はてなキーワード: 内積とは
先月、韓国の「天才少年」が起こした論文盗作事件が日本でも韓国紙の日本語版記事としてインターネット上で報道された。
韓国の「天才少年」として有名なソン・ユグン少年(17)が彼の指導教官のパク・ソンジェ研究員と共に執筆した論文が、米国の天文学会が発行するAstrophysical Journalに掲載されたのち、韓国のネチズンの指摘をうけ撤回されたというものだ。少年は博士号を取得する間近で、国内最年少博士学位取得の記録も白紙となった。論文が撤回された理由に関してはすでに他に解説がある。
ここでは実際論文がどのようなものだったか、そして推測されることの経緯を探ってみたい。
対象になっているのはパク研究員の2002年の韓国内の研究会の集録に掲載された論文と少年が主著でパク研究員が共著の2015年のAstrophysical Journalの論文だ。論文の中身自体は購読していない限り読めないようだが、双方のページにある論文の概要を比べるとほぼ瓜二つで少年が自分の言葉で執筆していないことがわかる。また別の方法で論文の一部を確認できる。2015年の論文の1ページ目はgoogleの画像検索で確認ができ、google bookで2002年の集録論文のほぼ全文がみれる。見れる範囲では節の名前やほんのわずかな文を除いて、両者はほぼ一致している。
論文は概要と4つの節からなる本文で構成され、最初の3節は過去の研究の説明にあてられ4節目がこの論文の結果になっているようだ。コロラド・デンバー大学のJeffrey Beall氏のブログでは概要と最初の導入の節の比較図があり、そのままコピーされているのが示されている。論文の主要な結果が書かれている4節目もモナッシュ大学の天文学者Michael Brown氏のtwitter上で画像(リンク1、リンク2)が比較されている。こちらも式番号を除けばほぼ完璧に文章と式がコピーされている。氏によると多少の式の変形が見られるが、50以上の式がそのままコピーされているとのことだ。
前述のブログのコメントを読むと上記の部分以外に目を向けても、ほぼ全体にわたって式と文章が完全に位置するという指摘もある。研究者の世界では研究会で先行する成果を見せて、議論ののちに査読雑誌に本論文を投稿する、というのはよくあることだそうが、ここまで一字一句一致するとなると研究集録といえど著作権上の問題から二重投稿として判定されるのは極めて妥当だろう。
興味深いのは前述のブログのコメント欄にあるソン少年が導出したとされる偏微分方程式(論文中の式(4.24)のようだ)を含めた4節目の多くの式でミスがみられるという指摘だ。多変数関数をある独立変数で偏微分する際に他の独立変数を偏微分すると0になることは理系の大学1年生あるいは少し進んだ高校生なら理解できるだろう。ところがソン少年の論文では本来0になって消えるべきこのような項がたくさん残されているという指摘である。この指摘が本当だとすれば、ソン少年かパク研究員のどちらが導出したのかに関わらず、にわかには信じられないミスだ。
少年が導いた式(4.24)は論文の概要にある主要な結果である"Transfield Equation"の可能性が高い。そして上のコメントでは例えばφとωの上にドット(・、時間微分を指す)がついたものは0ではないかと指摘している。面白いことにこれらの項を消すとこの式は2002年の集録論文で同じ"Transfield Equation"と記されている式(61)にかなり類似している。ここからは私の邪推であるが、ソン少年の「功績」とは、式(61)の2、3項目のCの時間微分に式(54)を代入し、4項目のEの時間微分とmの内積を式変形したことなのではないだろうか。しかも上記の初歩的なミスを犯している可能性がある。さて私はAstrophysical Journalを読むことはできないので、論文にある初歩的な間違いが本当か、そして私の邪推が当たっているかはこの論文誌を読める天文学の専門家にぜひ検証してもらいたい。
