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はてなキーワード: 体制派とは

2019-08-13

anond:20190813103205

現代アート関係者には批判とさえ認識されない。残念。」が連中の思い上がりを象徴している。

美大出身者の学閥やお友だちごっこ権威と名声にしか興味のない自意識過剰学芸員美術評論家公立美術館新聞社の金で動いている商業展覧会しかやらず、たまに反権力的な内容の展示をやれば検閲される。そうした業界におもねる美術メディア(ビテチョーとか)はそうした業界人を褒めたたえるばかりで、業界内での批評精神、自浄作用も失った。税金で雇われたキュレーター自分たちのことを「アートピーポー」と自称していたが、「アートピーポーであることに酔っている変わった人々と自分には見えた。

学生の頃、一生懸命アート歴史勉強していたが、大人になり、現実アート業界を知って、ただの茶番だと我に返った。特にここ数年のアートシーンの劣化具合はあまりにひどい。

元増田の「要するに《現代アート》というのはすでに既存権力になっていて、彼らはそれを無批判に持ち上げることにこそ価値見出しているわけだ。」に共感する。日本全体を見ても「権力を支持したい。体制側が正義。」という人間があまりに増えすぎている。それは美術業界でも同じだ。SNSアートやってますと言いながらネトウヨっぽいリツイートをしている人って昔はあんまり見かけなかった。アーティストなら反体制だろというわけではないけど、自分の頭で何も考えていないか体制派を無批判に受け入れるし、自分の考えと異なる意見を知ろうともしない人がアーティスト簡単になれる時代なのだなと思う。

(=自分大学勉強するか、大学勉強した人に手配してもらう必要がある)というのも「大学先生が言っていることは正しいこと」という思い込みが後ろに隠れているわけだが、大学で学んだ経験がある自分からすると、大人になってから「あの大学教員の言っていることは偏ってた、おかしかった」ということは多分にあった。何も知識のない時は師やメンターの言うことをそのまま学ぶ時期であるが、学びが終わったら、「それは本当にそうなのか?」と考えられるようにならなければならない。

「偉い人がすごいって言ってるから、この作品はすごい」って言っているうちはまだまだ子どもである。そうした子どもばかりになっているのが今の日本アート業界なんだと思う。海外のことは知らんけど。

2019-02-23

anond:20190223210208

朝日新聞が傾いたか

左翼だったけどすぐ体制派に切り替えて太く続いているだろ?

2018-05-17

anond:20180517165150

もう体制から参ったされるしか生きる道がないとなったら近隣の村から体制派襲いまくって数ふやしつつ

穀倉メインに狙ってゲリラ戦をやりまくるんじゃねえかなあ、どんだけ数揃えても軍とまともにはぶつかれないな

2018-02-25

スマホ戦争ゲームやってる。

よくある力がほぼ課金イコールのやつ。

自分のいるクランは非課金、微課金普通社会人といったメンツで、他国を攻めることはない。当然やられる側だった。ボコボコにされていた。

が、いろいろ経緯あって、体制派グループ所属することができた。

体制派の筆頭のプレイヤー(すごく強い)が、うちのクランに来てサブを置いてくれた。

先日、他国から攻撃を受けた。かなり執拗攻撃された。

それをサブ置いてくれてる強いプレイヤーさんに報告した。

しか攻撃者はもうシールドを張っていて、やり返すことができない状態だった。

が、彼はその王国に移動し、シールドしていないプレイヤーを片っ端から攻撃した。焼き尽くした。…

敵の王と、うちに攻撃したプレイヤー謝罪たから、と彼は笑って謝罪メール転送してくれた。

長々と英語言い訳じみた文言が並び、素直な謝罪とも思えなかったが、sorryとは書いてあるので謝罪なんだろう。

それより、自分の周囲の人を攻撃するのはやめてくれ、との文章が目を引いた。

ああ、攻撃ってこんな風にやるもんなんだなあ、と強者目線垣間見れたような気がした。

2017-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20170418155313

佐高信が「ビートたけし体制派からダメだが、タモリ天皇陛下物まねをして反体制から素晴らしい」みたいな事書いていて、まったくらしいんだけど、ダメだなぁ…と思ったよ。

民衆の敵の資本家ヒーローみたいに描いているか駄作」みたいな昔の赤旗映画評みたいな感じ。

2017-02-17

北朝鮮ロック

金正男暗殺された。

次に狙われるのは金正男の息子、漢卒だと噂されている。

曰く有名な大学を経てエリートコースを進み、民主主義を好んでいるという。

金正男同様、脱北者が作る暫定政府の若き指導者として担ぎ上げられることを金正恩は警戒しているらしい。

これだけでも下手な小説映画を遥かに超える大河スペクタクル

それを海を挟んだ特等席から見学できるのだから日本人は堪ったものではない。

金正恩は3兄弟。だんごみたい。

長男金正男

次男金正哲

三男が金正恩

正男とほか二人で異母兄弟関係となっている。

今回正男暗殺されたが、残る正哲はどこに行ってしまったのか。

どうやら音楽やら趣味やらに没頭して政争には関心がなく、結果として正恩に後継者争いに影響なしと判断されて軟禁されている。

正哲は正恩体制にとって危険因子にはならないのだろうか?

