はてなキーワード: 作業所とは
板橋区福祉事務所志村地区が、石で出来ているのは、石で作ることが古典的にどんどん力強くなって生産性があるらしいと当時の東大の研究で考えられたからであり、逆に、ローマン的なものは
破産すると言われていたので、総合的に考えたところで、前野福祉作業所の存在が展開し、 前野福祉作業所の稚児は、エロに走ったので現在は全く不明で、宮脇は、令和元年6月13日
訪問当時、もうないと言っていたので、生活保護法は、初等法ではなくて現代法なので、マニュアルが大量に存在し、その技術的側面も、語られることがないものであって、ケースワーカーの小俣が、
2016年度の生活保護運用マニュアルを持っているが、使い古した汚い本で、事務処理の手順が大量な社会的現象の複雑な場合に対する処理基準を定めているだけで、カールソンの定理は、
最大関数はいたるところでその関数に概収束し、証明は、大学教養程度でできる。ここの制限された可測集合上にコンパクトサポートがあって、その、制限された可測集合における、
補完定理にみられるような、三平方の定理の証明は、そういう補題があること自体が驚愕的なので、生活保護法を定めるときに、生活保護法の目的は何かというと、憲法25条の趣旨を具体化
することであるので、憲法25条の趣旨は、福祉国家と、制限された可測集合上に、最低限度の生活があるらしいということを具体化することにあるので、それを強引に書きなさい、というものであって、
このまま、AIがIQ200とかになったら、もう俺らって、知的障害者みたいなもんだろ?
人間の仕事が奪われるみたいな話あるが、例えば現在、知的障害者のやってる仕事ってなんだろうと考えてみた。
確かに、作業所とかで仕事あるけど、将来は俺たち人間はそういう感じでAIからできるだけの仕事を与えられるって感じになるんかな。
知的障害者の作業所は、経済活動だけでなく、芸術などの文化的活動の場でもあるという話もあるだろう。
俺たちは、AIから、文化や芸術活動を与えてもらうわけだろうか。
現代法令は、フランスにおける16世紀の血を流した市民革命以降に、フランスで成立した第一王朝期のフランス法やドイツ法を基礎として、18世紀のマルクス主義革命以降の
修正資本主義をアメリカで検討して、アメリカで成立した自由主義国家の内容となっているところ、法令は、近代の生産社会を専門的に研究し、必要な概念を創設し、それらを法的確実性
があるように技術的に構成したものであるところ、これらの概念は、高度であって、なおかつ、その技術的構成の構造も、驚愕的に高度なものも含まれる複雑な体系となっていることが予想される。
一方、平成2年から裁判官をしている任介辰哉は、それが理解できないのはヌケサクであり、吉崎佳弥は、ヌケモノであると主張する。 高等学校で基本的な論理則のドリルを入れているはず
であるから、そこで習ったものを縦にすれば、自然と分かるはずであるという。 しかし、地区担当員の宮脇が、まなくろB型作業所で、数学1Aの、排他的論理和などを教えることができる、などというが、
前野町1丁目のB型作業所は、すでに解体されて更地になっており、 センター試験でドリルに付しておいた、メネラウスの定理の計算が出来るようになっていれば、法律の論理は分かるはずである
というが、メネラウスの定理は基づかれる定理であって、パスカルの定理のように、適用される定理ではないのであり、さらに、パスカルの定理が適用される場合にはそれこそに驚天動地の証明構成手段
ということとなり界隈でも絶賛されるが、フェルマーの小定理の場合は、定理自体は驚愕されても、これに基づく場合は、単に、必要最小限な技術であって特段に界隈でも最高レベルに技術とまでは
評価されていない。
精神科医Dr林のコラムに青葉被告のコンビニバイト時代の話が載ってたんだけど、青葉被告は自分が一生懸命働いているのに同僚がサボることに不満を抱いていたようで、たまに同僚をどなりつけたりして辞めさせたりするなどトラブルを起こしていたらしい。
で、林先生曰く、それは統合失調症の人の被害妄想としてよくある話なのだとか。
つまり精神疾患の症状として、「あいつはサボってるのに自分はこんなに苦労させられてる」という被害妄想を抱きやすい人が利用者の中にはいるんじゃないのかな。
それを障害特性として「病気がそうさせてるんだ」と捉えられたらまた違うのかもしれないが、B型作業所の職員(しかもバイト)がそこまで丁寧な教育やら研修を受けられる環境にあるとも思えないし、ストレス耐性が無い人や向いてない人はやめて正解だと思う。
