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はてなキーワード: 共感覚とは

2015-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20151222195528

共感覚スピリチュアルとは無関係で、

単純に1つの刺激が複数感覚を生じさせる現象共感覚定義しています

音を聞くと光や色が見える現象は、色聴と言います

http://ist.ksc.kwansei.ac.jp/~nagata/synesthesia/explain/explain.html

入眠に近い状態なら脳内活動レベルが落ちていますから

脳内聴覚野の活動が、視覚野に影響を与えるというか、信号の混信が知覚されやすいのかもしれませんね。

眠しようと目をつむってるときに音がなると網膜で光が走る現象

パチッとかいわゆるラップ音?でもなんでもそうなんだけど、入眠直後や半分眠った状態ときに短い音が鳴ると瞬間的にまぶたの裏に閃光を感じることがある

う、まぶしって感じで音によって光の色もそれぞれ違う

それっぽい言葉検索したけど知恵袋くらいしかヒットしなくて、そこでは共感覚って書いてあったのだがぜんぜん釈然としない

そんなスピリチュアルな何かじゃなくてどちらかといえば条件反射錯覚に近い反応な気がする

この現象名前ある?

2015-09-10

私が乙女ゲームにハマった理由

乙女ゲーとは、女性向け恋愛シュミレーションゲーム総称

多数の魅力的な男性と恋をするゲームだ よく広告出てるよね

CM流れると、茶の間凍る、アレ



「いや、これがなければ結構真っ当な人生歩めてた気がする」

乙女ゲー片手に、たまにそう言ってしまう私だけれど、実は違うのだ。

ついつい好きなのに乙女ゲームにそう言ってしまう私はきっと万一、三次元彼氏が出来ても

周りに彼氏の悪口を吹聴する嫌な嫌な女なんだろうなあと自己嫌悪する。まあ彼氏できるビジュアルじゃねーんだけど。

私は俗に言う「変な子」だった。

赤より青が好きだった。小学校の頃、写生会のためクラスで画板を買うことになった際

赤と青の二種類が選べたのだが、私は青がいいと青を買った。

が、ほかの女子は全員赤だったため、届いた画板の色が一枚間違っていると騒ぎになった。

別に男性願望があったわけじゃない、サンリオの白い魔物シナモロールにどハマりしていて、

そのシナモロールイメージカラーが水色だったため、赤より青がナウいと思ってただけ

そんな些細なことなんだけれど、そんなことが重なって、だんだんだんだん周りと食い違ってきた

正直小学生の私はそこそこ可愛かったんだ 今は見る影もないけど

正直小学生の私はとっても優秀だったんだ、全校朝会で褒められるくらいには

いじめられたよね

いろんな頑張った手柄とか横取りされたよね

今では見る影もなく屑になった私が、いろんなこと理解した私が

「ああ、かわいそうだなあ昔の私」って思うくらいには、色々された。

あのころみたいに純粋じゃないから、いま「いじめられた私」は私じゃなくて

遠いどこかの可哀想なひとだと思ってしまう。思い出しても一ミリも悲しくならない。

私の小学校時代はあって無いようなものだなあって思う。

まあこんなこと書いたけど、やっぱり「変な子」の頭角幼稚園、いや乳幼児の頃から出てたんだ

うちのお母さん、私のこと、とっても大事にしてくれてた。今でも大好きだ。

私は幼稚園の頃、遊んでるおもちゃをそれであそびたいと言われたらすぐ譲るし取られても気にしないタイプだった。

からおもちゃを取る男の子のお母さんがうちのお母さんに

「こんなに弱かったらこの先どうしようもないわよ。うちの子みたいに強くならなきゃ」ってイヤミを言って来た時に

「優しい子を優しいまま育てて何が悪い!」ってちょこっとキレてくれたの、本当は嬉しかった。

うちのお母さんは、私を「にこにこ、ぽやぽや、やさしい良い子」に育てた。ちょっと家ではわがままだったけど。

人と違っていいって言ってくれた、私が青い画板が欲しいと言ったら「本当にいいの?」と一度聞いただけで買ってくれた。

私も「人と違う自分」に自信をもって生きてた。

いじめられた時も、一緒に戦ってくれた。お母さんは当時ストレスで禿げた。

まあ相手の親は「うちの子いじめるわけがない」とかだったし

3、4年の担任先生はうまく対処してくれたんだけど、5、6年の時の先生がま~いじめ対処下手で下手で

何故かHRで教壇にいじめた奴じゃなくて、私を出してどーたらこーたらしたりまあこれ以上言うと愚痴になるわ

って調子だったんだけど(当時の私はふええ><って感じでピーピーしてたけど今思うと色々酷い)

