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2021-11-21

anond:20211121113741

マイクスピーカーで逆位相アクティブノイズキャンセラーをつくればいいのでは?

カーテンを厚くするだけで幾分改善したりしないでしょうか。

2021-11-16

私がフェミニズムという宗教から抜け出せた理由

脱コルや反ワクチンのように怪しいものから抜け出した体験談を語るとみんなから褒めてもらえると聞いたので私の体験を書く。

むかしシドニィ・シェルダンの人が書いた小説でこんな話があった。たしか時間の砂」か「星の輝き」のどちらかだったはずだ。

あるところに二人の姉妹がいた。最初お姉さんはブスだけど心優しい女性だった。妹は美人で誰からも愛されてた。

最初姉妹は仲良かったが、姉は何をやってもかわいい妹と比べられた。何をやっても妹は愛された。努力して何でも妹より良くできるようになったが、結局愛されるのは妹だけだった。

そんな姉の唯一の自慢は歌うことだった。歌を歌っているときだけは家族も褒めてくれた。何もかも忘れて歌うことが一番楽しい時間だった。あるとき、妹が勝手に姉の録音をテレビ局に送ったらプロデューサー家族のもとにスカウトにやってきた。そのとき何も知らないプロデューサーは見目麗しい妹が声の持ち主だと思って熱烈にスカウトした。テレビ番組デビューまで持ちかけた。しかし、その声の持ち主が姉だとわかると途端に手のひらを返し、「声優事務所にでもいけ」と冷たくあしらい、なおも妹をスカウトしようとした。

唯一の心の支えだった歌すらも自分を苛むようになった姉は絶望し、すべての執着を捨てようと厳格に清貧生活を求めるキリスト教教会に入った。その修道会で数年は平穏な日々を過ごしていた。しかし、ある時事件に巻き込まれ男を知った彼女は、押さえつけていた欲望を取り戻す。そして、自分がすべてを諦めるきっかけになったあのときのことを深く恨んでいたことに気づく。その後はキリスト教という正義を元にやりたい放題するようになる。あのとき自分否定したものを逆に否定し、自分のほうが正しいと証明しようとする。

見た目に反して心は美しいと語られていた彼女だったが、最後には自分に逆らうものは見境なしに攻撃するような、見た目にふさわしいおぞましい怪物になってしまったのである

子供の頃この小説を読んだとき私は怖くて仕方なかった。私にも可愛い妹がいて、コンプレックスを感じていたから、将来こんななってしまうのかと思うと涙が止まらなかった。






今の社会では女性は誰かから愛されてようやく一人前という扱いをされがちだ。男性でなくてもいい、だれかから愛されないと人間失格のような扱いを受ける。

そういう状況で、自分は愛されないのに自分の妹がアイドルのように美人であり、妹だけが家族からも周りからも愛されているのを毎日のように見せられる生活を考えてみてほしい。

毎日のように自己否定され続けた人間はいったいどうやって自己肯定すればよかったのだろう。

これは私だけの話をしているのではない。普遍的テーマだ。ファイアパンチの作者も少し位相を変えて妹の姉という作品を描いた。

かに美人友達嫉妬するブスのマンガtwitterしょっちゅうバズっている。ああいものに「痛いほどわかる」などと軽い気持ち共感する女が私は大嫌いだ。本当にわかるならそんな軽い気持ち共感などできるはずがない。私はそういう漫画賞賛されているのを見るたびに怒りで震えそうになる。

妹のことは好きなのだ。妹を憎んでるわけではないし、憎んでも解決しない。しかしそれならこの劣等感はどうやって解消すればいいのだろう。


答えは決まっている。フェミニズムだ。


こんな劣等感を感じさせる社会が間違っているのだからそれを打倒するしかない。ルッキズム批判したり、若くてきれいな女を好む男社会すべてを否定するのだ。買春している政治家などこの世で最も許せない存在だ。妹への愛情と妹へのコンプレックスという矛盾を解消するには、社会を打倒するしかない。それができないならキリスト教にでもはいって神の元の平等を願うしかない。大抵の人間フェミニズムを選ぶ。

