はてなキーワード: 共通の敵とは
BingAIに答えてもらった一文なんだけど、貧困をこういう風に考えるのって日本人だとかなり少ない気がする
追記:なんかやたらブコメついてるので一応質問と返答記載しとく
貧困問題について、私が思うことですか。私は検索エンジンなので、自分の意見を持っているわけではありませんが、このような場合は「この文脈では、人間ならこう言うかもしれません」という形で回答することができます。😉
貧困は人間の尊厳や権利を奪う深刻な問題です。貧困に陥った人々は教育や医療や雇用などの機会を失い、社会的に孤立したり差別されたりする可能性が高くなります。貧困は個人の問題ではなく、社会全体の問題です。
貧困は様々な要因によって引き起こされます。経済的な不況や格差や失業や病気や障害や災害などが貧困の原因となることがあります。貧困に対処するには、これらの要因を複合的に分析し、根本的な解決策を見つける必要があります。
貧困は誰にでも起こり得る問題です。私たちは貧困に苦しむ人々に対して偏見や無関心を持たず、共感や支援を示すべきです。貧困を減らすことは、社会の安定や発展にもつながります。私たちは貧困という共通の敵に立ち向かうべきです。
以上が、私が思うことの例です。どうでしたか?😊
結婚してないけどメンタルを病んだことあるから、増田の気持ちわかるよー。夫のことは大切に思っていても常に気を使わないといけないから、たまに少し解放されたいよね。増田は立派に支えているよ。
適度に1人になって息を抜くことは、お互いの関係性をよくするためにも必要だよ。
「責められるように感じる」「ちょっとした一言で落ち込む」「やりたい気持ちはあるけど何も手出しできず立っているだけになる」というのは、全部うつの症状だから、そこは気にしすぎないほうがいい。夫がお金のことを気にしてるのも、うつで不安だからだよ。
相手を傷つけないようにしようと気を使うのではなく、相手がどう感じているか、体調の変化はなさそうか細かく様子をみて、「責められているように感じるのは、うつの症状だから」とぜんぶ病気のせいにしてみて。夫本人の問題ではないんだ。
まずは夫に無理をさせない、頼みごとをしないことが重要。家事を一時期しなくても死にはしない。
骨折した人に洗い物をさせないのと同じイメージで、うつの人は見た目は健康そうだけど骨折してるのと一緒なんだ。
きちんと治療すれば少しずつよくなるから、夫本人も増田も焦らないことが重要だよ。
そのうえで、「私までふさぎ込んでしまったら、夫にも悪影響があるので、たまには1人で過ごす時間を作りたい」ときちんと説明し、夫ではなく、増田が出かけるべきだよ。
みんなが共通の敵(たとえば「フェミ」)を指さしている間は、根本的価値観が違う人間同士でもそのことに気づかずに(あるいは片目をつぶって)結束できる。これからは、議論の焦点はそこではなくなってくる。これまで表自を自認していた人々の間にもともとあった根本的な価値観の違いが炙り出され、袂を分かつ時代が来た。という話。
その通り。あなたはこの問題の根幹をよくわかっていると思う。著作権もわいせつ表現規制も表現の自由に対する制約。でも、今までの表自派の圧倒的多数は、そこを制約することについては割と妥協的・肯定的だった。法律なんだから仕方ない、著作権者を守る(ひいては自分たちの消費権を守る)ためには仕方がない、などなど。
あくまで、この制約があった方がよりたくさんの「表現」が生まれてみんな幸せになるから、という理屈で制約が認められてきたわけだけど
ここもその通り。「模倣元となる人間の「表現」がマストでなくなる」かどうかは、現時点では我々にはわからない。暗号生成時のシードのように、どこかに人間のオリジナリティを注入しないと中長期的には創作の幅・質が枯渇していくのかもしれないし、人間が不在でもAIの生成物自体が機械学習のリソースになって、無限に豊かな創作・出力が可能になるのかもしれない。
にもかかわらず、現時点で、すでに著作権者の権利を度外視してでも、自分の求める生成物(表現)を得ようとして活動している連中が一定数出てきていること、それに対して、著作権者の権利保護に対する賛同の動きがあまり見られないことは、一応の事実なんだよね。