でうちのお母さんときめきメモリアルが好きだったんだけど(超唐突

ときめきメモリアルGSっていういわゆるときメモとは逆の逆ハーしてる

主人公が女でイケメン攻略する恋愛シュミレーションゲームPS2で出てた

出てたの気がつかないで数年経って、古ゲーム屋でそれを発見した母、中古で買った

母、もちろんハマった

母は私にやってみ?って勧めるけどあれR12から当時11歳だった私はできない

リメイク版がDSで出てたから、それを12歳の誕生日に買ってもらうことにした。

ごめん 恋色沙汰に一切首突っ込んだことないんだ

ときめきとか言われてもわからない 友人とそういう話したことなから

恋の話とか、マジでからない、っていうかいろんな話友人と話しても「共感覚」できない そもそも友人が少ない

ていうか恋以前に同年代の友人と共感することって超少ない

スーパーミラクルハイパースペシャルゴーイングマイウェイで生きた12年間(最後の3年くらい淘汰されてたけど)、

対人能力は5くらい(標準を100として)

そんな奴がときメモGSプレイするとどうなるか

葉月珪「・・綺麗だ、おまえ。・・・。・・・このまま俺と・・・。なんでも・・・。 」

葉月珪(作中の王子キャラ男性サイコーーーーーーーーーーーって感じに

なるよね、ならないか、少なくとも私はなった

これが恋のときめきか、これが、これがときめきかって胸に手を当て考えちゃったよね。

これが、物心ついてから初めて「周りと同じ感覚」を掴んだ瞬間だった。

今まで恋愛漫画を読んでもほ~~んよくわかんねえって思ってた、でも違うんだ

みんなこの胸がギュっってする感情!!!あーいう漫画読んで!!感じてたんだな!!!!!!!!

わかったぞーーーーーーーーーーー!!!!!理解した!!!!!!

幼き日の純粋な私、色欲理解するの段

その日からときメモGSは私のバイブルってか世間ってこうなんだ~とか一般常識判断基準になったし

「人と共感する為の感情の指標」はだいたいときメモGSから学んだ、自由に生きすぎてて全然足りなかったそのへん、ときメモGSで補った

ときメモGSがあったから、私はいま人の子として生活できてる。価値観的な問題で。

それと同時にその理解が、めっちゃくっちゃ気持ちよかった。

ついでに言うと、絵柄若干古いなって思ってたけど、あの、甘い言葉囁かれるのは、まんざらでもないというか

なんというかこう、初めて理解した「ときめき」ゲームの中の完璧超人ハーフモデル無気力)だから

理想ガン上がり 

恋愛できない

でもときめき感じたい

乙女ゲー祭り!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

との調子になった訳です 改めて見ると おかしいだろ

でも止められないんだ、あの胸がきゅっとなる感じ、もう一回どうしても感じたい

刺激が足りなくなって ヤンデレに走る中学校2年 おまえは おまえは薬物中毒者

そんなこんなで箱入り喪女の完成だーーーーーー!!

某国立のちょっぴり高校と違うところに進学して知り合いの男女のドロドロ見て、さら三次元嫌悪悪化

男女比5:1の学校に通ってるけど 彼氏できません 嫌悪とか以前に 美容に力入れなすぎてそもそもフェイスやばい

ソシャ系の乙女ゲーに成績大打撃 そして屑になる そしてひねくれる 純粋に育った分、ものすごいひねくれが16歳で来た

びっくりどっきり屑してる 寝て起きてTwitterやってソシャゲしてまとめブログ見てるブスしてる

でも、お母さんに孫の顔見せたいんだ。ついでにお母さんにいつか超楽させたいんだ。お母さん、大好きだから。まあ、元凶でもあるけど。

これから乙女ゲーやめるから

化粧もするから 美容に気をつけるから あとこれからクソみたいに勉強して成績超あげるから ソシャゲ乙女ゲーやる前より成績良くしてみせるから

今は無謀って私でも思うけど、第一志望にきっと入るから

部屋もきれいにするから、貯めてたレポートもすぐ出すから なんか なんでもやるから

お母さん、絶対見てないだろうけど、あの、がんばるから、応援してね。

もし、万が一見てても、恥ずかしいから「これアンタ?」とか聞かないでね。絶対


がんばるぞ!!!!!!!!!!!!!!

