はてなキーワード: 側溝とは
今年は6月から意味が分からないくらい暑いせいで、この時期にまだ就活やってる人間への罰ゲームなのか? と思ったりする。7月は当然地獄。NNTは罰ゲームどころか地獄行きになった。
大体の企業は駅から徒歩数分で済むのだが、時々徒歩で歩いていいレベルを超えてきたりする。
しかも自分は方向音痴だから、大体迷う。徒歩15分は徒歩30分と見積もっている。知らない住宅地にデカデカとある謎の自然公園を泣きべそかきながら歩いたこともある。
とにかく汗をかく上にすぐに顔が真っ赤になるせいで、道行く人が全員「コイツ大丈夫かよ」みたいな顔をしているし、企業の人もなんか心配してる。
当の本人は自分の方向感覚が心配でたまらない。なんで逆向きに堂々と歩いていたのか不安になる。暑さなんてどうでもよくなり、時間との戦いに強制参加させられるのだ。
就活をして気付いたのだが、あれほど熱中症には気を付けろと言われているのに、暑苦しいスーツを着てさまよっている自分は何故か熱中症にならない。
インドア派でいかにも体力がなさそうなオタク顔の大学生だが、バケツから水を被ったんですか? みたいな汗をかきながら延々とコンクリートの道を歩き続けても、淡々としている。
不思議なもので、何回も迷い続けると身体が慣れてくる。信号待ちの間に水分補給を行っているのが功を奏しているかもしれない。
ヤマもオチもない話だが、駅で見かける世の就活生はなぜ涼しい顔をしているのだろう? 上着まで着て暑くないのだろうか? 自分は電車で隣に座った人に「汗臭くて申し訳ない」と俯くことしか出来ないのに。
まだ就活を続けている仲間たち、熱中症には気を付けよう。信号待ちの間に水分補給を取ろう。
あと、当たり前のことだろうがパンプスを履いたままで側溝の鉄の蓋の上を歩いてはいけない。私は今日も足を取られて罠に引っかかった野生動物のようになった。
ドブ板選挙(ドブいたせんきょ)は、日本における選挙活動、戦術の一種。ドブ板戦術、ドブ板活動とも言う。
かつての選挙活動では、候補者や運動員が有権者に会うために民家を一軒一軒(場合によっては後援者の民家でミニ集会も行う)回った。その際、各家の前に張り巡らされた側溝(ドブ)を塞ぐ板を渡り、家人に会って支持を訴えたことが「ドブ板選挙」の由来である。現在公職選挙法では戸別訪問を禁止しているため、街頭演説等[1]小規模施設での集会や、徒歩で街頭を回り通行人に握手を求める等、選挙区の一人ひとりに直に支持を訴える方法で行われる。
一般に日本の選挙においては、三バン(地盤=後援会、看板=知名度、カバン=資金)の揃っている候補者が有利とされ、いずれかで劣る候補者は、支持拡大のための戦術のひとつとして、ドブ板選挙を選択する。田中角栄は「歩いた家の数しか票は出ない。手を握った数しか票は出ない。」と唱え、自派の候補者にドブ板選挙を強く推奨したほか、現在では角栄の影響を強く受けた小沢一郎などの政治家が、自グループの候補者にドブ板選挙を積極的に勧めている。一方で、青島幸男のように選挙公報作成と政見放送録画を除けばほぼ全く選挙活動をせず、ドブ板選挙の反対を行きながら、高い知名度を武器に公職選挙に当選するタレント候補も存在する。
戸別訪問が禁止されている現行選挙においてもこの用語が使われることがままあり、例えば2020年東京都知事選挙の報道では「街頭演説」をどぶ板と称している[1]。
選挙活動ではドブ板選挙、政治に関係なくただの支持を訴える活動などにおいてはドブ板活動と、用語を使い分ける場合が多い。 https://blog.goo.ne.jp/zitensyaoyazi2002/e/643a45df69709fd0562a578bafd0cddf
新しい朝ドラ観るチャンスなので、
なんでも時代設定が
昭和40年後半で
まだその当時沖縄ってドル使っててまだ日本に返還されてなかったのね。
知らなかったわ。
物語の中のそれらが本当かどうか簡単には視聴者が検証できないぐらいの時代設定の方がファンタジーで面白いのかも知れないわね。
そう思ったわ。
だからサーターアンダギーとシークワーサーはこれから爆流行すると思うので、
「半分、青い。」とか「おかえりモネ」は時代設定がわりと最近なので、
変にリアリティーあって、
そう言った要素が排除できるファンタジーな時代設定の方が見ていても案外すんなり観れるような気がするわ。
でも早速、
1話目の子ども達が走ってるところをドローンから空撮撮ってるんだと思うんだけど
きっと誰かがあの時代にあんな側溝はなかった!って言ってるかも知れないし、
まあ私の好きな食の話題だし、
面白そうよ!
