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はてなキーワード: 出会とは

2024-05-08

「なんかつまらんな〜」と思いながらネットを回遊している俺って異常?

ツイッターとか、YouTubeレコメンドとか、はてなブックマークとかを「なんかつまらんな〜」と思いながら1時間も2時間も回遊してしまう。

面白いもの出会ったりもするだけど、数分後にはまた「なんかつまらんな〜」と思いながらネット徘徊している。

9割は「なんかつまらんな〜」って思っている時間

そんなことやめて映画見たり、本を読んだりしたほうがよっぽど楽しいはずなんだけど、なぜかやめられない。

これって俺だけ?

ツイッター見ていても自分と同じこと言ってる人に出会たことない。

面白いものってネットのどこにあるの?

俺って病気

anond:20240506233546

俳句が"情念"や"私"を盛る器たり得るか? というのは、増田の言う通りあるあるネタだと思うが、正直情念シマシの俳人もいるので、情念一本槍で説明するのはちょっと難しいんじゃないかと思う。というわけで、自分の好きな情念系の俳人三橋鷹女の句を紹介したい。

  この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉  鷹女

あまりにも有名なこの句。なんというか、余りにもぎょっとする一句だ。作者は秋の夕方燃え上がるような紅葉の樹をただ見ているだけだ。しかし、その樹の美しさが作者の心中出会って化学反応が起きる。「この美しい秋の夕暮れの紅の陽の中で、こんな燃え上がるように輝く紅葉の樹に登ったら、私の中の何かが身を焦がし、たちまち目はつり上がり口元は避け頭には角が生え私は鬼になってしまうのではないかしら……」と考えるという、そんな俳句だ。想像できるだろうか?

たとえば妖艶な女性が秋の夕暮れ、紅葉を見ながらほんのり微笑んでるわけだ。(できれば舞台京都とかその辺の古都であってもらいたい。)やあ、紅葉がきれいですねえ、なんてうかつに声をかけると彼女はにっこり笑って、「そうですね、きれい……あんまりれいで…」と何か言いたげに言葉を濁す。ここでついうっかり、え、紅葉好きなんですか、なんて下心を出して聞いたが最後、「いえね、あんまり燃え上がるようにきれいから、この樹に登ったら全身火に包まれしまいそう、そうして大声で叫ぶ私は、まるで鬼になったように見えるかしらなんて思うと面白くて……」などとやべー妄想を全開でぶちかまされるからだ。考えてみてほしい、鬼になるかどうか、とか以前に、美しい紅葉を見て「その樹を登ったら…」なんて想像をする時点で(まともな大人でそんな奴、いるか?)もうこの人尋常じゃないヤバい系の人なのだ紅葉を見たら、駆け上る想像をせずにいられないくらいの、この人の身を焦がす情念っていったい何だろう? 恋か。恋だとしたら、どんな恋なのか想像するだにオソロしい。一方でこの「燃え上がる樹に包まれ鬼女になる」というそ妄想自体は、余りにも凄絶で美しくてカッコいい。自然風景と一体化しながらも、この人の情念はまったく矮小化定型化も減量もされず、読む人の心を打つ。

これにビビっと感じてくれたかもしれない人のために、もう一句だけ鷹女の名句を紹介しておく。

  白露や死んでゆく日も帯締めて  鷹女

ただそれだけ。まあ、露ははかない人の命の比喩でとか、白露はことに露が美しい秋の季語だとか、そこから作者の人生も秋にさしかかっている立場で詠んだ句であろうとか、まあそういう教科書的な講釈はいい。いいと言いながら一応一通り言ったけど、それより、スッとこの句を眺めてほしい。そこに立つ、一人の女性の姿が鮮やかに立ち上ってこないだろうか。

和服着付けというのはなかなかの苦労だが、帯を締めるというのはその仕上げの工程に当たる。この句で「帯を締める」というのは、普段から服の手入れもぬかりなくし、朝からきちんと身支度をし、化粧もふさわしくして、そして最後にキュッと帯をしめるまでの一連の工程総称だと考えられる。これまでも、これからも、そしていつか死んでゆく日にも、私はこうして帯を締めて(そうして死んでゆく)、という( )内の聞こえない言葉が、「帯締めて」という言い差しによってかえって響いてくる。女性としての自身、当時の社会との軋轢、様々なものを一身に引き受けながらすっくと立つ一人の人間としての強い思いが伝わってくるようだ。