2015-09-02

さいこ幽霊みたいなものが見えた

厳密に言えば幽霊ではないのだけど、他の人には見えないものが見えていた。それを姉に相談したら、それはきっと霊感だよと言われた。だから、それを漠然霊感だと信じていた。今で言えば共感覚と言われるものかもしれない。だが、そんな言葉も知らない幼少期は、自分には特別能力が備わってしまったのだと思っていた。

ある程度の年齢を重ねてそんなバカバカしい物を信じているのはおかしいと考えるようになり、見えている自分否定するようになった。見えていても見えていないふりをするようにしていたのだ。それを続けることによって見えていないと思い込むことは簡単だった。

だけどつい先日、それは再びわたしの前に現れたのだ。白昼の社内、人一人分の影が室内をウロウロとしていた。誰の影かはよく考えないとわからないが影の形やその動き方の特徴をよく見ていると、なんとなくそれが誰の影かがわかってくる。

今日のそれは部長のものだった。それに気づいて部長の机に目をやるが、部長はいもの様に自分デスクに座って書類に目を落としていた。

その2日後に部長は急な転勤になった。周囲の人間入社して間もないわたしの前では一様に事情を話そうとしないが、どうやら会計不正があったであろうことだけは分かった。

新人のわたしに誠実な態度で丁寧に仕事を教えてくれた人だっただけに、ショックは大きかった。

わたしの両親はわたしが物心がついた頃から自営で雀荘を営んでいた。幸いながら営業が順調だったこともあり母親も深夜まで働いていた。

わたしは小学校が終わると家ではなく両親のお店に直行した。そこでご飯を食べたし漫画も読んだ。暇になれば近くのゲーム屋さんや本屋さんに行っていた。眠くなれば片隅のソファ睡眠をとり、仕事が終わった母親に抱きかかえられながら家に帰った。放課後の大半はそこで過ごしていたのだ。

そんなある日、突然店の中を歩く人の影を見た。はじめは見間違いかと何度も見なおしたが、それは確かにそこにあった。その一部の空間けが暗く、人の形に動いていたのだ。

それが誰かの影かどうかまで考えなかったが、その日の夜に信用していた従業員お金を持ち逃げしたという話を、数日後に両親がしていているのを耳に挟んだ。

それからというもの、度々お店の中で人影を見るようになった。大半は誰の影かわからないままだがその影が現れると従業員が金を持ち逃げしたり、お客が金を借りたまま蒸発したりといったことが起こった。

そのことで親にも相談したことがあるが当然とり合ってもらえることはなかった。それどこか、子供大人の事情に口を挟むんじゃないと強くたしなめられてしまい、それ以降は親に相談することもなかった。5つ年の離れた姉に相談したのはその頃だった。

中学に上がると時折学校でも影が見えることがあった。大抵はその日か数日後に長めのホームルームが開かれた。理由の大半は盗難だ。

クラスはいじめも当然のようにあったために、このことを友達に話すことをしないまま高校に進んだ。

高校と言っても地元公立校である。大半は見知った顔だった。その頃には毎日のように色々な影が見えたが、かと言って毎日学校で何かが起こるかというとそんなことはなかった。

そんな時、影の一つが見知った人のものだとわかってしまったことがあった。仲の良い友達の一人だった。本人に何かしら聞いてみようかと散々迷った挙句気持ち悪るがられるのが嫌であきらめてしまった。

その友達は数日後に学校を退学した。万引というよりも窃盗に近い犯罪だった。

そのことがショックでわたしは影の存在を認めることが怖くなってしまった。友人と話すこともなんとなく避けるようになり、例え誰かと話をしていたとしても足元ばかりを見るようになっていた。当然のようにわたしの周りから人は離れていった。

