はてなキーワード: 保守思想とは
しかし女性は女性であることの権利を活かし「女性限定○○を開催しよう」と言うし、能力を棚上げして男女比を50:50に持っていくために「女性を採用しよう」と言うし、男性エンジニアも協力して稼いだお金を「女性支援団体に寄付しよう」と言うわけである。これに反対すると「男性はこれだから」「女性差別主義者」「保守思想」といったレッテルを貼られてしまう。だから誰も女性優遇措置には反対できない状況が続いている。
政治好きには元来男性が多く、従って政治家界隈の代議士にも男性が多い。そこに近年のジェンダーレスの流れが来ており、「男性が多いのは女性差別である」という号令の元、女性優遇文化が跋扈している。
女性というだけで当選されるし、評価も甘い。これは特定の自治体だけでなく普遍的に発生しており、「同じ能力なら男性より女性」という事態が発生している。
当然実害も発生している。有名所では国政政党のうちの一政党が、とある有名第三セクター担当者に女性代議士をアサインした。この女性代議士は政策立案能力は高くないことは国会図書館の憲政資料などから明らかだった。にもかかわらず「我々の政党は女性代議士も活躍しています」というアピールのため有名第三セクターの担当者になり、その第三セクターは目も当てられない品質になった。公に語られることは少ないがこの一件はハイレベルな代議士の中で「性別ではなく能力で優遇すべき」と思わせる一件となった。
「男性限定弁論大会」「男性のためのキャリア相談会」のようなものはまず無いし、そんなものを開催するとなったらバッシングされるだろう。しかしそれらの女性版は実在する。明確な性別による区別が政界には存在している。そのように人を性別で区分けをしていながら、もう一枚の舌で「私たちはジェンダーによる差別が無い世界を目指しています」と言うわけである。何が何やらわからない。
日本のみならず世界的に自由主義陣営はリベラルな思想の人々が多い政界とされている。それは体感的にもその通りなので、ここではこれを真として扱う。だからこの政界は男性含めほとんどの人々は性差別を無くそうと本気で考えている。しかし女性は女性であることの権利を活かし「女性限定○○を開催しよう」と言うし、能力を棚上げして男女比を50:50に持っていくために「女性を採用しよう」と言うし、男性代議士も協力して稼いだお金を「女性支援団体に寄付しよう」と言うわけである。これに反対すると「男性はこれだから」「女性差別主義者」「保守思想」といったレッテルを貼られてしまう。だから誰も女性優遇措置には反対できない状況が続いている。
我々男性代議士が望むのは、性別によって優遇不遇されることが無い世界である。性別に関わらず能力が優れた人が高い給料をもらい、昇進する世界を求めている。しかし実態はその真逆を行っており、ジェンダーギャップの少ない世界にしようと声高に叫ぶ人たちが女性優遇をしているのである。
皮肉ってわかってるか?
コンピュータ好きには元来男性が多く、従ってIT界隈の技術職にも男性が多い。そこに近年のジェンダーレスの流れが来ており、「男性が多いのは女性差別である」という号令の元、女性優遇文化が跋扈している。
女性というだけで採用されるし、評価も甘い。これは特定の企業だけでなく普遍的に発生しており、「同じ能力なら男性より女性」という事態が発生している。
当然実害も発生している。有名所ではGAFAMのうちの一社が、とある有名OSSの担当者に女性エンジニアをアサインした。この女性エンジニアはエンジニアリング能力は高くないことはGitHubの履歴などから明らかだった。にもかかわらず「弊社は女性エンジニアも活躍しています」というアピールのため有名OSSの担当者になり、そのOSSは目も当てられない品質になった。公に語られることは少ないがこの一件はハイレベルなエンジニアの中で「性別ではなく能力で優遇すべき」と思わせる一件となった。
「男性限定プログラミングコンテスト」「男性のためのキャリア相談会」のようなものはまず無いし、そんなものを開催するとなったらバッシングされるだろう。しかしそれらの女性版は実在する。明確な性別による区別がIT業界には存在している。そのように人を性別で区分けをしていながら、もう一枚の舌で「私たちはジェンダーによる差別が無い世界を目指しています」と言うわけである。何が何やらわからない。
日本のみならず世界的にIT業界はリベラルな思想の人々が多い業界とされている。それは体感的にもその通りなので、ここではこれを真として扱う。だからこの業界は男性含めほとんどの人々は性差別を無くそうと本気で考えている。しかし女性は女性であることの権利を活かし「女性限定○○を開催しよう」と言うし、能力を棚上げして男女比を50:50に持っていくために「女性を採用しよう」と言うし、男性エンジニアも協力して稼いだお金を「女性支援団体に寄付しよう」と言うわけである。これに反対すると「男性はこれだから」「女性差別主義者」「保守思想」といったレッテルを貼られてしまう。だから誰も女性優遇措置には反対できない状況が続いている。
我々男性エンジニアが望むのは、性別によって優遇不遇されることが無い世界である。性別に関わらず能力が優れた人が高い給料をもらい、昇進する世界を求めている。しかし実態はその真逆を行っており、ジェンダーギャップの少ない世界にしようと声高に叫ぶ人たちが女性優遇をしているのである。
【追記】
話を理解してない人が多くて困る。男性が優遇されてる会社や時代ではあることは認めるよ。
だからといって男性差別したらダメでしょう。我々は平等な社会を追求すべきであって、
「男性は優遇されてたから不遇な目に遭うべき」のような理屈は通らない。
それは都合が悪いから無視か?弱者男性の声は聞くに値しないのか?
