はてなキーワード: 修論とは
修論が終わらないよ
書いても書いても終わらないよ
今週中にとりあえず通しで書いて草稿の草稿くらいは書き上げたいよ。
これ本当に卒業できんのか
コアタイム中に堂々と修論を書くことを自分に許そうと思う。いや、心の中で教授に謝りながらこそこそと書くけれど。
教授はコアタイム中にデスクワークをすることをあまりよしとしないのだ。そんな暇があるなら実験して欲しい人なのだ。まあ研究なんて手を動かしてなんぼですからね、教授の主張も分かるのだ。
教授は卒業ギリギリまで研究を進めさせたがる人だけれど、いやいやいまの段階でほぼ書き上がっているような優秀な人はともかく私は修論を書かないと卒業ができません。
ちょうど原料も輸入品で来ないし、切りもいいし、私はもう研究を進めるつもりがありません。もう何を言われても知るか。化合物データと修士論文の方が大事じゃ。
ああああ書いても書いても修論が終わらないよぉー終わらない丸だよぉ
どうせ大した結果が出なかった実験の実験項とNMRデータをちまちま書くのはモチベーション上がらんですねぇ。まあやりますけど。
ああ終わらない。しかし終わりが無いわけではない。見えていない訳ではない。あと3週間でどうにか書き上げなくては。
院試から修論の完成に至るまで私を静かに支えてくれたある市販薬に、この場を借りて感謝申し上げる。心情を言語化して他者に伝えることが不得手な私にとって、最大の「理解」者であった。
私は「かわいそう」ではない。裕福ではないが、食うに困ることはない。留年するほど成績が悪いわけでもない。就職も決まっている。友人も恋人もいないが、このことについて思い悩むことはない。趣味も特技もないが、たいていの人はそうだろう。病気や障害に悩まされているわけでもない。私は「かわいそう」な人間ではなかったが、苦しみはあった。あえていうなら、自分が自分の思い通りにならないことが苦しかった。思い通りに話すことができない。思い通りに書くことができない。思い通りにふるまうことができない。理想が高すぎたのかもしれない。伝わらなくてもよい。あなたに伝わらなくてもよいのだ。共感なんていらない。これを飲めば楽になる。なにも解決しなくても、苦しみから距離をとることはできる。医者にかかる必要もない。
これを飲むと勉強がはかどるという人もいるようだが、私にはそのような効き方はしなかった。とにかくぼんやりとする。といっても、お酒を飲んだときの酔い方とは少し違うのだ。これも言い表すのが難しい。お酒よりも緩やかなのだ。制御できる程度の眠気が現れ、ちょうど手を動かして作業できるだけの意識だけが残る。苦しみはなくなる。インターネットを飛び交う罵詈雑言を見ても心は穏やかなまま。のろのろと作業を進める。苦しみを遠くに追いやって、愚にもつかない原稿を生みだして、そして昏々と眠る。それでよいのだ。それ以上の何が望めるというのか。
生きる意味はない。だからなんだというのか。意味があろうとなかろうと生きているという事実に変わりはない。ならば少しでも楽に生きたい。希死念慮よりはるかに前向きな気持ちだ。この気持ちを支えてくれた小さな粒に感謝する。
まだ最終審査とかあるけど修論提出して一段落したので色々と考えたんだよね
たしかに浪人とか留年とかしないで、ストレートに学部卒業できて院まで行って就職もなんとかなったけどさ、それだけだったんだよね。大学生活。
サークルや部活に入るわけでもなく、バイトに打ち込むわけでもなく、ボランティアに参加したわけでもなく、趣味を持つでもなく、学業や研究は興味をもてず、恋愛もせず、友達もいないから何もイベントが起きなかった。ただ学校と家の往復を6年間しただけって感じ。
思い出が無い。
オンボロ学生寮の自分の部屋の天井を眺める時間が一番長かったと思う。
俺この6年間何やってたんだろうな。いや何もやってなかったんだけど。
あまりにも遅すぎるけどさ、今更になって取り返しのつかない事をしたな思うよ。
修論はがんばって出せ。研究室に行って指導教官と面談時間とれ。それで卒業できないのは指導教官の指導力不足だという文脈をつくるんだ。あいつに能力ないからだということにさせないようにしろ。修論くらい最悪2か月あればなんとかなる。
「挫折は?」と聞かれたら私は間違いなく大学院での経験を取り上げると思う。
ほぼ書き殴り。
私は元々興味で突っ走るような人間だった。
学部でシラバスを見て「これ面白そう!」なだけで取る講義を決めるような人間だった。
大学院についても「ここの研究面白そう!」で決めて院試も特に苦労することなく合格、迷わず入学した。
だが、それがいけなかった。大学院経験者ならこの時点で察すると思う。
ブラック研究室でした。表向きが綺麗なだけで実情は教員が人格破綻していました。
研究報告で成果が出ない/少なければ特にM2は教員から恫喝される研究室でした。
それ以外にも男性にはパワハラ、女性にはセクハラが日常茶飯事。
その結果、2年間で先輩、同期、後輩が片手で収まらない人数消えました。
修士1年生の時は講義受けて単位取って練習実験で特に問題無かった。
修士2年生ではコロナの影響で研究室が4月から6月まで閉鎖、7月に私は就職活動が終了し、2021年3月には修了できる筈だった。
しかし元々実験が下手くそ、そして研究も思ったように全然進んでいなかった私。
