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2024-05-09

合法国で大麻吸ってみた感想

まとめるとこんな感じだった。

①吸引の際は結構咳き込む。心配されるくらい咳き込むけど、体感としては端から見るほど辛くない。

②5分くらいしたら、口の中がめちゃくちゃ渇く。渇いたときに水分がなくなるからか口の中は苦くなる。そして、身体の表面がそわそわする。強さによっては、この時点で揺れてる感じがしたり、回転してる感じがしたりして、気持ち悪くなることも。これは意識変容の最初サイン

③まずは、知覚が変容する。音が立体的に聴こえたり、色彩がビビッドに(赤と緑が強くなる気がする)なり、強さによっては少し歪む感じがすることも。そして五感有機的につながって、ひとつ体験として感じられる。

④そこまできたら、感情が昂ぶっているのを感じるだろう。そして、思考がまどろんでいく。自分が何を考えてたか忘れちゃったり、距離感覚が把握できなくなったり、腕が催眠術にかかったみたいに固定化されちゃったり、身体や足が椅子や地面と一体化しちゃったり。いわゆるストーン個人的体感として30分〜1時間くらいで落ち着く。

上記と並行して、いろいろと気がつくことがある。この体験内容はセットとセッティング(心的構えと使用環境)によって大きく変わる。バッドトリップしないためにも品質の良い大麻で、事前に偏見は取り除き、正しいセットとセッティングを整えよう。(当然、セッティングには安全環境合法的環境であることが望ましい点も含まれる)

だんだん普段生きている世界に帰ってくる。大麻では問題ないと思うが、意識変容体験であることは間違いないため、グラウンディング(心的着地感)についても気をつけよう。具体的には、黄泉がえりだ。つまり、あちらの世界彼岸からこちらの世界此岸)へ、体験を持ち帰ってくるのであって、彼岸に魂をおいてきてはいけない。グラウンディングが適切に行えるかで、体験の質は大きく変わると思う。

個人的に、マリファナ体験でよく報告されるところの「マンチー」(食欲亢進)はあまり感じられなかった。

詳しくレポートしていく。

まず、体験した国名については推奨するわけではないから敢えて伏せておく。自分で調べてくれ。

もちろん、日本では違法から吸うんじゃないぞ。合法大麻とか言って売ってる合成カンナビノイドもやめとけ。あれは信頼性の低いデザイナーズドラッグだ。最近は成分もよくわからんのが出回ってる。CBNクッキーとかまでにしておくといい。

さて、ここはとある大麻調剤薬局(ディスペンサリー)。清潔感のある店内で、店頭にはさまざまな品種マリファナが取り揃えられている。価格としては、日本円にして1,200円〜2,800円/gほど。値段が2倍以上異なるのは、品種ブランドによるためだ。

マリファナには、文化慣習として大きく2つの品種分類があるとされている。夜の使用に適していると言われるリラックス効果が高いインディカ株、感情の高ぶりや笑い上戸、しゃべり上戸になりやすいと言われるエネルギッシュなサティバ株だ。なお、この分類は最近になって実際の化学構成(ケモタイプ)とはあまり関係がないことが明らかになってきていて、あくま文化慣習的な目安だという。

ディスプレイされているさまざまな品種の前には、その効き方の目安として「意識の上昇」「多幸感」「意識の集中」「睡眠」「会話」などさまざまな効能が書かれている。私は、その中から3種類を選び、それぞれ1gずつ購入した。

ちなみに、購入したらその場でジョイントを巻いてくれた

さて、さっそく試しに吸ってみようと0.5gのジョイントを1本。同行していた友人とシェアしたので、半分の0.25gほどだろうか。火をつけてタバコと同じように吸い込んで、深く肺に入れる。

キック感がかなり強く、咳き込んでしまうわけだが、咳き込んで頭に血が上るような感覚ののち、段々と知覚が変わってくることを感じる。

まずは、口がすごく乾く。砂漠になったかと思った。あとは、少し喉が痛い。一気に吸い込みすぎたかも。喉が痛くて口が乾くから少し気持ち悪い感じがする。というか、世界が歪んできてる?酔っ払って三半規管が狂ったときみたいな、だけど意識はハッキリしてるみたいな、不思議感覚が襲ってくる。

あれ、いつからここにいるんだっけ?あれ?今何してるんだっけ?聴こえてくる音楽が、風の音が、バイクの音が、なんだかすごく立体的に、リアル以上にリアルに感じるような気がする……

気がついたときには、もうすでにストーン状態だった。

あぁ、そうだ。マリファナマリファナ。いま吸い終わったんだ。5分くらい?経ったのかな?時間はー、えぇと、うん、進んではいるみたいだね。でも、進んでるとかじゃないよ。ただ、いまここに在るだけなんだから

あぁー、完全にさっきいた場所とは違うみたいだ。いや、同じなんだけどさ。あれ、いまなに考えてたっけ?あぁ、そうだ。別の世界に来た感じっていうか。景色も随分とビビッドだし、鮮やかで、キレイだなぁ、あれ、時間って経ってるっけ?あぁ、腕が動かない。固まっちゃったみたいだ。あれ?なんか足が、足の裏が、地面が、あれ?どこから地面と足が分かれてるんだ?あれ?分かれてなくないか?一体じゃないか

身体椅子に、足が地面に根を張って、私はいつのまにか大樹になっていた。

1時間ほど経った後だろうか?だいぶ落ち着いてきて、立ち上がって歩けるくらいにはなってきた。まだ、世界は鮮やかだし、心は躍ってる。そのまま寺院観光に行ったけど、黄金に輝く仏像に、カラフルに彩られた建築が、なんだかこの世のものとは思えないほど荘厳に見えた。

上の体験記だけ読むと、ちょっと、いやかなり怖いものなのかなと思うかもしれない。たしかに、マリファナ体験の核となる意識変容体験は、認識に現れる世界をその根底から覆してしまうような、そんな衝撃があった。まさに、別次元体験といっても差し支えない。だけど、不思議と怖いものではなかった。そこには、底しれぬ一体感があり、神秘の愛に包まれるような感覚がある。

思考がまどろんでいき、幸せな気分(THCの主作用に陶酔感、多幸感が含まれる)に包まれていく。「これはあれ」といったような識別作用分別作用が弱くなっていく。だけど、不思議とそれを冷静に見つめる一つ上の自己みたいなものは保っていられる。そして、そんな変容意識体験においてしか、気がつけない「ナニカ」がそこにはあり、その「ナニカ」を受け取って日常世界に帰って来る。その体験は、さながら黄泉がえりであり、セラピューティックな気付きに溢れている。

自然の中での一服では、鳥の鳴き声、風の音、擦れる木々、すべてがハーモニーを奏でて聴いたこともないほど心地良い交響曲となっていた。

もう一つ、夜に眠る前に吸ったときの話をしよう。

その日は一日観光をしてご飯も済ませたところで、23時頃だったかな。ホテルに戻ってきた。帰りに、ペットボトルに装着するかたちで使えるボング(簡易水タバコみたいな吸引器具)を買ってきた。個人的に、ジョイントでの喫煙は量の調整が難しいし、私は喫煙経験が浅いこともあって、こちらのほうがずいぶんと吸いやすく感じた。ボングの場合は喉の痛みもほとんど緩和されたし、氷水とかで試したらもっと快適そうだ。

それはさておき、ぶくぶくぶく。

もう慣れたもので、吸って5分くらいすると、口の渇き身体のソワソワ感、その直後に「完全に別のリアリティに来た」という明確なテレポート感を感じたら、トリップスタートだ。

吸って30分くらいは、やはり少し混乱するし興奮する。2mくらい先にあるペットボトルを取りに行こうとするんだけど、動けない。なんというか、水取りに行こう、あれあんな遠くにあったっけ?あれ、何しようとしてたっけ?あぁ、水だ水。あれ、手を伸ばせば伸ばすだけ遠くにあるような感じがする。あぁ、もういいや、Let it be. だ、そういう感じ。

人間の慣れとはすごいもので、こんな超越体験でも1度経験してしまえば、体感コントロールは効きやすくなる。30分も経てば、波は超えて、穏やかなチルタイムが始まる。

本当に深いリラクゼーション体験だ。

布団で横になって目を瞑ると、身体が風になって、世界の中空にただポツンと漂ってるような、そんなビジョンが浮かんでくる。ただポツンといる。そのはずなのに全く淋しい感じはしない。それは、まさに、風であるような体験だ。漂っている風はどこからか吹いてどこかへと消えていく、何かが振動し、その振動空気を伝う。自然振動は、どこかで区切られるものではなく、それは全体性の連関の中で生まれては消えていく。

風は一人ぼっちじゃない。この世界に〈私〉は一人しかいないし、実存的な〈私の世界〉は誰とも共有できない。だけど、ひとりじゃない家族、友だち、社会人間に限らずモノだったりコンピュータだったり、自然だったり、ありとあらゆる万物の関わり合いの中で、ただポツンとそこにある。そんな感覚が、ワンネスが愛そのものなんだ。