ここからは完全な想像、いや妄想

正哲は音楽が好きなのだ

クラプトンが好きなのだ

チェンジ・ザ・ワールドだ。

最も体制派が嫌う話題ではないか

もともとロックには反体制、反権力の血が流れている。

軟禁され自由に動けない正哲。

手元には1本のギターがあるだけ。

窓の外を眺めながら自由に憧れギターを弾く。

その時目覚めるのだ。

偉大なる指導者金日成の血が。

彼は北朝鮮民主化を目指して立ち上がる。

彼を支えるのは息を潜めていた反正恩派の幹部たちだ。

処刑された張成沢派の残党も金正男亡き今手を貸すかもしれない。

彼らは蜂起する。

金正恩体制転覆を目指すのだ。

中国保護されている金漢卒も蜂起の噂を耳にする。

好機は今と脱北者暫定政府中国の後押しのもと打ち立てるに違いない。

内外同時に起こった大きな流れに金正恩は抗いきれず、遂に北朝鮮革命が起きるのだ。

そんな妄想グッドモーニングのお天気お兄さんである依田さんを見つめながら歯を磨いているときにぼーっと考えていた。

今週もあと一日だ。

2016-08-02

はてなブックマークお気に入りしてくる人

スター1個で毎日粘着してくる奴は嫌いだけど、全くスターの1つも付けに来ないのにお気に入りする人って

一体どの部分を見てお気に入りに入れてくれたんだろうか、気になって仕方ない。

なのに俺には皆目見当も付かない。

確かに右往左往した発言が多いし、反体制主義なのに体制派寄りの言動も多い。

そこら辺が理由なのかな?

教えて、サイダー好きな人

2016-02-10

NHKアイテックによる2億円横領事件を完全スルーする山本一郎

所詮彼も体制派PVを稼げるAppBankの1億4000万円を巡ってのグダグダに噛み付いて、

こうした巨悪には目をつぶっているのです。

共に信者同士のキッズはてな民が争っているのも滑稽ですね。

報道より)

NHK子会社の「NHKアイテック」の社員2人が不正発注を繰り返し、およそ2億円を着服していたと

2016年2月9日に発表した。2人を懲戒解雇し、上司16人を停職や出勤停止にした。社長役員 5人が辞任を申し出た。

9日ですから、まさにゴシップ記事で言い争っている真っ最中ゴシップが注目を浴びれば浴びるほど、

報道リソースを割かなければならない事案が、闇に埋もれていくのです。

2014-06-02

日雇肉体労働という奴隷天国

大学が忙しくなったので定期的なバイトシフトが組めなくなり、仕方がないので日雇い派遣会社に登録して働く事になったが実に最悪だ。

主にいっているのはコンビニ物流関係の所。

基本的に糞な点を挙げると

1、働いている人間が糞。基本的に怒鳴る、キレる、等でしか人とのコミュニケーションができない人が多い。

 「アレやっといて」「アレってなんでしょうか?」「んなこともわかんねえのかよ!」な感じ。

2、現場に統一されたマニュアルがない。誰かの言うことを聞いて仕事をすると別の誰かが「なんでそのやり方でやってんの!」とかキレる。

 基本日雇い相手なので育てるという発想がなく、牢名主みたいな連中が我が物顔で仕切っている為行き当たりばったりにしかならない

3、それでありながら給料が非常に安い。最低自給な870円とか。しかも余計な人件費使うまいと、早く終わるとその給料分はケチをつけて払わなかったりする。

4、1~3が相まって職場にはものすごい負の空気が漂っている。

今までの週4のテレアポ仕事をつらいと感じていた自分が懐かしい。

コンビニはじめ日本の便利さってこういう奴隷産業が支えているんだとしみじみした。

そんな仕事場に電車賃すら惜しくて自転車で一時間かけて通い、食事に270円の牛丼を食ってると「ああ、俺は本当に奴隷なんだな」と思って涙が出てきて、仕事が終わるとまずくて気持ちが悪くなるのを承知氷結果汁でも飲まずにはいられなくなる。

僕はこの生活期間限定であることがわかっているからまだ耐えられるが、もしずっと続けなければならないとしたら本当に寒気がする。

赤木智弘が「31歳フリーター希望は、戦争」を書いたときに左系の知識人から「それは結局体制派を利するだけの感情論に過ぎない」とか批判されたが

もしこの生活を一生続けざるを得ないとして、その時にレーニンヒトラーでもいいが、このやり場のない憎しみをまとめ上げて指向性を与えてくれる人間がいたら非生産的なのを承知自分はあっさりついていくだろうなとも思う。

さて先日、伊東乾先生村上春樹を「所詮経営の苦しい己のジャズ喫茶赤字黒字を思いつつビールをなめつつ書いた原稿であって、しらふの本気の人間には最初からキャンてなもんで太刀打ちも出来ない」等とdisっていた。

http://togetter.com/li/672828

まあご立派な環境で作ってらっしゃる伊東先生音楽は「あっ前衛的っすね」で済ませとけばいい現世と没交渉な退屈極まりないものだとは思うけど、その一方で「人間の大半を決定する多感な10代20代をどう送ったか」が創作をする人間は非常に重要というのはうなずける点がある。

村上春樹自身がジャズ喫茶経営経験から書いている事だが、絶え間ない肉体労働貧困というもの人間を絶え間なくすり減らしていくものなのだ

奴隷仕事やらせ哲学談義にふけったギリシャ人のように、文学なんてものはそういうのものと離れ余裕を持った人間でもない限り、難しいだろう。

肉体労働から小説家になった西村賢太しろレイモンド・カーヴァーしろ例外中の例外からこそ目立つのだ。

世の肉体労働者が心をすり減らし、アルコール等に逃げざるを得なくなりどうなっていくのかを見たければ山谷なり黄金町なりにいけばいい。

腐るほど日本の成長の為に使い捨てられた先輩奴隷たちの末路を見ることができる。

そして貧困を逃れられた人間でもその憎しみをかつての自分同類に向ける渡邉美樹のような人間もいる。

貧困や苦労が人を立派にする」などと言うのは自分と同じ苦しみを味あわせるためか、苦労を知らず貧困ロマンを持つ馬鹿たわごとに過ぎない。

正確を期するなら「貧困や苦労を抜け、その苦しみを自らが相対化できるだけの余裕を持てたとき、人は立派になることもある」とでもいうべきだろう。

とりあえず、僕はこの生活自分から余裕がなくなり、憎しみをため込んで、嫌な人間になりつつあることを自覚している。

おそらく数年間続ければ自分達最下層奴隷意味なく怒鳴り散らしているベテラン奴隷になるのだろう。

日本社会格差の増大に苦しむという。 そういう人は、電気のない干ばつのアフリカ砂漠の続く酷暑アラビアで、まずほんの短時間にせよ、生きてみたらどうか。 そして飢えに苦しむ人々に自分の食べるパンの半分を割いて与えるという人道の基本を体験したらどうか、ということだ。」とかほざいている金持ちの家に生まれた曽野綾子。おまえは一年くらいここで働いてみろや。

