に対し叱った後で部活動の時間にフォローをしたり、最近表情に陰りが出てきたようで気になる生徒に部活動の時間に声をかけて話を聞いたり、そんなことが可能なわけだ。
またそれは部活動顧問一人だけで行うわけではなく、教員同士の連携も図れる。教育活動はチームワーク。「〜〜部の〜〜君、今日授業中にちょっと俺にキツく怒られてるんで、ちょっと部活の時の様子見てまた後で教えてくださいよ」とか、「部活のときに他の部員と揉めてたんですけど、最近クラスでどんな様子ですか?」とか、教員側で生徒に対してできることの可動域がぐっと広がる。
おいおい厚かましい教師どもだな、と思うかもしれない。中堅上以上の進学校だとこんなこともまぁ少ないのだけど、レベルの低い学校だと生徒集団も辺に幼い傾向にあるのでこんなこともしょっちゅうである。
こういうケースもすごく多いのだけど、自分は縁あって全くやったことのない競技の部活動顧問になった。その時の場合はまぁ環境と部員数はそれなりにできていて(前顧問が築き上げたものだ)、それを引き継いだ形だった。どのように取り組んだかというと、生徒たちからすれば目の前の顧問はこの競技はでないわけだし尊敬なんか全然しない。なので少なくともこの人はこの部活に対して本気だと感じさせるよう取り組もうと決めた。まぁ若手であり身体も動くので用具を一式揃え、生徒たちに交じって教え合いながら、怪我をしたりしながら、そんな中で技術に関しては俺よりも高いところにある部長と教員としてぶつかり合ったりもしながら、部活動指導にあたった。放課後は勤務校の定時制課程で非常勤講師を引き受けていたけど、それまでの1時間だけでも着替えて練習して汗だらけになり、土日には他の学校との練習試合や合同練習を取り付けては毎日練習をした。それだけ自分の時間を犠牲にしても、礼節指導、チームの構築、どのように引っ張っていくか、どれもやりきれず、異動となった時には反省点だらけで、部活動指導の難しさを思い知らされた。それでも生徒たちは自分の異動を泣いて惜しんでくれて、最終的には良い経験をさせてもらったなというところに落ち着くことはできた。
今になって振り返ると良い思い出になっている。それもあって、件のニュースのノートの写真なんかは心が傷んだ。自分もあそこまではせずとも、部活動のファイルを作りそれを使って生徒たちとやりとりをしていた。しかしその反面、当時は本当に大きなストレスだった。自分がいなくても練習に真剣に取り組む土壌が作れない。叱ればふてくされる。俺だけの空回りか。仕事は楽しいけど唯一部活動だけがストレスと言える状態だった。
しんどい。やりたくもない。
初めから仕事の一つとして挙げられているのだから教員になる段階で覚悟決めとけ、というのがまぁもっともな声だとも思う。けれど我々は主に教科指導で賃金をいただくわけで、その上に部活動指導が重なることで定時内でこなせる業務量を軽く越え、その上で残業代は小遣い程度のみなし残業代となると泣くしかない。
そんな中で、顧問はその名の通り顧問という立場なので、まぁ部活動を自分の好きなようにすることはできる。変な話やりたくなけりゃ適当なお遊ぶ部活にしてしまえば良いわけだ。でもそこに集まる生徒たちは真剣にそれに取り組みたい子が集まるわけで、教員としてはそれには応えてやろうとなるしかない。それはこちらの気持ちとしてもそうである上に、採用自治体もそんな教員であれと謳っている。それなら土日の賃金なり振休なりを保障してくれ、と思う。
そんな中で実際の現場の雰囲気はどうかというと、部活動に関してはあの人すごいよねと言われる人たちがいて(先述のような部活動志向教員だ)、まぁあそこまではできないけど頑張ってるよという中間層とも言える人たちがいて、部員もいるのかわからない名ばかり顧問もいる。割り合いはまぁ学校の特色によるけどだいたいこんなもんだ。その中間層には自分のような素人なりにやっている顧問も多くいる。
そんな中でどうにかしてくれと思うのが、部活動志向のおじさん教員たちの押し付けがましい説教だ。ただの愚痴になって申し訳ない。けどブコメにもあるし言いたい。
まぁ部活動に力を入れてきた人すべてがそんな説教ったらしいわけではない。けれど一定数は「若いうちに部活動がんばらないでどうするんだよ」という考えのおじさん達がいる。俺は先に書いた通りに部活動をそれなりにやってきた自負はある。それでも部員数が減って燻っているさなか何度も飲み屋で説教を受けた。俺は分掌の仕事を全部後回しにして部活動を最優先にした。そのためなら残業をどれだけでもした。お前はどうなんだ。そこまで生徒とぶつかっているのか。
