はてなキーワード: 優生思想とは
個人的には、現代社会は優生思想を克服なんて1ミリたりともしていないどころか言葉をクレンジングした上でむしろ強化されてると思う。
そういう状況を見ないふりしておきながら「優生学はナチス!!ばーかばーか!!」みたいなことを言うお前のような奴の愚かさが目につくわ。
元増田です
(もらった返信に最初に返信してた奴は別人です)
「優生思想がタブー視されるのはエセ科学だから」というのを初めて目にしたんだけど、本にはそう書いてあるのか?
本を読まずに語るな、というのはそうなんだろうが(思いつきの浅い主張を並べられるのが増田の良いところだと俺は思っているけど)、
ざっと自分で調べて見た感覚として、優生学批判は倫理的(+宗教的)な側面から為されることが多くて、「前提部分がエセ科学である」って主張は初めて目にした。
いずれにしても本も読まずに論を広げるのが浅すぎるのはご指摘の通りだから、そこは勉強してみる。
参考
https://nagoya.repo.nii.ac.jp/record/28518/files/anncsp_50_161.pdf
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/html/rchome/Shiryo/310yuusei_houkokusho_3-1.pdf/$File/310yuusei_houkokusho_3-1.pdf
>①劣っている者には制限を加えて良いというのは、ナチスドイツによる虐殺と同じ論理である(→虐殺に繋がりかねない)
>②障害を抱えていたとしても、人間である以上その権利は尊重されるべきである
この時点で、お前が「よく言われる優性思想をタブー視する根拠」について無知であることがわかる。
あのな、一番良く言われるタブー視の根拠は、優勢思想がニセ科学だからなんだよ。
メンデルのエンドウマメじゃあるまいし、劣った人間の子供が劣っているとか断言はできないの。
あと、パソコンの天才の遺伝子は、たぶん20世紀前半は全くの無能扱いだったとかいうことから、将来の有能無能判断が不可能ということもわかる。
特に、ナチスドイツは、「ユダヤ人は劣等人種」とかいうわけわかんねーこと言っただろ。どんな根拠で? 無いんだよ何も。
お前がもしも、お前が論拠にあげたような遺伝病に関する話だけをしたいんだったら
そうやらない理由がないだろうが。ニセ科学に傾倒してない限りは。
最近Twitter(現X/以下、旧称を使用します)で、知的障害を抱えた人たちが出産をした結果、周囲のボランティアにその生活を丸投げしている状態であると言うツイートが流れてきた。
当該ツイートのリプライ欄や引用欄を見ると、「生まれてきた子供が可哀想」だの「巻き込まれる周りの人間が可哀想」と言った声が大半を占めるよう見受けられた。
一方で、リプや引用の中には、「当該ツイートやリプライの論調は典型的な優生思想であり、危険である」という旨のものも散見された。
特に、ある一定以上の知識・教養水準を持っていると思しきアカウントによる主張が多いように見えた。
知的障害を抱える親を持った人が苦労をしたツイートなんかも多く目にすることができる中で、優生思想を知的障害者と縁のない生活をしてきた恵まれた者が"正しい"論理を振りかざして抑圧するのが正しいようには思えない。
現実として、知的障害者を親に持つと言うことは相当な不幸であり、なんの罪もないはずの子供に大きな苦痛を与えることに他ならないというのは自明だろう。
しかし、そんな不幸な子であったとしても、生まれてきてしまった以上は簡単に死ぬことができるような社会でもなく、普通に生まれていれば経験するはずもなかったような苦痛を常に抱えながら生きる他にないのだと思う。
どう考えても不幸な人生しか送れないような人間を生み出す合理性がどこにあるのか。
そんな人に対して、生きることの素晴らしさ、平等な社会の美しさを伝えて何になるのか。
優生思想をタブー視する人間は、それによって苦しんでいる人が現実に居るということを理解しているのだろうか?
現実を捨象して、抽象化された論理で正しさを導こうとしていないか?
①劣っている者には制限を加えて良いというのは、ナチスドイツによる虐殺と同じ論理である(→虐殺に繋がりかねない)
②障害を抱えていたとしても、人間である以上その権利は尊重されるべきである
という2つがあるよう見受けられる。
この点、①に関しては完全に論理の飛躍だと思う。
重度の障害を抱えている者による出産を制限することと、特定の属性を持つ人間を虐殺する行為は明らかに同一ではなく、「優位な立場にある多数派が不利な少数派に制限を加えている」と抽象化した場合に同一の枠組みといえるからと言って、その2つを同一視するのはあまりにも合理性に欠けると言えるだろう。
荒唐無稽な例えだが、この国が法治国家であり、立法権が国会にある以上、「インターネットの使用を禁じ、犯した者を死刑とする」という法律が国会によって制定される"可能性"が存在はしていると言えるだろうが、だからと言って「立法権を国に委ねているのは非常に危険な状態である」という主張ができるだろうか。
現実として、立法権はある程度の良心と合理性に基づいて運用されているため、上記のような"可能性"は顕在化しない。
同様に、知的障害者が子を持つことを制限したとして、例えばそこから一定の属性の人間への不当な権利の制限に繋がるだろうか?