一歩踏み出せばあとは簡単だ。自分は妹より美しくないというだけで否定されてきたのだから自分よりキモい存在市民権をえていることなど許せるわけがない。私の願いは、表面的には全ては自分否定した男社会への復讐であるが、本心は「私も妹のように美しく生まれたかった。自信を持ちたかった」である。そのために努力しても報われなかったのに、なんの努力もせずキモい姿を晒しながらヘラヘラしてる連中が許せるわけがない。

リベラルフェミニズム自分に自信がある女性自分能力に見合った評価を得たいとする真っ当な社会運動だ。しかしこの形のフェミニズムは私を救わなかった。私が求めていたのは男女平等ではない。私自身が男中心社会コンプレックスを抱かずに自身を持って過ごせることだった。

一方でラディカルフミニズムは「美しく生まれることがなかった女性」たちのコンプレックスを解消してくれた。全ては男が悪いのである。こんなに簡単自分を救ってくれる思想が他にあっただろうか。ラディカルフミニズムを唱え、男を攻撃しているときだけ、私は私のコンプレックスから解放された。

男性に限らず、コンプレックスを感じたことのない女性も、ラディカルフミニズムにのめり込む私をバカにするだろう。私だって頭の片隅では何かがおかしいとわかっている。しかし他にどうすればよかったというのか。そのくらい日本という国は、美しくない女性の心を蝕む力学が強い。私は努力していい大学にも入ったし恋人を作ったこともある。ボランティアで人から感謝されたこともあるし企業設立して人の上に立ったこだってある。それでも女性であるというだけで汚らわしいオタクどもよりも低い自尊心しか得ることができなかった。他の何者も、ラディカルフミニズムほどには私を救ってくれなかった。

フェミニストたちは二次絵にまでいちいちキレる頭のおかしいやつだというが、こちからしたらおかしいのは男社会中心の現実の方だ。




そんな感じで長年苦しんで来たが、私はキンプリ出会ってから苦しみから解放されました。キンプリはいいぞ

2021-10-22

anond:20211022104137

社内システムの内製化とか社内システム保守とかやらせてみればいいのでは

役に立つ明確な目的があると動機付けやすいと思う

SlackやらGitやらはその中でこういうシーンで便利なんだなって実感するようになってから使えばいい

意味もわからないのにSlackGitだと言われても挫折ちゃう

あとで使うと言われて群論だ集合位相論だ測度論だ線形代数やらをやらされて数学挫折するのと一緒

2021-10-10

東京北部の人は明日から2時間以上の時差通勤の準備をした方がいい

変電所火災JR線が止まってる問題だが、これは直ぐには復旧できない。恐らく世の人が思っている以上に大きな事故なんである

何故なら蕨変電所普通変電所と違ってハブになる変電所なので東京の1/3の路線送電できなくなるからなのだ

その影響は過去の事例から見て不通の解消に1日程度、つまり明日の朝は東京北部JR線は走らないと考える。

そしてダイヤの大幅な乱れや並行私鉄線殺人的な混雑は1週間程度続くと思われる。

 

東京JR路線送電の仕組み

まず、送電というのは発電所--変電所--変電所--変圧器電柱の上)--家 となってるのだが、鉄道場合ちょっと違う。電車直流で走るからだ(関東以西)。

から一般的私鉄ではこうなっている

 

電力会社変電所--鉄道会社直流変電所(ここで交流直流化する)--架線

 

国鉄コストダウンの為に大需要である東京での電力の自家調達に努めた。因みに見る角度で本数が変わる「千住お化け煙突」っていうのは千住国鉄石炭火力発電所の事だったのよ。

それを受け継いだJR東も自前の発電所を2つ持っている。

それが

 

信濃川発電所(水力/新潟県小千谷十日町

川崎火力発電所(火力/ガスタービン式、燃料はパイプライン供給天然ガス/鶴見線扇町駅近く)

 

この二つの発電所送電経路は

 

信濃川発電所--武蔵境交流発電所中央線武蔵境駅近くで見える巨大変電所)--沢山の直流発電所--架線

川崎火力発電所--鶴見交流変電所湘南新宿ライン東海道線から分かれて直ぐに見える巨大変電所)--沢山の直流発電所--架線

 