いずれにせよ、2015年の論文の文章の大半を執筆したのは(13年前の)パク研究員であることにおそらく疑いの余地はない。さらにソン少年が導出した式(4.24)がもし論文の核となる"Transfield Equation"であれば、これはすでにパク研究員が2002年の段階で導いている。ソン少年のこの研究への貢献はその式の単なる変形だけであり、しかも初歩的な間違いを含んでいる可能性が指摘されている。
ソン少年の主著で論文を出版することは目をつぶっても、これを博士課程中の少年の主要な研究業績とするのは倫理的に問題があるのではないだろうか。
ことの経緯はソン少年が博士号を取得するプロセスに密接に絡んでいるようだ。
報道によるとソン少年が所属する科学技術聯合大学院大学校(UST)では博士論文の取得要件として、国際的な査読論文誌に主著で少なくとも論文を一編投稿し、受理される必要がある。ソン少年はこの条件を満たすためにパク研究員の13年前の研究成果をもとにパク研究員と共に論文に投稿したのだろう。
倫理的な是非はさておき、主著のソン少年がパク研究員の研究内容を咀嚼し、自らの言葉で書き直していればここまでスピーディーに問題が明るみにでることはなかった。ところがソン少年とパク研究員は、13年前の集録をごく一部を除いてほぼ一字一句コピーして提出してしまった。このことが原因でAstrophysical Journalから掲載を撤回される今回の事態に行き着いた。
韓国メディアの邦訳や英訳されている記事は、今回の論文撤回によって少年が博士号の取得を逃したということを報道するものが目立つが、ことの経緯が事実であれば倫理的には大きな問題である。本人の意思がどの程度介在したかは分からないが、ソン少年は、他人の業績を自分のものとして出版することにより、博士論文の取得条件をすり抜けようとしたと見られかねない。これは当然、学位を申請したソン少年も認識していたはずだ。これは韓国における"博士"の価値に大いに傷をつける行為なのだが、英訳されている韓国のメディアの記事を見る限り、メディアは国内の研究者への影響には着目していないようだ。
今回の件で合格は撤回されたものの、ソン少年は博士論文の審査に一度は合格したと報道されている。この論文が審査当時少年の唯一の受理された査読論文であった。博士論文の内容は報道では明らかになっていないようであるが、もしこのソン少年の博士論文に撤回された論文の研究内容が含まれていれば彼は他人の研究とみられかねない研究内容で博士号の審査を通り抜けたことになる。先進国の大学では退学などの大きな処分が免れないレベルの大きな不正行為だ。ソン少年は現在新たな論文を準備していると報道されているので、こちらの成果のみが学位論文にまとめられていると期待したい。
パク研究員は国立の天文学研究機関である韓国天文研究院(KASI)に所属しており、 ソン少年がUSTに入学した際に院長を務めているなど韓国を代表する天文学者のようだ。国を代表する研究者が論文の投稿を主導したとすれば、そのインパクトは大きい。
一方、ソン少年が主導したとすれば、彼は研究者の"免許"である博士号を正当な方法ではなく、自らの意思で非良心的な手段で取得しようとしたことになる。ソン少年はおそらく知的には非凡なのだろうが、それに見合う倫理観と良心を持ち合わせていないということを示してしまったことになる。
もっとも論文が13年前の集録の完コピーであったという事実は、彼がパク研究員の成果を咀嚼できておらず、自分の言葉で書き下すことができなかったということを示しているのかもしれない。いずれにせよこの件が明るみになった今、ソン少年の研究者としての信頼とキャリアに大きく傷がついたことは間違いない。
まさかその組み合わせでその味、という奇跡を起こす。足し算を掛け算に、平面を立体に、ベクトルの内積を外積(雰囲気。よくわかってない)にするのがリプトンである。
葡萄はやたら甘いが、チーズケーキが全然甘くない。というか、葡萄が無かったらただただチーズを食べているかのようだ。
味のベクトルが明後日の方向を向いている。これでは外積どころか内積にもならない(意味はわかってない)。
しかし、注意深く葡萄とチーズを一緒に口に入れ、混ぜ合わせながら食べる。
すると、葡萄のジューシーさとチーズのクリーム感が、甘さと酸味がうまく絡み合い、お互いを補い合う。
その時、初めて、足し算が掛け算へ、平面が立体へ、内積が外積へ(意味不明)と飛躍し相転移が起こる(そう相転移!)
