はてなキーワード: 公証人役場とは
1浪してようやく受かった某私大(MARCHのどれか)を卒業したのが2000年3月
就職氷河期真っ只中ということもあり、東京での就職を目指したものの数十社以上お断りされ就職を断念
地元に戻り親のコネで就職を世話してもらうも人間関係に嫌気がさし3ヶ月ほどたったところで退職
その後は実家のそばに建っている親が経営するアパートの1室に住み無職生活を送り20年が経過した 家賃は当然払っていない
バイトもしていないが、相続税対策として親から毎年120万円の贈与を受けているので毎月のお小遣いとして10万円使うことが出来る
あくせく働いて年収4~500万円のサラリーマンよりも自分の方が幸福度は高いのではないかと思ったりもする 実際は違うんだろうけど
【追記】
・税務署大丈夫なの?毎年120万円だと定期贈与になるんじゃない?
⇒税理士の指導のもと、毎年贈与契約書を締結して「後から遡って作成したんじゃないの?」と言われないよう公証人役場で確定日付を取ってるので多分大丈夫です
・生活費としてならもっと援助してもらえばいいのに 親族間の生活費なら無税扱いなのでは?
⇒父親が確定申告(青色)してますが、私は家族従業員として年間60万円の名目上の給与を得ています(これと贈与分合わせると実際の年収はゼロじゃなくて180万円ですね すいません)
そして親がそのお金で私の国民年金や健康保険料その他を払ってくれています(支払を私任せにした結果過去に滞納したことがあるので、親が全て支払う形式となりました)
⇒買い物にはあまり行きたくないので、コロナ以前から食べ物飲み物に関しては親が加入している生協で私が欲しいものを注文し、親に支払してもらっています
・相続税払えるの?
⇒親が一括払込型の生命保険を契約済で保険金受取人は私になっているので、相続税についてはそれで払いなさいと親から言われています
自分は一人っ子なので父が亡くなった場合の相続人は母と私だけです
銀行との契約の際、父が高齢ということで法定相続人として契約に同席させられ色々説明を受けたことがあり、そこで大体の父親の資産全容も把握出来ました
・何かやりたいことないの?
⇒「パチプロ日記」を読んで故田山プロに憧れてパチプロになろうと思ったことがありましたが、毎日パチンコを打ってたら腰痛が酷くなり2ヶ月で断念しました
デイケア・デイサービス、特に男の人は「知らない人とぺちゃくちゃおしゃべりする」ってスキルがあまりないし、
だんだん体が衰えて自由がきかなくなるのも大変だけど認知症はほんと怖いよ。
症状は人によるけど、家族からしたらだんだん別の生き物になっていくような、うすら寒い感じ。
ご両親は老後のことを考えてらっしゃるようならば、公正証書遺言書を作成されるよう、ぜひ話をしてみてください。(すでにご準備されていたら、ごめんなさい)
ネットで情報を探し必要書類を揃えて公証人役場に相談するってルートで、自分でもスムーズに作成できました。
一度は親本人が役場に行く必要がありますが。ボケる前にやっておくことが必要です。
起業して1週間の間にあっためんどくさかったこと(主に事務手続き)について書いていきます。今後起業するかもしれない方の参考になれば幸いです。
起業の手続きはお役所相手なので現金が必要になります。普段はほとんどの支払いをクレジットカードかSuicaで済ませているので、現金を持ち歩く必要があるのはめんどくさかったです。
なかでも、公証人役場での定款認証手数料(5万円)、法務局での登記に必要になる印紙代(15万円)は高額で納得感がなく、精神的につらいものでした。
あとこれは事前におろしておけばいいのですが、東京法務局周辺にはATMが全然ないので、お金が足りなくなったときは大変めんどくさいです。
現金の用意とも似ていますが、お役所とのやりとりは紙とハンコになるので、直接出向く必要があります。お金を払えば一部代行もしてもらえますが、起業直後はなるべく節約したいところです。
・登記の申請 → 法務局へ(申請受理後にまた行かなければいけない)
