はてなキーワード: 再現可能とは
インターネットでなんでも魚拓取られてしまう時代において、軽率・厳重含めあらゆる書き込みが一切残らないのは本当に素晴らしい。
もしも自分の考えがあとから変わっても「前こう言ってたよね?」と粘着される心配もナッシング
通常のツイッターであれば流石にアウトなことでもトランプ式ツイッターならオールオッケー。
個人情報を書こうがパスワードを書こうがスタンドアロン端末内で無へと消えるだけのデータなので何の問題もない。
過激な発言をした後に炎上してないか気にする必要はもちろんなし。
その上ナイスな発言をした後だってチラチラファボ数を確認してしまって時間を無駄にすることもなし。
ネットの書き込みに他人がどんな反応を返すのか気にしてる時間なんて人生の無駄でしかない。
トランプ式ツイッターはチラシの裏にポエムを書いてるだけなので時間の無駄と思う人もいるかも知れない。
でも違う。
書くことで人は初めて「これはもう忘れていい」と判断できる。
昨日見たドラマの感想や、一週間前の嫌な思い出、さっき思いついた寒いダジャレ、そういったものに脳のメモリを使っていては人生がゴミになってしまう。
「権威」という言葉に納得できないのであれば、われわれは、ある話題について、誰を、どの程度まで信じることができるか、という「実践感覚」を持って生活していると言い換えてもよいだろうか。
われわれは義務教育の教科書に書かれていることは概ね正しいと認識している。義務教育で教える内容はいわゆる「定説」として確立されたものであり、すでに複数の専門家による批判・検証を経て正統な保守本流の知識としての共通認識が成立したものであると理解しているためだ。初等教育過程で学ぶ知識の体系はほぼ権威による学びである。もちろん理科であれば実験をおこなうことによって、社会科であればフィールドワークを行うことによって、学んだことを経験によって確認する機会は設けられている。しかし学ぶ知識のすべてについてそのような検証を行うわけではない。教えられる知識が検証可能であることを示し正当性を担保するためと、検証する方法論を学ぶためである。
われわれは新聞やTVというメディアの情報が概ね信頼できることを知っている。しかし100%信頼できないことも知っている。各メディアごとに信頼度は異なり、同じメディアの中でも話題や分野によって信頼度が異なるという感覚も持っている。BBCやCNNのいうことは信頼できるがスプートニクや大紀元はトンデモだとか、岩波書店の出す書籍の内容は信頼できるが幻冬社の本は紙くずだとか、われわれはこのような無数の相場感覚、実践感覚を日々の生活で養いつつ、またそれを以って触れる情報の真偽のグラデーションを判断しているのだ。ここで見落とすべきでないのはそれら相場感覚、実践感覚はあくまでも「感覚」であって客観的基準ではないということである。
元増田への反論に論文査読や再現可能性、反証可能性を持ち出すのは筋違いの議論である。それらは原理的な主張としては正しい。しかしわれわれは全ての情報についてそのような判断をしているわけではない。例えば「SARS-CoV-2は空気感染する」という言説を聞いた時、それを主張する論文に当たり、誰が書いたものか、査読は誰が行ったか、それぞれの研究者の業績等を調べて真偽度を判定するというのは「原理的には」可能である。しかしそのようなことをあらゆる情報について行うことは余程の暇人でなければやっていられない。多くの場合はその分野の権威とみなされる研究者が論文に信頼性があると判断した(あるいは信頼性がないと判断した)という事実をもって自身の判断の参考にするだろう。すなわち権威による判断である。
初等教育で学ぶ知識の体系に照らして真偽を判断するということは可能であろう。しかし初等教育で学ぶ知識の体系というのは権威による学びであったことを忘れるべきではない。その知識の体系全てについて実験などによる経験として検証したと主張できる人は少ないだろう。(あとで、検証することが原理的に可能であるとしても)我々はそのように<権威によって>「定説」として与えられたものをもとに真偽を判断し、その真偽の判断が他の人の言説にどのように現れるかを以ってその人に対する信頼度を評価し、その信頼度においてその人の言説に現れた事象の真偽を評価するのである。そのような信頼と評価の積み重ねから真偽のグラデーションを判断する実践感覚が生まれているのだということ、多くの生活の場においてその感覚に依存しているのだということを忘れるべきではない。
anond:20210308133811のブコメで「増田さんライスの勝ち方を教えてください。。。」ともらったので説明してみる。※他にも色んな攻略法があると思いますが1例として。
■ポイントをざっくりまとめると、
・スタミナと賢さはトレーニング要員2人ずつ用意し、友情トレが始まってから本格的に伸ばす
ライスで鬼門になるのは春天1着なので、「スタミナ回復系スキルをとってスタミナを補助」というところが1番大事。
スーパークリークが手元にあればイベント3でヒントを貰える「円弧のマエストロ」を菊花賞ぐらいまでにつけておきたい。なければフレンドレンタルしてもよい。
代案として、現在イベントで配布中のスペシャルウィークからヒントを貰える「食いしん坊」でも可。ただしイベスペは食いしん坊以外の魅力に乏しく、自分でカードレベルを上げるのはおすすめしない。今はフレ枠に設定しているアカウントが多いのでTwitter検索などで探してフォローするのがおすすめ。
