はてなキーワード: 公共性とは
事務所が「黙認」してただけでも非常にアレなんだけど、致命的なのは次の2点。
事務所とは別の場所(たとえば帰宅途中の路地裏とか)で犯罪しまくってたならともかく、事務所とジャニー喜多川の性犯罪は密接に繋がっていて不可分のものだった。ジャニー喜多川が美少年を集める事務所を立ち上げ、その事務所の知名度を利用して美少年を集めて事務所のブランドを利用して少年やメディアに圧力をかけて行為を受け入れさせたり黙らせたりしていたわけで、そんな人物の名前をいつまでも冠していたら反省してないと思われて当然。最低限、会社名からジャニーの名前を消すべき。
さらに、事務所のスタッフがジャニー喜多川の犯罪を、黙認ではなく支援していた可能性がある。たとえば彼の「合宿所」までタレントたちを送り届けたり、鍵を渡したり、そういった行為だ。そうすると、これは事務所ぐるみでの犯罪になる。「創設者が性犯罪者」なだけなら世代交代で禊ができるかもしれないけど、「会社そのものが組織的に性犯罪をしていた」はいくらトップが交代しようが無理だろう。船場吉兆は食べ残しを使いまわしてたせいで潰れたよ。風呂の湯を替えてなかった旅館はどうなったっけ? そのくらい厳しい扱いを受けてもまったく不当ではない。銀行や電力会社なら公共性の名の下に救済されることがあり得るかもしれないけど、芸能企業だからそういう方向での公的救済は不可能だろうし。
「我慢のし損」ってなんだよw もしかして、彼らの地位は性犯罪を我慢する対価として得たものだから取り上げるのは不当とでも言いたいの?
そんなに被害者の救済のことを気にするのであれば、彼らが別の会社を立ち上げたり別の事務所に移籍したりしても、ファンが彼らを支えてあげればいいと思うよ。
本当それ。公共性とかある程度常識を弁えて、知性が感じられる文章で読み手が面白いと思うものじゃない、うちわ受けに近いノリを媒体が産み続けたから人が離れて行ったんだと思う。
自分の場合、超保守的で、家父長制思想の高い文章が全然関係のない脈絡で出てくると、雑誌や媒体そのものの団体としてのメッセージで捉えるし、それで被害を受けている人たちを無視する思想がすごく疲れるので二度とその媒体買わない。
ジェンダー思想とかっていうけど、結局彼らの考え方はいかに弱者を作らないかとか被害に合わせないか、人を階層化してしたのものを踏み付けないかという事に配慮されてて、持て囃されるのもわかるし、そういうポリシーを持った媒体から出る情報は非常に読んでいて楽。ただ、男性優位思想で仕事やってた人がたくさんいる旧来の業界ではそういう思想が持てるライターが日本にはすごく少ないし、教える方も少なすぎるから尻すぼんでいくのだとおもう。
まあ身から出た錆だよ。
それは民事の場合。警察の場合に発行されるのは「捜査関係事項照会書」という奴で来る。
刑事訴訟法で定義されている手続きなので、これが来た場合、さらにプロバイダ責任制限法の扱いでも無条件に開示して何ら罪に問われることはない。
そのまま開示するのが普通。
もちろん令状ではないとして拒否することは可能だが、これに応じなかったら普通に令状が来るだけ。
そんで、下手に隠蔽の意図があると思われると、サーバやコンピュターの物理的押収といった事にも発展しかねないので、紹介書が来た時点で応じるのが普通。
暇空は訴状を書くことを前提に発言しているから、それに並ぶやつがいるわけないが。
でも何号証拠とか証拠をつけるのが大変だよ。(ここが一番金がかかる)
普通は感情とかなんちゃらで証拠として弱いとかあるけど、最初から訴訟が前提だからできる。
名誉毀損なので両者1000万支払え
理由1
1.コラボのバスが傷つけられたのが暇空茜が原因だと主張したこと
前段に
- 宮台が襲撃された
- それは宮台の発言が原因だ
という発言を行ったうえで、
という発言をしており、バスの襲撃と暇空の主張は相当因果関係があると主張している。
この点について、一切相当因果関係が成立していない。コラボの一方的な主張を拡散している。
さらに望月衣塑子を東京新聞はコラボに加担しており、中立性を欠いている。
それは83人委員会に参加している点でも明らか。
望月衣塑子は訴訟会見後、暇空茜は反省していないと言っている。