内省的で詩的なことを考えていたと思ったら、気が付いたときには朝だった。眠っていた。こんなにも熟睡できたのはいつぶりだろう、というくらい本当によく眠れた。眠りに入っていくその瞬間まで愛に満ちたまま眠れた。

もう3ヵ月以上前の話。日本に帰ってきてから無理をしてまで入手して吸いたいとは全く思わない。

あったら幸せだけど、捕まるかもとか勘繰りながら使ってたら安心してチルアウトなんてできたもんじゃいからね。それなりに異常な体験だし、セットとセッティングには気を付けたい。

いずれにしても、1回吸ったら廃人になる、気づかないうちに依存症になってるなんて類のものではない。世界でも解禁の流れは進んでるんだし、もうちょっとマトモな議論をしたほうが良いんじゃないの、とこの間のアベプラを見て思った。

暗黙の短歌テーゼ

最近短歌に関する増田記事とそれへの反応で気がついたのは、多くの人は歌人が共有する短歌に関する暗黙の考え方を知らないということだ。

短歌詠みの間には短歌に関する決まりごとや規範が暗黙のうちに共有されており、それを念頭に置いて歌を詠んだり、鑑賞したりする。私はこれを「短歌テーゼ」と勝手に呼んでいる。

あらかじめ言っておくと、このテーゼは必ず守らなくてはならないルールではない。むしろ現代短歌どうやってテーゼに沿わずして魅力のある短歌を生み出すか試行錯誤している節がある。

だが、どんな流派であっても優れた歌人はこのテーゼ意識し、従うか対抗するかのスタンスを明確にして歌を詠んでいる。そして、そのスタンスがある程度共通している歌人同士が同じ結社の中で作歌や鑑賞をすることで歌風確立させて行くのである

であるから、反例となる名歌はいくらでも挙げられるであろうが、反例があることはテーゼ存在しないことを意味しない。

以下、私はこれが短歌テーゼだと思うものを挙げてみる。これらは私が歌会での経験短歌関連の書物を通じて知ったことをベースにした持論であり、歌壇において認められた学説などではないということは断っておく。これらが短歌テーゼ網羅したものとも考えていない。もしこれも短歌テーゼなのではないかと思うものがあれば、教えてほしい。

また、この記事を書くにあたって各テーゼに従っている歌と、対抗する歌(=アンチ・テーゼ)を例示しようとしたが的確な歌を全部に配置できないので諦めた。こうした歌の事例もぜひ提案してもらえると嬉しい。(この記事果たしてまれるのか?という疑念はあるのだが……)

ちなみにこれから挙げるテーゼに対して確信犯的にすべて逸脱しているのが穂村弘である穂村弘歌人の中でも一般的知名度が高く、フォロワーも多いのだが、実のところ短歌テーゼ的には極めて特異な位置付けにある存在だ。ただし、それは戦後短歌運動の流れを意識的に継承した、れっきとした文学的試みである

1. 短歌は、<うた>である

短歌本来は歌であり、5・7・5・7・7の韻律を守り、音読したときに美しい調べとなるよう詠むことを求める。句割りや句またがりを多用したり、日本語として音読が困難な言葉を入れてはならない。

2. 短歌は、現実描写するべきである

歌会などで短歌の詠み合いなどをすると、時々「この歌は"作ってる"ね」と評されることがある。短歌描写リアリティが無かったり、やけにドラマティックであるなど、現実には起こったことでない内容である判断された時にこう言われる。このテーゼにおいては、どれだけ平凡ではあっても日常に実際に起こったことの方がドラマティックな虚構よりも価値があるのである

3. 短歌は、作るものでなく生まれものである

"作る"という先ほどの言葉の中には、作為的言葉を操り、上手く作ろうとする気持ちを戒めるニュアンスも含まれている。日々優れた短歌を鑑賞し、心のうちに誦じて日常を過ごす中で、するっと生まれてくるものを精製するのが本来短歌なのである。こうした体験なしに、ただ物珍しい言葉をいたずらに組み合わせて面白がられる歌を作ろうとする姿勢は望ましくない。

4. 短歌は、身体性を伴うべし

短歌日常生活に即した芸術である。その生活感覚は、身体から得られるものであって、生活に根ざしていない社会政治的話題や、テレビで見たことなど身体を伴わない経験を取り上げるのは望ましくない。

5. 短歌は、風景と実感の呼応関係である

短歌は、風景描写と心情の表現がセットとなるように構成すべきである風景はただの現実ではなく、それに対峙する詠み手の心情を象徴するものとして描写されなければならない。

6. 短歌には、情念を込めるべきである

ただものごとを説明するだけの短歌はただごとうたであり、本来短歌ではない。短歌には詠み手情念表現されなければならない。

7. 短歌は、日本の伝統文化である

短歌日本語を支える伝統文化である王朝時代以来の和歌歴史を学び、古典の優れた歌に触れながら、そのような伝統に連なることを意識して歌を詠むべきである和歌過去の名歌を鑑賞し、日本文化象徴するような風流事物を題材として歌を詠め。




追記:

ちなみに私自身は1・4・5・6に賛同し、2・3はややや否定的であり、7は積極的否定するスタンスである。7とどう決別するかは、戦後短歌の大きな課題でもあったという認識である

海外痴漢が少ない理由→「痴漢なんてしたら被害女性に引っ叩かれて、周囲にいる男達にボコボコにされるに決まってるじゃん!」

しお

@sodium

海外で「痴漢が少ない理由」を聞いたら「痴漢なんてしたら被害女性に引っ叩かれて、周囲にいる男達にボコボコにされるに決まってるじゃん!」って明るく答えている女性がいて羨ましかった。

これ、重要なのは被害女性が引っ叩く」だけではなく、その後の「周囲の男達にボコられる」という部分。

当たり前だけど、女は男に力で勝てないし、相手犯罪するような奴だから、「被害女性が引っ叩く」だけなら、「痴漢が激昂し、被害女性暴行強姦する」につながりかねないのよ。

日本ではそれが起きた。御堂筋事件ね。

被害女性安心して痴漢抵抗できるのは、「周囲の人(特に男性)が味方になって、痴漢を一緒に捕まえてくれる」という信頼感があるから

それ無しに、被害女性が一人で犯罪男性に立ち向かえるわけないじゃん。

だって、明らかに力で勝てない相手から体に密着して犯罪行為仕掛けられて、周囲の誰も味方になってくれないかもしれない状況で、抵抗できるかと言えば難しいと思うよ。下手に抵抗したら殺されるかもしれないわけで。