死ぬはいい日だ」なんて言葉もあるけど、常在戦場の心構えというのはそういう何気ない言い回しの中にあるものなのかもしれないと思う。それになぞられるというわけではないのだけれど、この「帯締める」行為何だか戦いに備えて自分自身を隙無く装っているような、そんな雰囲気が漂っている。こういう「私はオンナよ」みたいな、固定化されたジェンダー内面化って昨今あまり流行らないんだけど─まあ軽やかに変化し続ける自己というのもそれはそれでもちろんよいのだけれど─人が成熟の深みとでも言うべきものに到達するには、ここまで強く深く「私は○○○だ」という意識自身に刻み込み、時を重ねる必要があるのだろう。そんなこの人の「覚悟」みたいなものを、「死」の一字がぐっと引き締める。誰にも文句は言わせませんよ(ニッコリ)、という体で、これまた見事な情念世界だと思う。

どうだろう、こういった情念個性の強さ深さというのは、なかなか短歌のそれに劣ったものではないのではないだろうか。

そうしてみると、結局増田の言う”情念”も、それぞれの作家性に拠る部分がかなりあるということも理解していただけるのではないだろうか。鷹女の句は、俳句王道を決して踏み外してはいないけれど、輝くばかりの個性情念に満ちあふれている。もちろん、増田の言う、短歌俳句の出発点となる発想・捉え方の違い(ほとんど真逆)、それに基づく「短歌やりすぎると俳句作れない」という主張もそれなりにもっともだと思う。ただ、から俳句には情念が盛れないと言われると、いやいやそんなことはないんだけどなあ……と思ってしまうんだよね。

2024-05-07

100円でできるギャンブル

10円玉10枚持って公衆電話に行く。10円入れて適当な番号を押す。出た人に「ニャオ〜ニャオ〜」とか「ワン、ワン」と話す。たいていは切られる。でも、たまに「どうしたの?話聞こうか?」と心配してくれる人に出会う。そうだな、50人に1人くらい。仕事疲れた夜にやってる。

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anond:20240507131554

理解のある彼くんがエリートな例って見たことがない

大概弱者男性だし弱者同士でおさまってるよね

理解ある彼くん捕まえたけど離婚されて捨てられたwww」ってよくネタにされる漫画家

漫画家の方は確かに精神障害者だが彼くんの方も出会った時点で鬱病だった

お前に彼女居ないのも

40越えて一度も結婚してないのも

そーゆーとこじゃねーの?って

 

ってのがXで流れてきたけどマッチングアプリ出会うってそういうことだろ・・・

出会うのすら難しいかアプリでなんとか出会いまでは繋げてもらう手助けが必要なわけで、そういう気遣いができるならアプリもいらんしとっくに結婚しとるやろ

 

女はマジで婚活アプリより遊び相手見つける援交アプリの方が利用目的に叶ってるんじゃねえの?

anond:20240506113712

金持ち結婚して養われたいって願望持ってる女は若いからそのために努力してるわけよ

エリート出会うために自分も高偏差値学校へ進学する、どうしても頭が足りないならその周辺をうろつきエリートの多いインカレに入る

ルーマニアで殺された女子大生も、なんであのサークル入ったかといえば「東大生彼氏がほしい」と書いており、だから東大生の多いインカレに入り

治安の悪い国に行くという東大生に一目置かれる武勇伝必要だった

金持ち女に養われてえ~って言ってるやつってぶらさがるための全力の努力をしていない

若い頃に全く動かず、年食って自分が金で女を釣れる側ではないと気づいてからようやく不平不満を垂れる

anond:20240430051129

リアル出会うようなのは本音と建前を使い分けられないだけだぞ

ぶっちゃけその点だけは女同士より男からの方が現実が見えてる

anond:20240507020337

しろ逆で、ナンパする側の人(=DQNとか)は当事者からナンパなんて大した事ないって矮小化するけど、あなたの言うような叩かれる童貞たちは弱い相手の事を考えられるからちゃんとマチアプとか行くんじゃないかなと思ってるよ

