はてなキーワード: 余所者とは
自分はたぶんどっちかというと死刑廃止派で、だけど自分の大切な人がむごい殺され方したら「犯人を殺したい」と思うはず、という人間です。
日本における死刑の議論において、当然のように前提となっているのが「司法は復讐の代行機関(たるべし)」という考え方です。
たしかにそうであれば胸がスカッとするかもしれませんが、果たしてそうなのでしょうか?
結論から言うと、歴史的経緯からは「NO」です。このあたりの話はこちらのエントリがよくまとまっているので、一度読んでみてはどうでしょうか。
https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20071206/p1
https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20080707/p2
https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20080816/p1
もう一つは、西洋における死刑の歴史を紐解かなければいけません。
西洋に限らず、アニミズムに端を発する文化圏ではしばしば生贄という慣習がありました。
これは自然や不運という「命を奪いに来る制御しがたいもの」に対し、あらかじめ命をささげておくことでそれを鎮めるという狙いがありました。
なので、何らかの理由を持って定期的に人を殺害するというのは文化的には自然なことであり、その標的となるのは罪人や余所者であることが多いのも納得しやすいでしょう。
また西洋における近代法や人権の考え方として、国家や権力というものは暴走し、それを個人(市民)がけん制しなければならないというものが基礎としてあります。
フランス人権宣言以降、西洋の法というのは個人を縛るものであると同時に国家を縛るものでもあります。
よって、西洋の諸国家には国家があくまで法に則して虐殺・恣意的な死刑を執行した歴史があり、その反省として死刑廃止がトレンドになっているという経緯があります。
日本でもたまに、政府高官が不審死することがあるでしょう。あれも広義の国家権力の暴走による死刑です。
「冤罪だったらどうする」論もこの辺に含まれるものと考えていいでしょう。つまり裁く側の権力が間違ってたらどうする?って話なわけです。
ここで困るのは、そうした西洋近代法の成立に通底する思想と、天下り的にそれを”輸入”した日本人の仇討ち感覚との間で、死刑だけが異質なものとして浮き上がってしまっているのです。
刑法論には「応報刑論」と「目的刑論」というものがあり、簡単に言えば「刑罰で犯人に同じだけの苦痛や損害を与える」というのが応報刑論で「刑罰でその犯罪を思いとどまらせる」というのが目的刑論です。
例えば次のような命題がそろっているなら、論理的に考えて死刑廃止に賛成する人がいてもおかしくないはずです。
・「司法は歴史的に見て復讐を代行する機関として成立したものではない」
・「死刑があるからといって凶悪犯罪を思いとどまる奴は少ない」(目的刑論)
・司法は歴史的に見て復讐を代行する機関として成立したものではない
⇒知らねーよ輸入したんだから。こちとら150年前まで仇討ちやってたんだよ。
⇒でも犯人殺してすっきりしたいじゃん?(応報刑論絶対正しいマン)
日本には死刑廃止に至る十分なロジックがないということなのです。
私も親や配偶者や子供を殺されたりレイプされたら、それ以上の苦痛を与えてやりたいと思う程度には俗な人間ですが、でもそれって俺の感情であって司法のあるべき姿とは限んないよな~とも思います。
光市の母子殺害事件なんかで遺族の男性が会見している風景をテレビでよく見ていました。
非常に痛ましい事件ですが、あのあたりから「遺族の感情を司法に反映すべき」みたいな意見が増えて、なんかモヤっとしていました。
そして裁判員制度までもを輸入した日本ですが、上のような議論を経ずに来ているので変なことになっているなと思います。
「うるせぇ、俺は加害者殺して気持ちよくなるんじゃ!」とクールジャパンな法整備をしてもそれはそれで結構なんですが、外国から「お前の国って法学無くなったん?w」って笑われるのがオチだと思います。
わずか10ブコメではてブ賢人が4人も登場した。ワクワクすっぞ
2021/12/22
2021/12/22
ponpon_qonqon Wikipediaの解説が参考になるが https://bit.ly/3H0HmRu 増田の言う用法が関西弁に特徴的にあるわけない。古語で嫁の意味が家族構造を土台にしたものなので、関西中心の方言周圏論からして誤り。自家製スラングを正当化するな
2021/12/22
