はてなキーワード: 信教の自由とは
https://anond.hatelabo.jp/20220930230732
こっちの続き。主に旧統一教会に関すること書くよ。反応がきっついので多分最後。
旧統一教会が過去に「霊感商法」を行っており、過去問題があった団体というのは周知のとおりだと思う。
https://news.yahoo.co.jp/articles/61d40e2e670a91125101a0d09b87544e51e0d6b7?page=1
との内容。
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20220712-00305301
冷戦時代の負の遺産。ただ、現役の議員らが積極的に彼らにかかわっていたかは微妙。
http://www.the-journal.jp/contents/arita/2006/06/post_10.html
国会議員の地元事務所が依頼を受けたならば、祝電を送るかどうかはそこで判断するのが通例だ。結婚式や葬式への電報とほとんど同じ水準の判断だろう。
祝電を送った安岡興治元法相の事務所が「出席依頼があったので電報を送った」というレベルのことだ。
[略]
私も少し勘違いをしている時期がありました。
宗教団体が特定の政党を支援すること自体は、合法。これが認められないと信者の方が選挙で投票することができないので、よく考えると当たり前。
問題になっているのは「過去に問題を起こしていた宗教団体とつながりがあるのは如何なものか?」程度で法律違反ではない。
https://www.sankei.com/article/20220930-KNJU7E6VGNLZBI3QRWTR3ZGB2A/
自民党以外からもつながりは見つかっている。もちろんこれらも合法。
テロを起こしたオウム真理教に対する解散指定の請求が棄却された時点で、旧統一教会にそれを適応するのは難しい。
オウム真理教(以下「教団」という。)は、教団に対する一連の取締り、宗教法人法に基づく解散命令、破産法に基づく破産宣告等により打撃を受け、破壊活動防止法(以下「破防法」という。)に基づく解散指定に係る手続の進行中は活動を自粛していたが、解散指定の請求が棄却された後は、世論の動向等を見極めつつ再び活動を活発化させ、財政的基盤の充実、強化に努めるなど懸命に組織の生き残りを図っている。
[略]
7年12月14日、政府は、オウム真理教に対する破防法に基づく解散指定に係る適用手続の開始を表明したが、極左暴力集団は、中核派、革マル派等がそれぞれ反対集会を開催するなど、強い危機感を示した。特に、革労協狭間派は、8年2月21日に公安審査委員会委員長宅等に対する2件の発射弾ゲリラ事件(東京)、9月24日に「中国公安調査局調査第一部首席調査官宅放火事件」(島根)を引き起こしたほか、公安調査庁、公安審査委員会等に対する「抗議はがき運動」、公安審査委員会委員宅周辺での抗議街宣等にも取り組んだ。
中核派は国葬反対デモで目立っていた団体で、テロ活動も行っている。
共産党も同時期にデモを行っていた。極左暴力集団とのかかわりはないとは言うものの、同時期にデモするのは「連携してない?」という疑念を持たれてしまうので良くはないと思う。
旧統一教会に問題があることはあり、それに対する批判は問題ないと思っている。ただ信者であるという理由だけで、「関わりを断つ」というのは差別。
これ、一時期の嫌韓と同じで、対象が「在日」から「旧統一教会」にすり替わっただけ。リベラルからするとこういった差別行為は認められないはず。特に報道の過熱にはかなり危機感をもってる。
https://www.jijitsu.net/entry/miyaneya-touitsu-kateirengou-teiso
「宗教2世」「犯罪行為にかかわっていない信者」がこれらの風潮で被害を受けることは目に見えている。魔女狩りの様相を呈していて、本当に良くない。
前回の記事と違って、全然ブクマつかないな。コメントも落ち着いているというか。この記事の内容は国葬の話からも少しずれちゃったしね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/949191226041810944