でさ、
朝ドラの序盤に出てくる主人公と拮抗する敵の人の役とか憎まれ役の人って
ドラマを通じて終盤なんか一番大事な仲間になってたりするじゃない。
それは知らないことにして楽しもうと思うわ。
サーターアンダギーとシークワーサーが街中から消える日もすぐよ。
うふふ。
カフェオレね。
カフェオレの牛乳の割合が100パーセントって意味じゃなくて、
うふふ、
朝ドラにちなんでみたわ。
でもあんまりデトックスウォーターにしちゃうと酸っぱさの良さが水になっちゃうわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
世界とどこかでつながっていたい気持ち。でも完全につながっているんじゃなくて、安全なところに隠れて、そっと伺い見るような、そんなのを望んでいる。誰かが話しかけてきたら逃げてしまうだろう。いや、そんな気取られることすら嫌だ。そっと、屋上の物陰とか、屋根裏の隙間からとか。
ぼくは出て行っていいのかな。挨拶をしたり、話しかけたりしていいのかな。ぼくのような出来損ないが。
【LIVE】東京・新宿駅前ライブカメラ Shinjuku, Tokyo JAPAN - YouTube
あの新宿南口は、何度も行ったり来たり出たり入ったりしたところ。高校生の頃からおなじみの場所。予備校の帰りとか、入試日のチキンライス弁当とか。
受験の弁当を駅の西口コンコースの階段の広い踊り場にある売店で買って、いつも唐揚げとチキンライスの弁当で。30年以上前のこと。
ほんとうに、ぼくはどうしてこんなに無駄に回り道ばかりしているんだろうか。それとも回り道じゃなくて彷徨っているだけなのか。目的地すら知らない。もしかしたらずっと東の彼方に見える海峡の向こう、もしくは夜の黒い平原の彼方の光の粒に向かっているつもりなんだろうか。
降る雨が窓ガラスに降りかかり、細く開けた窓枠の横の隙間から右手を肘まで出して、手には何か棒状で平らなもの、たとえば定規とか持って、バスのワイパーになったつもりで動かす。扇形に。5歳、6歳のぼくだ。
あの頃、目的地なんて知らなくて、そんなものなくても平気で。でも、毎日親から叱られるのは嫌だった。脚を持たれて逆さにぶら下げられたり、床の上を引きずり回されたり。お母さんはいつも寝ていて、話しかけても叱られるだけで、そして仕事から帰ってきたお父さんに告げ口して、同じことでお父さんから叱られて、それも毎日1時間、2時間、立ちっぱなしで。晩ご飯を食べながらお父さんは叱り、食べ終えても叱り。
知らないおじさんおばさんのくせに。
家の前の石段で苔の盛り上がりを撫でたり、側溝の流れに揺れるご飯粒と、白くなったミミズの死骸の生臭さをかいだりしていた頃。自分のつま先よりも大きな石が転がる砂利道を歩いて、道端のコンクリ製のゴミ箱の中をのぞき込んだりしていた頃。台所の電灯の笠のスイッチを回す「キュッ」という音で夜がやってきていた頃。
ぼくはずっとあの町で過ごしたかったのに。あそこが一番素敵だったのに。寝台特急とサンドイッチと、そして車窓から射し込む朝日とコーヒーの匂いで騙されるようにして、知らない町、知らない大人のところに連れてこられた。そして、学期途中から入った幼稚園の初日、園庭の遊びの途中に他の子に触られて吃驚して、ぼくはその女の子を叩いて、そしてぼく自身が泣き出した。
通園バッグのパイピングは、ぼくの噛み痕ですぐにぼろぼろになった。ワイシャツも、吊りズボンも、蝶ネクタイも、カンカン帽も嫌いだった。
小学校も知らない町だった。卒業するまで、両手指は深爪のままだった。だって、通園バッグを噛むわけにはいかないから。「よくできる真面目な子」が通り相場だった。十本の手指だけでは足りなかったが、幸いなことに体は柔らかかった。ニ十本で何とかなった。
中学校は友達のいない遠くの私立で、中高生で友達も出来ず、大学受験は宅浪で、でも共通一次は頑張った。しかし、それをお父さんは認めてくれなくて、国大で最底辺の遠くの学校しか許してくれなかった。入学しても受験勉強して大学を受け直せとお母さんには言われた。
そんなぼくに、何ができただろう。