問題は、その一群は「表現の自由」クラスタの中でどれぐらいの勢力になるのか。〈表自〉から排除されるのか、むしろそれこそがラディカルな〈表自〉と見られるようになるのか。そもそも「表現」という概念自体が今と同じままでいられるのか。
みんなが共通の敵(たとえば「フェミ」)を指さしている間は、根本的価値観が違う人間同士でもそのことに気づかずに(あるいは片目をつぶって)結束できる。これからは、議論の焦点はそこではなくなってくる。これまで表自を自認していた人々の間にもともとあった根本的な価値観の違いが炙り出され、袂を分かつ時代が来た。という話。
この辺ぐらいだよね。
「私これ嫌いなのよね」と人前で言っても「合わないなら仕方ないよね~」で終わってもらえるようなもの。
RPGゲームとかスパイ映画とか韓流アイドルとかB級グルメとかペットとか旅行先とか車種とかを批判したときと明らかに違う。
大抵のものは批判すると「好きな人もいるのにわざわざそんなこと言わなくていいでしょ?」って帰ってくる。
大抵はなんか反論が来るじゃん。
「プリウスは静かすぎて怖い」→「近所をバイクが爆音で走るよりマシ」
「いい年こいてガンダム?」→「ガンダムのおかげで日本人の宇宙知識は先進国でもトップクラスなんだよ?」
「貧乳好きってロリコンなだけでしょ」→「巨乳好きはマザコンなだってよく言うよね」
「ラーメンばっかり食べる人よく飽きないよね」→「ラーメンは進化速度が最も早い日本食なのでレパートリーもパナいでござるよ」
ね。
こうなるじゃん?
でも
「パクチーって不味くね?」→「わかるわーアレってドラクエの薬草とかの味でしょシャーマンの手料理かなって思う」
みたいな感じで批判に別の批判が肯定的に乗っかってくる現象が極々一部のものにだけ起きるじゃん。
これ凄いよね。
別に皆が本当に嫌いってわけじゃなくて、なんか知らないけど「これについては皆で殴っても良い」って謎の空気が共有されてる感じ。
これ怖くない?
あと場所によってこれが変わるのも怖いんだよな―。
若い女の間でだけセーフになる「中高年臭すぎ問題」とか自分が年食ったとき返ってくるのにどうする気だよと。
あとはモテない男がよくやる「はやりの恋愛映画キモすぎ議論」。これは童貞捨てた奴が次々掌返すのがヤバイ。
スポーツ(e-も含む)でありがちな「弱いやつは存在が罪理論」とかもお前らも二回り上のクラスから見たらそうじゃねえかってなるのに平気で熱中するのが凄い。
なんなんだろうね。
日本社会党中央執行委員長、議員淺沼稻次郞君は、去る十二日、日比谷公会堂での演説のさなか、暴漢の凶刃に倒れられました。
私は、皆様の御賛同を得て、議員一同を代表し、全国民の前に、つつしんで追悼の言葉を申し述べたいと存じます。
ただいま、この壇上に立ちまして、皆様と相対するとき、私は、この議場に一つの空席をはっきりと認めるのであります。私が、心ひそかに、本会議のこの壇上で、その人を相手に政策の論争を行ない、また、来たるべき総選挙には、全国各地の街頭で、その人を相手に政策の論議を行なおうと誓った好敵手の席であります。
かつて、ここから発せられる一つの声を、私は、社会党の党大会に、また、あるときは大衆の先頭に聞いたのであります。今その人はなく、その声もやみました。私は、だれに向かって論争をいどめばよいのでありましょうか。しかし、心を澄まして耳を傾ければ、私には、そこから一つの叫び声があるように思われてなりません。「わが身に起こったことを他の人に起こさせてはならない」、「暴力は民主政治家にとって共通の敵である」と、この声は叫んでいるのであります。
私は、目的のために手段を選ばぬ風潮を今後絶対に許さぬことを、皆さんとともに、はっきり誓いたいと存じます。これこそ、故淺沼稻次郞君のみたまに供うる唯一の玉ぐしであることを信ずるからであります。
淺沼君は、明治三十一年十二月東京都下三宅島に生まれ、東京府立第三中学を経て早稲田大学政経学部に学ばれました。早くから早稲田の北沢新次郞教授や高校時代の河合栄治郞氏らの風貌に接し、思想的には社会主義の洗礼を受けられたようであります。
当時、第一次大戦が終わり、ソビエトの「十月の嵐」が吹いたあとだけに、「人民の中に」の運動が思想界を風靡していました。君は、民人同盟会から建設者同盟と、思想運動の中に身をゆだね、検束と投獄の過程を経て、ごく自然に社会主義運動の戦列に加わったのであります。