これらが全部てんでバラバラの場所にあるので、移動が大変めんどくさいです。「起業申請所」とか作って、全部一括でできるといいなと思いました。
3.わかりにくい書類との格闘
私は人間同士の仲が悪くなる原因はざっくり言うと「同じ事象に対して、異なる解釈をしてしまうこと」にあると思っています。
そして起業関連の書類は、違う人が見たら違うふうに解釈してしまいかねない作りのオンパレードという印象を受けました。
たとえば、ここで指示されている「印鑑」とは、いったいどの印鑑のことなのか…社印か?代表の実印か?などなど。
結婚したいと思って色々頑張ってきたけど、結局上手く行くことは無かったので、副業として株式会社を設立した。
子孫を遺せないのなら、法人を遺せばいいじゃない。
有能な人や恵まれた人は、両方遺せばいい。
さて、本題。
起業するにも結婚するにも、ハードルはそれなりにある。どのようなハードルがあるのか、ここで徹底的に比較しておこう。
項目 | 結婚に必要なもの | 副業での起業に必要なもの | 筆者の状態 |
---|---|---|---|
初期費用 | 式を挙げるために100万円単位の資金が必要 | 登記するだけなら30万円あれば十分 | 100万円出せないことはないけど、つらい |
拠点 | 2DKとかの家に引っ越す初期費用と維持費が必要 | 業種にもよるけどバーチャルオフィスでOK。月1万円もあれば十分。但し自宅は1DKとかのが別に必要。 | 2DKのとこに住むの、つらい |
設備投資 | 家具やら何やら用意する必要がある。100万円単位の費用が必要 | 業種による | コンピュータと通信環境があれば成り立つ業種なので、起業の設備投資はほぼゼロ |
外見 | それなりの外見が無いと相手を捕まえるのが困難 | 公証人役場や法務局への立ち入りを拒否されるような外見でなければ大丈夫(すなわち、どんなに醜くても大丈夫) | 結婚は難しいけど起業は大丈夫 |
家族 | 問題のある家族が居ると、なかなか困難。絶縁状態であっても相手の親からは不審な目で見られてやっぱり困難 | 問題のある家族が居ても、不法侵入や窃盗、強盗、殺人、その手の被害さえ受けないようにできれば起業は可能 | 攻撃的な家族が居て、やっぱり結婚は無理。刑法に触れる家族を容赦なく警察へ突き出すことで起業できる環境を作ることができる。 |
人間関係 | 証人を2名確保する必要がある。通常は家族。 | 取締役を自分だけとするならば、他人の承認は一切不要。 | 家族がゴミなので、通常の方法では結婚できない。 |
収入 | 外見が悪いのなら、年収800万円以上無いと難しい | 自分個人が生きていけるだけの収入があればOK。年収300万円もあれば良いのではないか。 | 本業の年収は500万円くらい |
休み | 土日休みじゃないと相手から良く思われない。諸手続きのために何日間かの平日の休みが必要。 | 曜日や時間帯を問わず、活動できる時間があればOK。登記のために何日間かの平日の休みが必要。 | 本業は土日休みとは限らない。結婚は難しい。 |
会計 | 家計を管理できるだけの知識が必要 | 少なくとも簿記2級くらいの知識は無いと厳しいはず。 | 簿記の勉強中 |
恋人になる の表現だと 人を恋する状態に持ち込むよう努力は自分でできるわけじゃん
なんで恋愛が両想い前提なの?
好きになった相手がもしいたとしてさ
恋人が産まれる でもややあたりだろうけど
そういうポストの人物になったときのことを 恋人 って自分が表現するのだったら
そういう役職に任命する 職務担当者を配置するみたいな表現として
恋人を作る
ってわけじゃないの?
課長や部長も なるべくして生まれてきたわけでもそういうポジションに流れ着いた人種でもなく
自分が だれかを 恋人 ってポジションに振るのはかってじゃん
つくればいいじゃん
相手がなってくれるかとかはわかんないじゃん
とりあえず 恋人 ってものを自分は作るところがないってことは
うちの会社には課長ってポストはない 課長って仕事ができるような世間でいう人間だったとしても
うちは 課長 っては呼ばない おまえはあくまで佐藤であって 課長じゃないだろ みたいな本質?
