はてなキーワード: 保険代理店とは
「娘名義死亡保険契約を一括払いで作れば、満期払戻しのとき非課税になり、娘に知られることもない」
「序章」
渦中の損保の元社員。ビッグモーターのような大手ではないけれど、モーターチャネルと言われる中小の整備工場の保険代理店を主に担当してた。
損害保険会社と保険代理店は組織対組織なら商品のサプライヤー側が強いのだけど、現場の営業部門ではそうはいかない。今どきの代理店は複数の保険会社の取り扱いがあるところがほとんどだし、代理店の思惑一つで自賠責と任意保険を他社に切り替えられちゃうわけよ。もちろん、顧客側がネット系を含む保険会社を指定することはあるけど、ディーラーで車を買うと同時に勧められるがままに加入している人はかなり多いよね。
なので、代理店を担当する営業社員はまぁ完全に首に縄をつけられた小間使いと化すわけ。相手の機嫌を損ねたら他社に数百万の挙績が移るし、その結果は上席者からの鬼詰なわけだからそらなんだってするよ。自動車保険の商品力の差なんて知れてるし、営業の人間力(=滅私奉公)に全てがかかってるからね。自分の場合も土日のお祭りや草野球、ゴルフや商店街の旅行と散々額に汗を流しました。営業時に必ず家族との夕食に同席させてくれたIさん、今も元気で過ごしてるかな?
サービスが行き渡ってる以上、保険会社がトップラインを伸ばすには他社のシェアを奪う必要があるし、そのためには乗合代理店から顧客への切り替え提案を引き出すのが一番手っ取り早い。危ない橋ながらも目先の利益に飛びつくインセンティブは少なくとも営業社員にはめちゃくちゃある。今回のケースもそういった中で火中の栗を拾いに行ったのでしょう。
もちろん、保険会社にもリスクを査定する部門はあるし、そういったところからブレーキがかかった可能性は高いと思う。ただ、往々にして保険会社は営業が強いし(査定や本社を非現業と下に見る文化は各社にあるのでは?)、話題の損保は昔から強烈な営業偏重姿勢で有名。営業社員は報告時に後ろぐらさを伏せるのでどこまで社内に危機感が共有されていたのかはわからないが、まぁ起こるべくして起こった事件だなと感じた。
女性サーキットトレーニングブームがあって(いったん潰れたがまた出来た)
関西だからたこ焼き屋が空き店舗に出店する時期があって(潰れたり続いてたり)
こないだ唐揚げやは出来た
食パンやが出てはつぶれてしてるけど、3店舗目ぐらいが立ち上がった
気が付いたら美容院になってるところも多いが、そこはつぶれるよりも、もっと良い場所に移転が多いようだ。
元々は若くてお金のある女性の多い街だったらしいけど、そっから一旦じじいとばばあと多少の若者とファミリーの街になって、
高齢化率がえぐいので、じじばば向けの商売(カラオケスナックとか)はそこそこやれてる地域だったけど、
店も客も高齢化しすぎてて多分10年後は全部潰れてる
自分も恐くて失敗しても誰も死なない仕事に就きたいと思ってた。
保育教育は点呼とる自信ないから交通事故や保護者でない人に引き渡しとかしそう。
親が捩じ込んだ会計事務所で死にそうになった。
他人様のお金を扱うわけで、しかも仕事のお金だから桁が大きい。
(お金と言っても金勘定で、出納帳や経費の扱いを確認するので現金そのものでなかったからまだ良かったけれど)
何か失敗したら赤字になったりして、銀行さんが運転資金貸してくれなくなったらどうしようとか怯えてた。
勿論、簿記勉強中のペーペーなんで使い走り程度の事しかできないから、全部先輩や上司が見てて問題は起きないけどこわかった。
そんなペーペーが保険代理店業務の勉強して簡単に合格しちゃうから、
お客さんに法人向け保険契約営業もしなければならなくなって、ますます苦しくなった。
今は会計事務所ではないけど、失敗しても人が死なない仕事ってたくさんありそうだけど就職までたどりつけなかった。
今も失敗はしてる。誰も殺したくないからただ祈ってる。
自分も恐くて失敗しても誰も死なない仕事に就きたいと思ってた。
保育教育は点呼とる自信ないから交通事故や保護者でない人に引き渡しとかしそう。
親が捩じ込んだ会計事務所で死にそうになった。
他人様のお金を扱うわけで、しかも仕事のお金だから桁が大きい。
(お金と言っても金勘定で、出納帳や経費の扱いを確認するので現金そのものでなかったからまだ良かったけれど)
何か失敗したら赤字になったりして、銀行さんが運転資金貸してくれなくなったらどうしようとか怯えてた。
勿論、簿記勉強中のペーペーなんで使い走り程度の事しかできないから、全部先輩や上司が見てて問題は起きないけどこわかった。
そんなペーペーが保険代理店業務の勉強して簡単に合格しちゃうから、
お客さんに法人向け保険契約営業もしなければならなくなって、ますます苦しくなった。
今は会計事務所ではないけど、失敗しても人が死なない仕事ってたくさんありそうだけど就職までたどりつけなかった。
