はてなキーワード: 出版プロデューサーとは
今日たまたま『嵐にしやがれ』という番組を見てて、又吉と一緒に出版プロデューサーという肩書きの人が出てた。
その人が出版業界の話をしてたんだけど、「女性作家には必ずイケメンがつく。何故なら他の出版社の担当がイケメンならそちらの方が原稿を早く仕上がるから。イケメン合戦になる。」「女性作家が少しファスナー下ろした状態で「○○くん(担当者の名前)お願い」と言われたら皆さんはどうしますか?もしここでファスナーをあげてしまったら鞄を持って帰りなさいとなる。ここでファスナーをあげずに下げた人はその作家に3冊書いてもらった。」という話をしてて、嵐の人たちも困惑してた。
笑い話で済ましてたけど、これは本当に酷い話だと思った。もしこれが男女逆の話なら絶対にテレビで流さないだろうし、出版プロデューサーとやらもテレビで話さないだろう。
「聞いたことある話で〜」と前置きしてたけど、この話は全ての女性作家の男性担当者と女性作家の名誉が傷つけられるものだと思う。これから女性作家についている男性編集者は枕営業しているんだなーという目で見られる可能性高くなるし、男性の担当者がついている女性作家は担当者を食ってるんだろうなという目で見られる可能性が高くなる。
【2―2 「漫画原作」と、その将来性 】
上述の地上波を基軸とした戦略の頭打ちのため増加したのが人気漫画の映画化である。
数十万人から数百万人の原作ユーザーを取り込める可能性があるのと同時に、
公開前には原作掲載雑誌の表紙で告知するなど、出版側からの宣伝チャンネルを確保できる。
「かにそして徐々に紙の雑誌の「死」が近づいている」
山田順 | 作家、ジャーナリスト、出版プロデューサー 2015年3月24日 16時24分
http://bylines.news....n/20150324-00044178/
>コミック誌の販売部数は3億9755万部で、19年連続のマイナス。これはピーク時の3分の1である。
>「コミック誌が売れない分、コミックスでカバーしてきましたが、コミック誌で作家は育つので、
>電子版からの収益は紙に比べたら圧倒的に低いうえ、出版社の取り分は少ない。
>これは明らかなカニバリズムで、それは書店売上を奪い、出版社を疲弊させ、出版不況を深めていく。
>これらの不況は、明らかに著作者、漫画家を直撃している。
>日本の出版業界における電子書籍化は欧米とは異なっていることを知る必要がある。
http://anond.hatelabo.jp/20120706010047
の続き。
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岡田斗司夫は「面白い人」かもしれないが、「いい人」では断じてない。
過去の著作やイベントに参加してきてそれは知っていたが、それでも敢えて私はオタキングexに入った。本人が言うとおり、exというシステムを立ち上げたが最後、後戻りは極めて難しい。なので、自分はそれなりにファンをやってきたこともあって、そうした酔狂に付き合ってみようと考えた。
ところが2010年3月にオタキングexに入ったとき、驚いたと同時に「これはまずい」と思ったことがある。岡田斗司夫の旧知の編集者がexにほとんど入っていなかったのだ。厳密には一人だけいたが、彼は12万円も払わず個人的な事情もあって、除籍扱い、つまり「いなかったこと」にされてしまっている。
それ以外の編集者もいたが、付き合いが短い人ばかりだ。ダイヤモンド社の編集者2人はex設立前の取材で意気投合して入社したことになっているが、バベルの塔にもほとんど書き込みをせず、2年目は当然ながら契約を更新しなかった。今のところプロの編集者でexに在籍しているのは1人だ。
最大のヒット作である、「いつまでもデブと思うなよ」を担当した新潮社や出版プロデューサーは?あるいは過去に本を色々出した太田出版は?マンガ夜話とアニメ夜話をあれだけやったNHKは?12万円は負担かもしれないが、1万円で済むクラウドシティなら自主的に入ってもいいはずだ。今ならメディア関係者はタダだ。
これについてはバベルの塔内で本人に問い詰めたことがある。「クラウドシティに編集者とか入ってないじゃないか」と。本人は「これから新しく仕事をするマガジンハウスや幻冬舎の人などは入る(入っている)」と言ったが、私が言いたかったのは「なぜ、過去に仕事をしてきた人が入っていないの?」だ。実際、クラウドシティには未だに新潮社の人、あるいは「遺言」の筑摩書房の人も入っていないはずだ。
さらに付け加えると、現在、対外的な露出で一番重要な仕事であるはずの、週刊アスキーと朝日新聞の担当者もクラウドシティに入っていない(ニコニコ動画の担当者は入っているが、やりとりはexの担当者と先方とでやりとりしており、クラウドシティには「いるだけ」だ)。
仕事をクラウドシティ市民が見える形にガラス張りにするという原則があるはずなのだが、それが徹底されていない。ただ、これは本筋ではないのでいいとする。今までと仕事のやり方や接し方が変わることを考えたら、誘わない方が面倒は少ないので。
問題は先方を誘わないことではない。「何で向こうから自主的に入ってこないのか?」だ。
今後の付き合いということを考えたら、編集者にとっても岡田斗司夫と何らかのつながりを持っておいたほうがメリットはあるはずなのに、新規で本を出す出版社以外に、手を挙げてクラウドシティに入ってくる人は一人もいない。
なぜか。その理由は簡単だ、岡田斗司夫が「面倒なヤツ」で、積極的には付き合いたくない「イヤなヤツ」だから。