とかみたいな感じ?
恋人にするようなことをしておいて 「おれたち恋人じゃないよな」 とか哲学かたっちゃうかんじ?
たとえばさ 伝票処理して教育できてチームを率いたら とか 5年勤めたら 課長 ってあるとするじゃん
恋人のつくりかたって キスして 手つないで 映画みて おなじところでわらう ってすると
それする相手が 恋人なわけじゃん
公証人役場で交際証明書とかつくって印紙はらないと 恋人ってなれないかんじ?
それでなれたとしても 印紙はるのが 作り方 になるだけかもね
①
>これはそういうゲームなのです。
ゲームは現実を基礎として可能性や実現度に関して人間の知覚において擬似的に体験させることで快楽を得る嗜好の形態です。
現実がゲームに似ているのではなく、ゲームは現実を基礎として現実の世界において存在できるように作成された商品です。
ゲームが現実の下位クラスであることを認識するには大人になって感覚による知識などを得ることが必要ではないかと想像されます。
現実のルールを基盤にしていないゲームがなにかひとつでもありますか。
たとえば「夢」は現実にはいまのところ存在していませんが、夢と似た構成のゲームがありましたか。
「Aさんに声をかけたらBさんだった。Bさんはカエルで、私は橋を渡ろうとしたら足元が崩れてちがう商店街に移動して、お店で飲み物を買おうとしたらそこは実家だった。実家は農家でまわりに民家はなく。」
みたいなストーリーを自分自身がたった一人体験したという以外の話を、夢という記憶に近い情報を共有できていない現在の段階で聞いたことがありますか。
現実のルールを基にしてはいますがそれをゲームという感覚で共有しようとしている行動自体が「夢みたいなもの」ではないですか。
あなたの夢見た世界を現実にする手段としてはゲームがあると思いますが、世界はオーナーもメーカーもユーザーも無いですよね。
世界を支配しているのは特定個人だ、という「夢」も抱くのは自由です。それをおしゃべりして受け入れられる友達は、社会に出たら数が少なくなっていくのではないでしょうか。
②
>これから数十年後、日本の子供達は公務員の家族の子供がメインになります。
匿名掲示板で自由を謳歌されているようですが、匿名なので個人について意味はありません。どれが僕の文章ですと開示いただいた分だけをまとめとして情報を総合的に得ますがさらに他にも文章があったりまたは他人の文章を項目に加えても判りようがありません。
それを踏まえて匿名の方が特定個人や団体を指摘しても「フィクション作品にでてくる団体が実在しているか、またはそれらを具体的に指摘しているものか」という価値観には疑問を匿名である私個人は抱きます。
もちろん今後それが発生するか、その市場規模はと思い図ることができる情報でないことではあります。歴史上成功例があるから効果があるだろうというのは意味の無い発言ということになります。
では転じて意味のある発言と考える候補とすると「歴史上成功した例を私が実際に取り組み始めます。この結果がでることは自分は確信しております。」ということになります。
実行すること自体にのみ「意味」という他人の評価を得る結果を生成します。
行動すれば結果はでる、だがしないまたは行動しても結果は目に見えているという情報そのものはその時点で情報としての役割を終えている末端消費商材ですので、情報を得た時点で取引が終了しているものと同等の価値、転売時にどれほどの価値になるであろうかと考えます。
特定の業界を席捲した成功者がいかにして市場の全てを掌握できたかという伝記本を情報として販売したとしても、その業界にはもう他者の立ち入る隙は無いという裏づけ情報を手に入れてもその市場に入るための手段に自身の研究として使う以外、転売したりするときに本の値段以上の価値が発生するものでしょうか。
これからの時代、これがメインになる、これが大多数になるであろう、こういう流れになる、はどの業界のどの部分がどういう方向になるのか、ただ大きなタイトルをもってきて「こうなる」というのでは「大きな船は遠くまで旅ができる、しかし小さな港につけることはできない」といったなにやらすごい発言のようですが実際の船を所有するオーナーはそんな名言を教えていただかなくてもわかっている話で実際そういった条件を前提に行動をされていくことと思います。