お前らの正義感は歪んでる。
【追記2】
自分のスタンスを明示していなかったけど、各論としては選択的夫婦別姓に反対はしてない。細かい制度設計で気になる点はあるけど。
元増田の文意は、「リベラルってこれでいいの?」という疑問にあって、個別の制度自体の是非についてはあまり議論のモチベはない。
『文化や伝統』を守りたいというのは個人の自由だし、そこはマイノリティであろうがマジョリティだろうが尊重するつもりだよ。ただそれは、あくまで他者の自由を阻害しない範囲でやってもらいたい。
『文化や伝統を守る自由』ってのは本当に『別々の姓を名乗る自由』の侵害無しには成り立たないのか? 選択的夫婦別姓制度が(極端な例だが、"人を殺す自由"を認めた場合の様に)社会に著しい害をもたらすというなら否定するのもわかるし、考えるべきだと思う。だが少なくとも『損なう可能性』や具体的でない『デメリット』のみでは納得感が薄い様に思える。
『理解を示して妥協点を探るべき』という考え方には個人的には共感するし、リベラルが先鋭化しているというのは多分そうなんだろうけどな。
ただ、『選択的夫婦別姓』という考えを『バッサリシャットアウト』しているのは『文化や伝統』を重んじる層ではないのか? この辺卵が先か鶏が先かの水掛け論になりそうではあるが…。
というか保守派は『文化や伝統』に基づけば他者の自由を侵害することもやむ無しと考えているのか? だとすればそれは先に挙がった『リベラルの基本理念』と根本的な部分で相容れない様に俺には思える。『他者の自由を阻害しない範囲』を越えた『自由』だからだ。
別姓制度を単体でみたときに、メリデメを合理的に考えればそうなる、という点で同意。
ただ、「文化伝統の維持」という主張に対する反論としては、議論のずれというか噛み合わなさを感じる。
そもそも保守思想というのは、人の考えうる「合理性」などたかが知れている、というスタンスであり、それゆえに伝統(現状維持)を志向するんだと思ってる。
確かに各論でみれば選択的夫婦別姓に反対する理由はないんだけど、そういった部分最適を積み重ねた結果、本当にみんなが幸せな未来(自由の侵害が最小化された世界)が来るのか、あるいはなんらかの予測しえなかった機序が働いて、もっと深刻な差別が発生するかもしれない、という懐疑論なのね。
そうすると、懐疑だけじゃなくて根拠をデータで示せよ、お気持ちじゃねーかよ、ってリベラルは主張するわけだけど、保守からすれば、そもそも人間がデータ化して認知し予測できる世界なんてまだまだ不十分だ、というのが基本スタンスなわけ。
実際に現代の科学でも株価も天気も予想できないじゃん。なら歴史に学んだ方が「合理的」だ、と。
なんで、「自由の侵害」を各論レベルでしか考えない反論、というのは、保守的な問題意識とは噛み合わんなーと思うわけです。「文化や伝統」というのは総論だから。
まあ保守側も「伝統を損なう」みたいなふわっとしたこと言うから、なかなかまともな議論にならんのですけどね。これは現状維持バイアスこそが保守みたいなとこあるんでしゃーない。
でもそこで、「保守を”ただの不合理なお気持ちバカ”とみなすような言説」がリベラル(?)に目立つんで、それはちょっと相手を見くびりすぎだし、多様性と相互理解を標榜するリベラルとしてどうなん?ということが言いたかったのでした。
君の言い分をまとめれば、「リベラルは『他者の自由を阻害しない範囲で思想信条の自由は尊重されるべし』という理念を守ってないんじゃね?だって保守派の主張を全面的に不合理なものとしてバッサリ斬り捨ててるし。理念に基づいて妥協点を探るべきだろ」となる。(合ってるよね?)
実際には保守派の理念は『他者の自由を阻害しない範囲』を越えて自由に振る舞うことをよしとするものだった。当然リベラルにとってそれは自らの理念に外れるから、受け入れられない。理念に外れるものを尊重する必要はない。となり、過激な叩きが横行するんだろう。俺の想像だが。
だとすれば(叩きの是非はともかく)リベラルは自らの理念にどこまでも忠実である。とすら言えそう。
という結論にひとまず到ったんだけど、どう思う?