その制限の範囲が不当に拡大するような結果に至る"可能性"を過大に見積もっていないだろうか。
枠組みに共通点があるだけの極端な例を用いて、優生思想を断罪するロジックを妥当とは思えない。
確かにどんな人にだって幸福を手にする"権利"はあるかもしれないが、その結果として周囲の人間や生まれてきた子の幸福を犠牲にしているのだとして、そのような"権利"が本当に実現されるべきだろうか。
仮に人を殺すことで幸福を得られる人がいたとしても、その人の"権利"実現のために殺人は許可されないように。
出産により幸福を得られたとしても、それによってより多くの不幸が生じるのであれば、それは制限されて然るべきではないだろうか。
Twitterで定期的にバズっている、非常識で男尊女卑の思考で凝り固まった九州男児を成敗するスカッとジャパンなストーリー
それに追随するように湧く、九州は知能も低く昭和の価値観で止まっている地獄のような場所というヘイトスピーチ
なんなんだよ、Twitterで書かれる一個人の事象で地域を括って偏見と差別を振りかざさないでよ
確かに、男尊女卑の価値観が未だ続いてる地域かもしれない、自分だって疑問を抱いて苦しむこともあった
だけどそれを見た"九州より優れてて賢くスマートな都会人"が知ったような口で九州を侮辱されると本当に頭にくる
一緒にするなと偉くて賢い人に怒られそうだが
黒人が黒人コミュニティで自分達のことをニ●ーと呼び合うことを是とし
白人がそう呼ぶことへ怒り差別とする気持ちが少しわかる気がする
女性の差別は反対するのに嬉々として地方を差別するリベラルな人々、自称フェミニストたちはその構造のおかしさに気づいていない?
大学生の頃、ジェンダー論とフェミニズムを少し学んでその思想に助けられたのに、ど田舎九州に住む野蛮人は死ね、と刃を向けられた気分だ
差別反対を表明する人たちが平気で田舎差別しないでよ、味方じゃなかったの?
データや統計に基づいて論理的に問題提起しているのならありがたいが
Twitterで蔓延る九州の男尊女卑エピソード、結局一個人の出来事を大きく取り上げて"九州男児"ってわかりやすくかつラベリングしてバカにしてるだけじゃないか
挙句の果ては"会ったことはないけど娘が付き合ってるのが九州男児で〜今すぐ別れなさいって言ってるんだけど〜…"と
あの、実際に会ってないんですよね?彼を"九州出身"というフィルターだけ通して見て
娘さんが選んでお付き合いしてる人を無碍にしていいんですか、あなたは娘さん自身を信頼してないんですか
会って嫌な思いをして不安になるなら分かるけど…イメージだけで差別するなんて稚拙すぎませんか
九州の女性や男性が問題提起してるなら何も思わないし、建設的に話し合えたらいいって思うよ
Twitter賑わせてるのは九州に住んでない人が簡単に殴れるターゲットとして九州人を揶揄して遊んでるようにしか感じない
でも、祖父母を見てたら簡単に"九州は男尊女卑の遅れた土地"って切り捨てられないよ
祖父は昭和一桁年生まれだが、掃除洗濯は勿論するし、魚を捌いて刺身を拵えてくれた、祖父の作るだし巻き卵は甘くて美味しくて大好きだった
祖母は祖父の創業した小さな会社で経営方針を大きく改善して指揮をとっていたし、祖母の判断で不動産の投資と運用を行なっていた
伯父だって、正月には料理を奮って作ってくれるし、帰省の際は祖父母のためにいつも食事を作ってる
優生思想?帝国主義??関東圏内に生まれなかった、本州からも離れた九州の"土人"は平気で侮蔑していいの…?