自分は自分なりに、生徒たちが部活動に臨むべき姿勢を考え、部活動を運営し、その結果の今であって、初めからやる気のない人間を集めてその部活を育て上げようみたいなビジョンははっきり言ってありませんよ。生徒がやりたくないならそれでいいじゃないですか。部活がやりたくて教員になったあんたみたいな人ばかりじゃないんだから押し付けないでください。それより同じ分掌のおじさんたちがろくに働かねーから俺が職員室にこもって学校運営の仕事ひたすらやってるんでしょう。
そんなことを何度も言いたくなりながらもビールと一緒に飲み下した。そうこうしているうちにその辺りの人と飲みにも行きたくないようになり付き合いは減らしていった。
ではそんな中でよく言われる、外注してはどうか、ということについて少し考えたい。
前提として先述の通り部活動がやりたい教員はいる。体育の教員なんかも「体育教員なんて部活動指導してなんぼやろ」という考えの人も多い。やりたい人はやって、それ以外は外注で補う形が良いのではないかなぁと思う。
ただ、技術指導に特化した人に丸投げというと、先に書いた教員顧問制度のメリットの部分が得られなくなる。名ばかり顧問としてでも名前だけは教員を配置した方が良いんじゃないかなぁ。その上で顧問や生徒の学級担任などの教員側と、外部指導員とで生徒たちについての意見交換ができるような場を設けるとかが考えられると思う。実際に学校ではスクールカウンセラーと教員同士が意見交換をするカウンセリング委員会みたいなものがあったりするし、そんな感じで。
本当はもう部活動要員を教員として用意してしまうというのが一番理想的だと思う。それぞれに与えられた役割に専念すれば良いし、同じ学校の教員として相互に教育活動に取り組むことができる。だけどまぁそれだけ地方公務員を増やすってのは無理なんだろうね。だから外部への外注なのかなぁと。
そして多分そんな風に環境が移行していけば、俺に説教をした部活動おじさんは多分また説教をしたくなる。若いんだから、身体が動くんだから、そのうちに生徒とぶつからないでどうする。おそらくそういった移行措置を採ったとすると、初めはそんな空気が流れるのだろう。
そりゃあそうだよ若いうちに生徒と距離の近いところでコミュニケーションをすることは教員としての力量形成に大きな影響があるよ。ただ過労で倒れる人が出ている中でそれを叫ぶのはもうだめだろう。だからまずその環境をなんとかして、その新しい関係で生徒と教員がどうやっていくかを改めて構築していくべきだろう。そう思う。
ただ、まぁそれも現実的ではないのだろうなぁ。これを実現するには莫大なお金がかかるし今の日本にそれをやれるほどの体力があるとは思えない。時代が代わり、生徒たちが代わり、昔の美談が悪しき風習となっていったまま残り、地獄はまだまだ続くなぁと思う。
ニュース記事のブコメに日教組への言及が散見されるのでちょっとそれについても現場から見た組合について少しだけ。
自分は組合員ではないけど、組合はありがたい存在です。組合が労働条件などについて交渉などの活動に取り組むお陰で我々の賃金や労働環境は少しずつであれ改善されています。休暇の取り方や範囲などの制度、女性や要介護者家族を持つ者にとっての労働環境、そういったものが守られているのは組合の取り組みの恩恵を受けられているなとは感じている。まぁ社会的に色々言われるし確かにねぇと思うところはあるので、少し言葉を濁してしまったりはするのだけど。
http://anond.hatelabo.jp/20141023160653
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141023160653
増田でこれほどブクマついたのが初めてで興味深く読ませていただきました。ブコメも Twitter での言及も。
せっかくなのでそれらを見てまた感じたことを軽く書いてみようと思う。
数々のコメントの内容の前に。
そういれば学級経営についての言及がなかったなと。自分が担任の経験がなく感じたまま書けることが授業くらいなものだった。
自分のこれまでの経歴では職員数の多い高校での勤務しか経験がなくそこでは一人一分掌的に、担任か、それ以外(総務、教務、進路など)といった組織体制だった。当初は常勤講師としての勤務で担任は持たせてもらえず、教諭となった今、前任校で経験のあった同じ部署で仕事をしており、次年度の分掌として学級担任を希望しているという次第。