今回は完凸スペシャルウィークをフレ枠で使用するパターンでやってみた。
以下、実際に上記条件でクリアしたデータのスクショを交えつつ説明する。
https://i.gyazo.com/fe7a67ba2d4d48f18d2c5438163d038c.jpg
・サポートカード(SSR:イベントスペ、イベントマック。SR:マヤノトップガン、マチカネフクキタル、ダイワスカーレット、桐生院)
https://i.gyazo.com/a3a41c2d878f384b673c916547623e3b.jpg
イベントマックイーンを入れているが別のスタミナSRで代用可。また、桐生院も必須ではない。スタミナか勉強のSRを追加しても良い。
■序盤
後半で友情トレを発生させたいので人数の多いトレから行う。ただしスピードがないと序盤を乗り切れないので、どこも人が少ないようだったら積極的にスピードトレーニングをする
・ホープフルS出走時のステ(スピード302、スタミナ265、賢さ205→1着)※脚質は全レース先行
https://i.gyazo.com/6b69de4a0f274caa6d19061fa19fe462.jpg
・スプリングS(348、303、237→1着)
https://i.gyazo.com/9bdab1a1c6fde8a97fef7cf221b67e0a.jpg
ライスは重要レースに右回りのレースが多いため(菊花賞、春天、有馬記念)、取れるなら右回り◎を入手する(増田はマチカネフクキタルのイベント「お導きとお友達 → 気分転換」でヒントをもらった)
・皐月賞(408、328、244→1着)
https://i.gyazo.com/f8b2ade10610b45af6856e28f13bf2cf.jpg
金継承がきて芝がSに。運が良かった一方、スペシャルウィークのイベントから食いしん坊がとれず栄養補給どまりに
・日本ダービー(411、343、270→3着)
https://i.gyazo.com/e3d50fcec17f844661054878929c23d9.jpg
■中盤
友情トレが可能になった段階でスタミナ=賢さ>スピードの育成に切り替え
・菊花賞(462、385、402→3着)
https://i.gyazo.com/bc758e95a4b6640b63bb3c1e1f89a680.jpg
食いしん坊の代用にウマ込み冷静を追加したが役に立たなかった模様
・日経賞(565、456、456→1着)
https://i.gyazo.com/75de3e7284ebe835e79c3ba5f911e207.jpg
・天皇賞春(616、473、466→1着)
https://i.gyazo.com/6dc3c03d0b1395890bce56b163aac690.jpg
深呼吸を追加しているが、食いしん坊が取れていたら加速スキルで大丈夫だと思われる。
・宝塚記念(656、496、515→1着)
ttps://i.gyazo.com/97fc4cbc33dd175c17f6ad03886638bb.jpg(これ以上外部URLを貼れなかったのでh抜き)
■終盤
春天を乗り切ったらそれ以上にスタミナを要求されるレースはないのでスピード、スタミナ、賢さを満遍なく盛っていく。スピードを盛っておくと安定度が増す、とは思う。
・有馬記念(732、573、590→1着)
ttps://i.gyazo.com/5309abb6d1af25930692a06467a757df.jpg
・URA決勝(793、631、617→1着)
ttps://i.gyazo.com/6c859598287128f67bf73626e873e473.jpg
ttps://i.gyazo.com/9b9b888b20291808400a330c4bc83db6.jpg
■最終ステ
ttps://i.gyazo.com/5e3c76ea6f8b9fec3ee27dbaac7a72cd.jpg
※目標レースではないので記載は省いたが秋天やJCにも出ているので戦績やファン数は盛られ気味。
深夜に投稿したから「誰の目にも止まらないだろうな」と思ってたけど、はてブを見る限り意外と見てもらえているようで嬉しい。
一人一人がそんな専門的な事を調べても正しく読めるかはわからない。税金使って消費者庁作ってその辺の調査作業を代わりにしてもらってるんだから、それを見ればいいよhttps://www.caa.go.jp/notice/entry/019867/
その通りだと思う。本当はこういうこと調べなくてもすぐに真偽が分かるのが一番いいんだけどね。なかなかそうも行かなくてせつない。
別の方が返信してくれているけど、
消費者庁のヤツ、首から下げるヤツの話で、増田が調べた事案は据置のヤツ。会社のは恐らく製品ではない。教授の調べたのは製品。
この通りで、意外と消費者庁?国民生活センター?から据え置きのやつに対してハッキリとした発言ないみたいなんだよね。
クレベリンはただの雑貨です https://chrome.hatenablog.jp/entry/2020/03/11/180921 というエントリを書いたのを思い出した。社長も「あくまでも雑貨」とか言ってるよ(´・ω・`)
ホントにこれ良くないよね!!
