はてなキーワード: 俎上に載せるとは
すまんが、俺がレスしたの「いやいやカウセ保険で受けれるよ。 医者が「治療の一環で必要」と判断したら保険適用。青葉も当然そうでしょ。」からで、福祉ウンタラカンタラは俺のレスじゃねえんだわ。知らん。ごめんね。
俺は経験則に則って「受けたんじゃない?受けてなくてもかまわんけど。あと糖質のカウセは保険きくよ」って言ってるだけなんだよww
そんなに青葉がカウンセリング受けてないと決めつけたいなら「青葉が絶対カウンセリング受けてないソース」出したら?笑
「確かに認知療法におけるカウセは保険適用だけど〜」って言うけどいわゆる「でもでも」で自分の非を認められない増田かなりこだわり強くない?
あと一般人がイメージするカウセの定義と当事者にとってのカウセの定義が違うのは当然のことで、それを今ここで議論の俎上に載せるのは何目的??
そして、カウセの本質はどちらかというと「当事者にとってのカウセ」なんだから一般人からしてどうとかは今関係なくない?
「俺のレスに書いてないこと(俺が話してないこと)」にまで噛みついてくるお前こそ思い込みが強いんじゃない?
「どれを誰が書いてるのかわからないサービス」という増田の前提を理解せずに増田やるの疲れない?
全部単純な疑問で、決めつけるつもりはないんで。気に障ったらごめんね?
そそそ。
性差を認めながら選択肢を縛らないってのが理想だと思うんだよな。
紹介されている本のことは知らなかったけど、
>「一部の特徴はたしかに平均すれば女性と男性で異なる。しかし一般的には、女性によく見 られる特徴がどの女性の脳にも見られるわけではないし、男性によく見られる特徴がどの男性 の脳にも見られるわけでもない。むしろ、特徴は男女間で混じり合う。」
この引用は首肯できつつもちょっとレトリックっぽいなとも思う。誰しもそうではないとか結局ひとそれぞれ、みたいなまとめ方は煙に巻いてる感がある。
女性が抱える課題や身体上のあれこれなどは結局男には分からんというのはその通りで、それらをまずもって議論の俎上に載せるために今は「女だから」ということで政治に女性を入れてもいいフェーズだとは思っている。だから岸田の叩かれているコメントは言い方が悪いだけで動機自体は別にいいんじゃないっすかという気持ち。
の続きとなります。
前回"こういった意見はあんまり意味ないよねというのは、パブコメ資料を見てから暇があればまとめます。"としていたとおり、これについて書きます。
分かりやすさ重視で、ブコメなどを取り上げながらいきたいと思います。
〇意見を精査する人にとってはコピペは印象を損ねるだけのうんざりする代物だと思う。が、「○○万件集まった」という張りぼては有権者の数を示すので、重く受け止める政治家も出てくるという側面もある。
〇パブリックコメントに自分の意見が採用される事がコメントする人間の目的なのだろうか? 例え一万もの似た意見の一つに埋もれても、行政に伝えたいものがあるのだろうと、行政は送られた数から感じ取って貰いたい。
繰り返しますが、パブコメは行政内部の議論では漏れていた、あるいは軽視していた意見を俎上に載せる手続きであり、数は気にされるものではありません。
そもそもいくらでも成り済まし可能であり、ユニーク数の把握をしていない意見の数なんて全く無意味であることは当然です。オープンレターじゃあるまいし。
もちろん、数をもってアピールする方々はおられますが、それらの方々はおそらく数がなくとも別の手段でアピールされますのであまり意味があるようには思えません。
そういった数や意見の熱意で勝負するなら政治の場になると思います(議員を通したりマスコミを動かしたり署名を集めたり)。
これはある意味そのとおりであり、一方で違う、とも言えます。パブコメの趣旨に沿った質問であれば、回答が貰えます(ものによっては「こんな意見がありました」とだけしているパブコメもあり、その違いは私にはよくわかりません。この場合にも内部的には回答を作成しているとは思います。)。
これは困難女性支援法それ自身に対する意見ですが、私が担当者であれば、賛成意見でも反対意見でもなく、その他にすら分類せずにノイズとして集計対象外にして回答も書かないと思います。
理由は以下のとおりです。