また後でジョブローテーションなんかについても述べるが、今の勤務校が教育困難校である分不安も大きいが自身の教員としての力量形成・キャリア形成として早くに学級担任を持ちたいと思っている。ちなみに年齢的に言うと大学を卒業してから一般企業に務めた経験があり、ぎりぎり若手というくくりに入れてもらえるかなというところ。
で、HRについてだが、担任経験者にこういった人数についての話を聞くと、自分の近くではこんな感じだ。
学級経営としては大きな差異を具体的に感じるわけでもなさそう。ただやはり教室に5人増えるだけで教壇で感じる圧迫感が強いのは共通している。
これも高校の範囲でしか書かなかったので。ここに書くことは教育業界にいる人間の、現場から聞いた話と少しの憶測である。
例えば高校なんかは義務教育でない上に、多少近い傾向を持った生徒が集まる。それに対し義務教育である小中学校は、公立校には基本的に地域から選り分けられることなく生徒が集まる。で、ここで短絡的に「小中学校は学校による差は無く幅広く多様な生徒が集まる」とは言えない。地域による差があるからだ。
柄の悪い地域というのはどこにでも存在する。よく「団地の多い地域の中学校での教育は大変」なんて言ったりするが、比較的生活水準が低く、片親であったり家庭環境が複雑であったりする家庭の多い地域がある。そういった地域では、家庭でも子供の幼児教育・初等教育に割く余裕がない分、ちょっとした勉強の躓きから ADHD,LD などの障害までが見過ごされたまま子供が育ちがちだったりする。他方では経済的に余裕があり子供の教育にも家計を割くことができる家庭の多い地域があり、そういった地域間で教育格差が生まれるのは必然である。
そういった「落ち着きのない騒がしい小学校」「柄の悪い中学校」を経験した人も多いのではないだろうか。
そんな中で、高校教員の自分が言うのもなんだが小中学校の教員の方が激務だ。これは残業時間などのデータにも出ている。まず小学校は言うまでもなく担任がほとんどの授業を行う。また高校教員は大体の授業数が週 12〜18 コマであるのに対し、中学校では多い場合 20 を超える。まして人格形成も高校よりもなされていない中学校でそれだけの授業をこなさなければいけない。またその上、子供達の部活動には高校よりも張り付いて監督していなければならないし、部活動が終わり職員室へ戻って授業準備でもしようとした所に近所のショッピングモールから万引きの通報が入ったりする。
まとめると、小中学校は平均的とは決して言えず、自分が前記事で書いたような教育困難校は小中学校でもちゃんと存在し、そんな中で上述のような業務をこなさなければいけないのだ。高校で自分が前記事のような主張をしたくなるのだから、小中学校は尚更であろうと思う。
思いの外応援や労いの声が多く嬉しかったです。ありがとうございます。
コメントに多かった声。「5人を隔離すればよいのでは」から「また別の5人が発生」まで色々。
まずその「大変な5人を隔離」については、習熟度別学習もそれに近い性質もあるように思う。試験などの成績でクラス分けを行うことが多いが、それで低学力の子が少人数で集まると、そのチームで学習が行き届くようになるケースは往々にしてある。ただそれで学級一つを作るとなるとそう簡単ではないだろうなとも。
以前は特別支援教育についてもそういう生徒を分けて特別な教育をという考えがあったけれど、今は健常な生徒から課題を抱える生徒まで包括して一人ひとりに良い教育をという(理想論に過ぎる)方針に転換しているので(インクルージョン教育)、そこは今の教育の目指すところではないのだろうなぁ。
単位制みたいなイメージだろうか。特定の小規模な学級を持たず自由化ということだろうが、まずもっと教員は必要だろうと思うけどそれにしても現実的ではないだろうなぁ。
特に自分の勤務校にいるような生徒は自分で正しく判断していく力が乏しいし、持続的な集中力が乏しく激しい私語などで授業を引っ掻き回すような生徒はその場の楽しさだけを求めて集団で固まり結果授業が崩壊しそう。そこへのサポート案でもあれば。
甘えだと言われても詮ないのだが、実際ぜんぜん違うだろうし、似たような原因から似たような事も起こる。ただしどちらがいいかは別問題。後述するがそこにいる生徒たちによって理想的な人数はそれぞれ違う。それが現実的でないのもお分かりであろうが、自分の中ではこれ以外に具体的な案はない。