https://toyokeizai.net/articles/-/334771
今ではSNSで「クレベリンを使ったらこのシーズンにインフルエンザにかからなかった」という書き込みも出ている。以前は「とんでもない商品だ」という声が多かったが最近は「効いているようだ」という書き込みも出てきており、ある程度の民意は獲得できたと思っている。
――その論文があることによってクレベリンの有効性が一般消費者に評価されているのでしょうか?
一般の方にはマーケティングで評価されている。むしろ評価されていないのはガバメント(政府)ね。これからはガバメントからのご理解も得たい。
民意とかマーケティングでの評価じゃなくて、再現可能な数字・・・
これは知らなかった、もう調べる気もないので誰かよろしく。
というかこんな趣味とも言えないどうでもいい書き込みで(User数少ないとはいえ)ホットエントリ載って悲しい。仕事でなにか記事書いてホットエントリ入ったら評価+されるのに。まぁめんどくさくて書いてないんだけどさ。
モンハンは大剣好き。モンハンに限らずスキ大きい高威力武器だいすき。なんか新しいやつアクションっぽくて面白いらしいね。皆で集まってワイワイやりたい。
意味も分からず手順だけ真似て約分するのが数学的ゾンビなら、我々はみんな科学ゾンビだ。
「二酸化炭素が増えると地球温暖化が加速する」という文は科学的に正しいというのは一般常識である。
しかし、なぜそうなるのか答えられる人がどれだけいるだろうか。
少し気の利いた人なら「二酸化炭素は温室効果ガスであり、地球から放射される赤外線を吸収してしまうから、地球の気温が上昇する」と答えるだろう。
しかし、二酸化炭素がなぜ赤外線を吸収するのか、具体的に二酸化炭素分子に赤外線の光子が当たった時に何が起こるか説明できる人がどれだけいるだろうか。
二酸化炭素分子に赤外線光子が当たった時に何が起こるか説明できる人も、なぜその説明を信じているのか説明できるだろうか。
自分は二酸化炭素に赤外線を当てて、それが吸収されることを実験で確認した、という人もいるだろう。
しかし、その実験で使ったガスが二酸化炭素分子しか含んでいないということをどうやって確認したのだろう?
実験で使用した機器から出ているのが赤外線光子だと、どうやって確認したのだろう?
自分は科学的な観測でその現象を確認したと主張する人は、多くの場合、実験で使用したガスや機器が本当に言われている通りの代物であるかどうか、自分で確認してはいない。
実験の前に自分は他の機器も使って校正を行ったという人もいるかもしれない。しかし、その校正に使用した機器が正しく動作していることはどうやって確認したのだろう?
