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2024-04-18

広告ブロッカーが問いかける、インターネット広告理想現実

インターネット広告を巡る議論は、常に賛否両論を呼んできた。広告情報流通に不可欠な存在である一方、ユーザー体験を損ねるものとしても認識されてきた。近年、広告ブロッカーの普及により、この議論に新たな火種が投じられている。

広告本来目的は、広告主の商品サービスについて、ユーザー有益情報提供することにある。それは、ユーザー広告主の間のコミュニケーションの一環であり、両者にとってWin-Win関係を築くことが理想とされる。しか現実には、多くの広告本来目的を見失い、ただ単に広告収入を得ることだけを目的としているように見受けられる。

特にブログアフィリエイトサイト上の広告は、質の低下が顕著だ。ユーザーを騙してクリックさせるような広告ばかりが目につき、ユーザー体験を大きく損ねている。これらは一時的には収入を得られるかもしれないが、長期的にはユーザーの信頼を失い、広告主のブランドイメージも傷つける。広告収入というシステムから利益を得ようとするあまり本末転倒な状況に陥っているのだ。

特に深刻なのが、SNS上でのAIを利用した詐欺的な広告蔓延だ。巧妙に作られたこれらの広告は、ユーザーを欺いて個人情報を盗み取ったり、偽のサービス誘導したりする。健全広告というよりは、もはやサイバー犯罪一種と言っても過言ではない。プラットフォーム信頼性根本から揺るがす由々しき事態と言えよう。

こうした状況下で、広告ブロッカー存在無視できない。ユーザー立場に立てば、質の低い広告ブロックするのは正当な権利だと言える。しかし、媒体運営者にとっては死活問題だ。広告収入依存するビジネスモデルは、存続の危機に直面している。だが、ユーザーによる広告ブロックを「不当」で「利己的」な行為と決めつけるのは短絡的だろう。問題本質は、広告収入のみに依存し、広告の質の向上よりも単価の上昇で対応してきた媒体運営者側にあるのではないか

さらに、広告主の視点から見ても、課題は山積している。詐欺的な広告主と正当な広告主の区別は容易ではない。ユーザーからすれば、どの広告が信頼できるのか判断しづらいという実情がある。そしてこの問題の背景には、広告業界全体の不透明構造がある。広告代理店やアドネットワークが介在することで、広告主とユーザー距離が離れ、悪質な広告主が紛れ込む余地が生まれしまう。広告主側も、自社広告配信状況を十分に把握できていない可能性がある。

結局のところ、問題本質利権問題に行き着く。質の低い広告詐欺的な広告を野放しにしているのは広告提供業者であり、その広告提供業者を公に許しているのは各種大型プラットフォーム(SNS及び動画サイト)や中小ウェブサイト経営者だ。そしてこの中で、詐欺広告や質の低い広告自主的制限可能なのは提供業者と大型プラットフォーム経営者のみ。特に大型プラットフォーム経営者は、広告主と消費者を結ぶ重要結節点であり、交渉力を持ち合わせる業界ルールメイカーとしての立場にある。

ここで問われるのは、消費者が大型プラットフォーム経営者に対して、質の低い広告詐欺的な広告を載せるなと要求する権利があるのかどうかだ。言い換えれば、消費者利益のために、プラットフォーム経営者の「しない自由」を制限する正当性があるのかという問題だ。

この問いに対しては、肯定的な答えが導き出せるだろう。今やインターネット公共の場であり、現実ビジネスの場となっている。プラットフォーム経営者には、その公共性を維持する責任がある。そして何より、消費者が実際に被害を受けているという現実がある。詐欺的な広告による経済的損失や、プライバシー侵害への懸念看過できない。にもかかわらず、プラットフォーム経営者がその要望真摯対応してこなかったのは問題だ。

この状況を打開するには、消費者広告主、プラットフォーム運営者の三者が協力し、具体的なアクションを起こしていく必要がある。

まず、プラットフォーム運営者は、消費者からフィードバック積極的活用し、広告審査体制を強化すべきだ。AI活用した自動検知と並行して、人間の目による確認を徹底することが求められる。また、広告主の身元確認厳格化し、広告内容の事前審査義務付けることも重要だ。広告ポリシーを明確に定め、違反広告には厳正に対処する姿勢を示さなければならない。

広告主側にも、自社広告配信状況を適切に管理し、質の高い広告提供する責任がある。業界団体などと連携し、自主規制ガイドライン作りを進めることも有効だろう。

そして消費者は、問題のある広告積極的通報し、健全広告環境作りに主体的に参加することが求められる。プラットフォームに対しても、改善を粘り強く要請していく必要がある。

プラットフォーム経営者には、「しない自由」よりも、「すべき責任」がある。業界リードする立場である以上、消費者の信頼に応える努力を怠ってはいけない。もちろん、行き過ぎた規制表現の自由市場健全な発展を阻害する恐れもある。だからこそ、消費者広告主、プラットフォーム経営者三者が対等な立場議論を重ね、バランスの取れたルール作りをしていくことが大切なのだ行政にも、この取り組みをサポートする役割が期待される。

ここで、インターネット本質的な位置づけについても考えてみたい。インターネットは、当初は「市場原理に任された自由な場」という性格が強かった。規制は最小限に留め、自由競争を促すことが重視されてきた。しかし、インターネット社会に不可欠の基盤となった現在、その公共性は著しく高まっている。フェイクニュースヘイトスピーチプライバシー侵害など、弊害への対策が急務となっている。

こうした認識の下、各国で法規制の動きが強まっているのは事実だ。だが、だからと言って行き過ぎた規制は避けなければならない。インターネットイノベーション表現の自由を阻害しないことが肝要だ。市場原理と公的規制バランスいかに取るかは、社会全体で知恵を出し合うべき課題である

今こそ、従来の広告依存ビジネスモデル見直し、新しい価値交換の形を模索すべき時だ。サブスクリプションモデルや有料記事など、ユーザーに直接的な価値提供し、対価を得るビジネスモデルへの転換も一つの選択肢となるだろう。情報に対する価値観も変化し、良質なコンテンツには対価を払うという意識が広がりつつある。

また、広告収入の一部を広告審査の強化に充てる仕組みを作ることも検討に値する。広告の質を高めることが、結果としてプラットフォーム収益向上につながるのだという認識を、業界全体で共有することが重要だ。

健全広告業界の発展は、ひいては健全インターネットの発展につながる。広告主、メディアユーザー三者が協力し合い、透明性と信頼を高めることで、より良い広告の在り方を模索していくことが求められる。広告ブロッカーの普及は、そのための重要な転換点となるはずだ。

