はてなキーワード: 余命宣告とは
がんの闘病ブログを読むのが好きなのだがおおっぴらに語りづらい趣味なのでここにその醍醐味を投下しておく。
闘病ブログに何を求めているのかといえば、自分の死についてのシミュレーション代わりに、というのが一番大きな理由になるだろう。自分もいつか死ぬわけで、その時にどのような考えを抱くのか。どのような苦しみを抱くのか。それを、他者の闘病経験を通じてシミュレーションしたい。いろいろな闘病ブログを読み漁ってきたが、迫真の筆致で綴られる生への希望、そして死への恐怖は、こちらの胃まで痛くなってくるような切迫に満ちている。ぜったいにこうはなりたくないと思う。
いくつも読み漁っていくうちに、そこに明らかに自分がエンターテイメント性、おもしろさを感じているし、それを求めていることに気づくようになる。たとえば、50代とか60代の、いってしまえば死ぬことに何の不思議もない年代の人間が死ぬ闘病記よりも、20代や30代や40代といった働き盛りの自分ががんになって死ぬなんて考えたこともないような人間の闘病記の方が、やはりおもしろい。その年代の人々には子供や家族がいるケースも多く、なぜ自分が、という絶望が、深く刻み込まれている。絶望は深ければ深いほどおもしろい。子供がおさなく、自分が死んだあとこの子は、家族はどうしたらいいのかという苦悩が書き込まれていると心が踊る。
それどころか、いつしか闘病記を読む時に、死んで終わってくれと願うようになった。自分の死のシミュレーションとして読んでいるので、生き残ってしまわれたら困るのだ。闘病記は、だんだんと執筆者がまともに文章を残せなくなり、最後に家族がその死を報告して終わるべきだろう。そう思うようになった。何十もの闘病ブログを読んできて、治って元気になってしまった時ほどガッカリすることはない。死んでこの暗い欲望を満たしてくれ、それもできれば、少しでも生きようという希望と、死に対する恐怖を細かく書き込みながら、と願ってしまう。
こういう欲望を持ちながら闘病記を読んでいる人は数多くいるだろう。口では奇跡を祈りますとかなんとかいいながら、心の底では死を願っている。これまでもたくさん楽しませてもらったので、せめて、自分が余命宣告レベルのがんになった時は、できるだけ自分が理想とする闘病ブログを書き上げてしんでみせようと思う。
余命宣告を受けたら、自分の好きなことをして生きても、もはや何も楽しくないと思うのだ。
むしろ、余命宣告は人生がいつまでに終わるという保証でもあるわけだから、
じゃあその期間までなら…と、生きる苦痛に耐える意欲が湧いてくるはず。
なので、余命宣告を受けても、死んでも悔いが無いような好き勝手な生活を送る気は無い。
むしろ、面倒でやってこなかった人生の課題に取り組みたいと思う。
例えば土日を潰して社会奉仕に励みたい。手を抜いてた仕事で業績を挙げたい。
社会的要請である結婚をして身を固めたい。まあ相手など居ないけど。
そういった普段なら絶対やりたくない人生の課題も、仮にどんな苦しくたって宣言された時期には終了する。
だから、取り組む気になれる。期限が切られているのも良いことだ。ようやくそれらをやり遂げられる気がしてきた。
そしてそれらは、死後に審判が下されるというのならば、ささやかな路銀にもなるだろう。
俺用メモです。
韓流なんか見てたまるか、と思っていた基本韓国嫌いの俺ですが、ステイホームでうっかり「愛の不時着」を見てしまい、以来すっかりハマってしまいました。
良いものは良いと認めざるをえない。
というわけで俺のおすすめするトップ10+くらいをできるだけネタバレしない範囲で紹介したいと思う。
1話、3話、最終話のラストシーンは涙。全編を通して人生訓にもなるような考えさせられる深い名言の宝庫。どん底から這い上がるたくましい生き方に共感する。「強く願えばいつか叶う、意外な方法で」 パク・ウンビンの歌唱力に脱帽した。
ウ・ヨンウ弁護士を好演したパク・ウンビンの魅力全開。韓流時代劇にはハズレなしだと思う。数奇な運命により、女であることを隠して王となり名君として良政を行う。女として生きたいが生きられない悲しみ。そして最後にたどり着く女としての幸せ。「欲しいものが一つだけありました。かんざしです。」最終話は歴史に残る名作といってよい。
君の名は。に大いにインスパイア()されたタイムリープ恋愛サスペンス。恋愛物だがサイコサスペンスと謎解きがあり、時系列と人間関係を立体図に書いてメモっていかないと頭の中がこんがらがるくらい複雑に絡んだストーリー。数々の伏線がラストで見事に回収されていくとても練り込まれた脚本。終わり方が本当に切なくて美しい。君の名は。のオマージュ?というかそのまんまだけど。
76話もあって見終わるまで骨が折れるが、バカバカしくも続きが見たくなるよくできた秀作で結局最後まで飽きずに楽しく見られた。長かっただけに終わってからのロスが激しい笑
心優しい、優しい世界の話。自閉症スペクトラム障害で人の心がわからないが写真記憶能力を持つ天才が弁護士となって活躍する。ウ・ヨンウ弁護士がとにかくかわいい。物語がとにかく優しい。心救われる映像と物語。現実的じゃないとかやぼったいことは言わない人へ。