〇当該パブコメの意見募集要項(https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000247225)によると、意見募集対象は"困難な問題を抱える女性への支援に関する法律の施行に伴う関係法令(案)"となっており、一見、法律に対する意見を受け付けているように読めます。
〇しかし、(案)とついているように、これから定めようとしている法令が対象であり、既に可決成立した"困難女性支援法"はパブコメの対象ではありません。
【パブコメトップページ(https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=495220328&Mode=0)】
定めようとする命令などの題名は政令以下であり、法律がないことがわかります。
【命令などの案 案文(1)(https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000247227)】
〇つまり、今回以下は政令以下について意見を求めるものですので、法律そのものへの意見は対象外ということですね。
参考:環境省のパブコメ(https://www.env.go.jp/press/110282.html)でこんな記載があります。これも法律そのものについて送られても知らん、ってことです。
(略)当該省令案に関するもの以外の御意見や以下の意見募集要領に則らない形式により提出された御意見につきましては、本パブリックコメントの対象外とさせていただきますので、あらかじめ御承知おきください。
ただ、それでもいいから行政担当者に自分の意見を読んでほしい、とパブコメを提出することは否定しません(パブコメに限らず割とあります。)
〇つまりパブコメはドンドン出せということだ。 たくさん集まれば集まるほど意味を持つということ。 だから予防措置としてこういうことが書かれる。
どんどん出せばいいと思います。
ただ、せっかく出すのだから意味のあるものを出した方がいいのでは、ということですね。
具体例を考えてみます(私がそう思っているという趣旨ではありません)。
第三項第二号の一時保護は、緊急に保護することが必要と認められる場合その他厚生労働省令で定める場合(※1)に、女性相談支援センターが、自ら行い、又は厚生労働大臣が定める基準を満たす者(※2)に委託して行うものとする。(9条7項)
本項の厚生労働省令の案によると、一時保護の対象者としてDVやストーカーの被害者が列挙されており、これらは法の基準に従いますのでわかりやすいです(1号、2号はDV防止法、3号はストーカー規制法、4号は入国管理法)。
五 住居がない又は何らかの理由で帰宅することが心身に有害な影響を与えるおそれがあると認められる場合であって、保護することが必要と認められる場合
※単なる家出少女を対象にするための条文に思えます。これを本事業の保護対象にするかは議論が分かれる部分だと思います(即児相や警察という議論もあるでしょう)。
六 心身の健康の確保及び関係機関による回復に向けた支援につなぐために保護することが必要と認められる場合
※民間による相談事業を対象とするための条文でしょう。インターネットで地方遠隔地の少女の相談にのって東京に呼び出すのも通常ならば違法の可能性がありますが、この条項により認められる、と読めそうです。
七 前各号に掲げるもののほか、一時保護を行わなければその支援の対象となる者の生命又は心身の安全が確保されないおそれがあると認められる場合であって、保護することが必要と認められる場合
私が反対の立場であれば、このあたり深掘りして意見を出すと思います。
5号以下の記載は実質的な補導処分であり、女性相談支援センターが自ら行うならまだしも民間事業者が実施するのは公権力の行使を認める行為であるため不適切のような意見でしょうかね(即興で書いたので文面は練っていません。私が出すならもっと練った上で出します。)。
(5号以下をなくしてしまえば、実質的に現状と大きく変わらなくなるのではないでしょうか)
本項の告示案によると一時保護ができる民間事業者として以下の基準が挙げられています。
一(略)困難な問題を抱える女性保護の実施に係る活動実績を三年以上有し、かつ、宿泊を伴う困難な問題を抱える女性の保護の実施に係る活動実績を一年以上有する者であること。