靴は指を丸めて履くんだと思っていた。だから、駈けっこはいつでもビリだった。中学生になるまで、両足指の関節は丸くタコのようになっていた。靴は指を伸ばして履くもんだと知ったのはいつだったろうか。
うん。
中高生のとき、ぼくは何をすればいいのかわからなかった。大人は「テストで点をとれ」とばかり言うだけで、それにはどうすればいいのか、そんなことは一言も教えてくれなかった。「勉強しろ」としか言わなかった。勉強って何? 何をどうすればいいの? という質問すら思いつかず、おそらく思いついたとしても質問自体が禁じられていただろう。「そんなこともわからないからダメなんだ」って叱られただろう。もしかしたら物を投げつけられたり、殴られたりしたかもしれない。教師は笑って相手にしてくれなかった。
勉強する、身につける、試験でそれなりの成績をとる――そこへ向かうには、幾重もの疑問や課題や障害や不安をひとつずつ解決していかねばならないというのに、それを一気呵成にぶち破れるような幻想を抱かせる言葉しか手許にないとしたら、夢の中に暮らすしかないじゃないか。
そして、ぼくは夢の中に逃げ込んだ。
東の窓。黒い平原。地平線の光の粒々は未来都市、宇宙港。ほら、横切る点滅は惑星からの到着便だ。低く流したAMラジオ、ハチミツたっぷりの紅茶。大学ノートに青インクの極細サインペンで思いつきを書きつけていく。お手本は稲垣足穂。
そうか、40年も同じことを続けているのか。
大したもんだ。
夢の中に40年間も暮らしている。
おかしくもなる。中も外も。
ぼくの人生は復讐か。復讐する相手は、もういないけど、居る。だから、ぼくは自分自身に復讐する。
道理で苦しいわけだ。
息子には味わわせたくない。
この記事をね、読んだんですよ。1か月前に。
熊本生まれの妻に「熊本の良さ」を全力で伝えてみた|ヨッピー
前もって言っておくけど、ヨッピー氏個人に思うところがあるわけではないし、もちろん個人攻撃をするつもりもない。
これは広告記事だというのもわかっているし、熊本の魅力を伝えてくれているのもわかっている。基本的にはありがたい。
ただなにか、なんだろう、ずっとこの記事のことが心の中でしこりになって残って日に日にもやもやが募り、ついに吐き出したくなったので書いている。
自分は熊本生まれ熊本育ちで、大学進学で上京し、地元で過ごした年月と、東京を拠点にする年月が同じくらいになったところで、不本意ながら諸事情あって一度熊本に戻った。
当時東京に出た理由は「熊本、なんにもないからなぁ」に尽きる。地方特有のローカルルールとかどこどこさんちの誰々さんでいるのに耐えられなかったこともある。
それでも故郷のことは好きだし、愛着もあるし、褒められると嬉しい。たぶん、だから余計にもやもやしているんだと思う。
ヨッピー氏が挙げてくれた熊本の良さ、それ、『熊本』じゃないんよ。
まずこれ。「熊本駅前に住む」という感覚が、熊本の人間にはいまだ馴染んでいない。
熊本駅周辺が開発されたのはここ数年の話である。近年まで熊本駅前はマジでなんもなかった。本当になんもなかった。
九州新幹線が通ったのが2011年の話だが、そのときでさえ開発は進んでいなかった。線路を挟んで土地の管轄が県と市で異なり延々喧嘩していたからである。
駅周辺の開発が進んだのは(計画は長期であったろうが)2016年の震災以降である。
まず、そもそも熊本市内の人間は電車のことを電車と呼ばない程度に熊本駅に用が少ない。(市外からの通勤通学を除く)
「電車」=路面電車(市電)であり、いわゆる電車のことは「JR」と呼ぶ。JRは「外」に行く乗り物だし、「外」から来る人間の乗り物だ。
基本的に「熊本(市内)」に住んでいる人間が移動以外の理由で「熊本駅前」に行くことはほとんどなかった。
東京に住んでいる人間が羽田空港に行くくらいの感覚だと思ってほしい。おかげで今もそんなに馴染んでいない。
あと駅前は川沿いで地面も低い。熊本人はあのへんを住む場所ではないと思っていた。住宅地として開発されていることに慣れない。
駅の近くに家電量販店もスーパーマーケットもドラッグストアもコンビニも飲食店もスイーツ屋さんも映画館も飲み屋も何から何まで一通りそろっている
揃ってはいるのだが、感覚として羽田なのである。ここに書かれているものは街中にもあるし、郊外のイオンにもある。つまりそんなに魅力はない。