この文章をはじめ、なにがどうなるというのを行動もせず発言すること批評すること、批評について賛同者に実行者を含めない場合または評論自体が感覚として自身が認識したことを羅列するだけでは「自分の感覚を自己紹介しているだけ」ということになります。
自己紹介自体には自己という存在を相手に知らしめることとして十分な意味がありますが、匿名である状態での自己紹介にはなんら意味はありません。
②が文章の大半を占めるので、お伝えしたい内容のほとんどになりますが最後に
日本、世代、現実、経験、理論などはご感想に述べられていることについてご自身と、お話をされていることとに一切関係がありません。
世界のなにがどうなっても、いつもどおりの仕事をしていつもどおりのお給料をもらって、いつもの買い物にいったらいつもと違っていてショック、ということになるかと思いますがご自身には変化が一切なく供給されるものについての変化にご自身が感想を抱くだけで、それはご自身単体の感想です。
「世界が変わったのにみんな何にも思わないのかよ俺だけが世界の異変に気付いているのかよ」とかフィクション作品にまみれているという雰囲気がまた未成熟さを感じさせるのだと思いますが、大人になればそこまでピュアな心を維持できません。
他の方がとくに顔色を変えずに消費税が割り増しされた商品を買っていく様子をみて「社会がおかしい」とかよりも自分の家計と会社の残業時間を鑑みることなどを一例にしたいと思います。
自分の残業時間で生産された商品が流通市場の何割り増しになってコストをいくら下げて売上がどれほどあがってそこからの納税分で社会サービスがいくら向上して社会がよくなるとか、考えなくても日々の業務を懸命にすることで成果はでるはずなので考慮する必要も意味もありません。
そのうえで労働と対価と社会性についてご自身の環境を疑問に思うことがあれば、発言の方向性はまたちがったものになるのではないかとおもうところから「社会生活が充分ではないのではないか」という感想を受けることになるのではないでしょうか。
総理がバカで右翼で経済が滞って日本人の意識が低くて戦犯で商品のレベルが下がった、とそういう見識をお持ちだとお話をされてなにがどうなるのですか。
だれが、どうするのですか。
ご自身が満足する以外に、ご自身が満足するためだけに自分のストーリーを人に「そうだね」といわせしめんとしている以外が、なにか文中に存在していましたか?
教育現場では「うんそうだね」とは言われなくても実際に今後行動する指針や論理の基盤としての知識をできるだけ記憶の引き出し上部にもってこようと繰り返し伝達したり、行政は「うんそうだね」という書き込みだけではなく実際に生産、消費、成長を促すことを紙切れに書いた文字や電子の塵にしないように印紙をはりつけて価値のある物質として約束を物質化したり発言を物質化したりしていますが、末端で消費する個人は自身の時間や身体能力などを消費して自分自身を切り売りしなくてもよい備蓄を得て、それを交換に他人の生産物と交換していますが、ご自身は消費するだけで他人から金銭を必要とするような生産、再利用性や価値を文中のどこに含まれていたかを考えて、「無料で匿名なのに再利用価値がある情報だ」という評価を一人の対話者から得ていることで「一人からは義務教育以下の消費行動である」と認識されている可能性があります。
世界に問題があふれているなら、解決してください
それをしている大人がわるい、というならだれが悪いのか、だれと話をしてどういう方向にすすめれば問題は解決するのか、個人名または団体に発言者ご自身が依頼できる数の案件を挙げてみてください。
たとえば、日本は最低でなんの価値もなくて失敗ばかり、なら日本以外の成功している国に移住してください。
移住できない理由について、移住を許可しない人間の名前と、移住を許可するための条件を教えてください。
移住先が見つけられないのであれば、日本よりよい国の条件を挙げてみてください。
また日本をよくするのであれば、誰がどうするかという意見はもちろん重要ですが、その人たちを動かすための方法とコスト回収方法を教えてください。
それらを解決しましょう。
