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はてなキーワード: 内縁の妻とは

2022-03-12

なぜ女遊びする金持ち結婚するのだろうか

今回のスキャンダル結婚してないらしいけど、同棲して子供まで作って内縁の妻らしい。

気持ちがはなれた。別れる」じゃすまんよな。

俺だったら、結婚しないし、金だけの関係でとっかえひっかえするわ。

前澤社長みたいにする。

2022-03-09

コレコレって面白いな。

アイドル内縁の妻不倫されたって暴露通話してるけど、ずっと帰ってきてないアイドル暴露を聞きつけて帰ってきてドアの前に居座ってるって。

配信で。

2022-02-24

anond:20220224003148

あるある

犯罪者とかでも内縁の妻かいるし。

DVネグレクト野郎にも妻がいる。

俺らはそれ以下なのかと。

なんにも悪いことしてないのに。

2022-01-23

父親預金残高 3524万284円

裕福な生活はしていなかった。

家は賃貸で古くボロかった。

そこで同年代の女の人と一緒に暮らしていた。

ずっと自営業をやってきた人でそれも20年ほど前にやめてしまい、

そこから非正規雇用で働いてきて、

そのあとシルバー人材派遣で働いていた。

 

仕送りは出来ていなかった。

また父から不要である、と言われてホッとしていた。

とはいえ、どこかで借金でもしているのではないだろうか?と心配もしていた。

その程度に貧しい生活をしていた。

父の死後、内縁の妻の方から、これを見て欲しいと通帳を渡された。

驚くと同時に、やった!と思う自分反吐が出そうになった。

わたしがずっと若い頃、わたしたち家族にはどういうわけか大金が転がり込んだ。

それは大金だったが、わたしの一生を賄い切るには少し足りない金額だった。

しかし、賢く使えば、あるいは使わなければそれは生きていく上で大きな武器となるはずだった。

でも、わたしたちは狂った。

当時、20を少し過ぎたばかりの私が財布の中に5万円ほどの金額が入っているときに思ったことが

「少し、心許無いな。」だった。

5万円では少し心配である、と思ったのだ。

何が?と我が事ながら今となっては疑問に思うが

そのときは5万円という金額では心もとないというのが実感になるほど、金を使いまくった。

そして当たり前だがあっという間に金はなくなって、逆に払いきれない額ではない程度だったが借金ができた。

そして家族は離散した。

 

しかし、なるほど父は隠し持っていたというわけなのだな。

3524万284円。

このおばさんとで分けあったら、わたしの取り分は幾らになるんだろう?

と思いながら相続放棄する旨、おばさんに伝えた。

しばらく邪魔くさいやり取りが思ったより遥かに長く続いたあと、ようやく納得させることが出来た。

そして彼女わたしが思っていたような人ではなかったことにようやく気づけた。

 

わたしも別段、裕福な生活をしているわけではない。

もういちど宝くじが当たればいいのにな、と思わない日はない。

でも、同時に降って湧いたような金は不幸を招くことも十分に理解できた。

おそらく、おばさんは少しおかしくなるだろう。

それは少し気の毒には思う。

でも、結局身内ではないわたしにはどうしようもないことだ。

2021-10-29

anond:20211028234804

養子縁組するか、すでに内縁の妻である事実婚である)ことを理解させるか、

うまいものくわせて40くらいに尿路結石あたりで倒れて運ばれるときに「あ~つきそえないわごめんね私妻じゃないからつきそえないわ~~」っていう

2021-10-20

anond:20211020081912

その判断をした14人は既に最高裁判所裁判官ではない(もちろん今回の国民審査対象ではない)だろ。

おかし判断と思う判断をした人にxを付けるものなのに、

おかし判断をしたと思う組織所属する人に思考停止でxをつけて何の意味がある?

そもそも婚外子相続違憲問題は、例えば戸籍上の妻子はとうの昔に出て行って離婚できず、長年支えてくれた内縁の妻子供がいるような場合

婚外子は婚内子に対して法定相続分をその1/2とする」という民法を盾にされるとどうしようもできない、みたいなケースに対応したりするためのものだと思っている。

じゃあ家族が死んだらいきなり見たこともないやつが現れて「俺の父親はこいつだから遺産よこせ」って言われたら均等にして渡すのか?