インターネットは、「市場原理に委ねられた自由な場」から公共性を帯びた社会基盤」へと変貌を遂げつつある。そして、我々はその変化の只中にいる。だからこそ今、インターネット広告の在り方を問い直し、健全インターネット未来を築くために行動を起こす必要がある。広告ブロッカーが投げかける問いは、そのための重要な一歩なのだ私たち一人一人が、その問いを自分事として捉え、できるアクションを起こしていくこと。それが、より良いインターネット未来を切り拓く鍵となるだろう。

2024-04-10

欧州の電力市場で何が起きているか

考えをまとめるために書いているので長くなってしまった。

なので最初にChat GPT要約をおいとく。

要約

再エネ以外に投資が来ない。

投資マネーが再エネに集まり既存電源に行かない状況が続いている模様。

再生可能エネルギーは、施設製造建設・設置、さら運営ノウハウが溜まってきて再エネが安定した投資先と見做されてきており、潤沢な資金供給が続いている。

例えば、利回りなども、再エネ設備耐用年数を従来は20年などで計算していた。これは公的補助が20年だったと言う前提だが、次々と公的補助が終了した結果、耐用年数を30年以上で計算するところが増えていて、それらをミックスした投資商品が登場、安定した資金調達に繋がっているようだ。


一方で、相対的既存電源に対する投資が減っている。欧州でもエネルギー安全保障観点からイギリスフランスなどで原発新規計画が出てる。

今時、国の金だけでやると言う計画イギリスが建てるはずも無く、資金募集しているのだが、全然投資が集まらなくてかなり苦戦している。

これとは別の話として、エネルギー安全保障観点だと言っているのに、当初目論みの建設費で手を上げたのが中国企業中国"系"ですらない、中国国営企業しかないと言う状況で、これだとまずいと言う事で、新規設置の原発が生み出す電力の買取保証価格をつり上げたところ、なんと再生可能エネルギーの2倍から3倍の価格になってしまって問題化している。

エネルギーの安定供給安全保障観点という点では色々な電源をミックスするのは当然で、そういう点では単価の高い電力が混ざっても仕方が無い。

が、その国のエネルギー価格は、その国の国際競争力に直結する。製造業はもちろんのこと、ITデータセンターの立地、研究施設の立地など情報系にも影響してくる。

国策である程度電力価格コントロールできるからと言って、上げれば今度は国際投資が逃げていくということで、苦しい状況が続いている。

既存電源の採算割れ

欧州と言うより主にフランスでの問題なのだが、フランス原子力発電所で発電した電力を他の国に売ると言うビジネスを行っていた。

ところが、再生可能エネルギー市場を荒らすようになってしまったため、もくろみが崩れてしまって採算性が悪化している。


既存電源と再生可能エネルギーの違いは何かと言うと、限界費用が全く違う。再生可能エネルギーは、燃料費がないと言うところが大きくて、0円以上で売却できれば利益になる。というか、勝手に発電されるので止める意味が無い。

そのため、他の電源では燃料費が上回って赤字になるケースでも電力を市場に流す事ができる。そんなもの価格競争しても意味が無いので、例えば火力発電所は再エネの供給が大きくなったら発電を止めて、採算より高くなったら稼働すると言う事を行っている。

特にLNGガスタービンは即応性が高いため、再生可能エネルギー追従して運転をするのに適している様だ。


一方、そんな器用なことができない電源がある。

それが原発

原発は燃料を燃やしているにもかかわらず、再生可能エネルギーと似たような性質を持っている。発電を始めたら勝手に発電されるので止められない、出力調整が難しい、燃料費に比べて設備費・初期投資割合が大きいといったことだ。

そのため思いっき市場を食い合っている。再エネがピークで安い時は下手するとマイナス金額(つまり、売買に関わる諸経費を発電側が持つというようなもの)で売却される電力に対して経済面追従を迫られる。

それでも、再エネが担う割合が低いころは、それ以外の時間帯で収益を出すことが可能だった。しかし、段々と再エネだけで賄える時間帯が増えてしまい採算性が悪化しているのである


また、原子力発電所など大規模電源は30年以上の耐用年数を見込んで採算が取れるように投資商品にするのが一般的で、原発場合は40年以上も当たり前だ。その間当然リスクを見込んでるんだけど、変化が急激すぎてそのリスク範囲を超えてしまっていている模様。

これは時限爆弾みたいなもので、実はちょっとヤバいと思われる。

電源関係投資ってかなり安定的投資と見做されてる影響で、年金など公共性の高い投資商品に基礎的なものとして組み込まれていることが多く、吹っ飛んだら電力関係だけじゃ済まないと思われる。

そしてここが不安定なので、従来型の大規模電源開発投資が集まらない状況が続いている。

環境 テロリスト 団体はESG投資の結果だとか宣伝するし、それに呼応するように原発 村の盲信者 関係者が陰謀論じみたことを言ってるけど、実際には経済的リスクが大きい一方で、利益が少ないことが要因だと思われる。

今後の見通し

もはや後戻りができないぐらい進んでしまっている。この流れは止まらないだろう。

ただ、各種のデータを見ると本当にこれで電力の安定性大丈夫なの?と心配になるんだが、進んでいる源が経済という祟り神なので止めらんない。すると安定化する方法はそれに対応する電源開発なり大規模蓄電なり水素アンモニア製造するなりしかないと思われる。

実は、原子力発電所も、負荷変動に柔軟に対応するようなもの設計可能らしく、そういったものが出てくる可能性はある。が、投資基準再生可能エネルギーに対してになるので、それより優位なものが作れるかはわからない。

翻って日本

日本は電力の自由市場の中にはいないので、急激な変革に巻き込まれはいない。

また電力価格の決定が統括原価方式なので、例えば発電所を30年使うと設定して投資した場合原則的建設費などの初動費は30年間固定されて電力価格転嫁することが認められている。

ある意味再生可能エネルギーの固定価格買取制度によく似ているが、そちらとの違いは、稼働していない発電所の維持費も電力価格転嫁できる仕組みであるということ。

例えば原子力発電所で再稼働出来てない発電所は多くあるが、発電して無くてもそれらの費用は電力価格に乗ってきているし、原発が稼働してない分だけ維持している旧式の火力の維持費なども当然ここに乗っかってくる。

