はてなキーワード: 便衣兵とは
横だが...
日本軍、いじめが多かったみたいだぜ。ググるといろいろ出てくるよ(外国の軍もそんなかもしらんけど)。
階級社会好き。人の住める国土が狭い自覚のある(=定員が少ない)、日本人の特性だと思う。
南京のは、日本人村が襲撃された通州事件というのが発端だったといわれているけどね。
マニラ市街戦でも、旧日本軍はめちゃくちゃをやったそうだ。便衣兵を恐れていたからだろうが、多数の一般市民が旧日本軍人に大変むごい目に遭わされた。
日本人の強制連行も超あったからね。東北の貧しい家の娘なんてメッチャ売られてたし。
で、その辺も含めて「じゃあ具体的に何があったのか」って調べると、「彼らがこういうことされたと言い張ること」に関してはなかった、もしくは超レアケースだった、って話でしょ。
とは言え「きついこと」があるかないかと言えば超あった。超あったんだけど「彼らがこういうことされたと言い張ること」に関しては、っていう。
なんたら大虐殺だって、30万とかあったかって言うと現状の調べたところだとうーん、というところだけど、一方で荒くれ日本兵がひどいことやらかしたとか、便衣兵超怖いからバンバンしょっ引いてその中に一般人もかなり混じってたとか、裁判という名目でかなりいい加減な裁判ごっこをしてバンバン死刑にしたりとか、そういうことはあったよ。ただ「彼らが言うような規模で、彼らが言うような内容であったか」という言われれば、うーんっていう。
誰だって、万引きで捕まったのにいつの間にか連続猟奇殺人犯にされてたら文句の1つも言うだろう。別に悪いことしてないと言ってるわけじゃない、ただ濡れ衣部分に関しては、明らかに濡れ衣を着せてくる奴が現在進行形で行なっている「悪」だし。
「俺は猟奇殺人犯じゃない」って言ってるだけなのに、万引きに関しては認めてるのに、いつの間にか「俺は無罪だ=俺は万引きすらしていない」と言ってると誤解され、「いや万引きしてるってこんなに証拠でてるんだけど、ウソつかないでくれる」と何故か責めてくる者がいる。
それが君だ!
陸上でたとえると、次のようになる。
便衣兵がユニクロの服を着て近づいてきて、ふいに気を許したときに攻撃してきたら、ずるい感じがして困る。
兵隊さんは、軍服を着ているべきで、その威圧感で民間人をけちらして、統制する必要がある。
セールスマンは、背広をきて頭をポマードで固めてくるべきで、商売する気が満々なことを身なりで表現する必要がある。
広告も同じく、広告は広告であることがわかりやすく伝わるべきで、友達風の人の日記のようなものとして近づいてこられるととても困る。
今日見たブコメの中で、PR広告と書いてあるコンテンツに対してステマとコメントしている人を見かけたが、PR広告と書かれていれば、宣伝ですと宣言しているわけで、ステマではないと思う。
新聞や雑誌がwebよりも長い歴史の中で広告と記事を分離して表記するようになった経緯を考えるとwebも見習うべき点だと考える。
ルールが決まるまでのグレーゾーンは儲けの幅が大きいからチャレンジャーも多いのだろう。
遊んでいる一個人なのか、それなりの体をした会社なのか、それとも個人事業者なのかはっきりしないところが情報を発信しているのが、判断が面倒だ。
個人の意見なのか、はたまたお金をもらった上での発言なのかその区別はとてもジューヨーなのだ。
そんなことはどうでもよくて、楽しければいいのであれば、楽しいのかな。とも思った。
根拠はない。そーゆー生き方のほうがイージーで快楽的なのではないか。
お返事ありがとう。おおむねこちらの書き込みの趣旨を取っていただいたようで、特に追加はない。南京事件に関しては、その前からずっと中国が「戦争」をしていたこと、その延長線上で日本軍は南京市を早期に攻略する必要があったこと、そして、軍として必要な兵站が不十分で軍規統制が取りにくくなっていたこと、さらに、よく言われる「中国の便衣兵(民間人に紛れ込む兵士)」の問題など、様々な不幸な条件があったことから、普通以上に「(無抵抗の)民間人に対する攻撃」が過剰になった面があったことを考慮する必要があると思うし、そういった意味からも、あなたの論の例としては適切ではないと思う。
ただ、歴史を見れば、「軍による無辜の市民の虐殺」というのは、他にもいくらでもあるから、あなたが「非武装でも殺戮は止まらない」と考えるのがおかしいとは思わない。ただ、どちらが被害が少ないのか、という議論になると、それはやはり分からないね。たとえばあなたは今の日本で「武装した強盗に殺される危険を考えれば市民は武装すべき」という意見は適切だと思う? あるいは「各自が武装したら、相手ももっと武装するわけだから、そんな物騒な競争はじめるより、銃自体を不保持に(取り締まれ)」という意見は、楽天的?現実的?