うーん。まあ前段はそうなんですが、私は保守派の理念をそこまで悪意的なものと解釈していません。はてなの左派言論において、保守思想に対する悪意的解釈が多くみられるように感じているので、それを指摘したい、というのが私の意図ではありました。
保守の言いたいこと汲み切れてないんじゃない?保守の主張が「一面的に他者の自由を損ねることをよしとする言説」に読めるのは、読解が足りないかバイアスかかってるんちゃう?ってことをリベラルに言いたい。
選択的夫婦別姓や「呉座先生事件」関連のエントリ・ブックマークコメントをみつつ連想したこと。
呉座先生の個別の失言は、まあ擁護は難しいしするつもりもないが、リベラルを自称する界隈の先鋭化が気になってしょうがない昨今。
最も気になるのは、保守派の主張を全面的に不合理なものとしてバッサリいく態度。
一見不合理かもしれんけど、保守思想というのはそもそも現状維持が基本姿勢で、その背景は「経験と歴史の尊重」「人間理性に対する懐疑」にあると思ってる。
これ自体はリベラルの根底にある理性の信奉と根っこでは矛盾しないはずで、「歴史に耐えた制度にはなんらかの合理性があるはず」と考える態度は、科学的に見ても「合理的」でしょうに。
まあ政治思想の理念的な背景は明るくないのでこれくらいにしとく。
リベラル勢に聞いてみたいのは、
例えば選択的夫婦別姓が成った後に、一族や天皇制といった概念が希薄化し、日本の民族性や文化を愛する人々が少数派になったとき、彼らをどう扱うつもりなのか、ということ。
他者の自由を阻害しない範囲で思想信条の自由は尊重されるべしというのが、リベラルの基本理念だと思うんだけど、マイノリティになってから初めて尊重します、っておかしくね?
現状において支配的な思想信条が、女性や性的少数者の自由を侵害しているという主張はわかるし、それを解消すべく制度設計を行いましょうというのもわかる。
でも、「現状の戸籍や姓・婚姻制度にも機能と利益があるはずで、性急な改革は伝統と文化を損なう可能性がある」という反論をバッサリシャットアウトするのはダメだ。
現状の被害者と同レベルとまではいかずとも、理解を示して妥協点を探るべきでしょう。
少なくともその伝統を拠り所にしている人々がいて、あなたがたは、かれらを「少数派」にしうる政策を支持しようとしているんだから。
想定問答をあげておくと、
「選択的なんだから問題ないだろう」というのがまず返ってくる反応だろうけど、保守派は「文化や伝統」を問題にしているのであって、選択肢が発生すること自体に対するデメリットを危惧している訳だから、
「姓が別になった程度で文化は損なわれない」という反論もありえる。ここは保守側の仮定なので一定妥当である。「文化」の定義がカバーする範囲が広すぎるので合理的な説明が難しい。
でも、自分の祖父祖母世代とのコミュニケーションから、保守派の心情を勝手に代弁するなら、もう彼らは相当に妥協しているし戦線を後退している。
「日本文化は米国文化に塗りつぶされ、最後の一点で耐えている」という世界観を現代の高齢者世代は持っている。
(親父がネトウヨにいつのまにか傾倒していたなんて話がよくあるが、それもこの流れの一旦だと思うし、呉座先生も高齢者ではないが歴史学者としてこういう流れに影響を受けていそうな気がしている)
彼らの世界観からすれば、今も米国文化によるマイルドな同化政策は続いているし、それは一面では事実でもあるだろう。
かれらの青春時代にはリベラルなんて影も形も無かっただろうし、「家を継ぐことが至高命題」として育てられた彼らが、生きているうちにここまで世界が変わるなんて思いもしなかっただろう。
それは同情すべきこと・尊重すべきことではないのか?
「日本の文化もできるだけ維持し継承します、そのうえでみんなが活躍できる社会にしていこうとしてるんです」と、言い方だけでも寄り添ってあげようよ、という主張は、トーンポリシングとして糾弾されるべきことなのか?