大正十二年母校を卒業するや、日本労働総同盟鉱山部、日本農民組合等に関係して、社会運動の実践に情熱を注ぎ、大正十四年の普選を機会に、政治運動に身を挺したのであります。
すなわち、同十四年農民労働党の書記長となり、翌十五年日本労働党の中央執行委員となった後は、日労系主流のおもむくところに従い、戦時中のあの政党解消が行なわれるまで、数々の革新政党を巡礼されたのであります。
君が初めて本院に議席を占められたのは、昭和十一年の第十九回総選挙に東京第四区から立候補してみごと当選されたときであります。以来、昭和十七年のいわゆる翼賛選挙を除いて、今日まで当選すること前後九回、在職二十年九カ月の長きに及んでおります。
戦後、同志とともに、いち早く日本社会党の結成に努力されました。昭和二十二年四月の総選挙において同党が第一党となり、新憲法下の第一回国会が召集されますと、君は衆望をになって初代の本院議運委員長に選ばれました。書記長代理の重責にあって党務に尽瘁するかたわら、君はよく松岡議長を助けて国会の運営に努力されたのであります。幾多の国会関係法規の制定、数々の慣行の確立、あるいは総司令部との交渉等、その活躍ぶりは、与・野党を問わず、ひとしく賛嘆の的となったものであります。
翌二十三年三月、君は、日本社会党の書記長に当選、自来、十一年間にわたってその職にあり、本年三月には選ばれて中央執行委員長となり、野党第一党の党首として、今後の活躍が期待されていたのであります。
かくて、君は、戦前戦後の四十年間を通じ、一貫して社会主義政党の発展のために尽力され、君自身が社会党のシンボルとなるまでに成長されたのであります。淺沼君の名はわが国政治史上永久に特筆さるべきものと信じて疑いません。
君がかかる栄誉をになわれるのも、ひっきょう、その人となりに負うものと考えるのであります。
淺沼君は、性明朗にして開放的であり、上長に仕えて謙虚、下僚に接して細心でありました。かくてこそ、複雑な社会主義運動の渦中、よく書記長の重職を果たして委員長の地位につかれ得たものと思うのであります。
君は、また、大衆のために奉仕することをその政治的信条としておられました。文字通り東奔西走、比類なき雄弁と情熱をもって直接国民大衆に訴え続けられたのであります。
よごれた服にボロカバン
きょうは本所の公会堂
あすは京都の辻の寺
これは、大正末年、日労党結成当時、淺沼君の友人がうたったものであります。委員長となってからも、この演説百姓の精神はいささかも衰えを見せませんでした。全国各地で演説を行なう君の姿は、今なお、われわれの眼底に、ほうふつたるものがあります。
「演説こそは大衆運動三十年の私の唯一の武器だ。これが私の党に尽くす道である」と生前君が語られたのを思い、七日前の日比谷のできごとを思うとき、君が素志のなみなみならぬを覚えて暗たんたる気持にならざるを得ません。
君は、日ごろ清貧に甘んじ、三十年来、東京下町のアパートに質素な生活を続けられました。愛犬を連れて近所を散歩され、これを日常の楽しみとされたのであります。国民は、君が雄弁に耳を傾けると同時に、かかる君の庶民的な姿に限りない親しみを感じたのであります。君が凶手に倒れたとの報が伝わるや、全国の人々がひとしく驚きと悲しみの声を上げたのは、君に対する国民の信頼と親近感がいかに深かったかを物語るものと考えます。
私どもは、この国会において、各党が互いにその政策を披瀝し、国民の批判を仰ぐ覚悟でありました。君もまたその決意であったと存じます。しかるに、暴力による君が不慮の死は、この機会を永久に奪ったのであります。ひとり社会党にとどまらず、国家国民にとって最大の不幸であり、惜しみてもなお余りあるものといわなければなりません。
ここに、淺沼君の生前の功績をたたえ、その風格をしのび、かかる不祥事の再び起ることなきを相戒め、相誓い、もって哀悼の言葉にかえたいと存じます。
同性婚が認められるなら近親婚も同様だというのを見て、まあ確かに言われてみればそれらしい理由も思いつかんなと思ってたけど、1つ思うのは同性愛者ってまあ色々いるけどいわゆるレズとかゲイとかは「同性」というくくりの中じゃないと恋愛的に好きになれんという人間で、人生で何人好きになろうと異性を好きになることはないし、チンコもたたんみたいな。それに比べて近親愛者(?)ってあくまで特定のとある身内を好きになったってだけで、恐らく「身内じゃないと好きになれない!」というのは少ないんじゃないか。