と言われたらまあ仕方ないんじゃないの?と思う。それは何もしてこなかった父親が悪いでしょ。

あらかじめ家族婚外子がいることを伝えず、遺言書も書かず(生活を共にしていない婚外子には遺留分のみ渡す、と書けばいいだけ)に死んだ奴が悪いでしょ。

後ろ暗い過去があるのならせめてそれくらいはやっておけよと思う。

どっちのケースが多いかとかそういう問題じゃなく、あくまいかなる場合であっても婚外子は婚内子の半分しか認められない、というのがおかしいという判断じゃないの?

そもそも今まで見たこともなかったやつが死んだことをどうやってかぎつけてくるのか気になった(請求できるのは死んでから3年以内だけど)。

2021-08-13

身近な不正受給

いやーびっくりしたわ。

遠縁のおじさんが亡くなってわかったんだけど、おじさんは息子と内縁の妻年金完全に押さえられてて内縁の妻は妻でシンママ扱いで生活保護受給、息子はヒモというかよくわからん生計になってたみたい。

おじさんの香典とか懐に入れて失踪しちゃったか真相わからんけど

田舎すぎてバレんのか、巧妙だったのか…こういうのがあるから悪のイメージなっちゃうんよね

2021-07-25

anond:20210725165922

内縁の妻とは、婚姻意思を双方が持ちながら婚姻届を出さずに夫婦実体を有する共同生活をする妻のことを指します。

法律上結婚していなくても、婚姻意思夫婦実態はありますので、法律上結婚と同様に、貞操義務、同居の義務扶養義務婚姻費用生活費)の分担義務事実婚解消時の財産分与などは認められると考えられています

まり内縁の妻複数もつことはできないんですねぇ

内縁の妻って概念はなんであるんだっけ?

婚姻ほどではないにしろ法的に優遇されるから

じゃあ二人以上の異性と恋愛的に同居してたらどうなるの?法律では重婚禁止だけど内縁なら重婚的であっても優遇されるのかな?

2021-07-18

anond:20210718221234

投獄された死刑囚獄中の服役者結婚するのは配偶者だと面会できるからインタビューするためだって聞いた

https://sashiireya.com/gosoudan/20/

裁判が確定し、禁固刑懲役刑で服役されている方との面会は、基本的に「親族」「事実上婚姻関係(内縁の妻や夫)」「弁護士」となります

2021-06-22

>「妻」の続き柄を「縁故者」に変更、要求は「違憲」 性別変更した女性、国提訴

特別縁故者のことかな

内縁の妻的な

2021-05-02

anond:20210502113259

そもそもナボコフの『ロリータだって未だに認知度高いし文章評価されてるし研究対象にもなる名作だぞ。ロリコンコンテンツであることと名作であることは別に矛盾しないと思う。

あと、野暮なことを言うがヒロインだって何もこれから洗脳監禁されて生きていくわけじゃないんだから、成長して主人公のことが嫌いになったら別れればいい。ロリコンショタコンが悪とされる理由は、第一に肉体関係を結んだ場合リスク妊娠性病)がある行為判断力が弱い相手にさせるから」。問題は「自分の楽しみの為にリスク理解してない相手リスクを負わせる」ことであって、相手が幼くなくても老人や知的精神障害のある人に健常者がおなじことをした場合非難される。ショタコンよりロリコンが嫌われやすいのも、男より女の方がよりリスクが大きいからだ。

じゃあ肉体関係なきゃいいのかって話だが、大抵の人が清い関係でも白い目で見る。その理由は「デメリット理解してない相手に有利な契約を持ちかけているように見える」からだ。この場合デメリットとは、若い時間を若くない相手に使うことである。多くの人間にとって若さは貴重であり、お互いに若いならいいが若くない相手に使うと感覚的には損した気分になる。