他にも個人的には突っ込みどころがいくつかありますがここでは書きません。
法案については義務的なパブコメの対象外です(行政手続法2条8号、39条1項)。
ただ、各省庁で作成する法案(閣法)には基本的にパブコメを行うこととなっています。
それぞれのパブコメのページのトップに「行政手続法に基づく手続か」という記載があり、今回のパブコメは義務的な「行政手続法に基づく手続」とされています。
この覧には「任意の意見募集」と記載されているものがあり、各省庁で法案を作成する際には多くの場合こちらでパブコメが行われます(反対意見ばかりきそうなものも行われます。例えば特定秘密保護法もされました。)。
ただし、議員立法についてはこれが行われません(多分)。
https://anond.hatelabo.jp/20230111171101
※ここで「閣法としにくいものを議員立法ですることもある」と書きましたがそれに該当しうる可能性もありますね。閣法よりも議員立法は比較的批判されにくいです。政府・省庁が悪者にならないので。
法律そのものを止めたいのなら法律の廃止又は施行期日の延期を国会で可決させなければいけません。
それを行うのは政治家であり、そのためには世論を動かすしかないでしょう。
共にめちゃくちゃハードルが高いですが、後者の方がまたハードルは低いですね。(実施に向けた議論が進んでおらず施行を延期する、などの理由を付けて)
ウーマンリブ運動の成果と噛み合わないので腹落ちしないのは確かなのな。とはいえ、「お前らの言っている『風紀』とはなんなんだ」とド詰めする目的もあってわざとそっちをあいまいにしているということもある。
広告そのものを俎上に載せるなら「なんのための広告か」「だれをencourage/discourageする目的だったのか」「その意図への対応は公憤にpromotionしうるか」からガシガシ論じないとならんのでは。お祭り担当の立場が優先されると問題解決ができなくなりそ。
そこで分けようとしても両にらみにしかならんわな。てかそれ、問題が別のところにあるのにそこにこだわって解決から遠ざけてる、ってことになってませんか?
ダウソ板とは5chにあるダウンロードソフト板という掲示板群の略称である。
そこでは本来は有料であるコンテンツを無料で手に入れようと、それらアップロード場所やP2Pのハッシュ値などについて日々情報交換が行われている。つまりは不届き者の集まりである。
その掲示板群の中に「PLG総合」というスレッドがある。今回俎上に載せるのはここである。
言い忘れていたがPLGとは本来課金しないと使えないアップローダーのサービスを裏口から利用するようなサイトである。
アップローダーは基本的に課金しない人に対しては秒速100KB以下みたいな速度でしかダウンロードさせてくれない。
しかしアップローダー内のファイルの置き場所のURLをサイト内の指定された窓に貼り付けて送信すると、本来は課金している人しか利用できない高速ダウンロード用のリンクが生成されるわけである。割れ厨はコンテンツだけでなくコンテンツを手に入れる手段さえも割るのだ。
ただしPLGにもいろいろあって無料で容量制限や一日に生成できるリンク数の制限が緩いものも、課金しないとまともに使えないものもある。
そういうわけでこのスレを立てたり書き込んでいる人達の本音は「まともに使えるPLGを知りたい」で一致しているに決まっているのである。
実際「自分の使ってるところが日本人に知られてないのか話題にならない。それなりに使えるのに。」みたいな書き込みがあったとき、その後も検索に有効なまともなヒントが提示されないことに業を煮やしたのか、
81[名無し]さん(bin+cue).rar2021/08/15(日) 13:55:23.32ID:XxTjQFwm
うんち
85[名無し]さん(bin+cue).rar2021/08/15(日) 19:20:17.10ID:/xgN6tby
うるせえな書かねえなら失せろハゲ
といったレスがついている。
しかし私が改めてヒントを求めると「>>1(テンプレを見ろ)」と書かれてしまったのだ。
これはどういうことなのか。
「ここはPLGをネタにしてわいわいするスレだから 。実用性を求める奴はいない。 」というレスも来た。