このように突き詰めていくと、あらゆる人は、どこかのレベルで自分で確認していないことを、額面通りに受け取り事実として受け入れていることになる。
こういう意味において、世間一般の人にとって、科学知識というのは宗教上の教義と変わらないものになる。
世界は平らで巨大なカメが支えていると信じていた昔の人々と、二酸化炭素が増えると地球温暖化が加速すると信じている現代人は、誰かに言われたことを自分で確認せず信じているという点で本質的には同じである。
再現可能な実験手順とその結果の公開と相互検証によって担保されている科学の正しさは、世間一般の人にとっては関係ないものだし、科学の営みに携わる人々も、自分の専門外の分野については常識とされる知識を天下りで受け入れるしかない。
放射線でDNAが損傷することや、風邪の原因がウイルスであることを、実際に実験で確かめたことがある人間は世の中のほんの一部に過ぎないし、世の中で常識とされるすべての科学知識を実験で確かめることは、一人の人間には一生かけても不可能なことだろう。
我々が科学知識を正しいと信じるのは、基本的にはみんなが正しいと言っているから、信頼できそうな本や学者がそう言っているから、ということになる。
現実にはここに経済的な利害や政治的意図が絡んでくるので更に面倒になる。
「福島原発から出る汚染水にはトリチウムしか含まれていないから海洋放出すれば十分希釈されて安全である」と東京電力や日本政府が言っているとき、これを信じることはどれだけ妥当だろうか。
「汚染水にはトリチウムしか含まれていない」、「十分希釈したトリチウムは安全である」、「海洋放出することで十分に希釈される」、このそれぞれが世間一般の人にとってはなじみのない内容だし、個人が自ら実際に確認できるようなものではない。
特に、汚染水の処理の実態や、海洋放出が実際にどのように行われるのかについて、世間一般の人々と、東京電力や日本政府が持っている情報の量には大きな差がある。
そして、最も重要なのが、東京電力と日本政府には、危険性が低いと嘘をつく経済的・政治的な動機があり、いままでも嘘をついてきた前科があるということである。
このような状況で、東京電力や日本政府の説明をそのまま鵜呑みにするのはむしろ非科学的な態度である。情報公開の要求や、利害関係のない第三者による自由な検証や監視が実現して初めて、「福島原発から出る汚染水にはトリチウムしか含まれていないから海洋放出すれば十分希釈されて安全である」という説明が信じるに足るものになるのである。
証明と根拠をごっちゃにしてるという事実は、増田もよくわかってないということの根拠(エビデンス)になる。
科学的証明なんてできるわけがない、証明できるのは数学の世界。
科学でやるのは、可能な限り再現可能な根拠を示して論理的に結論を出すこと。
科学にとって数学は道具であって、数学の世界が科学的に再現されることはまずないであろう。
例に挙げている「運動中に水を飲むな」は、「真水」を大量に飲んではいけないということで、スポーツドリンクがなかった昔の話。当時は生水の衛生状態が悪かったという事情もある。前提条件が変われば結論もリスク管理手法も当然変わる。
いかがわしい論理で科学を振りかざすのは害悪でしかないが、科学的根拠に基づく論理全般を忌避するのは、勉強不足の言い訳としか言えない。
後のトラブル回避のために2人(あるいはそれ以上)の間で事前合意が存在したことを保証するサイトの概要
PCやスマートフォンなどでサイトにアクセスし、行為者となる予定の人物が新規合意書作成ページにアクセスすることで新規プロジェクトが生成される。
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この作成ページにおいて、行為の開始予定時刻や終了予定時刻見積もり、予定されるセックス内容やその他特約をフォームに入力していくことで合意書を作成する。
作成完了後に入力内容は編集不可能となり確認ページとなる。そのURLを参加予定者間でシェアする。このページは24時間経過後、あるいは作成者によって削除が可能。
合意書を作成した当人および他の参加予定者は、同意書に納得したならその確認ページの最下部に用意された合意書送付先に
各々のメールアドレス等を入力する、LINE等のSNSにも対応させることが望ましい。
入力した連絡先に契約内容と、内容に同意するならクリックするユニークなリンクを作成する、絶対に推測可能なものにしてはならない。
アクセス先には本当に同意するかという質問と、Captchaを用意、さらにその後で同意するかを再度問う。
この作業が全員分完了した時に当事者の合意が取れたものとし、その旨を全員に送付し同時に同意があったことを保証するページを入力内容とともに作成。
このページを人為的に削除する方法は用意されず、民事時効となる20年経過後に自動消滅する。