あと人道の基本ってのはお前ら持っている人間が持たざる人間に対して与えることだろうが。

お前みたいに「うちの奴隷はよその奴隷に比べて待遇がいいから耐えろ」とかいうことじゃねえ。

この十年の大学学費の異常な値上がり、不況による仕送りなんかの減少で自分みたいな大学生は多いだろう、というか周りを見回してもたくさんいるし、学費がはらえずに脱落していった人間も多い。

そして窮状を訴えれば団塊だのバブルだので好き勝手やった連中が「甘え」だのと言い、アホな学者は「牛丼福祉」なんぞとほざき、弱者の味方のはずの左翼のみなさんは「脱成長」だのイデオロギーありきな「脱原発」なんぞにかまけててこっちを見ない。

ほんと、どうにもならねえよ糞ッタレ。

とりあえずこれからツタヤで100円で借りたアメドラの「スパルタクス」で奴隷が蜂起して主人達を皆殺しにするシーンでも見ることにする。

と金がないっていう事について非常に参考になるまとめをはっとく。

底辺から這い上がって語る貧乏 都会とカップラーメン

http://togetter.com/li/304874

追記

分かりにくかった所などをいくつか修正しました。

さらに追記

こんな駄目大学生が書いた文章を多くの方に読んでいただき恐縮です。

あとブコメnetcraftさんという方のお名前が出ていましたが、その方と僕とは関係がありません。

迷惑が掛からないようにここに記しておきます

さてこの文章を書いた意味、と言うようなものは正直特にありません。

本来なら「不況なのにシャレにならないレベルで上がった学費をどうにかしてほしい。お金持ちでない家の大学生でもある程度勉強に専心させてください。世間に対して影響力のある人が現在若者の状況をろくに調べないで自分脳内のみで考えた若者像で批判ですらない中傷をしないでください。」等と書くべきなのかもしれません。

ですが残念ながらこういった状況を改善しようとする意見が、自己責任だの甘えだのといった安い言葉で個人の内面の問題に矮小化され冷笑されるのをずっと見てきましたので今更そんな事を言おうとも思いません。

書いた事に意味がなくとも理由があるとすれば「主人の見ていないところで文句をたれる」という奴隷にも残された自由でストレスを解消したことと、これから大学生になろうとする人に家がお金持ちでなければ、学費学部の選択や就活等によってこのような事態は容易に起きるという事を知ってもらえればということくらいです。

僕は自分が今している仕事奴隷であり、心底糞だと思っていますが、所詮期間限定であり、ずっとこのような環境で働き続けて消耗し、抜け出そうという気力すらなくしてしまった人々のつらさには比ぶべきもありません(まあ脱落して戻ってくるかもしれませんが)。

ただ現状こういった労働は「無敵の人」を大量生産する工場として機能し始めていますし、その問題を社会問題として対策をとるのではなく個人の問題として切り捨ててきた以上、ツケは社会全体に回ってくるとは思います

兎にも角にも読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。

蛇足に好きなマンガに出てきた救いのない台詞を書いて〆にします。

「お前らは暴力でこの地を奪った。オレ達はお前ら以上の暴力でこの地を奪う。まさか文句はあるめぇな。」

2013-12-13

釣り師の品格

ぼくらは釣りが大好きだ。釣りがあるからこのストレス社会の中でも生きていける。でもぼくは思う。食べ放題ルールがあるのと同じように釣りにもルールがあるのではないかと。釣り師が守るべき規範について書いてみたい。

誹謗中傷しない

釣り師とは紳士でなければならない。当然誰かを傷つけるようなことをしてはならない。ときには批判することも大事だ。釣りには鋭さも必要からだ。しかしそれは相手を傷つけることとは違う。ぼくらがしなくてはならないのは相手の不正を暴きだすことなのだ。

汚い言葉を使わない

勢いに任せた汚い言葉を用いた文体で注目を集めるやりかたがある。たしかにこれは効果的だが、一流の釣り師ではない。一流の釣り師とは穏やかで風のように過ぎ去っていく存在なのだ。軽やかに、颯爽と。

難解なことばを使わない

低学歴学歴コンプレックスを煽る手法として難解な文体を突きつけるというやりかたがある。しかしこれはあまり効果的とは言えない。そもそも釣れない可能性が高いし、釣れたところで相手を疲弊させてしまうだけだ。それでは釣りをやる意味がない。釣りとはみなが幸せになるためのものなのだ高校偏差値を見てみてほしい。http://kintaro.boy.jp/AW04-010/sozai/html/zenkoku%20kouritu.html これだけの高校があってまだこの表には偏差値67までしか載ってない。はてなーなら偏差値70以上が普通だと思うが、ぼくらは偏差値70に向けて釣りをするべきではない。当然偏差値50に向けてやるべきなのだ小学生を相手にするように。優しく幼児おでこをなでるように。

必要レトリックを使わない

皮肉を書いてもそれが皮肉と受け取られなければ意味がない。世の中には漫画雑誌以外の本を1年間に10冊も読まない人たちがたくさんいる。そのことを考えてみるべきなのだ文体はなるべく曖昧な語を使わず詩的な表現を避け簡潔に書く必要がある。フォークナー的ではなくヘミングウェイ的に書けということなのだ。