Twitterで"模範的なモラルを持つ人"と挙げられがちな欧米のエリートと関わったことあるけど、強烈なレイシズムとミソジニーを感じたよ
パリ第一大学を卒業した自称フェミニストのエリートフランス人だったけど、店で料理をサーブしてくれた女性が親切だったことをあげて「自分は白人だから優遇してもらえる、日本人は白人が来てくれて嬉しいからね」って平気で言ってたし
「男女の友情なんてない、男は女とヤリたいから親しくするだけ」と吐き捨てたよ
東京生まれ東京育ちの早稲田大学卒業の男性、女性をモノのように扱ってたよ
彼らを一括りにして都会の男はミソジニーのレイシストだ!と言うつもりはありません。
もちろん、九州にだって嫌な価値観の人らがいるよ、嫌な思いもした
でも「女性」で一括りに差別され悲しい思いをした人たちが、「九州」を一括りにして侮辱していいって思えないよ
#さすが九州とか、#Q州のハッシュタグで綴られているツイートがあまりも粗雑で悲しくなる
それに私が出会った中で1番ジェンダーに対してフラットで女性を尊重してくれると感じた男性は九州生まれ九州育ちだった
九州の文化や風習が男尊女卑を増長してる論を語るならば、もっと冷静にデータと分析を持って問題提起して欲しい
そのような方が九州男児を過剰に否定し拒絶する気持ちも理解できる
でも、そのラディカルさが手を取り合うべき人同士の分断を産んでしまうことに深い悲しみを覚えている
出身地は選べないのに
フェミニズムとオリエンタリズムを一緒くたにして出身地における差別をしないでください
あえて、"都会の人"と再三括りましたが、都会の人が皆九州を差別してるとは思っていません
沢山の反応をいただいて驚いてます。共感、疑問共にいただけて嬉しいです。
まとめると、男女差別に反対しながら地域差別を肯定しないでほしいということです。
しかし、それに対しての抗議の声が自浄作用として働けば良いですが、地方や特定地域への蔑みと差別が内面化したものが多いことが悲しいのです。
男尊女卑の反例として私の家族を挙げてますが、それが九州の価値観だと一般化したいわけでもありません。
ステレオタイプなイメージで、特定の地域を括り侮蔑することは差別を助長するのではないかと思っています。(これは九州に限ったことではないです)
地方と都市、男女、老若、貧富、さまざまな属性を無数に分けることができますが、属性に対する決めつけは差別の始まりになる危うさがあるのではないでしょうか。
どの本も共通して言えるのは国によって子供を作れなくさせられた方々の弱者性みたいなのを大きな主題として書いてるんだけど、
ちょっと思ったのは意思に反して子供を作れないということがそこまで大きな苦しみであるのなら、
単純に恋愛市場で戦えない弱者男性及び恋愛弱者とかも同列の弱者性を持っている、と言えるのでは?と思ったが、これに納得する人は少ない気がする。
「意思に反して子孫を残せない」という結果が同じなら、その原因が国の優生思想政策によるものなのか、それとも単純に顔が悪く恋愛市場上の人間の自由意思によって淘汰されたのか、
苦しみの種類の違いはあれど、苦しみの総量にそんな違いはないのでは?
まあ「Aさんは顔が悪くて頭が悪い故にモテず結婚できませんでした。」なんて主題のルポルタージュなんて描いても仕方ないとは思うんだけど、
俺はどっちかというと優秀な個人であれど子供を作ること自体に疑問な反出生主義的な考え方だから、子供を作れないことをそこまで大きな苦しみだと感じている人が
「(理由はなんであれ)意思に反して子孫を残せない」人を生み出してしまう可能性にあまりにも無頓着なのが、ちょっと不思議に思えてしまう。
ラッダイト運動が失敗した世界では人はどのように暮らしているのだろうかと考えることがある。
資本主義の暴走を止めたと称賛されるが、もしあのときラッダイト運動が失敗していれば人類はさらなる繁栄を手にしていたのではないかと思う。
もちろん、非人間的な労働による生産性の向上は労働者(=消費者)の消耗とセットなので結果的に経済は委縮する、
あるいは資本家の増長で富が偏在し国民の経済格差によって社会が不安定になりどのみち経済は破綻する、という理屈は分かる。
でも逆にうまいことバランスが取れれば、生産技術の開発が政府にコントロールされない世界の方がよりダイナミックに社会が進歩すると思うんだよな。
わざわざ社会をそんなディストピアにするほど人類は間抜けじゃないと言われるかもしれないけど。
例えば、歴史上、優生思想を害のある思想だと思っていた人が居たけど、そういう人たちの考えが主流になるまで蔓延した世界だったら、
今みたいに国によって遺伝的に優れた人間だけしか子孫を残せないよう管理された社会だって非現実的なディストピアと呼ばれるんじゃないか?