kyo_ju 増田が力説する関西での(自身の配偶者を指す)用例を含め、家父長制家族に入ってきた余所者を表す"嫁"の語を無自覚に使う事自体がマズいからよそうな、となっている訳で。サベツガーと言って混ぜっ返せる話じゃない。 日本語 ジェンダー 差別 家族
2021/12/22
赤松健は「非党派的にマンガ表現規制に反対する人」としては最も政治的な力を持っていた。その力の源泉は何よりも「党派争いから中立である民間人」であるところに負っていたと思う。
いっぽう山田太郎は「表現規制反対を国会で訴える議員」であることに存在価値があった。議員でなければ彼はさほど著名とはいえない実業家であり、彼の力の源泉は議員であることそのものにある。
したがって、山田が自民党に入ったのは、まあわかる。彼は票田とするオタク界においては「余所者」だからだ。彼は赤松や竹宮惠子のように有名作品の著者であるわけでもなければ、本人が熱心なオタクであるようにも見えない。彼は「村の声を聞き、代弁してくれる国会議員」ではあっても「村の名士」ではない。彼がオタク村において有力者として扱われるためには国会議員であり続ける必要があり、そのために最も手っ取り早い手段が自民党への入党なのだろう。
それに比べて、赤松は人気漫画家としての知名度と人望を持ち、長年政界へのロビイングをやってきた「村の名士」だ。国会議員でなくともその声には重みがあるし、あくまで「村の利害」の代弁に徹し、党派的でないからこそどちらの陣営とも話をすることができた。オリジナル笑顔で駆け抜けられた。言うまでもなく、「党派的に中立であること」は山田が持ち得ない政治的資源である。国会議員である以上はいずれかの党派に所属することになってしまうのだから。
しかし、今回赤松は自民党の議員候補になることを選んだ。それは「党派的ではないこと」という彼の政治的資源を自ら捨て去ろうとする行為だ。政治に目覚めたばかりのトキメキ弾けそうなのかもしれないが、安直にすぎる行動だと思う。アンチ自民党のオタクは大勢いる。彼らは『ラブひな』や『魔法先生ネギま!』の作者の話には耳を傾けるかもしれないが、自民党の国会議員の言葉に耳を傾けることはないだろう。つまり、表現規制反対派は「どちらの陣営とも話ができる村の名士」を1人失ったことになる。かくいう増田もアンチ自民党オタクなので、残念ながら赤松には投票できない。
だが一方で、近年、フェミニズムに基づく表現規制を訴える人びとが急激に共産党や立憲民主党に根を張り、ついには先日の衆院選で共産党が「社会的合意」に基づく表現規制を示唆するに至った。言うまでもなく、到底受け入れられる政策ではない。これらの勢力の伸長が赤松に旗幟を鮮明にすることを選ばせたのだとしたら、支持できないにせよ非難もできないかなぁとは思う。ひょっとすると涙隠した笑顔に気づいてほしいのかもしれない。
それにしても、吉良よし子に1票を投じたオタクとして、彼女があんな主張をするのは本当に残念でならなかった。池内さおりの落選はシャーデンフロイデな朗報だったが、彼女に代表される路線は今後とも共産党の中枢に残り続けるのだろう。彼女たちのような勢力が実権を持っている限り、共産党への投票は選択肢に入らない。一票ごとドキドキ色づくこの選挙が未来地図になるのだから。
立憲民主党については、共産党のような上意下達型の政党ではなく、また本来の意味でのリベラリストもそれなりに多いので、選挙区では是々非々で対応することになると思う。自分の選挙区に立った立民の候補が表現規制にもオタク蔑視にも与していないならその候補に票を投じるくらいの信頼は置いている。積極的にオタク向けアピールをしろとは思わない(もちろん、してくれるに越したことはないけれど)。表現規制に賛成せず、オタクを侮蔑するようなことを選挙民に見えるところで言わないでいてくれればそれでいい。出会い系サイトを使って辞任したどこぞの元知事も、温泉むすめ関係での雑な発言などオタクを侮蔑するようなことさえ言わないのなら支持してもいいのだが、世間ではああいうことを言うと支持者が倍増したりするのだろうか。
しかしそうなると、仮に自分の選挙区が与野党一騎打ちの構図になり、自民の候補が赤松のようなオタクに親和的な表現規制反対派で、立民(or共産)の候補が池内のような限界フェミだったとしたら、投票先に迷うだろうと思う。公文書の隠滅、統計の改竄、五輪の誘致、災害対策における無能っぷり、人権条項を削ったやべー改憲案、いつまでも選択的夫婦別姓や同性婚に反対し続ける固陋さ、そういった諸点を鑑みるとどう考えても自民党への投票なんてできないのだが、しかし他方で表現規制推進派の限界フェミにも投票できるわけがないので、仮にそうなったら白票でも入れる以外に道はなさそうだ。幸いにして、増田の選挙区の立民候補はまともな人のようなので、安心して投票しているが。政策の先へJumpしたら受け止めてくれるかな?
