はてなキーワード: 俗語とは
2022年7月19日のTBS「ひるおび!」に出演していた八代弁護士の発言に関する私の感想と言いたいこと。
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八代弁護士は山上容疑者の家庭崩壊の来歴やSNSの書き込みを踏まえて、
容疑者を母親に「執着」する「マザコン」で「幼稚」と言い放った。
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子供時代の愛情の欠乏に長年苦振り回されることは一般的な心理メカニズムだし、宗教に壊された家族を回復しようとすることはごく自然なことだろう。
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故にこの発言は容疑者1人をこき下ろすに留まらず、現在進行形で悪徳宗教から親を取り戻そうと何年も「執着」して必死になっている人々や
機能不全の家庭や温かい愛情に恵まれずに子供時代を過ごして今も苦しんでいる人に対する侮辱にもなりかねず、ひどく傷つけるのではないか。
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要するに、誰でもそうなってしまうのに、そもそも侮蔑的意味を含むマザコンという語で切り捨てることは、同じ境遇の人たち全体への範囲攻撃になってしまう。
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あくまでも彼1人のパーソナリティを分析しただけというなら、同様の境遇の人たちと分離して彼だけに特別にマザコン性が備わっている根拠を示してほしい。そうでなければ、広範囲を傷つける。
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言葉を選ぶべきだが、確かにそういった欠乏の中で成長した人の中には恵まれて成長した人に比べて未成熟を抱える人が存在する。上記で一般的メカニズムといった理由だ。しかし、それは俗語のマザコンという言葉からずれているし、中傷にもなり得る。
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また、八代弁護士は彼を自己中心的と評したが、容疑者が犯罪的に自己中心的だったのはまさに犯罪を計画、実行した点にしぼられるのであり、来歴から言って仕方のない精神のあり方は単なる自己中心性や身勝手ではない。
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山上容疑者は断罪されなければならない。大事件を起こした容疑者を糾弾したい気持ちは分からなくもない。許されないことだ。だが彼と同じような境遇ありながらも踏み外さず、なんとか生きていこうともがく人たちのことをまとめて焼き払う様な発言はやめてほしい。
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(ちょっと改編した)
「もっこり」がブクマでいくつか観測されるが、あれはシティーハンターが初出、定着ではないと思われる。
そもそも「もっこり」はもとからあるオノマトペであって、盛り上がっている様を表す語だった。
それが俗語としてのいわゆるアレを想起したものが定着したの時期は曖昧だが、1980年ごろにはテレビで使われている。
夕焼けにゃんにゃんやとんねるずを見ていた人達はすぐに思い出すだろう。
漫画だと、シティーハンターより先にシェイプアップ乱が使用していて、テレビとほぼ同時期か後。
その2,3年後にシティーハンターで使われてい出すので、むしろアレはすでに定着していたものをハードボイルド作風に導入したという風に見る方が正確ではないか。
今でも通ずる有名作品としてはシティーハンターだが、同時代の知名度だと先行例の方が有名だった。
実際シティーハンターの人気は連載開始から1年後ぐらいだったし。
まあ、老人の戯言と聞き捨ててくだされ。
これまでのまとめ
正味の話→関西以外で通じにくそうなのと敬語と言うより俗語っぽいのが気になる
正直に申しますと→正直にと言うとウソの対義語みたいに聞こえる。そうじゃないんだよな
率直に申しますと→率直にと言うと気持ちを打ち明ける時みたいに聞こえる。ある事柄に関する事実を述べたいだけだからそうじゃないんだよな