みんなこっちにコメントしてるのか。ただ...なんだかな...悲しいな。
まあ、これだよね。
もう誰も見てないから、ここからは完全にチラシ裏の落書きの独り言。
全盛期の2010年前後のはてなブックマークに比べると、随分とドロドロした所になっちゃったな。「ウェブ進化論」で提唱されていたバーチャル研究室なんて概念はもう見る影もないというか。
あるのは党派性で歪んでしまった認知と、建設的な議論でなく罵詈雑言を浴びせるコメント群。昔もリベラル寄りのコメント多かったけど、まだマシな感じだったし、ブログのエントリーも面白い記事がたくさんあったな。
親が宗教に骨まで浸かってると、子どもはどうしても影響を受ける。
宗教二世は——同じく入信するかはともかく——否応なく思想の歪曲を行われる。
性的消費問題・未成年の性的同意問題で散々議論になったトピックを思い出してくれ。
子どもは、宗教とは無関係に自然にすくすく育った場合とは似ても似つかぬ精神に育ち上がってしまう。
日本には「信教の自由」がある。親の強い精神的抑圧は、子どもの宗教を選ぶ自由を実質的に侵害している。だから、大人が宗教を持ち続けるならば子どもは生んではいけない。——…これが『宗教するなら子を生むな理論』である。
しかしまさしく、サンタクロースやおみくじなど、微細なレベルでは一般的に宗教の刷り込みは広く行われている。大人になっても正月になんとなく賽銭を鳴らし、おみくじを引いている人も多いだろう。
親が子どもに野球を進めたり、将棋を教えたり、もっと視野を広げるとエンジニアとしての働く背中を見せるだけで子どもを理系に進ませる強い効果が出てしまう。なら、娘にフェミニズムを教えるのは? SDGsを教えるのは? テレビのニュースで小さい子どもが「戦争はやってはいけないと思います」と悲しそうにしゃべっているのに違和感を持ったことはないか? 人生経験の浅いきみたちが戦争の重みの何を知っているというのか。何のことはない。彼らの実態は、周りの大人や社会環境、クラスメイトの同調圧力に強く影響された、『洗脳された』に過ぎないのさ。
国葬の件で盛り上がってるけど、そもそも葬式というイベントをなんか公的というか、あまりプライベートでない関係でも出席する
ある種の公的な範疇に扱うこと自体がよくわからんのだよな。葬式ってどうあっても宗教がらみの催しになるわけだし。
冠婚「葬」祭として1つの参加して当然イベントの形になるのはなんか違和感があるし、仕事関係の人を呼ぶのとかになると良いのかそれと。
特に、政治家の葬式に政治家がある種の仕事上の関係性を根拠に出席するってのはなんかすごく違和感を感じていた。
遺族が行った普通の葬式だろうがなんだろうが、政治家が出ていってそれを自分の政治的なアピールに結果的につながるというのまで行くと
いいのかそれという気持ちが強い。まあ自民党の爺さんたちはそういう伝統的なつながりとかにこだわりがあるんだろうなというのはわかるけど。
憲法学の通説によると、信教の自由には親が子供に自分の信仰する宗教を教育する自由も含まれる、らしい。
両親が子どもに自己の好む宗教を教育し自己の好む宗教学校に進学させる自由、および宗教的教育 を受けまたは受けない自由も、信仰の自由から派生する。
第18条 4 この規約の締約国は父母及び場合により法定保護者が、自己の信念に従って児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を有することを尊重することを約束する。
つまり、親が自分の信仰する統一教会だのオウムだのエホバだのを子供に教え込んだり、集会に連れ回したりするのも憲法と国際人権規約で保障された人権の一つ、ということになってしまう。
親が家の資産を売り払ったり子供の学費を払わずに献金しまくって自己破産するのも、自分の金の遣いみちを自分で決めてるだけだから子供が教団から金を取り返すことはできない。
親が正体を偽った勧誘によって入信した場合は、親が教団を訴えれば献金を取り返すことができる判例はある。でもそれは親がカルトから目覚めて脱会した後ではじめて可能になる話で、子供がカルトを辞めたがってても親がカルトにハマり続けてる場合はどうしようもない。
具体的な暴力や育児放棄がないと児童相談所も介入できなさそうだし、親の信仰を辞めさせることはできない以上、さっさと親子の縁を切って自立していく以外の解決はなさそう。