それならなぜ専門板でこのようなスレを立てるのか、わいわいしたいだけなら独男やvip等適当な雑談系の板でやってればいいのに。
そう書いたがまともな返答は来なかった。
187[名無し]さん(bin+cue).rar2021/08/18(水) 22:45:54.19ID:9ypJqTRP
PLG(Premium Link Generator)に関するスレです。
以前にテンプレを見ろという書き込みに対して私が「本スレの本とは本流のことであって、本議案や本大会に使われるような本の意味ではない」と反論したことを受けて考え出されたものだろう。
より厳密に「ここではPLGのことは扱わない」ことを前面に出したテンプレになっている。完全に本音とは真逆である。
しかもそれに概ね賛同のレスしかついていないのである。支離滅裂もいいところではないか。
まともな返答とは言えないがそれなりに言いたいことが理解できる書き込みもあるにはあった。
PLGの情報を書き込むとそこにアクセスが集中して容量制限等の締め付けが厳しくなるという言い分である。
しかしそうだと思うなら最初からダウソ板に立てるべきではないのだ。ただどうにもならないヒントをちらつかせてはぐらかしたり、無知を煽ったりしたいだけなら雑談系の板でやるべきである。彼らの言っていることは板荒らしの正当化に過ぎない。
どうしてもダウソ板にスレを立てなければいけない理由はない。暇つぶしが目的だとしたもそんなマウントの取り合い以外にも楽しいことはいくらでもあるのだから。それしか発想が浮かんでなさそうなことに対してよほど現実世界における人付き合いが苦手で友達が皆無な人達の集まりなんじゃないかと邪推してしまう。
現行スレは「PLG総合23」で意外と長寿なスレッドなのだが、一番最初のスレッドの>>1は単に「ないから立てた。さあ晒せ」である。
それが5あたりから「関連ワードはNG」みたいな現行の「天邪鬼」なテンプレになっているのである。
ここからは私の完全な推測であるが、テンプレが変わった理由はやはり貴重なPLGを潰さないようにするためだと思う。
そしてその天邪鬼状態となったスレがここまで長く続いているのは、ようは私が想定していた使い方が間違っているということだと思う。
ここは直接質問して情報を聞き出すようなところではないのだ。みんなで「ここすっげー使いやすい」「ここ使えねー」とか自分の使っているPLGをぼかして自慢し合ったり愚痴り合ったりする。そういう書き込みの中で断片として自分がまだ知らないことを自主的に掴み取って検索に活かしていくというところだと思う。直接質問するのはタブーというまどろっこしさはあるが、検索に活かせる情報が集まってくるから定点観測せずにはいられないという需要があるのだと思われる。それを住民たちは、表立って言わずとも心得ているのかもしれない。
もっとも私が以下のような書き込みをしても質問に答えてくれないので、上の推測の答え合わせをすることもかなわないのであるが。
206[名無し]さん(bin+cue).rar2021/08/19(木) 17:48:46.28ID:x4DeqXPV
だって本音に反して不可解な行動してる奴らがいると背後にどういう合理的意思決定が働いているのか気になってくるじゃん
それなのになかなかそこら辺の事情話してくれないからいらだって来るんだよね
正直もはやPLG自体はどうでもいいのよ
これぐらい答えてくれたっていいじゃん。
はてなでも瞑想はよく話題になるし、自分も興味あってたびたび試すのだけどなかなか期待していたようなところまでは行けなかった。
意識の俎上に載せるものを限りなく小さくするというコンセプトはわかりやすいのだが、実際にはなかなかうまくいかない。
これは何か根本的に間違えてるんではないかと考えて思い当たったのが、あのみんながよく思い浮かべる瞑想の本の表紙にありそうな涼しそうな顔。あれが先入観なんじゃないかと思った。
そもそも意識の俎上に何も載せないということは人間性が限りなくゼロに近づくということだ。
あんなに理性的なきれいな顔をしているわけがなく、きっと相当やばい感じの顔になっているはずではないか、ということでその方向で試してみたら前より全然うまくいった気がする。
○歴史や架空の世界が全て「現代基準で正しい」ものでなくてよい。