自分自身は、ムラ社会の嫌な面を経験してきているので、家を継ぐべしというような思想は消えていいと思っている。
一方で、ムラ社会の最後の世代になるであろうジジババが寂し気に「私は親にそう教育され家を守ってきたしそれを誇りに思ってきた、子に受け継ぎ家を守りたかったがもうあきらめている」と語るのを聞くにつけ、かれらに「わきまえたマイノリティ」の像を重ねることもある。
(まあかれら自身は保守政党に投票するだろうが、世代が変わればいずれムラ社会は解体されるだろう)
ムラ社会は総論として害が大きいと思っているが、それでも私の原風景は「田舎のばーちゃんちでジジババに載せてもらったトラクターからみた風景」であり、自分はそれを享受しながら、自分の子世代にそれを残せないことの寂しさや後ろめたさも感じている。
なんというか、そういう対抗派閥に対する共感・配慮なしに、一方的に断罪する論調は、先鋭化が行き過ぎているし、リベラルが根底に置く理念と矛盾していると思う次第。
現状に対する(悪い意味での)新しい変革となる
・一刻も早く変革を元に戻して従来の現状が戻ることを期待
ところが早期段階で皆がマスクをするようになったのに加えて
志村けんがお亡くなりになった影響で
***
となると後者を求めることになる
それでもいつまで経っても「非常時感」が消えない
2011年の311の時は非常時感が国民の結束を促す方向にも働いた
隣にいる同じ日本国民が潜在的な脅威(感染者かも?)とされてる
「悪い変革を元に戻す」感は乏しかった
***
ちな、「大衆的保守は現状維持(≠戦前復古)」という観点に立てば
そして保守的な大衆には性急な変革は(復古的な変革でも)望まれない
竹島奪還も、拉致被害者の奪回も、とりあえず口にしているだけで
心底から本気そうには思えなかった
大学生のころには1970年代には、すでに大学はレジャーランドと呼ばれ
ユーミンのようなニューミュージックが流れる消費文化のまっただ中
2010年代になっても嬉々として「私をスキーに連れて行って」ごっこをしてる
ツイッターを見ていたらTLに『中年童貞』という漫画の数ページが流れてきた。
買って読んだわけじゃないから詳しい内容はわからないけど、テンプレ的な「ネトウヨ」像をテーマにしたエピソードがあるらしい。
なるほど世界的に見れば孤立した中年はナショナリズムに走りやすいという傾向はある。
だが単純にそれが日本に当てはまるわけでもなく、これを見て自分は違和感しかない。その違和感について書いていきたい。
この話をするうえで、「中年」と「ネトウヨ」の概念が重要だが、ルポ漫画という割にはその点が雑なように見える。
1つ1つ追っていきたい。
「中年」についての明確な定義はないが、ウィキペディアによれば、NHK放送文化研究所のアンケートでは40歳から、内閣府が中高年層を対象にした調査では40歳以上を対象していたことから、世間一般では40歳からという認識があると考えられる。
一方でこの漫画では、「30歳を超えて性交未経験の『中年童貞』」と言っているように、30歳以上が中年の定義のようだ。世間一般のイメージからすると若干若い。
たった10歳差で誤差みたいなもの、と思うかもしれないが、この後の話をするうえでこの10歳差は大きい。
ネトウヨの定義も明確でなく、「ネット上で活動する保守思想・右翼思想の者」くらいの定義から、人格否定めいた要素までくわえられた定義もあるが、多くの人がイメージするうえで下の2つの要素があるのではないだろうか。
しかし、実際に話を聞いていると、こと2つを兼ね備えた人というのは意外に少ない。
わかりやすい例が、「習近平国賓問題」で、排外主義ネトウヨは「国賓なんてありえない!粗末に扱え!」と主張する。一方で安倍支持ネトウヨは「10年国賓扱いしてこなかった元首や要人は国賓扱いするのが慣例だ」と擁護する。
コロナ対策にしても前者は「さっさと中国人を入国拒否すればよかったんだ」と批判し、後者は「根拠のない入国拒否はできない」と主張する。
(どちらが正しいかとかはここで話す話題じゃないのでスルーします。)
このように前者は安倍総理を盲目的に支持しているわけではなくむしろ批判的であり、後者はルールを曲げてまでの排外主義をしようとしない安倍総理を擁護すれば必然的に強硬な排外的な主張は取れない。
なぜこのような違いが生まれるかといえば、「年齢」だ。
ネトウヨの存在と切っても切り離せない2ちゃんねるの全盛期がいつであるかというのは、それだけでいくらでも語れる話題だろうが、ここはひとまず「ドラマ版電車男」が放映された2005年としよう。(実際はもうちょっと後だと思うが。)
この2005年時点で30歳だった人が現在の45歳、20歳だった人が現在の35歳だ。つまり前者は完全に中年の域に入った世代で、後者は一般的な中年のイメージからすると若干若い(若干だけどね!)。
前者がどういう世代かといえば、いわゆる就職氷河期世代で、就職もうまくいかない、経済的に安定しないから結婚も難しい。
そういう時に出会った(出会ってしまった)のが2ちゃんねるとネトウヨ思想というわけだ。