自分は少なければ少ないほど良いとは思わない。集団生活能力、関係形成能力、客観的意識の育成のためにもある程度の人数の集団は必要である。そのための場が生徒にとって、30人前後の学級なのか、10人前後の部活動なのか、15人の特別支援学級なのかはわからない。またこれまでの授業経験でも学級の経営一つで25人の授業が30人になった後でも良くなるケースだってある。生徒たちが自身にとって最も有用な集団に属するのが良いと思う。
http://anon.isc5.com/2014/10/kyousi.html
記事にいくつかの事が書かれているけどそれらについて。
通信制高校も全日制高校も同じ学校だし、それらと塾もまた別だし混同しすぎ。
まず通信制や全日制など様々な学校があるのは当然生徒たちに適した学校教育が受けられるため。
あと教員免許状について誤解されているようだが教科指導技術だけで免許を取得しているわけではない。教科指導のみでなく発達心理を学んだ上での生活指導やカウンセリング、自己実現のための進路選択指導、全てが学校での教育活動でしょう。
目が届くようになるという意味で使っているケアというのは教育でなく管理ではないのか、ということだと理解したけど、その初動からの全てがその生徒のための教育活動。仰る通りだが、教室に座って念仏を聞くだけで教育とは言えない。実際、前記事に書いたような情緒の安定しない課題のある生徒だって、そんな状態で授業を受けなさいといったところで知識・理解なんて深まらない。じゃあどうするのかというと、この場にはいない方が良いと判断した場合、例えばとりあえず付き添いをつけて保健室や職員室の担任の元へ行かせたりする。そこでその場のケア、そしてその後情報交換をし、その子のアフターフォローについて話し合う。その授業一つ一つだけでなく、組織で取り組むのが教育活動である。
教室という空間自体に疑問を持っておられそうだが、当然、そこにいることが有用でないのであれば通信制高校などで高卒資格を取得すればいい。現任校のような全日制課程に所属する生徒に対しては、その学校で高校生活を送り卒業することを希望したと判断し教育を行っている。もちろんそこには保護者も介在しそんなシンプルな話ではないが。
突っ込みを入れられている前記事の事例が極端だったので良くなかったかもしれない。年間を通して指導をしていると、教室にいる・いないの問題だけでなく、成績にも環境による差異は現れる。数人人数の減る科目だけ授業に取り組み、結果その科目のみ伸びるというようなことだ(もちろんそんな単一な要因であることも多くはないが)。あとこれについてだけは無いが大きな要素として理解していただきたいのだが、勉強の学習だけが教育でなく、特にうちのような困難校ではその生徒がいかに健全に学校生活を送れるかが大事。そのためには人数を含め教室環境というのは大きすぎる要素だ。その上にあって生徒が負担を感じることなく教室にいられる環境を敷くことができるのであればそうしたいだろう。
そうだと思ってやっています。教科指導、生活指導、進路指導、全て教員の仕事です。
結論から言うとそこの相関関係は無い。地域による違いもあると思うけど、一応教員の力量形成のためのジョブローテーションは存在する。
まず基本としては、様々な学校で勤務をすることが教員の経験・力量にもなるし、さらに言うと管理職候補も養成しなければならない。そのために普通の学校だけでなく、工農商の実業高校、定時制や単位制高校、進学校など様々な環境の学校を出来る限り経験しましょうというような方針がある。その上で自分の勤務経歴は、まず常勤講師は力量関係なく空いた枠に入るしかない。そして正規教諭になり、まず最初の経験を積むという段になっている。そのため、自分も数年後には異動することになる。優しいコメントもあったけどその異動までは現任校で頑張る所存。
ただ実態としてそうもいっていない現実もある。例えばある都道府県は初任者はちょっとした郊外、田舎に勤務することが割合として多い。何故かと言うと都心部から中堅教員が動きたがらないから。そこには持ち家を持っているとかそういう事情もあるが、なんせ勤務年数の長い教員はわがままを言う。都心部、通勤が楽、その上学校が中堅進学校であったりすると居心地がよくなる。進学指導に躍起になることもなく生徒指導も手がかからないからだ。初任者は数年で異動させる慣例があったりするが中堅はそうでもなく、異動希望を出さなければ長年在籍することができるので、そこにつけいって、なかなか異動しない。自分は割りと本気で様々な問題の病巣がここにあると思っている。