忌憚なく申しますと→なんかキツいことを言う時みたいに聞こえる。そうじゃないんだよな
単刀直入に申しますと→無難そうだがもうちょっと短い単語で言いたい感がある
腹蔵なく申しますと→あまり使わない言葉なので一発で通じにくそう
経緯としては、デイリーメールによって、2019年にバルサが来日した際に以下の様な動画が撮影され、その内容が問題であることを報じられた事に始まった問題だけど
デンベレ選手やグリーズマン選手らを処罰して個人の意識の問題にすることに違和感を感じている、と言う話。
個人的には、両選手が日本人を特別に嘲笑って差別しているという風には感じなかったけど、問題の根はもっと深くてエグイなとも感じた。
https://www.youtube.com/watch?v=xgZJC6QAZgA
フランス語の以下の英訳が差別的な発言であるという印象を強めている。
スラング入りなので意訳してみると
「この連中は何だ?お前がPESを遊べるようにするためにいるのか?そんなことの為に、こんな連中呼んではずかしくねぇのかよ?」、この連中を直訳して醜い顔の連中と置き換えるとセンセーションではある。
「は?何言ってんだか分からねぇよ」、どんな遅れた言葉だよ、って直訳するとヤバさは際立ちますね。
「お前らはこの国じゃ技術のある人間じゃないのかよ?」、これは直訳も糞もなく字義通りでしょう。
俺の最初の印象としては、「なんだ?このガキは。癇癪起こしてんじゃねぇよ」って感じだったけど、世論は一気に吹き上がった感があって不思議ではあった。
辻氏だけではなく複数のフランス語話者が、意図的な誤訳が含まれるという点を指摘しているけれど、俺は英語は使えてもフランス語は全く分からんので真偽の判定は難しい。DeelL翻訳で英語にしてみる。
フランス語の抜出を辻氏が嘘をついてる可能性も考えないではないが、公開されている映像で、辻仁成ほど名の知れた人がそれをやる意味が見いだせないので内容は信じたい。
Toutes ces sales gueules pour jouer un PES bordel! Ils n’ont pas honte?
All these ugly faces to play a PES damn! Don't they have any shame?
「この醜い連中はPESを遊ぶ為にいる、恥ずかしくないのか?」醜い顔が恥ずかしいと言ってる様な文脈にはとても思えない。
https://www.designstoriesinc.com/jinsei/daily-1980/
これは日本で起こったことですが、世界のどこで起こってもおかしくないことであり、場所に関係なく同じ言葉を使っていたと思います。特定のコミュニティに向けたものではありません
https://news.yahoo.co.jp/articles/b2ec34c371d23a3bc97547d6028d4d728f48906e
と言っているけれど、俺はこの発言は言い逃れやいい訳ではなくて、本当にそうなのだろうと思った。
理由は、経緯をおいつつ発言の内容を英語で理解しようとした時に、デンベレ選手は「作業がスムーズに進まないで、要求が満たされない事にキレ散らかしてる」としか思えなかったからだ。
あの場面で、作業をしている人にフランス語話者がいれば酷い罵倒に取られる訳で、いかに職業意識が高い日本人でも、要求にスマートに答えられない申し訳なさよりも怒りが勝つかもしれない。
それくらいリスペクトに欠けた言葉遣いだったことは疑いないけど、差別のつもりではなかったってのは、そうなのだろうと理解はした。
今分かる事は、日本人に対して差別の意識があるかどうかはともかくとして、デンベレ選手自身は、汚いスラングを使って日常的に会話する人であるという事だろう。
サッカー選手はジネディーヌ・ジダン氏からして、デンベレ選手同様に移民の子であり、犯罪率も高いスラムの様な場所で育ちサッカー選手としての才能と努力でのし上がって来た成功者が多い。
ブラジル人だと、毎日誰かが殺されるようなスラムから抜け出す事が出来て嬉しい、と言うようなことを来日した選手がいっていることはよくある。そして、彼らは家族や仲間への愛情がひときわ強い。
欧州に今もなお健在の階級の壁を才能によって超えたとはいっても、彼らの育ったバックグラウンドが消える訳じゃない。地元に戻って友達と話せば、上品な言葉ではなく、スラング交じりのカッコつけた言葉で話するだろう。