ところがこの時点では訴状は来ていないし、望月衣塑子は取材すらしていない。
コラボの記者会見の内容をなんら裏付けもなく事実であることを前提としてそういう印象を視聴者に与えていることは、重過失どころか故意に名誉毀損に加担しているものと言わざるを得ない。
よって、名誉毀損に該当する。
3.公共性
この発言はメディアの中で公然となんらの注釈もなく発言されており、公共性があることは言うまでもない。
4.重大性
この前段で、前川喜平をNHKの会長にする会に参加しており、公人と同様に振る舞っている。よってこの発言の名誉毀損は公人として、かつ東京新聞の記者として発言されたものであり、極めて深刻であり、深く傷つけられている。
東京新聞の名前を出している以上、東京新聞が名誉毀損に加担しているのも言うまでもない。
5.結論
東京新聞と望月衣塑子は暇空茜の精神的苦痛を賠償するとともに真摯に名誉回復について謝罪広告を出し続けるなどの努力をしなければならない。
東電クソ増田だよ!東電はクソって話から脱線するのと、単純に本文に対して追記が長くなりすぎるのでエントリ分けました。
東電EPがHDの傘下なのは事実ですが、そもそも債務超過の企業はJEPXに参加できません。EPが値上げをしないのならHDが無限に増資に応じるしか企業の存続策はありませんが、あくまで東電HDは私企業です。私企業に赤字での営業を強制する(そもそもその前に倒産するのでは?)ことはできないので致し方ないと思いますが、よくわからないのですが東電をどうしたら「フェア」になるのでしょうか?私はこの状況を放置して別の手段で東電を救済する方がフェアじゃないと感じますが。
自分で書いたことを忘れたのか意図的に論点ずらしてるのかわからないですけど、元増田が電力料金を解説したのって以下が出発点ですよね。
内容を精査するとできる範囲での合理化は行なっているし、30%という数字が一人歩きして不当に東電が叩かれすぎだと思うので解説。
それに対して、いやいや東電はやるべきことやらずにコスト増を押し付けてる企業だから叩かれるのには相応の理由があるというのが私の主張です(そう書いてるよね)。そして私の主張に対する反論が、HDとEPが別法人だからEPは被害者でセーフ!っていうHDとの利害関係を無視した理屈だったので電力解説増田の擁護はフェアではないという話をしています。
これもよくわかりません。差があるというのはどういう意味ですか?同じ小売でも地域によって料金体系に差があるという意味ですか?それが自由な競争の阻害につながるのはなぜですか?エリア内での競争が自由な競争でないってことですか?
旧一電企業が組んでいたカルテルが公取委によって摘発され過去最高額の課徴金が課されたのは当然ご存知ですよね。彼らはエリアごとに不可侵条約を結んで不当な競争を行っていました。摘発されたのは高電圧な法人向けの契約ですが、個人向けのプランであっても自社エリア内とその他で契約可能なプランに差がある状態であり、そういった旧一電が信用を圧倒的に損ねている状況を無視して表向きは自由化されているから好きにしろよという主張はちょっと無理があるのではないでしょうか。
ついでにいうと、電気料金解説増田も触れている内外無差別(グループ内外で卸値に差をつけない)が確保されているのかは非常に怪しい、と言うよりは守られていないのではないかという疑惑が大きいです。実際に公正取引委員会が調査を進めているという報道もあります。内外無差別は自由な競争が実現されるための大前提であって、こういった実態として自由な競争が阻害されている可能性の高い電力市場において、表向きの宣伝文句だけで反論して煙に巻くのはいかがなものでしょうか。
前にも書きましたが、規制料金は以前(2016ー2021ごろ)は割高な料金体系でした。それが資源価格の高騰によって軒並み自由料金が値上がりしているため、自由に上げられない規制料金が相対的に安くなっただけです。おっしゃる「公共性」の意味がよくわかりませんが2021年以前の規制料金にも公共性があったとお考えでしょうか?どう言った面で規制料金に公共性があるのか答えてほしいです。