移住したいがお金がない、とかあるかもしれませんがそれならお金を稼いでください。
どうやったらお金がかせげるか、それをご自身で考えるのは大人であれば必要だと思いますし、しろといわれたことをするのであればご自身の生活を24時間ソーシャルメディアで流せばいいのではないかと私は意見します。人にいわれたことに隷属しねぇ、とか言われるのでしたらご自身で考えてください。ご自身でお金の稼ぎ方が思いつかないのであれば、それがご自身の「国内での価値」なのだと思います。
「そういうのはわかんないんだけど、雰囲気として自由じゃないなーってゆうか、なんかもっとでかいことしたいし。俺を満足させられない世間って、俺さえも満足させられるようにするってことが社会じゃない?」
とか、権利は主張して責任、責任といっても「なにかしろ」という命令ではなく「自身に対する入金先の明示と、交換する有価物の項目を明示する」ことを責任と称しその責任を放棄している状態を「中学生みたい」と言われているのではないでしょうか。
買えもしない車の乗り心地を評論したり、いやなら出て行ける店に居続けて文句をいったり、こうするともっとよくなるという意見について実行内容に一切加担する要素がない状態のことを「きみのその行動をもし実際に行うとしたら、君ではできないので他に代理として行う人がいるのか」という状態を保護者つきという状態と表しているのではないでしょうか。
大人さんの方でしたら「税金、おさめてるし」以外の社会参画とご自身で取り組める改革についてご意見を発してみてはどうでしょう。
子供の方でも税金は納めてらっしゃいます。もちろん保護者の方のお財布から。
保護者の管轄化にあることが「子供」と評価される基準で年齢や容姿ももちろん含みますが「親に生活を維持してもらっている状態」を何歳になっても「子供」だと評価されることもあると思います。
子供である場合は「保護者の生活がよくなりますように」といった意見の出し方が理想的という基準からも「子供」と揶揄するにあたって、評価者の見解から小学生やら中学生などといった表現をすることがあるかもしれません。
仕事もお金もなくても、デモには参加するとかいう人も、いると思います。
行動だけじゃない、言葉にも意味がある、というのであれば公証人役場にいって印紙を貼るべきです。
有料サービスのWebメディアを使うことでも、それなりに価値はあるのではないかとも、思います。
この「私個人」という匿名の相手に対して一言一句、ご自身の感想を述べるのはご勘弁いただければと思います。匿名の私とあなたがなにをどう交流してもお互いにも閲覧される状態にも何も意味がありません。
私自身も、匿名のアノニマスダイアリーという日記をつかって自分の文字を自分のために書いただけであって、お返事を全文引用されて書かれても拝見できませんしお返事も差し上げることができないと思います。
もし返事をされても匿名ですので、返事を「送った相手からの反応」という事実としてお返しすることができません。
もちろん「私はこの文章があなたのものだと確証しているので、こう書いた」と「日記」に「自分の思い」を書かれるのはご自由です。
重ねて「そんなことはない、俺は大人だ。」という主張をする方法として挙げたいのは「ご自身の社会参画と憂思する案件に対するご自身の取り組みの紹介」を用いるで、指摘された「存在理由をビーコンのように発するのは出席簿に返事をする学生みたいなもの、哲学的にハイと返事しようが理化学的にハイと返事しようが大人は子供の夢想をにっこりわらって処理するだけ」を回避できるのではないかと、私は思います。
人に見せたりしない日記に、誰かや何かに対して、どうしたほうがいいとか、書いたりしたこと、ありますか。
匿名の日記が「日記」であることは、ご自身のためだけに記録する媒体であることを意味するにちょうどよいタイトルなのではないかと感じています。
アノニマスダイアリー自体に閲覧数が多いからそこに便乗して自己を個人として紹介していっても、だれにも見せない日記に本当の俺はちがうんだといくら書いてもというそれに似ていませんか。
世界を変えるにはまず自分から、その自分のために自分以外の書き込みもある日記という存在はなんだか有効に活用できそうではないかと、私は感想を持っています。