はてなキーワード: 共生社会とは
私には夢がある。一つ目は、きらら系アニメの登場人物に障害者枠を設けること。障害者の日本国民に占める割合は約7.4%である*1。この現実をアニメに反映させるならば、きらら系アニメの1作品あたり平均登場人物数を仮に7人程度とすると、2作品に1人は障害者キャラが登場せねばおかしいということになる。当然障害者キャラに対しては合理的配慮義務が生じるから、例えば車椅子のキャラがいる場合はきららジャンプなどもってのほかである。厳しすぎると感じる方もおられるかもしれないが、芳文社が持つ社会的影響力の大きさを考慮すればこの程度の道義的責任は引き受けて然るべきだろう。共生社会の実現に向け、きらら系アニメにもダイバーシティを取り入れることを求めたい。
https://double-techou.hatenablog.com/entry/2018/09/21/070000
もう今の日本の政治はもともじゃねえのは増田も分かってるはずだ
はてなの意見を集約した公約を掲げ、自民・公明と立憲を叩き潰そう
・子育て支援の充実 保育園の増設 騒音でクレーム入れる老人は竹島に送る
・少子高齢化の解消 非モテの男性でも出産可能年齢の女性と結婚できるように弱者男性の賃金アップを目指す また弱者男性には毎月手当てを支給
・地方への交付金の廃止 田舎を残す道ではなく、都市と若者を豊かにする方向へ舵を切る
・IT事業振興 はてなブックマークを使いやすくし、世界に誇れるサービスにする
・共生社会の実現 マイノリティの権利を保護する 表現の自由(アニメ・マンガ)を尊重し、フェミニストの迫害からオタクを守る
ソース:http://www.jbaudit.go.jp/pr/kensa/result/30/pdf/301004_zenbun_02.pdf
2.未然防止のための水際対策及び情報収集・分析機能の強化 計43.37億円
・バイオメトリクスシステム顔画像照合機能の活用強化のための機器の取得等
・リスク分析に必要な事前情報の取得・活用(輸出入・通関情報処理システム等経費)
・保安検査の高度化
・けん銃の代替整備
5.NBC(核・生物・化学物質)テロ対策の強化 計23.66 億円
・特殊災害対応車両の整備
6.サイバーセキュリティ確保のための取組の推進 計0.43 億円
・政府機関における高度なサイバーセキュリティ人材育成のための研修の実施
・トラスティド・トラベラー・プログラム(TTP)に係るシステム開発
・計7事業(長いし多いので省略)
20.医療機関における外国人患者受入れ環境整備 計5.08 億円
22.国際都市にふさわしい景観創出等のための無電柱化の推進 計150.48 億円
・ 無電柱化の推進
23.外国人を含む全ての大会来訪者がストレスなく楽しめる環境整備 計11.28 億円
25.分散型エネルギー資源の活用によるエネルギー・環境課題の解決 計1885.95 億円
・計13事業(長いし多いので省略)
26.アスリート・観客の暑さ対策の推進 計373.33 億円
・余剰地下水等を利用した低炭素型都市創出のための調査・検証事業
48.対日直接投資の拡大に向けた我が国ビジネス環境の発信 計7.98 億円
51.大会における最新の科学技術活用の具体化 計176.24 億円
52.自動走行技術を活用した次世代都市交通システム 計8.90 億円
・戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)自動走行システム
53.先端ロボット技術によるユニバーサル未来社会の実現 計96.03 億円
57.「2020年オリンピック・パラリンピック」後も見据えた観光振興 計284.13 億円
(3)スポーツ基本法が目指すスポーツ立国の実現 計53.39 億円
・計18事業(長いし多いので省略)
CNN.co.jp : 「障害児の出生防ぐ中絶はナチスの犯罪と同様」 フランシスコ法王
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.cnn.co.jp/world/35121023.html
さすがLGBTにも寛容であり、リベラルな風土を実現しようとする法王である。
法王の危惧する通り、ナチスの再来だけは何としても避けなければならない。