日本女性がすぐにNOを言えないのは、「声さえ上げれば周囲が絶対に味方になってくれる」という信頼感が無いからだと思う。

実際、ちょっと前までは痴漢に声をあげると、被害者の方が責められることも少なくなかった。今でも被害者の落ち度探して責める人いるけど。

そういう社会からNOを言えない。

女性もっとNOと言うべきと思うなら、女性安心して犯罪者にNOを言えるような社会にするべきだと思う。

https://twitter.com/sodium/status/1786957266966687973

しお

@sodium

犯罪って普通人目につかないところで起きる。当たり前よね。見つかっちゃうから

人混みで起きるのはスリとか被害者が気が付きにくい犯罪

でも痴漢被害者が絶対に気がつく犯罪で、しかも人混みの中でも起きる。

被害者が被害自覚していて、すぐそこに加害者がいて、周囲にはたくさんの人がいる。

なのに助けを求められない。

求めても助けてもらえないどころか自分が責められたり、加害者から報復される可能性の方を考えてしまうから

加害者が悪いのは当然として「加害者ではない一般人」が被害者の味方をしてくれるという信頼すらなく、被害者は孤立させられる。

それをわかってるから痴漢犯行を繰り返す。

これは加害者被害者の問題ではなく、社会問題でもあると思うなあ。

痴漢に優しい社会」なんだよね。

https://twitter.com/sodium/status/1786960495028887752

しお

@sodium

イジメとかも似ているかもしれない。

「なんでいじめてくる子に嫌だって言わないんですか?」

「なんで先生に報告しないんですか?」

「嫌だと言わず先生にも報告せず、誰かなんとかしてくれるのを待ってるなら、それは他力本願すぎますよね」

嫌だと言ってやめてもらえるなら、先生に報告して必ず解決するなら、その信頼があるなら、イジメられている子の多くがそうすると思う。

その信頼がないから、かえって悪くなってしま可能性があるから、そうできないだけ。

信頼がない理由には、過去に信頼を失うような体験がある。自分体験でなくても人の体験でも。

そうして「言うだけ無駄」「言わない方がまだマシ」と学習してしまっている。

それを被害者の自己責任範疇にしてしまうのは間違ってると思うな。

https://twitter.com/sodium/status/1786962433166504001

anond:20240509180144

>明らかにクソ痴漢だし、

ど、どういうこと?元のような体験痴漢ではないと思ってるから「こういうのは無責任」みたいな感想が出るのだろう、という意味

anond:20240509011158

義務教育で、痴漢体験実習をした方がよい気がする。

あるいは、痴漢専門学校痴漢トレーニングを受ける。

経験ゼロで、いきなり本番の電車に乗せられるから、声をあげることができないんじゃないか

スポーツ素振り練習を何度もやるように、痴漢にあった時の対応を繰り返し練習しておけば、

もっと楽に対処できるようになるのでは。

参考にフェミの本を読んでやっぱフェミニズムは頭の悪いブスを慰める思想なんだなと再確認した

SNS上で暴れているフェミを見ているとフェミってバカモテない欲求不満ブスしかいなくて面白いなって思ってたんだけど

暇つぶしフェミの本でも読むかって気になったので実際に読んでみた

読んだ本は割とレビューの数が多くて平均点も高かったからそれなりに読める本を期待したのに

本当にゴミクズみたいな文章で、図書館で借りたからまだ許せるが、金払ってこれ読んでるやつの気がしれない内容だった

フェミ文章って最初結論があって次に論拠のチェリーピッキングがあって、私の気持ちを書いて最後に内輪のシュプレヒコールで終わるパターンばっかなのな

普通は論証とか検証とかやって結論を出すもんだけど、そういうの一切ないの、びっくりしちゃった

例えば資本主義というテーマ文章書かせたら

まともな文章なら、資本主義定義があり、資本主義の状況確認があり、資本主義に賛成/反対の意見を整理して、最後に著者の意見表明という流れになるじゃん

ところがフェミ文章って、まず資本主義はクソという結論がくるの。部外者からしたらなんでクソなの?って疑問が当然湧き上がるのだが、

そういうの説明は全くない、〇〇はクソであることは自明であり、自明でないのはお前が女性差別主義のクソ野郎から知識が足りていないのだ。がまずフェミ本を読む時に前提知識として知っておくべきことな

資本主義はクソである、現に資本主義によって女性が苦しんでいる事例がある、私も資本主義によって社会の中で辛い体験をした、私たち資本主義を打倒するために頑張っていこうね!、これがフェミ本の文章

こういうのがテーマを変えて延々と続くの、これはもう一種様式美幼児アンパンマンを見て、バイキンマンが悪さをしてアンパンマンがやっつけるという毎回同じパターンの話で喜んでるのと同じ

フェミニズムとは頭の悪いブスのための子供向けエンターテイメント一種なのである

anond:20240509021238

かにそういうのあったわ。

でもゲーム体験としてはJRPGにしたい。コマンド式バトルやってレベル上げして適正レベルになったらボス戦に挑んでストーリーが進む、そういう感じにしたい。

買い物するのにフィールド移動して店に行って店員に話しかけるみたいな操作ゲームじゃ無いから、買い物UIAmazonとか楽天市場で良い。

RPGでたまに見かけるコロシアムイベントみたいなのを主軸にしたら良いんかな。

世界各地のコロシアムを巡って(移動はコロシアムを選ぶだけでOK)、たまに大会の景品をおねだりされるお使いイベントがあって、ランクがあると行けるコロシアムが増えて、最終的に魔界魔王と殴り合って世界平和。

お、なんかゲームになりそうな気がしてきた。

人を好きになる経験がないと何がいけないのか

追記ブコメに『(恋愛経験ではなく)「人を好きになる経験」の話に言い換えられる』とあり、しっくりきたのでタイトルを変更しました。

色々あると思うけど、一番は「恋をしている時、どれだけ自分がアホになるのか」を身を以て経験していないこと、これが良くない

人間恋愛状態に陥ると本当にアホになる。相手の行動の全部が気になり、些細な動作の一つ一つに自分へのメッセージが込められていると思い込み言葉や行動一つ一つに過剰に振り回され、そして「自分がこんなに好きだから相手自分のことを特別に思ってくれているに違いない」と勘違いする

これはハッキリ言って避けられない。人間に、引いては生物全体にプログラムされた思考回路

なのでその状態になるのは仕方ないが、肝心なのはいか自分がアホになるか」を身を以て体験することだ

人の恋愛話を聞くと「どうしてそんな滑稽になれるのか」と思う、けれども恋愛自分ごとになった時、自らもまたとんでもないアホになっている。アホになるまいとしてもこれは防げない。気付けばアホになっている

お酒を飲みすぎた人が「まだ酔っていない」と言うのと一緒で、あるいは低体温に陥った人が矛盾脱衣をするのと同じで、状態異常によって判断力思考回路が捻じ曲げられた結果、冷静だったら絶対にやらないことをするのだ

中学校同級生が恋をし、舞い上がり、そして振られるという痛々しい出来事を目の当たりにしなかった人はいるだろうか。人によっては、その時に「自分絶対恋愛なんてしないぞ」と誓った人もいるだろう

しかし人は初めて恋をしたら必ずそうなる。本能的な高揚感とバラ色の未来の前払いに酔いしれて、世界一気持ち悪い存在に成り果てる。だからその洗礼を受けるのは若い時の方が良い。20歳を過ぎる頃には笑い話にしてもらえる

そして恋心に振り回された人だけが、恋心の厄介さと手に負えなさを知り、少しだけ自分客観視できるようになる

本気の恋をすると人はアホになることを知り、恋をしている自分おかしくなっているということを自覚し、そこでようやく恋を乗りこなす準備ができる

段々恋心を手なづけながら、相手自分を好きになってもらう技術距離を詰める技術を学び、自分の魅力や立ち位置自覚し、失恋した時の自分はどうなってしまうのかを体験し……これでようやく「恋愛事故らない人間」になれる

一朝一夕はいかず、そして非常にダサいこの修練の時間を、できれば学生時代に修了させておくのがその後の人生を楽にしてくれる

中学で笑われたものは、成人式の頃にはやらかしを笑い話にできる

高校で笑われたものは、大学卒業する頃には笑い話にできる

大学で笑われたとて、就職先でそれを笑い話にできる

ある程度人生を進めた人にとって、恋に向き合うことは通過儀礼であり、やらかしを笑いこそすれ、向き合った本人を笑うことはない

なのでどんなにみっともなくても、成人するまでに一度はガチ恋しておいた方が良いし、もちろんそこで失恋しても闇のストーカーにならずに上手く切り替える方法も学び、火傷をしない恋愛方法を覚えておくことが推奨される

恋愛自動車学校は働き出したら難しい。思春期の頃のプライドの前に恋を諦めることなく、果敢に挑戦する若者が一人でも多くなることを祈るばかりである

2024-05-08

いかわの4Lのワンピースを買った話

部屋着にしようと思ってアベイルのちいかわのワンピースを買おうとしたら4Lしか存在していなかった。

Lを買おうと思ってたので3Lならともかく4Lはと思ったが(LL存在しない)ちいかわがでかくて同じ値段ならいいかと思って4L買って帰った。

めちゃくちゃHIPHOPみたいな大きさだったが、めちゃくちゃ着心地が良い。

これは体験したことがある心地よさと思ったが、温泉地で借りたムームーみたいなサイズ感になって最高!

小さくてもかわいいかもしれないけどでっかくてもかわいいよな。

anond:20240508141525

体験食事仕事の日の昼とかに食うのはちょっといかな。

すごく店が不快とか辛い・不味いとかでも一緒に言った手前勝手に席を立てない。

たとえ食えなくても時間はつぶれるから他所で食べ直すとかもできない。

anond:20240507123506

「実はおれ魔法少女と告げる雪」

  

結社に入ったりしてない不勉強な身でよければ。

俳句としては「「実はおれ魔法少女と告げる/雪」」と二つの流れに分かれるね。

意図たかどうか分からんが、「告げる」で切れが来ている。季語を「雪」にしたのは良いチョイスだ。おふざけで詠んだのかもしれんけど、これわりと俳句になってるよ。分かち書きしてないのも良いね俳句っぽい。

   

「実は」と「告げる」からすると、これは秘密にしていたことを誰かに告白する/し終えたっていう場面だと想像できる。そういうことを人が多いところでやるのは考えにくいから、真っ先に思い浮かぶのは、「おれ」と告白する相手との二人きりの場面だよね。人気のない場所、人気のない時間帯だろうか。昼間の冬枯れの雑木林だとか、夜の静まりかえった公園だとか、そういう寂しげなイメージがある。

「雪」は、降っているだろうか、それとも積もった雪のことだろうか。それは読み取れないけど、雰囲気としてこれは動きがあって欲しいから降っているところを想定しよう。秘密にしていたことを告白した瞬間、打ち明けられた側は驚きで一瞬動きが止まるのではないだろうか。その「静」と雪の「動」が重なってくる。そして「おれ」は、告げた事実に対して相手がどういう反応をしてくるのか、「静」の時間の中で固唾を呑んで待っているのだろうな。じっと待っている中、視界の中でちらちらと雪が舞っている。時間が止まった二人と、動き続ける雪。もしかしたら「おれ」は、「静」の時間を迎えて初めて雪に気付いたのかもしれない。それまでは、秘密告白意識が集中していたとも思えるから。そうやっていろいろ想像が出来るね。

今のは、告げた後の解釈だったが、告げる前だとしたら、いよいよ秘密を告げるという緊張感の中、心臓も早鐘を打つようになる中で、ふと雪に気付いたということだろうか。秘密を持っていたという後ろ暗さに、白い雪が被さってくるという対比にも読み取れるね。