出会いを求める場で出会う分にはなんの文句もない、手当たり次第無差別が嫌だよ〜って話

2024-05-06

anond:20240506185522

今まで出会った辛いもの食えない事を公言してた女全員味覚が幼い私可愛いっていうアピールしか見えなかったから辛い物苦手な女は総じてあざとくてきもい

anond:20240506194704

お金のために始めたけどまあキツい

人間扱いしてくれるご主人様に出会うには、努力と運が要るなと思う

急に相手豹変する場合もあるし

anond:20240506115921

ここで俳句解説するとボロクソ言われるのが落ちなので、リアル相談した方がいいよ。

…というのは、俳句は滅茶苦茶コンテクスト文脈)に依存する芸術からだ。短歌31文字が対決的な文化(歌合せとか)を成立させてきたように「向き合う他者」に言葉を届ける能力もつのに対して、俳句は仲間内のような座の中で成立してきたように「コンテクストを共有する仲間」の間で盛り上がるタイプの道具であり、背景となる文化文脈を共有していないことが多い現代社会特にネット上)では、説明したところで、「そうとは限らないのでは?」みたいな突っ込みが山ほど入るのが目に見えてる。「なんでそう言い切れるの?」「必ずしもそうとは限らない」etc……いやうるせえわ。俳句ってそういうモンなんだから仕方ねえだろ。


それを踏まえた上で、可能な限りの解説をするぞ。長いので暇人向けだ。ちなみに、調べて作者名見て「あー」(嘆息)と声が出そうになってあと調べるのはやめた、から、ほぼ推測のみで書く。まあ、ちょっと古い昭和俳句だわ、くらいに思いながら聞いてくれ。ちなみに、俺はこの句、一読して「短歌的な俳句だ。それだけに、短歌増田が感心したのは分かる」と感じた。俺自身は、こういう俳句は作らないと思う。理由は後述する。

「ここで昼餉(ここでひるげ)」

初手から6字で字余りだ。字余りについては今更説明しないが、基本的にはあんまりやらない。なぜなら、基本的にはリズムを壊したり重たくしたりしてしまうからだ。わず17字でつくる詩で、およそ1/3のリズムが崩れかねないというのは、かなりオソロシイことだ。逆に言えば「その危険を押してでもやりたい」と作者が判断したときだけ、リスクを背負ってやる。素人にはあまりお勧めしない手法だ。さて、作者はわざわざ字余りをして、「さあ、この辺(の場所)で昼飯にしようかな」というメッセージを伝えているわけだ。何とも人を食った話だが、昼飯の場所が決まっていないということはこの人が日常の中にいるわけではないことを暗示してる。まあ、単に定年で暇になって毎日あちこち公園やらデパートやらで飯を食ってる爺さんという可能性もゼロではないが、後で出てくる夏という季節にそんなことをする爺さんもあまりいないだろうから、ここで作者はそれなりに若く、夏の最中に野山を歩き回っていると推測される。これで一気に「作者の年齢、場所、状況」に関する情報が得られるのだから、字余り使った値打はあると言えばあるが、それ以上に作者がここであえて句のリズムをもったり重たくさせたのは、「いい年したおっさんが夏の昼間にハイキングしてる」という「のんびり感」を演出しようとしたためであるかもしれない、とも推測される。その意味では、この初句、のんびりして見えて人を食ったような、それでいて計算もあるやり手の初句だ。ちなみに、この初句、体言止めで切れる。俳句はやはりどこかで「切れる」ことが推奨されるが、それは句の焦点をはっきりさせるためだ。句切れの前に焦点があるか、後にあるかはケースバイケースだとしても。

ただ、それにしても「ここ」が山とか自然の中、は分かったが、どんな場所なのか、また、ここで昼飯にしようと思ったのはなぜか、作者はいまどんな気分なのか、とかは分からない。それは、続く部分で種明かしされる。(よって、ここでは句切れの後、つまり「種明かし」パートが句の焦点だと考えられる。)