カトリック人口が少ない日本としても、法王および国際社会と協調し、共生社会を実現すべきだと思う。
その一案として、胎児の中絶を全面禁止し、刑事罰化するのも良いかもしれない。
障害児だけの中絶を禁じ、それ以外は合法・黙認というのも理念に合わないので、ここは中絶全般の禁止が良い。
みんなで共生社会を築いていこう。
ただ、私がモテの条件としてわかりやすさを提示したのは、それこそ、感情が言語的表現に向いてないからなんだ。
私たちが私たちの感情を表現するのは、他者にしめすためだけでなく、自分自身を納得させるためでもあるわけで、そうなれば、わかりやすさというのは、愛の表現のしやすさ、あるいは納得のしやすさというのにもつながる。
だから、ルッキズムや、差別による愛の肯定と否定というものがあると私は考えていて、そういったものを無視して恋愛できるというのも実のところ、自由だの輝いているだの、あるいは夢があるだのというわかりやすさに依存しているのではないかと思っている。もちろん、これが後付けならなんら問題ないのだ。しかし、いざ恋愛やジェンダーを語るというタイミングでは、これを前倒しにして語らなければならない。そうすると、清潔感だったり誠実さだったりの便利ワードに頼らざるを得ない。
非モテへの助言が、常に的を得ないのはこのせいだし、さらには便利ワードを使い一辺倒に言語化することで、自身の感情さえも捻じ曲げてしまう危険性がある。もっといってしまえば、非モテへの助言が疲れるのはこのせいで、いったん納得した愛を再定義しなければいけないからだ。
でも、しかし、だとすれば余計に私たちは、これを言語化していくべきなのだが、どうも愛はずいぶんと歪んでしまったようで、非モテに愛が体現されるようになるまで、愛をたたき直すのは時間がかかる。しかし、誠実さはどうだろうか。清潔感はルッキズムに根差したもので、外見によって愛を得られない人々にとっては厳しい現実を見せるだけだが、誠実さは違う。
たとえ精神病であっても、単に性格が悪いのだとしても、誠実さを示すことはできる。誠実さは実に便利な言葉で、他人を思い行動するというただそれだけで、誠実と表現できる。疑念があり信用を得なければならないとはしたものの、誠実そのものは実はかなりシンプルであり、ツーカーで行える、分かりやすい概念だからだ。
私は、競争社会から脱して共生社会へと向かおうとする流れを信じたいし、それが私的領域にあっても評価される、性愛の対象になるという言葉をとても信じたい。それが男尊女卑やあるいは経済格差によるルサンチマンによるものだとしても応援したい。
だからこそ、例えばジェンダーを語る際に提示される誠実さというものについて語っていき、その実態が何かを考えていくべきだと思っている。内省という言葉を使ったのは私の政治的な意味があるのだ。私は、「誠実さによる性愛を信じているし、そう語ったあなたはモテるに足りうる誠実さを示すことができますよね」「そして、それが誠実さでない場合に、あなたのルサンチマンによって、モテる定義をやっぱり外見であったり、金であったりというのに引き戻すことなく、私の言う誠実が違ったのだ、と内省できますよね」という脅しである。
実際のところ、私は一般的な意味合いで誠実であるよう心がけているが、同時にとんでもない卑怯者だ。レトリック死刑令ができたのなら私はすぐに市中引き回しだ。だけれども、繰り返しになるが、誠実さによる性愛も誠実さ自身も信じている。苦しい。混乱している。
だから、利己的な言い方をすれば、人類でもなく、男性でもなく、非モテでもなく、ただただ私を救うためだけに、モテる誠実さの解像度を上げてほしい。像が見えた瞬間、私は嗤うかもしれない、あるいは信じた私を喜ぶのかもしれない。少なくとも今、目の前にある靄は晴れていくだろうから、私は少し前に進めるし、少し先のことも見えてくるはずなのだ。卑怯にも、あの手この手で、私利私欲を満たそうとする私を許してほしい。これを読んでいる人の気を楽にさせる為に言うが、私はモテない。こんな人間がモテるはずがない。それどころか、私の本性を見抜いたと報告してくるような変わり者は少ししかいない。友人が少ないということである。当然恋人がいた期間もほとんどない。その恋人だって、私の論を証明するのと、私の“性的趣向”を実証してやるためにやった実験であって、実験は成功したが、そのような誠実さに欠けた遊びの後始末は悲惨だった。ご想像にお任せする。