日本でも、ほとんど耳にすることもないけれど、ヤンキーが、サツカンとか、ポリとか警察を呼ぶような俗語があった。今も不良少年の間で、俗語が使われてるかは知らんけど、世界中のどこにでもあるだろう。
日本の不良少年は大人になり社会に出るとそういう俗語は捨てる(だけの教養は自然と備わる)が、同じような立場の選手も多いサッカー選手同士だと、そんな話し方が常態化してるのかもしれない。
フランスの中で放置され、隔絶され、隠されてる貧困層の文化を持った青年が、選手として成功する事で、地元の仲間内では普通の文化を表社会に見せてしまう事があるという事なんだろう。
フランス人も含めて世界中で、これは差別だと一斉に叩いているけれど、欧米人お得意のポリコレこん棒の過剰な振り回しの側面は否めないと思う。
同時に、フランスの恥部に向き合う事なく、選手個人の問題にして切り離そうとしてるのが更に酷い問題に思えた。
社会に存在する階級の差を放置したまま、ポリコレこん棒で叩いて表立った問題は起こさない様にしたところで、本当の差別は消えないだろう。
貧しいものは、自分たちの仕事を奪う移民を嫌うのは、昨今の欧米の時事を追えば誰にでもわかることだ。そこから差別が生まれ続ける。
デンベレ選手の問題を個人の恥ずべき行動だと切り離して、階級の差から目を背けている間は、フランスの社会が差別をなくすことなんて200%出来ないなと強く思う。
スラングが表に出てくるのが嫌なら、階級の差をなくして、移民差別黒人差別も無くして、きちんと教育して社会に送り出せ。これは、ただのフランスの恥でしかないし、日本人が付き合って怒ってやるのも馬鹿らしい話だ。
https://twitter.com/DabadieTV/status/1412191937495388160
フローラン・ダバディ氏が、本質的なところでは同意見だということで、ほらなと言う感じだ。
フランスが目を背けて逃げてる移民・黒人との階級の差が、成功によって日の目を見てるだけなのだ。十分な教育が行き届いてない事実が見えるだけだ。
字面だけ見れば巨乳は褒めでも貶しでもないが、貧乳は明らかに貶してるでしょ。
胸が小さめなことを貧しいって表すの、誰の価値観なん?
最初のうちはブラつけると痒くなってたし値段高いし大きいとサイズ見つけるの大変だしAラインの服絶対着れないし。
そう、服選びが面倒。
私は華奢で儚げな妖精さんのような人が理想だったのだ。オーバーオールをさらっと着こなせるような感じの。
しかしある時から胸と骨格の点で自分には不可能だと悟った。典型的骨格スタンダードストレート(修正。突っ込んでくれた人ありがとう)。
今は別の好みをみつけて、主にかちっとしたトラッド系を選んでるけど、多分一番合うのボディコンとかのピタッとしたやつなんだろうな。着ないけど。
ともあれ、そういう感じだったので胸が小さめな人に憧れこそすれど『貧』と思ったことはない。
服着替えるときも女子同士見せあいっこなんてしなかったし(むしろうっかり下着が見えてしまったときは物凄く恥ずかしくて縮こまってしまい周囲の子に慰められた)、胸大きいねとか言ってくる子もいなかったから、世間の風潮で女同士が胸の大きさでマウント取ってるみたいなことにされてるの訳がわからない。
もし胸が小さいのがコンプレックスな人がいたとしても、それは『貧乳』って言葉があるからじゃないの? 貧しいってなんなの? 薄乳とかじゃ駄目なの?
今の私は『貧乳』に傷つくことはないけど、胸が小さめだったとしたらかなり心外だったと思う。
価値観ってわりと社会によって刷り込まれていくものだし、変えたほうがいいんじゃないかなぁ。
【追記】
〉そもそも女の乳を第三者が呼称すること自体が時代にそぐわないんやけどな
胸が大きい人向けの洋服もEカップ向けとか具体的に書いてるしそっちのほうがわかりやすい
〉『スレンダー』になるだろう
あまり反感を買わない言い方でいいと思うけど少女っぽい人には合わないかな
〉1週間前にワイが書いてたやつか
同じ考えの人いた!
少乳、ありだと思う
でもなんか○○乳って言葉をいくつも見てたら牛乳の話かなと思えてきた……
そもそも人間の胸部のことを乳って普通の会話であんまり言わないな
「胸元にゴミついてますよ」は言えても「乳のとこにゴミついてますよ」は言えない
ていうかそれならさっきのAV業界は微乳の話はどういうことなんだろう
AV業界ではアップデートされたけど世間に広まった俗語はそのままってこと?