例:「家畜人ヤプー」
○歴史や架空の世界の常識までも全て「現代基準」にせよと言うと、それはフィクションの現実への影響力を過大に評価する行為か、あるいは都合が悪ければ歴史を改竄してもよいという話になり、すなわち政治的主張となる。
○更に言えば、作品が発表された当時の常識や価値観を無視して批判の俎上に載せるのは、批判の方法として不誠実。
増田は単に思いつきで「ちょっとひねった角度のおもしろ指摘」をしただけのつもりかもしれないけど、上記の観点からすると、自己の政治性に対して鈍感であるだけでなく、不誠実な批評手法を安易に肯定するような書き込み、ということになる。その場合、「本質なんかなんも理解してない」という言葉は何の言い訳にもならないばかりか、煽りにしか聞こえず、そのため最初の書き込みを含め「釣り/煽り」セットのネタとなってしまった。議論は深まらず残念である。
今んとこ、セクハラにもいろいろ種類があって、
今回のはあちゅうが「#metoo」のハッシュタグで告白したものは、対価型セクハラに分類される。
一方、はあちゅうの「童貞いじりの件」は、分類するならば、環境型セクハラに分類される。
って認識。
セクハラには別の分類の仕方があるなと思った。
職場みたいな閉鎖的な場所で、行われる見つけにくいセクハラ(まあ、要するに会社の飲み会で童貞いじられるみたいな奴だな)
インターネットみたいな開放的な環境で、行われるセクハラ(今回のはぁちゅうの「童貞いじりの件」だな)
閉鎖的な環境で行われるセクハラはその場所を管理する会社であったり、管理者がセクハラのガイドラインに従ってルールを決めて、
セクハラが行われることを防ぐわけだ。
じゃあ、インターネットみたいな開放的な環境でも放送倫理的なルールを決めて実行すればいんじゃね?ってなる。
こないだコンビニ(イオン系)でエロ本販売中止でも賛否あったわけで、「表現の自由」とその表現で傷つく人(公共の福祉)がいるっていろんな議論が必要なわけ。
今回の「童貞いじりの件」は、はぁちゅうが童貞を面白おかしくいじったTweetしたり、コンテンツにしたことが問題なわけだろ。
「表現の自由」と「公共の福祉」の兼ね合いじゃねぇの?単純に。だからヨッピーとか、セクハラは全部ダメっていえねぇんじゃねぇの?。「表現の自由」絡むから。
「今後、女性が童貞に対して面白おかしくいじったような発言しちゃダメ」と規定されるわけだ。
「女性を巨乳とか貧乳とかで価値判断するのおかしくないですか、そう言うの不愉快」だとか「困った女性の顔が表紙の漫画雑誌がインターネットで見れるなんて不健全で、子供に生育に悪影響」
ってのがガンガン、インターネット倫理委員会に採用されていって、結局、何も言えねぇインターネットが爆誕するわけだ。
古いけど「貧乳はステータスだ」っていうのも「巨乳が素晴らしい」とされている世界アンチとして響く言葉だし、
体制があるから反体制があって、そこから面白い音楽や物語や心に響くセリフが生まれる。俺は世間から背を向けてるぜってアイディンティを確立したり、差異をもってして人は自分を認識すんだろあるからだろ?
はぁちゅうに欺瞞があるのはわかる。童貞をイジッても今の世の中の雰囲気ならオッケーってそういう話は、俺に響かん。欺瞞を感じる。ただ、これは俺の好みだと思う。
「童貞が傷つくだって!そんなんわかっとるわい、その批判込み込みを覚悟してこっちはやっとんじゃい」って言ったら俺は納得したと思う。
今、セクハラの加害者ってスティグマをつけた瞬間、コイツは殴っていい奴ってなってるのがめっちゃ恐い。
謝ってんのに、心から謝ってないって、心読めんのかおまえ。
はぁ?何言ってんだ?
心底思うの。
#metooのハッシュタグってセクハラの加害者消す為にあんの?
被害者が自分の辛いってことを告白して皆にわかってもらう為にあんじゃねぇの?
消すか、消さないかも含めて議論の俎上に載せることを望んでんだろ?
電通、岸、はぁちゅう(ついでにヨッピーも)に対して、どんな責任がお望みな訳?
電通本社が爆破され、みんな自殺したら満足なの?それはそれでそんなつもりはなかった不愉快だって思うんだろ?バカでぇ。
他人に意見伝えるって大変なんだよ。そんで皆が求めてるのも、心から謝ってるふうに見えるメゾットを活用した謝罪だろ?