不思議なことにそうすることで影を見る頻度が減っていくことがわかった。影そのものが減ったのかどうか疑わしく考えていた時に、教室内で音楽プレーヤー盗難が発生した。沈黙が続くホームルームの中、わたしは一人で嬉しさを噛み殺していた。

それからも色々と試してみたが、どうやら普段から下を向いていればたまに顔を上げた程度では影がみえないことがわかった。くだらない事件は相変わらず周囲で発生していたが、影が見えなくなれば別に気に病むような事にはならなかった。

そうして非科学的なことを悩むこと自体バカバカしいと思うようになり、とくに意識しなくても影なんてものは見えなくなっていった。そのうち、見えていたことが自分思い込みだったのではないかと思うようになり、そうしてこの年までそんな話自体も忘れていたのだった。

部長の一件を含めて今になって考えてみれば、どうやら自分に備わっているのはその人の後ろ暗さを見抜く力のようだった。

幼少期から雀荘という特異な環境に身をおいていたことで、何の気なしに人の表情や行動、しぐさなどを見ている間に、その中から誰かから何かを奪おうとしている機微を見抜いていたのかもしれない。

から何かを奪おうとする人間はそれだけ周囲に対する警戒心が強くなるということなのだろう。この歳になってオカルトな話をするようで恥ずかしいが、その相手から感じ取った漠然とした不安が影として見えていたのかもしれないということだ。

先日、社内の男性に食事に誘われた。部長が転勤になってからわたしの教育を買って出てくれた2つ年上の男性だった。こんなこともあって学生時代に満足に人付き合いもしたことのないわたしは、断る理由もなくなく誘いに乗ってしまった。

ところが、その日になってまた現れたのだ。事務所の室内を落ち着かない様子でウロウロとしている影であるしかも、最悪なことによく見ればその影は食事に誘ってくれた男性のものだった。

誘いを断ろうか寸前まで悩んだ。勤務時間内で何か事件でも起こってくれれば自然と食事もなくなってくれるだろうと淡い期待も抱いていた。しかし何事も無く終業時間を迎え、結局断るタイミングもないまま彼との食事に来てしまった。最悪自分身の回りのものだけ肌身離さずにいればいい。食事が終われば用事があるなどと理由をつけてすぐにその場を後にすればいいのだ。

心なしか店に案内する彼から得体のしれぬの緊張が伝わってくるかのようだった。

はじめのうちは仕事はどうか、人間関係問題ないか、そんな当り障りのない会話をしながら食事を楽しんでいた。そうしてある程度お酒も進んできたところでふと顔を上げると、いまだかつて見たこともないような大きさの色濃い影が彼の後ろに迫っているのが見えた。