なんかタイトルからして北朝鮮から逃げてきた人の話かと思ったら全然違った。人生なんてろくなことない、ただ心を無にしてやるべきことをやるだけ・・・という諦観の境地に達してしまった不遇な女性が、心を許せる「ヤクザ」と知り合って、互いに惹かれていく。自分のこころを解放していく日誌をつける。人生がつまらないと心を閉ざしてしまったあなたへ贈る、こころが救われる物語。主題歌が耳に残る。
「恋慕」が明らかにインスパイアされてそうな、恋慕より数年前に制作された似たような作品。こちらは女性が男性と入れ替わるのではなく、庶民である道化師が王様と瓜二つであったことから数奇な運命に巻き込まれていく。最終回はいろいろあったが一応のハッピーエンドでホッとする。
ラブコメみたいなタイトルだがコメディ要素が一ミリも無いとても重い話。不幸な生い立ちのせいで社会の底辺で生きてきた少女が、人生に生きる意味を失っているものの誠実で心優しい「おじさん」と出会い、互いの人生に影響を与えていく。ヒロインが韓国のトップアイドル歌手と知って驚いた。演技力素晴らしい。最終話は観ながら一時間ずっと泣いていたくらい。誠実な二人の幸せな未来を感じさせるラストが素晴らしい。
私が人生で一番泣いた作品かもしれない。登場人物の全員(ただし犯人を除く)に深く深く共感できる心理描写にとても優れた作品。
不遇な人生のせいで自己肯定感がどん底に落ちた未婚のシングルマザーが、苦労して苦労して子育てをする中、褒めて褒めて褒めまくるスーパーポジティブマンの警官に出会って立ち直っていく話。身近にありそうな人生ドラマであり、恋愛ドラマとしても素晴らしく、サスペンスドラマ(殺人事件を軸に話が展開していく)としても秀逸。笑いもある。主人公の男女がとにかく魅力的。子役も魅力的。演技力凄い。最後まで視聴した後の読後感(余韻)が素晴らしい作品。
ビジネスドラマであり不遇な青年の人生をかけた復讐劇でもある。その点でよく半沢直樹っぽいと言われるが半沢直樹がオモチャに見えるほど脚本が素晴らしい。群像劇なので登場人物それぞれの人生が並行して描かれるが、どの人物もとても魅力的。恋愛ドラマとしても秀逸。
「貧乏な男との結婚はイヤ。だから好きな男は私の手で成功させる。私が努力してあなたを金持ちにして差し上げます。」という恋愛観が衝撃的であり新鮮であり新しい女性像を描いていると感じた。
トランスジェンダーや肌の色の違う外国人への差別問題を扱った社会派作品でもあり、彼女ら/彼らへの応援歌でもある。これも読後感(余韻)が素晴らしい作品。泣けるシーン多い。
ビジネス恋愛ドラマ。IT系スタートアップ企業が生まれて成長していくさまがわりとリアリティをもって描かれている。恋愛ドラマとしても秀逸。笑い多め(3話ラストで死ぬほど笑ったw)恋愛ドラマとしてはラストの切なさが半端ない。結末には賛否両論あるようですが私はあれで良かったのだと思っている。メインキャストの一人、ジピョンは名前の文字を並べ替えると「手紙」になるというアナグラムになっているそうだがそういう緻密で心優しさに溢れる脚本が素晴らしい作品。あとシャレオツな音楽がとてもいい。OST(サウンドトラック)は必聴。
クッソしょうもない笑いあり、シリアスあり、派手目なアクションありの総合エンタメ作品。基本的には恋愛ドラマですが北朝鮮の生活などが興味深く描かれておりエンタメ作品として極めて優秀。笑えるシーン多め。登場人物みんなに愛嬌があり魅力的。メインキャストではない二人のサイドストーリーの悲恋に号泣。このドラマも音楽がとてもいい。Flowerという曲の和訳を読んで泣いた。サントラ欲しくなるドラマのNo.1でもある。
ストーブリーグとはプロ野球の世界でオフシーズンの冬の間の公式試合のない期間のこと。万年最下位で荒れたチームが門外漢のゼネラルマネジャーを迎えたことで劇的に変化していく。マネジメントとは何か、リーダーシップとは何かを考えさせられる。世の中の企業のトップ、経営者やチームのリーダーとなる方々に是非見てほしい作品。
サスペンスあり、子育てに悩む母親の姿あり、嫉妬あり、多くの要素が絡み合った複雑なドラマだが根底にあるのは女同士の真の友情と思いやり。前半は子育て中の、あるいは子育て経験のある男女ならとても胸にくるものがあるのではないだろうか。子役の迫真に迫る演技もすごい。韓国ドラマはどうしてこれほどまでに心理描写に優れているのだろうか。
ラストまで展開が読めない見事な脚本で、終わった後の余韻も良い。41歳のイ・ヨウォン(ウンピョ)が美しい。音楽も良い。
人生の大半を共に過ごしてきた3人の女友達の友情物語。三人のうちの一人が病気で余命宣告されてしまう。親友っていいな、というお話。
フェンシングのスポ根物語かと思ったら、友情あり、恋愛ありのごった煮の青春群像だった。いろいろ設定が非現実的だけど心理描写がうまくてとにかく泣けるドラマ。ラストはハッピーエンドではない。後味が必ずしも良くないけどドラマが終わって振り返ってみると色々なことがあった約20年間の出来事が一つ一つ思い出深く、本当にこの5人の若者たちと自分も一緒に青春を過ごしてきたかのような思いに駆られる。記憶に残る作品。青春ていいな。
注:韓国では数え年のようで、実際の年齢はマイナス2歳して下さい。(23歳と19歳)