ヨッピーに言ってほしいのは「セクハラは全部ダメってこと」って、何、他人の行動お前が決めんのコワっ。
皆が大好きなキャラクターのヨッピーをヨッピーに演じさせるってことにお前らはハラスメントを感じないのか。
今回の件でインターネットの表現とかセクハラに対するルールが結構ぐらぐらって、皆理解したんだから。
セクハラを細分化して、表現の自由の兼ね合いとかを鑑みながら知見を積み上げることと、
#metooみたいな運動を起こすときも、「とりあえず1ヶ月は声をあげた人に対して批判しないみたいなルールを先に整備するわ。
声をあげた人についても1ヶ月後とかに死ぬほど議論するんで、そうしないと話進まねぇんだわ。すまんな」的な感じにできないのかなということを考えた。
はあちゅうさんが、岸勇希氏から「電通」でセクハラやパワハラを受けた
この件が話題になるにつれ、はあちゅうさんが過去にTweetした
「童貞いじりの件」(彼女Twitterでの言葉を採用し、この言葉を使うが、わざわざ逆撫でする言い方をしなくても良いのにとは思う)
これはどうなっているんだ、これもセクハラではないのか、と批難の声があがっている。
感情に流されない識者は、岸勇希氏からのセクハラやパワハラと、「童貞いじりの件」は別箇に議論されるべきであって、
今回の彼女の告発は、相対化されるものではないとコメントしている。
まったくその通りだと思う。
はあちゅうさんが、「私は電通の考え方に染まったのから『童貞いじりの件』をTwitterに書いた」といえば味方できるのに、というのも、この二つの件を混同している典型に思える。
一番問題なのは、「理想の被害者ではないと声をあげてはならない」と、被害を被っている側、被害者の相談を受ける人が内面化することだろう。
しかし、この二つのことを一緒くたにしてブーメランだとか、語る資格はないと語る人がいる。なぜか。
「童貞いじりの件」という言葉は、女性から男性へのセクハラ、同じセクハラという言葉の定義に抱括されてしまうからだ。
Wikipediaのセクシャルハラスメントのページ(いろいろ見て回ったがWikipediaがわかりやすかった)を参照する。
セクハラは、対価型セクハラと環境型セクハラに分類できるそうだ。
今回のはあちゅうさんが「#metoo」のハッシュタグで告白したものは、対価型セクハラに分類される。
一方、はあちゅうさんの「童貞いじりの件」は、分類するならば、環境型セクハラに分類されるっぽい。
(あくまで私の私見である。きっとこのように綺麗に分類できるものではないし、セクハラにあたるのかもわからない。私は専門家ではないので、専門家に詳しい解説を願いたい)
どうも、この対価型セクハラと環境型セクハラをセクハラという大きな言葉で括っていることが
要はセクハラと言ってもいろいろなモノがあり、そのひとつひとつの拾い上げて検証する必要があるのではないだろうか。
対価型セクハラと環境型セクハラという分類も、大雑把な分類だがこの性質はまったく違う。さらにその中でも発信される場所などに対しての考慮も必要だろう。
対価型セクハラは、権力を持つものが、セクハラもしくはパワハラをその権力を笠に行うので、セクハラ・パワハラ被害を訴えにくい。
対価型セクハラは、声をあげ辛く、議論の俎上にも載せにくい。なぜなら声を上げるだけで不利益を被る蓋然性が高く。匿名で訴えたとしても、信憑性にかけると判断される可能性もある。
一方の環境型セクハラも職場や学校など限定された環境であれば、声をあげるのは難しい。
しかし「童貞いじりの件」は、インターネット上の発信であり、批判の声を発信者に届け、議論の俎上に載せることは容易である。