これ、考え方の正しい/間違い、じゃないと思うんだよ。あくまで実際の場や状況下での適切さの問題であって。
自分が言いたかったことは、「武器を取るものは武器により滅ぶ」という、古くからの格言の趣旨と同じです。武器は戦闘の手段であって、停戦のための手段としては使えても平和の手段にはなりえない。(そこは同意して貰えるのではないだろうか。あなたも別に好んで戦争したいという風には見えないので。)平和を実現したければ、武器に依らずそれを構築するための努力をする必要がある。そうでなければ、今後も人類は永遠に血みどろの争いを続けるか、もしくは破滅するか、いずれかを選ぶしかない。武器の急速な進歩を考えれば、おそらく後者の可能性が高い。それが、二度の世界大戦を経た現在の世界の外交における、だいたいの前提となっているのではないか。
それを踏まえて、一点。
非武装や無抵抗について国家としてそれがとれないのは、自己否定といった国体にかかわる側面から国家が主体となってとれないのではなく、リスクの面からとり得ないということだと思います。
うーん。ある国家が「非武装。無抵抗」を標榜したら、それはもう近代、現代的な意味で「国家」とはなり得ないと思うんだけど、どうでしょう。領土が侵犯されても、自国民が誘拐され殺されても、我々は特に何もしません、という近代国家・政府が、果たして成立し得るのか、という。「単にリスク(すなわち未来)の問題であって、リスクさえ適切に解消できれば政策として取り得る」のか?と考えてみると、やはりそれは疑問です。
だから、現状では「国家」は「軍」を手放せない。だが、それこそが、人類にとっては大きなリスクなのではないか? 「国家」による安全保障には限界が…というのが、25年前のマンガ「沈黙の艦隊」(かわぐちかいじ、講談社)のテーマで、一種21世紀のテロの時代を先取りしたマンガだったわけなんだけど、まあそういう考え方というのはあるよね、という話。
参考:松岡正剛の千夜千冊「沈黙の艦隊」http://1000ya.isis.ne.jp/1485.html
私は、とりあえずあなたの言う「サヨク」な人たちが唱える非武装論というのは、現実の政策論ではなく一つの理想的なものの考え方・視点と考えれば理解できると思うんだけど、どうだろう。だとすれば、今の現実の政治がそうなっていなくても、いつかはそこにたどり着こうという目標として、飾っておく必要はあるんじゃないかな。遠い未来の目標がなければ、「今」を生き抜くときにも方向性が決まらないでしょう?
