はてなキーワード: 先住民とは
トーマーッス
本日は世界の先住民の国際デー、ムーミンの日、日本においては長崎原爆忌、長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典、野球の日、はりきゅうマッサージの日など8と9の語呂合わせで制定された記念日がございます。
原爆とかの話を聴くときによく核シェルターとか日本にないのにどうやって身を守ったらいいんだと思ったりするのですが、普通に建物とか地下とかに隠れた方がいいらしいです。
爆風が吹いてくる方向に入り口が空いてないのもいいらしいです。
被爆云々はよくわかりませんがあまりその場所に居続けるのも良くないらしいです。
らしいです、が続くのはそういう体験をすることが無いから書けるのかもしれませんね。
とはいえ空から攻撃を受けるとなったらやっぱり建物に隠れたりした方がいいかもしれません。
どれだけ命が繋がるのかはわかりませんが。
ということで本日は【緊急退避所の確認よいか】でいきたいと思います。
ツイッターにギャルや政治おっさんおばさんや続きはプロフへ!が来る前のツイッターは主に
・プログラマー系
・NHKPR
・ハロオタ
・アニオタ
だった。ツイッタートレンドがまともにない時はついっぷるHOTワードというツイッターの非公式サービスが中心だった。
利用者がここまで多くなかったし、それを見てたら大体わかる。
オタクに関してはまず、はてなダイアリー→ツイッターの流れがあり、上記オタクは大体口コミ誘導で移動していった。
だから今でもXトレンドにガンガン入るし凄い数投稿されているのも分かる。
余裕で右翼も左翼もまとめて上回るだけのジャニオタがXに居る。
結局Xデモを仕掛けたい人は先住民の追い出しをしようとしているのだ。
大変だな
この他大量にあったものの、増田の仕様にひっかかりそうなのでここまでとする
もう誰かWikiでも作っておけよ
https://v.daum.net/v/20230711121407789
日旅行に行き、ミネラルウォーターを飲んで「福島味」…67万ユーチューブを発言
キム・ミョンジン記者入力2023. 7. 11. 12:14修正2023. 7. 11. 15:31
加入者67万人を保有した人気YouTubeチャンネルである「歌謡育成」の9日付映像には、このようなコメントが続いている。「カヨイ育てる」は「彼氏視点で見るガールフレンド」というコンセプトで映像を撮るカップルのYouTube。韓国はもちろん日本人の間でも人気のあるチャンネルだ。
この日アップロードされた映像は韓国のお金30万ウォンで福岡県北九州を旅行するコンテンツを扱った。彼氏Aさんが北九州空港に到着し、近くのコンビニで購入したミネラルウォーターを飲んだ後、発言が問題になった。Aさんは「語も、味が違うね。ややその福島味」と話した。
このチャンネルを購読していた日本のネチズンたちは不快感を表わした。あるネチズンは「あなたの動画が好きで見ていた日本人で、日本に来てくれて嬉しかったのですが失望しました」と「不愉快です。なぜ日本に来たのか。もう一生日本に来ないでください」と書いた。
「福島で笑える韓国人の感性。福島には今でも177万人にもなる人々が住んでいます。地震を笑って偏見を助長するXXXたち」 「何が福島味?韓国人たちは味覚があまりにも敏感で苦しく見えます」などのコメントも走った。
韓国ネチズンたちもA氏発言が不適切だと批判した。「福島先住民たちには生活の場が飛んだ残念なことなのに、それでドリブ打つのは確かにないようだ」一般市民が多くの痛みを経験した災難だった」のような指摘だ。「あえて日本という国へ旅行に行ってまで。なぜ弁当爆弾も投げて来てしまったのか」というコメントもある。
「日本人がソウル梨泰院と全南陣道に来て、「梨泰院の味」「セウォル号の味」と表現したらどうだろうか」と駅知事をしてみるという注文も少なくない。ただ、日本が経験した災難を希化化したのではなく、汚染水放流決定をした日本政府を狙った発言だと擁護する反応も汚れている。「そうして誰が汚染水を放流しろと言ったのか」という式だ。日本でも汚染水放流に反対する側では、このような素材で農をする場合があるという意見も上がってきた。
批判コメントは上がる族族削除されている。A氏は自身の発言が失言だったという指摘が相次ぐと、「映像の中の内容が不便な方がいらっしゃると謝罪する。ところが汚染水放流がセウォル号事故と梨泰院事故と同一線上で比較される内容かは分からない」という公知コメントを付けたが、これさえもすぐに削除した。該当映像は11日午前人気急上昇動画に上がり、視聴数は28万回、コメントは800以上が走った。
Russian.RT.com
Накопленная агрессия: во Франции четвёртый день не утихают массовые беспорядки