被害妄想の話は「京都アニメーション放火殺人事件」というタイトルのコラムの項目201〜207に書かれています。
正確には統合失調症ではなく精神病性障害(Psychotic Disorders)について述べています。
Aが同僚二、三人を怒鳴りつけて辞めさせたという事実があることを裁判所は認め、そういうことは「一般的にもあり得る」と指摘している。
(中略)
人生の地獄はきっと誰にでもあるが、自分にとっては「健常な社会」こそが人生の地獄だった。
「健常な社会」に適応するくらいなら犯罪を犯すか自死した方がまだ自分の人生を手に入れられる。そう思う人間が生まれる必然は「健常な社会」を維持するシステムに組み込まれており、つまるところ何をしても堂々巡りな訳で、やっぱり世の中の未熟さと本能のどうしようもなさに揺さぶられながら、忘却を繰り返して日和見主義で他人に干渉しすぎず生きていくのが幸せなんだろうなという結論に達する。
健常な社会が設けた「児童養護施設」というシステムは、内部で虐待が横行しており、児童の中でもイジメがあり、「何のための施設なのだろう」と気を病んだ私に何度も「そんなんじゃ社会でやっていけないよ」と声をかける健常な社会人であるところの職員は、気を病んだ私から見てもキチガイであった。
養護施設では勉強時間が確保できないので勉強して逆転するような子は少ない。
施設の規則に従って規律正しい生活を送れば、自由時間などほとんどないに等しい。
自分の部屋でダラダラ夜更かししてゲームしたり、本を読んだり、そんな時間も個人の発達には必要であることも全く理解されていない。家畜や囚人以下の扱いである。一般家庭の人間の特権が羨ましくて仕方ない。
さて、こんなひねくれた性格であったせいか、基本子供嫌いな施設職員からも取り分け嫌われていた私は、さらに人に対する恨み辛みを募らせて、どんどん人格が歪んだ。
信頼できる人間に悩みや苦痛を打ち明けても、「辛かったね、大丈夫だよ」と声をかけられても救われない事は明白で、というかあの時の私にアドバイスをするなら「悩み相談をするなら優しい人間ではなく、態度が悪くても解決する能力を持った人間を見極めて選べ。それ以外は屑のようなもの」という事だろうか。こういう境遇の人間は頷くと思うが、「人に優しくしよう」なんて考える人間にロクな奴はいない。
自死を何度も考えた。正直、世に生きる価値があるとは全く思わなかったし、自分より恵まれた人間から受ける説教ほど価値のないものはなかった。恵まれた人間に、人を救済できるだけの知性があればこんなことにはならなかった、肥えただけだろうが。頼むから今後、人命に関わる組織の運営は全てAIとかにやらせて欲しい。その方がまだマシな社会になるだろう。
「普通の人間」にアレルギー反応が出てしまった私は、行政や福祉や一般就労のようなものからなるべく遠い所で生きて行きたいと思い、案の定水商売を始めた。
あらゆる業種を転々としたが、1番面白かったのは性産業で、取り分け「客もキャストもどんな職種の人間でも脱げば同じ」「美人でもブサイクでもどんな人間にも扉が開かれている」という世界が、私に人間性を取り戻させた。ここは誰に対しても優しく、最も平等で、寛容で、安心をくれる社会そのものだ。
私の在籍していた店は多様で、子供に当たり前の生活を渡すために稼ぐシングルマザー、奨学金を返すために働く高学歴の大学生、障害があるけど作業所で働きたくない女の子、銀行に頼らず起業資金を集めたい50代の女性、若いうちに好きに海外に行きたいアラサーの女性など、あらゆる年齢の人が自分の自由と自立のために働いていた。そんなキャストさん達と話す穏やかで豊かな時間が私は好きだ。
ネットでは風俗業の過激さに目が当てられがちな為、ふとこういう話もしてみたくなった。
「死ねば同じ、脱げば同じ」
この仕事で体得したそんな精神は、私の人生にとって大きな慰めであり、今は生きる意味にもなっている。
私の指名客は官僚からホームレスまで様々だ。普通の人間なんて、私の幻想だった。
幼い頃の痛みも恨みも悲しみも、きっと一生癒えることはないけれどしばらくここで頑張ってみようと思う。
「役に立たない人はいなくていい」だと、その先は選民思想になって息苦しい世界になるんよ
「どんな人でも生きていていい」は社会的にコストもかかるけど、安心を生み出す
そして平和をもたらすんだよ
「役に立つ人しか生きていてはいけない」は、障がい者や高齢者はいなくていい、となってしまう