正直「育てる自信がないから」「子どもが好きではないから」「自由な時間がなくなる」そんな簡単で単純な言葉で片付く問題ではなく、日本の少子化には根深い問題がある
小学生の頃から今の社会で子供を産み育てるに疑問を抱き、女性視点でのメリットが何ひとつないと結論が出ているため理由を書き出してみた
子供を産むことは起業するよりもギャンブル性が高く後戻りができない
子育てが自分に合わなくても、子供を育てるお金が無くなっても、離婚しても、元の子供の居ない人生には二度と戻れない
会社のように廃業、倒産そういったことが何もできない。自分で意思決定できない。放棄すれば犯罪者になる
妊娠期間中、身体と精神に負担が大きく10か月間ほどの自由や人権がなく、その後も高確率でキャリアが途絶え20年間ほど自由を失う
産んだ後は社会的な立場や自分の時間を全て失う、軌道修正は困難、社会制度がクソ
代替わりするので、自由な時間がなくなるどころか、自分の人生の主役ではなくなる
人生の主役の座から降りることになり、自分が子供の人生のインフラ。しかも、体作り頭作りメンタル作り体験作り等も策定するコンサル兼インフラ
両親の自己肯定感が高くないと難しい。このことを理解せずに子供を作ると毒親になってしまう
子供は競走馬ではないと思う
男性はリスクを一切負わないから不平等、そのため軋轢も起きやすい
女性は1年近く身体不自由で麻酔もかけずに時間と自分の人生を失い命がけで子供を産むのに対し、
一切痛みを伴わず一瞬の快楽だけで自分の子供が作れる男性側は楽しいし、家族を養わなければならない場合基本的に世話も出来ない
男性のように子供を産んでも楽しさや自由があるわけではなく、女性は自分の人生をすべて失うことと引き換えになる
知的障がいや発達障がい、身体障がいを持ってしまった場合育てる時間や労力がない。健常者で大学に行かせても将来ひきこもりや病気になる可能性がある
医療現場で勤務経験のある自分は現実が見えて周りにそういう状況で苦労している親御さんばかりで、何も明るいイメージが出来ない
老後の世話をしてくれるとは限らない
仲の良い家族でも世話はしない。障害を持っていると世話はしてもらえないし、たとえ自分の言うことを聞く健常者が生まれても独立するとホームに入れて会いに来ないし、海外移住もある
ヤングケアラーや奴隷にさせることになる。昔のように子供が親と一緒に住んで下の世話までさせるのは虐待だと思う
「外見至上主義」や「能力による階層化」が進んだ今、「普通の人間」という水準が爆上がりして子供に求められる能力が高すぎる
ママ友付き合い、受験戦争、近所付き合い、親戚付き合い「子供を産んだ」ということだけが接点の人間との付き合いはリスクが多すぎるし苦痛
親戚やママ友からの、顔面比較、能力比較、セクハラなど、犯罪まがいの暴言や差別が子供と母親を傷つける
国が求めるような消費と納税が出来る子供を3人産んで大卒にするには財力も体力が必要
20代までに結婚、20代前半で第一子出産、35までに産み終えるなんて高校卒業してすぐ結婚するような女になるしかない
国から老後に2000万円貯金しろとも言われている時代に、さらに子供を1人の養育費と教育費総額約2,000万~4,000万円も用意できない
さらに住宅ローンもある場合、1億という金をどうやって稼ぐのか正直イメージできない。もっと安くできるという意見もあるだろうが
子供が労働力になった時代じゃあるまいし、学費をケチって子供に可哀想な思いをさせてまで産みたいと思えない
正直国の理想では10〜20代で子供を産むのがベストだが、高卒で結婚して金のない状態ですぐ産むなんて多くの現代女性には不可能
大学や働きながらの妊娠出産でヤリマン呼ばわり。職場や学校でマタハラを受けることもある。キャリアを維持するために産んでも育休が取れない。キャリア形成の出来てくる30代で産むのは厳しくリミットが訪れる
とにかく変化の激しい世の中で10代で計画的に80年以上も生きる人間を自分の意志で作ること自体が無理ゲー
あらかじめ断っておくと、すべての障害者が死ぬべきという考えではない。ただひたすらに無能の役立たずである「自分」を死なせて欲しいって話。
なら迷惑かけずに一人で勝手に死ねって言われそうだが、何度もやって失敗してるからなるべく確実に死ぬ方法を求めている。教えてくれたら実行するけど頭悪いから失敗する可能性が高い。これまで失敗してきたから死ねてないわけだし。
世の中の役に立たない。毎朝生きてまた目が覚めたことに絶望する。
何せ長期的な人間関係の構築やコミュニケーションが出来無い。仕事をしたいと思ってもできる仕事がない。背後に人間が立つだけで恐怖するし、少しでも否定されれば大パニックになる。場の空気を悪くすること以外に出来ることがない。