それが「若さがないぶんをあまりあ経済力や美貌や能力や素晴らしい精神性」があればいいが、多くの場合年相応の年収(つまり一般的若い異性の将来と変わらず若さがないぶんマイナス)や容姿だったら熱が冷めたら騙された気分になるだろう。既に20歳を超えた女性が、某中年アイドル結婚した時に叩かれた理由は色々あれど、その一端には「女性若さプライスレスであり金で買うなど言語道断」という極端な思考もあったのではないか個人的には成人同士なら、未来予測できない若いほうにも責任があるので自己責任だと思うし、そういう理屈とは別に幸せになってほしいと切に思う。

上記リスクデメリットからロリコンショタコンは嫌われるわけだが、この2つがハイブリッドした嫌われ方がある。すなわち「相手が幼いうちは肉体的には手を出さないが合法になったら手を出す」である。これは法的には問題ないが、大人になる過程で成長して視野が広がらないように常に誘導する(それ以外の選択肢である他の相手との交際や性行為しない方がいいとを考えるのを阻害する)ので実質的には幼い精神を騙している、という状態である

要するに「大きくなったらお嫁さんになる!」という田舎女の子に、妊娠後のキャリア形成の難しさや都会に出たらもっといい相手が見つかるかもしれないという情報遮断して親くらいの年のオッサンに嫁がせるのはひどくない?あるいは、成績優秀で大学に行かせれば出世しそうな男の子を「お前は中卒で親位のバツイチの親戚(本家)のお姉さんと結婚子供を育てながらうちを継ぐんだ」といいきかせ続けるのはひどくない?ということだって

具体例をあげると、小学生くらいの結婚意味すらわかってない紫の上さらって都合のいい女性になるように結婚可能年齢まで育てた(うえに内縁の妻のままにした)光源はひどいが、少女の時にフレデリカ出会って恋されて大人になってから再会した(故に教育洗脳もしようがない)彼女結婚したヤンには罪がない、みたいな話である

さて前置きが長くなりすぎたが本題に入ろう。夏への扉の内容だが、まずヒロインは性行為によるリスクは負っていない、手を出していないのだから当然である。次に、彼女コールドスリープを決めたのは成人後であり、彼女には判断力があったと思われる。銀英伝のフレデリカと同じかパターンである。成人するまでの間、彼女には様々な選択肢があったうえで彼との未来を選んだのだ。これを若さゆえの過ちというならまだしも、彼女自由意志でないというのは侮辱である。故に、主人公ロリコン非難されるべきでないと私は考える。彼は幼いが故に彼女を愛したのではなく、また彼女が彼に恋したのは少女の時だが、将来を決めたのは立派な女性になってからなのだから。彼は彼女から幼い時間も、幼い肉体も搾取していないのである

2021-02-26

高須氏の再来週掲載予定「ダーリンは76歳」公開ツイート

https://twitter.com/katsuyatakasu/status/1364886936578498561

高須克弥 on Twitter: "再来週のビッグコミックスペリオール連載「ダーリンは76歳」面白い🤣なう

 

著作者である内縁の妻西原理恵子氏の承諾を得たうえでの公開だとしても(まだ掲載紙は発刊されていないので、画像元はサイバラから提供なのは確かだ)、

商業誌の連載作品著作者がすべての権利を保持しているのではなく、著作権のうち公表権(著作物で、まだ公表されていないもの公表するかしないか、するとすれば、いつ、どのような方法公表するかを決めることができる権利)や公衆送信権アップロードして読者にダウンロードさせる権利)は作者から出版社金銭を対価として譲渡する契約を結んでいるものなので(でないと出版社雑誌掲載できん)、出版社の承諾を得ない公開は、一時期問題となったネタバレサイトと同じで著作権違反犯罪となる。

 

しかも今回はネタバレサイトのように一部のコマ画像文章であらすじという形でなく、ページまるまるスキャンして公開してるからより悪質。

 

もし作者であるサイバラ氏が、高須氏がツイッタースキャンデータ掲示すると認識した上で原稿提供したのなら、これは出版社との信義を損ねる行為であるし、出版社作品を一番に雑誌掲載することで得られた利益を害する行為であり損害賠償対象となりうるし、また公表権を譲渡して原稿料を得る連載契約違反となるので、そちら側でも損害賠償対象となりうる。