働けない=価値がない、なんてなったら、他人が敵になって、最終的には争いになる
基本的人権、生存権ってのは理想主義ではなく、とても現実的な考え方で、これなしだと差別もあるし格差もあるし、避妊手術や粛清に繋がるんだよ
と障がい者になって分かったよ
あの時は元気だったからなぁ
みんなもいつ「役立たず」になるか分からないからさ、どんな人でも生きていていいってこと、もっと信じるべきだよ
そういやTwitterで、三菱UFJ銀行につとめてた若い女性が作業所に通うことになって嘆いてたけどさ、誰でもそうなる可能性があるからさ
タイトルの通り。末端のケースワーカーやってるけど最悪。そろそろ異動かなってくらいにはやってる。年度末を控えてるけど、正直今年で終わりじゃなかったら辞めてると思う。
何が嫌かって言うと、命を預からされるところとやりがいがないところ。あと制度が古過ぎるのが目につくところ。そこに付随する様々なイライラ。
人を見下しちゃいけないって道徳で学ぶけど、一人一人寄り添って真面目に対応してると持たない。最初は真面目に話聞いてたけど、酷い目に遭うことも多かったし気持ちの面で負担感があった。今はナマポほとんどをクズだと思ってるし、人生の価値は年数とかじゃないなって思った。あいつらが80年生きてこっちがその半分にも満たなかろうが、間違いなくこっちの人生の方が総合的な価値も世間への貢献も上だと思う。
配属されたらいきなり担当させられて、あれこれ相談に乗ったり時には厳しく赤の他人の生活のお世話をさせられる。100は行かないけどそのくらい。みんながみんな手取り足取り教えないとってレベルじゃないけど、一人で生きていけないような奴は全然いる。
そんなことする意味ないくない? 言うこと聞かないで好きに酒飲んだり勝手に退院したりして、それで死んだら公務員が悪いんだって。叱る以外になにしろってんだよ、20超えて自分で出来ない、理解しようとしない方が悪いだろ。親族も文句言う前に引きとって手前でやれよ。誤嚥で施設が訴えられてのあったけど、あんな感じのことなんかよくある。養えない支えられない、そのくせ一丁前に訴えはする親族。生きてるうちは親族の役に立たないし地域住民のお荷物だけど、せめて死後に親族のゴネる理由になれたのは生まれて来た意味があったのかもね。
なんで知らねえやつの人生背負うんだよ、金と介護とかの手間を消費するだけの人生なのに。
あとやりがいもない。大体のこっちがやるのは家に行って話聞いて、金出せる出さないの話するだけ。何でもかんでもとにかく金が出るか聞かれて、例えばテレビの修理代は出せないって言ったらすぐゴネゴネ。大人しく諦める人ももちろんいるけど、面倒臭いやつはとことんワガママ。議員連れてくる時もある。そう言う時はもっと面倒臭い。
楽だから金出すって言ったって税金なんだし、それに一回金出すとズルズル文句を言うから基本は渋る。でもまたゴネ始める。普通の人って欲しいものあったら働くなり節約なりすると思う。それをまず職員にゴネ続けて目標達成しようっておかしくね? 働けよ。仕事よりゴネるの楽なのは理屈はわかるけど、他の住民の皆さんは働いてそれを実現してんだよ。なんで当然のようにあれもこれも要求できるのか教えて欲しい。
引越し代、マッサージ代、タクシー代とかは自治体が待つことが多い。引越しはこの中だと要求されることは多くても金出すことはすくないか。
意味わかんねえ。引越しなんか普通の家はそうそうしねえし、マッサージなんて受けねえ。タクシー使わねえと病院行けないなら、入院かお看取りのある施設でもどうぞ。
あと制度の作りが甘い。と言うか性善説すぎるから悪いこと考えてる人に対して後手に回るし、古いから最近のお金の流れの実情に沿ってない。
て言うかみんな言えば働くって前提だから、病気ですって言われるとまた手間かかる。ちょっと腰が痛い、体がだるい、気持ちが乗らないですぐ病院の先生は診断書書くから、そうなるとこっちはお手上げ。病気ですって言われたらもう何も言えなくなる。
そんくらい通院して我慢しながら仕事してる人もいますやって言ってやりたい。でも言ったら揉めて面倒になるから任期ギリギリまで見逃すのが一個人から見たら一番楽、でそれが横行する。
不服審査とかも簡単にやれてスラップ訴訟みたいに出来るし、それでこっちの体力使わされるのもしんどい。制度の悪用に弱いのはどこもそうかもだけど、こっちは不正受給やらなんやらある上に、税関係みたいに本人の意思をガン無視して差押とかまだはできないのが歯痒い。