それでも私は誠実さを信じたいし、私のような人間でなくても、多くの人が誠実さを信じたいのだと信じている。みじめだが、実際そうなんだ。
両足の間に足がもう一本生えた醜い獣。男女お構いなしの性欲の塊。
この大元の増田に貼ってあったリンクに鏡のたとえ話が出てくる。自分が何の属性を負っているか、というのが鏡に見えるのだそうだ。女性であれば女性、黒人女性であれば黒人女性。男性には一人の人にしか見えないそうだ。私には鬼が見える。やせこけた鬼がそこにいる。人に良くすればよくなると、信じ込んでいる惨めな異形がそこにいる。
私は私の思う誠実さを示してくれたあなたに告白する。そんなこと重いよと思うかもしれない、自己憐憫に浸るなというかもしれない。けれど、私の誠実さというのはこれなのだ。この短時間のうちについたくだらない嘘を明かし、惨めな姿をさらし、伝わりにくい方法で真実を要求する。それが今のところの(歪んでいるのは承知の上だが)、私の誠実さなんだ。
○高橋紀世子君 これもこの間と重なって大変恐縮なんですけれども、私はこのことは大変大きな問題だと思っておりますし、どうしても共生の社会にとって一つの大きな要素だと思っておりますのでしつこく言わせていただきます。
今までの歴史といっても、歴史をひもとけば女性が天皇になったこともございます。私たちは、やはり精神的に男女平等だと、そういうことが大変大事だし、共生の社会を進めていくにも男女がそれぞれ役割を持って平等に働くということが大事だと思います。そのときに、天皇制がそれとまるきり違うやり方でやっているということは、私は、私たち国民に対して暗い影を落としているというか、不安定要素になっていると思いますので、またぜひお考えおきください。
それからまた、天皇の人権というと大変恐縮ですけれども、天皇は退位できません。どんなに望んでも退位することができません。それは皇室典範に、「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、」「皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。」、つまり皇室会議をしなければ天皇は何の理由があってもやめることができないということなんです。
これは天皇も人間ですから、天皇の人権にかかわる大きな問題だと思っておりますし、そのことはやはり天皇自身が望まれたときは退位なされるようにした方がいいと私は思いますけれども、いかがでしょうか。
○政府参考人(羽毛田信吾君) 現行の皇室典範が御指摘のように天皇の意思によります退位の制度を認めていないということはそのとおりでございます。
そういうふうになっておりますところのゆえんのものは、一つには、退位を認めるということが、歴史上いろいろ見られましたようないわゆる上皇でありますとか法皇的な存在というもののある種弊害を生ずるというおそれがありはしないかということ、それから、必ずしも天皇の自由意思に基づかない退位ということの強制があり得るということです。
いろいろ政治的な思惑の中でそういうようなことが起こるというようなことがありはしないかということ、あるいは天皇が恣意的に退位をされるというようなことになりはしないかというようなことを懸念をいたしまして、そういったことを挙げて、天皇の地位を安定させるということが望ましいという観点から退位の制度を認めないということに現行法なっておるわけでございます。
そういった皇室典範制度の制定当時の経緯というものをやはり踏まえていかなければならないと思いますし、さらに今、先生もちょっとお挙げになりましたけれども、天皇に心身の疾患あるいは事故があるというような場合につきましては、現在も国事行為の臨時代行でありますとかあるいは摂政の制度が設けられておりますので、そういった事態の起きました場合にはそういった対応をする制度もあるということを考えますと、現在の段階で退位制度を設けるというようなことについては私ども考えていないところでございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/153/0035/15311210035003c.html