情報を込めすぎない

突っ込みどころをあらかじめ用意しておくというやり方がある。たしかにそれはとても効果的だ。しかしやりすぎると逆効果になる。突っ込みどころが多すぎてどこから突っ込んでいいかからず、めんどくさくなってスルーしてしまう可能性が出てくるからだ。突っ込みどころはひとつかふたつに絞っておこう(当然ほかの部分はもっともらしく書く必要がある)。そうすれば読者は素早く突っ込みどころに反応し、素早く突っ込んでくれるだろう。相手に対するいたわりの気持ち。紳士なら持っておきたいものである

釣りだと明示しない

これは最低限にして最大のマナーなのだ。後釣り宣言する人がたまにいるが、これは読者との信頼関係を裏切るもので最悪のものだ。読者はそれが釣り(=フィクション)だと知らなければ幸せになれたのかもしれない。それならば紳士が選ぶ選択肢ひとつしかない。釣り師は読者の幸せをつねに考えておくべきものだ。当然、釣り宣言などしてはいけないのである

人々の認知に変革をうながす

釣り師は嘘におりまぜてほんの少しの真実をほのめかしておく。それはほとんど嘘か真実かわからないくらい混濁した状況を指し示すものだが、硬直した現実を解き放つべく生まれた進化の裂け目でもあるのだ。釣り師は人々に「気づき」をうながす。釣りとは啓蒙活動なのである

権力批判をする

釣り師は体制派に属してはいけない。釣りはいつもアナーキーで魔術的でなければならない。ぼくらは権力者掣肘する道化であり賢者なのである

人々を笑顔にする

釣りというフィクションを読んで、釣られた読者は心を動かされるかもしれない。そのときこの感情の動きにともなう経験はまさに現実経験であり、そのときフィクションノンフィクション転移しているのである。すぐれた文学作品は登場人物の経験したことを読者にまさにそこにいたかのように追体験させるが、それはフィクションのなかにノンフィクションが含まれるからである釣りのなかに現実が含まれる。そしてこの釣り現実のなかで人々は大いに笑うのである

2013-06-25

あるNPOの内紛

もう五年くらい前のことになる。

私が所属していたNPOで内紛が起こった。

幾人かが辞めたり、幾人かが病んだりした。

理事も全取っ替えになったし、関係団体にも迷惑をかけた。

やっとそのNPOが平静を取り戻したので、備忘用に書き留めたい。


ことの発端は、2004年くらいになるだろうか。

当時の理事長河西(仮名)がNPOとは別に勤めていた企業Aが業績の低迷が導火線となり当時の社長ワンさん(仮名)が取締役会かそんな会で他の役員から解任要求をされるという事になった。以前もそんなことあったそうだが、ワンさんの手腕で売り上げを伸ばして撤回させたんだろう。今回は、そうはいかなかった。業績は思ったように上がらなかった。ワンさんは、社長としてまだまだ続投の意思マンマンだったようで裏金情報操作を駆使し無理やり社長に居座った。

この歪がとあるNPOの内紛の序章になるとは、、、、

そんな歪みがあり、当時の理事長河西は、親ワンさん体制派から反ワンさん体制になったことと業績が伸び悩む企業Aに嫌気が差し転職をした。

企業Aにいる頃の河西は、NPOによく顔を出していてNPOメンバーとも仲が良かったのだが、転職してからは頗るほど活動には参加しなくなった。

河西は、ワンさんの情報操作の1つであるメディア圧力の余波を受けた。

ワンさん側のやり方は、記者を使って反ワンさん体制取締役たちの怠慢を書いて記事にしてしまうよって圧力であったようだ。

反ワンさん体制も黙っておらず、目には目をメディアにはメディアをということで、親ワンさん体制派のぁゃしぃ部分を記者に垂れ込んだ。

河西は、企業Aをやめたことで親ワンさん体制派から反ワンさん体制ともども記者達の格好の的となった。

河西からワンさんの臭いところなどが洗い出された。もちろん河西以外にも吐いた人間は沢山いるだろうが登場人物を少なくするため割愛する。

そんな中、とある記者から河西宛に企業Aが河西が理事をするNPOを巧みに使って悪さをしているのではないかといった質問状が届いたそうな。

河西は、それを当時のNPO理事たちや理事候補達に話し、対策を練ったようだ。

対策としては、理事たちとの情報共有ということで特に何もしなかったし、他の理事NPOとは関係のない話なので取り合いもしなかった。

河西は、馬鹿みたいにこのままではNPOが潰れると理事に熱弁していた。関係ないのに。

企業AをNPO生命線のような経営をしていたためそんなことを言ったんだろう。関係ないのに。

河西は、このこともあってワンさんが人間的に嫌いになった。

ここで企業Aの元社員というだけなのに、ワンさんの攻撃を開始したのだった。関係ないのに。

ここで企業Aに勤める社員で、NPOで河西と理事をしている牧野(仮名)を登場させる。

牧野は、凡庸人間で与えられた仕事は、1/10くらいして完了した気になる人だ。また小物特有自尊心プライドが強い人間でもある。

牧野は、人間としてオワコンであり、その業界からも干されそうなくらい何も出来ない人間だ。

2013-01-18

http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20130115/1358256185

まおゆうガンダムを踏まえて、より先へ行こうとした部分

 ガンダムシリーズはそのほとんどが、最終話においては「明日がやってくる、希望を持って生きよう」という方向性収束する。

逆襲のシャアで、アムロは「貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類絶望もしちゃいない!」と言う。それは「明日からやってくる日々の中で毎日努力してすこしずつよくしていけばいいじゃないか」ということを言っているのだ。これは、まおゆうにおいて魔王が言う「一緒に行ければ、どんなことでも乗り越えられるさ。それに何が起きたって幸せだけは約束できる。丘の向こうには、きっと“明日”があるんだから」と、努力方向性として、ほぼ同一だ。

 逆襲のシャアにおけるシャアというのは、急進的改革派なわけだ。現在絶望してテロに訴えてでも世界を変革しようとした。

 まおゆうにおける最終的な敵対概念は、守旧というか停止主義だ。既得権益をまもるために世界を静止させようとした。

 これらにたいして、アムロ勇者魔王毎日の改良によって徐々に変革をなすべきだという主張をとなえる。ゆっくりでも、一歩ずつ、悪いところを直しながら明日へ進んでいけばいい。そういう主張だ。両者はその点において同じ側に立っている。