規制料金が過去に割高だったことと僕の主張との関連性が見いだせなかったので後者だけ解答しますね。まず自分の立ち位置として規制料金は自由な競争を阻害する部分があり、将来的には不要だとは思っています。実際の卸値を反映しなければいけない新電力に対して、値上げできない業者がいるならそっちに流れるのは当たり前だし、状況によっては関電よろしく不当廉売に近いことにもなり得ますよね。しかし上述の通り現在の電力市場は旧一電のコンプライアンス意識の低さによって自由な競争が確保されているとは言いづらいですし、既得権益を得ているプレイヤーが不当な利益を得ようとしている以上、現在の値付けが正当なものであるか確認し、その上限に枷をはめておくことには公共性があると思います。
原発について書くと予想通り荒れるから嫌なんですよね。。。。。
(追記 15:00)
うーん。。。ちょっともう少し正しい理解をしてからコメントしてほしい感はありますが、あとでちゃんと答えます。
要点として書いておきますが、総括原価方式は規制料金として残っているので自由化にそぐわないから自分も廃止すべきって言ってるのは伝わってますかね。。。 あと今のエリア内での価格競争が真の自由競争じゃないってのはどういう理屈なんですかね?他エリアで売るつもりのない地域新電力とかあるけどどう考えてるんだろう?(ちなみに九州電力は東電管内で供給をしてますが)
あと今の規制料金は十分不当廉売水準です。他の電力会社を見ればわかりますが、燃料費調整単価に上限はありません。規制料金の値上げは新電力にもメリットがあります。以下は具体例です。
(追記終わり)
返事した増田の追記読みましたが相変わらずこちらの質問(エリア内での競争について)に答えられておらず、論理にも飛躍があるので議論はここまでにしておきます。ただ、論証のおかしい部分については指摘しておきます。
カルテルは高圧の話で、今は低圧規制料金の話をしているのは理解されてますかね。。。?カルテルの話から不当な競争は良くないってことをおっしゃられてるんだと思うんですが規制料金は今の水準は不当廉売で、電力の自由な競争を妨げています。カルテルの話から規制料金の値上げに反対するのは論理に飛躍があります。あと仮に旧一電が顧客からの信用を損ねているなら好きに他の小売から買えばいいというのはそこまでおかしいですかね?信用損ねた売り手から電気買いたいですか?他の小売から買いたくなりませんか?
内外無差別についてはすでに電力・ガス取引監視等委員会からすでにかなり強く監視されており、破ることは難しいです(不当な取引が無いことを証明するのは無理ですが)。内外無差別に基づいた卸売はすでに行われています(東北電力の例 https://www.tohoku-epco.co.jp/information/1228847_2521.html )。公取が動いた件に関しては内外無差別に関するものというよりむしろ以前から公取から指摘されていた規制料金のあり方にも踏み込んだものと理解しています。煙に巻いたつもりはありませんが、この辺は知っておいていただきたかったです。
何度も言っていますが、今の規制料金は不当廉売水準で、正当な値付けではないです。規制料金は今の状態で放置されることで東電もそうですが新電力もかなりダメージを受けています。私が規制料金の水準について言及したのはそれが原因です。不当廉売をさせてまで「上限に枷をはめておく」ことに公共性があると主張するのは無理があると感じます。
最後になりますが私のことに不誠実な印象があるというぐらいなら新電力に競争上有利な制度があること(常時BUなど)にも触れていただきたいという思いがあります。私がポジショントークをしているならあなたも十分ポジショントークをしていますよ。あと、これは感想でしかないのですが、せっかくの増田で上から目線で不誠実と言ったような人格に踏み込んだ発言をするのはやめていただきたいです。反論する気が失せ、議論の妨げになるので。
(追記終わり)
1. 設置変更許可