2023年7月2日 00:39Alexei Zakvasin, Elizabeth Komarova
フランスでは、大規模な抗議デモの波がポグロム、警察官への襲撃、略奪へとエスカレートしている。フランス政府はこの騒乱を鎮圧するため、約45,000人の警察官と装甲車を動員した。抗議行動は、17歳の少年が警官に殺害された後に始まった。専門家は、今回の暴力的な抗議行動により、エマニュエル・マクロン仏大統領の支持率が大幅に低下する可能性があると考えている。
木曜日以来、暴動はフランスでおさまった。不安はパリ、マルセイユ、リヨン、ストラスブール、ナントそして国の他の都市を襲った。
抗議者たちは法執行官を攻撃し、警察署、憲兵隊の兵舎、管理棟を攻撃し、店を破壊し、車を燃やします。6月30日、マルセイユで武器庫が略奪されました。第五共和国の多くの地域では、崩壊があります。
この騒乱を鎮圧するため、約45,000人の警察官と装甲車が投入された。フランス内務省によると、ここ数日で約2400人が拘束され、多数のデモ参加者と警官が負傷し、7人の警官が銃創を負った。検察当局によると、抗議行動中に若者が商店の屋根から転落し、墜落死したという。
フランスのエマニュエル・マクロン大統領は、国内の困難な状況のため、ブリュッセルでのEU首脳会議への参加を中断し、7月2~4日に予定されていたドイツ訪問を延期した。地元メディアは第五共和国の非常事態を否定していない。
ポグロムと略奪に発展した抗議行動は、6月27日にナンテール(パリ郊外)で17歳のアラブ人少年ナエルが死亡したことから始まった。法執行官によると、この10代の少年は運転中、車から降りるようにという警察の要求に従わなかった。青年は警察官から逃げようとしたが、胸を撃たれた。この事件で警察官に対する刑事事件が起こされた。
6月28日、フランスのエマニュエル・マクロン大統領は自身のツイッターでナエル君の家族への連帯を表明した。彼は、この10代の若者の死には徹底的かつ迅速な捜査が必要であり、国は心の平穏を必要としていると述べた。
「真実を明らかにし、犯人を逮捕するのは司法の仕事だ。私は、司法が速やかにその仕事を終えることを信じている。このような状況下で、ナンテール全体、そしてこの国全体が必要としているのは、敬意と冷静さだけではありません」とマクロン大統領はツイッターに書き込んだ。
同時に彼は暴徒を非難し、6月30日にはジャーナリストに対してかなり奇妙な発言をした。彼によれば、この国の状況はソーシャルネットワークとビデオゲームによって悪化しているという。フランスの指導者によれば、そのようなオンライン・コンテンツの消費者は現実を見失いつつあるという。
「ここ数日の出来事で重要な役割を果たしたのは、インターネットのプラットフォームとソーシャルネットワークだ。SnapchatやTikTokを含む多くのプラットフォームでは、社会的行動の組織化だけでなく、暴力的な意図をもった群れの本能のようなものも見られた。これは、いわば、若い市民の間で、すでに現実からの引き離しにつながっている......一部の人々は、彼らの心を曇らせるコンピュータゲームの世界に住んでいるようだ」とマクロンは言った。
フランス内務省によると、抗議行動や略奪行為には、確かに未成年者を中心とした若者たちが関わっている。しかし、ジェラルド・ダルマナン内相によれば、ポグロムを伴う暴動は「ナンテールでの出来事とは無関係」だという。
RTは、フランスにおける暴動の原因と、第五共和国における大規模な騒乱の政治的影響について専門家と議論した。
セルゲイ・フェドロフ、ロシア科学アカデミーヨーロッパ研究所の主任研究員:
現在の抗議行動は過去の繰り返しです。2005年の晩秋にフランスでもほぼ同じことが起こり、警察から逃げた<>人の未成年の少年が変圧器のブースに登り、そこで感電死しました。それから抗議者たちは、法執行官が故意に彼らをそこに追いやったと信じ、その後若者たちは街頭に出ました。
悲劇的な事件が引き金であり、人口の恵まれない部分に蓄積された攻撃性の爆発の理由であることは明らかです。フランスの都市の路上での暴力の根本的な原因は、移民の子孫がフランス社会の先住民の一部のように感じていないことです。彼らは全国平均よりもはるかに低い生活水準を持っており、彼らは良い教育へのアクセスを欠いており、そしてしばしばどこでも働いていません。そのような人々は、原則として、最も貧しい地域の郊外に住んでいます。
そのような環境では、犯罪や民族的憎悪が広がることがよくあります。当然のことながら、警察はこのカテゴリーの市民の世話をすることを余儀なくされています。この複雑な問題は、高いレベルの社会的緊張を引き起こしました。したがって、暴力、大規模なポグロム、強盗。