これは極端な反日感情描写を含むので日本ではあまり宣伝されないが、大河ドラマなみの超大作だと思う。完成度の高い傑作。朝鮮の「ザ・ラスト・お嬢様」と、偶然に彼女の人生にかかわってしまった3人の男たちを中心に、李氏朝鮮が崩壊していく時代の流れに翻弄される数奇な運命を描く。切ないお話。
笑いに全振りした恋愛コメディ。サウンドエフェクトの使い方が面白くて笑える。泣けるシーンもある。全編楽しんで見ることができ最後まで飽きない。悪人が一人も出てこない。登場人物みんながそれぞれとても魅力的。
幼馴染の男女の成長の物語。7話くらいまでかったるいけど8話あたりから面白くなってくる。最後まで見てとても後味のよいドラマ。ハッピーエンドなのもいい。そして音楽がほんといい。サウンドトラックを買いたくなるレベル。
キム秘書ことパク・ミニョンさんはもう完全にコメディ女優になってしまった笑。基本コメディ貴重の恋愛ドラマでラストもハッピーエンドだけどあんまりスッキリしないなあ。ミニョンちゃんが可愛いだけのドラマ。まあ見ていて飽きないしドラマとしては面白くはある。
ビジネスドラマ。「未生」とは囲碁用語で、まだ安全が確定されておらずいつ死ぬ(相手に取られる)かもわからない碁石のこと。囲碁棋士を目指して挫折した青年(学歴ナシ)が26歳で初めて一般企業にインターンとして勤め、ボロボロになりながらも人間として、ビジネスマンとして成長していく様子を描く。社会人経験のある人なら涙なしには見られない真面目なドラマ。韓流には珍しく笑えるシーンはあまりないド真面目一本勝負。就活を控えた学生達にはぜひ見てほしい作品。最終話は完全に蛇足で無いほうが良かった。
ヴィンチェンツォとは人名「ビンセント」のイタリア発音と思われる。イタリアマフィア一家のコンシェルジュ(最高相談役)として上り詰めた弁護士が韓国に隠した財宝を取り戻すため帰国し、市井の人々と巻き起こすドタバタ劇。基本的にはコメディで泣ける要素はあまりないがサスペンス要素もあって面白い。
韓国の財閥一族の熾烈な権力争いを描くドロドロの昼メロサスペンス。泣ける要素はあまりないが面白かった。
プロ野球チームでエースピッチャーだった兄が、暴漢に襲われた妹を助けたものの過剰防衛で犯人を殺してしまい刑務所に投獄される。プロ球団からも解雇され引退か、となるが刑務所内で地道に練習を続け、最後はプロ野球に復帰するという物語。淡々と進むストーリーで退屈な部分もあるが、いいドラマだった。
検事ドラマ。腐敗した検察庁の悪を暴こうとする若い検事と女性刑事。シーズン2は退屈でイマイチだった。
トッケビとは韓国に伝わる妖精?妖怪?みたいなもの。輪廻転生を超えた普遍の愛を描いたファンタジー。一大ブームを起こした作品のようですが私には合わなかった・・・
人気があるみたいですが私には合わなかった。登場人物にあまり魅力がない気がする。共感できなかった。
25歳の女性が浜辺で拾った古い腕時計を巻き戻すと自分だけ時が進みおばあちゃんになってしまう。見た目おばあちゃんの中身25歳が繰り広げるドタバタ劇。ネタバレになるので書かないがラストであかされる真実はとても重い話だった。
とりあえずこんなところで・・・
前回のご報告(https://anond.hatelabo.jp/20200620124348)
に引き続き多くの方々から増田のねこに対してあたたかいお言葉をいただき、とてもうれしく思います。ありがとうございます。また、増田と同じようにブクマカのみなさまと共に暮らしている高齢のねこさまいぬさまが、これからも穏やかに過ごされることをご祈念いたします。
猫ちぐらねこじゃすりについてのコメントがいくつかありましたので、若干の補足情報を追記したく思います。
猫ちぐら(http://www.nekochigura.com/)
なかなかよいお値段ですが、増田が7年前に購入したものはまだまだ美しい佇まいを保っていますし、かぐわしい藁の香りもねこ臭に負けず残っています。一時期は5年待ちといった記載もされていましたが、今はわりとすぐ届けてくれるようですね。作ってくださった方のお名前がタグに記されていて、すごくいいもの感がありますよ。
ねこじゃすり(https://nekojasuri.com/)
公式動画が素晴らしく、増田は見た途端衝動買いしたのですが、いまYoutube動画は削除されちゃったようですね。そんなことよりチャリティーねこじゃすりイエローなんて売ってる!買おうかな。
人とともに暮らしてくれるねこさまいぬさま始め小さな生き物たち、野で自分だけの力で生きているすべての生き物たちが幸せに生きていくことができるよう願いつつ、増田もほんの少しでも貢献していきたいと強く思います。それでは拙文を読んでいただいたみなさま、良いお年をお迎えください。
(追記おわり)
拾ったねこなので誕生日とかもわからないのだけど、20年前にボロボロのこねこを9月に拾った時に多分生後3ヶ月くらいだった。ということで毎年6月に健康診断と血液検査をすることにしていたのだけど、先日急にご飯を召し上がらなくなり、なんだか口腔内が痛いような振る舞いをなされていたので、12月だけど病院に行ってきました。