一瞬で酔いの覚めたわたしは身の回りの所持品に緊張を張り巡らせた。影の存在以前に、彼の表情が見るからに緊張していくのが分かった。

「こんな人の目がある中でまさか

次に起こることが予測できない恐怖から逃げ出そうとした時だった。

次の行動を注意深く見つめるわたしに、突然彼は向き直って口を開いた。

「も、、、もしよければ、また食事に来ませんか?というか付き合ってください!」

しばらくの沈黙の後、やっと状況を理解したわたしは大声を出して笑い転げてしまった。

なんと融通の効かない能力なのだろう。彼が奪おうとしていたものはわたしの所持品ではなく、わたしそのものだったのだ。

そんな違いさえ判断できないなんて、なんて愛おしくもぶきっちょな能力なのだろう。

そんなわたしの気持ちなど知る由もなくあっけにとられている彼の手を握りながらわたしは答えた。

「こちらこそ。「こんなわたし」でよかったら。」

彼の表情が緊張から喜びに変わっていくと同時に、大きな影も姿を消していくのがわかった。

2014-11-12

エスパーというほど超自然的な何かではなくて

国語リーディングが極まってくると、共感覚的な何かに触れることって、あると思う。

身近な例で言えば、

 ・小説を読んでいると、リアルに音声(会話だけでなく、砂利道を走る音、ざわめき、等々)が再生される体験をしたことがある。

 ・評論を読んでいると、キーワードが「光って」見える。

 ・文章を読んでいるとき、ふと気づくとあり得ないような速度でページをめくっている。ものすごく集中しているとき。そういうときは、

  どうやら、一語ずつを目で追っているのではなく、それを書いていた筆者の「意識の流れ」のようなものを追体験しているみたいな感覚

 ・短歌とか俳句に、ときどき「あり得ないほど」感動する。一瞬で映画を全部体験するみたいに、一瞬で感動が押し寄せて、去っていく。

 ・びっしりと文字が書かれた書類の一箇所のふっとした誤字に一瞬で目が止まる。「多分この辺にあるだろうな」と思ったところに誤字がある。

  音楽不協和音が一瞬にして感知できるように、言葉の波の乱れが一瞬で感じられる。

…などなど。せいぜい「セミプロクラスくらいの自分でもこういった感じはあるので、多分「プロ」の人なら、もっとすごいエピソードがあるんだろう。たぶん。

http://anond.hatelabo.jp/20141111133031

2013-08-06

最近読んだ本

先週、天童荒太の歓喜の仔を読んだ。

主人公男の子歓喜の歌を歌っていた。

次に、熊谷達也調律師を読んだ。

主人公共感覚を持つ男で、歓喜の歌合唱に関わるエピソードがあった。

さっき、今月の日経サイエンスを読んだ。

共感覚の特集があった。

次は何ですかね?

2013-06-05

アニメが好き」という人間に進むべき道なんて無い

腐女子やらなんやらで増田が盛り上がってるので自分も書こう


一般人

まず前提として自分アニメが好きだと宣言すると、もれなく「オタク」か「腐女子」かそれに近い分類だと思われる。

そして「可愛い(カッコイイ)キャラクター萌えてんだろ?」ってなリアクションをしてくる。

キャーキャーブヒブヒ黄色い声だして叫んでるのがアニメ好きだろうと見られるし、

異様にアニメについての深い知識を持ってるんだろ?みたいな感じになる。

これが非常にめんどくさい。


お前らがドラマ映画みる感覚アニメ見てるんだよダボが!!!!!!!!

一々登場人物に感情移入してる共感覚ビンビンおったち丸だけがアニメみてると思うなよ糞野郎が!!!!!!!!!



アニメオタク

アニメオタクに対してアニメ好きだよと宣言すると、今度は「●●って知ってる?」と挨拶のように聞いてくる。

その後はキャラクター談義や劇中の台詞の言い合いに発展する。

からなければ一瞬でにわか認定。

なんだこれは。


なんでディープな話題しらなきゃ速攻にわか認定なんだよ!!!!!!!!!

知識が無ければアニメ好きとしてやってらんないみたいな糞内輪乗りがアニメを狭いモノにしてんじゃねーの!!!!!!!!!???



そんなのはどうでもいいんですけど、

女のアニメ好きだと「腐女子」か「ノンカプ好き」か「ディズニーorジブリ好き」みたいな分類しかされないんだよなあ

単なる「アニメ好き」には辛い世の中すぎる

アニメ好きって宣言しても今のところ得が無い

一人で楽しむしかなさそう

きっとそういう人多いと思う

2013-05-09

共感覚? 説明できない嫌なこの感じ

嫌な感覚が、頭の中で何度も反芻されて、それで眠れなくて、益々嫌な感覚をなぞる。

これ、私だけなのかな? 幼少の頃から稀にあった。

他人に説明したくても、うまく言語化できない。

頑張って説明すると、

こう……一本の細い線を引きたいんだけど、

手持ちのペンはその何十倍も太くて、

思い描いた細い線の上から、太いラインを描いてしまって、「ああ…気持ち悪い」みたいな。

すごく嫌な感覚

頭の中で、その感覚を何度も何度もなぞらされる。

眠れない、嫌な感覚で眠れない。

幼少の頃は、この嫌な感覚が怖くて泣いて両親を困らせたっけ。

もう暫く、この感覚とはおさらばしてたんだけど、

コーヒー飲み過ぎて眠れない今晩中、ずっとこの感覚に悩まされて、思い出した。

ストレスかな…色々あって、最近ストレスはかなり感じてると自覚してる。

同じ経験した人いない?