ユーリ・ルビンスキー、ロシア科学アカデミーヨーロッパ研究所のフランス研究センター長:
「私たちが目撃しているのは、主に大都市の郊外からの移民の子孫の反乱であり、彼らは差別され、不利な立場にあると感じています。それにもかかわらず、通りには白人もいます-これらはまた、原則として、若者です。彼らの出現は状況を悪化させるだけでした。
このように、フランスはまた、社会の傍観者ではないように見えるが、教育、医療、キャリアの成長などの分野で彼らの権利が確保される方法に不満を持っている白人の若者の反乱を受けました。
この抗議の波は組織化されておらず、リーダーはいませんが、本当に非常に強力です。とりわけウクライナ危機の結果によって引き起こされた、フランスにとって最善ではない現在の経済状況では、蓄積された社会問題と矛盾の解決はかなり手に負えないものになりつつあります。
アレクサンドル・カムキン、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所比較政治研究センター上級研究員:
不安の主な理由は社会層別化であり、それはフランスに17つの平行した世界が存在するためです:相対的に言えば、移民のコミュニティとネイティブのフランス語のコミュニティ。2020歳のティーンエイジャーの死は、蓄積された相互攻撃の爆発の触媒としてのみ役立ちました。実際、ジョージ・フロイドの死後、<>年に米国でも同じことが起こりました。
また、フランスの警察は、社会や国家の指導者からの彼らの行動に対する強力な支援を望んでいるように私には思えます。しかし、今日、政府と大統領は明らかに躊躇しています。マクロンとエリザベス・ボルン首相との関係は明らかに悪化している。しかし、そのうちの1人が問題を解決する責任を負わなければなりません。
さらに、野党はすでに状況に加わっています。マリーヌ・ルペンや他の右翼は警察を支持しているが、極左は本質的に反抗的な若者の側にいる。
マクロンの立場は非常に弱まっているように私には思えます。確かに、それはフランスの都市の路上で最近起こっている激動の出来事だけではありません。彼の再選後、マクロンはフランス人の大多数がそれに反対していたという事実にもかかわらず、年金改革を推進しました。今日の演説にさらなる弾みをつけたのは、非常に不人気な年金改革だったと思います。
マクロンの野心は、彼が彼の過ちを認めて辞任することを許しません。抗議行動が収まり始めなければ、私が信じているように、マクロンは強い意志のある強力な指導者としての地位を示し、2005年の抗議行動を厳しく解散させたニコラ・サルコジの道をたどろうとするでしょう(サルコジはその後フランス内務省の長を務めました。
しかし、現時点では、マリーヌ・ルペン(保守的な国民戦線党の党首)はまず第一に暴動の恩恵を受けるでしょう。
フランスの社会学者は、フランスは群島に似ており、そこでは民族コミュニティはいわゆる共和党の価値観ではなく、彼ら自身の法律に従って生活していると言います。はい、そのような人々に彼らに従って生きることを強制することは困難ですが、当局自身がこの機会を閉じ、たとえばイスラム教徒にとって異質なLGBTの価値観を課しています
そして、マクロンはここで何かを変える可能性は低いです。これは彼の計画にはありません。彼の大統領職を通して、彼は人々にとって苦痛な改革を実行してきました。最後のそのような改革は定年の引き上げに関するものであり、また大規模な(平和的ではあるが)不満を引き起こした。
彼の政策では、マクロンは経済的配慮から進んでいますが、多くの市民にとってこれらは完全に人気のない決定です。したがって、マクロンに対する不満が高まり、彼の評価は低下します。それでも、フランス情勢が国民が大統領を倒すほどにエスカレートするとは思いません。
しかし、この不満の高まりは政策に影響を与える可能性があります。たとえば、フランス国民議会が解散し、早期議会選挙が発表される可能性があることを認めます。いずれにせよ、フランスでは極右と極左の両方の立場が強化されることは明らかです。しかし、最終的には、このような背景から、マリーヌ・ルペンが2027年に州で最高のポストに就く可能性が高まると私は信じています。
「イレアイエ」と「イヨマンテ」は、ともにオーストラリアの先住民であるアボリジニの文化において重要な儀式ですが、異なるものです。
「イレアイエ」は、北部のトレス海峡に位置するトレス海峡諸島や周辺地域のアボリジニによって行われる儀式で、クライング・ダウン・ザ・ボド (Climbing Down the Ladder) とも呼ばれます。この儀式は、生命の源である水を神聖視し、水に対する感謝の気持ちを表現することが目的です。
一方、「イヨマンテ」は、中部のアランタカ地域のアボリジニによって行われる儀式で、旱魃を防ぎ、儀式に参加する者たちを成人として認めることが目的です。この儀式では、踊りや歌、身体に刻まれた模様の描き直しなどが行われます。