右の奥歯の周りが腫れてぐにぐにになってたので、歯石の除去と抗生物質の注射をしていただきました。消炎剤のお薬3日分もらって様子見ましょう。明日から粉薬ご飯に混ぜて朝と夜にあげてください。となったのだけど、でもそもそもご飯をお召し上がりにならないんだからどうしようと思ってたのだけど、次の日からがつがつお食べになられたのでなんの問題もありませんでした。その日の午後に、あわてて発注した強制給餌用シリンジが届いて全く無駄になったのだけど、いつか使うこともあるでしょう。とりあえずありがとうアマゾンプライム。
以前ホッテントリに上がってた、余命宣告されてたけどガツガツ食べて余命ぶっちぎったねこの話を知ってから、もうなんでもいいから食べていただこうということで、「猫 高齢 ウェットフード」でヒットした商品を上から順番に一種類づつ購入して召し上がってもらっています。いまのところはごろもフーズの無一物がお気に召したようです。いやこれ確かに私もご飯にかけて食べてみたい感じするわ。
いつもの冬は、一年待って新潟の関川村から取り寄せた本場猫ちぐらの中にヒーターを仕込み、そちらで一日中お過ごし頂いているのですが、今年はどうも身をかがんで入るのがもうお辛いようなので、アマゾンのひらべったいダンボールにペットシート引いてそちらにヒーターを仕込ませていただきました。見た目まるっきり死体安置ですが、ゆったりとお過ごし頂いているご様子です。また、広島から取り寄せたねこじゃすりが大好き過ぎて、じゃすってもじゃすってもきりがないので封印していたのですが、今回は特別ということで解禁し、こたつの膝の上でじゃすりの方も対応させて頂いています。
20年続いたねこ一匹ひと一人の生活ですが、春から始まった在宅勤務で一日中ともに過ごすように変わりはや10ヶ月。リモート会議で私がなにか話す度に様子をみにくるようなことはなくなりましたが、あまりに低レベルな議論に業を煮やしてか一言お言葉を賜ることもあり、チャットで「増田さんのねこさんお怒りですか?」と心配されるなどします。老いてますます騒がしく自己主張激しく血気盛んなあなたと過ごせることはとても良いことだと思っていますので、食欲が無事戻られたことを寿ぎここに駄文を記させていただきました。
私は自分のことを「メンタルが異様に強い女」だと思っていた。最後に病んだのはいつだ?どころか、落ち込んだのはいつだ?と思うくらい、自分の感情がマイナスに寄ることがなかった。私は自分の機嫌を取るのが上手いからな!と自慢にすら思っていた。それは、コロナ禍で外出が制限されようと、日頃から応援していた人のライブが中止になろうと、祖父が余命宣告されようと、影で悪口を言われようと、バイト先でめんどくさい客に難癖をつけられてもそうで、何があっても病まない私最強だな〜って感じだったし、周りにもよく言われていた。「病まなくてすごいよね、うらやましい」
でも結局私は「最強」じゃなくて「最悪」だった。つい先日、私は大学の前期試験成績で学年最下位を取って分かった。ちなみに私は2浪の2年生だ。2浪の学年最下位。最悪でウケちゃう。
で、何が問題って、こんなとんでもないことしたのに全然凹んでいないのだ。落ち込んでもいないし、今考えているのは「親になんて伝えよう」だ。実家に届く成績表は親が見る前に自分で回収した。だから別にバレないかと思っていたけど、成績が悪いとうちの大学は三者面談をされるので逃れられない。その書類が明後日発送される。そいつは私が回収したところでなんの意味も無いので、届くまでにカミングアウトしないと怒りを増幅させてしまうな〜とか、色々。9/10単位落としているんだけど、まぁ追試で拾えればなんとかなるよな〜ってベッドでこれを書いている。多分この調子だと拾えないけど、今からやれば確実に拾えるし留年しないのも分かっている。「やれば出来るのになんでやらないの?」って言われ続けてるし、私もそう思う。コロナでオンラインになったのも全く関係ない。たぶん、登校していてもこうなっていたと思う。今考えるべきこと、これじゃないけど。
こういうとき、普通に落ち込んだり病んだりする人なら、すごい落ち込んで沈んで泣いたりして、でもそこから這い上がろうとするのだろう。それで頑張りすぎて自死を選んでしまう人とかもいるのだろうが、そこまではいかなくても、頑張ろうとすることがまず普通なのだろう。みんないつも最悪の想像をしてるんだな。
私は結局「メンタルが異様に強い」のではなくて「事実を全然受け入れていない」だけなんだと気付いた。私はいつもその時その時の、1番なんとかなる感じの想像しか出来ない。最高の想像では無いけど、なんとかなる想像。これ、逆にメンタルがめちゃくちゃ弱いが故の防衛本能みたいなものなのでは???ということもわかっているけど、どうせこの事実も受け入れていない。気付いて、わかる、知る、そこで全て終わりだ。何かを発表する時や、大きな試験の前、大人数の前に出る時にも一切緊張しないのもこれが原因だろうな。それを失敗した時どうなるかとか、何を言われるかとか何も考えてないし、言われたとしてもなにか起きてもきっと気にしないって分かっているから。成長の余地なし。