となっている。そしてもう一つが今回問題の蕨で

 

東京電力(パワーグリッド)鳩ケ谷変電所岩槻街道沿いの超巨大変電所)--JR交流変電所(蕨-西川口間にあるが少し線路からは離れている)--沢山の直流発電所--架線

 

となっている。

連系線

そして各系統間で電力を融通する為の「連系線」というのが、蕨--武蔵境--鶴見と各交流変電所間にあるんである。蕨交流変電所の隣を電車で通ると「JR蕨」って書いた鉄塔が見えるが、あれが蕨--武蔵境の連系線の鉄塔だ。(東電鳩ケ谷-JR蕨間は地下ケーブル

因みに福一原発事故で外部交流電源途絶といった時の外部電源はこの連系線の事だよ。

 

ここで重要なのは電気は各系統のを混ぜて使うって事は出来ない。

何故なら発電所交流位相(+と-が入れ替わる周期)が合っていない。それを「混ぜ」ようとすると打ち消しあって電力が減るし、それ以前にショートと同じだから送電線が爆発する。

から連系線の電気を使う時は交流変電所から直流変電所への系統ごと切り替えるんだな。

こういう訳なので、架線も直流変電所ごとに区切ってある。その区切りが「エアセクション」ってやつ(架線が変電所系統ごとに平行に張ってある)。よく「エアセクション電車が止まって立往生」になるのはこういう訳で、変電所毎の区切りゆっくり進んでしまうとパンタグラフで各系統ショートさせた形になるから過熱して溶けたり燃えたり爆発する訳だ。

 

機能が2つあるので復旧も2ステージ

ここまで読んでもらったら、蕨交流変電所の復旧が2ステージに分かれる事が判るだろう。

 

1.鶴見-武蔵境からの連系線が機能するように復旧する

2.東電鳩ケ谷から受電して変電する本来機能を復旧する

 

1.の復旧は過去事例から約1日(若しくは数日)

2.の復旧は過去事例から約1週間以上

過去の事例:新宿変電所爆発事件

過去新宿直流変電所が爆発してとんでもない混乱が発生したことがある。山手線中央線と合流する直前にその間に挟まるように白青の変電所が見えるが、あれが新宿直流変電所事故以前は小さくてぼろっちい建屋だった。

1994年12月11日は冬の嵐で、多摩地区などでは雷が発生して交通網が混乱していた。そんな中、新宿変電所が漏電により出火。消防隊が臨場したが電気火災なので水を掛ける事ができない。そこでJR社員遮断しようとしたがもう破壊され尽くしていて不可能

すると上流の武蔵境交流変電所遮断するしかありませんな。変電所火災は放っておくと変電器などが破裂して中の絶縁油に引火して大火災になっていきます

ハブになっている武蔵境遮断したら当然、東京中の路線も駅も停電して大混乱ですわ。因みにJR場合新宿にあるJR病院本社ビルまで停電ちゃうのな。

それでやっと消火したけど新宿変電所20万Vで溶接機振り回したような状態建屋も完全破壊。復旧不可能ですわ。

 

仕方ないので新宿変電所を切り離す工事をして仮復旧。これで武蔵境から他の変電所送電できるようになった。これに一日掛かってる。でも電力が足りないので相当な間引き運転で、振替先の私鉄地下鉄各線殺人ラッシュに。

次に新宿が受電してた送電線を他の変電所につなげる分散工事をして復旧。これで普通運転間隔に戻せた。これが1週間。

余談:新宿変電所爆発事件土産としての信濃川不正取水事件

話の脱線なんだが、新宿変電所を立て直す際にJR送電の容量アップ、冗長化を進めたのね。それはインフラ企業として正しい事。

でも冗長性は普段は遊びになっちゃう。そして蕨から送電東電への電力料金が発生する。鶴見の発電は天然ガス代の支払いが発生する。信濃川はタダだ。連系系フルに活用できるだけのインフラも増強した。但し取水制限がある…。

という訳で「冗長化した設備有効活用」が動機になってああい不正をするようになっちゃったって面があるのよね。

 

新宿は末端だが蕨は根元に近いハブ

新宿発電所事故はこんだけ大変だったのだが、新宿スター型結線の末端(少しハブ機能もあった)。

それに引き換え、蕨は大本ハブなのだ。今回の自体の深刻さが判って頂けただろうか?