 逆襲のシャアは素晴らしい作品だけど、あえて疵を探すとするならば、アムロの主張を実行できるかどうかに、疑義があることがあげられる。

 これは主観も入るので、視聴者全員に「そうだったでしょ」と決めつけられる話ではないのだが、アムロのなかに、その主義を唱えるのとはまったく逆の個人的バックボーンも見え隠れするのだ。

 アムロは「人類絶望もしちゃいない!」と叫ぶわけだが、彼は一年戦争で心を通わせた少女をうしない、英雄として戦争終結に貢献したにもかかわらず戦後体制派に飼い殺されていた過去がある。事実、その後、反体制派武装組織に協力している。彼は十分以上に絶望するような人生は歩んできているのである

 もちろん、それは悪いストーリーではない。彼が不遇を託っていたからこそ、アムロ叫びは読者の胸を打つ。自らの絶望から立ち上がったからこそ「人類絶望もしちゃいない!」と叫ぶ彼は雄々しく、格好良い。その意味では、キラヤマトの「それでも守りたい世界があるんだ!」も、ほぼ同一の文脈だ。

 もっといってしまえば、まおゆう勇者も確実に同じ文脈だろう。

 英雄として世界を救うもにもかかわらず迫害を受け、絶望しかけるが、個人的な繋がりや精神的克己によって立ち上がり、人々を救うために奔走する。

 「この絶望の中にあって明日を信じられますか?」という問いにたいして、アムロ勇者は「信じられる!」と叫ぶ。それは、彼らが彼らの魂を担保として叫ぶわけだ。その強い輝きによって闇を飛び越える。

 これらはストーリーとしてはよくできているが、じゃあ、それが、読者である我々にも適用できるか? といわれると返す言葉に困る。つまり、我々があの種の絶望におとされたあと、再び立ち上がって「人類絶望もしちゃいない!」と叫べる保証はどこにあるのか? という点だ。「この絶望の中にあって明日を信じられますか?」という問いにたいして、逆襲のシャアは「アムロなら叫ぶね」と答える。そして、現場にいた兵士サイコフレームで思いが伝わった結果命を捨ててそれに賛成する。

 この構図が、 id:Gaius_Petronius が批評したところの「英雄譚」であり、「英雄譚の限界なのだ

 アムロは立ち上がり叫んだが、我々が同じ事を出来るとは限らない。というか、出来るようには思えない。サイコフレームの光があれば特攻くらいは出来る気がするが。

 これにたいして、まおゆうは別の答えを読者に提供しようとする。それは歴史的な視点だ。

 読者は現代日本に住んでいる。色々問題があるし、苦しみもある。でも、500年前とくらべてみれば明らかに恵まれている。みんなご飯をそこそこちゃんと食べている。電気が通っている。暖房冷房もある。乳幼児死亡率は極限にまでへらされた。風邪即死意味する病ではなくなった。なんとネットにまで繋がってる。それどころか個人用の通信機器をみんなが持っている。これら視点で見れば、現在は、過去よりも、確実に具体的により良くなっている。もちろん大きな戦争エネルギー問題もある。が、飢え死にばかりしてた頃に比べて、漸進していることは確実だ(この認識にぐだぐだ文句をつけてる人間中国アフリカ奥地に移住した例を知らない)。

 その視点提供した上で、魔王は「この絶望の中にあって明日を信じられますか?」という問に答える。

 「信じられる。だってそれは歴史を見れば明らかだ。人間は愚かかもしれないし、間違いを沢山起こすが、それでもここまでやってきた。この先にいけないはずがない」と。

 この具体性や説得力は、アムロにもキラヤマトにもなかったものだ。

 主人公個人の精神的高潔さや勇敢さに仮託をせずに、読者にも実行可能なやり方で「英雄を超克」させてくれる物語上のギミックだ。

(この部分の指摘が、「物語三昧」には欠けているようにおもわれる)


 まおゆう提供する「丘の向こう」というのは「戦争が起こらないSF処方箋」でも「近代に続く血みどろの道」でもない。

 「丘の頂上に立ったとき見られる向こうの景色明日」と対になるようにしてあらわれる、「丘の頂上に立ったとき見られる歩いてきた景色歴史」であり、未来過去の両方をあわせた視界だ。読者に提供される「丘の向こう」というのは、この視界であって、それ以上でも、以下でもない。そしてこの視界は、英雄の苦難や高潔をもたないでも、誰にでも(それこそWikiを検索する程度の労力で)手に入る。

 まおゆうガンダムを踏まえて、より先へ行こうとした部分があるとすればここだし、物語の類型を一歩進めた部分も、まさにここにある。

2013-01-14

ヤクザ暴走族日本から無くすにはどうするのが最善なの?

社会害悪なのに必要悪だとか言われてる似非反社会体制派

その実は暴力殺人強姦在日強盗密売買収工作

何のメリットもないし、残す理由も皆無。

でも何故か無くならないし不思議

2012-12-16

ようこそ表現規制世界

よっしゃー!

これで晴れて創作アンダーグラウンドな活動になるぜ!

創作活動を続ける奴は皆反体制派になるぜ!

しか体制派の中にはオタクもいる!

というかオタクの中に体制派が多い!

魔女狩りが始まるぜー!

2011-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20110819155320

それ右翼左翼とあんま変わってない

実態は体制派じゃないし反社会集団でもないよなあ

2011-02-03

なぜアラブ革命精神を恐れるのか? スラヴォイ・ジジェク

http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/feb/01/egypt-tunisia-revoltを和訳しました

なぜアラブ革命精神を恐れるのか?