成功体験がない訳では無いけど、成功体験による達成感とか喜びがそこまでモチベーションになるタイプでもない。目先にご褒美をぶら下げられるタイプでもないし、まず自分にとって何がご褒美になるのかもよく分からない。もう本当に最悪だ。先述したようにもちろん失敗への恐怖もモチベーションにならない。私はこのまま一生何も頑張れないし、何にも打ち込めないまま終わるのだろうか。メンタルが強いから何があっても別に平気だと思っていた私は、いつもギリギリで生きて、ギリギリでなんとかなったり何とかならなかったりしつつ、それを糧にしないで適当に過ごしているだけだった。私も頑張りたい。みんなと一緒に頑張って失敗してないたり、成功して喜んだりしたい。これ治るのだろうか???私の意識の問題でしかないのかな。なんか病院とかいったら治るんだろうか???さすがにこのまま死にたくはない。
知恵袋みたいにアンサーが欲しいわけでもなく、でも自分の思いを誰にも知られないのが寂しくて誰か一人でも自分の気持ちを知ってもらえたら楽になれるかもしれないと思ってここに書く。
2歳6カ月のバハムートが死んだ。
バハムートの平均寿命は2歳〜2歳半だといわれているので寿命を全うしたといわれればそうだし、良くこれまで生きてくれたと思う。
でもやっぱり1日でも長く生きて欲しかった。
もちろん、ゆったりとした変化は感じ取っていて、例えば回し車で遊ぶ時間は前よりも少なくなったし、起きている時間も前よりは少なくなった。
バハムートは別荘を所有していて、時々放してやった、飼ったことがある人は分かると思うのだが一度放すと中々出てきたがらない。
お家に戻すときにエサを囮にして別荘から呼び出すのだが、前は一直線にエサに飛びついていたのに、最近は時々エサとは別の方向に向かうこともあって、目が悪くなったか、もしくは脳の病気になっているのかもしれないな、と思うこともあった。
でもそれでも、食欲はモリモリだし、下痢をしたこともあったけど今はそれも治って、歳の割には元気でその日もいつものように別荘出せコール(ケージをガジガジ)をしていた。
それで時間が経っていつものようにエサを囮に呼び出しても全然出てこなくて、探ってみたら、別荘に行き着く寸前のところで固まっていた。
生きている間はあまりじっくりと触れることはしなかったけれど、それをよくよく触ってみると背中の右側が明らかに左側よりぼこっとしていて、腫瘍ができていたのかもしれないな、と思った。
しかし、知恵袋に書いてあるような、くるくる回ったり、歩きづらそうにしていたり、食欲がなかったり、そんなことは一切なく、元気なじじバハムートだった。
2歳6ヶ月まで生きたことは、普通に考えれば、長生きしたね、と言ってもらえる歳だと思う。
直前まで本当に元気で、いやもしかしたら元気じゃなかったのかもしれないけど、でもケージをかじる余裕はあって、今日もいつも通りの日常がバハムートにも私にもあると信じていたと思う。
もっと分かりやすく何か症状が出ていたら、それなりに身構えることができたのかもしれない。余命宣告でもされていたら、もっと、何かができていたのかもしれない。
そんなこともなく、コロッと逝ってしまった。別荘の前で倒れていたから、ケージから放してすぐのことだったと思う。食いしばったような歯で片目は半開きで横たわっていたから、恐らく苦しんで死んでしまったのだと思うけれど、死ぬ間際までそれなりに元気でいてくれたことは良かったとは思う。
そんな風に、予兆なく逝ってしまうのと、別れを予期しながら徐々に逝ってしまうのとどっちがいいんだろうね。
バハムートにとってはいつ死んでもおかしくない年齢とはいえ、やっぱり1日でも長く生かしてあげたかった。
もし、その日その時間にケージから出さなかったら死ななかったのかもしれない、その日は寒かったから、ちょっと早いけど暖房でもつけていれば死ななかったのかもしれない、1週間前に掃除をしなかったら今日死ぬことはなかったのかもしれない、考えたくないけれど、その日のおやつにははが鮭をあげなかったら死ななかったのかもしれない (でも最後の晩餐が美味しそうに食べていた鮭で良かった) 。
それ以前に、病が原因で死んだとしても、何が分岐点で今日死んだのか、分からないから辛い。
まだ、ケージは片付けていない。いつでも戻ってきていいんだよ、居場所はここにあるよ、寂しくないよ、って思っていることを伝えたいから。親から何か言われない限りは四十九日まではそのままにしておきたい。
でも、知恵袋によると、遺品をそのままにしておくとバハムートは成仏できないらしい。そしてバハムートの魂は遺品に宿るわけではなく私たちの心の中に宿っているらしい。
そういう、成仏とか魂の話は、尖った言い方をすると生きている側のエゴであって、死んだ側には魂もクソもなく、死骸が腐敗して土に還るだけだと思うのだが、実際自分が大切にしていた人や動物が死んでしまうと、しっかり成仏して天国に行ってずっと美味しいものを食べてくれたらいいなと思うし、天国に飽きたら輪廻転生してこいよ、と願ってしまう。
残念ながら、成仏しようが魂が生まれ変わろうが、私の家にバハムートが戻ってくることはもう二度とないわけで、それはとても悲しい。しかし、バハムートに限らずそれは犬にも鳥にも親にも私にも必ずいつかはやってくることで、死は何も特別なことではない。そう分かってはいても、やはり死は悲しい。