最近できたアミュプラザ熊本はちょっと都会っぽいものが揃っているが、いまさらこれで都会ぶるのも恥ずかしい。
むしろ中心部にあったパルコがなくなったことで心に穴が開いている。かつて福岡とタイマン張るとき唯一勝ち札にできたパルコ。(そのあと福岡にもできたから負けた)
我々はパル玉(旧パルコの前にあった丸い石のモニュメント/熊本におけるハチ公前)のことを今後なんと呼べばいいのか。
これはまあそう。道路の真ん中を車と同レベルのスピードで路面電車が走っていたらおそらく事故が多発する。
なお熊本市内で自動車運転免許を取ろうとすると、上り下り計6車線の真ん中に路面電車まで走っている交差点で車線変更と右折を行う教習が発生する。地獄。
トンネルいっぱいある高速教習もするし、踏切も渡るし、側溝ギリギリ1車線ハンドルさばきを間違ったら崖から落ちる山道を走らされたりもする。地獄。
熊本市内の基本的な移動ツールは自家用車以外だとバスである。バスは優先レーンがあるので比較的スムーズ。バスに乗れ。
街中に駐輪場を増やせというのは20年以上前からずっと思ってはいるのだが、上記は駅と「まち」しか行き来していないからできる発言でもある。
もともと熊本は川をそのまま堀とした城が建てられ、その回りにできた城下町がそのまま中心市街地になっている。
(渋滞が多いのは車が多いのもそうだが、城下町ゆえ道が恐ろしく入り組んでおり、一方通行や時間区切りでの取り決めが多く、見た目より時間がかかる経緯もある)
その一方で、住宅地は中心地から離れた高台や、川から離れてくぼんだ土地に作られているもののほうが圧倒的に多い。過去に大水害に襲われているからだ。
住宅地近辺は高低差が多く、自転車での行き来には労力を要する。
また、郊外の住宅地から中心地に働きに来る人間が多いので、必然的に自動車が増え、駐輪場より駐車場が優先される。自転車はあふれる。
無法に自転車が置かれているのでチャリ泥棒も多い。進学校でも数年に一度チャリパクで停学になるやつが出てくる。犯罪、ダメ絶対。
市もだいぶ前から問題視しており、課題にもしているので、熊本で気軽にこの話をすると若干荒れる。
参考:https://www.city.kumamoto.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=5&id=19753&sub_id=19&flid=275258
やたらとメシが美味い
これは半分正解で半分間違いである。熊本は確かにとれるものがうまい。肉も魚も野菜も果物も、質と鮮度がいい自負はある。
おかげで郷土料理がほとんど発達していない。なにもしないでもそこそこうまいからである。美点でもあり欠点でもある。
熊本はいつもそうだ。地産地消でほどほどに満足できるので、観光にも産業にも力を入れず、中途半端にのほほんと生きてきてしまった。
熊本で熊本らしい料理を食べるのは実はそこそこ難度が高いし、居酒屋も単に素材がうまいだけの場合が多い。いいことだろうけど味付けまでうまいかは人による。
あえて言えば何故か中華がうまい気はする。太平燕を食え。祝い事の際は桃花源へ行け。
水がうまい
これは素直に認める熊本の美点。水道水のカルキ抜きをしないでも金魚を飼える。
エキノコックスさえ到達しなければ誇り続けられるだろうが、いまだに井戸水や湧水を飲んでいる家もそこそこあるのであいつらが来たら終わりである。
そしてそこここで水と温泉が湧きまくるので熊本は地下鉄を通せない。地下道もほぼない。おかげで路面電車はのろいし、渋滞も起こる。
また、水が豊かな一方で、治水と環境保全に関しては、本当に何年も何年も何年もいろんな課題と論争と葛藤が続いている。
県外の人間が軽率に「ダム作っておけばよかったのに」みたいなことを言うとだいぶ傷つくので覚えておいてほしい。
その前に温泉の話をしろよ!!!!!!サウナとか言ってる場合じゃないのよ!!!!熊本の『湯らっくす』は天然温泉なんですよ!!!!!!!!
湯らっくすに限らず街のど真ん中のホテルも温泉なんですよ。熊本は銭湯感覚で温泉に行く。山鹿や黒川まで行かなくてもいいのよ。街中で温泉入れるの!!!