そしてもう一つ。「秘密にしていた期間がある」ことが想像できるということは、相応の期間、「おれ」は秘密を打ち明けるべきかどうか悩んでいたのかな、という想像もできるわけだ。その期間の長さ、思い悩んでいた時間の長さの「重み」も、言葉としては書いてないけど感じられる表現になっているのがとても良いね俳句にはスケール感(より大きなものを、短い中で表現すること)も大事なんだけど、時間的なスケールの大きさ(長さ)を感じるよ。

  

隠していた秘密魔法少女だというのはアンリアル事象なんだけど、実は案外この「句」の中では効いてる気がする。「おれ」はまず男なんだろうけど、それが魔法少女」という二重になったアンリアル感。それを句の中ではおふざけなしに告げている。全体が俳句として成立しているからこそ、そのアンリアルさが「なんの冗談だよー」からの「え……マジなやつ?」という反応を想像させ、それが上で書いた「静」の時間とも繋がっていくと思う。

俳句客観写生と定めるならこのアンリアルさはアウトなんだけど、ここでは固いこと言わないどく)

  

よくぞ最後季語を「雪」にしたなと思う。だから映像フォーカスできてる。「冬」とかの時候にしてたら、映像や情景ではなく、告白した「おれ」の体験や状況や心情にフォーカスされてしまうので、それだと俳句としては「心情入れすぎ」なものになってしまったんじゃないだろうか。雪だから俳句になった。

  

映画のワンシーンみたいな、演出された映像、情景に感じられるので、自然に発生した情景ではない分、俳句としての評価はどうかなと思うけど、俳句俳句じゃないかといったら、俳句だと思うよ。

  

anond:20240508015254

逆に男は体験してもないことを語って他人エピソード自分武勇伝にしがち

2024-05-07

大阪中学生ってまだなんばとかで遊んでんの?

連休で久々に(7、8年ぶり)難波を訪れた

街の様子が変わっていてびっくりした

こんなに物騒な街だっけ?

私が中学生とき2010年代前半ごろ)は友達と何するにもまずは難波行こうぜって感じだった

服買いに行ったりなんか食べに行ったりさ

美術部の友達日本橋とか行ってたな

土日のお昼は同い年ぐらいの子商店街にうじゃうじゃいて、歩きやすい街だった ちょうど近所に住んでたし

ひっかけ橋の方行ったらちょっと怖い見た目の人いたりさ 中学生声かけてくるおっさんとかもいて「キモかったねー」って帰り道みんなでバカにしてた

危険な思いをした体験というとその程度だった 変なおっさんいたとか酔っ払い声かけられたとか

そんなのは繁華街ではよくあることだし誰も気にしてなかった

親も、アメ村の方は怖いかあんまり行くなよーって言ってたぐらい

私がこないだ行ったときはお昼ぐらいだったんだけど、まだ明るいのにトーキッズみたいな人が街中にうろうろしていてびっくりした

なんかタトゥー入れてる人とか、いかにも半グレみたいな人とか

夜職っぽい見た目の人も昼間からうろうろしてたな

もちろん別にそういう人たちがいてもいいんだけど、私の記憶ではこんなに多くなかったはず

テレビでグリ下?の子たちが増えてるって言ってたのは見たけど、難波全域がこんな感じになってるとは思わなかった

難波全域っていうか特にグリコの周り?かな

仮に自分がいま中学生だったら、気軽に歩けるかどうかちょっとからないなと思った

自分大人になったから余計にそう思うのかな

でもなんか全体的にあのあたり治安悪くなりすぎじゃない?

中学生ぐらいの子なんば遊んだりしてるのかな

梅田天王寺特に変わりないように感じたけど…

追記

観光客多いのはまあ確かに思ったけど前からそうだから梅田もそうだし

それに私の学生時代には既に爆買い外国人とかなんとか言われてたし それにしても増えたけどな つるとんたん並び過ぎやろと思った、こんな混んでたっけ

2024-05-06

私はアイドルに、成れたが慣れなかった。

アイドルというと語弊がややあるが、

エンターテイメント性と共に見た目や人格を売りにして商売をする」

という点は同じことを半年ほど体験してきた。

簡単にいうと配信アプリだ。

2次元の見た目に、設定を詰め込んで。

そしてその上で誰かを楽しませる、いわゆるバーチャル存在になっていた。

そういうアイドル的な存在に憧れていて、バーチャルの外見を得られたので、舞い上がって楽しんでいた。

けれど、徐々に、しんどい!と強く思うようになった。

配信プラットフォーム課金圧」

である

YouTubeなどでは広告収入などもあり、視聴するだけで応援になる。

だが、そのプラットフォームYouTubeに例えるならスパチャしか明確な応援方法が無いのだ。

チャットの数や同接数なども含めて、その配信アプリ側が配信者をランク付けするのだが、スパチャ…課金ギフトを送るのが1番大きいスコアに繋がり、無料で出来るものは微量のスコアしかならない。

まり、このアプリにおいては、投げ銭が当たり前の文化なのである

そしてイベントなどではそれが数百万単位で動く。

ファンの方、視聴者の方でも、この配信者にはこれだけお金を投げたらファンランク認定されて、他のリスナーマウントを取ることができる。

まり、少し前のAKB48総選挙などのアイドル文化をより身近にしたようなものだ。

財力あるファンからたくさんの投げ銭をもらって、笑顔ありがとう!と言ってサラリと気にも留めない、豪胆さ、鈍感さを求められる。

私はそれが無理だった。

3万円投げられて、えー!嬉しいー!ありがと!記念にするね!くらいの気持ちでサラリと流す人がアイドルに、配信者に、なれるのだなぁというのが、なんだかやるせなかった。

1000円投げられて、慌てふためいて、ちょこっとランチ出来る額投げていただいちゃったよ…とかしみったれた事を考えるやつはアイドルになれないのだ。

しかも、これがAKB48たちのような1020代前半の金銭感覚もわから子供が、あどけなく応援されてると感じているのならまだ可愛い

けれど、その配信アプリ配信者は大抵はそれなりの大人である

配信プラットフォーム提示したランクイベントの達成のために、一緒に金銭を巻き上げる共犯者成るも同然だ。

今日ランクアップのためにみんな手伝って〜!という呼びかけがどこも飛びかう。

手伝うというのは暗に、金を出してスコアを上げてくれという意味である

AKB48だって一年の大きなイベントである総選挙を、その配信アプリでは毎日しているようなものだ。

人を喜ばせるために、パフォーマンス披露して、その対価として金銭を頂くのであれば良いと思う。

そしてそれならば私も、まだパフォーマンスが足りていないのだと思える。

けれど、配信アプリの一部のユーザー配信者も視聴者も、もう金銭感覚がどこか麻痺していて、月数万円使わせる、使うことに躊躇いもなく、そしてそれで得られるのは認知のみという状況も多い。

私にアイドルのようなカリスマ性がないから上手くいかないのだと言えばそうなのだけれど、同時に、あんな風になりたくないな、あんな風に応援されたくないな、という気持ちがどうしてもある。

狂った世界に適合できるのは狂える奴だけ、それか自分を騙し切れる奴だけ。

狂気欺瞞でお互いに誤魔化しあっていくのがアイドルなのだと、改めて感じてしまった次第である

全然関係ないが、先日、前田敦子が、卒業発表をした柏木由紀の話をした時に

「よく(アイドル)やってられますよね〜」

と言っていた。

お前も過去アイドルとして応援されてて、その応援してくれてたファンの人の気持ちを考えてない鈍感な発言だ、という指摘が飛んでいた。

けれど私はちょっとだけ、おこがましいが前田敦子気持ちがわかる。

アイドルなんて心身に負担のかかるお仕事、よくやってられるよね。

ゆきりん応援の数とか周りにとらわれず、自分アイドル像を突き詰めていく、ある種の努力、ある種の狂気があったからこそここまで出来たと思うので、非難するつもりはない。お疲れさまでした。)

今日ドジャース試合を見に行った本音感想

今日ドジャース試合を生で見てきた。今日大谷はすごかった。四打数4ヒット2HR、完璧だった。

めちゃくちゃいい体験をした。


だけど物足りなかった。野球観戦として見ると、甲子園阪神試合を見に行ってるほうが楽しかったと思う。


何故かはいくつか挙げられると思う。鳴り物応援がないこと。試合テンポが速いこと。走者がいる状態が少ないことなどが感じられたが、一番の理由は単純に知識不足だったんだと思う。


自分は、阪神ファンで一軍の選手なら、名前からなんとなくの成績までベンチ入りの選手でも全員言える。二軍の選手も大体は選手の特徴なら言える。こうなると楽しい。今塁にいるのは俊足の選手から盗塁があるかもしれなくて〜とか色々考えられる。


だけどドジャースで同じレベルで知ってる選手大谷ベッツカーショー山本ぐらいしかいない。そうなると野球自体の楽しみは当然減ってしまう。試合勝敗よりもいつ大谷に回ってくるかが最大の関心事になってしまっていた。要するに大谷ベッツ以外の打席は彼らの打席を待つ時間になっていた。