色々言ったけどセーフティネットに頼る人間がみんな嫌いなんじゃない。障害があっても出来るだけ働いてる人もいるし、高齢でフルタイムは無理だけど調整しながら頑張ってる人もいるし、シングルマザーで逃げて来た中仕事と子育てに奮闘してる人もいる。
自分にできることをやった上で、冷静にこっちに相談を投げかけて欲しいし、実際にあったこと、貰った金をちゃんと言って欲しい。これって無茶言ってないと思うんだけど。これが出来ないから社会の爪弾きなんだろうけど。
確かにこの制度がなくなると治安悪化ってのが見えてくるので、何かしらの形で必要なのはわかるけどもっと縮小していいんじゃないかな。それか事務系の公務員じゃなくて、警察とかそう言フィジカルに長けた人がやるのがいいと思う。言ってわからない平均未満の人間なんだから、暴力で躾をやってもおかしくないと思う。
先月まで子供関係の伝票処理してました! みたいな人がいきなり来て金返せとかヤクザ上がりと揉めるのってめっちゃ辛いと思うし辞める人がいても不思議じゃない。でもそれで辞めちゃうって生活保護の連中が生きてることによる外部不経済だろ。なんでこんな連中のせいで人生を狂わされるのかわかんねえ。
総じて気に食わないことばっかり。他の仕事も気に食わないなってことはそりゃあるけど、この仕事の不快感はまた別だなと思う。俺の税金がこんな無駄遣いされてるなってのを見るのはやるせない。その分社会保障費が減れば家計に余裕も生まれるし、子どもだってもっと持てたかも。貧困の問題で切り捨てるのか! みたいなこと言う人いるけど、こんな連中のためにみんなが共倒れする方が馬鹿らしい。こんな連中に税金泥棒って言われると鏡をくれてやってその分収入認定してやりたくなる。もっと金締め上げて生きていけなくするべきだ。
全体の割合でいくと年寄りばっかなんだけど、若い時備えてなくて死ぬ間際は生活保護って本当にムカつく。俺たちが老いた頃には亡くなってるだろう制度に乗っかってオムツ代貰って偉そうに。しかもたまーに仕事の仕方とかで説教してくるやついるんだよな。いやそろそろ人生の総まとめの時期だろうけど、人に説教できる人生じゃないじゃん。
障害に関しては一括りにすべきじゃないと思う。身体、知的と大体はそのお母さんの世帯とかは生活保護と別制度で手厚くして欲しい。知的の人ってすごい素直なんだよ。仕事をする意味が収入以外に日中活動の確保とか社会とのつながりとか、他の側面でやるべきって事情もあるけど、結構ちゃんと仕事してこっちに報告してくれる。普通に話して普通に言ったことを聞いてくれるから、話をしてて全く困らない。噛み砕いたりする時や、メモにまとめて渡す時もあるけど、別にそう言う個別対応は苦じゃない。あの時やってくれたとかでその後ゴネることはないし。
精神障害者はもっと働けって思う連中や、処方された薬を自己判断で飲まずに困ってるようなのが多くて最悪。ここの連中も割と職員からは嫌われてると思う。うつとかでも作業所に行くなりしてくれてればまだわかる。仕事をまだやろうって意思を感じるし。
後結構いるのは発達もあるのかもだけど、精神的に辛いですってゴネまくって仕事をしない若い奴ら。20代で家にいて、いざ訪問すると普通にゲーム機とかあんのね。こいつらゴミだなって思う。このまま一生制度に世話になるんだなって、何も生み出さねえ国民ガチャのハズレ。
あと人格障害の連中は本当無理。比喩じゃなく死んで欲しい。一番手間がかかるし、精神的にも負荷がかかる。無理と言って理由を述べても、自分の納得する答えが得られるまで延々電話したら窓口に来たりする。仕事もしないし友達も家族もいなくて暇だから。大体家族は手を引いてることが多い。病院やらも出禁になり、関わりがあるのが生活保護と障害の窓口だけになるけど、こっちは出禁までは出来ない。聞く価値のない話を丁寧に繰り返して時間を取られて残業する羽目になるのはもらえる金より精神的な負担が重くて辛い。
後ヤクザとかすぐ怒鳴るタイプの連中。こう言うのに性別関係なく担当をつけるのは社会の進歩だなぁと思ったのも束の間、お尻を触ったりするような奴がいるらしくそれじゃ意味ないなって思った。てかそんなのあったらすぐ通報したらいいのに。職員の尊厳の問題なのに何を躊躇ってるのかわからない。
実際こいつらも言い合いになると本当体力使う。たまに病院でもらった薬転売してるやつとかいるし。
普通の国民の生活とかなり切り離されてるし、他に色々日本に問題があるからこれも取り上げられないけどこれも早く直した方がいい問題だと思う。