またそんな中にも、様々な問題のある定時制高校でも勤務時間と仕事量の少なさから長い間在籍する変わり者もいる。定時制なんかには変な教員・使い物にならない教員が多いなんて声を見たことがあるが、自分はそこまで極端な話ではないとは思いつつも、組織の中で周りと上手くやっていくことが苦手で職員数の少ない定時制に在籍する教員もいるので、まぁねぇ、というところ。
※個人の感想です
教育困難校は本当に、高校生とはいえその時その時の刹那的な感情に素直な生徒ばかりなんです。そんなわけにいかない。
高校を出て就職をする。そのために就職試験がありその中では「高校数学なんて世の中で使わねーよww」なんて言っていられない。就職試験で因数分解や三角比の問題を解くことが就職につながる。
そんな、教科教育の意義・理想論なんて話以前の、これ以上なく現実的なことでさえ、生徒たちは自分で判断し学校生活を過ごすことはできない。数学なんて知らねーよ。約数ってなんだっけ。分数って上割る下だっけ。あーもうやだ数学嫌い。ツムツムしよ。
感覚として、今授業をしていて、まだ大人しい1年生の教室の中で、集中してついてこれている生徒 4/5 ,残りがちょっと厳しそうというところだ。そこで自分が授業中、注意や指摘など、教科指導以外のことを放棄したとしよう。怒られない。喋る声で授業聞こえない。あ、LINE きた。そんなこんなで授業を聞く生徒は 3,4 人になるだろうなと思う。
そうなると学校の経営は破綻する。ただでさえ入学から卒業までに数十人が転退学するような学校だ。進級・卒業・就職と進んでいける生徒がいなくなるだろう。そしてそこに「義務教育じゃないんだから」は酷だ。生徒の声に答える事だけが我々の職務でなく、そこには子供の自己実現を願う親がいる。それを求める地域社会がある。そのために学校は存在する。
繰り返しになりますが、多くのコメントの中様々な視点があり本当に面白かったです。たかだか学級人数の話から少し広がりすぎたが、まぁ面白く読んでいただければ幸い。
皆様の生活があり自分の仕事があることも事実であり、そんな社会に少しでも還元できればと思って働いてまいります。仕事が楽になればとも思うけど、それ以上に生徒たちが少しでも良くなればとお祈りして、今回の件についての記事を締めます。
処遇と職責というのは比例する、というのが組織の構成員のモラールを維持するための大原則だ。
責任の重い決断を日々こなすからこそ、高い報酬が得られるというものだ。
しかし、最初の増田が言うように、我が国では往々にしてそうはなっていない。
処遇と職責が反比例するケースは、社外も含めて皆さんの周りにも散見されるのではないか。
(もちろん、法的に責任を取らされるのは職責のあるものだが、日常的にはどうだろうか。)
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ところで、経営者人材マーケットというのはなぜ存在しないのだろう。
年収1000万円以上の求人!というような情報はよく見かけるが、
株主から「年俸1億円で会社を任せられる人募集!」というような、
やはり増田の言うように、経営者が株主の委任を受けた人材ではなく、
社内の出世競争のゴール地点、という認識が強いからなのだろう。
(もちろん、採用活動が物理的に超多難というハードルもあるけれど。)
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雑談ついでに書いておく。
増田は、日本の典型的な大企業サラリーマンが株主総会に割く準備をご存知だろうか。
株主総会の会場を見渡してみると、主要な座席(出入り口付近、議長近く、壇上近く、マイク近く)に
彼らは、株主総会の「つつがない進行」を妨げるような株主から、会場とマイクを守るために、
そして誰よりも大きな拍手をするために居る。
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ところで、増田は業務分掌を引くのが経営者の仕事、って書いてたけど、
「お見合い」や「領空侵犯」なんて、どの会社でも日常レベルで起こっている。
分掌なんてものはそんなにタイトに考えないで、ゆるくヌルくこなせる会社のほうが、強いと思う。