私は今でもケージに向かってバハムートの名を呼ぶし、バハムートの匂いを嗅ぎに別荘を覗くこともある。私とバハムートの日常は変化し続けながらも、まだそこにある。
知恵袋みたいにアンサーが欲しいわけでもなく、でも自分の思いを誰にも知られないのが寂しくて誰か一人でも自分の気持ちを知ってもらえたら楽になれるかもしれないと思ってここに書く。
2歳6カ月のハムスターが死んだ。
ハムスターの平均寿命は2歳〜2歳半だといわれているので寿命を全うしたといわれればそうだし、良くこれまで生きてくれたと思う。
でもやっぱり1日でも長く生きて欲しかった。
もちろん、ゆったりとした変化は感じ取っていて、例えば回し車で遊ぶ時間は前よりも少なくなったし、起きている時間も前よりは少なくなった。
ハムは別荘を所有していて、時々放してやった、飼ったことがある人は分かると思うのだが一度放すと中々出てきたがらない。
お家に戻すときにエサを囮にして別荘から呼び出すのだが、前は一直線にエサに飛びついていたのに、最近は時々エサとは別の方向に向かうこともあって、目が悪くなったか、もしくは脳の病気になっているのかもしれないな、と思うこともあった。
でもそれでも、食欲はモリモリだし、下痢をしたこともあったけど今はそれも治って、歳の割には元気でその日もいつものように別荘出せコール(ケージをガジガジ)をしていた。
それで時間が経っていつものようにエサを囮に呼び出しても全然出てこなくて、探ってみたら、別荘に行き着く寸前のところで固まっていた。
死んでいるとすぐに思った。こんなところで寝るはずがない。
触れるのが怖かった。冷たくなってしまったハムに触れてしまうのがとても怖かった。
生きている間こそあまりじっくりと触れることはしなかったけれど、冷たくなったハムを抱いてみると背中の右側が明らかに左側よりぼこっとしていて、腫瘍ができていたのかもしれないな、と思った。
しかし、知恵袋に書いてあるような、くるくる回ったり、歩きづらそうにしていたり、食欲がなかったり、そんなことは一切なく、元気なじじハムだった。
2歳6ヶ月まで生きたことは、普通に考えれば、長生きしたね、と言ってもらえる歳だと思う。
直前まで本当に元気で、いや元気じゃなかったのかもしれないけど、でもケージをかじる余裕はあって、今日もいつも通りの日常がハムスターにも私にもあると信じていたと思う。
もっと分かりやすく何か症状が出ていたら、それなりに身構えることができたのかもしれない。余命宣告でもされていたら、もっと、何かができていたのかもしれない。
そんなこともなく、コロッと逝ってしまった。別荘の前で倒れていたから、ケージから放してすぐのことだったと思う。食いしばったような歯で片目は半開きで横たわっていたから、恐らく苦しんで死んでしまったのだと思うけれど、死ぬ間際までそれなりに元気でいてくれたことは良かったとは思う。
そんな風に、予兆なく逝ってしまうのと、別れを予期しながら徐々に逝ってしまうのとどっちがいいんだろうね。
ハムにとってはいつ死んでもおかしくない年齢とはいえ、やっぱり1日でも長く生かしてあげたかった。
もし、その日その時間にケージから出さなかったら死ななかったのかもしれない、ちょっと早いけど暖房でもつけていれば死ななかったのかもしれない、考えたくないけれど、その日のおやつにははが鮭をあげなかったら死ななかったのかもしれない (でも最後の晩餐が美味しそうに食べていた鮭で良かった) 。
それ以前に、病が原因で死んだとしても、何が分岐点で今日死んだのか、分からないから辛い。
まだ、ケージは片付けていない。いつでも戻ってきていいんだよ、居場所はここにあるよ、寂しくないよ、って思っていることを伝えたいから。親から何か言われない限りは四十九日まではそのままにしておきたい。
でも、知恵袋によると、遺品をそのままにしておくとハムは成仏できないらしい。そしてハムの魂は遺品に宿るわけではなく私たちの心の中に宿っているらしい。
そういう、成仏とか魂の話は、尖った言い方をすると生きている側のエゴであって、死んだ側には魂もクソもなく、死骸が腐敗して土に還るだけだと思うのだが、いざ自分が大切にしていた人や動物が死んでしまうと、しっかり成仏して天国に行ってこいよ、天国でずっと美味しいものを食べてくれよ、天国に飽きたら輪廻転生してこいよ、と願ってしまう。
残念ながら、成仏しようが魂が生まれ変わろうが、私の家にハムが戻ってくることはもう二度とないわけで、それはとても悲しい。しかし、ハムに限らずそれはお家の犬にも鳥にも親にも私にも必ずいつかはやってくることで、死は何も特別なことではない。そう分かってはいても、やはり死は悲しい。
私は今でもケージに向かってハムの名を呼ぶし、ハムの匂いを嗅ぎに別荘を覗くこともある。私とハムの日常は変化し続けながらも、まだそこにある。
私は特に熱心なVtuberのファンというわけではない。活動を欠かさず追い続けている特定のVtuberがいるわけではなく、ましてグッズやイベント、投げ銭などの有料コンテンツに金を払っているわけでもない。自分が作業やゲームをするときBGM/BGVとして、また暇なときや眠れないときなどに気に入った配信者(Vtuberに限らない)の動画を流したりする程度だ。