熊本地震のときに「風呂壊れたまんまだから温泉いくわ~~」であんまり困らなかった(当然困った人もいる)くらいのレベル。
郊外には家族湯(時間制で家族単位で貸し切れる温泉)も多いので、身体にコンプレックスがあったりタトゥーを入れていても安心。混浴デートにも使える。
熊本の自慢。
他にもいろいろ言いたいことあったけどここまで書いたらだいぶすっきりしてきた。
何度も言うけどヨッピー氏が書いていることは嘘ではないし、悪いことでもないのだ。誉め言葉は誉め言葉として受け取っておけばいいのだ。褒めてもらえるのはありがたいことだ。
だけどやっぱりもやもやするというか、なるほどこれが「内」と「外」の感覚や見え方の違いなんだなと思ったりした。
これをこじらせるといわゆる「村八分」に発展していくのだろう。怖い。自戒せねばならない。
田舎の排他的な、というか、熊本の場合は排他的というより、身内ノリや郷土愛が重い感じ(謎の高校閥とかさ)が嫌でその外に出たんだけど、外に出てなおやっぱりあの感覚から逃れられない自分に苦笑する。
今どんどん出来ている新しい綺麗な建物は、我々にとっては瘡蓋みたいなもので、地震の前にあったもののことを思ってしまうけれど。
おかげで熊本城もまた天守閣が見えるようになったし、今の中高校生にはきっと駅前が「まち」の一部になっていくんだろうし、ヨッピー氏が書いてくれたような新しい熊本がそれも「熊本」になっていくんだろうなとも思う。
阿蘇はいいよ。風は気持ちいいし馬にも乗れる。(火口は入山規制中だけど)(阿蘇はくそ広いので別に観光できないわけではない)(正直火口はそんなに面白くないので行かなくてもいい)
天草もいいよ。イルカ見れるし。太刀魚釣れるし。(泳ぐなら天草より芦北行く気がする)
人吉もいいよ。鍾乳洞探検も球磨川でのアクティビティもいい。うまい鰻屋もある。(市内から行くと高速にトンネルありすぎて気が狂いそうになるけど)
アーティストの地方ツアー大体飛ばされてたけど最近は来てくれる人もいるよ。(相変わらずテレ東映らないけど最近はもう配信があるし)
市内は基本盆地で吹き溜まりだから夏場クッソ暑くて湿気やばくて温室みたいになって死にそうになるけど。
いいとこだよ熊本。やっぱなんもないけど。
卒業式の日、平良は清居から不意にキスされた直後に突き飛ばされ、携帯を側溝に落とし水没させてしまう。携帯から失われた、清居の連絡先。平良は清居と自分はもう関係ないものと自分に言い聞かせる。そして大学に進学した平良は写真サークルに入り、そこで小山と出会った。小山との時間は平良の心を温かくしてくれる。平良は小山との心地よい関係にずるずると浸かり、友達以上恋人未満のような付き合いを続ける。
ところが、小山の誕生日、小山に誘われて観に行った劇に、なんと清居が出演していた。平良は1日を小山の為に過ごすはずが、清居から打ち上げに誘われた瞬間、「行く!」と反射的に答えてしまい……。
毎度言ってるけど、今回もまた萩原利久の平良再現度が120%。完璧過ぎてヤバい。これぞまさに平良。原作既読勢は、ストーリーが原作に忠実でないとか平良にしては背が低すぎるのではないかとか(だが実のところ萩原利久は結構高身長さんだったりする。どちらかと言えば清居役の八木勇征の背が高すぎるとも言えるが、あの身長だからこそのプロポーションの良さなわけで……)で不満の人もいるみたいだけれども、少なくとも平良だけはマジで平良なので原作既読勢もニッコリ、になるといいんだけどなぁ……。
ビーバー小山が思った以上に好青年風なので、小山に対する平良の無自覚塩対応はただ「何この冷たい奴」くらいの寒い印象を与えただけでスルーされるほどのものになって霞んでしまうのではないかなと危惧したけど、清居に打ち上げに誘われた時の平良の「行く!」の即答はピュアさがありつつも無慈悲な無自覚俺様キングオブキモうざ感に満ちており、とてもよかった。直後に場の空気が瞬間冷凍され小山がピキピキしてる様もとてもいい。あー、このドラマの役者さん達ほんと芸達者すぎていいわぁ〜。
そして遂に孤高のクールビューティー清居の化けの皮が剥がれる時がきた……! 実はさびしん坊で甘えん坊の清居がツンツンツンデレで平良の脛に蹴りの一撃。このエンドから来週は遂に清居のターン。次回予告に興奮を禁じ得ない。平良による城田フルボッコ事件が清居の視点から見れるだなんて最高過ぎる。