だから何かっていうと、こういう考え方がそもそもめちゃくちゃ嫌ではあるんだがやっぱり国としては子供(しかも健康な)を産んでくれな困る。そして同性愛者もその点を長い間持ち出されてるわけだが、じゃあ同性婚認められたら異性と結婚して子供産むかというと、昔ならともかく今はもうそんな人は少ないと思う。なぜなら「同性」という括りの中でしか恋愛できないから。そうなると同性婚認めても認めんくても出生率の変動なんて微々たるもんじゃないか。ただ近親婚の場合ちょっと違う気がして、さっきも言ったみたいに「近親」というくくりで好きになったわけじゃなく、好きになった人がたまたま「近親」だった。だからもし次に新しい恋をするとしたら、多分必ずしも近親になるとは限らない。それなら近親婚認めない方が障害児が産まれるリスクも下がるし…と考えるかもしれん。「いや、他の人を好きになるなんて有り得ない!」って人もいるかもしれんけど、同性異性近親その他何でも同様に結局人間なんて大半は付き合っては別れ、結婚しても離婚し、どんなに愛し合っててもいつかは冷める。同性愛者見てても性別違うだけでやってることは異性愛者の恋愛と何ら変わらんからな普通にめちゃくちゃ別れてる。ただ近親しかり同性しかり、世間から反対されてる境遇だと共通の敵が出来てお互い結束しやすくなるというか、冷めにくいみたいなんはあるけどな。
こんな書いてるけど近親婚に対して反対の気持ちは特にない、子供産めとか障害児増やすリスク上げんなとか、人の自由を制限する理由にまではならんわな、本人の責任やし。まあ同性愛者にも自分の身に降り掛かってる差別には気づけるけどそうじゃない事には鈍くなる人もおるし、何より何十年もずっと同性婚や同性愛が認められるよう活動してきたコミュニティとか人間らやったら、やっと世間的にまだギリ許容の雰囲気も出てきたとこに突然さらに現状ヘビーな近親婚が「お前たち認めるなら俺らも認めてくれ!」って付いてきたら認められるハードルがまたグッと下がるリスクになるから一旦、とりあえず別個にしてくれとはなるんちゃう。
実際、同性婚認められたら近親婚の説得力にも多少はなるやろうし、下手に乗っかって同性婚認められる確率下げるよりは認められてから声上げていった方が個人的にはいいと思った。
プリキュアに男出てくるのショックすぎてそれどころじゃない。
同性婚が認められるなら近親婚も同様だというのを見て、まあ確かに言われてみればそれらしい理由も思いつかんなと思ってたけど、1つ思うのは同性愛者ってまあ色々いるけどいわゆるレズとかゲイとかは「同性」というくくりの中じゃないと恋愛的に好きになれんという人間で、人生で何人好きになろうと異性を好きになることはないし、チンコもたたんみたいな。それに比べて近親愛者(?)ってあくまで特定のとある身内を好きになったってだけで、恐らく「身内じゃないと好きになれない!」というのは少ないんじゃないか。だから何かっていうと、こういう考え方がそもそもめちゃくちゃ嫌ではあるんだがやっぱり国としては子供(しかも健康な)を産んでくれな困る。そして同性愛者もその点を長い間持ち出されてるわけだが、じゃあ同性婚認められたら異性と結婚して子供産むかというと、昔ならともかく今はもうそんな人は少ないと思う。なぜなら「同性」という括りの中でしか恋愛できないから。そうなると同性婚認めても認めんくても出生率の変動なんて微々たるもんじゃないか。ただ近親婚の場合ちょっと違う気がして、さっきも言ったみたいに「近親」というくくりで好きになったわけじゃなく、好きになった人がたまたま「近親」だった。だからもし次に新しい恋をするとしたら、多分必ずしも近親になるとは限らない。それなら近親婚認めない方が障害児が産まれるリスクも下がるし…と考えるかもしれん。「いや、他の人を好きになるなんて有り得ない!」って人もいるかもしれんけど、同性異性近親その他何でも同様に結局人間なんて大半は付き合っては別れ、結婚しても離婚し、どんなに愛し合っててもいつかは冷める。