このうちよく話題になる柏崎刈羽6、7号機は1のみクリアしている状況です。安全対策工事についてかなり杜撰な体制が明らかになって来ていて(例:柏崎刈羽原発の安全対策工事 未完了 新たに13か所判明|NHK 新潟県のニュース)、原子力規制委員会(NRA)から核燃料移動禁止命令が出ており、いつできるのかは不透明です。これに関しては擁護のしようはないと思っています。2、3についてもいつ完了するかは完全に見通せない状況で、現状では全く再稼働できる見込みはありません。ただし原価計算においてKK7を2023年10月に再稼働することを織り込んでおり驚きを隠せないというのが正直なところです。
私は特重の設置期限延長というのはギリギリできるとしても1のみをクリアしているKKや東海第二などを動かすという意見には賛同できません。それこそ福島の教訓を忘れています。
翻って関電、九電、四電はそもそもNRAへの審査の気合いの入れ方も違い、審査があっさり通っているのはPWRというのもありますが、そもそもの彼らの能力の高さにも理由があります。10年後にははっきりとした電気料金の差が現れていることでしょう。
はっきりさせておきますがこれからのべるのは既設の原発です。新設する際のコストではありませんし、これについては議論しません。新設コストについてはもはや宗教論争で、未だコンセンサスはありません。
すでに設置されている原発については電気料金を計算する際のコストは追加安全対策と核燃料といった見通しのつく固定費用になります。核燃料が固定費となっているのは一度再稼働するとそれにかかったコストが全てサンクコストになるからです(火力と違い、発電をやめても燃料は節約できないため。すなわち短期限界費用が0です)。そのため、燃料費調整単価として計上する必要がなく、従量料金単価の中で見通しを立てることができます。そのため、燃料費調整単価の追加を抑えることができ、消費者が少なくとも短期的に支払う電気代を抑えるメリットがあります。
一つ断っておかなければならないのは原発を運営しているのは東電HDで小売は東電エナジーパートナー(EP)です。債務超過になったのは東電EPであり、関電、九電と異なり原発の運営者と小売りは違う事業者になります。そのため原発が再稼働できない問題は東電HDの問題であり、東電EPはむしろ被害者です。柏崎刈羽原発の杜撰な運営問題と値上げを絡めて論じるのは話がズレます(これは誤解を招いたという意味で私にも責任がありますが)。自由化以降は電気の卸売に内外無差別という原則があるため、発電事業者は同じグループだからといって小売を優遇することはできないことになっているためです(そのため、東電EPが原発の再稼働を織り込んでいるのは若干違和感がないこともありません)。
加えて、言及した増田で原発が動かせないのは東電の責任だから価格転嫁はおかしいという趣旨ですが、そもそもそこに不満がある方は他の電力会社に移られてはいかがでしょうか。東電は今や数ある電力小売事業者の一つでしかありません。不満のある会社とわざわざ契約を結ぶ必要もないはずです。今はもはや独占企業ではないのですし、そもそも規制料金という枠組みが電力自由化と矛盾しています。規制料金が小売の参照価格となっているのはわかりますが、これのニュースバリューは単なる値上げのみであり、政治的含意を含めるべきものではありません。それが自由化です。
(追記)
言及した増田に追記があったのでコメントというか、いまひとつ理解できないので質問を投げておきます。
EPの赤字は結局HDが引き受けているわけで規制料金の値上げで助かるのは結局HDですよね。そこの利害関係を無視してEPは可哀想な被害者でHDの不祥事は別っていうのはやはりフェアじゃない部分を感じます
東電EPがHDの傘下なのは事実ですが、そもそも債務超過の企業はJEPXに参加できません。EPが値上げをしないのならHDが無限に増資に応じるしか企業の存続策はありませんが、あくまで東電HDは私企業です。私企業に赤字での営業を強制する(そもそもその前に倒産するのでは?)ことはできないので致し方ないと思いますが、よくわからないのですが東電をどうしたら「フェア」になるのでしょうか?私はこの状況を放置して別の手段で東電を救済する方がフェアじゃないと感じますが。
これもよくわかりません。差があるというのはどういう意味ですか?同じ小売でも地域によって料金体系に差があるという意味ですか?それが自由な競争の阻害につながるのはなぜですか?エリア内での競争が自由な競争でないってことですか?