そして鳴り物応援応援歌がないので、主体的応援してる感覚がなくなって待つ時間という感覚が強くなる。


せっかくアメリカまで大谷試合を見に来たのにこうなると勿体ない。解決方法は単純でもっとドジャースというチームを知ること。9番を打っている選手はどんな選手なのか?中継ぎのピッチャーはどんなピッチャーがいるのかなど。相手チームの選手を知るのもいい。知れば知るだけ野球というゲームの楽しさが増えていく。

MLBという野球で一番のリーグ、そして多分いちばんいであろうドジャースを見に行くので野球自体を楽しめるようにしたいよね

anond:20240506150548

こういう被害妄想爆発して日本をたたいてる人たちよく見るけど、じゃぁ実際に海外で素晴らしい男性結婚して子育てしてみりゃいいじゃんって思うんだよ

都合のいい面しか見ずに文句を言い続ける人間に何言っても無駄だし、特定の都合のいい一面を採用してる国がほかにどんな枷を課してきてるのかって体験しないとわからないんだろうな

日本社会はもちろんクソのなかのクソだが世の中どこもクソまみれ

よその国にも住んではみたが、実際のとこ日本は一番マシなクソだったし体験してきてほしい

願わくば性別を交換して男側から日本での生活体験できるといいな 少しは理解できるだろう

海外で「痴漢が少ない理由」を聞いたら「痴漢なんてしたら被害女性に引っ叩かれて、周囲にいる男達にボコボコにされるに決まってるじゃん!」って明るく答えている女性がいて羨ましかった。

これ、重要なのは被害女性が引っ叩く」だけではなく、その後の「周囲の男達にボコられる」という部分。

当たり前だけど、女は男に力で勝てないし、相手犯罪するような奴だから、「被害女性が引っ叩く」だけなら、「痴漢が激昂し、被害女性暴行強姦する」につながりかねないのよ。

日本ではそれが起きた。御堂筋事件ね。

被害女性安心して痴漢抵抗できるのは、「周囲の人(特に男性)が味方になって、痴漢を一緒に捕まえてくれる」という信頼感があるから

それ無しに、被害女性が一人で犯罪男性に立ち向かえるわけないじゃん。

だって、明らかに力で勝てない相手から体に密着して犯罪行為仕掛けられて、周囲の誰も味方になってくれないかもしれない状況で、抵抗できるかと言えば難しいと思うよ。下手に抵抗したら殺されるかもしれないわけで。

日本女性がすぐにNOを言えないのは、「声さえ上げれば周囲が絶対に味方になってくれる」という信頼感が無いからだと思う。

実際、ちょっと前までは痴漢に声をあげると、被害者の方が責められることも少なくなかった。今でも被害者の落ち度探して責める人いるけど。

そういう社会からNOを言えない。

女性もっとNOと言うべきと思うなら、女性安心して犯罪者にNOを言えるような社会にするべきだと思う。

https://twitter.com/sodium/status/1786957266966687973

犯罪って普通人目につかないところで起きる。当たり前よね。見つかっちゃうから

人混みで起きるのはスリとか被害者が気が付きにくい犯罪

でも痴漢被害者が絶対に気がつく犯罪で、しかも人混みの中でも起きる。

被害者が被害自覚していて、すぐそこに加害者がいて、周囲にはたくさんの人がいる。

なのに助けを求められない。

求めても助けてもらえないどころか自分が責められたり、加害者から報復される可能性の方を考えてしまうから

加害者が悪いのは当然として「加害者ではない一般人」が被害者の味方をしてくれるという信頼すらなく、被害者は孤立させられる。

それをわかってるから痴漢犯行を繰り返す。

これは加害者被害者の問題ではなく、社会問題でもあると思うなあ。

痴漢に優しい社会」なんだよね。

イジメとかも似ているかもしれない。

「なんでいじめてくる子に嫌だって言わないんですか?」

「なんで先生に報告しないんですか?」

「嫌だと言わず先生にも報告せず、誰かなんとかしてくれるのを待ってるなら、それは他力本願すぎますよね」

嫌だと言ってやめてもらえるなら、先生に報告して必ず解決するなら、その信頼があるなら、イジメられている子の多くがそうすると思う。

その信頼がないから、かえって悪くなってしま可能性があるから、そうできないだけ。

信頼がない理由には、過去に信頼を失うような体験がある。自分体験でなくても人の体験でも。

そうして「言うだけ無駄」「言わない方がまだマシ」と学習してしまっている。

それを被害者の自己責任範疇にしてしまうのは間違ってると思うな。

2024-05-05

anond:20240505004254

増田も妻も「育児より仕事のほうが楽」という共通認識があるので、今のところはお礼や労いの言葉をかけられることが多いかなぁ。

まぁ先のことは分からないけど、いつか妻に給料が安いとか言われてもあんまり腹立たないかも。育児は大変だけどすごく貴重な体験だなと思ってるし。

2024-05-04

anond:20240504130023

自分体験したことが世の中の一般すべてに通じると思ってる思考の浅さに草

タイミー等スキマバイトを使う人や就業先の動向やメリットデメリット

2024年3月転職の合間の仕事としてタイミーを利用するようになった。

他にもシャアフルやバイトル等の類似サービスにも登録はしたが使いにくかったり、地元での求人が少なかったりと個人的に利用しづらく感じる。

以前にも転職や長期休暇中に単発や短期間のアルバイトはやったことはあるがその頃はタイミーのようなサービスもなく

単発とはいえ一番最初就業先に面接に行ったり、それ以降はやりたいとき電話で問い合わせていた。

まず利用者側のメリットとしては履歴書面接不要で気軽に応募出来ることだろう。

基本的に1日の単発なのでこの日は何も用事がなかったりとか、午前や午後なら出来るなど利用者の都合に合わせて利用できる。

就活中や転職の合間など長期では無理だが少しならやりたいという人にはもってこいである。

昨日まで何社かタイミーを利用したが普段社会人残業が少なくて稼げないので来ている人や主婦の方、普段は安定した仕事をしていなさそうな方もいた。

また私は本業製造業である物流にも興味があるのでスーパードラッグストア飲食店へ届ける商品食材仕分けたり、通販の代行業務ピッキング仕事も行ったが普段は見られない裏側も見られるのも楽しい

業務終了後チェックアウトするとすぐに口座への入金手続きができ、手数料無料で通常24時間以内には振り込まれるので早めにお金必要場合に助かるしギャンブル借金お金を得ようとするよりも自分労働お金を得ることは健全である

就業からの印象が良いと認定ワーカーになったり仕事リクエストが来る場合もあり気に入った仕事を何度もやりやすくなる場合もある。

タイミー利用者を迎え入れる側も昨今の人手不足で少しでも人手がほしい場合に助かる場合もあり、タイミーを体験としてそれを入口として長期雇用として働いてほしいというところもあるようだ。

ちなみにタイミーは派遣扱いされることもあるが就業先の直雇いであり、源泉徴収票にも給与支払い者として就業先の会社名や本社の住所が載っている。

デメリットとしては履歴書面接がないので実際、応募から仕事までどんな人が来るかわからないということだ。

真面目な人や有能な人もいる反面、人のことは言えないが指示が守れなかったり動きが遅かったりと明らかに仕事が出来ない人もいた。

また遅刻や直前キャンセルや無断キャンセルもあるようであまり非常識で酷いと就業からブロックされ、再度の応募ができなくなる。

大手やそれなりの規模のところではよほどのことがない限りブロックはされないと思うが、個人や小規模の所では担当者と合わなかったりするとブロックされたという情報もXでツイートされていた。

経験可能とあるところはすぐに応募が締め切られることもあるが、コンビニファーストフード飲食店など経験者のみだったりヘアカット老人ホームなど有資格者のみだったり食品を扱うところでは検便キットで事前に検査しなければいけないところもあり、応募者が限られたり面倒な場合はずっと残っている印象だ。

迎え入れる側も未経験可能としているところでは初心者も多いので教えるのに最初から手間がかかりそれに人手が取られるのでかえって非効率場合があったりタイミーへ支払う利用料もあるので割に合わないとという考えもある。

また利用者も増えているので自分お気に入りのところがすぐに締め切りになってしまって使いづらくなったという声も聞かれる。

また条件を限定しすぎると応募者がいないということもある。

個人的には町工場タイミー募集もあると良いなと思うが今後、さら人手不足が進むと色々な雇用形態が増えてくるのではないだろうか。

元カノヤリマン過ぎて切なくなる件

私と付き合ってた時点で非処女ではあったが「ヤリ目的の女は最低」とか言っており本当に好きな女としかやらないと豪語していた。

なお当時(18)だったが既に体験人数は7,8人だった。見た目は波多野結衣似で別にチャラくはない。塩顔だけど脱いだらムチムチの部類。

私とは付き合って3日目でもうニャンニャンした。パコ好きな女とは知っていた。で、別れたんだが最近酷い。

最近は私と別れた後に付き合った彼氏とも別れたらしくバイトの先輩にすぐ告白したらしい。なお振られた模様。

で、次は地元の後輩に友達を紹介してもらって付き合おうとしてるらしい。さらにハプバーにも近日行くらしい。

ここまで悪食・・・というか常に恋人がいないとダメって女だった模様。

初カノではないが初めて長く続いた彼女であり初体験をした女なんだ

まり私を失望させないでほしい

あの時の爽やかで明るい貴女はどこへ行ったんだ・・・

2024-05-03

インベスターZの映画損切りの件で、カルト勧誘を思い出した話

俺は個人的にはね、邦キチは映画をサゲないのが良いと思う派なわけよ。

名作も迷作も世の中がそう勝手に言っているだけと言わんばかりの強烈な邦キチの熱量部長が適宜突っ込むという作劇が絶妙バランス映画自体を貶さないで済んでいると思うわけよ。