「真赤な夏の/花佇つゆゑ」

最後に「ゆゑ(故=理由)」とあるが、普通に考えたらこれまた俳句では普通やらないおきて破りである。句の中でこういう「理由の明示」みたいなこと、ダメだろ普通。なぜかというと、基本的にカッコ悪いからだ。たとえば「閑けさや岩にしみいる蝉の声」を、「蝉の声岩に染むゆえ閑かなり」とかやったら、なんかいろいろ台無しだろう? ネタ晴らしというかなんというか、たとえそういう意図を込めていたとしても、言わずにそこを感じさせて感心させるところがさあ、まあ句の仕掛けなんだから、答え言っちゃったらもう何かダメじゃね?とふつうはまあ思うんだよ。でもこの句はもう少し進化した句で、理由を言っちゃった上で「え?それが理由になるん?」と読み手に突っ込ませることを狙った作品なのだな。突っ込みさせた上で、「え……理由…?………になるんか、…ならんこともないか、うーん、なるほど」みたいな。最初のんびり路線がここで効いてくるわけだ。作者は「それが理由なん?」という突っ込みに対して"のんびり"という姿勢をとることで「それが理由ですが、何か?」と返してきているわけだ。そうやって自信満々に言われるとなんかこっちが間違ってる気もするし、そう言い切られたらそうかなあ、と少し納得感がないでもない……と思わされた時点でもう作者の術中に落ちているのだ。この作戦、小難しく解釈しようとする人であればあるほどハマる。

もっとも、そういう、突っ込みさせつつセルフ納得もできる「微妙な線」を狙うのはなかなか難しい。だから、それを実現させるために作者は2つほど仕掛けをしてる。

一つは「真っ赤な夏の花」だ。これ、普通なら夏に咲くそ花の名前を入れる部分だよな。たとえば朝顔ならアサガオ向日葵ならヒマワリ……だいたい花の和名なんてそんな長いものじゃない。少なくともただ花それ自体を指すのに9字も使うのって、俳句始めたての人の句なら真っ先に直されそうな部分だ。でも、その上でだ。聞いてみるけど、この花何だろうな? 日本の、ハイキングで行くような野山に、真夏に「真っ赤」な花なんて咲いてるか? あとで「たつ」という言葉がある以上、人の背丈程度には高さがあってすっと伸びた草花だ。さて何だろう? 作者の答えは「知らん!」だよ。知らないから「真っ赤な夏の花」なのだ。おいおい、そりゃねえだろ、と読者に突っ込ませておいて、そこで作者はぬけぬけと「だからここで飯にするんだ、悪いか?(ニヤリ」とやってくるわけだ。無責任適当にやってるように見せながら計算もあり、でも基本的楽天的天衣無縫な語り口の句だ。それが初句の「のんびり」加減と相まって、この句に独特の雰囲気を醸し出していることは否定できない。なんだったらここで笑い出しちゃうような面白みがある。

二つ目は「佇つ」だ。学のある人をこれで引っ掛けようという腹だ。この字、音数から考えれば「たつ」と読ませているのだろう。だがこの字に原則として「たつ」の読みはない(少なくとも家にある広漢和辞典(全四巻)でみる限りはない)。一般的な読みは「たたずむ」で、じーっと立っている、という意味だ。「たつ」に宛てたのは、その意味を合わせて感じさせたかたからであろう。花はいつまでもじーっと立っているのだから人間が「立つ」のと同じ字でない方がいいんじゃありませんか、というか、「佇む」には途方に暮れて立ち止まる、みたいなニュアンスも漂う。何か、その夏の花が所在なくじっと立っているので、仕方なくしばしのひと時を一緒に過ごす、みたいな感じだ。なんだろう、ひょっとしてこの「真っ赤な夏の花」というのは、山道を歩く途中で一緒になった、真っ赤なサマードレスを着た女性か何かの比喩なんではないだろうか、みたいな、そんなちょっと色気みたいな解釈深読みが(実際、俳句読みはその手の暗喩創作をよくやる)この「佇」一字から立ち上ってくるのである。そうなると、花の名前が特定できなかったことも、何だかそのための仕掛けであるようにすら見えてきて、うーん、と悩まされるのだ。当然、そこまで考えての、このルール違反用字である

結果、山歩きの途中花の下で飯食うかあ、というだけの句が、俄然ストーリー性、物語性、ロマンスの色彩まで帯びてくる。が、もちろん現実にはそんなことはないのであって、実際ただ飯をくっただけなんですけどねー、という緩い種明かし(そもそもそんなロマンスが勃発したら俳句なぞ作っている暇はないので)を前提に、その幻想を楽しむ、そんな句ということに落ち着くわけだ。