これみた。
「たかじんのそこまで言って委員会」の南京事件検証動画が秀逸すぎる。 | ねとうよ速報
http://netosoku.net/blog/others/takajin_nankin_kensyou/
南京事件否認論の恐怖。 - Something Orange
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20120308/p1
捏造写真や被害誇張が多すぎるとか、中国が国をまとめるためのプロパガンダとか、でも戦争なんだから規模はともかくやってるに違いないだろとか、外国人が書いた一次証拠もあるだろとか、これを全部正しいとしても関東軍の虐殺動機がよくわからない。たとえ数万人でも虐殺は軍の指示がなければ無理だ。関東軍は何か深い民族的恨みでもあったのか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(1937%E5%B9%B4)
南京事件(なんきんじけん)は、日中戦争(支那事変)初期の1937年(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際(南京攻略戦)、約6週間から2ヶ月にわたって中国軍の投降した便衣兵、一般市民などを殺した事件。
でも、この前に満州事変とかで国作ってるんだよね?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E6%B4%B2%E5%9B%BD
1932年から1945年の間、満州(現在の中国東北部)に存在した国家。
満洲国は建国にあたって自らを満州民族と漢民族、モンゴル民族からなる「満洲人、満人」による民族自決の原則に基づく国民国家であるとし、建国理念として日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人による「五族協和」を掲げた。
とすると、傀儡政権で日本人優位とはいえ中国人(満州族)とも一緒に暮らしてたわけだ。その後国を運営しながら5年かけて南京まで領土を拡大。ならなおさら軍命令で虐殺する意味がわからん。南京の人とも一緒に暮らすだろうし国民は国家の労働力ではないのか?
と思ったら、詳しい解説サイトがあった。
南京事件 初歩の初歩
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html
まずよく誤解されるのですが、「南京事件」というのは、例えば数万人なり数十万人なりを一箇所に集めて、まとめて機関銃なり銃剣なりで殺した、という事件ではありません。基本的には、数多くの中小規模の「事件」の集積です。
また、「民間人巻き込まれの責任は便衣兵戦術をとった中国側にある」との暴論も見かけます。そもそも南京では「便衣兵戦術」の存在は確認されていないのですが、例え南京戦以前の上海戦での「便衣兵」を問題にするとしても、日本軍の責任は免れません。日本軍は「民間人混入」のリスクは十分に承知していたはずです。殺害しなければならない切迫した事情もなかったのですから、そのまま生かして「捕虜」としておけばよかっただけの話でしょう。
秦 南京事件の場合、日本軍にもちゃんと法務官がいたのに、裁判をやらないで、捕虜を大量処刑したのがいけないんです。捕虜のなかに便衣隊、つまり平服のゲリラがいたといいますが、どれが便衣隊かという判定をきちんとやっていません。これが日本側の最大のウィークポイントなんです。
秦 捕虜の資格があるかないかはこの際関係ありません。その人間が、銃殺するに値するかどうかを調べもせず、面倒臭いから区別せずにやってしまったのが問題なんです。
秦 捕虜としての権利がないから裁判抜きで殺していいということにはならない。自然法に照らしても不法でしょう。古代の暴君ならともかく、こいつは悪い奴だから、その場で処刑していいというのは、文明国がやることではない。捕虜の扱いはお互い様ですから、それなりに尊重し、労働をさせれば一定の給与を与え、自国の兵士と同程度の食料を与えるのは交戦国の義務でした。
中村粲氏
武器を棄てて我軍の権内に入つた段階では捕虜なのであり、秩序や安全を脅かすことのない限り捕虜として遇すべきもので、重大な理由なく処断するのは戦時国際法違反になるであらう。
軍司令官には無断で万余の捕虜が銃剣刺殺された。それを「便衣の兵は交戦法規違反である」と強弁してはならず、率直に(それは)戦時国際法違反であり、何より武士道に悖る行為であったことを認めねばならぬ。
原剛氏