9月頃から「お前は卒業できない」「留年だ」と教員から圧がかかり始める。「馬鹿だ」「間抜けだ」「お前は椅子に座ってぼーっとして何もしていない」等の人格否定も入り始める。
もっと早く周りに助けを求めれば良かったかな、10月に完全に不登校になりました。
朝起きられなくなり目が覚めても直ぐに身体を動かせなくなりました。3時間は布団から動けない。
自宅から大学まで1.5時間かかりますが通学に耐えられなくなりました。電車自体乗るのが辛い。
両親は共に働いており帰ってくるのは夕方。怪しまれないように帰ってくる前に何とか布団から起き上がって近所の本屋やネットカフェなど、何とかして時間を潰す。
もう自分が情けなくて仕方なかった。
11月に教授から電話がかかってくる。親に不登校状態が伝わる。
今の状態、研究室に行くのがもう辛いと伝える。親の反応「そんなの逃げだ甘えだ、ちゃんと行け」
・・・・・
その電話後、大学の学医に今の状態を伝えた。不登校状態のこと、電車も厳しいこと。「さっさと病院行け、多分診断書出る」
心療内科受診。親が自宅から病院に対し受診を止めさせるよう妨害もしてきたが今の状態を話す。適応障害の診断がおりた。休学を勧められる。
さっさと休学届と診断書を出して休むべきなのだが、休学届には親及び教員の捺印が必要である。
だが先述のように親が元々「精神疾患は逃げ甘え」論者+研究室の教員も信用出来ない状態であり、親については休学推奨だと言われた皆を話したが最終的に理解が得られなかった。
そして12月になった。研究室に行けない状態が続き教授からの連絡で留年が確定した。
自分も、両親も、大学も、研究室も、内定先企業も誰1人として望んでいない留年である。全員揃ってLose-Lose。
休学か退学か、の二択が言われた。留年してもう一年出来るとは思ってないのであろう。勿論当の自分も修論を書けるビジョンはもう無かった。
内定は取り消された。勿論内定先企業には何ら罪は無いので、後日誠心誠意謝罪を行った。
また後で分かった話だが、研究室側については前々から退学者が相次いでおり、今回の一件が決め手で獲得した科研費をある程度大学に没収されたらしい。
ブラック研究室なんて潰れろ
やりたかった分野の研究室で優秀な人が揃っているところだった。
なんとか進学できたが、実力不足をカバーできなかった。研究計画もろくに建てられず、先輩の研究を引き継いで、無理くり新規性を作っていた。
学部の研究室で研究計画やサーベイをやっておらず、研究のやり方がよく分かっていなかった。
そんな研究室に嫌気が指して、他の院の研究室に進んだが、ぬるま湯に浸かりきっていた自分にはついていくことができなかった。
ちゃんと教授に相談できていればよかったんだが、コミュ障で悩んでいることを相談がうまくできていなかった。自分の直接の指導教官のグループでの不在が多かったことで話しづらかった理由だった。
実力不足を感じていたこともコミュニケーションをうまく取れないことに拍車をかけていた。
また、私の研究は最先端のトピックから外れていて、最新の学会論文と結びつけることが難しく、最新の英語論文を読むことを怠けていた。
そんな状態で研究をしようと無駄に手だけを動かしていて、就活を先延ばしにし、見事に失敗してしまった。
なんとか受かった会社からバイト依頼が断りづらく、修論直前まで行っていた。
その研究分野には大変魅力を感じており、今でも関われたことは良かったが、本当に不甲斐ない結果しか残せなかった。そのことは本当に後悔している。
卒業できません。
友人も数人博士に進みましたが、みんな留年して何とか卒業という感じです。
何なら、博士課程4年で何の成果もなく、修論の成果がギリギリ博士課程の年限に論文が出たものを再利用して何とか卒業した人もいます。
自分はというと、学部時代に留年をしまくって、今ようやく博士1年生です。
成果は、今のところ何も出ていません。修士とは違う学科の研究室にいますので、博士課程の結果が出ないと終わりです。
しかし、自分の考えた提案手法は今のところ何の成果も得られていません。
成果が得られないどころか、マイナスの結果ばかりです。意味がわからないです。
当然、論文も書けません。
一つ、確実に言えるのは、「3年での卒業」は不可能であることです。
「提案手法が使えない」ことがわかっただけで終わる可能性が高いです。
独自テーマでやってしまった以上、指導教官からの補助は望めないでしょう。
今はただ、3年経って退学をするまで待つだけです。
ポスドク問題とか言いますが、ポスドクって博士号取ってますからね。
多分僕はこのコースです。
どうしよう。
・自分の興味があることを選ぶ。
・メリット・デメリットを考える。講義の幅が広い、専門性が弱いなど。
・出口戦略を決める。
・進路・進学先を調べる。就職先の傾向が自分に合っているか調べる。大学院が別キャンパスだったりすることもある。
・研究室を調べる。卒論・修論を見て、自分のやりたいことと合っているかを確認する。
・人に相談する。
・教授に相談する。他の学科との違いなど。直接相談してでも聞いてみる。
・学科の先輩に相談する。連絡が取りづらいだろうが、雰囲気を掴むには一番よい。合わないと結構辛い。
・進振りの点数
・点数だけでは選ばない。