チュニジアエジプトにおける叛乱では、イスラム原理主義の姿をまったく見かけない。これは注目すべきことだ。民主主義というもっとも非宗教的な伝統にのっとって、エジプトの民衆は、抑圧的な体制や体制の腐敗、そして貧困に対して叛乱をおこしたのだ。そして、自由と経済的な見通しを求めたのである。「アラブ諸国にあっては真の民主主義的センスは少数のリベラルエリートのみに存在し、それ以外の膨大な数の大衆は、宗教原理主義か、さもなければナショナリズムによって動員されるだけである」という西洋リベラル派が持つシニカルな知見は間違っていると証明されたのだ。しかし、大きな疑問は残る。次に何がおこるのか?政治的な勝利者として、誰が登場するのか?

チュニスにおいて臨時政府が成立したとき、臨時政府イスラム主義者と急進派左翼を排除した。これに対する独善リベラルの反応はこうだ。「よくやった。奴らは基本的に同類なんだよ」。同類、すなわち両者とも極端な全体主義者だということだ。しかし、それほど単純なものだろうか?イスラム主義者左翼との間には長年にわたる反目が存在しているが、それは存在しなかったとでも言うのか?もし仮にイスラム主義者左翼が体制に対抗して一時的にせよ団結したとすれば、彼らはひとまず勝利するだろう。しかしその団結はすぐに元通りに分裂し、彼らは死闘に身を投じて、より残虐に振舞うのだ。

去年のイラン大統領選で、我々は今回のような戦いを目の当たりにしなかっただろうか?ムサーヴィーを支持して立ち上がった何十万の人々は、自由と正義を掲げたホメイニ革命はま継続であるという人々の夢を表していたのだ。たとえその夢が非現実的なものであったとしても、それは政治的・社会的構想力の息をのむような爆発や経験組織化、そして学生と一般市民との間の討論を導いたのだ。こうした社会を変容せしめる法外な力の解放のはじまりは、体制派イスラム主義者が統治権を奪ったことで、次第に抑えつけられていった。

原理主義者による運動だと明らかな場合でも、その運動社会的構成を見落とさないように注意すべきだ。タリバン普通テロにより支配を押し付け原理主義イスラム主義者の集団だと表現される。しかし、2009年の春、タリバンパキスタンスワット渓谷を占領していたころ、ニューヨーク・タイムズタリバンが「富めるわずかな地主とその小作人たちとの間に広がる深い亀裂につけ込んだ階級闘争」を工作したと報じた。タリバンは、農家の困窮という「アドヴァンテージを得て」、ニューヨーク・タイムズが言うように「広範にわたる封建制を温存するパキスタンに対し危機を警告した」のかもしれない。もしそうだとするのなら、パキスタンアメリカリベラル民主主義者が同じように困窮という「アドヴァンテージを得て」、小作農を助けようとしないのはなぜなのだろうか?パキスタンにおける封建的勢力こそが、リベラルデモクラシーにうってつけの同盟相手ということなのだろうか?

これらから導かれる当然の結論は、次のようなものだ。すなわち、急進派イスラム主義者の台頭は、イスラム教国における世俗的左翼の消滅と常に関係がある。アフガニスタンは今は強固なイスラム原理主義の国と考えられている。しかし、40年前のアフガニスタンは強固な非宗教伝統に則った国だったのであり、ソ連とは無関係に、独自に共産党が力を持っていたのだということを、誰か憶えているだろうか?そして、こうした宗教伝統はどこへ行ってしまったのだろうか?

こうした背景をふまえたうえで、チュニジアエジプト(そしてイエメン、さらにはきっとサウジアラビアでも)で進行中の出来事を読み解くことが重要だ。もし現在の状況が、旧体制にリベラル風の彩りを付け加えるだけに終わり、結局は旧体制を生き残らせ、安定させてしまうとしたら、原理主義者による逃げ場のない反撃を生み出すことになるだろう。リベラルという遺産を生き残らせるためには、リベラル派は急進派左翼からの支援を必要とするのである。話をエジプトにもどすと、今回の件で最も破廉恥かつ危険なまでに日和見主義的な反応を見せたのは、CNNの中継放送に登場したトニー・ブレアだった。「変化は必要ですしかし、それは着実な変化であるべきなのです」。今日エジプトにおいて、着実な変化とは、政府中枢の人数枠をわずかに増やすという目的にもとづいて、ムバラク勢力との妥協を図るということを意味するだけなのだ。このようなわけで、エジプト平和的推移という語りは、鼻持ちならないのである。敵対者を押しつぶすことによって、ムバラクは自身に敵対することを不可能にする。抵抗する市民に対してムバラク軍隊派遣して以降、選択肢は明確になった。ほとんど何の変化もない中でのわずかな変化という見掛け倒しの変化か、真の破壊か。

ここが正念場なのだ。10年前のアルジェリアでは、自由選挙の容認によって権力イスラム原理主義勢力へも平等に分配されたが、今回もそうなるというわけではない。もしムバラクが去った場合、体制を引き継ぐことができる組織的な政治勢力が存在しない、というのが、リベラルの一方の心配の種だ。もちろん、そんな政治勢力は存在しない。ムバラクは、つまらないことに対する反対意見であっても、反対意見であればすべてを却下することを通して、そうした政治勢力を始末してきたのだ。その結末は、アガサ・クリスティの著名な小説タイトル、「そして誰もいなくなった」を思わせる。ムバラク自身やその混沌した政治をめぐる議論は、ムバラクに敵対する議論なのだ。

西洋リベラル派の偽善には仰天させられる。彼らは公然と民主主義を支援してきたのだが宗教のためではなく、非宗教的な自由と正義のために人々が暴君に対し叛乱をおこすと、彼らは深く懸念を示したのだ。なぜ懸念するのか。なぜこの自由のチャンスが与えられたことを喜ばないのだろうか?今日、これまで以上に毛沢東の古きモットーが適切だ。「天の下に混沌、絶好の機会」(訳注)。