https://president.jp/articles/-/51794
バリバリ定型発達の研究者が頑張って宇宙人の気持ちを想像しようとして失敗してる感がある。
個人的には自閉症者が方言を話したくない気持ちがわかるように思うんだよね。それは音の処理が苦手だからとか親の真似ができないからテレビを真似てるんだとかそういうことではなくて、方言を話すことによる内輪感、「俺ら」の中に入っていく感がたまらなく気持ち悪いと感じるからじゃないかと思う。
俺は標準語圏で育ったから方言での葛藤は無かったけど、気持ち悪くてどうしても話せないのがビジネス用語や業界用語の類だ。銀座をザギンと言ったり(ほんとに言うのか?)、出版社系で「青年」を「アオネン」と読んだり、工業系で単語の最後の伸ばし棒を頑なに全部省略したり(「エネルギ」ってなんだよ馬鹿じゃないか?と思う)、そういうやつだ。本来の標準的な言葉や言い方があるのに、それをわざわざ奇妙に捻じ曲げた言葉を使えるかどうかで「玄人かどうか」「仲間かどうか」を測るような空気が本当に気持ち悪い。
たぶん、定型発達傾向の強い人間は、むしろそうやって「俺ら」だけの言葉を操って仲間意識を醸成し余所者を排斥することで気持ちよさや安心感を覚えるんじゃないかと想像している。方言もそういう類のものだと思うんだよね。同じ方言を話していると同郷だと分かって安心するという。自閉症者はそれこそが心理的に受け付けないのではないか。機能的に発話できないとか習得に困難があるとかではなく、話そうと思えば話せるけど話したくない、そういうことなんじゃないかと思うんですよね。
id:arrow1953 のまんだらけの「禁書房」はオタクのキモさを周囲に知らしめる絶好の機会 - サブカル 語る。について批判する。
「若い女の子の多く集まるお店の前。」というのを考えてみた時に「そもそも、自らの性癖を周囲(しかも女性)に晒すことになる店なんぞに客はやってくるのだろうか?」という考えはなかったのだろうか?いやいや、おそらくあったのでしょう。ということはむしろ「女性たちに自分の性癖を晒すことになる」のが大前提であり、それこそこのお店の最大の「ウリ」と判断したのだと考えるほうが自然。
いや、それは不自然だw
まず、中野ブロードウェイはテナント部分も区分所有であり、以下のような理由が考えられる。
で、客が来るか来ないかでいえば、もともと周辺はまんだらけや、他のアダルトショップもあり、回遊性という意味では特に支障が無い。
つまり、目の前のファンシーショップのことを気にしていなかっただけ、と考える方が明らかに自然だろう。気に入らないものに対して、無理に悪意を見出そうとするのは人の心理ですが、書いていて気づかないのは、はっきり言ってかなり重症である。
一般的な形で社会にコミットしているエロ好きオタクや非オタクな社会人の皆さんはそんな環境を「キモい」と思うでしょう。社会にコミットできているエロ好きオタクにとって迷惑このうえありません。
社会というものについて深く考えることもできず、ただ性欲をダラダラと人目を憚らず周囲に垂れ流すだけの節度のない「オタク」ははっきりいって「ジャマ」。
しかし、そもそも「社会」とは何だろうか。単に、"いかがわしいものは排除する"程度の話であれば、それは、「社会」の話ではなく「世間」の話に過ぎないと増田は考える。これが、もし「社会」の問題であれば、ファンシーショップやその客側の利害や権利、まんだらけやその客側の利害や権利を洗い出して具体的に特定し、それを比較衡量し、なおかつ人権といった普遍的とされる概念に照らして判断する必要があるし、もし規制するとしても、最小限度の範囲で利益を考慮したかたちで行われる必要があるだろう。
id:arrow1953 の言い分を要約すると「"キモイ""節度のない""社会に対応できない非常識なオタク"は"ジャマ""迷惑"だから"駆除"すべき」といったことを言っていると思われる。ここで、注目すべきは「駆除」の条件である。
これらの、主観的な悪徳の評価は、おうおうとして少数民族や異端の迫害、村八分を行う理由として使われてきたものである。ちょうど先日9月1日は関東大震災の日だったが、その際に行われた朝鮮人やその他外国人、「アカ」、その他の余所者などの人々に対する虐殺は、このような理由のはっきりしない主観的な悪徳の評価が大きな背景としてあった。id:arrow1953 の主張は、関東大震災で虐殺に及んだ「普通の人々」とほぼ同じである。