そういう状況に置かれると、自己の存在価値を高めるためにナショナリズムに走りやすいというのは日本だけでなく世界共通の傾向だ。
ただし自民党を支持しているかといわれると必ずしもそうではない。
自分たちが就職できなかったのは90年代の自民党政権が見捨てられたからだ、と認識しているからだ。
GOTOによってコロナが広まることを心配してるのかと思いきや、「就職氷河期世代を見捨てたのに、なんで観光は救うのか」だそうだ。
こういうタイプは排外主義ネトウヨに染まりやすい。結果として桜井誠や一周して山本太郎、もしくは共産党あたりを支持する。
実際にこの2人もこの世代を取り込む戦略をとってるように見えるし、この前の都知事選でも他の世代よりこの2者への投票率が高いのがこの世代の特徴だ。
良くも悪くも社会に対する不満が思想を先鋭化させているだけで、右に転ぶか左に転ぶかは結果論でしかない。
後者はどういう世代だったかといえば、学生時代に2ちゃん、ネトウヨ思想に出会った人間ということになる。
そこまで追い詰められた状態でもないから、そこまで思想と自己の尊厳が直結していない。
就職も第一次安倍政権の2006年ごろは景気も安定しており、前者に比べれば基本的に余裕があった。
これがずっと楽勝なら勘違いしてしまうかもしれないが、リーマンショック・民主党政権時代は厳しかった。
「あの優秀な○○先輩が内定1つもないの?!」という時代もあった。
しかし、第2次安倍政権で就職状況も改善した。○○先輩も「手遅れ」になる前にちゃんとした会社に就職できた。
だからこの世代は安倍総理に対して好感を持っている人が多くて、不当に安倍総理が叩かれていると感じたらむしろ過剰な擁護になりやすい傾向がある。
よって、排外主義ネトウヨになりやすいのか、安倍総理支持ネトウヨになりやすいのかは世代、就職のタイミングによる違いが大きい。
流れてきた画像を見る限り、モデルになってる「中年」はかなり先鋭化したネトウヨに見える。排外主義的ネトウヨだろう。
ただネトウヨだからこうなった、というよりはたまたまそっち側に転んだだけで、逆方向に発露していれば強烈な反政府活動をしている人もいる。
そしてそこまで就職に苦労していない下の年代のネトウヨもいる。
安倍晋三という人は非常に凡庸で、具体的な政治指針もなく、しかしその時その時の流れに上手く乗ってなんとなく生き残るタイプの政治家であった。
それは彼が一番最初に脚光を浴びた北朝鮮協議と拉致被害者帰国の時もそうであったし(彼はそれまでに北朝鮮問題に深い興味を示したという記録も伝聞もないが、以降はずっとあの青リボンをつけている)、
その注目度から幹事長に大抜擢され、官房長官、さらには首相にまで上り詰めた。
しかしその政策は小泉政権を継承したもので、彼の独自性はほとんどなかった。もっとも前任者があまりにも政治家として強い個性の持ち主だったということもある。
だが、政府・自民党ともに彼にその統率が取れていたとは言いがたく、政治家、とりわけ首相の適正には疑問がつきまとった。どうにかまとめ上げられたのは、自民党になんとなく漂う保守思想とそれを具体化した「美しい国」という空虚なスローガンがあったからだ。
だがあいまいとした政治思想だけで日々の政治が回るわけもなく、様々な政治問題が噴出。現役農水相の自殺などというトップクラスの政治暗部が明るみになったところで、参院選敗北。自身は病に伏して一度表舞台を去ることとなる。
1度目の華々しい舞台は、あまりにも役者不足、という結末に終わった。
だがそこで政治生命が終わらなかったのは、血統のなせる技と祖父譲りの悪運なのか。
民主党政権が機能不全に陥ったところをとどめを刺す形で震災発生。この社会不安から生じた反民主・2000年代回帰の流れ(いわば振り子運動である)に乗る形で、周囲の反対を押し切って総裁復帰・そして首相に返り咲く。
そして今日再び病に倒れる形での辞任を表明した。
この第二次政権ははたして、どんなものであっただろうか。まだその総括は出来ないかもしれない。
政権成立直後、目に見える形で株価はバカみたいな上がり方をした。株価先導の形で企業業績は回復し以降6年景気を押し上げた。大量の金を市場に注ぎ込む金融政策は一つ結果を出したとは言える。
しかし結局くだんの3本の矢は揃わずじまいで、このコロナでこの政策はいよいよ手詰まりである。
これも含め、本来であれば政府政権与党一丸となって一環した指針の下、さまざまな政策を大きく動かさなくてはならなかったが、結局政権初期以外そういう形はほとんど見られなかった。
結局のところ、安倍晋三首相は同じことを繰り返しただけではなかったのだろうか。首相として各所への人選は悪くなかったが、配置した人材をほとんどコントロールできず適切な機能を与えることが出来なかった。
本来であれば各省の歩調を合わせ利害関係者の調整を行うべき内閣官房(官邸)は、各職が見えない権力を握る中、政府内のただの権力装置に成り下がり、効率的かつ効果的な施策の支障を来すまでになった。