これで何かしら尖った能力があればと思うがASDとADHDの悪いところハイブリッド系ゴミカス。興味の範囲極狭+秒速で飽きる。技能もなければ頭も悪い。運動しても体力も筋力もつかない。働きたいって言ってもカウンセラーにやめろと止められる始末。生きてる意味がない。
薬もカウンセラーもほとんど合わなかった。薬は逆に具合悪くなるし、社会に適応するのはほぼ無理なんだろう。不治の病だ。
だいたい、障害者の雇用を〜とかいって健常者様なら一人で完結させられる仕事を細切れにして回した上で健常者様のチェックを入れたり監督付けたりしてるの、普通に無駄でしか無いだろ。居ても居なくても変わらないどころか、存在しない方がありがたいレベルのお荷物なわけ。
だったら働くことを諦めて慎ましく暮らせって話になるだろうが、金のない不安に押しつぶされそう。これからどんどん減っていく税金で無能を生きさせる価値ないだろ。それでなくても障害年金とか必死で生きててギリギリの人間からしたら消えて欲しい存在でしか無い。しんどい自分たちから税金吸い上げて生まれついての無能のためにどーぞって、うっかり人間の形に生まれついた無能だから法律上殺せないだけで内心死んでくれよって思われてる。流石にそれがわからないほどアホではない。
ネットで弱い立場の人間をぶっ叩いてようやく溜飲が下がる程度に苦しんでる人間がいるんだから。そういう人たちが楽に生きられるようになって初めて社会全体で無能を飼えるんだろう。
こういう主張をすると優生思想云々って怒られるが、死ねばいいって対象は自分だけだ。あと、生きたくても生きられない人が〜みたいなのが湧いてくるけど、代われるならすぐ代わるから方法を見つけてくれ。健康な部分の方が少ないが、発達してない脳以外は一応それなりに動くには動くから。
どうでもいいけど死にたがりがよく言う臓器提供、あれはきっと社会参加して誰かに感謝されたいっていう叫びなんだろうなぁ。支援員とかやってる人も感謝されたい病っぽい人間多いし、欲求の中に「感謝されたい」があるのは辛いよな。
つらつらくだらないことを書いてきたが、とにかく死ぬ才能も生きる才能もないのでもう殺してくれっていうのが自分の主張。
安楽死とか夢があるけどなー判断したり処方する医者とか可哀想だからなー。オランダなら発達で苦しんでても死ねるのになー。帰化するにも言語含めてハードルが高すぎる。発達障害者の自殺率が有意に高いのは、存在している限り脳は変えられないし、幸福のハードルをどこまで下げても苦痛は消えない、一生救われないからなんだろうな。死んだほうが幸せってことも絶対あるのに。
そこで考えたのが「とにかく大量に他人殺傷して死刑になりたい犯罪者予備軍」と「とにかく死にたくてたまらない人間」のマッチングアプリ。需要と供給が一致するんだからこれ以上なくないか? 名前はデスマッチとか。なんの罪もない人が拡大自殺のために殺されるよりずっといい。
被炎上側が炎上した事実を認めることになり、訴訟や誤報のリスクがなくなるためマスコミも挙って報道し始め、さらなる拡散、延焼に繋がる。
その根拠として昨年に引き続き2023年、炎上しても謝罪せず見事鎮静化に成功した事例を振り返っていこう。
1月1日に放送されたNHKの年明け生放送番組「今夜も生でさだまさし」にて
出演者のももクロに「全員子どもを産んで2代目を作ってから引退してほしい」と発言。
1月2日、一部界隈でこの映像が拡散されセクハラであると非難される。
イェール大学助教授という肩書きでタレント活動をしている経済学者。
1月11日、過去のメディア出演で「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹をすればいい」と発言していたことが拡散され、優生思想や差別にあたると批判された。
しかし彼はこの件について沈黙を貫き、以降のメディア出演に影響なし。
イェール大学に問い合わせた者もいたが、大学HPの彼のページに「意見は個人の見解です」という旨の文言が追記されただけでお咎めなし。
1月9日、群馬県「命と性ミュージアム」に展示されている産婦人科用の検診台に乗り、機械によって開脚させられている様子の動画を
「足上がり過ぎてセックスどころじゃないセックスマシーンw」とのキャプションを付けてTwitterに投稿。
2月8日ごろ、一部界隈に見つかり不謹慎であるとの批判を受ける。
2月10日、検診台のメーカーであるタカラベルモントがこの炎上事案を指していると思われる抗議声明をHPに掲載。
その後も彼の勤務先が特定されるなどしたようだが、投稿は削除せず批判の一切を無視してTwitter投稿を継続。