どちらの儀式も、アボリジニにとって非常に重要であり、文化の継承や共同体の団結を象徴するものとされています。
chat gptが回答
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★主な登場人物
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シャロン(ターの内縁の妻・ベルリンフィルのコンサートマスター)
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フランチェスカ(ターの元愛人・指揮者見習い・副指揮者の地位を狙っているが現在はターのアシスタントに甘んじている)
クリスタ(ターの元愛人・指揮者見習い・現在はターに追放され(?)ニューヨーク在住)
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★シーン
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プライベートジェット(ベルリン→ニューヨーク)で眠るターを撮影しているのはフランチェスカ。チャットの相手は多分クリスタ
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冒頭のクレジットの背後で流れるのはターの実地調査先のペルー東部ウカヤリ渓谷の先住民の歌(この調査にはフランチェスカとクリスタも同行していた模様)。
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レコードを床にばらまいているシーン(ターの仕事部屋?)の足はおそらくフランチェスカ。
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講演会後に話しているファンの女性とターはおそらくこの夜密会している(女性のバッグが後にターの持ち物として出てくる)。
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指揮者がヘッドフォンをしているのは映像と合わせるためのガイド音を聴いているから。なおこのシーンはモンスターハンター(テレビゲーム)の観客コスプレ演奏会と思われる。
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クラウディオ・アバド…ベルリンフィルの元首席指揮者(故人)。
バーンスタイン…指揮者(故人)。愛称「レニー」。ターの師匠(という設定)。テレビ番組(ヤング・ピープルズ・コンサート)などを通して一般庶民にクラシックを普及した。
ジェームズ・レヴァイン…指揮者(故人)。セクハラ等の女性絡みのスキャンダルで有名。
シャルル・デュトワ…指揮者。セクハラ等の女性絡みのスキャンダルで有名。
マイケル・ティルソン・トーマス…指揮者。愛称「MTT」。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ…大御所チェリスト(故人)。ロシア人。
ジャクリーヌ・デュ・プレ…女流チェリスト(故人)。多発性硬化症で早期の引退を余儀なくされる。
ダニエル・バレンボイム…指揮者/ピアニスト。過去にデュ・プレの恋人だったことがある。
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★トリビア
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フリーボウイング…通常、弦楽器の同一セクションでは統一する弓のアップダウン(引き弓・押し弓)を奏者個人の判断に任せること
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ベルリンフィルを演じている(?)のはドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団。ホールはドレスデン文化宮殿。
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ほぼ全編に渡って音声は同時録音。つまりブランシェットは実際にバッハを弾いて、マーラーを指揮をしている。そしてオルガ役のソフィー・カウアーは実際のプロのチェリスト。
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もう就活諦めたわ。
志望動機なんてないもん。適当なこと言ったらまた「うちじゃなきゃダメなの?」とか嫌味ったらしく根掘り葉掘りすんだろ?