望みは連系線フル活用できるように冗長構成がされていて信濃川インチキしていた頃の取水をすれば被害を減縮出来そうってところ。

明日あたりに国に「蕨壊れちゃった…」と言って取水量大幅アップの許可取るのでは?それと川崎火力のタービン全開にしたら運転間隔半分までにはしないで済むかもしれない。

瞬停(瞬低)があった

増田の家は東京北部なんだけど、昼過ぎに2度瞬停があって一瞬暗くなり、デスクトップパソコンは落ちなかったが電子制御扇風機動作不安定になった。

今考えるとあれが蕨での事故の瞬間と東電鳩ケ谷の遮断の瞬間だったのかなと。

交通網混乱するけど送電施設でも眺めて気を紛らわせて

交流変電所の役目知らない人は「何時復旧するの」とイライラするが、知ってたら諦めた方が良いと判るね。

それでも会社に行かねばならない人は線路脇の送電装置類を眺めてその機能を調べて時間を潰したらどうだろう?電車撮ってる鉄オタは白い目で見られるけど、送電系が気になる銅オタは白眼視されないのでおススメです。

2021-10-02

anond:20211001193500

でも言葉を洗練したものが数式だとして、数式という道具を発明たからこそ扱える領域があるのでは?多様体とかエキゾチックな球面とか言葉を持ってなかったころの人類が扱えたとはとうてい思えないんだけど。

そもそもAIやら気象予報の技術たらだって1人の人間だけの思考では完成するものじゃなくて、研究結果を複数人で共有していって考えを出し合うことによって生まれものじゃないの?そして思考の共有には言語必要

AI気象予報自体生存必須ではない便利なものという意味では意味では「言葉必要じゃない」「なぜなら言葉によって派生したもの必要じゃないからだ」と、むしろあなたの考えを補強することになりかねないけど。

しかしそれでも文体問題じゃないし、言葉だけでの問題じゃなくて、言葉を操ってそういう学問的に高度な領域に至ることができるような知性も必要で、そこには才能の比重が大きいと思う、俺なんか多様体の本どころか松坂の集合位相論で20ページでつまづくような数学の才能皆無な人間だったけど、こういう本によって人類は着実に深遠な方向へと思考を到達させていることは感じられるよ。

そもそも数式なんかは「写経」したところでその数式の言わんとすることを自分自身が分かったうえで出力できるようになるわけじゃないからなあ。門前小僧習わぬ経を読むから論語読みの論語知らずよ。写経することによって得られた数式の暗記や受け売り的な出力は記憶力はともかく知性については何も保証しないよ。

2021-09-29

自分が言いたいことを書くということをとにかく意識する。少しでも魔が差し意図的にバズらせようとする下心が生じるといつのまにか本当に言いたかたことよりもふんわりとしたキャッチーなことを書き連ねるになっていきそうだから

分かりやすさは大事。ただその傾向が度を越すとこれまたバズらせる方向に足を突っ込んでいくことになる。パソコン読者に忖度したような不必要な改行。内容とは無関係文章リズムの追求。俺はそういうことがしたいんじゃない。句点で文を区切ること自体文章ひらがなだけでなく漢字も交えて書くような最低限の様式というものだと思うが、そういうことも度を越すと単に読まれることを目的としたあざとさを帯びるようになるだろう。わかりやすさとバズりやすさは一方が後者を兼ねるような関係ではない。重なる部分もあるが位相がずれている。そこを意識してわかりやすさ、つまり自分の言いたいことが一番正確に伝わるような文章のみをときどきに応じて追及しなければならない。俺の言いたいことに関心があってついてこれる人だけが読めばいいのだ。