そんな風に、この俳句はなかなか外連味(けれんみ)のある、仕掛けとイメージてんこ盛り、物語調の俳句で、実に面白いと言えば面白い、一般的俳句の目指すところとはちょっと外れた句だ。一般的俳句もっと、瞬間的、即物的、断片的に風景を切り取るのが基本なので、まあ普通は「季語感情」でつくるとこから始めるのが適切だろう。この句も、山道で赤い花に出会った瞬間の感情を句にしてると言えなくもないが、それにしてはいろいろな仕掛けが人を食っていて、また、無用物語調で独特だ。一般的俳句なら、たとえば「握り飯ハイビスカスの色に染む」とかでいいわけだが、この句はその瞬間の風景以上に、遊び、のんびり感、山道を歩いてきてよいしょと腰を下ろすそのしぐさ…からああ花がきれいだな、という一連の感情を全てこの一句に込めようとしてるのだ。これを17字でやるのは、本来かなり無理筋なので、普通はもうちょっとワンショットに切り分けようとしたりするか、あきらめて短歌にいくかするだろう。その無理をやってる(そして、そこそこ成功もしてる)のがこの句の面白いところで、たぶん短歌増田が感心したところなんじゃないか

まあ、こういう句、狙って作るのはなかなか難しい(ちなみにこの作者・中村草田男は、こういうのをやたら作るのだが、ひどい失敗も多いので有名な人だ)。そういう意味でも、まあなかなかない句ではあると思う。あと、何も知らずにいろいろ書き飛ばしたので、もっと知ってる人から突っ込み入れてもらえたら感謝する。

[]結婚相手をどこで見つけるかガチで教えてくれ

結婚相手をどこで見つけるかガチで教えてくれ」

俺の基本スペックは、都内新卒会社員年収600万円の20代国立理系出身で、忙しいながらも今から真剣結婚相手を探したいと思っている。

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みんなが使った良い出会いの方法や、おすすめ場所があれば、ぜひ教えてほしい。

anond:20240506150736

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「人を好きになる」という言葉意味

愛とか恋の話ではなくて人付き合いとかそういう意味で使われる

「人を好きになる」「他人を好きになる」みたいな言葉なんだけど

自分はほんとうに他人とのコミュニケーションが苦手で雑談とかできなくって

どうやって改善すればいいかからなくて本を読んだり人に聞いたりしたところ

この「人を好きになる」という言葉によく出会うようになって「好きになる」ってどういうこと?

と様々な角度から考えたんだけど実は「好き」の定義よりも「人」の定義大事なのかと思って

他人」は自分とは違うんだからコミュニケーションにおいて不確実性が高いと気付いた。

まり「人を好きになる」というのは「不確実性を楽しむ」みたいな意味なのか。

anond:20240505192712

東北出身関東在住だけど、言葉では出会たことないかも。

小説ドラマなんかでは見たことあるけど。だからなのか古めかしい/芝居がかってるように感じる。

有色人種チビブサイク低学歴の超絶有能と出会って打ちひしがれている

今まで有能に心を動かされずに済んだのは

こいつは金持ちの子どもだから

こいつは白人男性から

理由づけできたからだ

でも

自分現実に直面している

もういい歳なのに

自分もこいつらみたいにやりたいやれるんじゃないかという気になって

いやいや稀すぎる事例を参考にするべきではないと冷静さを取り戻す

眠れない

今日レジに来たおばあちゃんは、321円の会計百円玉を3枚と、十円玉を3枚出した。一円玉を持っていたにもかかわらずだった。聞くと、一円玉はお賽銭にするために別に取っておくらしい。確かに一円玉だけは小さなジップロックに入れてあった。

321円の会計で330円を渡されたならば、レジとして自分は9円のお釣りを渡すことになる。釣銭機が吐き出した9円の内、一円玉が一枚、少し汚れていた。折角お賽銭にするなら、少しでも綺麗なものが良かろうと思い、自分さりげなくドロアの比較的綺麗なものと交換してから釣りを渡して、会計はそれで終わった。