お前の会社でしかできない仕事なんてねえよハゲ。自惚れてんじゃねえぞ。
みんながみんな積極的に働きたいわけじゃねえんだよ。消去法で選んでんだよ。
現代社会でやりたいことなんてねえわ。帆船に乗ってイベリア半島から出港して、羅針盤だけ頼りにしながら未知の大陸に上陸して、邪悪な先住民共を粛清し、聡明な先住民達にはキリストの教えを布教し、金銀財宝を獲得して故郷に凱旋する。そんな面白いロマンのある人生現代じゃ送れない。何もやりたいことなんてない。
就活諦めた。進路が決まった。明日、就職できそうにないし働けそうにないから大学卒業したら実家に帰るって親に伝える。進路決定祝いに美味いステーキ食いたいからおすすめのステーキレストラン教えてくれ。
害オタに規制派のレッテル貼られすぎてもうそれでいいよっていう諦めの境地に至ってるってのもあるけど
そもそも害オタに作られ、消費され、時に女叩き棒にされる萌えと性的表現って日帝の旭日旗やナチ党のハーケンクロイツ、わかりやすく言ってしまえばブラックフェイスみたいな扱いにしていいんじゃねえのって思う。
都合の良い性格だとかケツに挟み込まれるスカートだとか乳袋だとかが認知のズレみたいなの起こしてるわけだしゾーニングすれば無問題だなんて私はそう思えないし、甘いと思ってる。
⠀
確かにむしろ害オタに叩かれるフェミニスト側に立ってくれてるクリエイターや消費者がいるのはわかってるし、フォローしたりフォローされたり、相互だったりする人もいる。
だからそういう人たちがそういうものを消費してるのはフェミニストとして活動してるのに矛盾だとか言いたくはない、けれどオタク向けのそれは女性差別の象徴として、ヘイト規制の一環に入れてほしくある気持ちが「個人的に」ある。
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あとすっごい反発されそうだけど、欧米基準の規制例でよくあがる
年齢がそうではなくても児童を連想する人が多ければそれは児童ポルノとして扱っていいみたいな規制もしちゃっていいと思う。
乳袋はエロじゃない~がぶっ壊れた感覚なのは反差別内においては周知の事実だけど、これは児童じゃない~みたいなのもぶっ壊れた感覚として扱ってほしい。
それ以前に絵で判断する必要もなく、設定女子高生ばっかなんだけどね、それが蓄積され結果として信用を失っただけって面もあるから容赦なく言ってるんだけど
そういう所を突かれて二次元でぐらいロリは許せ~みたいな害オタが多くなければ、こっちだって純粋にそういう絵を愛してるんだなって思えたよ、でも現実はそうじゃなかったし
もうそう思えない、同時にフェミニストの側に立ってくれる人やFセクの人には悪いと思ってるけど。
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それって統計的差別じゃないか?と言われそうだけど統計的に考えちゃダメなら、極論マジョリティとマイノリティの差がなくなってしまうと思う。
統計的に考えてこれって不公平になってないかとか差別に遭ってないかとか考えられるわけだから、統計的に考える事は大事。
昨今のトランスジェンダーを巡っての議論でマトモなトランス女性がいるのもわかるけど身体的男性って時点で脅威で、それを悪用する人がいるからって不安に思う人がいても、個人的にはそれは差別ではない。
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https://anond.hatelabo.jp/20230413182813
だからこの増田の気持ちもわかる、ただタトゥーに関しては先住民の文化という側面もあるから暴力団が悪用してたり脅しの道具として使われてるからといって無闇に規制するのは危険。
識者の見解は逆
グーグルのAIが「知性をもっている」という主張を巡る騒動は、さまざまな課題とリスクを浮き彫りにした
https://wired.jp/article/lamda-artificial-intelligence-sentience/
研究者のジェイソン・エドワード・ルイスとノエラニ・アリスタ、アーチャー・ペチャウィス、スザンヌ・カイトは、AIの倫理に関して先住民の哲学から得られた知見に基づいていくつかの視点を整理し、わたしたちと機械との関係性を考察した論文を公開している。そして性差別主義者や、たいていは女性的にコーディングされたバーチャルアシスタントに対して暴言を吐くような一部の人々が習慣的にやっているような何か本当に恐ろしいことを、わたしたちが機械でモデル化していないか、またはそのようにふるまっていないか問いただしている。
カイトはこの論文の自分が担当した章で、ラコタ族の存在論を引き合いに出し、誰が(あるいは何が)敬意を払うべき「存在」であるかということを分ける境界線を決めるのは、サピエンス(知恵)ではないことを認識することが不可欠であると主張している。
これは、すでに論じたAIの倫理的ジレンマの裏返しである。わたしたちがチャットボットを親友のように扱えば、企業はわたしたちを食い物できる。だが、敬意を払うに値しない空っぽの存在として扱うことも、同じくらい非常に危険なことなのだ。
テクノロジーに対する搾取的なアプローチは、わたしたちの互いに対する、そして自然環境に対する搾取的なアプローチを単に強化するだけになる可能性がある。非常に人間らしく見せかけることで、実際の人間に対する残酷さに慣れてしまわないように、人間のようなチャットボットやバーチャルアシスタントには敬意が払われるべきなのだ。
コマンチ族の酋長。ペタ・ノコナとシンシア・パーカーの息子。1874年居留地への強制移住に反発して、カイオワ、アラパホ、シャイアンと共に白人と戦った(レッド・リバー戦争)。しかし、食料源であるバッファローが狩り尽くされたため翌年降伏。居留地入りした後も部族を率い、白人文化を受け入れる一方でインディアンの文化も守り続けた。
・ブラック・ケトル
シャイアン族の酋長。白人との共存を臨む平和主義者で交渉による戦争回避に生涯を捧げたが、裏切られ続けた。最期はワシタ川の虐殺でカスター指揮下の第7騎兵連隊に無抵抗の女性、子供共に虐殺された。ブラックケトルは死の瞬間まで白旗を掲げ、「友達だ!」と叫んだが無視され蜂の巣にされた。
・シッティング・ブル1831~90
ラコタ・スー族ハンクパパの戦士。若い頃からレッドクラウド戦争,ブラックヒルズ戦争(1876~77インディアンの聖地ブラックヒルズを守るための大激戦)などの白人との戦いに従事した。1876年リトルビッグホーンの戦いではシャイアン族、アラパホ族と共にジョージ・カスター指揮下の第七騎兵連隊250名を全滅させた。スー族はその後降伏するも彼は頑なに居留地入りを拒みカナダに亡命した。71年に帰国し、捕虜となった。暴動を扇動したという無実の罪で逮捕されそうになり抵抗したため射殺された。