由来調べたら、シンデレラの靴は小さいのでは?という推測からきているとのこと
連想ゲームみたいな名付け方だな……
〉自分語り自慢でしょ
そう感じたならごめん
自分と比べて素敵に見える、胸が小さめで可愛らしい人が『貧乳』のせいでコンプレックス持ってしまったら嫌だという表明だった
〉小胸さん
〉平胸
鳩胸に対応してる印象を受ける
「乳ではなく胸の方がいやらしさがない」
「そもそも胸の大きさを評価する言葉は不適切なのでそのうち廃れるだろう」
皆さん改善案ばかりで『貧乳』擁護派はいなかったのが嬉しかったです。
なんでこんなこと書いたかというと、胸が小さめな人に悲しい思いをしてほしくないという一心です。
世の中には胸が小さい人を煽る質の悪い広告とかタレントとか溢れてるし、それを真に受けて自虐する人を見ることもあり、そのたびに「私の理想の姿を悪く言わんで!」という気持ちになってたんですよね。
今でこそ自分がなるのは諦めていますが、胸元がさらっとしててボーイズライクに服着こなしてる人がいたら思わず目で追ってしまうぐらいには好きなので……ごめんなさい気持ち悪くて。
うつ病の原因に「精神性」と「ウィルス性」が存在することが判明し、別の原因が似たような「症状」を生み出しているだけだって判明し来てるじゃん。
こうなるともう「うつ”病”」って言い方は誤解を招くだけだよね?
「慢性的に抑うつ状態が続くもしくは発生しやすくなること」を今まで「うつ病」と呼んでいたけど、でもそれって結局は「症状」であって「疾患」そのものを本当に差しているとは言えないじゃん?
たとえば「せき」「くしゃみ」は「症状」であって「疾患」そのものとは扱われないじゃん?(「肩こり」とかだと「症状」と「疾患」どっちでも使われたりするから面倒くせーんだが)。
今まで「うつ病」が「疾患」として扱われていたのは、「抑うつ状態が続くこと」そのものが「抑うつ状態」を生み出す原因となりうるのでその回帰性を含めて一つの「うつ病」という病気として扱われていたわけだ。
そしてそのスタートもまた「ストレス」からくる「抑うつ状態」であり、頭から尻尾まで「抑うつ」→「抑うつ」→「抑うつ」だったことが「うつ病」という「疾患」の特性とされていた。
でも実際には「ウィルス」が原因である可能性が発見されたことで、「ウィルス」→「抑うつ」→「抑うつ」という形になっているパターンも見えてきたんだな。
でもここで厄介なことに原因である「ウィルス」を取り除いたところで、既に「抑うつ」のループが続きすぎている場合は脳に入ったダメージの深さによってそのまま「抑うつ」→「抑うつ」でループが続く可能性があるわけだ。
だがこうなると「うつ病」というものを一纏めにするのは「ウィルス性」と「ストレス性」の混同を招くわけだし、そもそも一般的にうつ病と思われているものは「ストレスによって生じる抑うつ状態」なわけだから、そもそもコレって完全に「病状」でしかねーじゃんとなるわけ。
ココまで来たらもう答えは見えてきて、これからの時代は「ウィルスによって引き起こされる今までうつ病と呼ばれていたもの」と「ストレスによって引き起こされる今までうつ病と呼ばれていたもの」にそれぞれ新しい名前が必要になるわけだ。
その際に、片方でも「うつ病」という名前を引きずると混乱を招くことが懸念されるので両方とも「うつ病」とは違う名前になることが想像できる。
すると「病名」としての「うつ病」はこの世界から消滅して、せいぜいが「俗語」や「病状」としての「うつ病」だけが残るわけだな。
(申立の趣旨および実情)
申立人らの氏「大楢」は「オオナラ」と読むのであるが、その呼び名が滑稽かつ恥かしい放屁の俗語である「オナラ」に通じ、「オナラ」と混同され易く、そのため申立人・・・は幼少の頃から「オナラ」、「臭い」、「スカンク」「ガス」等と呼ばれて嘲笑され、珍奇な呼び名の氏に悩まされ、申立人らは「大楢」姓に嫌悪と屈辱を感じており、現在においても未知の土地に宿泊する場合等は他の姓を使用している。
のみならず、申立人らは、今、申立人らの子供達が本人に全く責任のない「大楢」姓故に、かつて申立人・・・が受けたのと同様な嘲笑と屈辱を受け苦悩していることを知つて氏の変更を決意した次第・・・云々