規制料金についてもエリアに関係なく本当に自由な競争が行われるのであれば競争によって値下げ圧力がかかるので不要だと思いますが、そういった状況でない以上はその公共性から適切にコストを反映しているか確認が入ってしかるべきだ
前にも書きましたが、規制料金は以前(2016ー2021ごろ)は割高な料金体系でした。それが資源価格の高騰によって軒並み自由料金が値上がりしているため、自由に上げられない規制料金が相対的に安くなっただけです。おっしゃる「公共性」の意味がよくわかりませんが2021年以前の規制料金にも公共性があったとお考えでしょうか?どう言った面で規制料金に公共性があるのか答えてほしいです。
続き、東電の話からそれるので別エントリにしました。ネットの遅延が激しくて連投してしまったので正しいやつへのリンクを追記しておきます。
わーい、元増田から反応もらったので追記していくよ。東電(HD)が杜撰ってところは認識があってて良かったです、そこ擁護するポジショントーク始めたら話にならないので反応しないつもりでした。
東電HDとEPが別の組織なのはもちろんそうですけど、EPの赤字は結局HDが引き受けているわけで規制料金の値上げで助かるのは結局HDですよね。そこの利害関係を無視してEPは可哀想な被害者でHDの不祥事は別っていうのはやはりフェアじゃない部分を感じます。あと自由化だから好きな電力会社と契約すれば良い、というのも一見正論だけど同じ電力会社でもエリアによって契約可能なプランに差があるし、真に自由な競争かというと非常に疑問です。規制料金についてもエリアに関係なく本当に自由な競争が行われるのであれば競争によって値下げ圧力がかかるので不要だと思いますが、そういった状況でない以上はその公共性から適切にコストを反映しているか確認が入ってしかるべきだと思います(特に、東電のような杜撰な管理をする電力会社がいる場合は)。っていうか電力カルテルとか問題になってる状況下でよくも言えるなとすら思ってます。
とまあこれくらいの話はド素人の私でも少し調べれば分かる話だと思うので業界に詳しそうな元増田は当然知ってるんでしょうけど触れられてないですよね。なんというか、元増田にはこう、不利な部分は意図してポジショントークを展開している不誠実な印象を受けます(旧一電寄りという自覚はあるみたいですが)。
電気料金解説増田さぁ、値上げしない電力会社の原発が審査に合格していることに触れておきながら柏崎刈羽の不祥事はスルーするのフェアじゃないでしょ。
一連の不適切事案について|新潟本社・柏崎刈羽原子力発電所|東京電力ホールディングス株式会社
東電自身が解説しているように、柏崎刈羽が再稼働できてないのは東電があり得ないレベルの不祥事を何度もやらかしたからなの。他の電力会社はやるべきことやって再稼働させてるのに、福島第一原発事故の当事者の東電がいつまでたっても杜撰な管理してるから動かせないんですよ。しかもこれだけやらかしておきながら先週末に出たニュースが審査書類の誤り多数。もうお前ら原発動かす能力ないだろ。
東電の原発審査書類に誤り多数 柏崎刈羽3号機で: 日本経済新聞
それで原発再稼働できないから他の電力会社よりも発電にコストかかるので値上げさせてくださいっていうんだから、そりゃあ寝ぼけたこと言ってんじゃねぇって文句の一つや二つ出るに決まってるんじゃないですかね。こういうことを書くと右巻きの奴らからやれ反原発だお前らのせいで電気が足りないだなんだと言われるが、お前ら侵入対策がガバガバでいつテロの標的になるかわからない原発を動かしたいのか?いま原発を動かせないのは規制委員会のせいでも反原発派のせいでもなく明らかに東電の能力不足だろ。もうさっさと経営破綻でもなんでもして他の電力会社にでも吸収されてくれよ。そしたら原発の管理も多少はマシになって再稼働できるかもしれん。
だいたいにおいて、寄付を要するようなところというのは資本主義だと採算取れないから寄付募集してるわけでしょ。
平等な市場原理では淘汰される存在を何らかの基準で選別してお金を流すということ自体、絶対なんらかの党派性が生じてくるし平等とはいえないんだよ。
弱者全部を助けるのなんて不可能だし、何かのプロジェクトが有益か無益かなんてのも人によって考え方は全然違うはず。