首相本人が制御を行うでもなく、その権限を適切に行使することなく、その権力装置自体が権威化して好き勝手に行動してしまう。第1次と第2次の問題点の違いはそこに突き詰められそうだが、それは結局、共通して安倍氏本人が役者不足であったのだろうという印象だ。
あまりにもなにも背景が見えない凡庸な彼の素は結局、政権交代直前野田元首相との党首討論の時のあの、終始自分の判断を先送りし他者に判断をゆだねる彼だったのではないだろうか。
広義のアート、つまりコンテンポラリーアートに限らず、舞台や映画、音楽といった業界関係者ってドサヨが多いよな
なぜかは知らん
サヨ発言してるとサヨ仲間がサヨフェスとかイベントで呼んでくれるから、喰ってくためにサヨにならざるを得ないとか聞くけど、
本当かどうかわからん
まあそれはともかくとして、もはや世界的にサヨク的ポリコレ思想はとっくに耐用年数が過ぎてカビが生えていると思う
ほとんどの人間はサヨク的ポリコレにうんざりしており、もはや共感など集められおらず、
連中が騒げば騒ぐほど、一般人は離れ、濃縮還元された高濃度サヨホルンリンクルが生成されるだけなのは自明である
なぜ、そうした状況にもかかわらず連中が一向に転向しないかというと頭が致命的に悪いからだと思った
右翼思想・保守思想を信奉した結果、右翼・保守であるという人は少なくて、むしろ旧来の右翼思想や保守思想には拒否感すらあるが、左翼や左翼思想に対する反感、悪意が遥かに大きいので相対的に右翼のポジションにいる、って人間だよな。
旧来の左翼(ブサヨとかはてさとか言われてるww)を「腐敗した左翼やリベラリスト」とし、自分こそが「正しいリベラリスト・真のリベラリスト」であるみたいなことを言い出すやつが結構いるのも、保守思想自体には反感があるものの旧来の左翼に対する悪意はそれへの何倍も大きい人間達の言葉であるから、まぁそうなるよなっていう。
安倍首相の政治家として上手だった所は、そういう「左翼への悪意反感」をうまくすくい上げて、本来の保守政治家としての自分を「ブサヨよりは遥かにマシな政治的実力者」として認識させ、ネット上の味方に付けたあたりなんだろうな。
首相の「悪夢の様な民主党政権時代」みたいな物言いは、ネットで自分を支持してくれる人々へのサービスであるだろうし、実際にその効果は大きかったのではないかな。
保守政治家である安倍首相自体の政治的傾向には拒否感を表していても、首相に何かあった時には必ず「ブサヨを口汚く攻撃する」形式で擁護する人ばかりで、その時の言い分が「よりマシなクソを選択すべきだ」って言い方が多いのも、首相に対する信頼とか好意がドライブになっているのではなくて、左翼に対する深刻な不信と強烈な憎悪がドライブになっているのだろうと考えた方が理解がスムーズだし、そう考えると首相もかわいそうなものだなって気が少しはする。
右翼思想・保守思想を信奉した結果、右翼・保守であるという人は少なくて、むしろ旧来の右翼思想や保守思想には拒否感すらあるが、左翼や左翼思想に対する反感、悪意が遥かに大きいので相対的に右翼のポジションにいる、って人間だよな。
旧来の左翼(ブサヨとかはてさとか言われてるww)を「腐敗した左翼やリベラリスト」とし、自分こそが「正しいリベラリスト・真のリベラリスト」であるみたいなことを言い出すやつが結構いるのも、保守思想自体には反感があるものの旧来の左翼に対する悪意はそれへの何倍も大きい人間達の言葉であるから、まぁそうなるよなっていう。
安倍首相の政治家として上手だった所は、そういう「左翼への悪意反感」をうまくすくい上げて、本来の保守政治家としての自分を「ブサヨよりは遥かにマシな政治的実力者」として認識させ、ネット上の味方に付けたあたりなんだろうな。
首相の「悪夢の様な民主党政権時代」みたいな物言いは、ネットで自分を支持してくれる人々へのサービスであるだろうし、実際にその効果は大きかったのではないかな。
保守政治家である安倍首相自体の政治的傾向には拒否感を表していても、首相に何かあった時には必ず「ブサヨを口汚く攻撃する」形式で擁護する人ばかりで、その時の言い分が「よりマシなクソを選択すべきだ」って言い方が多いのも、首相に対する信頼とか好意がドライブになっているのではなくて、左翼に対する深刻な不信と強烈な憎悪がドライブになっているのだろうと考えた方が理解がスムーズだし、そう考えると首相もかわいそうなものだなって気が少しはする。
右翼思想・保守思想を信奉した結果、右翼・保守であるという人は少なくて、むしろ旧来の右翼思想や保守思想には拒否感すらあるが、左翼や左翼思想に対する反感、悪意が遥かに大きいので相対的に右翼のポジションにいる、って人間だよな。
旧来の左翼(ブサヨとかはてさとか言われてるww)を「腐敗した左翼やリベラリスト」とし、自分こそが「正しいリベラリスト・真のリベラリスト」であるみたいなことを言い出すやつが結構いるのも、保守思想自体には反感があるものの旧来の左翼に対する悪意はそれへの何倍も大きい人間達の言葉であるから、まぁそうなるよなっていう。
安倍首相の政治家として上手だった所は、そういう「左翼への悪意反感」をうまくすくい上げて、本来の保守政治家としての自分を「ブサヨよりは遥かにマシな政治的実力者」として認識させ、ネット上の味方に付けたあたりなんだろうな。