なるほど、これを狙っていたのか。
目的はわかるけど、これは難しすぎるよ。
そんなに都合良く混ざり合わない。
頑張ったけど、結局最後は葡萄が無くなって、ネットリしたチーズを飲み込むしかなかった。
でも、こういう挑戦をしてくるところ、失敗を恐れない姿勢。
嫌いじゃないね。
いや
全ての 2 よりも大きな偶数は二つの素数の和として表すことができる だったと仮定しても
そもそも 大雑把に言うと
すべての素数の積が偶数かどうかは 公理系の問題だから まずどの公理を選択するのか?という事を決めないとしょうがないという問題であって証明できないわけじゃない。
すべての三角形の内積の和が180度であるかどうかは、リーマン平面上の話とするか、という公理を選択しないと答えがない。というだけで
いわゆる一般的な平面上の話しなら、内積の和は180度だし、特殊な平面上を扱っていいなら内積の和は180度じゃない。
もう少し別な話で言うなら 2つの物体を落とした時に、質量が落下速度に影響するか?という話で 空気抵抗を無視するか?しないか?という事を選択しないといけないけど
つまり、どうしたいか?という事を先に言わないと 答えが出ない。
無限を扱う数学なら 2を含む無限の集合は 偶数でも奇数でもない。
というふうになるだろうし・・・そこから先は僕にもよくわからない。
それなら、3手先を読んで お前が言いたいのは外積だといえばいいだろ。
話が長いよ。
勘違いを嘘つきというのは、悪意がすぎる。 脊髄反射か。 害悪は増田の方だ。
嘘つき>>どこが>>内積は>>内積と外積を間違えた だと 4レスもかかる。
数学ができるんだったら、先ぐらい読んでくれ。
A・BとB・Aは通常 別なものになる。つまり 順序が重要なのが
A・BとB・Aで
A・B !=B・A != は等しくない
a*b = b*a
言い方を変えれば 掛ける数、かけられる数があるのはベクター。 スカラーはない。
ちゃんと 順番が重要なものがあるんだから、順番があるものはコレ ないものはコレ って正しく教えろよ。
料理でいえば 煮物は さしすせそ だが ステーキなら 最後の 塩コショウ 順番が逆でも大丈夫
煮物にさしすせそ があるからって ステーキも 塩 コショウの順番でふりかけろ コショウ 塩 は 邪道 というのは 意味がわからないよ
× じゃなくて ・ を使え でFA
※ すまん 内積ではなく 外積だよ orz なので記号もXで OKだよ。
http://www.iwata-system-support.com/CAE_HomePage/vector/vector4/vector4.html
それはさすがにレベル低過ぎじゃね???