しかし、本来、捕虜ならば軍法会議で、捕虜でないとするならば軍律会議で処置を決定すべきものであって、第一線の部隊が勝手に判断して処断すべきものではない。
松本健一氏
捕虜でないからという理由で捕まえた敵国兵士を戦場で裁判にもかけずに勝手に処刑することは国際法上からも容認されていないはずです。
北村稔氏
筆者の見るところ、「ハーグ陸戦法規」の条文とこの条文運用に関する当時の法解釈に基づく限り、日本軍による手続きなしの大量処刑を正当化する十分な論理は構成しがたいと思われる。
私見ですが、「安全区掃討」の是非は、「国際法」のややこしい議論に突入するまでもなく、「常識」で考えればいいことだと思います。もう戦闘は終了しているのに、戦闘意欲を失った元兵士を片っ端から引っ張り出し、そのまま何キロも歩かせてまとめて殺害する。しかもその中には誤認連行された民間人も大量に存在している。「虐殺」だと感じれば、普通の感覚でしょう。
南京事件 初歩の初歩、了解。
ひとつ思いついたけど、この国際法を守る「普通」の感覚があれば、中国軍が世界を支配できる簡単な方法がある。10億人中の数十万人を各戦場に投降させたらいい。そしたら敵軍はその「捕虜」を戦時中に食べさせて管理して働かせても、食料を作る時間的な差で補給がままならなくなり、暴動が起こらないような高度な管理にも相当な軍人を割かなければいけない。その間に本隊で攻撃をすれば勝てる。相手が国際法を守るなら。
当時の中国がちょっと「普通」じゃないのは、ケタ違いの人口を誇るのに日本と比べて近代的な武器を持ってないこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89
戦力
大日本帝国陸軍30000 - 66000
16万の軍隊が、3万から6万6千の関東軍に負ける。ランチェスター戦略ではまずありえない。
「捕虜」の感覚も「普通」だと人数の少ない軍隊が負けて、戦いに生き残った少数が「捕虜」になるという感覚なんだが中国相手だと
南京事件 初歩の初歩
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html
「南京事件」中、最大規模の「捕虜殺害事件」として知られている事件です。
第十三師団山田支隊は、南京城北部を進軍中、大量の投降兵に遭遇しました。その数は、当時の公式発表に従えば一万四千人余りと伝えられます。この捕虜群はいったん幕府山周辺の建物に収容された後、12月16日から17日にかけてほとんどが殺害されてしまいました。
12月13日、日本軍は南京を占領しました。逃げ場を失った中国軍兵士は、大挙として軍服を脱ぎ捨て、難民が避難していた安全区に逃げ込みました。
14日から16日にかけて、日本軍は、避難民の中から元兵士とおぼしき人物を選別し、そのまま揚子江岸などに連行して殺害しました。歩兵第七連隊の戦闘詳報によれば、その数は七千人弱、と伝えられます。その選別方法はアバウトなもので、その中には大量の民間人が混入していたものと見られます。
さらに17日の入城式後も、「安全区掃討」は続きます。佐々木到一少将によれば、1月5日までに、さらに二千名が摘出されました。
結果、数万人虐殺してるんじゃないかという予測ですが、普通の感覚なら戦時中とはいえやはり全員ちゃんと食わせて、ひとりひとり裁判にかけて、きちんとした管理の中、この数万人を戦争が終わる8年間(1945)まで捕虜として扱うべきだったのでしょう。虐殺するほど軍人最低限のモラルもなくなるでしょうし。
たかじんの動画でありますが、台湾攻撃した時は虐殺なんかしてない。満州事変のときも、満州族とその地域を一度に支配したのでその必要がなさそう。南京陥落のときは戦闘継続中の「中国軍」だったので一気に中国を支配できなければ投降は「捕虜」にするかその数万人を扱う余力がなければ虐殺するしかないということでしょうか? 日本軍には「投降」という概念がなさそうで、なおさら大量の捕虜を信用出来そうにもないという文化の違いもありそうですが。
南京事件の初歩の初歩までの理解ですが、右の言う捏造写真や被害誇張が多すぎるとか、中国が国をまとめるためのプロパガンダとか、動機がないとか、虐殺する弾薬や労力が無駄とか、左の言う、でも戦争なんだから規模はともかく心壊れてどこかでやってるに違いないだろとか、外国人が書いた一次証拠もたくさんあるだろとか、これは結局、関東軍が対人口比の極端に多い中国に勝ち進んだという「普通」じゃない状況が大量の「捕虜」を扱いきれず一般人も巻き込んで虐殺したことで、「普通」の時代の人から批判されまくってるという解釈で初歩の初歩はOKですかね?