これ、どう説明すればいいんだろう…抽象的?な感覚すぎて分からない。

風邪ひいた時にでも、ついでにお医者さんに相談したいけど、

どう説明すればいいのか分からなくて困ってる。

2012-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20121217134238

共感覚病気じゃないんで治療も緩和も研究されてないんじゃないかね。

なんか独特な色使いに応用できればいいんだろうけどね。

2011-10-16

ネット上での出会いについて考える その3

続いては、いわゆる即席のインターネット上の出会いではない、ソーシャルネットワーク的なコミュニティーを利用した話である

mixiであり、Twitterであり、ニコニコ生放送であり、オンラインゲームである

いわゆる「コミュニケーションを前提としたコミュニティーである

はっきり言わせてもらうが、これが一番出会える可能性が高い。

現に4人の女性出会い、うち1人とはお付き合いする関係にもなった。

もちろんその後振られてしまったのだが。だからこの記事を書いている。

出会いやすい背景として、やはり相手のバックグラウンドが多少なりと見えることだ。

mixiTwitterといったソーシャルネットワークは、そこのベースにしてネット上での基板を作ることになる。

まりその人が何に興味を持っていて、どんな趣味で、どういう人間なのか、文字情報だけであるが把握することができる。

前者2つとは違い、互いに意識することなく、理解していけるのだ。

無意識的に情報が入ってくるし、共通する項目も増えてくる。

その事による安心感と、共感覚出会いにつながると言えるのだろう。

しか重要なのは、非常に手間がかかるのである

あくまで出会いは延長線上の話であり、それは目的でないのだ。

ネット上でコミュニケーションを取る。そして運が良ければオフ会に発展し、運が良ければ付き合うことになるのである

その点前者2つは「女性自身出会いを求めている」ので非常に手っ取り早いわけだ。

この記事を書いている理由は、より効率よく出会うためにの方法であり、その点比較すると非常にコストがかかるわけだ。

半年かけて出会える関係を作れたところで、いざ会ってみた所でタイプではなかったり、波長が合わない可能性もある。

そして私が振られた理由は、性格が合わないということだ。

結びとして示させてもらうなら

結局人と人が出会うってのはリアルであろうが、ネットであろうが、難しいということだ。

そして結婚している人間、いわば私の両親は凄いということだ。

2010-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20100720015031

共感覚て初めてきいたので調べてみた。

うーんなんかこんなに魅力的でアーティスティックなものじゃないんだけどそうなのかなあ。

でも良く思い出してみると、

俺「~って~~ってよく鳴いてるよね。あれかわいいよねー」

友達「え?~~って普通鳴いてないでしょwwてかそんな鳴き声じゃないよww」

俺「え・・・」

みたいな経験かなりあるなー

多分気づいてないでアホ認識してるのがかなりある気がするww

今思い出したけど小学校のときそれで作文書き直しさせられたことあった。鳥と動物の話書いたんだけど、何々はこんななき方しませんって。すっげーヒネて書き直ししたわ・・・

http://anond.hatelabo.jp/20100720012948

一種の共感覚もちなんじゃないだろうか。

ちなみに自分ノイズパステルをこすったように見えるときがある。

2008-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20080625141210

高校国語」擁護派の意見を書いた増田より。今回はもう少し「文学」に話を振って、擁護してみるよ。

まず、プログラムについては大昔にプログラミングの基礎みたいのを独学で勉強した程度なのでBN記法とかは知らなかった。面白い言葉を教えて貰ったことに感謝したい。けど、一応論理学は大学で学んだし、法律のとっかかりみたいなのも学んだ。オレは「理想として」高校国語にはそれらが含まれているという話をしはしたけど、同時に高校国語授業に「現実問題として」それらが欠けているという増田たちの主張も、もちろん分かる。その通りだと思う。