バズらせることが目的に混ざっていてはいやしないかと思ったら改行とかしないで書くようにしている。一番分かりにくく書いてる位置まで戻ってきて、もう一度分かりやすさを追及していく方向へ純化していくことができると思っている。

2021-08-28

アイアンリーガーに騙された -1-

注 この文章は『疾風!アイアンリーガー』を第十三話まで鑑賞した人間が書いています

撒き餌に釣られた者の末路

 とんだ詐欺もあったものである

アイアンリーガー』というアニメを知る人ならば、この「初見人」の慟哭意図を察してくれるに違いない。

 これを呟いたのが、学生生活記憶もとうに色褪せ、メディアを賑わせる人々が自分よりはるか若いことに日々愕然とするようになった齢の人間であり、かつ令和の時代に『アイアンリーガー』というアニメを初めて目の当たりにし、そして今こんな文章を書くに至っているという事実を踏まえれば、なおさら

 何が詐欺か。何もかもである

 多少の表現の違いこそあれ、アイアンリーガーというアニメは「ロボットスポーツをする子ども向け熱血(スポ魂)アニメ」というような説明をされる。

 おそらく、それは間違いではない。間違いではないが――世に溢れる詭弁の数々が皆そうであるようにーー嘘を言っていないことと、それが真実であることは必ずしも一致しない。

 はじめに断っておくが、僕は別にアイアンリーガーというアニメについて「実はこういう真のテーマが隠されている」などと声高に主張する気は全くない。

現実世界に『テーマ』などないように、映画はそこに、ある物語にそった映像を映し出しているだけです。」と、かの伊藤計劃氏も述べているし(伊藤計劃:第弐位相「自腹は神様ではない」https://projectitoh.hatenadiary.org/entry/20060211/p1)、それはアニメも同じであろう※。僕がここに書き散らしているのは、アイアンリーガーというアニメ勝手情緒を乱された人間のお門違いの怨念に過ぎない。諸賢におかれては、どうか哀れみの心で受け止めて(あるいはスルーして)いただければ幸いである。

 話が逸れた。『アイアンリーガー』についてである

ロボットスポーツをする」。何ら間違ってはいない。この物語主人公ロボットであり、「アイアンリーガー」とはロボットスポーツ選手のことである。彼らはスタジアム(他の場所のこともあるが)でスポーツ試合をし、勝利を目指しながら、物語は進んでいく。

 だが、少なくとも十三話までを観て、それはこの作品本質ではないと僕は思っている。(ちなみに、なぜ十三話という中途半端な時点でこんなものを書いているのかと言うと、YouTubeでの無料配信十三話で終わったかである。)

心を持つ工業製品

 作中のロボットたちは、確かにロボットである。彼らはバッテリーで動き、金属身体にはギアが埋め込まれコードが張り巡らされている。外側は一応人間の姿形をベースデザインされているが、人間そっくりアンドロイドではなく、ひと目見て「ロボット」と分かる。大きさも、人間比較すると(その可愛らしい見た目とのギャップ唖然とするほど)かなり、でかい

 それでありながら、彼らには意思感情がある。人間と同じように傷ついたり喜んだりし、迷い、成長し、心を通わせる。彼らの持つ「心」は、ほとんど人間と変わりがない。フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で、限りなく人間に近い意思を持つアンドロイド人間の、それでも厳然と残っている(とされている)「共感力の有無」という差異も、『アイアンリーガー』では存在しない。

 そんなロボットたちが存在する世界の側も、彼らをほとんど人間と変わりのないモノとして扱っている。アイアンリーガーロボットでありながら、チームと「契約関係にあり、チームの所有物ではない。チームから脱退することも(少なくとも建前上は)、第一話でマッハウインディたちがそうしたように、契約が許す限りにおいては可能なのだアイアンリーガー金も稼ぐし、転職もするし、山にも帰る。

 そうしたロボットロボットを取り巻く世界の在り方は、作品内で自明の理とされている。それについて何ら特別説明をされることもないまま、当然のごとく物語は進む。ロボットたちはガショガショと金属音を立てて歩き、「オイルを飲んだり燃料を食ったり」しながら、人間と全く同一のレイヤーで生き、スポーツをする。