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他の教員を悪く言うのはどうかとは思いますが、正直に言って今の職場に辟易しています。
部活指導をするために教員になったと言い放ち、授業や進路指導、学校行事などの「本務」よりも部活動優先の教員が大勢います。
例を挙げれば、進路部なのに放課後は常に部活で生徒が進路指導できない教員、部活で職員会議に出席しない教員など、当たり前のように存在します。
私は、平日放課後は部活以外の生徒指導に充てたく、平日はほとんど部活に顔を出していません。
分掌(教員の授業以外の業務分担)や教科次第では、週の半分は生徒が相談や質問に来るからで、「そういった生徒のため」を考えれば、当然のことだと思っています。教員の本業は部活指導ではないのですから。部活メインの教員は考えが違うようで、放課後は部活に行くから休み時間に来いという考えのようですが。もっとも、私も生徒が来ない放課後は職員室で業務をしています。
そして、部活は土日祝日関係なく、年末年始盆休み以外全て活動し、年間10日程度しか休みがない部の主顧問をしています。他生徒の対応をしない土日祝日は顧問として部活に顔を出すので、私自身も、年間で休みは10日程度しかありません。
私自身、できれば顧問を外れたいのですが、他の教員も活動日や内容の重さに、皆敬遠しているため、私が引き受けなければ活動が縮小する現状です。
伝統的に強豪校で、毎年この部活に入部するために入学してくる生徒がかなりの数いるため、部活の規模を縮小させるのも憚られて、やむを得ず引き受けています。
私が最も憤りを感じるのは、部活指導をするために教員になったとか、部活に命をかけていると言って本業を疎かにしている教員たちが、○○部はちょっと、などと言って顧問を敬遠している所です。
とどのつまり、彼らは自分の好きな競技を、自分のあまり負担にならない範囲で指導したいわけです。
そういった人たちが「趣味」によって「本業」を疎かにし、それがまかり通っている事態は異常だと思います。好きな競技を負担にならない範囲で指導したいならば、プライベートの時間を使ってボランティアでコーチなりをすればいいのです。部活も仕事だと言って、勤務時間内に他の仕事を後回ししてやるならば、好き嫌いせず引き受けるべきでしょう。
現任校での年数も長くなってきたので異動も考えていますが後任の目処も立たない状況で、管理職からも残るよう打診され続けています。
おそらく、私が異動した後は、私がそうだったように、「名前だけ顧問に入って」などと新任の教員に押し付けられるのでしょう。
現任校ほど極端ではありませんが、今まで赴任した学校の全てでこのような問題がありました。
そして他校の教員に聞いても、部活に力を入れている学校はどこも似たり寄ったりのようです。
中には、部活に力を入れた教員が強豪校にし、その後任の教員は部活をせざるを得ないという状況もあるようです。
教員というと、「夏休みとか暇でいいよね」とか「授業ない時間なにしてんの?」とか言う人が多いわけですが、
要因という仕事の面倒くさいところは、「複数の仕事が同時に流れている」ところ。
一人の教員は
1、教科の仕事
国語や数学、などの授業をやるのは勿論、テスト作成や課題作成やチェック、
例えば教務だと時間割の作成や時間割変更、行事の計画立案(文化祭なんかはだいたい生徒会指導がやるけど)、
担任の仕事はHRをやるだけではなく、面談や出席統計、成績処理、要録作成など色々ある。
学年としての仕事は学年主導で行う行事の計画立案など。修学旅行とか。
しかしそれだけではない。
5、個人の仕事
経年研修など。
初任者研修のあと、うちの自治体では五年目までは毎年研修が何らかの形である。そのあとは十年研修かな。
あとは今免許更新制度があるのでそれもこれに含める。いや、実際には自腹だから厳密にいうと仕事ではないんだが(泣)
田中太郎 教科 数学(数学科副主任) 分掌 進路指導部 担任 一年一組担任(一学年団) 顧問 野球部顧問
という感じ。
教員という仕事は意外に出張が多い仕事で、自分は今年度数えてみたら四十日ほど出張してた。
しかしその出張もある時は「部活動顧問として地区の顧問会出席」だったり、ある時は「分掌の仕事としての研修への出張」だったり、
ある時は「教科主任として研究大会への参加としての出張」だったり。
しかもそれぞれの仕事は独立してるから、研究発表の準備でクソ忙しいところに部活動の大会が入ったりする。