首相の「悪夢の様な民主党政権時代」みたいな物言いは、ネットで自分を支持してくれる人々へのサービスであるだろうし、実際にその効果は大きかったのではないかな。
保守政治家である安倍首相自体の政治的傾向には拒否感を表していても、首相に何かあった時には必ず「ブサヨを口汚く攻撃する」形式で擁護する人ばかりで、その時の言い分が「よりマシなクソを選択すべきだ」って言い方が多いのも、首相に対する信頼とか好意がドライブになっているのではなくて、左翼に対する深刻な不信と強烈な憎悪がドライブになっているのだろうと考えた方が理解がスムーズだし、そう考えると首相もかわいそうなものだなって気が少しはする。
右翼思想・保守思想を信奉した結果、右翼・保守であるという人は少なくて、むしろ旧来の右翼思想や保守思想には拒否感すらあるが、左翼や左翼思想に対する反感、悪意が遥かに大きいので相対的に右翼のポジションにいる、って人間だよな。
旧来の左翼(ブサヨとかはてさとか言われてるww)を「腐敗した左翼やリベラリスト」とし、自分こそが「正しいリベラリスト・真のリベラリスト」であるみたいなことを言い出すやつが結構いるのも、保守思想自体には反感があるものの旧来の左翼に対する悪意はそれへの何倍も大きい人間達の言葉であるから、まぁそうなるよなっていう。
安倍首相の政治家として上手だった所は、そういう「左翼への悪意反感」をうまくすくい上げて、本来の保守政治家としての自分を「ブサヨよりは遥かにマシな政治的実力者」として認識させ、ネット上の味方に付けたあたりなんだろうな。
首相の「悪夢の様な民主党政権時代」みたいな物言いは、ネットで自分を支持してくれる人々へのサービスであるだろうし、実際にその効果は大きかったのではないかな。
保守政治家である安倍首相自体の政治的傾向には拒否感を表していても、首相に何かあった時には必ず「ブサヨを口汚く攻撃する」形式で擁護する人ばかりで、その時の言い分が「よりマシなクソを選択すべきだ」って言い方が多いのも、首相に対する信頼とか好意がドライブになっているのではなくて、左翼に対する深刻な不信と強烈な憎悪がドライブになっているのだろうと考えた方が理解がスムーズだし、そう考えると首相もかわいそうなものだなって気が少しはする。
今の5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)のニュース系の板には大きな3大勢力があって、
ニュース速報(嫌儲)板、ニュース速報+板、そして通称旧速と呼ばれている無印のニュース速報板の3つに分かれている
簡単に歴史を説明するが、もともとは嫌韓・嫌中思想で右寄りの人達が集まるニュー速+と、割と保守寄りだがニュー速+の宗教のようなナショナリズムとなんでも陰謀論に結びつける思想を冷笑し若干見下している無印ニュー速の2大体制だったのだが、
10年ほど前に当時の2chまとめブログへの不満が無印ニュー速内で爆発し(細かい経緯は省くが 『まどマギ ステマ騒動』とかで検索したら大体出てくるはず)
まとめブログに寛容だった当時の西村博之氏が反まとめブログ派の隔離場所として転載禁止ルールの元で作られた『ニュース速報(嫌儲)板』にほとんどの無印ニュー速民が移住することになる。
そこから嫌儲は2ch内の一大勢力となり、逆に住民がほとんど移住してしまい出涸らしみたいになった無印ニュー速は廃墟扱いで旧速と呼ばれるようになった。
2011年の東日本大震災とその後に及ぶ日本経済の凋落、中国の目まぐるしい経済成長、日本では第二次安倍内閣が発足し、アメリカ大統領は自国民ファーストのトランプ大統領に、そして西村博之氏は2ちゃんねるの運営から離れ、後に2ちゃんねるは5ちゃんねるに名前を変えた。
そんな様々な変遷の中で嫌儲は「割と保守思想だがナショナリズムは冷笑している」というような旧速時代の空気とは大きく雰囲気が変わり「親中・親韓・反自民党の左寄り思想」というものになった。
思想としての嫌儲は多分フェミニズムとか除くとはてなにかなり近く、一言で言えば「ちょっと露悪的になったはてな」といえば嫌儲の大体雰囲気は伝わると思う。
「日本のここがダメ!」という話題はとにかくよく盛り上がって、中国や韓国の体制的な問題は認識しつつも慰安婦問題や南京大虐殺などの歴史問題についてはかなり中韓に寄り添っている感じ。
この変化は日本の情勢にあわせて進化した、とも言えるし悲観と自虐がアイデンティティで場合によっては反日とすら捉えられるその思想はこじらせ続けた結果といえばそうとも取れる。
「チョンは帰れ」「シナ人が」という中韓への差別用語が飛び交うのがニュー速+だとすると
「ジャアアアップ!」「ここは中世ジャップランドだったのか…」「韓国兄さん/中国父さんはすげえや!(本気で言ってるわけではなく、保守層が一番癇に障る言葉を選んで韓国と中国を褒め称える)」みたいな言葉が飛び交うのが嫌儲だ。
嫌儲大移住騒動から数年もすると嫌儲のそんな空気についていけなくなった人達が戻ってきたのか、あるいはまとめサイトから来たのか昔に比べるとまだまだだが廃墟だった旧速にも徐々に人が集まってきた。