今も失敗はしてる。誰も殺したくないからただ祈ってる。
高校生のときは受験少女でした。とにかく隙間の時間ができたら勉強。同級生の男は、バカの木偶に見えていました。実際バカだったし。
同じ高校で、学年でトップを争っていた女の子がいました。理系同士で、学年3位だった男の子を遠く引き離して争っていたのですが、違いは容姿でした。私は明らかに太り気味で、もっさりしてて化粧っ気も全くなかったのですが、彼女は容姿明眸で大人びていて、背が高くて手足が長いのに女子っぽい柔らかさがあって、私から見ても綺麗な子でした。もちろん彼女は男子からもモテまくりなのに、私は、毛虫のように嫌われ、陰で「豚めがね」と呼ばれていたようです。
勝負の受験。彼女は東大理二、私は理一を受けました。そうした理由はたった一つで、彼女に負けたくなかったからです。理一の方が理二より偏差値が高かったからです。うちの学校から東大なんてたぶん十何年ぶり、先生たちもかなり気合が入っていました。私の親は、容姿も平凡以下の娘が唯一の取り柄が勉強ということで、経済的には厳しかったのですが、しぶしぶ受験を認めてくれました。彼女の家は地元でも有名な名家で、経済的には全く問題ないし、一族の男子たちは、みな地元進学校から一流大学に進んでいたそうです。
彼女は合格し、私は不合格でした。人前で泣くのは悔しかったので、宿泊していたホテルで一晩中泣き明かしました。
家庭の経済的な事情で浪人できなかった私は、併願で合格していた某私大の政経学部に進学しました。私大の理系は学費が高く、その割に就職時の評価が高くないからです。ところが、東京の私大の華やかな雰囲気に飲まれた私は、友達もまともに作らず、上京していた高校の先輩が彼氏にはなったのですが、寂しいばかりに付き合っただけで、どう考えても容姿も知能もいけてない男です。彼氏だけが家にセックスするために入りびたる程度で、ほぼ引きこもって暮らしていました。
成人式で田舎に久しぶりに帰りました。件の彼女も来ていました。東大生の彼女は、とても華やかな容姿はそのままに、人の輪の中心でした。聞けば、素敵な同級生の彼氏もできたそうです。彼女と直接話したのですが、当時の彼氏が私のことをぺらぺらしゃべっているのを聞いたらしく「あなたの彼氏って、○○先輩なんだってね」って言われました。心なしかせせら笑われたように見えたのがとても悔しかったです。別の子たちも「○○先輩って今ブタメガネに行ってるんだね、物好き~」と言っているのが聞こえました。きっと聞こえよがしに言っていたのでしょう。周りを見れば、大学に入って可愛くなった女の子たちの周囲に男の子が集まり、とても華やかな雰囲気を醸し出していたのに、私はといえば、声をかけてくれる友達もいるわけでもなく、ひとりぼっち。だれも私に話しかけてくれず、遠巻きに陰口を叩かれるばかりです。私は、屈辱でその場にいられなくなり、家に帰って泣きました。みんな努力らしい努力もしてなかったのに、勉強できなかったくせになんで私をバカにするのか。キレイはそんなに強いのか。勉強ができることよりも、キレイが評価されるのなら、私は全力で綺麗になってやる。
まずあれだけバカにされて悔しかったので、例の彼氏とは別れました。相当しつこく粘られましたが、間接的に聞いたところによると、私と別れるとセックスできなくなるのが嫌なだけだったようです。ブタと言われるほどには太っていなかったので、痩せるようにしました。毎日ジムに通って、プロのトレーナーについてエクササイズ。半年で10キロくらい痩せたら別人のように顔がすっきりし、スタイルがよくなりました。もともと胸は大きかったんだし、痩せればそれなり。で、ダイエット中に、そこそこ見栄えがするようになったところで、渋谷のサロンで髪を切ってもらうようにし、メイクの心得もあるという担当の美容師さんと付き合うことにしました。髪の毛のお手入れとか化粧の方法を徹底的に知りたかったからです。脳みそはアヒル並に空っぽでしたが、そんなことはどうでもいい。それと、新宿に会ったセレクトショップの店員とも同時進行で付き合うことにしました。ファッションセンスを身につけるためです。この男の脳みそもカエル並にスカスカでしたが、そんなことはどうでもいい。
