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はてなキーワード: 六法とは

2009-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20090214233234

googleさんに判断してもらってませんかあなた。

普通判例六法も持ってるが・・・

2008-11-29

realiste0についての覚書

今日逮捕されたid:realiste0について、はてな民なら知っているかなとも思ったのだけれども、いちおう書いておく。

彼は、もう何年も前からはてな日記を書いていた。

http://web.archive.org/web/*/http://d.hatena.ne.jp/fer-mat/

2005年頃には、結構人気があったので、当時はてな民だった人は記憶の片隅にはあると思う。

2004年当時の記事を読んでもらえれば分かると思うけれど、東大生にありがちな、斜に構えた感じの、それでも普通学生だった。

民法択一

一周完了ヽ(´ー`)ノ

確か10月17日憲法が一周完了したから、二ヶ月弱で民法一周。ほとんど電車内で解いて500問。ちりも積もれば何とやら。民法一周終えた感想。難しいのは行為能力(保佐人だの成年被後見人だの)、担保物権法(根抵当だのなんだの)、不法行為に関する議論(共同不法行為における求償関係など)、取引安全(善意、善意無過失、善意無重過失などの要件が煩雑)。債権総論は思ったより難しくない。商法有価証券法に比べれば指名債権譲渡の議論なんて屁みたいなもの。契約各論も択一に限って言えばかなり簡単。

つうか商法マジ意味不。大体学生為替手形だの白地手形だの株式だの言われてもピンと来ない。その上、引くべき条文が膨大で、しかも改正が多すぎるから六法がすぐ骨董品になる。商法だけ差し替えられるならまだしも、商法が変わるだけなのに六法ごと買い換えるのは不合理極まりない。またせっかく六法が手になじんで愛着が湧いてきたのに新しいのに買い換えろとは人情というものを分かっていない。

http://web.archive.org/web/20041216010957/http://d.hatena.ne.jp/fer-mat/より引用

あまり彼を追っていたわけではないのだが、壊れ始めたのは卒業後?留年決定後?司法試験不合格後?

留年決定後から怪しくなり始めて、卒業後に決定的に壊れたか。

http://web.archive.org/web/*/http://d.hatena.ne.jp/leibniz0/

http://web.archive.org/web/*/http://d.hatena.ne.jp/revolu/

ネット上に彼の4年間の思考の軌跡が残っている。

人が壊れていく過程というのをここまではっきりと見ることができるものも、あまりないと思う。

2007-03-13

[]一般人と語り合えない教育学

http://anond.hatelabo.jp/20070313112314

これ、実によくわかる。

ブクマコメントにも書かれていたけど、教育というものは誰もが経験する――最初に教育される側、のちに教育する側として――が故に、誰もが教育について語ってしまいがちになる。しかし、「自分が語っている教育とは何なのか」については、案外みんなよく知らない。教育学をかじったことのある身としては、そういう「よく知らない」人たちの話が聞くに堪えないことはよくわかる。

だがしかし、だ。

「せめて教育六法読んでから出直して来い」、「そういう話がしたいなら学問的なルールの上でお願いします」というのは、ちょっともったいないんじゃないかな。

もったいない理由は次の2つ。

(1)「**でなければ語る資格はない」という言説になってしまっている。

この場合は、教育を語るには教育学の基礎知識がなければならないという議論になっているのだが、果たしてそのようにして語る資格を囲ってしまってよいのだろうか。

確かにうんざりするような主張は山ほどある。でも、それだって立派な意見とは言えなくても情報資源にはなる。なぜそういう主張が出てくるのか、それらをどう手当てすればよいのか、考えるニーズとヒントがそこにはあるはずだ。

(2)教育学部教育を放棄している。

あなたが教育学の素養を持っていて、議論の相手が教育学の素養を持っていないとしたら、ここには知識の不均衡がある。つまり教育へのニーズとチャンスがあるわけだ。ならばあなたは相手に教えることができるし、そうすべきなんだ。相手の主張は教育学的にはどのように問題なのか。教育学の世界は世の中の問題をどう捉えているのか。そういったことを、噛んで含めるようにして教えていく必要があると思う。ほら、医療の世界でも患者への説明が求められてるでしょ。あれと似たようなものです。

相手の視野の狭さを嘆くのなら、もっと見晴らしのいいところに連れて行ってあげればいい。それはとても難しいし、うんざりしそうになることだけど、やってみる価値はあると思う。

教育学を知らない一般人と話すのは疲れることだろう。でももし「教育六法読め」なんて突っぱねられたら相手はどう思うだろう。それこそ「俺たちの感情も経験も知らないで、ホーリツやらガクセツやらにかまけて、その上俺たちを見下しますか? 誰がそんな奴の話聞くかよ」って、ますます話を聞いてもらえなくなるだろう。そして、教育にまつわる居酒屋談義が続くことだろう。

教育についてウンチクたれる中年の方々にうんざりする

数学科のひとに、数学でケンカしたいと思いますか?法学部の人に、日本法律についてウンチクたれたいと思いますか?

……なんで教育学部の人に、教育に対してケンカを売ろうとする人が多いのだろう、と思います。居酒屋レベルでないところで教育についてウンチク垂れたいなら、せめて教育六法読んでから出直して来い。社会教育学校教育と生涯教育の違いくらい自分で定義できるようになってから文句を言え。

教育学部にいると、最近教育に対する不平不満をなぜか「分かってないお前らに俺が教育してやる」といわんばかりの上から目線で、まるでそれが世界の常識のように語る人がいるのでうんざりします。

私達が勉強しているのは、教育学、なので、そういう話がしたいなら学問的なルールの上でお願いします。

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