ただ、同じく「現実問題として」言うならば、それをやらないのは多分生徒の理解を超えるからだという面もあると思う。年齢が一年二年違うだけで、同じ事柄に対する理解力が驚くほど変化するのがこの年頃だ。大人から見て「こんな簡単な理屈が…」ということが、子どもには全然分からなかったりする。「論理的な精神活動とは全く別の芸術ですよ、ということにして明確に区別したらいい」という意見も、確かによく聞く意見だが(以前2chの教育板で、これと全く同じ議論をしたことがある)多分「論理的な精神活動『だけ』を教える科目」は高校では科目として成立しにくいだろうと思うよ。個人的には、明治の初めまで日本人の「論理的思考力」は漢文を学ぶことによって鍛えられていたと思うが、同じ役割を英語に期待するのはやはり難しい(漢語はある程度日常化しているが、英語は(特に文字の面で)それほど日常的なものではない)と思う……英語の授業で民主主義の原理や自由・権利といった概念について学ぶというのはなかなか筋が通ってると思うのだが。

しかし、真に「異質な他者・異文化との出会い」や「自分を遥かに超える思想体系との出会い」と言うのが文学で学べるかというと、それはないんじゃないかなと思う。

学べたつもりにはなれるので娯楽としては成立するがね。

「異質な他者・異文化との出会い」に触れる経験なら実際に異文化に触れた方が早い。旅行に行ってもいいし、自分と違う階層の友達を作っても良い。

「自分を遥かに超える思想体系」がどう言ったものを指すのかは微妙だが、知りたいなら数学勉強すればよい。数学以外でも技術や物理でも良い。

芸術」と言う観点から見れば、音楽、絵画、スポーツほどのインパクト精神に与えることも難しい。

「実際に異文化に触れた」経験が無意味とは言わないが、「実際に異文化に触れた」結果としてひどい偏見を抱え込むことも別に珍しくない。そもそも日常的に「実際に」他人と触れ合っていながら我々は、相手がその内面に何を抱え込んで生きているかを理解しているとは言い難いだろう? 文学現実を分かったつもりになるのはキモいが、一方現実の体験の「方が」「同じこと」を「より効率的に」学べるという考え方もまた危険だと思う。どんな体験をしようとも、結局の所それを「解釈」するのは自分だから。つまり「学びて思はざれば則(すなは)ち罔(くら)し。思ひて学ばざれば則(すなは)ち殆(あやふ)し」(書物や人から聞いただけで自ら考えることをしなければ、実は何も分からない。一方、自ら考えるだけで書物や人から学ぶことがないのは、危険なことだ。)という意味でね。

また「言葉」というのは、一見共通OSのように見えて実は「出力が近似である」に過ぎない。だから、誰もが気づいているように「同じ日本語」を喋っているように見えて「理解しがたい」人間存在するのだ。初期条件として与えられた僅かなものをてがかりに、我々は一人一人自分自身のOSを構築して生きている。従って、一見同じに見える人間が全く異なるOSを積んでいても、それはごく普通のことなのだ。

そういう、OSの設計思想から異なる人間普通に身近に存在するにも関わらず、日々の生活の中では互いにその「出力」しか見ていない以上そのことに気づくのは難しい。「数学」というのは、完全に定義された一つのOSを巧みに操作する方法を学ぶことだと思う。それは確かに高パフォーマンスをあげることが可能な世界だが、そこで学ぶことができるのは「一つの」OS思想でしかない。もちろん数学史上色々なパラダイムが時代時代に存在したことは知っているが、しかし「互いに通じない言葉」を用いていたら、それは数学ではないだろう。その意味では数学は「一つの言葉」しか用いていない。一方「文学」の世界には、先に述べた理由で無限のOSがあり、つまり無限設計思想がある。たとえばオレが過去に感銘を受けた詩や小説の書き手は、オレに「(同じこの)世界をこんな風に見ている人間がいたのか」という衝撃を与えてくれた。それは自分自身のOSをくみ上げていく上で、また後々他者を理解する際におおいに参考になった。たとえば宮澤賢治の詩を読んでいたことが「共感覚」に対する理解を助けてくれたりした。