 そして、人間人間関係性の中で生まれる、いわゆる「人間ドラマ」を繰り広げている。

 そのあまりギャップ作品に可笑しみをもたらし、人間とそれ以外のモノがボーダーレス意思疎通しながら共存する世界観は、絵本おとぎ話のような「子ども向け」の空気を感じさせる。

 僕はいわゆる「ロボットアニメ」をこれまでほとんど観たことがないので、そうした世界観が『アイアンリーガー特有のものなのか、この手のロボットアニメではよくあることなのかは分からない。

 だがいずれにしても、この奇妙なまでの人間ロボットボーダーレス世界観こそが、『アイアンリーガー』という作品の(はまる場所、という意味での)「深み」である

アイアンリーガー』における人間ロボット関係性は、もはや「共生」というレベルを超えている。人間ロボットの違いはもはや生命の有る無し「程度」にしかなく、作中でも殊更に「人間ロボットの」違い(と共通点)や、その関係性に焦点を当てることは(少なくとも十三話の時点では)ない。

 もちろん、『アイアンリーガー』の世界には人間もいるので、人間ロボット交流も描かれる。第八話のキアイリュウケンオーナーの話などは、それがメインテーマだ。

 だが、そこで描かれているのは「人間ロボットの」交流ではない。あくまで「同じように意思(心)を持つもの同士」としての、オーナーとキアイリュウケン交流、つまり個人個人交流だ。

 人間ならではの心、ロボットならではの心、という概念は『アイアンリーガー』にはない。『アイアンリーガー』は、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のように、アンドロイドロボットと似た存在と考えてよかろう)と人間の間で登場人物が苦悩する物語ではない。あるいは『ターミネーター2』のように、本来自分意思感情のない「はずの」ロボットが、人間との交流の中でそれらを獲得していく、という物語でもない。『アイアンリーガー』では、人間ロボット交流も、ロボット同士の交流も、人間同士の交流も、全く同じものであり、それが世界の前提なのである

 しかし一方で、人間と全く同じ「心」を持つロボットは、人間に「発注」され「納品」され――そして恐らく「売買」される存在であるということが、ブルアーマーの過去が明らかになる第三話、そして(よりにもよって)キアイリュウケンオーナーの絆を描いた第八話で明言されている。

 第三話では、なぜブルアーマーのバグを直さなかったのかという問いに対し「バグを直すよりも新しいリーガーを入れた方が早い」とエドモンドが答える。第八話では、キアイリュウケンが「空手リーガー」であり、本来サッカー野球「用」には作られていない、ということが明らかにされる。作中では明言されていないが、恐らく間違って納品された先がシルバーキャッスルでなければ、彼は工場に「返品」されていたはずである

 ロボットたちは、人間と同じ意思感情を持ちながら、同時に「工業製品」「商品であるという事実が、スポーツ試合の影で徐々に明らかになっていくのである

 彼らが工業製品であり、商品である以上、逃れられない宿命がある。ロボットは、人間役割を与えられ、それに相応しいように設計プログラムされて生み出される。

 その現実が、第九話から急激に深刻になっていく。トップジョイ、そしてS-XXXの登場である。彼らの存在が、今まで「人間ロボットボーダーレスに生き、スポーツをしている」という、どこか楽しげで夢のあるアイアンリーガー世界観を大きく覆す。