もし高須氏が公表するとサイバラ氏に伝えずに、ただ「じっくり見せて」等と言って原稿を借りて勝手スキャンしてアップしたなら、表現者作品に対するリスペクト皆無で夫婦間の信頼を損ね、今後の関係にも支障を及ぼす行為だろう。まあその辺は個人間の問題なので、お好きにどうぞだが。

 

とはいえ出版社無関係人物による権利侵害ならネタバレサイトのように訴えられて刑事民事で追及されるだろうが、高須氏は現在連載中の作者の内縁の夫という立場なので、出版社サイバラ氏との今後の関係配慮して、内々に注意を促すという形で済ませると思われる。

ただ、他の作家や今回の高須氏のアップロードを知っている読者の手前、出版社は何らかの対応を行い見解を示したほうが良い。これを内々に済ませて対外的には何もしないとなると、小学館ツイッターでのネタバレ、発売前のスキャンデータ公開を黙認する権利者だと誤解を広げる虞がある。

2020-12-31

……今年聞いた日本語で良かったなぁ大賞を発表しま

……内縁の妻

……です

……内縁の妻来年も妻

……なんちゃって

……ドヤァ

……北のあの人も♪南のあの人も♪いつも♪いつも♪コメリ(ポロリ)♪

2020-12-17

何でこいつ彼女居ないんだよ、みたいなやつ多すぎない?

そりゃ俺に居ないわけだわ、みたいな

 

ちなみに「なんでこの人結婚してないんだろ?」っていう男は大体内縁の妻がいる

2020-07-31

誰か僕を殺してくれないか

4か月以上前に別れを告げられた元カノのことで気持ち悪さがずっと残っている

自分(20代後半男)

彼女(当時20歳)