あと、あん清潔感のある同衾への動線ある?押し入れから枕だけ取り出してswitchと一緒にやってくるみたいな。乾いているわけではなくしっとりもしていない青春空気感俺もう怖いよ。

なんだっけ (( 閑話休題 ))、そうそうXで燃えるほどでもなく話題になってたインベスターZ(インベ)の話ね。良い宣伝だよね。WinWinだよね。

でも俺はカルト勧誘を思い出してゾッとした。

いま公式ポストで該当回読めるから読むと良い経験になると思うんだけど、これ流れがすごい怖いんだよね。

まず、ラーメンおごってもらえると思って部活の先輩についていったら、観ろって言われて「感動作、大ヒット」ってポスターに書いてある映画を"見たくもない"って自分で言っておいて、自分で金払って観始めるんだよね。

もうここが怖い。ナチュラルにその集団の中の指示に従うという刷り込みが終わってる。見ないとラーメンおごってやらないぞって言うエクスキューズ言い訳)も準備してある。

怖い怖い。映画観る金でラーメン自分で食えよ。もうそ集団の中のイベントに参加するためには身銭を切る必要があるって意識に上ることすら無くなってる。

で、まあ映画を観始めてクッソつまんねぇなあって思うこと自体はアリだと思うわけよ。ここを否定する映画好きはまずいないと思う。

ただ、インベ作中の主人公が「客をバカにしているとしか思えない!」みたいな感想に、あれ?みたいな違和感を感じると思うのよ。

で、映画館で席を立ってしまう。まあこれも個人的にはアリだと思う。トイレで席立つ人を想像しなくても、まあ、割と映画祭とかでエログロの時って席を立つ人、いるよね。

個人としてはXでの風潮とは別で、観たくもない映像押し付けられたときに見ないという選択肢を取るのは決して映画嫌いを意味しないと思ってる。

映画って体験として強烈だからトラウマが刺激されるとか全然あると思う。

感情を揺さぶる力が映画にはあると思っているし、だからこそエンタテインメントとしてこの感情の揺さぶられ方は嫌だと言って拒否するのはアリだと思ってる。

から安心してほしい。少なくとも俺は映画の途中で観るのを止める人が映画好きを公言してても別に普通のことだと思う。

ただなあ、インベの席の立ち方って「こんなもの最後まで観たらバカになる!」とか言って席を立つんだよね。

そのあと、実は何分で途中で出てくるかが、その集団投資部)恒例の賭け事の対象ってのは、まあそういう部活の謎の伝統あるよね、みたいなのは判る。

ただね、その後たぶん、ん?って思うセリフがちょくちょく作中の人から語られるのよね。

この賭け事の伝統っていつからやってるんスか?あー、映画大衆化した戦後のことだろう、とか。

映画最初の5分で面白いかツマラナイかわかる、とか。

(5分でツマラナイってわかるヤツがレコードタイム18分っていうのが、微妙リアルちょっと面白いけど。宣伝10分+本編5分+退出3分だとありそう)

まあ、時間無駄だと思った後、惰性でみるこた無いんでは?ってのは、その通りだと思うわけよ。

いやー、映画最後どんでん返しがあるかもよ?という意見があるのはわかるけどさ、ソレ、ホント有言実行してる?とも思うのよ。

あー、一本の映画とあるかもしれないけどさ、アイアンマン観てこういうアクションものは肌に合わないかなーと思ったとしてさ、いや経験になるしそこは映画好きならマーベルシネティックユニバースは全部観てから語るべきでしょ、とホントになってるかなーと。

今期1話で切ろうと思ったアニメちゃんと完走してから1話を語るようにしてますか?という。

もちろんね、エンドレスエンドレスエイトを実況板に張り付きながら見経験は一生の思い出にはなっているけどさ、それを強要できるかな、という。

うそう、で、インベの話ね。

投資部に入るものはさっさと席を立たなければならない、というあたりが、カルトっぽいのよ。

選択肢錯覚に近いんだけど、ここまでで既にインベの世界観共感する読者には刷り込みが終わってるわけよ。

大ヒットするような感動作は、観るとバカになるような映画だ、大衆化した映画なんてものは、投資家が観るようなものでは無いっていうね。

ソコを前提としたうえで、つまらないものをつまらないと思いながら最後まで観ることを何の価値もないと断ずる。

しかしたら最後面白くなるかも、とか、挽回する可能性は低い、ではなく、ハッキリ言いきる。

株価の話で損切りの話もしたうえで、金よりも時間大事と気づいたお前はテストパスしたと言う。

作劇としても大変に巧みで、「いやいやそうは言っても最後最後面白くなるかも」という反論を「それっていずれ株が上がるかもと思って塩漬けしてるのと同じじゃん」と"自分で"気が付けるようにしてある。

インベの主人公も、自分で気づいたという点を評価してもらっている。

これものすごくカルト勧誘っぽいのよ。

インベの主人公は、なんだかんだと言いながら、全て自分で行動している。

自分お金映画チケットを買い、自分映画を観て、自分映画を途中で観るのを止め、その行為を「お金より時間大事とオマエが気が付いた」と評価される。

誘導はされているけれども強要はされず、解説はされているけれども自分で気が付いたことにされており、不満点は相手が聞いたうえで断定的に回答する(「過去は忘れる」)。

ホモソーシャル部活動の体だからそこまで違和感はないけれども、これ、同様の体験大学入学時に魅力的な先輩からなされたときに、それってカルトではって気が付けるか俺には自信は無い。

しかもよ、背景にはうっすらと自分は凡人とは違うっていうエリート意識というか、投資意識みたいなものがあるわけよ。

ラーメン屋に誘うというフレンドリー関係性、映画館で途中で席を立つという"他人とは違う"体験損切りという部内で通じる単語を通じてグループ内の価値観を共有していく。

しかもこれ、漫画としても同じ構成になっていて、漫画というなじみのある媒体で、大衆の感動するような映画には流されない俺というちょっとしたアルアルを追体験させて、損切りという価値観を共有している。

ココに対して、「いやーその価値観はこれこれこういう理由で狭量だよ」と伝えても、おおむね反発を受けるか、わかってないヤツ扱いされると思う。

だってこれカルト洗脳の手順をそっくりなぞっているもの

しかも大変に良くできた作劇なので、漫画を読んでなるほどと納得した人は、映画最後まで観る派に対しては「ああ、こいつは損切り出来ない投資家に向いてないヤツなんだな」と思わせるようになっている。

俺はカルトの脱退のさせ方は詳しくないのであんまり的確なことは言えないんだけど、あの漫画に納得する人を否定したり馬鹿にしたりするだけでは、少なくとも価値観を変えることはできないだろうな、と思う。

そして、インベスターZという漫画の作劇は、少なくともあの映画損切りの回は、とても怖いと思った。

実は同じくらい、今回の件で映画最後までみる経験派も"危うい"と俺は思っている。すごく配慮したコメントしている人もいる一方、そうでない人もいるから。

映画は数あるエンタテインメントのうち一つでしか無いので、それを重視しない人生もまた、俺は尊重したいと思う。

サタンタンゴを観た人類しか得られない経験は間違いなくあるけど、それを貴重な経験だよって誘う勇気は俺には無いから。

あと、最後まで観る強硬派は、MCUのエンドゲーム以降の観る順番を教えて下さい。ワンダヴィジョンくらいからついていけてないです。お願いします。

教職員組合を退会した話

こちらの投稿に感銘を受けたので、私の体験を書こうと思う。

https://x.com/noeasywalk/status/1786037637058535611

私はこの方とは逆で、組合を途中でやめたものだし、そこまで大きな話はなにもない。ただ、どうして組合員が低下しているのか、運営をしている方に伝わってほしいと思う。ただ、10年ほど前の話なので、今とは違うかもしれないということはご留意いただきたい。

私はある政令指定都市小学校教員をしている。組合は初任のときに入った。勧誘を受けたというより、職場のほぼ全員が加入していたので、「入るのが当たり前」という雰囲気にとてもじゃないが抗うことなどできなかった。私の働く都市組合は規模も大きく、どの学校に行っても、7、8割は加入している。

仕事内容など説明を受けないまま入ったが、正直に言えば、いったいなんの活動をしているのか、最後までわからずじまいだった。とにかく、動員・研修署名。その繰り返しだった。