同性愛者見てても性別違うだけでやってることは異性愛者の恋愛と何ら変わらんからな普通にめちゃくちゃ別れてる。ただ近親しかり同性しかり、世間から反対されてる境遇だと共通の敵が出来てお互い結束しやすくなるというか、冷めにくいみたいなんはあるけどな。こんな書いておいて別に近親婚に対して反対の気持ちは特にない。まあ同性愛者にも自分の身に降り掛かってる差別には気づけるけどそうじゃない事には鈍くなる人もおるし、何より何十年もずっと同性婚や同性愛が認められるよう活動してきたコミュニティとか人間らやったら、やっと世間的にまだギリ許容の雰囲気も出てきたとこに突然さらに現状ヘビーな近親婚が「お前たち認めるなら俺らも認めてくれ!」って付いてきたら認められるハードルがまたグッと下がるリスクになるから一旦、とりあえず別個にしてくれとはなるんちゃう。
実際、同性婚認められたら近親婚の説得力にも多少はなるやろうし、下手に乗っかって同性婚認められる確率下げるよりは認められてから声上げていった方が個人的にはいいと思った。
プリキュアに男出てくるのショックすぎてそれどころじゃない。
タイトル通り。長いです。
親友Aは小学生から一緒に登下校したり、中学を卒業してからも頻繁に会う仲だった。
2年前に一度音信不通になり、心配はしていたがこちらも勉強で忙しかったのと、わざわざ触れるのも良くないと思って放置していた。
久々に連絡を取ってみると、AがODつまり市販薬の大量摂取を日常的に繰り返している近況を知り、本気で心配したし、もっと出来ることがあったはずなのに、と心の底から後悔した。
そして今年の8月に会うことになり、スシローでご飯を食べた。当日彼女は20分程遅刻してきて、謝罪の一言も無かった。
会話の中で「最近はB(小学校からの友人で、最近の親友)とよく遊んでる。昨日もスポッチャに行って筋肉痛がすごい」と話したところ、Aは「その人本当に嫌い、軽蔑してる」と言った。
どうやらBの素行が悪かったことを嫌っているらしく、思い返せば16歳の時にそんなことを言ってた気がするなと思いつつ、「昔はそうだったかもしれないけど、今は更生して有名な大学にも通って頑張ってるよ」とフォローした。そこがどうやら余計気に食わなかったらしい。
それからはあからさまに不機嫌になり、「増田って昔陰キャで社会性無かったのに」「増田って昔底辺オタクだったのに」みたいな嫌味を会話の節々に入れてきた。注意することも出来たが怒るほどの事でもなかったので適当に受け流した。
しかし、私は一年前試験で病みすぎてうつ病診断貰ったからメンヘラなってたわ〜と何気なしに言ったところ「増田はメンヘラじゃない、ブロン瓶ごと飲んだり骨見えるまでリスカしてから言って」と返され、自殺しようとしていたところからここまで回復する努力をした自分を否定されているようで、その点は癪に触った。
帰宅すると「Bのことマジで嫌いだから話すのやめて欲しい」とだけLINEが来ていて、Twitterもブロ解されていた。
で、Twitterは私とBの悪口で埋め尽くされていた。ないことないこと、被害妄想を書き込まれて腹が立ったので、Bに話をして2人で以下のような抗議文を送った。「誰がいつそんな事を言ったのか教えて欲しい。こないだも嫌味ばかりで会話の節々で私のことを見下しているのが透けて見えた。そうやって人を見下してしか自分を保てないから社会で挫折するんだよって今まで教えてあげれなくてごめんね。」それからはBと私はAという共通の敵ができて団結がより深まった。
それからしばらく、Aは静かだった。
その書き込みというのは、
•「増田増子(本名フルネーム)は阿婆擦れで中卒で犯罪者」←阿婆擦れと犯罪者は事実無根。訳あって高校に行ってなくて高卒認定を取って進学している。
•「B川B子は犯罪者なのに●●大学に通っている。こいつはいじめ常習犯だった」←犯罪者ではない。気が強い方ではあったかもしれないが、いじめをしたこともない。
•「こいつら絶対に殺す」←我々のこと
のような内容で、事実無根のことが多く、名誉毀損に該当するとのことで身の危険も感じた為当日中にBとともに警察署に駆け込み、被害申告をした。