赤い羽根とかある程度公共性が期待されるようなメジャーな団体の場合、多数の団体を支援することで平等性を維持しようとするけど、そうなると人によっては賛同できないような支援先も出てきちゃう。
メジャーでかつ増田が気に入るような支援先だけを都合良く支援してる団体なんて他人に聞いてわかるもんではない。
だから、そういうのを気にするならば、寄付する側も適当じゃなくて、自分がどういう基準でどこにお金を渡したいかってことに自覚的になるべきだと思う。
そこで暴走族の車バイク、通称族車のトンチキなデザインがどっから来てるかを説明しようと思う。
増田は暴走族やヤンキーじゃないがはてなー平均よりはヤンキー文化に近いってくらいだ。
それじゃあ行くぜそこんとこ夜露死苦。
まずは「google:image:族車」で画像検索してくれ。
さて全然速く走る事に頓着が無いというか速く走れない族車デザインだが、元はレースカーや街道レーサーの特徴をコピーしていた。
だがそれらの文脈を考えずに合体され、更に右翼ファッションの流入によってスピードの文脈が無くなって形だけが意味を持つようになった。
でもファッションというのはみんなそうであってWWIの塹壕戦防寒軍服がビジネスシーンでの正装になったり、ゴールドラッシュの作業着が反抗の象徴になってカジュアルで定着したり、警官の防護服がハードゲイシーンで流行してからカジュアルになったり、と元の文脈が無くなるのはヤンキー文化だけじゃない。
新聞社に使役されていたプレスライダーである。プレスは報道の意味で事件現場で報道陣がしてる腕章に書いてあったり新聞輸送のトラックに書いてあるあの「PRESS」だ。
元々、速報性が重視される新聞社で取材記事の迅速な伝達を支えていたのは伝書鳩だった。新聞社では屋上に鳩舎を設置して多数飼育しており、記者は取材の時に鳩を連れて行った。現場で記事を書いてそれを鳩の脚に括りつけて放すのである。鳩は帰巣本能でかなりの高確率で社屋屋上に帰着する。
伝書鳩は1960年代、昭和40年頃には廃れるのだが、代わって登場したのがプレスバイクだった。
ところで何で電話じゃないの?というと、電話も使われていた。だが「市外局番」が出来たのが1965年、昭和40年頃なのだ。
これがどういう事かというと、市内を超える通話では交換手を通していた。だが事件が起きると記者が押し寄せ、役所や会社でも市外通話が急増するので交換手がパンクして延々と交換待ちになってしまう。つまり通話が困難になるのだ。この為に警察は早くから警察電話という専用線を整備していた。
プレスバイクは原稿や写真フィルムを受け取って現場から新聞社、若しくは駅でリレーして列車経由で社へと迅速、というか猛烈な速度で運んでいた。
そもそも当時のバイク乗りっていうのは不良である。そんな不良が、新聞記者、これも当時はブンヤで柄が悪く反体制的な気骨がないと務まらない職だった、そのブンヤに使役されて街道レーサーのような危険運転でぶっ飛ばしていた訳だ。勿論公道最速である。
こういう公共性と不良的な特性の硬派な組み合わせというのは今でも映画のモチーフになるし、憧れを産む。
という訳で、以下のようなプレスライダーの特徴が族車に取り入れられ、やがてスピードの象徴から遊離していく。
族車バイクはパイプハンドルを思い切り絞って手前側に持ってきたデザインが特徴だが、これはプレスライダーが上向きハンドルにしていたのに由来する。自転車と同じく、パイプハンドルでは固定ネジを緩めるだけでハンドルの角度を変えられる。
プレスライダーは渋滞では足をついて右に左へとすり抜けをするので、上体が起こせて視界が良く、車体を傾けてもハンドルが遠くならないアップハンドルにしていた。
プレスライダーは上記の通り足をついて渋滞すり抜けをするので、足つきが良くなるようにシートの「あんこ抜き」をしていた。着座部分のシートのスポンジを削って取ってしまう加工である。今でも背が低いバイク乗りはこの加工をする。
すると前後方向にも段が出来てニーグリップ(両足でタンクを強く挟むこと)しなくても前後に安定するという効果も出る。