あの当時、数十人の管理人でも数万人の「捕虜」が暴動起こさないような設備とシステムを作って、人権も守りながら低コストで、食料もすぐに自給自足管理させ、ひとりひとり裁判もできたら良かったんでしょうけどね。
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20090528/p1
http://d.hatena.ne.jp/a-kubota/20090530/1243663042
に便乗してみる。
分かりやすく今までのことを要約すると、
はてサのid:D_Amon氏、「南京事件否定論を真に受けるのは無知だ!きちんと歴史を勉強しろ!」と自分で歴史学の初歩とやらのエントリーを書いてそこらじゅうに爆撃する。(正直いやがらせかと思う)
↓
自称中立のid:a-kubota氏、「中立の俺が肯定派も否定派も分かりやすく説明してやるぜ!」とかいいつつwikipediaを信用して(笑)肯定論と否定論の要約をする
↓
はてサ諸氏、「歴史学の結果である肯定論とトンデモでしかない否定論をいっしょくたに扱うとはなにごと!ムキー!!」
ってのが今の状態。
それで中立のid:a-kubota氏が否定派と肯定派の両方を紹介してくれたので、なぜはてサ諸氏が否定論をまともに取り扱わないのか、
なぜ南京事件否定論をまともな論のように紹介したa-kubota氏がキレられているのか、説明したいと思います。
まず「南京事件肯定派ってどんなことを肯定しているのか、そもそも肯定派の言ってる南京事件って何か」を知って、
それから有名どころの南京事件否定派の本を読んで否定論者の言ってることって根拠があるのか調べてみるってのが、理想なんだと思う。
けれども、a-kubota氏のエントリを見て満足しちゃうような人って、絶対にそんな面倒くさいことしないのね。
id:D_Amon氏が「じゃあもっと要約してみた。これを読め!!」って言ってみても、それすら読めない。
なぜかと言えば、id:D_Amon氏が信用できるか分からないので、読んでみて結局無意味だったら嫌だし。
と言うわけで、中立のid:a-kubota氏が紹介した否定論と肯定論のうちなぜ否定論がトンデモなのかを短く、めんどくさくなく説明しようと思います。
と言ってもどう短くしても内容に立ち入ると面倒なので、内容には立ち入りません。
たぶん短い。
藤原彰・笠原十九司・秦郁彦は歴史学者ですが、東中野修道は歴史学者ではありません。(政治学、思想学の人)
他にも渡部昇一とか小林よしのりとか田母神さんとか否定論を唱える人はいますが、歴史学者は一人もいません。
否定派VS肯定派の順で紹介していきます。
李秀英の勝利。松村俊夫は「李秀英の言うことはこれこれこういう部分でおかしい。嘘っぱちだ」と言ったが、
裁判では「松村さん、あなたの言ってるこれこれこういう部分っていいがかりですよ」となって敗訴。
稲田は裁判長にほとんど相手にされずに本多勝一の勝利。本多勝一と言えば、初心者でも「胡散臭い人物」ってことは知ってると思う。
うん、そうなんだ。胡散臭い人物にも惨敗するのが否定論者なんだ。
夏淑琴の勝利。東中野修道は「夏淑琴の言うことはこれこれこういう部分でおかしい。嘘っぱちだ」と言ったが、
裁判では「お前別に問題のない証言をわざと英語を訳し間違えて辻褄合わなくしてるだけだろ」ってなって敗訴。
東史郎は南京事件で嘘の証言をしたってことで敗訴した。日本の司法が嘘の証言に甘いってわけじゃない。
証言者では敗訴した人間はいるけど、敗訴するような人の証言は学者はやっぱり重く扱わないし、肯定論の学者が敗訴したことはない。
http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/area/taisen/qa/08.html