ただしこの合意書にも個人情報を含めてはならない、入力した当事者らの連絡先などをハッシュ化することで再現可能なUUIDを文章内に含める。
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後輩「そういえば、先輩ってどんなタイプの女性が好きなんですか?」
後輩「なんで往復させたかはこの際おいておきます。いえ、ただ少し、気になっている人でもいないのかなーって」
私「それならいるぞ。連日枕元に立ってじいっと一晩中見下ろしてくるやつがいてな」
後輩「それって気になるの意味が違わないですか? じゃなくて、好きな女性の特徴ですってば」
私「そうだなおんなの人……髪が黒くて長くて、わりとキリッとした美人」
後輩「ほうほう」
私「脚もスラっと細いほうが良くて……それでちょっと色黒、健康的にやけた感じの黒さならなお良し」
後輩「ふむふむ、先輩はスポーティなほうが好き、っと。他には?」
後輩「ちょっと待ってください、途中からHGシナンジュになってますよそれ」
大体いつもこんな調子の会話が続いている
心理学について書こうと思ったら、お一人書いてくださった方がいたので、そこで「特殊」とされていた臨床心理学について書きます。
臨床心理学系の大学院で博士号を取って、現在大学で臨床と研究をしています。
論文事情を書こうと思ったら、背景にある臨床心理学の事情になりました…。そして「日本の」と書いたのは、日本の固有の事情もあるためです。
臨床心理学における研究は、おおよそ以下の3つに分けられます。
1:ブコメであったような、症例報告から始まってランダム化対照試験まで行くという医学・疫学的な研究
3:その他の調査研究(ちょっと大雑把ですがゆるしてください、そして私のメインはここです)
少々雑な括りで、中間に位置する方や例外もままいることを踏まえ、あくまでも概要を述べているということを踏まえたうえでお付き合いください。
https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 では心理学の論文事情として以下の順序を挙げていらっしゃいました、
査読付き英語論文>>>>査読付日本語論文>>査読なし日本語論文(いわゆる紀要;査読有り紀要も含む)
これは、1と3を自分の研究領域にしている臨床心理学者にもほぼそのまま当てはまりますし、海外でも同様です。
そのため、競争が激しい業界の院生さんだと、Predatory Journalに投稿しているケースも残念ながら見ます。
特殊なのは、「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」を中心としている人たちです。
この方々の多く(全員ではありません)は、場合によっては「論文」というものを軽視すらしていますし、査読論文の数も非常に少ないです(大学に勤めている以上、建前で「論文書かないとね」と言ったりはしますが)。
これは分野外の人からはよく見えないため(もちろん業績調べればわかります)、中々ややこしい問題です。
私の観測範囲ですが、下手にこういう人たちが多い大学に就職しようとしたり、あるいは就職してしまったりすると、論文業績が多い人はかえって冷めた目で見られたりすることすらあります。
このような信じられない断絶が臨床心理学の中にあるので、業界外からはわかりにくいのです。
ちなみに「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちの業績に対する意識は人文系に近く、私も完全にはよくわかりません。ただ少なくとも、英語の査読論文を無条件でありがたがったりはしません。
むしろ”深みのある”事例研究や理論的検討が尊ばれ、そうしたものに特化した特定の学術雑誌論文や、あるいは書籍などを重視する印象です。
なぜ学問を行う場である筈の大学において、こんな断絶が起こるのでしょうか。
一つの要因は単純に「世代」です(繰り返しますが大雑把な区切りです)。
世代によって何が違うかというと「臨床心理学に対する考え方」が違います。
「エビデンスを重視しないなんてバカ?」と思う方も多いと思います。
先ほど書きましたが、2の人たちが重視するのは事例研究です。
https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 には、「事例研究には物語以上の価値はないのでは」とありました。
「そう見えるのは仕方ないだろうな」と思う気持ちと「物語の価値を過小評価しすぎですよ」という両方の気持ちを抱きます。
なぜかと言えば、「クライエントの人生」を理解しようとすれば、どうしても「物語」というフレームが必要になるからです。
古典的な臨床家(心理療法をやる人)は、クライエントの人生全体を見ます。