2017年春、彼女高校3年生になったばかりのころにTwitter経由で友達になる

彼女お絵かき趣味ツイキャス作業配信をしていたので頻繁に訪れてコメントしてた

他に常連と呼ぶようなリスナーもいなく、大半は彼女が喋りながら作業するのに僕がコメントをするだけの日々

その時に彼女高校3年生であること、自分と同じ県に住んでいることを初めて知った

夏になり仕事の都合により俺がTwitterで浮上できなかったりする中で、彼女はふとした理由からTwitterをやめてしまい連絡が取れなくなる

2018年夏、色々あった彼女Twitterに戻ってきて再度やり取りするようになった。彼女専門学校へ進学していた

そこから再び友達としての付き合いが始まり学校文化祭同人誌を売るということでその年の秋にリアルで初対面

正直これまでのやり取りとかで彼女のことを好きになっていた自分がいたが、相手未成年だという考えで想いを伝えないでいた

そして更に翌2019年、夏がやってきて彼女も長期休暇

僕は在宅勤務で日中から暇というか通話しながらでも進められるような仕事なので二人で作業通話をするようになった

作業通話ってのは建前で、一緒にアマプラ映画を見たりしてなんというか友達以上恋人未満、ってのはこんな感じなのかなァと感じていた

「もし付き合ってる相手かいるんだったら申し訳ないし、こういう通話は程々にしない?」

「付き合ってる人はいないですよ?」

こんな会話もした。正直一度会った時に素朴ながら可愛らしい外見をしていてモテるだろうと思っていたので予想外だった

そしてホッとした。裏で彼女のことをコッソリ狙ってる同級生男子かいっぱいいただろうに

更にこの夏、彼女20歳を迎えた

はい告白しようか悩んでいた

夏休みが終わっても作業通話は頻繁に行われていた

作業通話、そんな建前で二人とも会話がしたかっただけなのかもしれない

お酒を飲んだのは20歳誕生日以来、という彼女通話越しでお酒を飲みながら会話したりと楽しく過ごしていた

そして11月、僕たちの関係に転機が訪れた

ある作業通話の際に「今まで黙っていたことがあります」と彼女に告げられた

要点だけ書くと

・実は2019年の春に男性から交際をもちかけられて付き合っている

相手学校先生。50代非常勤講師内縁の妻がいる

日常に刺激とトキメキが欲しくてOKしてしまった

・春から彼と肉体関係を持っている

まぁ、ショックだった

彼氏いませんなんて話を鵜呑みにして僕は彼女に散々アピールしていたのだから

そして自分ルールとはいえ彼女が成人するのを待とうと思って想いを告げずにいたのに、あろうことか学校先生未成年だった彼女に手を出していたなんて

しか内縁の妻がいるので彼女に対して将来を誓うようなつもりもない、そんな男相手にだ

「他にいい男がいたら、そっちに行きなよ」

そんなセリフを常日頃彼女に聞かせていたらしい。僕はその先生だけでなく、世の中の教師という存在が一気に嫌いになった

自分が課したルールで何もかもが手遅れになったことを知った僕は彼女に今の関係を終わりにしようと告げた

しか彼女から帰ってきた答えは「終わりにしたくない」そんな一言だった

「どうせ卒業したら先生との関係は終わりになってしまう。だから貴方から私に告白してほしい。恋人として関係を続けたい」

涙ながらに彼女から訴えられた僕は、「今までずっと好きでした。僕と付き合ってください」と告白してしまった

そしてここで問題が発生する

彼女交際関係にある先生のことだ

から忙しいを理由に頻繁に会ったりはせず、自分の都合のいい時にデートに連れて行くような人らしい

更に年に数回体調を大きく崩す人であり、恋人が出来たと告げたらショックで体調を崩すのではないか彼女はそれを懸念していつ告げようか悩んでいた

僕は悩んだ末、彼女に「今すぐでなくてもいいよ。待ってるから」そう言った

それからは晴れて恋人同士ということで仲をゆっくりと進展させていった

一緒に買い物に行ったり、ご飯を食べたり、映画を見に行ったり

恥ずかしくて最初の頃は手を繋ぐのを苦手としていた彼女が、自分から僕の手を握ってくれた日はとても嬉しかった

歪な形ながらも3年越しの片思いがようやく実ったのだ

僕は毎日がとても楽しくてたまらなかった

年が明けた

そして僕の大好きだった祖母が死んだ

僕は葬儀関係実家に帰った

実家に帰っている間も彼女は僕を心配して電話してくれた

そして葬儀から帰ってきた僕は彼女自分トラウマを打ち明けた

これまで断片的に伝えていた出来事

まりこういった場でも書きにくい僕の根っこにある弱い部分だ

母親と弟が自分のせいで死んでしまった、ということなのだけど

20年以上自分を苦しめてきて、何度も死んでしまいたいと思わせてきた弱みだ

彼女は「貴方のせいじゃないよ。大丈夫」と言ってくれた

これを読んでくれてるあなたに伝わるかわからないが、人生で最も僕を救ってくれた一言で、この子と巡り合えてよかったなと心から思った

2月ちょっとずつ仲を深めていった僕たちの関係が急速に進展した