動員はノルマがある。年に数回あるイベントに、入っている組合員で割り振られる。急に(少なくとも私にはそう思えた)「ここに行ってほしい」と言われることもあり、仕事を終えて会場や路上に行くこともあった。プラカードをもち、シュプレヒコールを上げている。「憲法改正反対!」とか、「自民党を倒せ」みたいなやつだ。これがいったい、教員処遇となんの関係があるのか、私にはよくわからず、ただぼうっと立ったままそこにいるだけだった。

研修夏季休暇や課業後に行われる。授業研究会のようなもので、テーマが割り振られ、指導案などをつくり、壇上などで発表する。これも学校ごとに年ごとに役割が決まっている。私がしたものは、「おんなじのでいいから」と、前々からある指導案を少し手直ししたものを発表した。これは年に何回かあり、自分の発表がなくとも、他の学校のものを見に行く義務があった。

ストは1回だけしかたことがある。給与改定かなにかの交渉本部がしているということで、朝組合員で一室に集まり、授業が始まるまで待った。結局、委員会がなにか譲歩をしたのか、組合側が譲歩したのか、よくわからないままストは中止された。それからは、ストの話は一度もない。

そして、これらのことは、全て勤務時間外か、勤務中に行われた。

何年かして、私の家族の具合が悪くなり、医療費やそれに類するもので、保険診療だけで20万円を超えるぐらいになった。加えて、子どもも生まれ育児にも時間を割かれた。組合費は月5000円ほどかかっており、前述したように、授業準備や家族との時間を削って動員などにも参加することは、かなり負担になっていた。ついに耐えきれなくなり、分会長相談し、組合運営に退会願いを申し出た。特に留意されることもなく、すんなりと退会することができたので、嫌味のひとつでも言われるのではないか危惧していた私としては拍子抜けした。

だが、どちらかというと周りの組合員の反応の方が私には堪えた。いわゆる分会というものが校内で開かれると、私は職員室に残ったままなので、私が退会したことはすぐに伝わる。みななにか言うわけでないが、遠巻きにされる印象はある。直接「なんかあったときあなたは守れないから」と、皮肉めいて言ってきた職員もいた。学校を異動しても、組合員の割合は高いので、すぐに質問をされる。子どももいたので、フレックス看護休暇などの制度を使っていると「子育てして制度恩恵を受けているくせに組合に入らないのは何事だ」と言う職員もいた。私は、すみません、いろいろありまして、と頭を下げて答える。一度、事情説明すればわかってもらえるのかと、家庭の状況を伝えたこともあったが、「みんな状況は同じだ」「だからこそ組合に入ってみんなでよくしていかなければならない」と、彼我の隔たりを感じ、それ以降は説明することを諦めた。

でも、と私は思う。果たして、いまある制度境遇に、いったいどれだけ組合が関与したのだろうか。どちらかというと、世間の流れや、他県の事案に追随した結果なのではないか。よしんばそこに組合努力があったとしても、どうして、いち組合員にそのように言われなければならないのか。権利行使するには、金を払い、労働力差しさなければならないのか。それをしない者を、できない者を排除してきたのが、凋落している組合本質なのではないか

一度、保護者から大きめのクレームを受けたことがある。私は電話応対をしただけで、その対応はしご一般的ものであり、今でも自分瑕疵はないと思っている。だが、校長は、とにかくそ保護者に頭を下げてほしいと言ってきた。私は当初拒否をし、経緯も文書にして伝えた。周りの教員も同情的に見てくれたが、誰も助けてくれる人はいなかった。その数年前に、組合員だった職員管理職パワハラに巻き込まれとき本部にかけあってくれたのとは対照的だった。確かにそれはその通りだった。組合員でないものを助ける義理はない。だが、今回の投稿主の方が仰ってるように、それこそ新自由主義のもたらした分断なのではないだろうか。

結局私は、自ら弁護士相談し、このようなケースにおける最善の方法についてアドバイスを受けた。最終的には保護者に頭を下げることになり、彼は訴えることもちらつかせたが、弁護士の「そんな裁判引き受けるヤツいないですよ」という言葉で、毅然とした態度で望むことができた。このとき思ったのは、自分の身は自分で守るしかない、ということだった。

本当に皮肉な話だが、組合のどんな活動結果よりも、組合費の負担(年6万)と時間内外の業務がなくなったことが、私の生活いちばん楽にした。だが、それでも、私は、労働組合は必ず世の中に必要だと思っている。組合がなければ、この社会もっと悪くなっていたし、力が弱くなったとはいえ最後防波堤のような存在だ。しかし、本当に残念なことに、今の私は、私の生活を維持することに精一杯で、未来教職員労働環境まで考えることができない。だから、この先、私が組合に入ることはないだろうと思う。

そう思っていたから、今回の投稿者の方の内容は胸にしみた。特に最後の部分の「分断」を憂う内容は首肯することばかりだった。彼のような人がいたら、私はまだ組合にとどまり続けたかもしれない。

からといって、組合組合員でもない人間を助けろ、とは口を裂けても言えない。それを私の側から言うのは驕った考えだ。でも、もっとなにかできることはないのか、とも思う。いま、私は組合員ではないので、組合手紙は届かない。だから、彼らがいったい今、なにと戦っていて、どんな成果を出しているのかなにも知らない。これは本当に不幸なことではないだろうか。全国の教職員組合は、このような非組合員が、だんだんと増えていっているのだろうということに、ぜひ目を向けてほしい。

ECサイト運営に取り組んできた 


中途採用ECサイト業界に入った。二十代半ばの頃である外資ということで緊張してたけど、意外とそうでもなかった。

厳しい社風ではあったが、それはルール数字に厳しいというだけであり。自社のポリシー規則に従って行動していれば、結果が悪くてもそうまで低い評価が付けられることはない。

もっというと、上の意向をしっかり確認して動くということか。いや、違うな。ちゃんとした意思決定過程を踏むということだ。上の判断必要なら議論をし、委任事項であれば自分責任物事に挑み、失敗しても成功しても検証記録を残していく。これだけのことができずに消えていく人間を何十人も見てきた。

語りが過ぎた。私はeコマース(ネットでの買い物)の世界で長い間働いてきた。実はもう転職が決まっている。記念に、これまでの努力過程を書き綴っておきたいと思った。ちょうど今は卒業シーズンである

ただ、努力はしたけれども、いい結果が出ないことの方が多かった。もしくは結果自体の測定ができないか。それでもいくつかの改善はできた。その一部を記していきたい。

私の専門分野はレビューシステムだった。あなたも、ECサイトで★を付けたことが一度はあるのではないか。私は、そのあたりの仕組みやルールを作っていく部門で働いていた。SE寄りではなくて、インフラ寄りでもなくて、格好よくいえば社内Sler企画といったところか。

これから、何点かのトピックに分けて思い出深い改善活動について述べていきたい。なお、特定用語を出すとどこの会社かわかってしまうので、専門用語一般的言葉に置き換える。例えば、あるレビュークリック等で賛意を示すことは「いいね!」で統一する。



1. 愉快犯レビュアー対策

 昔は、ある特定レビュアーへの通報が多かった。違反報告か、問い合わせ窓口(TEL,mail)を通じて、「あのレビュー誹謗中傷だ」「特定個人名誉を傷つけている」「製造メーカーへの粘着が見られる」「差別的表現を用いているので削除すべし」といったものが多かった。確かに通報先のレビューを読んでみると、大変よろしくない表現散見された。

 当時は、電話によるカスタマーサポートがあった。その窓口に、正義感を持った方々が、上記の善くないレビュー及びレビュアー(bad egg)について抗議していた。

 こういった問題あるレビューについて、私がいた部署では対応必要と考えていなかった。直属の上司も、さらに上の人間も、どの国にも地域にもいる悪口をたくさん言う人としか捉えていなかった。

 しかし、私や数人のチームメンバーは、彼ら悪辣レビュアー(bad egg,bad person)の行為が、サイト全体の害になると考えていた。具体的には、次のような行為を彼ら(彼女ら)は行う。

特定企業や出品者の商品に対して一つ星(1/5)を付ける

・彼らのレビューにおいては、読んでいる人を煽る表現が目立つ

商品をわざと口汚く罵り、マイナス評価罵倒コメントが付くことを喜んでいる

 ※アニメ漫画小説といったエンターテインメントに多く見られる

 特に、一番下のタイプ顧客場合サイト利用者不愉快な印象を残す可能性が高い。対処必要と思われた。

 しかし、データがなかった。上司にある対策提案した際に言われたのは、「今あなたがしようとしているのは、私の権限を超える行為であり、本社への協議必要である主観ではなく、根拠を示したうえで提案せよ」というものだった。

 それから半年以上かかったものの、私とその小さいチームで初版検証資料作成した。それは、次の結論から成り立っている。

悪辣レビュアーと論戦になった顧客は、その後半年間での実質退会率が高い

・その顧客層は、その後半年間での商品購入額が低下する

 具体的なマイナス幅を提示することはできないが、統計学上、数パーセント以上という有意範囲顧客マイナスの影響を与えていた。当然売り上げも落ちている。

 悪辣レビュアーは、一般的顧客レビュー内容を巡って論争(※当時はコメント機能あり)になった際、いわゆる煽り行為をする。その口汚い言葉顧客を傷つけ、顧客体験を棄損してしまう。そんな当たり前のことに気が付くのは容易だったが、数値的に証明することは難しかった。