クライエントが訴える問題(やる気が出ないとか、落ち込むとか)を全てと考えるのでなく、むしろ人生における氷山の一角と捉えます。
そして、クライエントの人生をそのものを見つめ、その人がより良く人生を歩んでいけるよう、どうにかこうにか支援をしていくわけです。
(「大きなお世話」「思いあがるな」と思われる方もいるでしょうし、下手すると実際にクライエントにとっても大きなお世話になります)
その人の知能や症状の程度、パーソナリティなどを数値化して客観的に捉えることは心理学の得意技ですが、それでその人の人生全ては捉え切れません。
人生というものを捉えようとした時、どうしても物語が必要になります。
もちろん、物語ですから完全に同じ事象が再現されることはまずありません。そのため、厳密な「エビデンス」はそこから得ることはできません。
「物語から自分は何も学んだ覚えはない」という人がいたら、それは物語に意味がないのではなく、恐らくその人に学習能力がないためです。
物語を蓄積していくことで、我々は人間に対する理解をより深いものにしていくことができます。
そのため、日本の臨床心理学者は「エビデンスなんかいらない」というよりも、「物語を蓄積してくしか、やりようがない」と思っていた部分もあると思います。
またもう少しフォローしますと、単に物語を乱立させるのでなく、蓄積された様々な「物語」を体系づける理論の構築自体は脈々と行われてきました。
それが、「2」の後ろ半分「それを踏まえた臨床論的研究」です。
フロイトの精神分析なんかは、今でも理論が精緻化され続けていて、それはそれで読むと非常に面白いですし、人間理解に大いに役立ちます。
というわけで昔の臨床心理学は、多分に人文的というかアート的な学問領域でした。学んでみると非常に面白いのですが学問としての欠点もたくさんあります。
最たる点が、多くの方が既に感じていらっしゃる通り、物語性を重視するあまり、客観性・エビデンスをあまりに軽んじてしまったことです。
◆
しかし1990年代の後半頃でしょうか、「認知行動療法」と「エビデンス重視」の立場が、アメリカから日本へ本格的にやってきました。
心理療法の一つである認知行動療法はエビデンスを非常に重視します。
例えば「うつ病」ならば、患者の抑うつの程度を測定し、「認知行動療法を行うと抑うつの程度が有意に下がる!」みたいな研究をバンバンやるわけです。
当時の学会の様子は今でも覚えています。エビデンス重視の方々は「それエビデンスあるんですか?」と、どこかの誰かのようなセリフを旧来の臨床心理学者に容赦なく投げつけ、大変気まずい空気を作り出していました。(別に悪いことではないですが)
残念ながら旧来の臨床心理学者はそれに真っ向から反論することができません。なぜなら、実際の所エビデンスは無いからです。
ただし、客観的なエビデンスが求められる研究では、「客観的に扱える要素」しか扱うことができません。
そういう「客観性」では捉え切れない人間の心を探求していったのが、これまでの臨床心理学だったはずです。
ですから多くの人にとって、「エビデンス」というものが極めて底の浅いものに見えたという部分もあると思います。
実際私もそう感じる部分はありました。確かにエビデンスは大事だけど、余りに機械的に人間の心を扱いすぎていないか?と。
とはいえ、旧来の臨床心理学者がその文学性に浸りすぎ、客観性を過小評価していたのは間違いないと思います。
エビデンスに対して「人生の深みをわかっていない」「客観性が全てではない」と言っても、インチキにしか聞こえないでしょう。
要するに、物語を偏重し、エビデンスを全否定する姿勢は間違っていますが、エビデンスを偏重し、物語を全否定するのも同様におかしいと、私自身は思います。
そういう微妙なバランスというか面白さが臨床心理学の中にはありますし、どちらも人を支援する上では大事な視点だと思います。
◆
まぁその後は各学会や大学内で、明に暗に色々な小競り合いがあって、現在は昔よりもだいぶ両者が折り合いつつある雰囲気です。
一つは、純粋な「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちが減ったという単純な理由です。大御所の多くが高齢化し、以前よりはだいぶ比率が少なくなりました。
逆に、認知行動療法がだいぶ浸透した結果、若い世代では認知行動療法が専門外でも、エビデンス重視の考えは馴染みのあるものになっています。
また、認知行動療法の人たちも”表面的な”エビデンスが全てではないという姿勢の人が増えてきました。
また、個人的にすごく大事だと思うのが、実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃんと効果が確認されるようになってきたたことです。
これによって、「エビデンスが全てではない」と意地を張らなくても良くなってきたのだと思います。