これによって電力価格の上昇を抑え、安定化すると言う効果があるのだが、ここ15年ぐらいの急激な環境変化に対応できなくなってきているのも否めない。

ただ、制度を続けていけば、急激な市場の変化は発生しないと思われる


と、国内だけを見てればいいのだが。

既に書いたが、その国のエネルギーコストは、その国の競争力に直結する。国際競争に晒されている今、エネルギーコストが高いと企業立地などを逃すことになるので投資が集まらなくなる。

直近の動きでは原発を再稼働させようという取り組みが継続して行われている。

原発燃料費よりも建設費・維持費がかかる。それらは再稼働しなくても電力料金に乗っかってる一方で、それに加えて燃料費割合の大きい旧式火力を回さなければならない。これが電力料金を上げる要因になっているのは確かだ。

から短期的には原発を再稼働させるということはあっているのだけれど、長期的に見ると、ライバルになり得る欧州再生可能エネルギーという安いエネルギー源を苦しみながらも獲得しつつあると言う事には追従出来ていない。

さらに、欧州環境対応大義名分に、自分たちの有利な点を伸ばすような、再エネを使った製品では無いと追加の関税を課して保護政策を実行してくるのも間違い無い。自由貿易どこいったって思うが仕方が無い。


日本でも再生可能エネルギーは最も安い電源になりつつある。

環境問題への対応はもちろんしていく必要があるが、今一度、エネルギーコストをどうやって下げていくのかと言う基本に立ち戻って電源の選択を考える時に来ていると思う。


その点では、洋上風力発電を巡る汚職が痛かった。かなり安い入札が行われていたのに、なんだかんだと理由を付けて不可とした。

その結果、国内商社と組んでいた海外電源開発会社投資を引き上げちゃったんだよな。

せめてそういうことは二度と無いようにしたい。

2024-04-02

リベラル左翼マジでヤバい(確信)

https://www.youtube.com/watch?v=UN-w82vPiv4

石黒先生被害告発動画より抜粋

これはひどい


@user-vc3gd1ok2n

3 時間

石黒正数がやるべきことは、女性支援団体コラボに対するヘイトデマ賛同したことへの謝罪であって、

無辜被害者を気取り、暇アノン認定されたことを警察に訴えることではないだろう


@user-vc3gd1ok2n

3 時間

いや、石黒正数はコラボ攻撃した暇アノンだし、むしろアノン投稿いいねをした石黒正数が謝罪すべきなのでは

>22年10月高裁判決は「いいね」を

>押す行為について「投稿好意的肯定的感情

>示したと一般的理解される」と指摘。

>一方で、ボタンを押すか否かという二者択一の特徴もあり、

>実際の目的判断するには「いいね」した人と投稿

>取り上げられた人との関係や「いいね」するまでの経緯を

考慮すべきだとした。

杉田水脈判例はこうだから

まず、石黒正数が「Colaboが(暇空クラスタ攻撃されているのは)自業自得」としている他人ツイートに「いいね」したわけだから、そんなコラボ攻撃しているツイートに、好意的肯定的感情を示したと一般的理解されるとなる

この石黒氏の行為批判するのは、公共性公益性観点から石黒氏が著名な漫画家であり、社会的影響力が認められることから、その批判には法的な正当性があるとなるね

結論として、以上を根拠石黒氏を批判する行為石黒氏がコラボ攻撃

好意的肯定的感情を示したと一般的理解されるとしか言えないため全く問題ない

これをもって石黒氏がコラボ攻撃側の人物であるとするのも法的に全く問題ないでしょ


@AM-lx6vl

8 時間

それ町全巻持ってるけど

持ってるの恥ずかしくなってきた。


@user-vc3gd1ok2n

9 時間前(編集済み)

警察の人も漫画家がわざわざ署まで来るからには

どんな酷い誹謗中傷がと思ったら

「暇アノン呼ばわりされてるんですー」とか言われて

内心ずっこけただろうな

石黒女性支持団体バカにしたら暇アノン扱いされました!」

👮「……」


@user-vl7cm7xy1c

29 分前

自分が暇アノンと言われた風評がなかなか消えないように

Colaboが受けた風評もなかなか消えないんだよなあ

事実とは関係なく

そのへんわかってるんかね?


@user-rf5rp3hg8z

19 分前

ちなみに何故「アノン」と呼ばれたのか、経緯を知らない人に説明しましょうか。

その女性支援団体に対して「尊師」及び「アノン」が広めたデマの一例ですが、

シェルター内で、臓器を取った遺体コンポスターに入れて分解している」といったものがあります

最近では中国工作員を匿ってるとか言い出したらしいですね


@user-nd1uv2te9n

6 時間

先生表現配慮してるのはすごく伝わりました。暇空さんに対して全く触れてないことも理解しました。

石黒正数先生なら、温泉モチーフキャラに""スカートめくり夜這いを期待、肉感がありセクシーワインを飲む中学生、「癒し看護キャラセクシーな「大人の女性」に憧れる中学生""などは採用しないだろうなと思います

からこそ何を思っていいねしたのか分からない。賛否分かれるキャラ付けに苦言を呈す事(クレーム出す事)が解せないの一点なのかな。



なんというか、「こんな酷い人達誹謗中傷のせいで傷つきました。警察相談済だし刑事民事対応します」という報告に対し

『こんな酷い人達誹謗中傷』そのものコメントを付けていく人間(リベラル左翼フェミニスト)の認知ヤバい。悪い意味で。

反省してないとか無知蒙昧とかセカンドレイプとか、そういった言葉では表現しきれない程の愚かな行為しか思えないんだけど、

やってる本人は正しい事してる私気持ちEオナニーしてるんでしょ?本当に凄いよね。悪い意味で。

YoutubeかいGoogleアカウントに紐づいてる環境でやっちゃうのも状況判断能力ヤバいというか頭悪すぎて話にならないよね。


人気漫画家デマ集団から誹謗中傷されました、被害者は自死まで考えました、なんて第二のスマイリーキクチ案件警察が動かない訳も無く。

まあアノンアンンと連呼してた人間は何人~何十人か逮捕されるんだろうけど、津田という左翼側の大物アルファアノンリストとか拡散してたか

自分達末端は安全だしやって良いとでも思っちゃったのかな?本人は正義漢のつもりでもやってる事はガチ犯罪者だよね。

言論で食ってる文化人ならともかく、家庭がある様な一般人逮捕されたら人生崩壊だけどどうするんだろうね。


というか動画内で繰り返し繰り返し被害を語っており尚且つ明確な落ち度も無いにも関わらず「やられたお前が悪い!」って

被害者にセカンドレイプしてる行為をどうやったら正当化出来るんだろう?