もらった330円と、取り換えた1円玉仕舞いながら、ふと思った。折角お賽銭にするなら少しでも綺麗なものが良かろうというのは、いったいどういう考えなのだろうか。お賽銭一円玉が綺麗だろうが汚かろうが、おそらく何も変わらないだろう。お賽銭箱を設置している人だって使用に耐えうるなら気にも留めないだろうし、別にだってそんなことみているわけがないだろう。そもそも自分彼女がどこの、なんという神にお賽銭を投げようとしているのかも知らないのだ。だからこれは本当に、意味のない行為だ。

都合のいいことにレジ周りに他の客は居なかったので、じっくりと考えてみた。その結果、自分について一つの気付きを得た。どうやら自分は、神を敬っているようだ。しか自分には特に信仰している宗教などはないし、聖書や何やらに書かれている神々の実在もあまり信じていない。ただ、神というぼんやりとした枠組みを敬っている。おそらく神という上位的な存在は、成長の過程で多くの人が得る共通理解で、その理解を得た皆がなんとなく、特にその存在に具体的な形を与えないままで、その存在に敬意を払っているのだ。自分と同じように。

自分以外の人から見ればどうでもいい気づきかもしれないし、意味の分からないものかもしれない。だが自分にとっては、新しい自分の一面に出会えた、魅力的な気づきだった。

2024-05-05

ダンジョンって

なんなん?

飯とか出会とか、なんなん?