結局、エビデンスを否定するのではなく、自らエビデンスを出すことで (とはいえ研究の殆どは海外ですが)、問題は解消されつつあります。学問としてこれはとてもよいことだと思います。
◆
つい最近中室牧子さんとかによって、教育業界にエビデンスの視点を持ち込む動きがありますが、同じように、日本の臨床心理学にもエビデンスの視点を持ち込もうという動きが20年程前にあったのです。
エビデンスに対する考え方の違いは、人間理解に対する考え方の違いであり、それが論文業績に対する考え方の違いにもつながっていたという話です。
これを読んでみて、改めて「臨床心理学ってクソだな」と思った人もいるかもしれませんが、こういうゴタゴタも乗り越えつつ、少しずつ学問としてブラッシュアップされていっている臨床心理学が私は大好きです。
長くなってしまいました、すいません。
長くなったついでで恐縮です。
https://anond.hatelabo.jp/20181011091532 「再現可能性が4割」の部分に
https://anond.hatelabo.jp/20181011091734 「びっくりするほど信用できない学問だな てか学問かそれ 」というコメントを見かけましたが、これ心理学だけの問題じゃないんですよ。
Natureが少し前にいろんな研究者に調査をしましたが、理系の領域だって、再現性は決して高くありません。
https://www.nature.com/news/1-500-scientists-lift-the-lid-on-reproducibility-1.19970
むしろ追試をちゃんとやって、どれが再現できるか否かをふるいにかけ、学問を発展させようとする態度こそが科学的だと私は思います。
前置きを書くとすごく長くなりそうなので割愛
これは訓練すれば再現可能だと思う
所詮男は女より優位に立ちたいので、クソザコな女は嫌いではない
(ただしただのアホだと嫌われる、コミュニケーションが取れない存在だと思われてしまう)
悔しがり、「○○くらい分かりますよ。バカにしないでくれますか?」とナチュラルに言えると良い
この際震え声だとなお良い
猫に猫じゃらしを振るようなものだ
そのような「いじられる」状態を、適度に反論しつつ適度に「満更でもない」雰囲気を出すのがポイントだ
相手に「ひょっとして自分のほうが遊ばれてる?」と一瞬思わせる程度が良い
男は男のような女、女は女のような男が好きだとよく言われる
もちろん男が好きそうな趣味に精通していると非常に強い(漫画、ゲーム、アイドル系)が
口調、行動にちょいちょいダメ男っぽさを出すのも親近感が増す
同時に放っとけない印象を持たせられる
また部屋が散らかっていたり、ガスが止まっていたり、LINEのノリが苦手だったり、ほぼほぼおっさんである
イキった後のムーブについて
イキったりオラついたり悪口を言ったりすると、もちろん相手はムッとするのだが、それを緩和する方法がいくつかある
1つはひたすら笑ってごまかす
委員長はとにかく笑う、これによってどんな失礼なことを言ってても悪い空気になりづらい
出川ムーブは「イキって2秒で謝る」ムーブのことで、出川哲朗の技の1つである
これは「イキり小動物」で考えると、犬が「ワン!」と威嚇してきたあと2秒でビビって逃げるようなイメージだ
その際、必要以上に腰を低くすることでクソザコ感が増す
ノリがいい、可愛らしい言動+照れ
ノリがよかったり、可愛らしい言動が男受け良いのは分かるだろうが
やりすぎると痛々しかったり恥ずかしくなる
これを回避するために、やったあと2秒で即照れる(照れ笑い、ハニカミ)
やるけど2秒で行動を撤回する。それでも足りなければ笑ってごまかす
ここまでできればもう既にかなりヤバイ
「友人として近づいてきたらいつの間にか落とされてた」までいける
理解しがたさというのは好感度一定まではマイナスに働くが、一定以上はプラスに働く
既に落ちた奴がこれを受けると、理解したいのにできない苦しみで忘れられなくなる
男たちは頑張ってLINEニュースやヨーロッパ企画を好きになるのだ
ちなみにミステリアス要素を加えても同様だ
何らかのジャンルで一般以上のスキルを見せると、これまでとは別軸の評価を加点せざるを得なくなる
MAXと思われていた好感度に+αがついて臨海を突破するのでヤバイ
それは男が持ってる特技と同じでも、全く異なるものでも良く、能力の強弱に関わらずプラスに働く
男は、ある意味で下に見ているのに、時より対等で、ある面では尊敬でき、近づいたかと思ったら理解しがたい遠い存在になるという前後左右に揺さぶられる感覚を覚え、コロッといってしまうわけだ
また、クソザコムーブをすることでアンチも定着しづらいメリットも有る
「イキり小動物のアンチ」なんて恥ずかしくてやってられないのと、主張が一貫できないためだ
まだ何点かあるが眠いのでここまでにする