仮に内心で思っても表では言えないハズだよね。普通の神経をしていたら。ましてや本人にさ。

明らかに非常識で悪質で他害性の強い犯罪者紛いの人間が誇る正しさって絶対に正しく無いよね。歪んでる。


アノンとか余命とか連呼してる割には、やってる事はマジで余命以下だから救い様が無い低能先生なんだけど、大丈夫

リベラルからって、自分らは正しく頭良いので悪で愚かである敵対者には何をやっても良いと思って無い?

どんだけ単純で幼稚な世界観で生きているのだろうか。

ある意味幸せそうですね。周囲の人はお前の幼稚さに迷惑してるか気持ち悪がってると思うけど。

余命の事認識しておいて同じかそれ以下の愚行してるのだから石黒先生中傷してた連中は完全に余命信者以下だよ。

あんなの当時のネトウヨ層の間ですら軽く小馬鹿にされてたのに、それ以下って……マジでヤバいよ。悪い意味で。




動画ブコメから


tattyu もうめちゃくちゃ嫌いになったので動画も見たくない。暇にいいねするとか頭おかしいだろ。


koo-sokzeshky 予想よりも結構ろくでもないものいいねしてるなとは思ったしそれを基に批判してもいいとは思うけど


baikoku_sensei 暇アノンの罪を背負いし者共に、免罪符のご案内です。†悔い改めて† https://colabo-official.net/support/


こんなのがブコメされたりトプコメに来るのもどうかと思うよ?

ああ、こんな人達が某女性支援団体みたいなのを支持してるんだな、って思われちゃうかも……って思わないのかな?


追記

「こんな奴らヤベーだろ…」って増田に『こんな奴ら』が押しかけて汚言吐いていくのって、私達を晒し者にしてくれ!という自己紹介なのかしら?

ある事無い事騒いで集団嫌がらせするという、ネット界隈でも最底辺のノリをリアル他人様にやっちゃうって、まともな社会人としては完全に終わってるよね。

正当性の欠片も無い。暇アノン(とやら)すら論破出来ないから気色悪いニヤケ面しながら反撃して来なさそうな人をターゲットにして嫌がらせしてるんでしょ?

それ、そこらのネトウヨだの暇アノンだのよりも、よっぽど下等な存在ですっていう自己紹介だよ。

左のネトウヨってマジでヤバい民度とか知能とか品性が。

2024-03-26

anond:20240326183906

理論上はそう

同様にJRもただの民間会社なんだから特定人種の乗車を断っても許されるし

電力会社だって気に食わない特定団体施設への配電を断る権利がある

しかし本当にこの理屈を認めちゃうといろいろまずいんじゃない?という疑問が上がってきて

いま「公共性」という概念議論されてる

2024-03-17

anond:20240317102027

それなら、発端の焼肉食べ放題プランにどんな社会的目的があって公共性があるか説明してくれよ。。。

せいぜい、他の客に対して十分な提供ができない(サービス平等性が損なわれる)くらいだと思うが、それならあらかじめ制限しとくか、今後ちゃんと明記しておけば?

それにいちいち企業戦略カスタマーが想定しながらサービス利用する世界なんて単に地獄しか思えないが。今こうして使ってる増田だってはてな目的なんて気にして使ってるわけなくないか

2024-03-14

anond:20240314174143

コンプラ意識というのは、順法意識ではなく、公共性意識のこと。

 

なんつーか、身内でやったことは身内のことで、公共とは関係ないと思いがちなんだよな。

そっちが人間デフォから、実感がないならしょうがない。

若くてバカだと醤油ペロペロをLINEで流してしまうようなもん。

 

訓練とか体験とかねーとわかんないから、そればっかりは判らない奴には教えるしかねーよ。

2024-03-07

自殺すれば殺されずに済む理論ブクマカ

表現規制に関する議論で「自殺すれば殺されずに済む」理論を唱える連中が多くてマジで辟易する。

過激な」水着ポーズNG 県営公園での水着撮影会新ルール公表朝日新聞デジタル のブクマ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASS356S3FS35UTNB00G.html

規制の不在や曖昧さをタテに「自由に」やった結果がコレ。オレは「規制派」だが、これは最悪に近い落としどころと思う。行政の介入の口実を与えただけだ。こういう事態を避けるために自主的規制は行うべきなのよ。

典型的な、「自由」より「行政に介入されないこと」の方が重要だと言っている例。

群馬の森朝鮮人追悼碑も、自主的撤去していれば、行政の介入(代執行)は無かっただろうね。

校則が厳しいのは基準を示さないと加減がわからず荒れていく底辺校って相場が決まってる、それと同じだね。

単なる偏見

この件で得られたのは公共施設バカチキンレースやると行政無駄ルールを作らなければいけなくなる、という当たり前かつ不毛な教訓。なぜ過激なのがダメなのか説明しろやって人らが他者自由を奪ってる。

そうだね、各地の公共施設で行われ、自治体の冠付けが行われてきた反戦平和歴史認識問題に関する催し物について、行政ルールを作って排除するようにしてきましたけど、素晴らしいことなんでしょうね。

表自界隈が毎度の如く暴走した結果、アホな規制を呼び込んでしまった例がまたひとつ暴走族が二輪通行規制を呼び込むのと同じ。

黙ってたら、単に排除されて終わりでしたね。

こういうしょーもない規則を作らせたのは撮影会側なので撮影会側が悪い

日本共産党破防法規則)に基づき監視されているのは、日本共産党が悪いってことですね。

つか、こうまでしないとわかんないのか?ってくらいには、あれを擁護してる連中の公共性のなさが、ひたすらに情けない。

そうだね、ちゃん社会暗黙のルールに逆らわずに生きてくださいね

ロリコンや表自が騒ぐから行政が細かいルールを決めざるを得なかった。

左翼が騒ぐから警察が細かいルール決めざるを得なかったんですね。

こう言うめんどくさいことになるんだから撮影会側は権利とか主張せずに距離感を保つべきだったと思う。

権利を主張しなかったら、今頃全面禁止されてますよ。

自由を「俺らのやり放題」と曲解すると首を絞めるという話。社会性に欠ける表自戦士他者存在という観念がないので公共私物視する。逆に他者政治主張を排除したがるのも公共空間私物勘違いしているから。

そりゃ、最初から水着撮影会なんかやらなければ規制もされないですけど、それって意味あるんですか?