言葉にすると野暮だが、肉体関係を持つようになった

彼女は前述の先生とのことで性行為に対して少しトラウマに近いものを抱えていた

先生からゴムがあるとイケない」と言われ生でセックスしたことが原因で、その話を聞かされていた僕は慎重になっていた

でも彼女のことが好きだからセックスしたいのは仕方ない

「怖かったりしたら、断っていいから。でも僕はキミを抱きたい」そう彼女に伝え、彼女からOKサインがでた

彼女とようやく一線を越えた僕だが、色々と問題が浮上する

2月というのは僕にとって1年を通じて最もつらい時期で、どうしても母親の命日が近づくと苦しくて仕方なくなるのだ

貴方のせいじゃない」そう言ってくれた彼女に気分が沈んでることで心配をかけてしまった

この頃にはもうコロナ流行っていて、どこに行くにもマスクが欠かせない時期だったのに彼女休みを利用したり学校帰りに僕とデートをしてくれた

そして僕は彼女に慰められるように何度も身体を重ねた

気分が沈むのは、母親の命日だけじゃない、もっと他に理由があると気が付きながらも

3月、ついに僕は限界を迎えてしまった

「いつになったら彼女先生に別れを告げてくれるのだろう」

まだ彼女先生に対して付き合っている人がいることを告げていなかった

忙しくて夏以降一度も会ってないとは言っていたけども、僕はそれが真実なのかわからない

思い返すと、顔も名前も知らない先生に振り回された恋愛だった

デートに誘うと「そこはやめた方がいいと思うよ。先生と行ったことあるから…」

先生は悩みを抱え込む人だから、別れてから相談役として支えてあげたい」

「ごめんなさい。私が先生に思う好きと貴方に思う好きは別のものから貴方を一番好きにできない。順位けができない」

2月彼女と何度も身体を重ねたのも

先生ホテル行った回数が自分より多いのがなんだか嫌だ」

「君が今、身体を許す相手は僕だけなんだという実感が欲しい」

そんな歪な理由だった

顔も名前も知らぬ、彼女にとって今も大切な存在であるおじさんに負けたくないと空回りばかりしていた

眠れぬ日々が続いた

本当は都合のいい相手としてキープされてるだけなんじゃないかって、そんな考えばかりが頭をグルグルとよぎる

次第に体調を崩し始めた。不眠と食欲不振、そして胃の痛みばかりが続く

僕は彼女に思っていたことを打ち明けた

「もう待ってるのは辛い。先生にハッキリと話をしてくれないか

『待ってるからあの日そう言ったのは自分だったのに、僕は約束反故にしてしまった

一日かけて彼女から先生へと別れを告げたという内容のLINEがきた

いつもの彼女文体とは異なる、事務的な文面

まるで親から叱られた子供がしぶしぶと宿題をこなしたような、そんな不服さを文面から受け取ってしまった

しんどいので1~2週間放っておいてください』

望まぬ形で別れを告げさせられ、気持ちの整理がつかないであろう彼女からそう送られてきた

そして1週間もせずに僕は別れを告げられた

今もどこで道を誤ってしまったのか、正直そう考えてしま自分がいる

別れてから僕は自分を見失い、とても彼女を傷つけるようなことをしたし、カフェイン錠剤で自殺を図り失敗した

振られたぐらいで死のうとするなよ、そう思う人がいるかもしれない

ただ、20数年抱えていたトラウマを受け止めてくれた相手から突然見捨てられてしまったのだ

彼女によって心の隙間に流し込まれセメントを、すべて取り除かれ、元あった穴より広がってしまったような気分だ

僕が彼女に対して甘え過ぎていたのかもしれない

2月以降、彼女に対して抱いてたのは本当に愛情だったのか

自分を救ってくれたと思った相手に対する依存だったのか

今も答えが出ないでいる

そして僕は今日も心の傷跡を掻きむしっている

から、誰か僕を殺してくれないか

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

2020-02-20

東京都は16日、新たに60代の男性医師1人を含む計5人の新型コロナウイルス感染確認したと発表した。

男性医師については、既に都内での感染が判明している女性個人的食事をする機会があった説明

この女性は同じ病院に勤務している看護師で、

複数タクシー運転手らの感染確認された屋形船での新年会参加者の同居者として出席していたという。


人間関係が赤裸々になってしまうの、やだね。

タクシー運転手内縁の妻である女性が、60代の男性医師不倫みたいな・・

2020-02-16

anond:20200216131917

相手女性であっても、「内縁の妻」と「同居の女性」は扱いが違うよ。

マッキー相手同性婚していると公表していれば

同性婚だと「内縁」ってのは無いので)「配偶者男性」扱いされただろうね。

でも別にその同居の男性結婚しているつもりはなかった(単なる同棲だった)っぽいし。

anond:20200216131745

マッキーはもとからカミングアウト済みだし

他の一般人だと内縁の妻とかも普通報道するのに比べたらだいぶやんわりしてるだろ