私みたいな二次創作からBLに手を染めた系の人間には、商業BLは恋愛に重きを起きすぎていて少女漫画のようにゲロ甘くネチネチしていてあんまり受け付けられないっぽい。というあなたにはこれがおすすめ!! と言われて手に取ったんだけれども、本当は同作者の『RIKO――女神の永遠――』から読んだ方がよかったのかな。本作の主人公は『RIKO』シリーズに登場する人気キャラクター麻生龍太郎。物語はサスペンスとかミステリーとかの類だけれども、麻生龍太郎とその同性のパートナー山内練のBL要素がある。しかしBLレーベルから出版された作品ではないので「非BL」扱いだ。
麻生龍太郎は色々あって警察を辞め、私立探偵として独立開業する。人を雇う余裕はないが、自分一人で食べていくには何とかなる程度に、細々とやっている所に依頼人がやって来たり、恋人の練がふらりと現れたりする。短編4話。ちなみに、BLとしてのあらすじはというと、ずっと別れ話してる、の一言で表せる。
麻生の事務所に裕福そうな身なりの女性 唐沢が依頼の為に訪れた。彼女の依頼は意外なことに、子供の頃に住んでいた借家の縁の下に埋めた「タイムカプセル」を探してほしいというもの。借家は取り壊されてしまったものの、管理していた不動産屋のつてにより、借家の過去の住人達の消息がトントン拍子に知れて、調査は順調に進むと思われた。ところが、唐沢には思いもよらない思惑があったようで……。
もっといい部屋に引っ越そうと誘う練。だが麻生は乗り気ではない。練に金を出させていい所に済む気は麻生にはないのだった。挨拶もせずに練が帰ってしまった後、依頼人が訪れる。今回の依頼人は、憔悴した様子の中年男の石田。彼は私立女子学園中等部の校長をしていたが、既に退職した若い女性教師・河野から、身に覚えのないセクハラで訴えられかけていた。しかも河野は最初から石田を陥れる為に巧妙な罠を張っていたという。仕事を引き受けたものの、石田の話に釈然としない麻生。そんな時、一本の電話がかかって来た。電話の主は麻生の古い知り合いの沖田。彼女は元警察官で、現在は麻生の同業者だ。沖田の誘いで飲みに出た麻生だったが……。
風邪を引いてしまった麻生。病院を受診し、調剤薬局へと薬をもらいに行ったところ、そこの薬剤師の顔に見覚えがあるような気がした麻生だった。そして相手も麻生に見覚えがあるという。薬剤師の名は川越琢磨。川越とはいつどこで出会ったのか、どうしても気になって仕方のない麻生は、おそらく川越とは警察官時代に麻生が担当した事件関係者の誰かだろうと麻生は見当をつけ、昔の仕事仲間・山背に川越琢磨という人物を知らないかと問い合わせた。すると、後に山背は川越琢磨について、思いもよらない情報を電話でよこしてきて……。
女をたぶらかして風俗に落とす、いわゆる「スケコマシ」の田村。田村と偶然に再会した麻生は彼と会食をしているのだが、練との煮えきらない関係について説教をされてしまう。
田村と別れた後、麻生はある女性から声をかけられる。彼女は後藤絹子。東京地検の元検事で、現在は弁護士をしており、離婚して旧姓の「早坂」に戻っていた。
早坂絹子は麻生に奇妙な依頼をしてきた。それは、彼女が叔母の啓子から貰った指輪が盗難に遭ったので探してほしいというもの。早坂は指輪を叔母から不正な手段により取得したため、指輪の所有権を持たず、そのため警察に頼ることが出来ないという。麻生は指輪の手がかりを求めて、まずは啓子の元婚約者・犀川修造の元を訪ねたが……。
ネタバレになっちゃうから詳細には言えないけど、どの話も面白かった。得に4話目の『CARRY ON』は本の半分弱のページ数を占める中編なだけあって、複雑に伏線が張り巡らされている。
トリックもいいけど、登場人物の得に女性の心理描写が巧みで素晴らしい。『TEACH YOUR CHILDREN』で河野が石田校長を陥れようとした理由には、相手をハメるほどの気力と頭脳はなくとも、自分が同じ目に遭わされたら出来るものなら相手を地獄の底に突き落としてやりたいと思うだろう。実際、私にも似たような経験はあるしね。『CARRY ON』で登場する馬淵尚美の、カッとなってハチャメチャな行動に出てしまった、その時の心理の移り変わりもリアルだった。
