はてなキーワード: 倫理観とは
俺は声優オタで関智一の声も櫻井孝宏の声も昔からかなり好きだけど、あいつらが社会的に抹殺されるなら仕方ないと思うしそうなってほしいと思っている
せっかくアニメ観てるのに、櫻井の声が聞こえると汚い現実を思い出させられて心底不快になる
俺の友人も同じ感覚の奴多いよ
100年という時の流れは、人類の歴史の中ではほんの一瞬に過ぎない。しかし、その短い期間で私たちの倫理観は大きく変化してきた。
20世紀初頭には帝国主義や植民地主義が支配的だったが、現代ではそのような考え方はもはや受け入れられない。
当時、治験と称して人種や性別、階級による差別に基づく恐ろしい人体実験や非人道的な行為が行われていたが、それもほんの数十年前のことだ。
第一次世界大戦と第二次世界大戦を経て、世界は大きく変わり始めた。
1948年に採択された「世界人権宣言」は、この変革の象徴である。
全ての人間が生まれながらにして自由であり、平等な尊厳と権利を持つことを確認した。
これは、それまでの不平等な扱いに対する強い反省の表れでもあった。
現代の倫理観は、私たちの社会をより公正で平和なものにするための基盤となっている。
しかし、現代的な倫理観もまだ完全には確立されておらず、差別や不平等は依然として存在し、国際的な対立や貧困も解決されていない。
別に喧嘩を売りたいとかそういう訳じゃないんだけどこれへのブコメの
女の「他人の好意につけ込んで騙し奪う」ことに対する倫理観の低さって、昔は「聞き分けの悪い女の頬を張り倒し」とか「嘘は女のアクセサリー」といった風潮とセットでバランス取れてたんだろうが以下略。
を見て思った。
やり逃げされることって女にとっては「人の好意につけ込まれて騙し奪われる」って感覚なんだよなあ。
妊娠したらもちろん、幸運なことに妊娠しなくてすんでもそのリスクを負うのは相当なことなので。
そしてこういう話はほんとそこらじゅうにあるんで、今回やたら女(だけ)が倫理観低いって言われるの見て違和感感じてたのはそのせいかと。
主に英語圏のSNSなどを見ていると、原爆などのジョークで広島長崎が使われている場合が多い。
もちろんアメリカ人の場合は、自国の加害行為をジョークにして罪悪感を紛らわそうとするのはどの国にもいるので分からんでもないのだが、こういう人たちって9.11ですらネタにしている。
途中までは解説としてよくわかる反面、"それが嫌で、そんな被害者を再発させないよう、男作者は予防してほしいのです。"ここがわからない
「こいつの本は2度と買わない」で済む話じゃないの?ルール通りに参加してる相手に出るなって言える加害性と、それが正しい・許されると思ってる倫理観にびっくり
悪役や問題のある奴として配置されているキャラクターに激しい嫌悪感を抱くことがあまりない。
どうせ最終回までには断罪されるし、どこか「話をまとめるために誰かがやらなければいけない憎まれ役をやっている者」と感じて叩く気にならないことが多い。
そのせいか、明らかに嫌われるべき悪役への野次にさえも苦手意識が出て、悪役のいない明るく楽しい話以外の応援上映には行かなくなった。
作中で他のキャラクターから憎まれるぶんには当たり前だとしか思わないのだけれど、他の読者・視聴者による野次はなんとなく聞いていて嫌である。
さらに、一般ファン(ここではキャラ萌え二次創作に積極的に触れない層とする)が悪役を嫌うことは作品の王道の楽しみ方だと一応は感じるが、
詐欺師だろうが殺人鬼だろうがどこかが刺されば推しにしているキャラ萌え要素の強いオタク同士で語らう場合は、「悪い奴だから不愉快で嫌い」という理由に納得がいかないことも多い。
殺され役がモブとしてしか描かれおらず悲壮感がないから悪事に見えにくいだけの話じゃないのか?とか、そういうことが言いたくなってしまう。
絶対に推しを悪く言われたくないとか、絶対に誰の悪口も聞きたくないとかいうよりは、
ある作品では大量殺人を犯すキャラを推しているオタクが、ある他作品でキャラを嫌う理由に「人の命を軽く見ているから」と述べることに納得がいかない気持ちのほうが大きい。
「フィクションなんだから現実的な倫理観とキャラクターとして好きか嫌いかは別物なんだよ」という理屈でキャラ萌えオタクやっているんだと思っていたのに、そこでは普通の正義漢みたいな話になるのか?わからんなぁ……となる。
ついでに、話し手がキャラより上かのような表現の「嫌いさ表明」が嫌いである。
いわゆるイキリっぽいのが嫌だという同族嫌悪もあると思う。
たとえば(のちに和解っぽくなってはいるが)範馬勇次郎を主人公の良き父親とは思えないから好きではないと言う人がいるのは納得できる。
なんだかんだで格のある強キャラだからとか面白いからとかで好きだと言う人がいるのも納得できる。
なので「俺は勇次郎好き」「俺は勇次郎嫌い。やってることムチャクチャだと思う」は両方嫌ではない。
ただし「ああいう親父キャラ見るとボコボコにぶん殴ってやりたくなるから嫌い」は嫌だ。
単純に「そうしてやりたい気持ちになるくらい嫌い」というだけの表現なので目くじら立てることではないのは承知で、それでも嫌いである。
一般人が対面で文句を言える立場にないような身分の美女という設定のキャラへの「思い切りブスって言ってやりたくなる」等も、似たような感想になる。