既婚なのに今だに2週間しか付き合ってない元彼に執着している

元カレ恋愛感情とかはない。

もし今この場に現れてももう一度付き合いたいとか思わない。

しろトラウマに近くて、現れたら動機息切れ起こして泣きそうだ。

私と元カレ中学高校が一緒で、中3のころから別々の大学に行って2年になるまで私が片思いをしてた。

お互いオタク同士で関わりも続いてたし、年に1回くらいは会ってた気がする。

大学2年の時、友人1人含めて3人で泊りがけで旅行した時があって、貧乏学生よろしく1部屋雑魚寝してたら元カレに体を触られた。

気づいた時にはキスされて、旅行が終わったあと問い詰めて付き合うことになった。

当時元カレ童貞であることを気にしていて、

付き合ってから2週間後、私との初デート長野に行って、セックスした。

もともとお互い関東育ち、私は関西に進学、彼は都内大学で、

私は長野はちょうどお互い真ん中の位置だし、初デートにぴったりだな~と思って浮かれていた。

セックスを完遂したあと、元彼は目に見えて連絡頻度を下げた。

もともと遠距離だったから、LINEでのコミュニケーションが日々のよりどころになると思っていたが、返事もない。

半年連絡がないのを我慢して、共通の友人に相談したら「詰めろ」とアドバイスをもらい、その日の夜に問い詰めたら返事がきた。

「今でもかわいいと思ってる。でもこんな僕のことは忘れてもっといいひとのところへ行って」

死ぬほど泣いた。

結局付き合っていたと思っていたのは私だけで、彼は私を利用し童貞を捨てた。

きれいな風に言ってるけど、まあ端的に言えばやり捨てされただけだ。

私のことなんて好きでもなんでもなかった。

かわいいと思ってる」「もっといいひとのところへ」

全部いい思い出にしようと責任逃れするための戯言だ。

こんなやつに5年半も片思いしてた私が本当にみじめで絶望して泣いた。

好きだと思ってたけど、元カレ本質を何も知らずに好きだ好きだと言っていたことに気づいて空虚すぎて泣いた。


私がしきりに東京行くよと言っても断られたし、大学見に来ない?とかも言ってくれなかったし

会うのは絶対知り合いがいない長野だったし、ヤったら連絡をよこさなくなるし

長野に行く時は地元で集合して、自分の車で迎えに来てくれた時があったけど、帰りに車内で私の髪の毛が落ちてないか探された。

元カレ大学サークル活動に励んで、もう新しいコミュニティを築いていたか

中高の友人なんかより、同じ好きなゲームについて語れる仲間たちを大事にしたいだろう。

その中にかわいい子でもいれば、その子アピールしたいだろう。

童貞自分がかっこ悪いから、かわいい子に近づく前に手っ取り早く、

風俗は使わず関西という離れた地の大学に通う「知人」程度の女で事を済ませたいだろう。

旅先で体をまさぐられてキスされたことなんて、こんなのノーカンにして、問い詰めなければよかったのにと今なら思う。

でもむしろ、こうして縁が切れてよかったのかもしれない。

おかげで素敵な夫に出会えた。

これが20の時で、もう6年経ってお互い既婚になった。

今の夫はすごく優しいし、かわいいし、ずっとこの人のことを見ていたいと思う。

なのに、定期的に今でも夢に1週間くらいしかまともに付き合ってない元彼が出てくる。

相当ショックだったのであろうあの時の自分がまだ泣いている気がする。

客観的にみればまあよくあるクズ男話だし、私もうかつだったというだけのシンプルな話なのに

中高大の5年半をそいつに捧げてきたせいで、ぽっかり穴が開いている。

なんとか同じもので埋められないか元カレTwitterを眺めるし、元カレの妻のアカウントまでも眺めている。

元カレだけならまだしも、その妻までって…我ながら引く。

嫉妬とかは一切ない。ただ埋めたい、あの時の自分をなんとかしたい一心で見ている。おかしい。

そんなんで埋まるわけがないし、もし埋まるとしたら今の夫とただ幸せに暮らすことだけだ。

anond:20240504125146

わかるなあ。

私もMARCHから地元公務員だけど、東京大学生ってこんなにスマートイケてるグループがいるんだ…!って存在を味わうだけで価値があったなあと思う。

これってただ金持ち美男美女、という話じゃなくて、きちんと自分を分かった上で社交して、欲しいものを勝ち取っていく強さみたいなもの

自己ブランディングがあった上で適した余裕や愛嬌の出し方、距離感に応じたトーンや言葉選び、話の展開。目上の人への礼節、努力の仕方、服やインテリアセンス……なんていうか都会でキャリアを積んだ両親とのコミュニケーションや、同じ文化レベル友達とのやり取りでないと得られない資本を、すでに10代で持ってるんだなって思わされた。

地元出会う人や職場価値観の多くが、旧態依然で非効率陰湿で、上京した人が戻ってこないのも、公務員の若手離職が増えてるのも頷ける。

自分の子供が、高専から就職とか資格職って道を選んだら、コスパ良くて嬉しいなって思う。

でもここだけが世界じゃないって飄々と思える、フラットさとか視野の広さとか想像力とか、やっぱり総じてセンスなんだけど、私文で享受できる豊かさって確かにあると思う。

富山女性転出過多って話、富山の女への洗脳がもう効かなくなってきてるのかな。

それとも今の若い子はその洗脳あんまり受けてないとか?

少なくとも私の世代(アラフォー)は

富山の女は金沢の女よりイイ女なんだ」

と聞かされて育った。

このイイ女というのはよく働いて気がきく女、いずれいい嫁になる女という意味

なんで比較対象金沢なのかは置いておくとして

金沢でも嫁は富山からもらえと言われているんだ」

みたいな事はマジでからも女から日常的に言われていた。

お前たちは富山に生まれただけで女として価値があるぞというわけ。

そんな話真に受けるバカがいるのかと今の時代なら思われそうだけど

少なくとも私の周りは私も含めて

この富山の女=イイ女という図式をまんざらでもない気持ちで受け取って育ってたと思う。

私は大学進学でその因縁金沢の女とも出会うわけだけど、

かに大学出会った女の子の中で金沢出身の子って雰囲気ですぐわかったし

少なくとも富山の女じゃないなというか、

富山の女に比べて全体的にトロいというか気が利かない人たちという印象だった。

当時同じ富山出身の子達と話すとやはりみんな金沢の女に同じ印象を抱いていて

なんか気が利かない子多いよね?

私達みんなこれに気付く側ってことはやっぱり富山の女は嫁にしたくなるイイ女なのでは?

という自尊心みたいなものがみんなとの会話で静かにムクムクしたのを覚えている。

自発的洗脳を強化した瞬間である

たぶんこの洗脳が効いてる間は富山富山の嫁やってても辛くなくて

しろデキる女だと自負して何なら富山の嫁をうまくやれない落ちこぼれの女を攻撃する側に回れるんだよね。

こんな増田書いてる時点で私は落ちこぼれた側なんだけど

今更上京できる年でもないし、どうすっかなーと思ってる。

そんな私にとって転出過多はいい知らせだ。

洗脳受けてない、あるいは効かなかった女は早めに転出した方がいい。

まだ洗脳最中にいる子は早く目を覚ました方がいい。

富山の女はイイ女

家に都合のいい女

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