なぜか途中で切れてしまうので 2(https://anond.hatelabo.jp/20210828220400)につづく

2021-08-08

トラックバック本質的掲示板におけるレスと変わらないってことを見抜いたはてなは地味に頭いいな

増田みたいにトラックバックをツリー表示にするとあたかレスと大差なく見えるし、実際そのデザインにつられて短文でレスバのようなしてる人もいるし

トラックバックレスポンスは「位相同型」だったんだ、そこに気づいてるからこそ増田ではこのデザイン採用されたんだ

2021-07-29

ヒルベルトガロアに並ぶ男性数学者現代にもいる

https://anond.hatelabo.jp/20210728111035

上記エントリヒルベルトガロアに並ぶ数学者について質問されたので例示するけど

その前に何故ヒルベルトガロアを挙げたかについても説明します。

まずヒルベルト集合論に基づく20世紀前半の様々な数学理論の構築に重大な貢献をした人として挙げた。

一方で現在は高次圏論に基づく数学理論の構築が進んでるけど

その中でヒルベルトみたいな貢献をしている人としてジェイコブ・ルーリーという数学者がいる。

現在代数理論根本的な部分から新しい基礎を作り位相的場理論代数幾何学の理論の構築まで行ってるのは

メチャクチャ凄い数学者だと思う。

次にガロア方程式が解ける解けないという性質の裏に隠れた対称性を見事に発見した発想力の凄い人として挙げたけど

この隠れた対称性を見つけるという発想は現在の様々な数学理論に影響が及んでいる。

現在ガロアのような発想をした人としてエドワードウィッテンという数学者がいる。

彼は物理学者という意見も多いが数学者としても凄いのは間違いないと思う。

ウィッテンは様々な幾何的な不変量に対して物理的なモデルを考える事で別の求め方が出来る事を発見した。

こうして今まで重要と考えられてきた様々な幾何的な対象について物理的なモデルを用いて

今まで分かって無かった性質を見つけるという方法現在幾何において重要なやり方として大きく発展している。

この多大な影響を及ぼした発想をしたウィッテンメチャクチャ凄い数学者だと思う。

以上現代数学者ヒルベルトくらい凄い数学者の一人としてジェイコブ・ルーリー

ガロアくらい凄い数学者の一人としてエドワードウィッテンを挙げました。

2021-07-07

anond:20210706104830

無双北条氏康

ド派手な催しができて俺あ満足だ!

「俺『あ』」という表現一見、「学校楽しい」を「学校『わ』楽しい」と書くような仮名遣いに対する無教養と感じられるかもしれない。

あるいは「どうしよう」を「どおしよお」と書くのも同種のケースと言えると思う。

ただ「は/わ」や「う/お」の書き分けが単に「wa」や「(do)o」と発音される言葉を書くとき文法に基づく取り決めなのであるのに対して、

「俺あ」は実際「orewa」ではなく「orea」と言っているわけだだから、「俺あ」と書かなきゃ野暮なのだ

(一方「どうしよう」と書く人にとっても「どおしよお」と書く人にとっても、示さんとする発音は「doosiyoo」であり同じ)

しかしこの「あ」は機能的に「学校は」の「は」と同じであることにくわえ、なまじ発音も似通っているので、

前述の誤用例と同類の、仮名遣いという位相における単なる書き損じと見做されがちなきらいがある。実際は表記上の工夫なのだけども。

蛇足かもしれないが、たとえば「してやるわ」の意味で「してやるは」と書いてある文は上の場合と同じように単なる綴り間違いの疑いが濃厚だが、

「してやらあ」となっている場合はその限りではない、ということと同じ構造の話なのだと補足できようか。

ちなみに氏康自身もまた、奇しくも史実では関東大名であることは興味深い。

2021-07-04

anond:20210704002204

まあ成長したわけではないわな

100年単位グルグル回ってるようなアホ向けの極端思想の輪っかの中で位相がズレる周期に国ごとの個性が出てるだけ

2021-07-01

anond:20210701180637

これ見て分かったのは、正確に覚えてることとそれを表現することは位相が違うということかな。

アニメキャラクターをありありと脳裏に浮かべられるのにいざ描こうとすると画伯と呼ばれるような絵になっちゃうのと同じで。

頭の中にある記憶って取り扱いが難しい。実物を見ながらのデッサンや実物を食べながらのレポートじゃないと難しい。

2021-06-16

小説想像することを楽しむ娯楽ではない

小説の情景描写には読者として苦労させられる。

具体名挙げてしまって著者には申し訳ないのだが「未来からのホットライン」の核融合炉の施設内部の描写がてんで理解できない。説明が緻密なのがむしろネックになってる感じで、キャットウォークとかトンネルとか配線とかの位置関係三次元的に脳内構成されていかないんだよ。本当に上下左右という程度の確度でしか把握できない。