あと、公共において、一方の自由を「私物視」として、別の一方の「政治主張」をたれ流すことはそうではないとするのは、非常に恣意的ですね。

社会的調整の領域コンセンサスを取る努力をしないで「禁止されてること以外は全て自由だ」というスタンスで好き勝手やってると、結局その中間領域もどんどん統制側がコントロールするようになるのよね

正義道徳を笠に着て、政治的圧力をかけてくる民主集中制の連中は交渉不可能でしょ? こっちが譲歩したら許すの? そんなわけないでしょ?

コンセンサスを取る」って、人民裁判コンセンサスを取るのは屈従しかないですからね。まだ、行政ルールのほうがなんぼかマシでしょ。役人憲法擁護義務があるし、変なことをすれば裁判で負けるからね。

良識に照らせば判断できるものバカの振りしてナイナイしてきた馬鹿どもがこういうルールを呼び込む。馬鹿表現の敵でしかない。

なるほど、良識に照らせば、慰安婦などの歴史認識問題についての展覧会については判断できるでしょうね。(なんせ、各地で排除されてきてますからね)

世襲

とある公共性の高い事業管理を担うとこである会合

そこんとこのリーダーさんは昔ながらの西欧は進んでる日本は見習わなければの方で非現実的テーマ理念として語られる

出席してる他のかたがたはめんどくさそうに黙ってスルーする

そんなトコに居合わせ続けて10年超

最近、その黙ってスルーする側の社長ズの息子たちがオンラインアピールしてるのを立て続けに見た

お一人はなんか哲学的テーマをぶち上げて某ネットでバズりがち現代思想家と対談しておられた

お一人はなんかフワッとした会社理念でもらった政府助成金やら自治体予算やらいっぱい駆使してやってる商売がだいぶこう、アレで、

特定されるの嫌なので詳細は書きにくいのだが、地元生活環境を守りたい方々からすごい批判されておられた

で、お二人のやってるのが、同じ業界なので言ってることはどうしても近いのだが、内容的には対立してそう、そしてどっちもキモイ

あー、セシュウズー、おれのニアミスしそうなとこでキモイことしてんじゃねー

10年かけて余計な事言わずやり過ごすスキルを入手したつもりであったが

やっぱキモイものキモイのでここに愚痴りにくるのだった

2024-03-02

大手企業「大変だ!なり手がいない!」→初任給引き上げ/年間休日増 等々 バス会社「大変だ!なり手がいない!」→減便/廃止

要するに人員不足理由に元々儲かっていない赤字事業をたたんでしまいたいだけなんだよねー

公共性が~」とか「交通弱者が~」とかウルサイ輩に「なり手がいないからやむを得ないんです」っていういい口実なんだよねー

これは複数事業不動産とかホテル等々)を手掛けてる事業者ほど顕著に見られる傾向

だって、一台3,000万円くらいのバス買って客一人当たり数百円しか得られない商売より、

不動産とかホテルやってるほうが断然儲かるから

「昔はな、”バス”っていう何十人も運べる自動車があったんじゃよ~」っていう昔話をする日はそう遠くない

2024-02-22

anond:20240222185526

無罪推定原則」と「メディア実名報道」の矛盾についての問題提起は、現代社会における法律メディア倫理の間の複雑な関係を浮き彫りにします。以下に、この矛盾存在する理由についての考察を述べます

1.無罪推定原則とは: 無罪推定原則は、被告人裁判有罪証明されるまでは無罪であると見なされるべきだという法律の基本原則です。この原則は、人々が公平な裁判を受ける権利保障し、無実の人が不当に罪に問われることを防ぐために重要です。

2.メディア実名報道: 一方で、メディア事件犯罪に関する情報公表する際、しばしば被疑者被告人実名報道します。実名報道は、公共利益や透明性を促進するためとされますが、個人名誉プライバシーへの影響も大きいです。

矛盾の原因:

情報公共性と報道自由: メディア情報公共性や報道自由根拠に、社会重要情報提供する役割を担っています実名報道がされる理由の一つは、公共の関心事に透明性を持たせ、社会的責任や個人の行動に対する説明責任を促すためです。

法律メディアガイドラインの違い: 法律では無罪推定原則保障していますが、メディアが守るべき倫理ガイドラインは異なる場合があり、それぞれの国や地域実名報道に関する規制ガイドラインが異なりますメディアは、法的な枠組みの中で、時には社会的な影響力を考慮して報道判断を下します。

社会的影響と個人権利バランス: 実名報道には、犯罪の抑止や再発防止、公共安全の確保などの社会的な目的がありますが、同時に個人名誉プライバシー無罪推定原則への影響を考慮する必要があります。このバランスをどう取るかは、メディア倫理規範社会価値観によって左右されます

結局のところ、この矛盾法律倫理社会価値観交差点にあり、簡単解決策は存在しません。メディア自由個人権利の間の適切なバランスを見つけるためには、法律の枠組み、メディアガイドライン改善、そして公共意識の高揚が必要とされます



うーんやっぱり増田よりAIの方が知能高いな

2024-02-08

anond:20240208191119

生みの親より命が重いのはAIという公共性だけだよ

anond:20240208104932

公共性として最悪だろうがなんだろうが単なるビジネス判断ってことか

それはそうかも

2024-01-26

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

2024-01-23

氷河期世代

氷河期世代棄民されて人生がつらい一方で、

ボリューム世代から選挙で世の中をひっくり返すこともできるのに

ずっと投票率が低くて、交渉もせず低賃金で働いて

虐待され捨てられたのに親に逆らえないDV児」みたいなんだよな

世の中を信用していない、無力感が強いせいで、世の中を変えることもできるのに気づいていないし、やらない

棄民されたから、社会を捨て返してる感じがある

大人になってもずっと子供世代アダルトチルドレン

これが今の日本の40~50代だからね そりゃこうなるよなという

有能な人材はたくさんいるが、使い捨てられて力がないし

しかも少数の成功者は、幼少期に飢えた子供みたいに、かき集めたものを両手で囲って腹いっぱいでも誰にも分けない

ルサンチマンが強くて卑屈で公共性のないバケモノ世代を生み出して

日本を衰退させた当時の大人自覚ない毒親みたいなもの

氷河期世代高齢者になったら、今度は下の世代に捨てられると思うし救いがない

そうならないように、今まだ数の力で社会を変えられる可能性はあるんだけど

難しいよな

2024-01-19

anond:20240118205341

「このくらいの差別しょうがない」ならわかるけど「差別じゃない」はドン引きするわ。

引用されてるXで書かれてる「私の知ってる大家さんたちは……年金生活者もいます。そんな人に差別イカンっつって……退去とかのリスクを負えとか言えないんですよね」というのは肌感覚としてわかるし、このくらいの差別しょうがないと思う(たとえば、英語わからんジジババだけでやってる地元民向けの食堂外国人お断りでもしょうがないでしょ)。