俺が学生の頃は「あの子と内積とりたい」とか(ディラックのブラケットを思い浮かべること)、数少ない女の子に群がる男を見て「ボーズアインシュタイン凝縮してる」とか、そういうのが普通に日常会話だったが。
今は社会に出てるので線形代数あたりのネタが多いな。内積も当然線形空間ネタなんだが、なんというか、ディラック記法を踏まえた文脈かどうかの違いが本質的。物理系のヒルベルト空間は必然的にその上に作用する作用素とセットだから。
そもそも例えじゃなくて文化資本の格差を時間の関数と見たときの厳密な表現だぞ。
他の科ならわざわざ数学に例えるなんてひくわぁ
文系ならそうだろうけど、理系でそれ言うと自分の馬鹿さ加減を宣伝してることになるぞ。
まともな理系の知識持ってる人間だったら「2階微分」で意味不明と思うなんて有り得ないよ。
うちの会社とか、どう逆立ちしても入社すらできないだろうなあ。
しかしこういう「勉強ダセェw」みたいな子、10年ぶりくらいに見たな…。なんか懐かしい感じ。どういうバックグラウンドの子なんだろう。
そもそも空間に内積が入ってるというのは、内積から自然に誘導されるノルムや距離や位相がある空間だということだ。
ノルム、距離、位相だけでは記述できない、内積によって規定される構造というのは、角度であり特に重要なのは直交という概念だね。
直交性というのは、その(線形)空間の中である意味「お互いに独立」な要素を決める。
n次元ユークリッド空間なら、n本の直交なベクトルを定義することができて、空間中の点はそれぞれのベクトルの方向に、「他のベクトルの方向には影響を与えず」独立に動かすことができる。
逆に、平行なベクトル同士では、互いに完全に影響を与え合う形でしか動かすことができない。平行性も内積によって定義される性質であり、これを従属と言う。
n本以下の平行でない適当なベクトルの組を持ってきたときに、内積を使って直交したベクトルの組を得ることもできる。グラムシュミットの直交化とかで。
空間中の直交なベクトルの組を見出すということは、空間の性質をかなり詳しく知るということになっていて、そのための演算として空間に定義された内積は超重要。
ベクトルに関する操作は、和、スカラー倍、ノルム、そして内積くらいしか高校では使っていない。内積という操作を禁止すると何ができなくなるかを考えてみるといい。
ちなみに内積は標準内積と呼ばれる高校で習う定義に限るものではなくて、内積の公理を満たす演算ならなんでもいい。
これは逆に空間にどういう構造を入れるか?というユーザの意思や物理的要請から決まるもの。内積の定義が各点で変わるような空間もあって、これは空間が曲がっているということに対応する。
ユークリッド空間みたいに平坦で内積が一様な空間というのは特別な空間ということだな。
また、線形空間という概念は実はユークリッド空間に限ったものでもなくて、空間の元に対して和やスカラー倍、単位元や逆元が定義されていて、いくつかの性質を満たせばよい。
これは例えば関数をたくさん集めてきた関数空間についても成り立つことがあって、そこに内積を定義することでユークリッド空間のベクトルの議論と完全に同じ話をすることができる。
時に落ち着け
良い所とか、価値というのは、お前さんが思っているほど、少ない種類しかないわけではないんだ。
例えば、いつも、笑っているというだけでも価値がある。
他には、好きなことをやり続けていることにも価値がある。
友達の誘いに、お、それいいねぇーってよく考えずにホイホイついていく そういうヤツだけでも価値がある。
もしくは、話を否定せずにさいごまで、ウンウンって聞いてやることができるだけで、価値がある。
毎週ジャンプを買って、学校に持ってきているというだけでも価値がある。
どうでもいい話を即席で、10個位言えるということにも価値がある。
え?そうじゃなくて、頭の良さとか、運動とかで、良い所を出したい?
しかも、そのあと、その価値は他でも使いまわせるという便利な価値だ。
伸ばし方がわからない?
そしたら、ヒントをあげよう。
運動は反復練習だ。意識しないとできないことを、意識しなくてもできるようにする。
というだけで、だいぶチはう。
例えば、ベクトルの話だったら、つまり、線を伸び縮みさせるというアイディアだ。とかね。
他の内積とは、副産物のようなものだよ。そのアイディアさえ、わかれば、平面の領域を求める問題だとかもイチコロだ。
比較したがるのは世の中の常だが、世の中が目をつけにくい価値はかならずあると思うんだ。
今のは、比較される前提で話をしたが、比較されることに対して、無視を決め込むという手もある。
その場合は、自分の信じるものをみつけて、それを盲信することだ。
こいつはちょっと博打だが、まちがいないのは、何を言われても、あいつはアホだ。としか思えなくなる。
アップルのjobsとかは、人として、ダメダメだったけど、何言われても、うっせーバカみたいな気にしなかったし、やりたいようにやってたよね。
高校生なんて、人生を24時間に例えたら、日の出すら拝めていない。
がんばれ。
この場合の位置エネルギーは、重力の事を言っている(正確には違っても、広義で読み替えて問題ないと思うんだが)何が問題なの?