さて、ムバラクはどこへ向かうべきか。答えは明白だ。ハーグへ向かうがよい。ハーグ国際司法裁判所に着席するにふさわしい人物がいるとしたら、それはムバラクその人なのだ。

訳注毛沢東のモットーについてはhttp://bit.ly/eSBrn9を参照。

2009-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20090913224105

昔の自民主流派の経世会民主中枢にいること考えたら左右が逆になったというよりも昔の体制派政権奪還しただけなんじゃないかと。若者は何が何でも反体制というより経世会的なのが嫌いって事と思う。

2009-06-28

日米同盟は半世紀続いたが。。。。

改定ビジョンがないままに現実が突き進む

▲無言のまま安保条約の質が変わっている

 

日米安保条約改定をめぐって60年に全学連などのデモが吹き荒れ岸内閣が退陣にいたった。あれから半世紀になる。

これほど長期に緊密な同盟が存続した例は世界史でも珍しい。

60年アンポ反対運動攘夷的な国民ムードが背景にあり、当時のシチュエーション反米だった。運動に参加した殆どの人は条約を精密に読んでいなかった。ゼンガクレンは情念と正義感で動いた

70年アンポは前年までに反戦運動が下火となり、赤軍派三島事件という両極の政治事件で終わった。この間、高度経済成長東京五輪によりナショナリズムは体制側に収奪された。

爾来、日米安保条約自動延長が継続され、80年アンポは政治争乱もなく、むしろフォード大統領らを招いた日米シンポジウム東京で開催された。筆者は当該シンポジウム広報担当だったため会場のホテルに一週間ほど泊まり込んだ。中川一郎、末次一郎氏らと夜遅くまで懇談した。駐日米国大使マンスフィールドだった。不思議に親和力をもった人だった。

やがて政治の季節は去り、全学連政治各派は分裂を繰り返し、左翼は「サヨク」になり、過激派三島由紀夫割腹に衝撃を受け、一部は転向し、体制派はすっかり米国執事のごとくになった。その後、国際情勢の緊張とともに防衛論議は本格化したが、「日米安保はこれからどうなる」という肝腎の議論がない。

ところが日米安保条約は無言のうちに運用が変質し事実上、改編されている。「条約」ではない、これは「同盟」である。

たとえば事前協議対象とされるのに、沖縄海兵隊横須賀空母日本に相談なくイラクなどの戦場へ出て行った。集団安全保障議論も海外派兵議論も沸騰しないまま自衛隊は「国際貢献」と言われてカンボジアイラクモザンビークゴラン高原、そしてソマリアへ出動している。日本ではなく米国勝手解釈を変えているのだ。

日本の頭越しにG2の時代、日米安保体制は一方で空洞化

しかし日本国内の防衛議論は専門的に走り過ぎ、国民から遊離している。マニアックは兵器の性能を論じたり、次世代航空機を論じたり。しかし法の改正という議論には滅多にお目にかかれない。

歴史開闢以来、同盟が半世紀以上つづいた例はきわめて少ない。例外は英米同盟くらいだろう。日英同盟は短命だったし、日ソ不可侵条約はもっと短命だった。

しかし確実にくる宿命がある。それはいずれ日米同盟が終わりを迎えるという確固たる近未来シナリオである。なぜなら東西冷戦が終わってソ連が崩壊し十五に分裂し、ユーゴは連邦が瓦解して六つの国にばらけ、NATOは反ソ軍事同盟から性格を変えて東方に拡大してイランを囲み、東側は上海シックス(中ロ+中央アジア四カ国)に収斂された。そして昨日の敵は今日の友、日本の頭越しに米中のG2時代がやってきた。

米軍グアム以東へ防衛戦を下げ、北朝鮮核実験には曖昧な態度で終始し、拉致問題を含めて日本の期待を裏切るかたちとなった。台湾海峡中国海軍が扼することになれば米空母の防衛力が劇的に減殺される。日本尖閣諸島は危機に瀕し、やがては沖縄をめぐる日中の攻防も予測される。

しかしワシントンから見ると経済の凋落と軍事力の衰退は現実であり、従来の米韓、米日、米印、米豪の安保体制を維持するものの、日本の防衛貢献が足りないという認識である。今後、いかに改編すべきか、日米同盟半世紀を閲して本格的議論が始まるだろう。

終局的に日本目標自尊、自衛、自立でなければならないのだが。。。

2009-03-07

Re:ダルフール紛争日本にも問われている理由

 標記のダールフール関連記事を読ませて頂きました。

 きちんと過去ログを追ってはいませんが、ダールフール危機関連の記事を精力的に拾い上げていらっしゃることに敬服しています。事実、今回の記事を目にしなければ、私はご紹介されたNYTやFTの記事その他を読むことはなかったでしょう。

 しかし、ご多忙のせいでしょうが、訳し急ぎのご様子がそこここに見られるように思われますし、それをもとにしたご論旨もいささか明瞭でない部分もあるように思われます。一読して感じた違和感を整理するため、増田からですみませんが、記事を起してみました。

 まず、FT記事の「展望」の紹介の仕方にやや違和感があります。その部分(''What happens next ... in exchange for surrendering Mr Bashir'')を私が要約するなら、構造は以下のように取ります(重要と考えるところを< >で囲って強調します)。

イ.(逮捕状を出した結果、)何が起こるかははっきりしない。

ロ.最も楽観的なシナリオは、体制内プラグマティストが政変を起こし、和平交渉へ向かうこと。

ハ.しかし、ICCの法的決定の<政治的帰結>がそううまくいくとしたら奇跡

ニ.<第一の理由>は、逮捕がすぐに実現しそうにないから。

ホ.<第二の理由>は、バシールが<全てを統べる>独裁者ではないから。つまり、正義が追求されるなら、体制内のバシール以外で責を負うべき者も起訴されねばならないから。