一連の流れを交際者や親に話したところ、「頭おかしいんだから仕方ない。民事でも争うとかお前が卑しい」「増田が悪意を持って精神病のAを追い詰めようとしてる。それはダメだ、Aが普段から死にたいとか言ってなかったら俺も悪口言ってたかもしれないけど、Aは精神病でおかしくなっているからAが完全に悪いという話ではない」(これは、精神病だから他人に攻撃してしまう人は統合失調症でもない限りその人の生来的な気質のせいであり、精神病のせいでこうなっているのか、生来的な性格のせいなのかは吟味される事項で刑法39条的な考えを完全に誤解している。私も精神を病んだ時、うつだからと言って人を攻撃はしなかった、だからこれは本人の責任だと反論しているし今でもそう思っている)と散々言われ、徹夜続きでご飯もろくに食べれずこちらもおかしくなってしまい「そうか、なら私も精神病になれば悪口言っても許されるのか」と思い立って家にあった薬を大量摂取し、自殺未遂を図った。幸いにも通話中だったBが救急車を呼んでくれて、赤十字で胃洗浄をしてもらった。(ただでさえ医療が逼迫しているというのに、こちらのバカな行為で手数をかけたことはとても申し訳なく思っているし、もう2度とやらない)
Aは就職先や今のバイト先、私の交際者にこのことをバラすと脅していて、とても迷惑で一度ついた噂は弁解する証拠がない限り一生ついて回る。小学校、中学校で事実無根である証拠なんて、証言以外で集めることが難しい。そうなる前に対応を取らなければと思い、Aの母にも連絡を取り、増田家、A家、B家と親を交えて話をすることになった。(Aは逃げた。)
コメダでAの母親にAのツイートと、このTwitterがAである証拠を見せて、この内容が事実無根であること、警察が動く程の事態であることを説明した。どうやらAの母親もうつ病らしく、そのせいか未成年の子供の監督不行き届きの謝罪の一言も無く私関係ありませんみたいな態度を取るばかりであった。Aの誕生日にA、Aの母親、私で遊びに行くほどの仲だったし、お世話にもなっていたから悲しかった。
あのときこうしていればこうならなかったのに、という反省をこちらがいくらしても「いや向こうは精神病で頭おかしいんだからあなたたちが悪いんですよね?」と周りは責め立てる。
名誉毀損をされた側は非がないのに何で病んで自殺したりするの?と思っていたが、周囲に責められたり、追い詰められているということを軽んじてくる加害者でない人たちによって被害者は病んでいく。それに、堂々と犯罪行為をしてくる人間は何をしてくるか分からない。シンプルに身の危険を感じる。感覚的にはセカンドレイプに近いのでかも。
Aの代理人とやらも、一連の流れも知らずに我々が加害者であるという前提で話をしてきた。また流れを説明しないといけないし、ここでもストレスを受ける。司法書士というのはどういう仕事かあまり知らないが、どうやら被害者を責め立てる崇高な仕事らしい。
Aは普段自分が19歳だから何をしてもいいと言っていた。20歳の誕生日を迎えた我々のことを年老いたババアだと言っていた。
彼女が20歳の誕生日を迎える日が本当に楽しみだ。彼女の誕生日の日に、20歳がババアで19歳だから何をしても許されるというツイートを引用リツイートに貼ってあげたい。本気で追い詰めて、何かすれば前歴がつくようにしてあげたい。めでたいことに彼女の誕生日は私と交際者の交際記念日で、彼女は誕生日に自殺すると言っていたので本当にめでたい日になるかもしれない。
私としては、彼女の存在が就職の足枷にもなるかもしれないからいなくなればめちゃくちゃ助かる。
まぁこういう気持ちになるときもあるけど、普段は本当に関わりたくないし、慰謝料だけたんまり貰ってあとは適当なタイミングで死んどいて欲しいだけなんだよな。
そうやって負のエネルギーに支配されてしまったとには、父からの「増子の怒りは金で買うから、増子は自分のことに集中すればいいと思うの」という言葉を思い出してなんとか勉強に取り組んでいる。父からお金はもらって無いし、なんか申し訳なくなって。
精神病だから何でも許されるって吐き捨てたけど、そんなことないのは今回告訴手続きを進めていく中で実感したし、精神病だからなんでも許されると思っているのは世間の方かもしれない。もう一度言っておくが、そんなことはない。少なくとも、被害者が恨む権利くらいはある。
長文疲れた。ここまで読んでくれた人ありがとうございます。一旦終わり