器が狭くこらえ性がないのに、他人が自分に対して寛容であることは当然だと考え、人には耐えることを強要する。自分には甘く、他人に厳しい。過去の言動を見る限り、言っていることは面白くても人生の目標たりうる人物には到底なりえないし、仕事以外では積極的には付き合いたくない。
昨年から、(表向きは)クラウドシティ経由でしか仕事を受けつけないようにしたことで、さらに面倒な人になってしまった。ギャラがタダでも「仕事はタダで引き受けます、でも、やりたいことしかやらないし、そのためにはこのやり方でないとイヤだ」、と言われたら、掲載についてポリシーを持っているところほど交渉の余地は少ないし、一緒に仕事をしたいと思う人はいなくなる。
大体、小額であっても、原稿料なり出演料を払うのは、最終的な責任、編集権・編成権は掲載・出演させる媒体にあることを明確にするためでもあったりする。ギャラを一切もらいません、というのは相手がそうした責任を負えない存在になりますと宣言されることで、相手からすれば困ることだ。
こうして岡田斗司夫は自らメディアにおいて出演が望まれざる人物になっている。自分の考え方をより広めるために始めた団体なのに、その対象を狭めているのはどうなのか。
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個人的に失望したのが、2011年8月の関西定例会で本人が「この組織は誰も仕事しなくても、あるいは残らなくても、私さえ残ればいい。だから、私の目的を達成するための近道はみんなが文字起こしをやることだ」と言ったことだ。
ある目的があって、志半ばで倒れるのは仕方がないかもしれないが、堂々と「お前ら捨て駒になれよ」と言われるのはたまったものではない。
また、イベントなどレジュメがある話を文字データ化するのは意味があるだろう。でも当時、本人は本人が話した他愛のない話を含めた全ての音声を記録した上で、文字データ化しろ、と言った。そこにかかるムダな労力についても、「お前らに仕事をする権利を与えよう」とでも言わんばかりだった。
出版社の編集者はこうしてできあがった膨大な文字データを社員と一緒に拾集めれば書籍になる、とも本気で信じていた。音声データを文字化すると同時に何がそこに書かれているかを整理する方針も決めていないにも関わらず。
こうした言動が示しているように、岡田斗司夫は人を使い捨てすることに全く躊躇がない上、自分はそうする権利があるとも考えているし、実際オタキングexもそういう仕組みになってしまった。
岡田斗司夫は自分に友達はいなくて、仲間はいるというのが口癖だが、私は「仲間」すらいないと認識している。いるのは自分にとって「都合がいい人」と「そうでない人」。あるいは「仲間」=「自分にとって都合がいい人」。そう考えると、岡田斗司夫の行動原理は分かりやすい。
これらは全てDAICONフィルムやガイナックス時代から繰り返してきたことなのだろうが、齢50を過ぎてなお、過去とやってきたことから変わっていない。
本人からすれば「ずっと同じ人と何かを継続していくのが苦手なんだ」と言うのかもしれないが、そうやってその都度仕事相手やファンを切り捨ててきたことで自らの評価を下げ続けてきたことは理解していないのだろうか。あるいは、もうすでに新しいファン・読者層を開拓する余地は少なく、新規開拓=レッド・オーシャンだということも。
信じられないことに、こんな人がこれから「いい人戦略」の本の著者になろうとしている。本人が「イヤなヤツ」だからいい人戦略を採ろうとしているにしても、exやクラウドシティでとっている行動はその戦略からはほど遠い。しかもその本は本人の講演を社員が文字起こしして、社員が執筆するものだったりする。そうした本に説得力はあるのだろうか。
そして何より、本を出す出版社の方々はこうした事情をご存じなのだろうか。
続く。
http://anond.hatelabo.jp/20111001000456
論点は芸能人でも嫌儲でもスポーツ選手でもなくて。なぜかといえば、ネット発で有名になる文化人()は、ブログをこまめに更新して長めの論説を書いたり、自分でサイトを持っていたりして、セルフブランディング()に意図的に利用している人たちだから。彼らなりの射幸心はそれなりにあるわけだ。
そういう人たちに本の執筆や講演、商品プロデュースやテレビ出演の仕事が短期間に、大量に、急激に集まってくるのは、その人が売れるコンテンツだと企画担当者が判断するからでしょう? つまりネット上で商品の評判が急激に、自然に見えるかたちで広まりやすいというバイラルマーケティング()の効果を担当者と文化人()が自覚的に考えて実行しているから。
問題は、文化人()も出版プロデューサー()も、マーケッターとしては二流三流の素人だということ。つまり商品にはライフサイクルがあるという学説を聞きかじりで仕入れてきて知らず知らずのうちに信じ込んでいるわけだ。それで、今が旬の人()なんて言い方が生まれる。
売れている当の本人は忙しくてそんなこと考えていないのだけど。イベントで業界人()と名刺交換をした時などに、よろしくお願いしますとか言いながら、よくわからないプロフェッショナリズム()をたくましくしているだけだ。それでそのプロフェッショナリズム()でもってバラエティ番組に出たりする。で、忙しい時期が一段落したときに、ああ、俺(私)のブレイク()は終わったのかな、とふと思う。周囲もなんとなくそれを感じ取る。
そういう一連の過程に付き合っている「一般人」は、ああ、そろそろこいつも終わったか、次に来るのは誰だろうなぁ、と思って、こういう栄枯盛衰が年間行事になったことを怪しまない。