人が内心で何を信仰するかについてはそりゃ自由であるべきだろうし、「サタンの金を文鮮明様の元に取り戻すべし」なんてトンデモも本当にそれを信じたくてそれで自分は救われるんだってんなら勝手にしたらいいと思うけど、それは最初の勧誘の段階でちゃんと「サタンの金を文鮮明様の元に取り戻すってのもうちの重要な教えのひとつですよ」と明言した上で本当にそれに魅力を感じた人だけが入信すべきであって。
信教の自由のうちの「宗教結社の自由」、わけても布教・勧誘については「実態実際に信者に向けて言ってるのと違うこと言って勧誘するのは違法行為」って明確に宣言してほしい。医者とか不動産屋とか金融業者には客に対する「説明義務」ってのがあるけど、それの宗教版みたいな感じ。
統一教会に限らないんだけど、カルトって入り口では全然当たり障りのない道徳的な話とか心理学の小ネタみたいなのを繰り広げておいて、それで心の弱ってる人を引きこんだ後にちょっとずつ「疑いの心こそが不幸を呼ぶのでまずは一心不乱に教祖様を信じるのです」とか「布施と勧誘こそが最速でカルマを清める顕行なのです」みたいなことを吹き込んで最終的には勧誘集金献金マシーンに仕立て上げるんだよね。いわゆるマインドコントロールってやつ。だからこそ、「いやお前最初の勧誘の時はそんなこと言ってなかったよね?なのに中入ったらなんかもうカネカネばっかじゃん!」みたいなツッコミがちゃんと機能するかどうかって、割と重要だと思ってて。
出版物とかホームページとか勧誘の時に言ってきた事とか、そういう「外向けの売り文句」といざ入信した時に実際に内側の信者に対して触れ回ってることがまるで違っていた時に、何人かにひとりでもマインドコントロールの効きが弱くて「あれこいつら入口を偽って引き込みやがったな?」って気付けたら、その人がちゃんとそれをタレ込める窓口があって教団にペナルティかけれる体制みたいなのがほしい。「青春を返せ裁判」も最高裁確定までに二転三転したうえに14年かかってるし、現状はそこんとこのハードルが高すぎる。
もちろん教義の真髄みたいな部分を最初から一般人に理解できるように説明するのは無理だろうし、あと勧誘時の説明がどこまでだったら「ちゃんとした説明」でどこまでなら「まるで違う」になるかって厳密に定義するのは難しいだろうけど、前者については医者とか銀行とかだって同じことで「厳密にはもっと色々あるんだけど嘘じゃない範囲でおおむね必要な分の概要と全体像をきちんと説明する」ってのはやればできる話だし、後者についてはそれこそ裁判で判例を積み重ねていくべき話だと思う。
なにより「入り口で言ってる教えと全然違う事を内側で信者だけに言わない」ってルールはカルトでない真っ当な宗教にとっては何の足枷にもならないはずで、まあ葬式仏教なんかはこれまでその辺の説明を手ぇ抜いてきたきらいはあるけど、法で「義務として今後はちゃんとそれ言いなさいね」ってされたら普通の宗教にとってはむしろプラスですらあると思うんだよね。「実は親鸞聖人は死んだら自分の骨は鴨川にでも捨てろって言ってて四十九日とかもあくまで阿弥陀さんの救いに思いを馳せる為の機会って位置付けなんすよ」みたいな話、今だって真面目な坊さんほど法要の時とかにちゃんと言ってくれるし。
カルトは結局「その内側で言ってる指示およびその指示の根拠となる教義」がだいたい一般社会の道徳感とは相入れなくて、しかも奴らは相入れないこっち(社会)側が間違ってると本気で思ってるから嘘をつくのもマインドコントロール仕掛けるのもまったく躊躇いがない。で、勢力を広げるには何かにつけて金が要って、だからこそ信者にも無茶な献金をさせようとする。来るもの拒まずで本当にただ粛々と信仰してる分にはそもそも家庭崩壊レベルの献金なんて要るわけないし、宗教を信じる自由って本来そういうことなんじゃねえの?って。
マインドコントロールって言葉は1990年代に一度脚光を浴びたけど、改めてもっと周知されるべきだしそのヤバさに社会の側もちゃんと対策を取るべきだと思う。
【追記】
「実態と違うこと言って」ってのがなんかちょっと紛らわしい言葉だったので、「実際に信者に向けて言ってるのと違うこと言って」に変えました。
こっちは無宗教と言ってるのに宗教信じてると勝手に決めつけるな!