しばらくの間、彼が投稿する度に抗議リプライを付けられるという粘着行為を受けていたが、次第に数は減り、現在ほぼ居なくなっている。
だが最新投稿2023年11月18日の時点で未だに粘着しているアカウントが1~2名存在する模様。
4月18日、全店舗で離乳食・キッズセットの提供を開始することを発表したところ一部界隈から、もともと独身女性客の多い場所だったのに居場所が奪われてしまう、など批判される。
その後の会社Twitter投稿の「お客さまのライフステージも変わり、ご家族やお子さまと一緒にご来店いただく方も増えてきました。」という文言も女性の結婚出産を当たり前だと考えている、独身者を客として見ていないと批判された。
4月26日、会社は声明を発表、好評を受けた取り組みであること、属性で客を差別することはないことを表明した。
しかしこの頃には既に批判を聞きつけた野次馬による擁護が優勢になっており半ば消化試合の様相であった。
4月21日、Twitterの人気アカウント滝沢ガレソがタマホーム女性社員の受けたパワハラの証言を紹介。
飲み会で男性社員の膝に座らされ目に酒を入れられる暴行、その後適応障害の診断を受け休職を願い出ると解雇される、他暴言など。しかし会社側は沈黙を貫き何も進展なく終了。
同社は2021年にも社長の反ワクチンや、社内LINEグループで風俗店のレビューをさせていたことを週刊文春に報じられ批判を受けていたが同様に沈黙で事なきを得ている。
5月7日、キューバ人のライデル・マルティネス投手が通算100セーブ目を達成した記念にケーキが渡された様子が報じられる。
ケーキのデコレーションに「亡命、ダメ。ゼッタイ」という薬物防止の有名な標語をもじった文言が書かれていた。
これは以前在籍していた別のキューバ人投手が一時帰国後アメリカに亡命、日本に戻ってこなくなったことを揶揄したものであるとされる。
5月9日、一部界隈に見つかり不謹慎、人権感覚の欠如などと批判される。
球団および写真を掲載した中日新聞、名古屋テレビからは反応なし。
5月17日に放映されたアニメ第6話が女子プロレスラー木村花が誹謗中傷を受けて自ら命を絶った事件に酷似しているとネット上で指摘される。
5月21日、これを知った母親の木村響子は無断でモデルにされたことに怒りを表明。響子さんに同情する声が相次ぎアニメに批判が集まった。
その後、原作者の過去発言で実在の事件を参考にしている証拠が見つかる、第8話謎の放送延期、炎上後のアニメ公式Twitterで件の揶揄と受け取られかねない投稿があったことなどしばらく燃料が追加され続けていた。
さらに、炎上の発端となった木村響子をアニメファンらが攻撃している様子も観測され、響子さんを守るためにもアニメ公式は何か声明を出すべきだとの意見も現れ始めた。
しかし、アニメ公式も制作のKADOKAWAと集英社も完全沈黙。アニメは無事全話放映され、いつの間にか鎮火していた。
6月24日、ドラァグクイーンが3~8歳の子どもを対象に読み聞かせするイベントを7月23日に開催することを告知。
一部界隈から、ドラァグクイーンは女性性への揶揄で且つ性的な表現を含んでいるため子どもに親しませるべきでない、女装男を女性として扱う価値観を広めることは女性の尊厳を傷つけることに繋がる、などと批判された。
7月4日、美術館が声明を発表、以前から世界各地で実施されているイベントであること、子どもの安全や性的表現には配慮していることなどを述べた。声明文の最後に「嫌なら見るな」的な煽りと受け取られる文言があり引き続き批判された。
イベントは予定通り開催された。
8月23日、メンバーハニのインスタグラムに日本で観光している様子の写真が投稿される。
投稿のキャプションには「our short trip to sushi land(寿司ランドに行ってきた)」とあり、これが一部ファン達から日本への差別にあたると批判される。
ステレオタイプ表現であるうえ、韓国には寿司女という日本人女性を蔑視するスラングがあるためそこから転じた侮蔑的意味合いもあるのではないかと受け取られた。
何も反応なし。
8月27日、特別展に展示されている作品のひとつ『十六恥漢図シリーズ』をTwitterで紹介。
その内容は、フェイスパックを剥がす女性、自撮りしている女性、脛毛を剃る老いた女性など、様々な女性を現代人の欲望を描く名目で描いたものであった。
一部界隈から女性蔑視、エイジズムなどと批判された。作品・作者だけでなく肯定的に紹介した美術館も批判の対象となった。
9月16日、美術館は作品の展示意図を説明する声明を発表。声明は、なおも作品を肯定的に評価するスタンスであった。