 私たち検証結果は、上の階層へと引き継がれた。さらに細かく検証するという――それから数ヶ月が経って、本社の方から通達があった。

「次のとおりレビューシステム仕様変更検討する。そちらの考えをまとめて回答せよ」とのことだった。以下は仕様変更案の参考文面である

改善案‐

「参考にならなかった」のコンバージョンボタン(Conversion Button)の廃止検討する。

理由:悪質な利用者一定数いることで顧客体験を損ねている。顧客がより安全ショッピングを楽しむためにも、悪意をもって低評価をする者への対処必要である

私たちは、その通達と、添付されていた検証資料を読んだうえで、時間をかけて再検証を行い、廃止は正しい行為であるという回答を上申した。

加えて、現状のレビューシステムにある顧客同士で討論できるコメント機能についても、建設的な議論が行われているとは言い難い状況にあることから廃止提言した。



2. 不正レビュー対策

 積年の課題だった。残念ながら目下解決には至っていない。不正レビュー根絶の目途もつかない。明白な違反者であれば発見処分ができるのだが、グレー段階での処分は難しい。

 実際に、不正を行ったと思しき者を見つけることはできる。AIが発展した現在だと、いわゆるサクラレビューと呼ばれるものシステムの方で自動的発見し、一定確率で怪しいものを報告してくれる。

 昔は、一件一件手作業であったり、Excelフィルタ機能を組み合わせるかのように検索条件を設定して虱潰し(shirami-press)に見ていく必要があった。

 そう、不正行為と思しきレビューを見つけることはできる。あくまで見つけることは。だが、はっきりクロだと断定し、処分を下すのは人間しかできない。1日につき何十件、多い日だと百件以上も上がってくる不正と思しきレビュー対応するのは不可能に近い。

 多くのECサイトには、利用規約社会倫理に反する行為をする利用者(販売者注文者、閲覧者)を処罰するためのポジション存在する。弊社においても当然あったが、少数精鋭が過ぎて不正レビューへの対応が後手に回っていた。

 不正を見つけることはできても、処分することは難しい。冤罪があってはならないのはもちろんのこと、微妙なケースである場合も、利用者が今後弊社を利用してもらえるよう最大限配慮する必要がある。

 はてなのサービスでいうならば、以下の利用規約適用に係る取扱いが最も近い。

d. 迷惑行為嫌がらせ行為誹謗中傷行為、正当な権利なく他者精神被害経済的被害を与える行為

e. 自分以外の個人会社団体を名乗ったり、権限なく特定会社や団体の名称使用したり、架空個人会社団体を名乗ったり、事実がないにも関わらず他の人物会社団体業務提携や協力関係があると偽ったりする行為

はてな利用規約 第6条第2項から抜粋


 私は、学生時代からはてなのサービスを利用している。はてな匿名ダイアリーにおいては、この規定制限的に運用しているように見える。

 というのも、明らかに釣りと思われる投稿をしたり、他人なりすましたり、特定企業や団体を匂わせる文書を発しているエントリ一定数みられるが、運営規約規範として対処している様子はない。

 推測ではあるが、99%のクロであっても、それが100%でない限りは対処しないという方針であろうと思われる。冤罪を避ける意図もあるが、意見多様性を保持するためでもあるし、はてな匿名ダイアリーひとつ実験場として捉えているのかもしれない。当方は、増田なる場所を蟲毒のひとつであると考えている。

 話を戻す。レビューに関する不正行為について――その大半がサクラ行為であるが、不正行為抽出までは技術的に自動化できるものの、最終判断は人がせねばならない、かつ間違いがあってはならない――という課題について説明した。

 ただし、今のところはそれで問題ないと個人的に考えている。というのも、不正レビューへの対処が迅速ではないというだけで、悪質な行為をする利用者を取り締まること自体はできているからだ。技術が向上すれば、今後の改善も見込まれる。

 今でも、ECサイトを覗いているとサクラレビューが多く散見される。会社を去って他業界に行く自分がいうのもどうかと思うが、今後も建設的な手段により不正行為への対策効率化される未来を願っている。



3. レビュアーランキング

 多くのECサイトでは、役に立つレビューを行った人に賛意を示すことができる(冒頭の「いいね!ボタン)。多くの点数がついたレビューは、商品欄において上位に表示されるようになる。

 どのECサイトも、できるだけ多くのレビュー投稿してほしいと考えている。世の中の儲かる商売というのは、消費者に働いていただくことで成り立っている(GoogleTwitter典型例。もちろんはてなもそうである運営会社ブロガー生産活動によって生きている。ほかに食べログリクルートメルカリなど)。

 過去の弊社においても、どういった仕組みを採用すれば多くの利用者レビューを書いてもらえるのか、サイト黎明期の先達は検討検討を積み重ねた。

 結果として、レビュアーランキングシステムという、今では各社で一般的になった仕組みが誕生した。かつてECサイトが未開の荒野を歩いていた時代発明ひとつである

 永きにわたって活躍したランキングシステムだが、今では隔世の感が否めない。レビュアー同士の競争を促進することで、より多くの良質なレビューが生まれるという判断があったが、それは一企業人の錯覚に過ぎなかった。一企業においても高度の統計分析可能となった現代において判明したのは、その役割を果たさなくなっていることである

 以下は、当時の弊社内での調査研究報告の一部要約になる。

レビュアーランキング存在によって、自らの票を集めることのみを目的としたレビューが増える。初めは良質なレビューを書いていた利用者でも、ランキング上位になった後にレビューの質が低下する傾向にある」

 ある時、自分の書いたレビューがバズったとする。それは、有名な映画小説漫画アニメか、化粧品家電製品衣服か、はたまた書籍か、なんでもいい。自分レビューが数百人からの「いいね!」を集めたとする。その後も良質のレビュー投稿し続け、同じような体験を繰り返したとする。そして、あなたは晴れてレビュアーランキングの相当上位に昇った。あなた投稿したレビューのどこかに、それを示すバッジ掲示される。

 さて、晴れて上位レビュアーとなったあなたであるが、その後に何もしなかった場合順位は落ちていく。数ヶ月も何もしなければ、まず確実にバッジは剥がれる。元に戻るのだ。

 それが嫌なレビュアーもいる。上位レビュアーでありたいがために、関連商品にとりあえずのレビューをいくつも投稿する。人の目を引くために過激表現を使うし、ゴシップサイトさながらの低俗言葉遣いをすることもある。また、省力化のため、自己他者レビュー内容の一部を借用することがあるかもしれない。

 上記調査研究において、上位レビュアーによるそういった傾向が明らかになった。特にサブカルチャーにおいては顕著であった。

【具体例】

・人気作品新刊が発売になると最速でレビューを付ける

・新作アニメの公開時期になると、数行程度のレビュー無差別に付けて回る

・水平展開するコンテンツ原作アニメ小説映画舞台etc)の各所に似たレビューをする

 現在では、レビュアーランキングシステム廃止されている。上に挙げたようなマイナス効果の方が大きいというのが、社内の統一された意見となった。

 レビュー自体については、今後も廃止されることはないだろう。私自身も、レビュー調査研究を続ける度に学びになることがあった。人の親愛の興味深い傾向(ex.数千字にわたって自分家族の話をする)であったり、笑いを狙ったユーモア(ex.ヘッドフォンの音質は、元の電源によって異なる。原子力発電火力発電かソーラー発電かを聞き分けられると一人前)であったり、その道のプロと思われる学術的なレビュー読書カテゴリに多い)も多数拝読した。



日記は以上である。懐かしい思い出を振り返る機会ができてよかった。年度末ということで、新しい職場に移る前に買き始めておきたかった。投稿ゴールデンウィークになってしまった。

次の職場も、一般企業と各消費者を結びつけるタイプ仕事になる。フリマアプリ会社である。残念ながら、自分仕事を通じて、どれほどの顧客体験社会にもたらしたのかを測定できる手法は未だ確立されていない。私が生きているうちに、そういった手法が生み出されることがあるのだろうか。

最後に、ここまでお読みいただきありがとう。今後、あなたが利用した商品レビューしたことで、そのサイトショッピングをする何千、何百万人という利用者が喜ぶ未来を祈っている。

Not all men てもともと

男性加害者から暴力に遭った、というようなわりと個別具体的な体験をともなう発話に対して、本題スルーで「全部の男が加害者なわけじゃない」って言いがちなのを指してたと思うのよ。

電車で男に痴漢にされた、に「俺はしないよ」的な反応しちゃうやつね。貴方痴漢だなんて一言も言ってないよ??ってなるやつね。

すべての男が加害者じゃないのはわかってるの、今は加害してくる男の話をしてるの、貴方が加害しないなら自分への批判だと勝手に思って反発しないでくれろ、ってこと。

なので「すべての男が加害者じゃないという認識」が前提として含まれ言葉だと思ってたんだけど、なんか最近の使われ方(揶揄され方?)見てるとそのへん意味変わってきてる?

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