そんな私がVtuberの配信を見るようになったきっかけになった子が卒業するらしい。
彼女を知ったのはVtuberの身内のゲーム大会で、まだ1年も経っていないのではないか。その集団の中でも有名なVtuberを切り抜き動画で何人か知っている程度だったが、大会での彼女の快進撃には注目せざるを得なかった。
自身の思い入れのあるキャラクターたちを相棒として選び、彼らを活躍させて勝つため対戦相手を分析し、準備した結果導いた勝ち筋を通して勝利を重ねて行ったのだ。
彼女より登録者が多かったり、有力視されていたりする対戦相手に対しても勇敢に戦い勝利して行く姿は、見ている私をも熱くさせ、すぐに虜になった。それはかつてニコニコ動画などでも見ることができたような感動を思い起こさせるものだったのだ。
その後は時間が合えば彼女の配信を見るようになったが、その雰囲気が心地よいものだった。
他のVtuberも見るようになったが、配信の回数を追うごとにVtuberなのか演者そのものなのかよくわからなくなってくる人も見受けられる中、彼女は彼女自身が考える見せ方にとても気を遣っていたように思う。
彼女の場合も、どうしても演者のパーソナリティが漏れてしまうこともあり、私はそれも含めて好きだったのだが、彼女はそこを見られることはあまり好んでいなかったように思う。
また、私が知ったきっかけの大会に出ているように他のVtuberとの交流もありながら、流行に乗るだけではなく、どちらかといえば一定の距離を取ることもあり、自分のやりたいことをして、視聴者とやりとりしつつ配信するスタイルも魅力的だった。
あるいは小学校のときに仲の良かった同級生が転校したときのような、清原が引退したときのような、そんな寂しさだろうか。
しかし、同級生は25年経った今でも(おそらく)どこかで人生を送っていることだろうし、清原は引退しようが逮捕されようが、「NoシャブNoライフ!」と叫ぼうが、その後に送っている人生を知ることができる。
より近い感覚としては、親が突然余命宣告されたとき、または少しの間会っていなかった友人が急死したときのそれかもしれない(画面の向こうのVtuberに対して親を引き合いに出すのはどうかと思われるかもしれないが、私は世間一般に比して親のことをあまり好きとは言えなかったので、まあ適当な塩梅なのではないかと思ったのだ。)。
つまり、Vtuberの卒業とは突然の死なのだ。それについては過去に散々議論はされているものと思うが、私はそう感じた。「言葉」ではなく「心」で理解できた、と言うべきか。
しかし、卒業の知らせがショックであった一方で、彼女が「卒業」という選択をすることができたのはある意味幸福であるようにも思う。この業界(と言うほどに私は詳しくもないが)、突然の活動休止や謹慎、その後の引退や契約解除になるケースも珍しくない中で、彼女は自分の見せたいことをやりきった結果として、というかそれを完成させるために「卒業」へ至ったようにも見えるからだ。
活動の中で垣間見える演者の人柄を見るに、これまでの人生必ずしも順風満帆ではなかったのではないかと(邪推ならいいのだが)思えることもあった。それが良い方向に向かうよう努力している様子も伺え、内心それを応援していた私としては、演者の人生がより良い将来に繋がってほしいものだ。
叔母は生涯独身だった。
結婚せず、実家の一軒家を建て、仕事と人生を楽しんでいた。仕事は3つかけもちし、趣味もたくさんもっていた。当然海外にいたり、趣味が高じて知事に表彰されたり、マリファナに詳しかったり、全体的に謎の人だった。
当時、ひきこもりぎみだった私を野外フェスに連れ出して、外の世界に興味をもたせてくれたのも叔母だった。
叔母が突然の余命宣告をうけたとき、叔母の男友達(叔母のことを好きだったんだと思う)が介護を買って出てくれた。
叔母はあっという間に亡くなってしまったけど、訃報をきいて、実はずっと叔母の事柄好きだったという男性が位牌のある我が家を訪ねてきた。泣いていた。
介護してくれた人以外にもいたのか、叔母さんモテるなと思ってたけど、そんな人があと2人訪ねてきた。モテすぎだ。あと叔母の遺産は億を超えていて、周囲を驚かせた。
謎の叔母。はちゃめちゃな姉がいる感じで大好きだった。今頃天国で元気にやっててくれるといいな。
80歳の生まれたときから小児性愛者が、ずっと誰にも言わず思いを抑えてきてて、余命宣告を受けたから死ぬ前に片思いの児童と思いを遂げたい
ってやつがいたとするぞ。じゃあそいつが思いを遂げるのはそいつにとって「間違っている」のか?
なんでお前はその児童の苦しみを小児性愛者の苦しみよりも優先するんだ?
同じ人生における苦しみだろ?どっちのほうが苦しいってなんでお前は言えるんだ?
未来があるから?なんで未来があるやつが優先されるって決まったんだ?いつ誰が決めたんだよ。
どんな権利があってお前は小児性愛者が80年抱えた苦しみをないがしろにすることができるんだ?
逮捕されても良い。死刑になっても良い。だから思いを遂げさせてくれってなったときに、じゃあなにが「正解」なんだよ?