引き続き批判されるも、作品の展示は継続された模様。批判を受けた後しばらく停止していたTwitter更新も再開された。批判していた界隈外で取り沙汰されることもなかった。
9月22日、無印良品のヘルス&ビューティカテゴリ全製品のプロデュースをしているという坂梨カズ氏がTwitterでLGBT揶揄や嫌韓などヘイト投稿をしている様子が発見され批判される。
ブランドを運営する良品計画社に問い合わせた者によると「社内の製品設計に関わることなので回答は差し控える」との回答だったという。
以降進展なし。
12月14日、女性VTuber兎田ぺこらと宝鐘マリンがウェディングドレスを着た動画のサムネイル画像が公開され、12月15日に重大発表があると告知。
彼らに同性愛者の設定はないため、同性愛者・同性婚をマジョリティから衆目を集めるネタにしている(クィアベイティング)と批判された。
4月、女性声優の高野麻里佳が高木友梨香との交際報告をエイプリルフールネタとして発表し同様の批判を受け謝罪した事案があったため、この件も問題になるのではないかと指摘されていた。
予定通り公開された動画はブライダルドリームという曲のMVで、結婚が夢オチとして描かれた内容であったため引き続き批判された。
反応なし。
北海道立近代美術館の件は公共の団体・施設が女性性に絡んだ批判を突っぱねるという非常に珍しい事例だ。2021年東京都の「女子けんこう部」の件以来ではないだろうか。他に同種の事例を知っていたら教えてほしい。
女性性に絡む炎上は一般的には論じることすら難しい話題であるためとにかく平謝りされることが常であった。政治的正しさを期待される地公体などともなれば尚更である。
2023年で挙げるなら尾道市パンフレットの件、後述する川本町段ボール授乳室の件や浦添市長TikTokの件が平謝りされていた。そんな中で謝罪せずに炎上を乗り越えた事例が現れたことは大きな変化だと考えられる。
しかもこの件は一部界隈でしか知られておらず、スープストックトーキョー事例のように擁護意見が集まっていたわけではなかった。つまり美術館Twitterのリプライや引用リツイートには非難の投稿ばかりが殺到していたのだ。謝罪をしないどころかスタンスを変えない旨の声明を出した美術館の担当者は相当な胆力の持ち主だろう。
平謝りしてしまった事例にも変化がみられた。川本町段ボール授乳室の件は島根県の丸山達也知事が批判に反論していた。その後丸山知事が地位を追われるような動きはなく、公人でも女性性に絡む炎上事案に反論することが可能であることを示した。
浦添市長TikTokの件は市長が平謝りしたが、女性蔑視だと批判された動画は削除しないことを表明した。第三者委員会を立ち上げ本当に動画に問題があったのか審議するという。おそらく問題ありと判断されると思うが、現在も閲覧できる動画のコメント欄は擁護意見が優勢になっている。反論する度胸まではなかったようだが爪痕を残した。
まず、謝罪が無かったからといって批判意見が無下にされたとは限らないということに注意が必要だ。
昨年筆者が2022年謝罪しなかった事例に挙げた日経新聞月曜日のたわわ広告の件は、炎上を受けて行動を改めたとみられる動きが後に確認された。以前は新刊ごとに広告を出していたのに頻度が減った、スポーツ新聞にしか広告をださなくなったことが指摘されている。また2023年1月24日、仁藤夢乃氏がTwitterで日経新聞電子版広告webページの問題箇所を指摘すると、指摘投稿後のたった2時間以内に問題箇所が修正されるという出来事があった。
謝罪有無でどちらが勝ったor負けたと考えるのは早合点だ。上に挙げた2023年の事例も今後行動を改める可能性がある。
いつ頃からか「○○したら炎上する」「○○は時代に合わない」と言われる光景をネットでもリアルでも目にする。これは火付けに奔走するネットの一部の者が、政治的に正しくないものを見つけては攻撃し謝罪させ、被炎上側が悪者だと報道され喧伝される事象が繰り返された結果である。
彼らは露悪表現は需要がない、時代遅れだ、などとのたまうが、YouTubeやTikTokでエログロを匂わせた動画や露悪的なコント・企画がビューを集めている様子を見ればそれが誤った認識であることは明白だ。
なのに彼らの動向がさも世の中全体の意見、時流だと広く認識されている現状がある。
これは炎上させる側が謝罪を求める理由のひとつでもあるだろう。
被炎上側が批判意見を受け入れるにせよ受け入れないにせよ、謝罪をせず拡散・報道を食い止めることは、彼らが増長することへの歯止めになると筆者は考えている。
終わりに、炎上事象に関してよく見かけた意見に筆者の見解を述べておく。