なお、ちゃんと人権を学んだ人は「公共の福祉」つまり、権利の衝突から、必要最小限の自由の制約ということを考えるし、仮に自分が不快に思ったとしてもそんな感情はクソどうでもいいものとして棄却しちゃんと合理的な思考をするように訓練されているし、市民(≠大衆)はそう訓練されなければならないと増田は考えている。
ゾーニングを守ってさえいれば
この、「ゾーニングを守る」の一言で済ましてしまうことが、大きな問題である。
まず、完璧なゾーニングというのは不可能である。どんなに隠したところで、そこにそういうものがあることは隠すことができない。なぜならば、ゾーニングは中に何があるかを明示しなければゾーニングにならないからだ。また、厳しいゾーニングで広告宣伝が制約されたり、不便な立地に追いやられれば、当然に、売上や客足に影響するだろう。また、ゾーニングの対象をどのように選ぶかという問題もある。たとえば、ユダヤ人の経営する商店は特定街区にゾーニングするとすれば、それは単なるゲットーだ。
このように、一言で「ゾーニング」といっても、営業の自由やそれによる利益に対して配慮し、合理的に規制しうる最小限度の範囲で行うための子細な検討を要するはずである。それらを抜きに「いかがわしいアダルトショップが悪い!」みたいな雑なお気持ちで「ゾーニングしろ!」と吹き上がるのは、はっきり言って、コリアンタウンでデモをやる在特会の連中とさして変わらない。
私が実家と絶縁したことによって、姉ちゃんに被害が及ばないか心配。
母は、「産んでやっただろう、育ててやっただろう、あの時ああしてやっただろう」っていう恩着せがましいタイプの毒親で、私は子供の頃からちょっとした洗脳を受けていた。
私は学生時代にうつ病で不登校になったり高校を中退・通信制に転入したり、母に沢山心配させて親不孝したものだから、自分の残りの人生は母への恩返しのために生きるんだとナチュラルに思っていた。
母は酷いヒステリーで考え方が歪んでて、一緒にいるとものすごく疲れるしイライラするけれど、自分がニコニコ笑って我慢していれば、母を怒らせなければそれなりに良い母娘でいられると思ってた。
何をするにも決めるにも母の意見を優先し、母の意見が私のすべてで、気が付いたら自分で考える事ができないアラサーBBAに。
結婚して実家から出た事がきっかけで洗脳が解けた私は、数か月前にLINEで母に手短に「子供の頃から実家が嫌だった 距離を置きたい」と一方的に告げてブロック。
絶縁というほどではないかもしれないけれど、顔も見たくないし声も聴きたくない気持ちは変わらず、このまま関わりたくないと思っている。
そして先月、姉から「母の日のプレゼントを用意したから共同ってことにしよう」とLINEが来た。
姉と私は気の合う真の仲良し姉妹という感じではないが、同じ親を持つ「同志」という意識が強い。 だから姉の言動が信じられないし、そんな事したくなかたったから断った。
姉は極力実家は頼らないって言ってるけど、ただでさえ今正社員で働きながら娘を育てるわけで、この先双子が生まれるとなると実家を頼らないとキツイ。
でも、両親は高齢の挙句貧乏で車も持ってないし、「孫=面倒事」くらいにしか思っていない。 私自身子供を産んで育てた経験もない。
姉の力になってあげたい。 でも、かといって両親が頼りない分、叔母の私が姪っ子達にサービスし続けるのもなんかおかしい。
一番の心配は、次女(私)という母のサンドバッグが消えたことにより、姉や姪っ子に視線や期待が集中するんじゃないかって。
なんていうか、母自身が見栄っ張りな挙句コンプレックスの塊で、我が子で自分のコンプレックスを払拭させる人だったのね。
だから娘に必要以上に干渉するし口出しもする。 自分の言いなりにならないとキレて手に負えなくなる。
多分だけど、姉的にはこれ以上自分に被害が及ぶ前に実家と仲直りしてほしいんだと思う。
でも、私は嫌。 言葉の通じない両親の為にサンドバッグになり続けるのは嫌。 話がわかる人たちなら、こんな強硬手段はとらなかった。
両親のありがたみはきっと自分が親にならないとわからない。 姉も親になって母のありがたみも異常さもわかったのかもしれない。
ずっと姉に言えなかったことがある。
母は、姉が父親似なのが気に入らなかったようで、姉のいないところで姉が悲しむような悪口をクスクス笑いながら私に聞かせていた事。
小さい頃から「お姉ちゃんは私たちと違う」って、陰で姉を余所者みたいに扱っていた事。