ただ、それは差別だし、本来は良くないことですよ、っていうコンセンサスがないのはヤバいだろ。

人ひとり雇うかどうかですげえ苦労してる個人商店が「辞められたら困るから女性は雇わない」というのは仕方ない面もあるけど、これは差別だよね? 本来よくないけど、個人商店の店主にそんなこと言ってもなぁ……っていう話だよね? そこで「そうだ、女はすぐ辞めるからそういう扱いを受けても当然なんだ!」とか言い出すやつはヤバいやつだよね? 同様に、偏見先入観に基づいて「日本人男子ホームステイちょっと……」っていうのも、本来はよくないけど、ボランティアホストファミリーにそんなこと言ってもなぁ……っていう話だよね? そこで「そうだ、日本の男は家事をしないからそういう扱いを受けても当然なんだ!」って言い始めるやつはヤバいやつだよね?

もちろん、家事をしないなどの迷惑留学生は追い出せる契約にしておいて、実際に家事をしていなかった場合に追い出すのは問題ない。「中国人お断り」はNGだけど「マナーの悪い客は退店していただきます」はOK。それなら、家事をする日本人男子マナーのいい中国人は何も困らないし、家事をしない女子留学生迷惑日本人の客は容赦なく追い出されることになるわけだから差別にはあたらない。

ブコメに返信

最近差別は良くないことの場合限定して使われてるので、この位はしょうがないと判断されるもの差別と呼ばないということはあり得る。辞書的な意味ではどちらもある。

えっ??? 本文読めてます??? ここでは「仕方ないけど、本来は良くないことだよ」と言ってるんですが??? 大丈夫ですか??? 当然、「これは良くないことなので差別と呼ぶべきだ」と主張しているんですけど???

本人の行動や能力ではなく属性によって区別するのは、良いかいかでいえば悪いでしょ。ただ、「これは社会的に強く非難するに値する」のか、「そこまで強く非難するほどでもないか……」という程度なのか、という違いがあるだけで。でも、後者を「良くないことではない」と判断するのはおかしい。そういう話です。

差別の話じゃないけど、たとえば同じ殺人罪でも、秋葉原ホコ天刃物振り回して何人も殺すのと、長年父親性的虐待受けてた娘がついにキレて父親を絞め殺すのとでは全然量刑が違ってくるじゃん。そういう感じ。それと同じように、大企業社長確信犯的に「◯◯人を追い出せ!」というのは猛烈に叩かれるべきだけど、これまで日本語の通じない客に悩まされてきた小さな飲食店が「Japanese only」って書いてても、まあ情状酌量で内々に取り下げてもらう程度が適切な落とし所なんじゃないの、という感覚

これリベラルの主張では度々ある話だよね。それが差別であることを頑なに認めようとしない。その結果、論点主題から離れて「その行為差別であるか否か」という分が悪い議論することになってしまう。

これオブこれ。「差別だけど、このくらいは仕方ないじゃん……」って言うなら「まあそうだね……」ってなるけど、「これは差別ではない!」って言われたら「いや差別だが??? お前は何を言ってるんだ???」ってなる。インターネット議論でこういうのよくあるよね……(女性専用車両とか、料理教室で女性専用デーが導入された件とか)(あまりに「これは差別ではない!」論法を聞きすぎてもう女性専用車両は廃止すべきだなと思うようになった。しょうがない差別だし、このくらいなら甘受してもいいかと思ってたけど、そもそも差別であることを否定し始めるならもう無理だよね。公共交通機関における差別はなくすべき)。

この件は銭湯入れ墨お断りくらいには差別的だと感じている。

こはちょっと意見が違う。旅館温泉とかならまだしも、公衆浴場って過当競争にならないように法律条例一定規制がされてるんだよね(たとえば東京都では新規の設置は既存公衆浴場から一定距離がないとダメ)。つまり銭湯公権力によって一定保護が与えられている公共的な施設なのであって、そこで入れ墨を弾くというのは普通に人権侵害から一刻も早くなくすべきだと思う(もちろん、旅館とかでも本来差別しちゃダメなので、入れ墨での浴場・プール利用を禁じる措置全面的撤廃すべきなんだけど、仮に優先順位をつけるならまずは銭湯でしょう)。一般家庭に留学生を受け入れる問題とは公共性が違いすぎるので、「仕方ない」のハードルは上がるよなと。

はてなー権力勾配論を偽理論として否認してしまうので、差別定義が混乱している。それでいて差別認定勝利条件だと思い込んで棍棒にする。

なるほどなるほど、異国の地にやって来た留学生ホストファミリーとのあいだに権力勾配はない、という認識なんですね? そうすると、たとえば日本人ホストファミリーやってるお父さんが外国から留学生と性行為をしても、権力勾配はないから完全な自由恋愛ってことですね!

個人的な好悪は差別ではないとおもう。つまり黒人採用しない」は差別だけど「黒人結婚したくない」は差別ではない。線引きは非常に難しいのだが,大家店子を選ぶのは,まあ個人的範囲じゃないかな。

それ言ったら部落差別とかどうなってしまうん……部落差別では就職差別だけじゃなく「結婚差別」も大きな問題だったじゃん……「あのひとは被差別部落出身から結婚したくない」はアウトもアウト、ド直球のアウトでしょうよ……

2024-01-16

anond:20240116214405

珍しい名字だね。

もしこの名字と同じ名字の人に会ったら、毎日新聞記事を保存しておいて、この記事に載ってるのと同じですねとか見せながら話した方がいいんだろうか。

ローカル記事ならともかく、公共性の高い全国紙掲載されてるわけだし。

2024-01-07

0.5%当たる確率ギャンブル

先日、自称インフルエンサーの暇空茜氏が「名誉毀損ネームド含めて20人程と裁判してる」といったツイートをしていた。


増田ブクマカにも暇空氏に対し限度を超えた中傷コメントを繰り返す人間散見されるが

氏と裁判対峙する、あるいは内容証明が届き和解金を支払う可能性としてはどの程度あるのだろうか?