マスコミはジャニーズ事務所の件から全く反省していない、という意見。
冒頭にも書いたが、マスコミなどは何らかの訴訟や誤報のおそれがないことを確認してから報道する。訴訟や誤報のおそれをなくすには第三者に事象を認められることが必要だ。被炎上側の謝罪リリースの他に、警察発表、裁判、後述する行政処分や記者会見などがそれにあたる。
2者はどちらも週刊誌報道から進展がないため現在の対応は妥当だといえる。
逆に山川穂高の件は彼が書類送検された途端一斉にマスコミ報道されている。
ジャニーズ事務所の件の反省はあくまで当時の文春報道を認める最高裁判決を無視したことの反省である。NHKクローズアップ現代でもそのように反省の弁をまとめていた(2023年9月11日放送回)。週刊誌報道があった時点で取り上げるべきだという意味ではない。
いい加減、みな学習して陰謀論めいた批判を垂れ流すのはやめてほしいものだ。
これは間違った認識である。ビッグモーターの件がマスコミに取り上げられ始めた起点は6月27日宇都宮南店不正車検による行政処分、ジャニーズ事務所は4月12日岡本カウアン氏の記者会見が起点だ。これらの事象に謝罪有無の因果はなく、どう対応しても大事になっていたと考えられる。そして謝罪は報道起点になる事象であるため謝罪しないほうがリスク回避になる。
※ジャニーズ事務所の件はBBCが取り上げたおかげだという意見も多いが、筆者は岡本カウアン氏の記者会見のおかげだと考えている。五ノ井里奈氏、伊藤詩織氏の件も記者会見がマスコミ報道の起点になっている。
法人の製品であり情報収集を主軸にしているのに肝心の情報収集能力が役立たずだからだよ
本来あるべき姿が保たれていない
X見てると結構発達障害とか自閉症の子供持ってる親が「思い描いてた人生ではなくて悲しい、健常児の親子を見るとつらい。我が子も健常児だったらこうじゃなかったかもしれないのに」みたいなことをよく言ってて、ああ、きょうだい児じゃないとそういうのを未来の家庭の像として持てるんだ、世界違うな〜みたいなことを考えてしまう
それが悪いのではなく、自分の場合そう思うのがたまたまその人たちよりも20年くらい早かっただけなんだよね。あー、普通の家なら、花火大会もお祭りもいけたんだろうな。ディズニーも家族で楽しかったんだろうな。でも自分にはこんな弟がいるから何もできないんだなってずっと思ってた。
子どもの頃から今までずっと弟って本当にとにかくはやく死んでほしくて、弟がいてよかったなとか、同じ障害者に理解があるとか全然ない。障害自体の特性などは理解してるけど、知ってても手助けしたいとかないし、ごく当たり前に優生思想になった。迷惑すぎるから。
こんなん断種しとけと思うし、当たり前に自分自身もその遺伝子があるわけで、弟以前に自分が死にたい。結婚とかも全然したくなく、親はのんきに子供は可愛いとか言うけど、自分は子どもが生まれたらどうあれ即日養子に出して血は残したんだから勘弁しろよという感じ。
アレになるかもしれないタマゴを恐怖に苛まれながら育てなければならない苦痛しか、子どもや子育てに抱けないんだよ。かわいい子どもってよその家にしか存在しないから、自分のウチにいる子どもというもの自体が非常に気持ち悪く、いつ異常が出るのかと疑心暗鬼で狂いそうになるのが容易に想定できる。
でも、そういう現実を知ってるからこそ子どものない人生って選択肢が早期からあったので、その「障害児の親」ルートを回避できるというのは利点と言えば利点なのかな。
産んでしまうと取り返しがつかないし、その子どもが大人になったところで、まともな仕事なんか回ってこないんだよね。弟は今も倉庫作業員みたいな仕事で、職場ではおそらく周りから馬鹿にされていてそのことで親に当たるようになった。弟の同級生で早くから療育を受けていた自閉スペクトラム症の子は介護士になり、介護施設で掃除員をしてる。人前に出せないから。当然周りの介護士からは疎外されており、やはり親やものに当たる、と。
それでも、それをずっと見ていれば、自分とは違って子どもがほしいと思う人であっても、心構えができるんだよね。「健常児子育てでない現実」を見てるから、早いうちに諦めもつく。
いわゆる「絵本の中のあたたかい家庭」は二度と来ないなというのを理解した状態がスタート地点なわけで、かえって成長などをより前向きにとらえられるかもしれないけど、健常児家庭しか知らない人からしたら本当に想像との落差が大きいんだと思う。
初めから知っていて理想が低かったり全てを諦めるのと、何も知らず幸せな未来を思っていたらいきなり終わりがないトンネルにぶち込まれるの、どっちがいいんだろうな。もちろん、1番は何も知らず理想のまま子育てができることではあるんだけど。