そもそもはあちゅうさんが、童貞に対して(語りかたが不愉快だから)何も語る資格を持たないというのも、冷静に考えれば妙な話であり、
さらに言えば、はあちゅうさんの今回批難されているTwitterの「童貞いじりの件」は、概念としての童貞を語っており、誰か個人を晒し上げているわけでもない。
そもそもセクハラなのか、これは環境型セクハラに分類しちゃって良いのだろうか(専門家の意見求む)。どうもビミョー臭い。
本人が堂々と公言している童貞、ヤリマンをコミュニケーションネタとしていじることや下ネタとセクハラは違うと思うんですけどねー。明るく楽しく笑えるものが自粛になるのは嫌だなー...。
と、いうはぁちゅうさんのコメントは、童貞をタブー視することこそが問題なんじゃね?と彼女なりの考えがあっての発言にも思える。
彼女の言い回しに対して違和感がないわけではないが、言わんとすることはわかる。
すべての、セクハラという言葉で定義できるものをシステマティックに片付ける社会は嫌だけど、許せないことはある。これは矛盾しない。
私はセクハラやパラハラの専門家ではないので、発言を控えるべきだとも思った。
しかし、かつて酷いパワーハラスメントにあい「言ったとて、どうにもならない」と言い出せず、悔しくて、惨めな思いを味わったこともあり、
今回の#metooの動きで声にならなかった言葉が可視化されて、今後「私だけじゃない、これは怒っていい奴だ」と声をあげやすくなるのは、
とても素晴らしいことだと感じ、考えを述べた。
実は台湾にもアメリカとの二重国籍疑惑で政治家をやめさせられた議員がいる。
→李慶安
また、台湾総統戦ではリベラルな政党である民進党が敵対相手である馬英九あいてにアメリカとの二重国籍ではないかと指摘して騒動になったことがある。
つまり台湾のリベラルな人でも政治家の二重国籍は少しまずいんじゃないかという意識はあるということだ。
さらに台湾は国ではないなどという発言は一つの中国をあえて肯定する発言であり、相手が中国、つまり(本来とは違うと言われる)共産主義政党であるという点を考えると安易に肯定出来ない。
肯定した場合独裁的共産主義国家である中国の意見を肯定することになるので一歩間違えると反民主主義的であるとすら捉えられかねない。
なぜなら民進党からすると蓮舫の一つの中国発言は容認出来ないからだ。
知識がある無いで、行動が変わります。 それはわかるでしょう。
行動から得られた知見というのは、自分の体験に結びついていますから、他人と同じ内容でも、自分の中での処理過程は異なり、オリジナルとなります。
ああ、あれはこういうことだったのか、と本から本質を学んだりできます。
議論をするときに、正解を出そうとする人がいる。
これはどうなんだろうね。
仮に、正解が出るというのはいいと思うんだけど、正解が出ないことも多いだろう。
議論で、「自分に無い知見」を出されたときに、即反論してしまうのはどうだろう。
新たな知見をもって行動すれば、これまでに見えなかったものが見えるかもしれない。
そして、そのなかで、自分に無かった知見が自分の生と結びつく。
そういうもんだと思う。
議論というのは、納得するしないにかかわらず、事実を導き出すものである。
自分でまいた種ではありますが、思考能力が限界なので手短に回答いたします。失礼をお許しください。
というなら、たとえ泊まりだろうが同室だろうがそれを揺るがすことは許されないんでしょ。「日帰り旅行とか別の部屋を予約することは、高潔な魂を保てない選択肢なのでしょうか?」なんて疑問を挟む余地さえ必要ないじゃん? なのになぜぐだぐだ言ってるの?