日本政府の南京大虐殺の定義は「日本軍の南京入城後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったこと」でこれは事実としてる。
他にも文部科学省が「南京事件あったかどうかわかんないよ」って書いたつくる会の教科書に検定意見つけて「南京事件あったよ」って書きなおさせたこともあったでしょ。
例えば東中野に賠償命令判決だした三代川三千代裁判官は、保守的な判決出すのに有名な人だし、秦郁彦に至っては右翼、「つくる会」の会員だったこともあるくらいだから「極右」って言ってもいいかも知んない。
肯定論者は左から保守から右からいろんな人いるけど、否定論者って極右しかいないよね。
どっちがイデオロギーより事実を優先しててどっちが事実よりイデオロギーを優先してるか明らかだよね。
例えば、否定論の論法の一つに、
「1947年の東京裁判で出てくるまで、南京で虐殺が起きてるなんて話はどこにも無かった!東京裁判でいきなり話がつくられた証拠だ!だから南京大虐殺は嘘だ!」
ってのがある。さらに、
「1938年に、蒋介石が『南京で日本が残虐行為をしてる!』って宣伝するための証拠を捏造する部隊を作った証拠をつかんだ!だから南京大虐殺は嘘だ!」
ってのもある。ひどい時には同じ人が言ってる。
でもさ、1938年にしきりに南京大虐殺を宣伝してるんなら、1946年には広く知られてるはずだよね。同じように「南京事件を起こしたのは朝鮮人だった説」とか「便衣兵の処刑を大げさに言った説」とか互いに矛盾しあう説がいろいろあるって言うか、
「南京大虐殺」を捏造した勢力も捏造した理由も違いまくるのに、なぜか喧嘩せずにお互いに褒めあってるよね。
おかしくね?
対して肯定論者って、細かいことでも主張が違うと議論しまくる。
有名な例でいくと笠原VS秦とか。
お互いに「南京事件あった」って言ってることは同じで、南京事件の中身でも幕府山で起こったこと、下関で起こったこと、安全区内で起こったこと、新口路で起こったこと、大まかには同じこと言ってるのに、それでも例えば幕府山事件の詳細で細かい違いがあっただけでも喧嘩しまくる。
なぜかと言えば真理を求めてるからに他ならないと思うわけ。
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最後の方は「初心者へ」って感じじゃなくなっちゃったかも知れないけど、「大まかに信じれることを知りたい」って人には参考になったと思う。
これを見ても、
「日本以外のすべての国と日本政府と日本の司法と自民党の大半と民主党のほとんどと公明党共産党社民党全員とマスコミが間違っている!俺が正しい!」
って言う人もいるだろうけど、そういう人は「初心者」では絶対にありえないからいいや。
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後日追加。
おまけとして、これを紹介しておこう。
否定派のサイトだけど、第一話を読めば南京事件が大体どういうものか分かるんじゃないかと思う。
id:D_Amon氏のやつは文章がいっぱいで読めないって人向け。
分けて考えないとおかしな事になると思うんだ。
無かった派は、たぶん「軍の行動としての虐殺」が無かったって言ってるんじゃない?
対して有った派は、「虐殺そのもの」が有ったって言ってるんじゃないかな?
個人レベルにおいて虐殺が起るのこと自体は何も不思議な事じゃないよね、便衣兵を恐れる気持ちとか、死線のストレスから八つ当たり気味にとか。あれだけの数の兵士だから、無いって方がおかしい。
けれど、軍として行ったかってことになると、話が変わってくるよね、銃弾やらの無駄な使用は後々の戦略にも問題が生じるし、死体だって処理しなければ疫病を招くし、せっかく占領した都市が廃墟になっちゃったら価値が半減しちゃう。便衣兵を見せしめに殺すことはあるとしても。