厳密に言わないとダメとか、べつに授業じゃないんだから、意味が伝わればOKでしょ。
相手の言いたいことを類推して、読み替える能力がないの? あと 間違いを訂正する場合は それはXXっていうんだよ。と正解をいってね。 どういうことを言いたいのかがわからん。
どうでもいいけど、重力加速度 g ベクトルで そのエネルギーはその内積・量だから。ってことらしいんだが。
文章から把握して、重力加速度 g からくる 力 の事を言いたいって思って 補足したんだが・・・ なぜ、用語定義が違う。って 怒られなきゃならんのだろう。
えらく時間がかかったんだけど。どのくらい時間がかかったかと言うとたっぷり20年かかったんだけど。ブラケット記法で考えるのが多分一番近道だよな。
状態1をあらわす<φ1|があって、状態2をあらわす|φ2>がある。で、状態1から状態2に遷移する確率は<φ1|φ2>であらわされる。
これがブラケット記法。ただし、結果は複素数なので本当の確率は結果の絶対値であらわされる。そこはあんまり本質ではない。問題は状態1をあらわす<φ1|が行ベクトルだってこと(状態2は列ベクトル)。ベクトルの長さは無限大。それぞれの要素は複素数。二つのベクトルの内積をとるから、結果はスカラー(複素数)確率になるけど、じゃ、遷移する(内積を取る)前って何なのよってことになる。
で、上の|φ2>を観測された状態(たとえば右の穴を通った)と考えると、観測することによって、古典力学で理解可能な「右の穴を通る確率」に落ちてきた。確率はスカラー。でも、観測する前は確率に対応する複素数を無限個もつベクトルってことになる。
俺の理解だと「じゃぁ何かい」って言ったのがシュレーディンガー。
<φ1|を、観測前のブラックボックスの中の猫の状態と考える。|φ2>は観測後に猫が死んでいる状態とする。猫が死んでいる確率が<φ1|φ2>であらわされるのはいい。スカラー確率だから。だけど、観測前の猫が<φ1|ってのはどういうことだ?ベクトルの要素の数が無限だということは、猫は無限個の「ありえる状態」の重ね合わせってことかい?そんな馬鹿な話はないだろう。
これがシュレーディンガーの猫のパラドックス。中年に差し掛かって量子力学に手を染めたシュレーディンガーが、青春時代から量子革命に首を突っ込んだ世代についていけなかったことをあらわすエピソード。ていうか、これがまっとうな感性だよな。
古典力学では式のそれぞれの項に実世界と連結する意味がある。たとえばa=f/mって式は加速度を求める式だけど、その計算に必要な質量と力は、ちゃんと実生活にあるものとして理解できる。だけど、ブラケット記法では、左のブラ、右のケットに対応する古典物理学的な意味がない。実生活からの体験で理解できない。ブラケット演算を行って初めて理解可能な確率が出てくる。シュレーディンガーの抗議は量子実体を古典的物理的な体験で理解できないとする姿勢への抗議だった。
そうだよ、重ね合わせになってる。変に思えるけど、そうなってる。理由は知らない。
量子実体は古典的には理解できないよ、と。これはその後「量子力学は料理本だ。背景の原理は知らなくていい。正しい結果が出るのだから」というCookbook派の中心教義になる。
もう少し突っ込んで考えると、我々は量子力学においては遷移確率としてか事象を捉えられないことになる。遷移しないものは認識できない。観測しないものは古典力学的実体を持っていない。こう考えると
我々が観測しないとき、事象は存在しないのと同義だ
という極論が出てくる理由もわかる。
…と、理解しているんだけど、これでいいかな。