一方また、「言葉」を限界まで使いこなす実験を行ってきたのも文学の領域の仕事だ。論説文は名詞に、小説形容詞に、そして俳句短歌助動詞や助詞にどこまで意味を盛り込めるかの実験だと考えてみても良い。「もしフランス語に『郷愁』にあたる言葉があれば、プルーストが「失われた時をもとめて」を書くことは無かっただろう」という話があるが、逆に言えば彼の試みは、自分が持っている言葉では未だ語り得ない何物かに千万の言葉を使って迫ろうとした行為だと言うことができる。それもまた文学仕事だ。いわゆる有名な「ブンガクサクヒン」を授業で取り扱う意味というのは、究極すればここにのみ意味を見いだすことができる。自分が学んだ大学教授言葉を借りれば、時代を越えて残る名作の表現というのは「その時代の表現水準に挑戦した言葉」だと言えるからだ。凡百の「娯楽作品」と「芸術」としての言語表現を切り分ける場所があるとすれば、それはこの一点にあると言えるだろう。その意味で、いくつかのラノベ作品なんかは、「時代の表現水準を変化させ」「多くの人々に受け容れられることで後代の表現のスタンダードを為した」という正しい意味で「芸術」だと言っていいと思っているよ。

最後に、「音楽・絵画・スポーツ」の「本物」が清新に与えるインパクトはなるほど大なるものがあることは否定しない。けれど、その「本物」を全国全ての学校教室に持ち込むコストはどのくらいだろうか? そして、それと「本物の文学」を教室に持ち込むコストを比較してみれば、どうだろう。それでも、国語の授業は非効率的で不要なものと言えるだろうか。

まあ、こうして述べながらも、改めて「国語」の授業に期待されているものの大きさと現実との差違には打ちのめされるような気持ちではある。まだまだ、増田が触れていた「情報伝達」に関わる話とかしたいところなのだが、時間がないのでとりあえずここまで。

じゃまた。

2008-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20080214183625

前に、増田で、僕と似たような悩み?を書いてた人がいたんだ

その人も承認されたくてやってるみたいな感じで、僕も凄く共感覚えて読んでたんだけど、そのエントリに対する反応は散々なもので、それを書いた増田はどう思ったか知らないけど、それに共感した僕はどこかそれにショックを受けた。

バカバカしいとか、中ニ病だとか、そんな気持ちでやるなんて(ryとか、それじゃ永遠に身体もたないよ、とか、かわいそうな人だとか……僕に言われたわけじゃないけど、まるっきり共感してた僕にとっては僕に言われたも同然に感じて、ショックだった。でもそれが引き金となって本格的に考えるようになった。

確かに、皆が言う通りバカバカしいのかもなって。

別にそのエントリが原因じゃなくて、多分心の底ではうっすら思ってたことだったんだと思うけど。

何にせよそれから本格的に「確かにバカみたいかもしれない」って思った。そんな事で苦労するのって。独り相撲だし。際限ないし。

なんか、エジソンの例まで出されて凄く美化されてる気がするけど、僕が凄いといわれたいから、っていうのは、そんな大層なものじゃなくて、単純に「僕が」すごいといわれたいだけで、他者への暖かい気持ちがあるわけじゃない。ただ賞賛を得たいのは、それが「僕を」飾り立てるものだからであって、他人を喜ばせたいからじゃない。僕がいい大学いったのも、それで親を喜ばせたいとかじゃなくて単純に「あいつは凄い奴だ」っていわれて有頂天になりたいだけ。変わった趣味を持ってるのもそれが楽しいからでも他人を喜ばせたいからでもなく単純に「あいつあんな変わった趣味までもっててマニアックだ」とか言われてみたいだけ。単純に「こんな僕」に酔ってるだけ。要するに。その酔いを得るために他人の賞賛を求める、その賞賛を求めるがゆえに行動してるってだけで、そんな全然大層なものじゃない(現に、僕と同じ思いを書いた人は叩かれまくってたしね。僕の表現が悪いんだと思う。今もどう表せばいいのか分からない)。

2007-09-21

文章書く意義

他人の文章に勝手共感覚えるたびに、自分の気持ちも中途半端カタルシス迎えて萎んでいく気がする。

2007-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20070609162039

どうもそれとは一致しないことも多いという報告もある

もう1回貼っておくかな。=>共感覚 - Wikipedia

調の色

強い絶対音感を持つ人の中には、階名(ドレミ…)にそれぞれ(頭の中で)色が付くらしい。しかもそれがかなり人類共通らしい。ということは、調にもたぶん固有の色ってあるよね。

私はそこまでディープな絶対音持ちではないのでそういう「共感覚」体験は無い。最近音楽と取り組んでないから音感もどんどん衰えてるし。

http://anond.hatelabo.jp/20070609143201

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