普段は「どんな宗教も信じていない」とおっしゃっている方たちが、それでもいざとなれば、親族の葬儀を仏式で行うことに違和感を持ちませんし、お盆やお彼岸の時期には当たり前のようにご先祖のお墓参りに出かけています。(大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した)
いや葬式でどうでもいい坊さん呼んで金払うことにバリバリ違和感あるから!
だいたいキリスト教徒に対して「お前は本当は神を信じていないだろう」とか言ったら大問題なのに、
なあなあに「あーそういう考え方もありますねー」をしていると巻き込まれが確定する社会になってきてるんだろうな。
今までの日本ではわざわざ口に出して「俺は淫夢語録は使わないよ。俺はLGBTを差別しないから」って口にする必要はなかったが、これからは積極的にそういった自分が何にノーを突きつけているかをアピールする必要が出てきた。
「テレビつまらんから見てない」みたいなクッソどうでもいい存在に対するクッソどうでもいい感情ならともかく、ある程度の重さがありコミュニティ全体が危険な方向に向かっているときは「俺は違うよ。俺はこのコミュニティに属しているだけで、その多数派と同じ意見なわけじゃないよ」と口にしなきゃ駄目なんだろうな。
かなりの面倒臭さを伴うが、今までのように「ただ迎合してるだけの有象無象のままなら目立たないから大丈夫」とはいかんくなってきたというわけだ。
まあ昔からこういうのは寓話的に語られていて、例えば「命令通りに何でもこなす兵隊が結果を出し続けた結果、人の心を持たず平気で裏切りと不道徳を繰り返す不死身の兵士として忌み嫌われるようになった」みたいなのがアチコチの地域に点在している。
それらの寓話の多くはどちらかというと「不幸な偶然によって起きた珍しい出来事」という扱いだが、今の時代においてはそういったものがより身近で頻発しているわけだ。
情報の洪水に晒される中で、ただ晒されっぱなしで流れてくる水の色に斑に染まるままであるわけにはいかないらしい。
じゃあ俺も一応ハッキリ言うか。
信教の自由を保証することと、人類に害をなす存在を容認することは別の問題だ。
悪魔崇拝のためにペットショップで買ったトカゲを毎日生贄に捧げることは許されても、隣人を滅多刺しにしてその心臓を捧げることは許されるべきではない。
自らの人生を自らの手によって破壊するまでは個々人の自由に任せていいだろうが、そこから先で他者に害をなすようになればそれは取り締まられるべきだ。
多くの宗教的な他害行為は洗脳を用いての強要と、洗脳された集団のマンパワーによる隠匿によって行われている。
信者が布教の過程において洗脳を用いた場合、その宗教法人に解体を命じるように法規制を強めるべきである。
たとえそれが10000年続く伝統的な宗派であると主張しても、新たなる信者の獲得において洗脳を用いた時点で一度解体してゼロに戻させるべきだろう。
ひとまずこれぐらい言っておけば良いか。
俺ははてなに所属しているが一部のはてなーのように統一教会を擁護するつもりはない。
統一教会は滅びるべきラインを超えた滅びるべきカルトだと考えている。
滅びてくれ。