2020-01-17

anond:20200117185223

先入観を除けば30代でもじゅうぶん分かるんだよなぁ

額や口周りにシワがないしな

2019-08-06

[]anond:20190610002907

■『私が悪い』の私です

『私が悪い』https://anond.hatelabo.jp/20190610002907

相手特定できるのに私自身は匿名で身を隠している、というご指摘がいくつかありました。

何人かの方が特定なさっている方が私の言う『彼』であるとは私は言っていませんが、

私も名前を出すべきなのでしょうか…。

不公平であるとの上記のようなコメントを見てからずっと悩んでいました。

行き場のない思いを誰かに聞いてほしくて書いたのですが、結果的に良くない方向に行ってしまった気がします。罪悪感が倍になってのしかかってきている感じです。

私がしたことを考えれば当然のことだと思います

そして、彼のご家族に与えてしまった不幸と言葉にならないであろう不快感、今の彼の平穏幸せが、私の今の苦しみの上に成り立っていたら、それで構わない、本望であると考えます

ですが、本当に浅はかでした。

申し訳ありません。

励ましの言葉をくださった方、ありがとうございました。

でも私は一生、幸せにはなれないと思っています

私が全て悪いと思いつつも、何故彼が数回の電話で私をストーカー通報したのか、罪がある私なりに傷ついたことは事実です。

ここに書いたことで、より罪悪感とやり場のない想いが募り、初めて首吊りを試みました。

幸せになりたい、前向きになりたいと思いながらもそれ以上につらさが勝ってしまたからです。

ハングマンノットでドアのノブにくくりつけてしばらく意識がなくなったものの、意識が戻ってしまい、また失敗してしまいました。

少し横になり、考えを巡らせてみて、彼が幸せならそれでいいのかもなぁと漠然と思いました。

いろんな方の、私へのコメントは、私がどうすれば良いか、私がどうしていけばいいかを考える手助けにもなりました。

一方で、被害者ぶるなというコメントを見て、確かにそうなのだけれど、別れ方が、車の中でただ淡々と新しい内縁の妻への思いと、私とは今後関わりたくない、ただそれだけ、30分にも満たなかった別れ話で10年の月日をないことにして捨てられたのがやはり一年以上経った今でも堪えていることを再認識しました。

今は楽しめることがなく、薬に頼る日々は続いていますが、いつか克服できる日が来ることを信じたいです。

ですが、自分人生が何のためにあるのかさえ今はわからないまま、虚無感しかない毎日を過ごしています

2019-06-30

女はやっぱり人生イージーモード

毒親に育てられて、酷い目にあった漫画は9割描いてるの女

例の有名人

https://cakes.mu/series/3555

で、最終的には結婚して旦那がいる人しかたことない

人によると、例に挙げた人みたいに、不幸の再生産してる

 

男で毒親に育てられたんだな、ってのはゲイのもちぎさんくらいしか見ない

 

仕事で酷い目に遭ってパワハラとかブラックとかセクハラにあってもなんか彼氏とか旦那が助けてくれて、結婚して逃げてる

例)

https://anond.hatelabo.jp/20190630164919

 

被害あいかけても彼氏が慰めてくれるし助けてくれる

https://togetter.com/li/1243840

https://togetter.com/li/1360680

 

メンヘラでも結婚して旦那に養って貰える

https://note.mu/yuco/n/n48c82af709ff

https://anond.hatelabo.jp/20190511225025

 

女の人って、イージーモードすぎる

なんかあってもだいたい結婚という逃げ道があり、彼氏というセーフティーネットがあり、少なくとも餓死したりホームレスに墜ちたりしていない

ホームレスほとんどが男だってのも、女はそこに落ちる前になんとかなるからなんじゃないのか

 

男はやはり生きにくい

どうやったら男はイージーモードで生きられるのか

やっぱりハメ取り動画世界公開されても金の力と権力を持って知らんぷりして行動している人とか

https://anond.hatelabo.jp/20190511225025

絵本作家でやっていけてるから長年付き合った不倫女性をすてて内縁の妻作りながら平然とするとか

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190610002907

 

やっぱり金と権力地位がある奴が生き残れるようだ

女は金も権力地位がなくてもなんとかなるのに

不公平すぎる

 

2019-06-25

[]2019年6月24日月曜日増田

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