族車はこれを大げさにして後ろに更に段を増やしたシートに交換したり、更にハーレーなどのシシーバーと合体した長い背もたれに繋がるデザインの三段シートになっていった。というか、ヤンキー相手の商材扱う会社が段々過激化していったのが原因だな。
プレスライダーは仕事なので冬でも走る。そこで後付けの風防を付けていた。元々実用品なのでカッコいいもんじゃない。
だがそれが「硬派」の記号となって族車に取り入れられた。
今やってる会社は無いが、昭和後期まで社用車というのは鉄製前部バンパー角に小さな掲揚ポールを付けて社旗を掲げて走るのが多かった。今は歩行者安全の為に前方に突起物を付けるのは車両法で禁止であり、宮内庁の御料車や総理大臣車以外はやっていない。
プレスバイクも新聞社の庸車なので前輪に垂直ポールを立てて「PRESS」のペナント(三角旗)を、更に四角い社旗も併掲するケースもあった。とんでもないスピード違反してても(プレスライダーは常に速度違反)警察はPRESS旗と社旗を認めると取締りしなかった。
暴走族の前身はカミナリ族じゃなくて街道レーサーのチーム(イニDの赤城レッドサンズみたいなの)なのだが、このスタイルが真似されてチームの旗をつけるという形になる。
これが1980年頃から「硬派」の文脈が右翼ファッションに転じた。この右翼とは1960年代の全共闘運動に対抗した新右翼で、80年頃には軍服着て国防色街宣車で軍歌を流し、軍旗である旭日旗を掲揚するという軍国主義憧憬路線が確立されていた。
ところでこの旭日旗は「プレスライダーのまね」路線ですでに族ファッションの中にあった。それは朝日新聞の社章でお馴染みだったのである。
故に既存のプレスバイクの社旗模倣の上に右翼ファッションの軍国標榜が自然な流れで合わさる形となった。
前輪の掲揚竿は大きさが制限されるので、大きい旗を後部に付けたり、二人乗りの後部乗員が手持ちするようになったのである。
この名残で、旗が付いていない棒を前輪から斜め前に突き出している族車もある。
同様の理由でタンクへの塗装や服のプリントへと波及していく形になった。
こんな風に族車デザインに過大な影響を与えたプレスバイクだが、盛者必衰で1980年代になると衰退して報道の現場から消えて行ってしまう。
置き換わったのは出先で使えないFAXじゃなくて無線と自動車電話だった。どっちも大きくて自動車必須で、汽車+バイクから自動車に置き換わったのだ。両方とも無線兵みたいな箱を担いで運用する。
それで職にあぶれたプレスライダーが流れた先は2つあって、一つは競馬/競艇新聞の運搬。予想欄の関係でレース当日に入稿されるので印刷所の前に多数のバイクを並べて待つ。刷り上がった新聞をバイクの後ろに括りつけて馬券売り場や競馬場の売店に急いで持って行くのである。
ただこれはレースが日曜しかやってないから臨時バイトの面が強い。
もう一つがバイク便で、オフィスを回って営業する。NYの自転車メッセンジャー便のバイク版だ。
こういう経緯なので初期のバイク便はプレスライダーと呼ばれていた。FAXが普及してもサンプル品の急送とか木型(鋳造で使う型)とか需要は多くあったが、白ナンバーの違法操業のところが多かった。
中にはちゃんと法人成りして営業免許を取り緑ナンバーにして特殊分野でのニッチを獲得したり、後に医薬検体輸送→検査会社と進化して自治体の出資を受けて三セク化したところなどもある。街道レーサー崩れからの地道なステップアップ人生であるな。
これは画像を見てもらった方が早い。こういうの暴走族で走ってるやろ? https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/26/Nissan_Silvia_Silhouette_Formula_001.JPG
量産車のガワだけを使って、中はエンジンも足回りもフレームも全部変えていいよという規定のレース車区分だ。シルエットだけ市販車で中は純粋レースカーなので「シルエットフォーミュラ」という。
これは日本では御殿場の富士スピードウェイと筑波サーキットでレースが開催されていた。
特に富士スピードウェイでは「富士グランチャンピオンレース」というシリーズレース(全戦富士SWでの開催)が人気を博していた。走っていたのはルマン24時間みたいな形のレースカーだった。