27歳、僕たちの初めての子どもが空に行った
29歳、友人の妻が自殺した
30歳、友人の親が自殺した
31歳、友人が殺された
32歳、残っていた片方の親が余命宣告を受けた 平均寿命にはまだ15年以上もあるのに
途中で心がどうしようもなく疲れて、心療内科の扉を叩いた。
28歳までの話は「そういうことは、意外と周りの人にもあるものですよ」と言っていた医師が、29歳以降の話をしたら絶句した
「自分が死神のように思える」という僕に、医師は「そんなことはありません」と言ってくれた
これ以外にも、事故で何人か亡くしている。いわゆる「トラブルが起こりやすい場所」で生きているわけでもない。本当に、普通に生きているだけ。
一時は本当に、「自分がいなければ人は死なないのではないか」と考えて首をくくりそうになった。
自分は死神なのかな。頭ではこんなことはあり得ないと分かる。でもあまりにも多すぎる。今度は誰を失うんだろう。せめて妻にだけは長生きしてほしいな。すべてを受け入れて、添うてくれているのは妻だけだから。
こんなこと、ぜったいに、だれにもいえない。
母が死んだ。
母は別に私にとって良い母ではなかった。だから全く連絡は取っていなかった。
ただ、生活保護の受給の関係で行政からお伺い(どれぐらい援助できますかと聞いてくる類のもの)があった程度。
そのケースワーカーさんは謎に親切で、聞いてもいないのに母の様子を度々私に電話で伝えてきた。
母は長い間、余命宣告を受けていた。
はじめに余命宣告を受けたときは5年、いや6年か? それほど前のことだった。
「いつ何があってもおかしくない」そんな言葉を聞き飽きるほど聞いていたけれど、中々そんな展開にはならなかった。
何度も入退院を繰り返した末に、生活保護で貰える医療券の上限になったのでこれ以上は医療費は出せないとのことで退院をすることになった。
もしかしたら、ケースワーカーさんは私にそれを伝えることで医療費を出してあげてほしいと間接的に訴えていたのかもしれない。
私は何もしなかった。理由を書いても共感できるかどうか、理解できるかどうかが分かれるのは間違いないので理由はさておき。
母はゆるやかに死んだ。
自分の体調的にどう考えても医療を受けずに長い間生きられるとは思っていなかったと思う。
そもそも自分で歩く事もトイレとベッドの往復ぐらいしかできないレベルだったのだから。
そのことに対して何も後悔していない。
最高の人生の見つけ方、いい映画ですよね
ですが日本版は少しだけ、本当に少しだけしっくりきません
そこで、僕がかんがえた最高の人生の見つけ方を発表したいと思います
けれど、いきなり僕がかんがえた最高の人生の見つけ方のあらすじを書いてしまうと、みなさん混乱してしまうと思います
なので、吉永小百合と天海祐希という組み合わせを少しずつ変えながら紹介します
家庭のために生きてきた吉永小百合と、会社のために生きてきた志田未来。
全く違う世界に暮らしてきた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点は余命宣告を受けたことだと知る。
主婦業と仕事以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた吉永小百合と志田未来は、たまたま手にした12歳の少女の「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行するという無謀な旅に出る。
ジブリのために生まれたアリエッティと、ポノックのために生まれたメリア。
全く違うスタジオで生まれた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点は監督が同じだと知る。
ジブリ業とポノック業以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいたアリエッティとメリアは、たまたま手にした西村義明歳の「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行するという無謀な旅に出る。
M78星雲で生きてきたウルトラマンと、地球のために生きてきたハヤタ。
全く違う世界に暮らしてきた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点は平和を守ることだと知る。
地球を守ることに何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいたウルトラマンとハヤタは、たまたま手にしたゼットンの「1兆度の火球」を食らってしまい死ぬのであった。
アニメのために生きてきた庵野秀明と、アニメのために生きてきたわけではない山賀博之。
全く違うわけでもないけど同じではない世界に暮らしてきた2人が大阪芸大で出会い、自分たちのそこそこある共通点はアニメが好きなことだと知る。
アニメと特撮以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた庵野秀明と山賀博之は、たまたま手にしたオタキングの「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行するという無謀な旅に出る。
アニメのために生きてきた宮崎駿と、会社のために生きてきた鈴木敏夫。
全く違うわけでもないけど同じというわけでもない世界に暮らしてきた2人が出会ってからもう何年もたってから、自分たちの唯一の共通点は高畑勲がすこすこだったことだと悟る。
映画以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた宮崎駿と鈴木敏夫は、必然的に手にしていた高畑勲の「死ぬまでに食べたい菓子パンリスト」をパクパクするという無謀な旅に出る。
声優のために生きてきた日高のり子と、アナウンサーのために生きてきた長谷川太。
全く違う世界に暮らしてきた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点はニッポン放送の吉田に対する気持ちだけだと知るが、それは声優アニメ系ラジオ業界で生きるもの全ての共通点だった。
声優業とアナウンサー業以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた日高のり子と長谷川太は、たまたま手にした文化放送取締役放送事業局長片寄好之の「死ぬまでにヤリたいリスト」を実行するという無謀な旅に出る。
漫画のために生きてきたあだち充と、漫画のために生きてきた高橋留美子。
全く同じ雑誌で連載してきた2人が編集との繋がりで出会い、自分たちの唯一の共通点は面白い漫画がかけることだと知る。
漫画以外に何もやりたいことのない人生の素晴らしさに気づいたあだち充と高橋留美子は、たまたま手にした雷句誠の「死ねリスト」を見て怖いなあ、と思うのであった。
メガネとして生きてきたゆうきまさみと、犬として生きてきた押井守。
違う種族の世界で暮らしてきた2人がバンダイの会議室的な場所で出会い、自分たちの唯一の共通点はガンダムが好きなことだということに今からして押井守版ガンダムとか見たくない? カイが主人公でいろんなコロニーの立ち食いそばを巡る感じのでさ。
そんなこんなで、ゆうきまさみと押井守は、ニンテンドースイッチ版グルーブコースターに出演したメグッポイドを通じて知り合った月ノ美兎の「死ぬまでにやりたいことリスト」を見て、アニメや漫画といったオタク文化が今こうやって若者たちに広く愛されている現状に満足するのだった。