尚、インプレも死んでおり名実共に一般人である暇空こと水原氏に対する誹謗中傷は、公共性公益性認定される事はまず無い為

訴訟された場合、不起訴となる可能性はかなり低い。

(例として、はてなでも人気の堀口英利による「暇空こと水原氏は東大寺学園近畿大学特殊学級出身では無いですかね?」というコメント場合、暇空こと水原氏が勝訴する可能性は95%程度だろう。

一般人に対する名誉毀損厳罰となる傾向がある為、公共性認定され不起訴となる可能性は低く、また反訴をしても勝訴出来る可能性は限りなく低い)


暇空こと水原氏に誹謗中傷を繰り返す人間はさすがに三桁ではきかないだろう。

おおよそ数千人はいると考えられる。

仮に4000人程いるとすると、「名誉毀損20人程と裁判してる」という証言真実である場合、暇空こと水原氏に訴訟される確率は約0.5%となる。


0.5%。

数値で書くと相当低い確率に思えるが、ソーシャルゲームでお目当てのキャラをゲット出来る確率よりは低い事を考えると、決して楽観視して良いものでは無いだろう。

実際は20人以外にも裁判にまで至らず和解が成立している(件数不明)、という証言もあり、実際の確率は更に上がる。

仮に裁判と同程度和解が成立していたとするのであれば、確率は約1%に跳ね上がる。


0.5%の確率で、暇空こと水原氏と裁判をするリスク(弁護士費用裁判で拘束される物理時間、及び裁判被告となるストレス)や

和解金(相場で言えば50万~100万程度となる)を支払うリスクを引き当てるギャンブル、と考えると、一体何が楽しくてやっているのか、まるで理解出来ない。


暇空こと水原氏への批判というギャンブルに躍起になっている人達は、今一度振り返り考慮すべきだろう。

自称インフルエンサーの勢いを削ぐのは、何も反応せず黙殺する事だと学ぶべきでは無いだろうか。

anond:20240107051855

公共性公益性認定される可能性が高く訴訟を起こしても勝てる可能性が低いケースだからかな、日々実名言及してても訴訟起こされてない人がたくさんいるよね

公共性公益性理解がめちゃくちゃだけど君も自称リーガル強者(笑)の人?


堀口英利に関しては、ひどい誹謗中傷に対して言い返しているわけですからね。

無関係一般人がいきなり脈絡もなくそう言ったのとは訳が違うでしょう。なぜそこを言及しないんですか?法学部一年生でも留保つけますよ?

まり詳しくないんですかね?

やっぱりあなたも、暇アノン自称リーガル強者(笑)の人?

どうして詳しくないのにリーガル(笑)ちゃうの?暇アノンってどうしようもない無知ばっかですよね。

単純に、暇アノンさんたちは、無知で全く整合性のないデタラメを語りまくるからバカにされてるんですよ?

2023-12-27

anond:20231227124220

何が言いたいかというとオタク界隈でコンテンツに対して教養みたいな位置けがなくなりつつあって、逆に教養ってなにそれおいしい(この言い回し自体教養みたいなものだが)ので各々がほんとに好き勝手に数十人以下レベルのごく一部の内輪でしか共有されないようなものしかしまない人が普通にいるようになってるらしいということ

そしてそれにより、その活動に伴う知識もまた昔と比べその価値雑学にも満たない公共性皆無ことがありえるという状態になってしまった

オタクの語りがマジで価値で聞くに堪えない時代になった

単に電車オタクとか商業アニオタマンガオタが話すことならまだ一般性があると思うが、今じゃオタクといっても向こう3軒両隣しか知らないレベル配信者の信者なんてのもいるわけで、そんなお前が好きなだけの公共性皆無の個々人の個人情報ひけ散らかしてドヤ顔で俺知識あるだろみたいに張り合われても、はあそうですかとしか思わないよな。

vssf?の音がどうのこうのとかこれは何々系だかいうのはマニアックではまああるがこういうこき詳しいのは乗り鉄撮り鉄ジオラマ屋にかぎらず電車オタク全体で一目置かれるし、私のような畑外の人間でも雑学ぐらいにはなるかなと全く無意味知識とは感じないのでそれなりにその人を尊敬できる。

でも数人数十人しか囲いがいない同人作家配信者一筋で、オタク顔(したり顔みたいな)でかつその知識で張り合われても、オタクってのは否定しようがないが(いやただのストーカーか?)、うーんだよね。

でも今じゃそういう奴が天然でいそうで恐ろしい。

2023-12-21

昨日も鳴門礫損服用した。お酒ほとんどのまなかった。

さいとうこうへいっていうマルクス主義者言ってることはおもしろいので、いいのだが、

なんでもかんでも左翼に味方する主張するのはいただけないな。

神宮外苑のような公共的な空間に無理やり介入して、そこに根付いていた伝統歴史などの公共性は一切関係なしに、再開発という名のもとで高層ビルを建てる

神宮外苑大木は、残しておくべき分は移植するんじゃなかったっけ?再開発だって明治神宮側が宗教団体として収入不足で維持管理できないよってことで

切り売りすることを決めただけでは?宗教団体がそうせざるを得ないように追い込むのが ケシカランって話?

2023-12-19

anond:20231219091859

こんなこと言ってる奴もアメリカ行けばアジア人というだけで程度の低い連中にカス扱いされる。

これホントひどいよな

道を歩いてるアジア人暴漢にぶん殴られても世間は冷淡らしい

それどころか大学みたいな公共性の強い機関ですら堂々と差別してくる

アジア人というだけで受験生が減点されたり不合格にされる事例が多発してる

それを防ごうとするのがポリコレ。お前の定義は知らん。

もはやアジア人が頼れるものポリコレしかないな

2023-12-17

anond:20231217221735

あぁ、いや、書き方が悪かったんだけど、モデル構築より、より公共性が高い(と思ってる)データセットの方が、全体の底上げという観点ではデータセットの方が良いのではないか、と思ってたんだよね。

あくま相対的な話なので、完全に否定しているわけではないです。

2023-12-16

教育委員会最後に取り組んだ課題 <其の四>


(前part)

https://anond.hatelabo.jp/20231214132432

5. 発達障害のD君

の子社会教育課にいた。子といっても、当時すでに40歳を過ぎていた。明らかにそういう症状があった。それで周りとの軋轢が生じていた。

の子場合は、それなりの割合で悪意があった。発達障害であるだけで問題になることはない。彼もまた、T区の人事部局が認めるところの問題職員一角だった。

話は逸れるが、前段として必要であるため述べる。私が学校教育現場で教壇に立っていたのは十余年である。そこまで長くはない(教育現場から教委に異動する者としては標準的な年数)。その十余年の中でも、今でいう発達障害とされる児童と接した経験がたくさんある。