こちらはこちらで大移住前の無印ニュー速よりもかなり右寄りの空気が強くなったようだった。(あと無印ニュー速民には一種のアイデンティティであった『反まとめブログ思想』も相当薄れたようだった)
昔の無印ニュー速民が今の嫌儲民で、今の旧速にはまた別の層が居着いていると考えていいだろう。
ただ右寄りのニュース板といえば旧速よりよっぽど勢いのあるニュー速+があるので、旧速の方がスレ立てルールが緩いとかそんな程度のシステム上の違いはあれど、単に人が少ないだけの第2右寄りニュース板というよくわからない立ち位置が続いた。
ここ数年で5ch内の政治情勢はまたいろいろと変わった。
メディアでもアベノミクスが失策として取り上げられることが増え、北方領土問題での失敗、連続する汚職騒動、保守層が最も嫌いそうな海外へのバラマキと移民政策。
長期化する『安倍政権』が5ch中で叩かれるようになったのだ。
リベラル寄りな嫌儲が前時代的で右寄りな安倍政権を批判するのは昔から当然のことだったが、右寄りなニュー速+からも保守的な別の視点から安倍政権はボロクソに批判されるようになった。
ここ数ヶ月では後手に回る新型コロナ対策により政治色の薄かった雑談板最大勢力のなんJですら今や安倍政権批判で一色である。
そんな中旧速は新たなアイデンティティを手に入れた。
そんな5ch中の空気に耐えられなくなって逃げてきた今や少数派の『安倍政権支持者』が集い出したのである。
『安倍政権支持者かつ保守思想(ただし、安倍総理のやることなら保守の精神に反していることでも賛成)』という妙ちくりんな思想を持つ人達の集まりになり、イマイチ差別化できていなかったニュー速+ともまた違う空気の板となった。
「保守寄りで反安倍のニュー速+」「リベラルで反安倍の嫌儲」「右とか左とか関係なく安倍総理のことが大好きなニュー速」
昔の無印ニュー速がそんな立ち位置になって、そんな小さなコミュニティができました、というならそれだけの話だが、一つ問題がでてきた。
億単位のアクセスが集まる『5chまとめブログ』はそんな5chの中でも今や極少数民族である旧速民の書き込みを中心に記事を作成するのだ。
例えば大手時事ネタ系の5chまとめブログで「検察 定年延長」で検索してみてほしい。
ほとんどのまとめブログでは政権を擁護する書き込みが目立っている、とかではなくその話題自体が取り上げられていない。
ここ数日で『芸能人が政治的発言をしている!』レベルの取り上げられ方程度ならともかく、政策の問題点とかを取り上げてる記事は大手、中小のまとめブログ含めほぼ皆無だろう。
例えば最大手の痛いニュースなどでは野党やらマスコミの失態的な話題は多く書き込みが集まるニュー速+から書き込みをまとめ、安倍政権が批判される材料になりそうな話題はあえて取り上げないか、5ch中で批判一色の中で安倍総理を崇拝しておりどんな不祥事もトンデモ理論で擁護し続ける旧速の少数民族の書き込みを絞り出してまとめる、という手法をとっている。
これは管理人の政治思想的とか左寄りな書き込みは転載禁止の嫌儲に集中しているからまとめにくい、みたいな事情もあるだろうが、まあ政権寄りの書き込みをまとめた方が広告収入を狙えるというような営業判断的な理由の方が大きいだろう。
そしてまとめブログには恐らく5ch本土よりもよっぽど多くのアクセスが集まり、5ch中で狂人扱いされている旧速の書き込みがスタンダードな意見として学生や主婦層等のライト層にネットミームとして伝播・拡散されていく。
自分は1人の5ちゃんねるユーザーとしてまとめブログが大嫌いだが、10年前の無印ニュー速民がまとめブログとの共存を受け入れ嫌儲大移住など起こさずに今の嫌儲に近い思想が月間数千万や数億PVの多数のサイト群で拡散されている世界線があればネット上の保守とリベラルの情勢図は結構変わってたのではないか?と割と本気で思ってたりする。
ちょっと5ちゃんねる(2ちゃんねる)の存在を過大評価しすぎだろうか?
まあ、もしこの中で5chまとめブログを見てる人達がいたら、5chまとめと実際の5chの空気感はマジで相当に乖離がありますよ、っていうのだけは頭に入れてほしい。
はてなブックマークでもたまに上位に痛いニュースが載ってるのを見るが、あんなゴミメディアをブクマするのマジでやめませんか?という話でした。
こっちが最大限ゾーニング、自主規制、コミュ内への注意喚起とかやってもあの手この手で敵は噛み付いてくるんだ
なら、同じことをしてやればいい
ヴィーガンの目の前で肉を頬張りながら動物殺して「動物性タンパク質を取らない芋虫は知性がないな!!植物の悲鳴を聞け!」って言ってやれ
フェミ女が男に犯されてマワされて「おちんぽきもちいいいいのおおおおおおおおお♪」って白濁まみれでアヘ顔ダブルピースする漫画を書け
旭日旗を踏みにじりながら右翼に中指を立てて「古臭い保守思想にしがみつくジジイババアどもが、もう戦争は終わってまちゅよ?」と宣ってやれ
そんぐらい過激な事していいんだよ、ずっと殴られ続けてるんだから
後のことは知らん