欲望を理性で完全に制御することはできない、と考えています。ですので、破綻のない契約を結ぶことが妥当ではないか、そのほうが後々恋愛関係にメリットがあるのではないか、ということを言いたかったのです。「欲望を理性で完全に制御することはできない」という考え方を持つこと、議論の俎上に載せることがすでにレイプ因子であると考える方がいらっしゃることも認識しています。
細かい契約? 「セックスしないなら行ってもいいけど、するなら嫌だ」が細かい契約なの? とてもシンプルでわかりやすい言葉だと思うけどね。特に「するなら嫌だ」、この一言に全てが集約されている。これがなければあるいは多少あいまいなニュアンスになったかもしれないが、この一言で「この人は本当にやりたくないんだな」ってはっきりわかるじゃん。
恋愛関係を維持することにおいて、常に明示的な契約を結び続けて管理することは難しいと考えています。俺が男性の立場として考えた場合、「セックスしないなら行ってもいいけど、するなら嫌だ」の契約を確実に履行できたとしても、契約締結までのプロセスに多大な労力が発生することが想像できます。俺が元増田の文章を読んだ結果、A)契約締結に俺の許容範囲を超えた労力が費やされる、B)契約締結の頻度も高い、と判断しています。ですので、「セックスしないなら行ってもいいけど、するなら嫌だ」≠細かい契約、「この人は本当にやりたくないんだな」は契約締結時に認識済み、です。
これを打ち返すのがしんどい、ってどんだけめんどくさがりですか。
上記で示した通り、「セックスしないなら行ってもいいけど、するなら嫌だ」を打ち返すのがめんどくさいのではありません。長い付き合いで予想される負荷の総量がめんどくさいのです。元増田の発言を自分の主観で分析した結果、元増田は「愛の証明」を要求されるタイプの人間であり、今後の長い付き合いで発生する負荷が自分の許容限度を超えると判断しました。「愛の証明」を要求した元彼女の思考パターンと似ているからです。
『民主主義への誤解例』で述べられているのは理念としての民主主義であって、その一般的な本義だよ。その実践において民主主義がどの程度多数決に頼らざるを得ないのかという現実的な問題はまた別の話であって、ここではほとんど関連がない。でもあなたにとってはきっと線引きの問題が民主主義の根幹に関わる重要な本質なのだろう。
実を言うと、『自分の意見が通らない限り「話し合いが尽くされてない」と喚き続け』ることはすでに民主主義の理念から道を外した行為だよ。なぜなら、その猟奇的な主張が本当に理性的で正しい根拠に基づいた立論に基づいているのならば、それは議会の多くの人を説得させて全体の合意の形成に少なからず影響を与えるはずだから。でもここで想定されている主張というのはおそらく非合理的かつ非人道的な、あまりに飛躍に満ちているために説得力を持たないものなのだろう。『猟奇的な提案』という言葉のうちにはそのような意味が必然的に含まれるだろうし、そうでない猟奇性というのはまず考えられないから。
『猟奇的な提案』それ自体を民主主義は否定しないだろうし、不当に排除することはないだろう。でも主張が議会の理解し難い根拠に支えられている場合や、あるいは根拠にまったく欠けている場合は排除するまでもなく、そのような主張は民主主義の土俵に乗っていないと言わざるを得ない。というのも、誰にも理解できない根拠というのは根拠が無いのと同じことなのだから。それでも『自分の意見が通らない限り「話し合いが尽くされてない」と喚き続け』るというのだから、それはまさに俎上に載せるに値しない『喚き』そのものであるとしか言いようがない。正確に言うならば、「正当な根拠に基づき、なおかつその意見が議会で通らない提示」というのは自己撞着であって、まったくあることの考えられない仮定になるね。たぶんその矛盾を包み隠すものとして『猟奇的』という言葉が思い浮かんだのだろうけど、民主主義の理念を否定するありえない仮定を持ちだして民主主義の理念を否定しているのだから、ナンセンスにも程があるよ。
それはいいとして、「どのラインで多数決に移るか」という問いに対してはすでに答えが出てるよ。つまり、最終手段としての多数決は『理を尽くした話し合いの結果「いずれの立場にも十分な正当性があり、ここから先は理による解決ができないという一点においてのみ全体の合意が形成された」ような場合のみ』許される。実際は永遠に話し合いを続けることは不可能だから、例えば期日を設けてそれまでに結論に達しなかったときには多数決に移行することになるだろう。これは確かに現実との折り合いを兼ねて理念を妥協したものではあっても、少なくとも可能な限り「話し合いが尽くされた」状況であって、それに見合う正当性は確保される。ちなみに、期日を過ぎても「いや、話し合いは尽くされていない」と喚きたてることは猟奇的な主張の是非に関わるものではなく、むしろ議会の運営方針に関わる主張になるんだけど、元の主張提示は議会の運営方針に同意した上でしか許されないのだから、そのような異議もまた自己撞着だね。
このような現実の状況があるからといって、民主主義の理念が『全く無内容な空論』になるわけではないよ。実際はその逆であって、民主主義の本義が最終的な多数決を正当化し可能にするんだよ。