 特段の予備知識のない私の単純な読みを述べますと、ここでFTは、楽観的なシナリオに釘をさしています。ICC逮捕状は、国際的に正義を追求するというメッセージだが、その原則は、罪に関与した体制派をより広く射程におさめるものであるため、内部からの変革をためらわせるのではないか、ということです。つまり、はっきりと言いきってはいませんが、正義と和平を天秤にかけています。

 一方、前回ご紹介のクリストフ記者によれば、両者はトレードオフ関係にはないとされます(''I think Graham is wrong that that's the trade-off, and I agree with Tutu that there won’t be peace until there is an element of justice.'' この部分の紹介はより原文に沿った形にしてもよいのではないかと思います)。彼は基本的にICCの決定を肯定的に見ているようです。

 続く文章を読んだ限り、ブログ主様はFT寄りのように見えますが、このあたりを「微妙に異なっている」等々とぼやかす必要はあるのでしょうか。

 また、この問題に関しては、国務大臣民兵指導者それぞれ一名に対し、2007年4月の段階で、ICCから既に逮捕状が出ていることも留意されるべきではないかと思います。

 次の論点、悲観的なシナリオスーダン南北の内戦再点火に移ります。「クリストフ記者の洞察が重要」とのことですが、どの部分かやや不明確なように思います。

 彼は、包括的和平合意は既に著しく不安定となっているのであり、逮捕状がその流れを悪化させるとは見ていません。そして、南部は独立に向かっているが、石油資源喪失を阻止するため、北部は戦う(''fight'')だろう、と前回ご紹介の記事で述べています。その一方で、逮捕状は戦いを抑止する効果を持つだろうとも述べています(''there’s vast uncertainty about the CPA, but I don’t think there’s any reason to think that an arrest warrant for Bashir worsens the trajectory. Right now, the South is headed for independence in 2011, and the North will fight to prevent that because the South has oil. Frankly, an arrest warrant may make it less likely that Khartoum will fight (or make it less able to fight), perhaps averting a resumption in the north-south war.'')。つまり、南北の火種は非常に大きいが、逮捕状にはある程度の抑止効果があるという見解のようです。

 文章を拝見した限り、ブログ主様は、「南北問題は再燃する可能性」を重視していらっしゃるように見えます。

 

 この再燃を促すかもしれない逮捕状、その火種の大きさという前提に立って、ブログ主様は、その逮捕状を出した「ICCを支える諸国」の責任へと言及されています。そこの論旨には基本的に賛成なのですが、いくばくかの違和感を感じますので、述べてみます。

 まず、FTの訳について、一文だけ、こなれているようには見えないので、不出来ですが拙訳を出します。

もしICCがこの件でへまをやり、スーダンが崩壊していくのを世界が傍観するようなことになったなら、水曜日の決定は、人権の勝利では全くなかったことになるというリスクがあるのです。

(''For if the ICC bungles this case, and the world stands by as Sudan crumbles, there is a risk that Wednesday’s decision will prove no triumph for human rights.'')

 スーダンでは確かに人権が蹂躙されてきました。とはいえ、人権が完全に空文化することはないでしょうし、ICC加盟国<だけ>の責務でもないでしょう。

 お示しの地図にあるように、スーダンICC加盟国ではありません。それなのに、どうしてICC逮捕状を発行したのでしょうか。それは、<国連安保理>がICCに付託したからです。つまり、今回の逮捕状の件について、「ICCを支える諸国」に安保理常任理事国が「含まれていない」とされることには賛同できません。

 もちろん、「ICCを支える諸国」の責任の重さは言うまでもないでしょうし、「日本に問われている部分も大きいはずだ」という結論に異議はありません。

 最後に、このような問題について紹介の労を取って下さったことに改めて感謝します。

不勉強増田より、乱文乱筆失礼しました。

<参考URL

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/03/post-0f1e.html

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/03/post-1cfc.html

http://www.ft.com/cms/s/0/52a9c366-08f1-11de-b8b0-0000779fd2ac.html?nclick_check=1

http://kristof.blogs.nytimes.com/2009/03/04/answering-your-darfur-questions/

http://www.icc-cpi.int/NR/exeres/0EF62173-05ED-403A-80C8-F15EE1D25BB3.htm

http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/7924195.stm

http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/3496731.stm

http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/7039360.stm

http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/7887007.stm

http://www.mofa-irc.go.jp/link/kikan_info/icc-c.htm

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol8/index.html

http://www.hrw.org/ar/news/2008/07/14/icc

http://uuair.lib.utsunomiya-u.ac.jp/dspace/bitstream/10241/6368/1/kokusai26-003.pdf

2009-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20090225102539

ネット右翼反体制になる日

民主党政権が成立したとき、ネット右翼がついにまごうことなき反体制となる。

今までも「彼らは別に体制派ではない、反マスコミ、反リベラル、反左派である」

という話はさんざんしてきたわけだが、

どうもわかってない人がいるようなので念を押しておく。

彼らは民主党政権成立後、今更民主党を支持できるわけがなく、反体制になる。

そしてネット右翼から見れば、朝日や毎日などの左派とされるマスコミ

そして左派も同時に体制派となる。

俺はそのときのマスコミネット右翼自身、そして左派の皆様方の反応が楽しみでならない。

2007-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20070512125338

鳥肌実右翼なんじゃなくて右翼左翼もバカにしてネタ化する芸人だ。むしろ両方を(あと一部宗教も)敵に回す存在

共産主義/社会主義は「現行の国家体制打倒を狙う」から左翼

本当なら「今の体制に反対する勢力=左翼」「今の体制を維持する勢力=右翼」なんだけど、日本の場合は「戦前の体制に戻りたい勢力=右翼」なものだから右翼意味が本来と異なってくる。すると当然、それに敵対する勢力という意味での「左翼」が示す範囲も違う。自称左翼は現体制派右翼と呼ぶし自称右翼は現体制派左翼と呼ぶ、みたいな。

お互いに違う範囲を同じ名前で呼ぶから混乱するんだよね。最初から「共産主義者」とか「復古主義者」とか呼べばもう少し明確になると思うんだけど。

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