当時はまだ発達障害という言葉はなく、ただ「ボヤっとした子」「癇癪持ちの子」「よく動き過ぎる子」「細かいこだわりがありすぎる子」などの漠然とした分類があるだけだった。確かに、彼ら彼女らは扱いづらい。話が通じないこともある。

そんな児童と関わる中で感じたのは、人間多様性というものだ。動物植物も、これまで多くの種が生まれ現在に至っている。ハイデガー風に、存在し続けていることが正しさだと言うのなら、発達障害の人も其処に生きる意味がある。

個人意見だと、説得力がないかもしれない。以下にひとつ引用したい。

「もしも誰かがわれわれの手紙を読んだら、あまりの多様な内容にびっくりするのではないかと思う。なにしろ、われわれ二人ときたら、大変な重要人物ででもあるかのように、荘重な口ぶりで国際政治を論じあうかと思えば、一枚紙をめくるや、話題は一転し、軽い普通の人々に日々起るものに変るからだ。

 このやり方は、品位を損ずると思う人もいるだろうが、わたしは悪くないやり方と思う。なぜなら、われわれ人間自然模倣するものだが、その自然たるや多種多様が当り前で、だから多様は非難さるべきことではないのだ」 わが友マキアヴェッリ1 (2010) 塩野 七生 (著) P.361



さて、厳しい現実ではあるが、上のような発達障害の子公務員試験を受けるとどうなるか。ほぼすべての子面接試験悲惨な結果を遂げる。私はこれまで何百人もの正規職員非正規職員面接試験官を行ってきた。発達障害と思われる人には次のような傾向がある。

本音と建前の区別がつかない

 例)理想を述べるか、言いたいことをストレートに言うのどちらか

そもそも喋ることができない

 例)会話が極端に遅い、内容も伝わり辛い

・考え方が極端

 例)児童虐待は絶対に許せない、地球温暖化はどんな犠牲を払っても止めるべきなど

稀にではあるが、面接に適性のある子がいる。D君はその一人だ。彼の外見や、話している最中の態度はまともとしか言いようがない。無能の鷹ではないけれど、外資系企業営業マンのようだ。発達障害には見えない。

実際、公務員試験評価される観点は、本質的民間企業と同じである。「弊社で使える人材か?」ということだ。使える人材であれば、多少のことには目を瞑る。

日本国の法に反する思想があってもいいし、公にしないのであれば共産党員でもいい。有給休暇を取って組合活動をするのは公に認められているし、選挙期間外であれば多少の政治活動には目を瞑ろう。

勤務時間中に煙草休憩をしたり、ほんの小さな横領行為をしたり、取引会社飲食を共にしたり、小売業者個人購入品を値引きしてもらうとか、そういった行為でも咎めない。

そんな些末なことより大事なのは、その人がこれから公務員として採用されて、「使える人材」でいられるかどうかだ。国の機関だろうと地方自治体だろうと関係ない。何十年もこの世界にいた私が断言する。

話を戻そう。D君はどういうところが悪かったのか。私が三年間で見てきた彼のよろしくない行動は、概ねこんなところだ。

≪勤務態度≫

 気分にムラがある。仕事に意欲的なこともあれば、反面ボーっとしていることもある。皆が必死に働いている時でさえも。

 イベント・式典の時なども、サボっているのでは……? と思えるほど何もしない。C係長などに怒られても平然としている。

反社会性≫

 D君の隣の席にいる職員コーヒーか何かを机上にひっくり返した時、ほかの職員は一緒に机を拭くなど手伝っていたが、彼は何もせず書籍を読んでいた。

 私がつい激高して、彼を叱責したところ、「お前には関係ないだろ!!」と逆ギレのような形で食いかかってきた。

無責任

 区民や取引業者迷惑をかけた時も、上司に言われるまで報告せず、報告の際にも悪びれた様子がない。

 ある時などは、自治会長と思われる人との約束をすっぽかした後、現場から堂々と事務所に帰って来た。その際、C係長からどやしつけられていた。それでも、淡々とした態度で心の篭っていない「すいません」を繰り返したところ、C係長がまた怒鳴り声をあげた。

 最悪だったのは、都庁から視察に来ていた都職員らにその現場を見られたことだ。パソコン入替業者や、シルバー人材センターの清掃員も聞いていた。

 その後、C係長と、そのさら上司である社会教育課長厳重注意を受けた。教育局長の部屋で二時間に渡る説教を受けたのだ。D君は反省文をひとつ書いただけでお咎めなしだった。

≪嘘≫

 平然と嘘をつく。このタイプ発達障害者はそうなのだが、涼しい顔で嘘を吐ける。まるで、自分自身が嘘をついている認識がないかのような。D君もその例に漏れず、上司にも同僚にも他部署職員にも、区民にも(自らの利になる)嘘をついていた。傍から聞いている私でもわかるレベルの。

 嘘がバレても平気な顔をしていた。周りの職員がどれだけ、何を言っても、例えば「Cさんは信頼できない!」と言われたとしても、彼は「心の底からどうでもいい」という表情だった。

あれは、言うなれば悪魔』とか『魔族』とか言われるものだ。神話時代創作者は、ああいった者をモデルとして悪魔を作り上げたのかもしれない。

ここは官公庁である診断書を要するレベル障がい者が働くべき世界ではない。公務員というのは、陰ながら社会を支える存在であり、その地域住民全員が相手である学校教育で教わった考え方や価値観を元に、毎日コツコツと気を緩むことなく働き続ける人に適性がある。

いざ災害などの非常事態になれば、自分のことは一番後回しにして人助けを行う必要がある。私個人も、災害級の風雨の中で児童生徒の避難誘導をした経験が何度もある。命が危なかった。

公務員というのは、地域住民毎日幸せに、無事に暮らせる社会を支えるのが仕事である教員だろうと自治体職員だろうと変わりはない。

そのような仕事を、人柄や人格精神性、肉体に異常のある人間にこなすことはできない。自分という人間が安定・成熟しているからこそ、人を助けることができる。身分保障もそのひとつだ。

D君はその域に達していなかった。その意味では、先ほど取り上げたB君にしてもそうだ。誰かが、どうにかして辞めさせるのが組織にとっての正しい在り方だった(残念ながら、D君はC係長でも匙を投げるほどだった)。

官公庁においては、仕事にならないレベル人間採用すべきではない。公共性の高い仕事をこなすことができないからだ。そういった類の雇用は、民間企業NPO主体として行われるべきである

(次part)

https://anond.hatelabo.jp/20231216182604

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