BLとしては、麻生と山内練は相思相愛だけど、前述の通り最初から最後までほぼ別れ話をしているようだし、練はたまにしか登場しないのもあって、そんなに満足度は高くはないかな。面白いミステリー小説を読みたいならいいけど、ガッツリBLを読みたい時に読むものではないかも。
あ、一話目の途中になんか古のケータイ小説みたいに行間の開いてる箇所が一箇所あるけど、その部分は古式ゆかしい感じのBLラブシーンだったのね……。そ、そういう表現するんだぁ。驚き。
本作はシリーズ物なので、これを読んだだけだと麻生と練の関係性とか練の人となりが良くわからないんだけど、麻生は元警察官で、練はヤクザの世界に片足をツッコんでお金を稼いでいる人。二人は相思相愛なんだけれども、麻生は練にヤクザ稼業から足を洗って欲しく、一方練はそういう気はなく、しかも恩人のヤクザの組長の跡目を継ぐかどうかっていう所。そんな訳で本作では別れ話が出ているのだ。
東京23区に住んでいる。私が住んでいる街はもともと左派が強い街だ。商店街や駅前では、自民党の支持者が多いが、駅から離れるにつれ、住環境は悪くなっていき、低所得な独居高齢者がボロボロなアパートに住むというような地域がポツポツ現れる。そういう街では、公明党、共産党、れいわなどのポスターや左派諸派のポスターが増える。環七の向こうは別の街だ。普段、駅周りで生活していると気が付かないが、違う小学校区に足を運ぶと、この街は本来、左派の街なのだな、と思う。
ただ、その左派の一つ一つがかなりの存在感を放っていることもあり、逆にひとつになるということは難しかった。というより、そもそも、保守派がマイノリティな地域であるから、二元的な対立に持ち込まれると基礎票で完全に負けるのだ。いままでは左派が分散していたため、基礎票も割れていた。その結果、現職の大物議員は開票、即当選での勝利を繰り返していたのだ。それが今回小選挙区ではじめての敗北を味わった。
では今回、大物議員が票を減らしているかといえばそんなことはない。前回より多くの得票をしている。陣営もしっかりと基礎票の積み重ねは行ってきた。勝って傲慢になるのではなく、しっかりと対策はしてきていたのだ。しかし、地元では「明確なメッセージを持たない」と思われているその政治家は、ある一定以上のリテラシーを持つ層、街に永住すると決めていない層には刺さらない。彼は政策型の政治家ではなく、陳情窓口型の政治家だと地元では思われている。おらたちの村を発展させてくれる政治家、つまり区議や都議の大将という位置付けなのである。大学で学ぶ政治学や政策はほとんど関係ない。それより公園をつくったり、スケートボードを禁止するほうが大事なのだ。
今回、彼が勝つためには、左派の自滅、浮動票の獲得しかなかった。基礎票は年単位で構築するものであるから、選挙が始まってからここを増大させるのは難しい。今までは左派の自滅で勝てていたのだが、今回は左派は一枚岩になっていた。そうなると、浮動票の獲得しかなかったが、自民党という追い風は、自らのコロナ優先入院騒動で相殺された。小選挙区は、個人に投票するものであるから、党派に賛成していても、その個人への不信感があれば追い風は無風になる。選挙が始まってしまえば、打てる手は実は、ほぼない。選挙前に仕込みをし、あとは選挙前に加速度をつけて、最高速度を更新続けるのが選挙だ。選挙期間の前に、選挙はほとんど終わっている。今回は、左派の作戦勝ちだった。
左派の基礎票は、そのイデオロギー性にある。社会的正義や不平等、不公平感などから生ずる怒りがイデオロギーとなり基礎票を形成する。では、右派、とくに彼の場合の基礎票の正体とはなんであろうか。一体誰が投票しているのであろうか。これは地元にいないとなかなか見えてこない。彼に投票しているのは、利害関係のある業界団体、宗教法人、地域のおじいちゃん、おばあちゃんコミュニティーである。おじいちゃん、おばあちゃんについて、もう少し詳しく話すと、区議の後援会の面々である。この区議の後援会の面々をうまく組織しているのが、彼の事務所であった。