ここまでしたところで、綺麗になるには莫大なお金がかかることがわかりました。ところが私の実家にはお金はないし、バイトするのは時間効率が悪いです。私は綺麗になるために忙しいのです。そこで、交際クラブに登録し、スポンサーになってくれる男性を探しました。2人ほど適当なのが見つかりました。一人は大学の先輩で、某大企業の役員になっている50代の男性でした。彼はやはり容姿に問題があり、学生時代ちっともモテなかったので、「青春を取り返したいんだ」って言うのが口癖でした。定額10万円/月+デート代は向こう持ち。受け身で純情な女の子として振る舞うととても喜んでくれました。もう一人は、大きな保険代理店を経営している40代の経営者で、高卒の学歴コンプレックスの塊みたいな人でした。「早稲田の美人が俺に全てを捧げてるってだけで無茶興奮する」ってのが口癖でした。デートのたびに5万円+デート代は向こう持ち。フェラとか全身舐めとか、とにかく奉仕させられました。それと、中出し原理主義者で、「俺の子どもを孕め」とか言いながら中で出すのが常でした。ピル飲んでるんで問題ないんですが。二人ともやたら精力が強く、一晩に2~3回は当たり前で、お金持ちになる人は精力の強さがはんぱないなーと思いました。二人とも、お金をくれたのはもちろんですが、学生ではまず行けないレストランとか、美味しいワインの選び方とか、一流ホテルってどんなところでどういう振る舞いをしないといけないかとか、そういうことを経験させてくれたのはとてもありがたかったです。
成人式から1年。これだけの努力をした結果、私は、見違えるような美人になりました。美容整形とかはしていないので、元も悪くなかったのだと思います。
そのころには、ITベンチャーの経営者に大学生を紹介するのが事実上の商売、みたいな男性にスカウトされて、そういう合コンにも出るようになり、そのうちの一人の独身若手経営者と付き合うことになりました。お金はスポンサーからもらっていたものがそこそこ貯まっており、彼氏から教えてもらったいろいろな情報で、株式で結構儲けました。リーマンショックの少し前、皆がイケイケだった時代のことです。1年くらい株で遊んで、数百万円になったところで、スポンサーを2人とも切りました。40代の経営者はあっさり別れてくれましたが、50代の会社役員は、すごくねちねち渋りました。私はこの時、青春コンプレックスの方が、学歴コンプレックスよりはるかに重いことを学びました。若いころモテなかったことは、心の深い傷になるものなのです。
スポンサーと切れて、後ろめたい足かせがなくなったその後は本当に交際の範囲も上に広がりました。ITベンチャーの後は、独身・既婚取り混ぜて、官僚、広告代理店にコネで入った御曹司、総合商社、銀行で働いている某企業の御曹司、若手経営者と順に付き合いましたが、世の中こういう風に動いてるんだ、ってのが彼氏の言動とかからわかるのです。見える風景が一変する、というのはこのことです。それにあわせて、私の運用資産も殖えていって、大学を卒業するときには2000万円を超えていました。キレイを続けるために相当のお金を使いましたが、それでもまだまだ貯まるものです。ああ、一人だけ、プロ野球選手と付き合いましたが、地アタマはよさそうでしたがなんせ関心が酒と女と野球とマッチョにしか存在しないので、結局うすらバカでした。セックスだけは異常に強かった。体力もすごくて、体が壊れちゃう、って思うほど気持ちがいいのですが、まあそれだけですね。彼氏とのセックスに満足できないときの代用品として散々使わせていただきました。プロ野球選手と結婚する女子アナの人は、お金好きでなければセックスマニアだと思って差し支えないと思います。
大学を卒業して、東京に来ている高校の同級生で集まる機会がありました。東大の大学院に進学した彼女は相変わらず美しかったのですが、実験疲れ?なんだかやつれて見えました。間違いなく私の方が綺麗です。かけたお金と時間と努力が違うのよ。如才なく人との会話を紡ぐことができるようになった私の周りには、人垣ができました。私は内心、つい3年前に私に陰口を叩いていた人たちが私にひきつった笑みで話しかけてくるその姿、その軽薄さに反吐が出る思いをしましたが、そんなことは振りにも見せず、同窓会の主人公になりました。無論、「整形?」とか陰口で勘ぐる人もいましたが、何言ってんの?何の努力もしていないくせに。
外資系金融に就職し、それなりのお金を稼いでまあだいたい1億円くらいの資産を得ることができました。もうしばらくすると、収入はさほどではないけれど、名家の出の夫と結婚して退職します。屈辱の成人式から7年。東大に行った彼女は、まだまともなアカデミックポストを得ることがないまま、同級生の東大男子と結婚したとの報せが先日ありました。ご主人も、同じく根無し草の研究職のようです。ご夫婦の写真を見ましたが、まあ平凡な容姿になっていました。苦労は美貌を蝕みます。勉強ができることにこだわった彼女は、結局世の中の幸せと縁遠い人生を歩むのでしょう。勉強だけができることは人生の勝利には結びつかない。キレイであること、お金があること、コネクションがあること、人生で勝つために必要な要素はもっとたくさんあるのです。
あれから7年。短いようで、長い7年でありました。こんなところでしか書けないけれど、私は勝利した。本当にあなたに会えてよかった。そうでなければ、今のこの私はないのだから。