「大楢」の呼び名である「オオナラ」が放屁の俗語である「オナラ」に通じ、「オナラ」と混同され易いところから申立人・・・は幼少の頃から「オナラ」、「臭い」、「スカンク」、「ガス」等と呼ばれて嘲笑され、申立人らは「大楢」姓に嫌悪と屈辱を感じ
更に最近に至り、・・・県・・・市に住む申立人らの長男・・・から、同人が友人と待ち合せるため喫茶店に居た際、友人から同店に電話があり店員が「オナラさん電話です」と大声で呼び、店内の客が笑い出し長男はしゆう恥のため電話に出ることができなかつた旨訴えられたこと
申立人らの二男・・・が女生徒から「ガス」と呼ばれたことに立腹してその女生徒に傷害を負わせる事件が発生したこと等が相次ぎ、子供達までが本人に全く責任のない「大楢」姓故に、かつて申立人・・・が受けたのと同様な嘲笑と屈辱を受け苦悩している
ところで、申立人らの氏「大楢」は、我々の目でその文字を見る限りにおいてはさして滑稽、珍奇な氏ということはできないが口に出して発音すると滑稽かつ珍奇な放屁の俗語である「オナラ」に通じ、「オナラ」と混同され易いことが明白である。そして、氏は個人を特定する呼称として、文字に書かれる場合のほかに、口に出して発音される必要の多いことはいうまでもないのであるから、「大楢(オオナラ)」のようにその呼び名が滑稽かつ珍奇な「オナラ」に通じ、「オナラ」と混同され易い場合には、その文字は滑稽、珍奇とはいえなくとも、その氏自体が滑稽、珍奇なものになると解するのが相当
_人人人人人人人_
> 滑稽かつ珍奇 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
増田で話題になってたので、いわゆる氷河期世代のおじさんとして個人的な体験から思うこと、つらつらと。
いつのころからか蔓延るようになった言葉を初めて聞いたのは、2001年位のころ、外資系コンサルの人と仕事をしたときのように記憶している。
その少し後の頃から、書店のビジネス書コーナーの棚に「外資系コンサルの書いた、地頭を良くする本!」みたいな胡散くさげな本が並びだしたように思う。「フェルミ推定」なんて言葉が出回るようになったのも、多分その頃。
あの頃の日本は、山一證券とか北海道拓殖銀行とか、まさか潰れるとは思わない「一流企業」が相次いで潰れるという経験を経て、バブル崩壊が単なる景気循環ではなく、とんでもないことが起こっているということをようやく自覚しつつも、その後「失われた30年」が訪れるとは露一つも思わずに希望を持っていた。
バブル崩壊前の多くの日本人は「学校の勉強をちゃんとやって、一流の大学にいけば、その後はいいとこに就職できて一生安泰だ」と素朴に信じていた。
その頂点には、東大法学部をでて大蔵省(現・財務省)に入るという“エリートコース”があった。かつて、東大法学部の学生が就職の話をするとき、司法試験も公務員試験も目指さないでいると「え?君、民間志望なんだ!」などと言われたらしい(という話を東大文学部出身の人に聞いたことがある。「だから法学部の奴らはいけ好かないんだ」と)。
まあ、普通の大学生には、そんな雲上人の気持ちはわからなくても、文系なら都市銀行や総合商社、大手損害保険会社あたりを頂点とした就職ヒエラルキーが、かつての日本には厳然として存在したのである。
そんなものは、山一證券の社長が涙ながらに「社員は悪くないんです!私らがみんな悪いんです!」と謝罪しながら同社の廃業を決めたあたりから、ガラガラと音を建てて崩れていった。と、同時に日本という国は低迷して現在に至るわけである。
そんな中で、人気の就職先としても少しずつ存在感を出してきたのが「外資系コンサル」というやつで、そんな奴らがやたら振り回してた言葉が「地頭」という印象がやたら強いのである。あくまでも個人の観測範囲の話だが。
日本の学校で身につけるような、与えられた定型的な問題に解答するだけの「頭の良さ」だけでは、この大変革を乗り切れない! これからの時代を乗り切るには地頭の良さが必要だ!みたいなアオリも一頃はやたらとみかけた。地頭力などという不思議な日本語も生まれた。
で、地頭という言葉は俗語としては定着したようだが、結局、地頭ってなんなのかよく分からないままひろまって、「まともな言論」ではあまり見かけないように思う。そして、日本の低迷はずっと続いている。