このレースの前座としてシルエットフォーミュラが開催されていて、こっちは街で見かける市販車ベースで無茶な改造がされているのでこっちも大人気、更に自分の車を同じように改造するのが流行したのだ。
族車で出っ歯にするのはこのシルエットフォーミュラの真似を大げさにしたものなんである。
更に初日の出暴走を「グラチャン」という理由も判ったかと思う。シルエットフォーミュラ風の改造をして富士山の方、即ち富士スピードウェイがある御殿場方面に東名高速を走っていくからグラチャンなんであるな。
因みにあの出っ歯は貧乏暴走族などではベニヤ等で手作りしてあり、強度が低いのでボンネット辺りから針金で吊ってある。
そんなヤワな造りのものが走行風に耐えられる訳もなく、ほぼ必ず途中ではがれて取れてしまう。または出発地近所の踏切でぶつけて引っかかってしまい、電車が来たら危ないので周りのおじさんや善男善女に助けてもらって出っ歯を踏切から撤去してもらい、「危ないよ~」とか言われてるのである。出っ歯も手作りで温かみがある上に重ねて温かみのあるエピソードである。ハリボテエレジーの如き侘び寂びの趣きだ。
で、出っ歯が無い普通の車として他の族車と一緒に東名を走っていくと、途中で交通機動隊が集中取締りをやっていてFRPの高級出っ歯車は皆とっ捕まってしまうが、手作りシルエットの方はなにしろ普通車に戻ってるからそのままスルー。
これは他の出走馬が前部倒れた後にハリボテエレジーが壊れた馬体というかダンボールを引き摺り走ってきて完走するのを彷彿とさせる。大穴である。
まず、公共性や多様性を実現する方法について、大雑把に2つの考え方がある
この2つは本質的には同じ事の異なる側面を述べてるだけだと思うけど、人間はどうしても自己中心的なので、「お互いに」の部分が「お前が」になってしまう人がいるのね
これまでの争いはだいたいこれなので、法律論とかエビデンスとか子供の将来とかあんまり関係ないし、片方の派閥が悪人ということもなくて、単にちょっと自己中なだけなんだよね
要は不快と感じる人がどれくらいいるのか、定量的に判断ができないことが問題なわけで
ネット広告では「この広告が不快である」と一定回数以上クリックされたらその広告をそれ以上表示されなくする技術がある
同様に、交通広告のような公共性の高い広告は、事前にクリエイティブについての意見をネットアンケートして、「不快である」と一定回数回答されたら広告を出せなくすると良いのでは(この際子供も調査パネルに割り付けることを義務付ける)
勿論、
・色々な意味でギリギリのクリエイティブが出すリスクが高くなって表現の幅が狭まる
・広告情報公開前にネットアンケートすることで情報流出の危険がある
・審査期間が必要なのでスピード感のあるマーケティングができなくなる
・審査期間が必要なため広告制作から支払いまでの期間が長くなるので、運転資金が必要
・クリエイティブ制作後に広告を出せなくなるとそれまでかかったコストがペイできなくなって最悪小さな広告会社やデザイン会社、印刷会社は潰れる
といった懸念はあるが、この部分はどうするか、明日までに考えておいてください。そしたら何かが見えてくるはずです(本田圭佑)
表現の自由に関して、公共の場に対する考え方が、自分と大きく異なる人が多くてビックリしている。
自分は、「私的な場」では自由の制限が容易で、「公共の場」では制限が強く抑制されると考えていたのだけど、まったく逆の議論を(さも当然のように)主張する人が多いよね。
例えば、服装という表現だと、私的な場であるレストランやホテルなどの民間施設では、自由に「ドレスコード」を設定してよく、気に入らない表現(服装)をした人間を排除することが認められると思う。
場の公共性が高まるほど、服装について勝手なコードを設定することは難しくなり、公道だの駅だのに至っては、素っ裸になるなど、極端な表現以外は禁止できない。
当然、バニーガールの格好をしてゲームの広告宣伝をしようが、パンツが半分見える服を着ていようが、水着で歩き回ろうと、自由である。
逆に、公共の場の方に制限があり(バニーガールはNG)、私的な場だったら自由だ、とする考えって何なんだろう。
そういう考えの延長線上に、「公共の場」に相応しくない表現(ホームレスの服装)は排除しろみたいな考えが出てきそうで、すごく嫌だな。