例えば都議選のときなどは、区議は都議候補のところへボランティアにいく、事務所を貸す。国会議員である彼も応援演説にいく。彼のコネで大物政治家を投入する。逆に区議選では都議、国会議員がサポートに回る。そのような互助会が、後援会の正体だ。国会議員の後援会は、都議の後援会であり、都議の後援会は区議の後援会でもあるのだ。区議が対処できない陳情は都議に持っていき、都議が解決できない陳情は国会議員に投げる。逆に選挙のときは、手伝ってもらう。なぜなら、その後援会の中で一番結束が固いのが、地元の名士をトップとした地域コミュニティーである区議であるからだ。区議の後援会は最強である。そこには政策はいらなく、区議の人望があればいい。その家の看板があればいい。それを旗印に、みんなで戦うというレジャー、人生のスパイスが、おじいちゃん、おばあちゃんたちにとっての選挙なのだ。そして勝てば、みんなでお祭り騒ぎをする、それが楽しいのだ。普通の人がテレビでみるイベントに参加できるという老後の楽しみが選挙という面もあるのだ。シルバー民主主義とかあんまり考えていない。多くの人は楽しいから政治活動に参加している。
私も街頭演説を見てびっくりしたが、彼は抜群に演説がうまい。それは政策を語る、というものではなく、人心掌握という点である。彼の陣営は、おじいちゃん、おばあちゃんのそういう気持ちを熟知していて、街頭演説などでは、後援会の会長の奥様などを見つけて声をかける。国会議員本人が演説中に演説を中断し、「あ!◯◯さん、お久しぶりですね!お元気でしたか?」と高いところから声をかけたりするので、声をかけられた本人はもちろんうれしい。だから、友人たちをたくさん動員し、演説では人一倍拍手をし、がんばって、と声援をかける。そんな友人たちの前で声をかけられれば、「いつも誘ってくる人」から「有名人の知り合い」にランクアップである。そんな区議の後援会のお礼に、彼やその秘書たちは担当を決めて、その地区のお祭りや、野球チームや、寄り合いなどに普段着で遊びにいくのだ。そして、後援会の人にみつかり、なにか一言、というような展開によくなっている。打算的といわれようが、なんだろうが、そこまでするのか、と私はびっくりした。また、私の母も、彼の主催するバスツアーに呼ばれて、旅行に行っていた。高くもなく、安くもなく、普通のバスツアーだったが、帰ってきた母は嬉しそうに話してくれた。
ご飯のとき、本人が横に座ってくれ「困ってることないですか」と聞かれた、だけど、政治のことはわからないので、「近くの側溝から蚊がわいて困ってる」というどうでもいい話をしてしまった、はずかしいと帰ってきた母は嬉しそうに話していた。そして、後日、後援会(というか、なかよし会)のみんなで写った集合写真が届き、そして側溝は掃除された。後援会ごとに写真を取っているんだと思う。それを経験した母はあんなすごい人が私の話を聞いてくれた、となり、そのままファンになっていった。総理大臣を目指すといえば、ときめくのは実はおばあちゃんなのである。おらが村の政治家を総理大臣にするべ!となる。政治家は、バスツアー、街頭演説、選挙、後援会活動などの老後のたのしみとやりがいを提供してくれるエンターテイナーなのである。
新聞ではブランドの崩壊など書かれているが、住んでいる人間、しかも、生まれ育った人間からすると実態を捉えていない。地場の人たちは、とても近くに彼を感じている。政策を語らせるとちょっと頼りないけど、困ってるとき相談するとなんとかしてくれる大将であり、自分の老後人生にハリを与えてくれる人なのだ。彼は自分の身の回りの話しの解説、生活密着といった地上戦の話には強いが、空中戦、つまり憲法、経済、ジェンダーなどの話で深く語ることができない。次回の挑戦までに、秘書たちはもう一度地盤を固め、彼自身は今回取りこぼした浮動票にささる空中戦を体系的に学ぶ必要があると思う。後援会は、高齢化が進んでいる。おじいちゃんおばあちゃん達のアイドルもいまや、還暦を過ぎていて、ここからファンクラブを拡大するのは難しい。そして経年減少を迎えている。だから、選挙に勝つためには、浮動票を取るしかない。リテラシーのある層を取りに行くしかない。それが出来ないと、構造的に負け続ける構造になってしまう。空中戦も戦える候補にならないと、次がない。マーケティングを施したキャッチフレーズは刺さらない。
軍団は解散した。今度はあなたが軍団の大将だ。赤いポロシャツ軍団を率い、今度は高いところから理念を語る姿を見たいと思っている。