ラコタ・スー族オグララの戦士。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争などに従事し、その勇猛さをシッティング・ブルと並び称えられた。1876年ローズバッドの戦い、リトルビッグホーンの戦いで米軍を破った。しかし、物量や装備で勝る米軍に敵わず降伏し、捕虜となった後に銃剣で刺殺された。
ラコタ・スー族ハンクパパの戦士。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争に従事し、リトル・ビッグホーンの戦いではカスターの心臓を切り取った。1880年降伏した。
ラコタ・スー族の戦士。クレイジーホースの親戚で2m近い大男であった。リトルビッグホーンの戦いに参加した。
・ゴール1840年頃~1894
ラコタ・スー族の戦士。リトルビッグホーンの戦いでは騎兵連隊を分断し、勝利に貢献した。シッティングブルの盟友だったが、後に仲違いし1881年に降伏した。
・レッド・エンド1797~1881
ダコタ・スー族の酋長。兄を白人に殺されたことへの報復にスピリット湖畔の入植地を襲撃した。リトルビッグホーンの戦いにも参加し、シッティング・ブルと共にカナダに亡命し、現地で亡くなった。
・ジョゼフ酋長1840~1904
ネズ・パース族の酋長。平和主義者であり、キリスト教に改宗するなど白人に対して友好的であったが、1877年居留地への強制移住に反発し、カナダへの亡命を図り、部族を率いて1600km近い大移動を行った。巧みな戦術で白人の追撃をかわし続け、赤いナポレオンと称えられたが、最後は捕らえられ、逃避行は失敗に終わった。
・リトル・ウルフ1820~1904
シャイアン族の酋長。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争に参加。その後米軍に降伏したが、部族を率いて居留地から故郷への脱走を図り、2000km以上の大移動を行った。途中で降伏するもシャイアン族は故郷への期間を認められた。
シャイアン族の酋長。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争に参加。米軍に降伏後、リトルウルフと共に大脱出を率いた。
・ヴィクトリオ1825~1880
アパッチ族の酋長。1879年居留地から脱走し、アメリカ・メキシコに対して挑戦した(ヴィクトリオ戦争)しかし、翌年メキシコ軍に包囲され戦死した。
・ナナ1810年代~1896
アパッチ族の戦士。ヴィクトリオの姉と結婚し、ヴィクトリオ戦争でも共に戦った。1886年に降伏した
アパッチ族の女性戦士。ヴィクトリオの妹。ヴィクトリオ戦争に従軍し、兄が殺されると、ジェロニモと合流して米軍と戦った。1886年に降伏し、翌年病死した。
・ジェロニモ1829~1909
アパッチ族の戦士。1851年メキシコ当局に家族を皆殺しにされてしまう。それ以後獰猛な戦士としてメキシコ軍とアメリカ軍を苦しめた。1874年の連邦政府の強制移住に抵抗し、何度か捕らえても脱獄を繰り返した。1886年に捕らえられて以降故郷から連れ去られ、見世物とされるなど屈辱を受け、虜囚のまま死去した。
クリー族の戦士。飢餓に苦しめられ、1885年メティ(カナダ先住民と白人の混血)のルイ・リエルの北西反乱に加わった。
・ブコナイゲシク1830年代~1916
オジブワ族の戦士。1898年頻繁なインディアン逮捕や森林破壊に抗議し、逮捕されるが脱走。シュガーポイントの戦いで追討軍を破った
・デニス・バンクス1937~2017
オジブワ族の人権活動家。1968年アメリカインディアン運動AIMを設立。デモや選挙活動によりインディアンへの人権侵害に激しく抗議し続けた。その中でも有名なのがアルカトラズ占拠事件(1969~71)とウーンデッドニー事件(1973)である。前者は1年半にも及ぶ長期戦でインディアンの人権問題を国際的に周知させるきっかけとなった。後者は州兵、FBI、戦車、ヘリコプターを動員させる大事件となった
・ラッセル・ミーンズ1939~2012
ラコタ・スー族オグララの人権活動家。アルカトラズ占拠事件後にAIMに参加、ラシュモア山占拠事件、BIAビル本部占拠事件、ウーンデッドニー事件に加わった。ラシュモア山ではワシントンの像に放尿した。何度も逮捕や殺人未遂などの危機に陥るが恐れることなくインディアンのための活動に生涯を捧げた
再投稿です
・タスカルーサ~1540
ミシシッピ先住民の首長。スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。
・オペチャンカノウ1544~1646
ポウハタン族の酋長。ポカホンタスの叔父。1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次・第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。
・ササカス1560~1637
ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺、奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争で白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ王戦争で白人に虐殺されることとなる。
・ポペ1630~1692
プエブロ族の魔術師。スペインの宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人を駆逐したプエブロ族は独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペインに降伏した。
南部タスカローラ族の酋長。白人の土地侵奪、奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。
アベナキ族の酋長。フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争、グレイ・ロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父は戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた
ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人の貪欲な土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ王戦争1765~66)。メタカムは戦死、遺体は戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人の勝利に終わった。
・オブアンディヤック1720~69
オタワ族の酋長。英名ポンティアック。交易を制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合し攻撃をしかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府は政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。
ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争で白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人を訪問した際に拘束され処刑された。
チェロキー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族へ同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中に心臓発作で亡くなった。
・リトルタートル(1747~1812)
マイアミ族の酋長。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バルム大佐を戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦で勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、戦死者600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北し降伏した。
ショーニー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦、セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北した。
レナペ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗れた。
・エグシャワ1726~1796
オタワ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、フォールン・ティンバーズの戦いで負傷した
・テカムセ1768~1813
ショーニー族の酋長。白人の侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争でイギリスと組んでアメリカと交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争で敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領に就任するが、わずか31日で病死した。
マスコギー族の戦士。1811年の大地震を白人と戦えというメッセージと解釈し、交戦派レッド・スティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争で活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領に就任、インディアンへの弾圧・虐殺を行った。
・メナワ1765~40頃
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後も土地割譲に同意した酋長を暗殺するなど強制移住に抵抗し続けた。
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争で活躍、バーントコーンの戦いで米軍に勝利した。
ウィネベーゴ族の酋長。白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。
・ブラック・ホーク(1767~1838)
ソーク族の酋長。白人の土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。
・オセオラ1804~38
セミノール族の戦士。強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部はフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカに降伏していない
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争で活躍し、デイドの戦いで100人の米兵を戦死させた。
・ビリー・ボウレッグス1810頃~1859
セミノール族の酋長。オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争を継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍に勝利した。
・バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃
コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復に1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。
・ワルカラ1808~55
ユート族の戦士。その知恵と武勇から「砂漠のナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教徒入植者と対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。
・フレチャス・ラヤダス
ヒカリラ・アパッチ族の戦士。シエネギラの戦いでアメリカ軍を破った
・カミアキン1800~1877
ヤキマ族の戦士。白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏を拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒んだ。
・レスキ1808~58
ニスカリー族の酋長。白人の土地侵奪に反発し、ピージェット湾戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。
・テカムタム?~1864
アサバスカ族の酋長。鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。
・カイルーク
モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された
・ヌマガ1830~71
パイユート族の酋長。白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860年パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人と部族の平和のために生涯を捧げた。
・マヌエリト1818~93
ナバホ族の戦士。1860~66年までアメリカ政府の土地収奪と強制移住政策に抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。
ティンパノゴス族の酋長。モルモン入植者と対立し、1865年ユタ、パイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた
・マンガス・コロラダス1793~1863
アパッチ族の酋長。1830年代家族や同朋をメキシコ人に虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉の最中に捕らえられ、処刑された。
・コーチーズ1805~1874
アパッチ族の酋長。マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。
ダコタ・スー族の酋長。白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。
カイオワ族の酋長。第一次アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。
カイオワ族の戦士。第一次アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年に逮捕され、投身自殺した。
カイオワ族の戦士。ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。
・ローン・ウルフ1820頃~79
カイオワ族の酋長・交渉によりウォーレンワゴン・トレイン襲撃で逮捕されたホワイト・ベア、ビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナ・パーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオワ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない
シャイアン族の戦士。強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールズバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人に勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマ性から白人から酋長であると誤解された。
ラコタ・スー族の戦士。ララミー砦からモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍は道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウドは居留地に入り晩年はキリスト教に改宗した。
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。
・ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府の平和交渉に当たった。
モードック族の酋長。居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワード・キャンビー少将が殺害されたため、インディアン戦争で米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏し絞首刑に処されたキャプテン・ジャックの遺体は見世物とされた。
モードック族の戦士。モードック戦争に加わり、サンドビュートの戦いで勝利した
コマンチ族の酋長。スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。
・ペタ・ノコナ1820頃~1864
コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシア・パーカーを誘拐、妻とする。1860年ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。
ビキニ水着の名前の由来はビキニ環礁で行われた原爆実験といわれている
つまり「この過激な水着は原爆並みの衝撃だ!」という売り文句が由来
これを知った時「アメリカ人にとって原爆の衝撃はその程度かよ」と不愉快に思ったものだ
……というのを以下の記事を見て思い出した
https://gigazine.net/news/20230112-apache-appropriation/
オープンソースのWebサーバーソフトウェアとして知られる「Apache」を運営するApache Software Foundation(ASF)に、北アメリカ先住6部族の1つであるアパッチ族を念頭に「アメリカ先住民への敬意と独自の行動規範を守るため」として名称変更の要請が出されていることがわかりました。
とある人々のアイデンティティに関わる名称がロマンティックに気安に使われていて敬意が無い……って要素に近いものを感じた
自分の知識は間違ってはいなかったが、もうちょっと込み入った名前の由来があったようだ
それ以前に発表されていた大胆な水着が、最も小さい意味で「アトム(原子)」と呼ばれていたことや、同じ年に原爆実験がビキニ環礁で行われたことから、その衝撃をなぞらえ「ビキニ」と呼ばれるようになった。
「原子」より布面積の小さい大胆な水着に名前を付けるなら?と考えたなら原爆由来の名前をつけるのも納得ではある