私の事を「あんたはお姉ちゃんと違ってお母さん似だから幸せになれる」ってずっと馬鹿みたいに言ってたけど、子供の頃の私を何かにつけ「やっぱりあの男の子供だな!」ってなじっていた事。
姪っ子を「旦那さん似で ざんね~んw」って小馬鹿にしている事。 半日預かっただけで「一日中泣きやがって。酷い目に遭った」と醜く顔を歪ませて私に愚痴った事。
ウマ娘のモチーフになってる引退馬を一目見たいと思ってるオタクへ
はっきり言うが、競馬関係者は引退馬の見学が増えることは微塵も望んでいない。できれば来ないでほしいと願っている。
なぜなら牧場にとって”観光客”は迷惑以外の何者でもないからだ。
馬の管理はとてもシビアで、餌の量から運動の時間まで細かく決められており、少しでもペースを乱すことがあればすぐ馬の健康を害する可能性のある、とても神経を使う仕事だ。
なのに引退馬を見に来る連中はまともに消毒もしない、厩務員の見てないところで勝手に餌やろうとする、でかい声を出す、勝手に触ろうとするなどなどあの手この手で馬にダメージを与えようとするクソ野郎ばかりだ。
そもそも引退場を引き取っている牧場はサラブレッドを生産し馬主に売るための生産牧場がほとんどだ。観光牧場とは違う。お前ら余所者をもてなすための余裕も人員もない。
いくつかの牧場は見学を受け入れているところもあるが、それらは完全にサービスだ。本来やらなくてもいいことをやってくれているのである。
なのに“観光客”は牧場側のサービス精神に付け込んで、前述した迷惑行為をさも観光客の権利だと言わんばかりにやっていくんだ。マジ◯んでくれ
引退馬と牧場に対する迷惑行為はウマ娘以前から見受けられたが、ウマ娘オタクは母数が多いから迷惑行為は以前の比じゃないほど増えるだろう。幸い今はコロナにより見学中止している牧場がほとんどだが、再開した暁にはウマ娘オタクが牧場に押し寄せるのは想像にかたくない。現に今も牧場に直接電話してくる馬鹿がいるからな。
ハルウララを管理しているマーサファームは一日中見学予約の電話がかかってくるからこの頃仕事ができてないらしい。あそこはほぼ一人ですべての動物の世話をしなきゃいけないから、電話に出るだけで重労働だろう。ウマ娘オタクはハルウララ号にも迷惑をかけていると自覚した方がいい。
我々は1が何故このようなスレッドを立てたのかという疑問を解決するため、1の故郷である群馬県に向かった。
「まだ日本にこんなところがあったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上司に失礼だと咎められた。
小人が住むような小さな家、ツギハギだらけの服を着る農夫たち、そして彼らは余所者で身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
高度成長だの、神武景気だの、オリンピックだので浮かれていた我々は改めて農村の現状を噛み締めていた。
我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに「息子が申し訳ありません」と我々に何度も土下座して詫びた。
我々はこの時初めて1を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、農村の貧しさが全て悪かったのだ。
我々は1の母親から貰った干し柿を手に、打ちひしがれながら東京へと帰路についた。
1の家臣でござる。
この度は殿がかように愚かしき板を立ててしまい、家臣一同お詫びの言葉もござりませぬ。
殿は先の戦での大敗以来すっかりお心を病んでしまい、昼は村娘をかどわかし、夜ごと酒を召しては家臣に斬りかかる毎日でござる。
奥方様は病で倒れ、折からの飢饉で民は飢え苦しみ、近隣諸国の大名はこれ幸いとばかりにわが国との国境を侵し始めている次第にござりまする。
家臣の中にも殿に翻意をいだく者が多く、このままではお家存亡の一大事になりかねませぬ。
しかし、ご安心下され。間もなく殿には出家していただく手はずにござる。
殿が寺に向かう途中に手練れの者をひそませ、殿のお命を頂戴する算段が整っておりまする。その後は殿の甥にあたられる茂名の上(もなのかみ)様を殿として迎え我ら家臣一同忠勤を尽くす心づもりでござる。
皆様方には迷惑をおかけして、まことに申し訳ござりませぬが、今しばらくの辛抱でござる。なにとぞ、なにとぞ殿の此度の所業をお許し下さいませ。
あと一つは?