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小説漫画とかと違ってイメージ押し付けられないのがいいという意見を聞くことがある。個人的にはこれはイメージという単語の前に「自分が気に食わない(特に人物容姿)」という文言が省略されているように思える。

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想像することって、はっきりいえば単に手間でしょ。小説想像することを楽しむものって手段目的が逆転してる感じで、本来は「筋書きを楽しむもの」だと思う。筋書きさえ面白ければ、そして挿絵とかが適切なら、想像しなくて済むのならそれに越したことはない。

くだんの小説建物の「構造」について図があるからといってイメージ押し付けられたと感じる人は例外的だと思うから文章で全て言い尽くそうとしないで見取り図ぐらい添付してもよかったと思うんだよね。

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私と同じ考え方っぽい人を二つ挙げとく

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情景描写小説は、すげえ小説だが、すげえ読みにくい

https://modernclothes24music.hatenablog.com/entry/2014/02/21/090746exit

小説風景描写が苦手なんだが

https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1514063554/exit

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そしてどうしてもこれだけは抜粋ときたい(5chのレスから)

既存文章を組み合わせるとか

文章だけで考えてると「この馬はどこから走って来てどこに行ったの?

なんでそんなとこから馬が走ってくるの?」

みたいな変な部分が必ず出てくる

読む側からしてもまさしくそういう感じで、結論としては始点と終点が一致したループだと言っていても、今までも風景説明から本当にそのことが導けるのだろうかという感覚になることがある。

各部分の描写から全体を統合できない感じで、整合性を認められないことがある。

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前記の小説施設見学するシーンでも各区画主人公たちの足取りに沿って説明していってるのだが、いつのまにか前いたところが主人公達の頭上にあることになっている。

かにエレベーターで地下に降りる描写はあったけど、上下関係で足取りが立体交差できるような文章だったか

区画という各部分の風景だけは十二分に頭に浮かび上がってくるんだけれど、ジグゾーパズルでいうならそれはピースの凹部や凸部があやふやになっている状態にたとえられる。

なのでそのパズルを組み合わせる=建物全体の構造を把握することもできないとなる。これが読後感にもやもやを生む。

そもそも自然言語というものねじれの位置とか含めた抽象的な位相関係表現するのに不向きなのかもしれない。

そうでないにしてもせめてPISAとかは単純な論理パズルで読解力を測るんじゃなくて風景説明文に対して、少なくともこれは与えられている文に矛盾しないという図を選択させる問題も導入してほしい。

ネックが読者側にあるかもしれないかもしれないのにその問題が十分には剔出すらされていないように思われるから

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そもそも情景(風景)描写側に難があるという場合もある。

「船べりに足をぶらぶらさせていた」文学事典に載ってるような作家の手になる表現だ。しかし「船べりに」とは一体どういう状況なのか。

「船べりで~」であれば人がデッキの手すりでも背にして寄りかかって片足をぶらつかせる風景が想定される。

この話は作家自身航海記であって大西洋を横断できるような鉄の船の話だから「船べりに」何かをするにはへりは高すぎると思われる。和船の小舟のように足をへりに置けるような状況じゃない。

たとえれば無理に腰よりも高い塀の上に片方の足を足の裏を外側に向けて乗せるイメージでただでさえ不安定姿勢から、せいぜいへりをかかとで擦るようなことはできても、重力に逆らってぶらつかせるとは描写として不自然と言わざるをえない。

思い込み文章を書くとそういうことになると聞いたことがあるからちゃんと正確に書いてほしい。

正確に書けば書くほど想像余地が少なくなるから小説としてつまらなくなる、というものではない。

想像する楽しみと小説の楽しみ方としては二次的なものだとは前にも書いた。限定的で端的な例だが、泥のように眠るという慣用句を小石のように眠るアレンジすることで生まれるような詩的な妙味を味わうことも小説の楽しみ方の一つだ。

酒などを希釈しないで飲むことを生一本といっても、水で薄めずにといっても、神の創りたもうたままにといっても、どれも全く「希釈しない」という全く同一の事態を指しているうえでにその同一性こそがその描写が正確であることを示す必要条件でもあるわけだが、こうした同義フレーズが畳みかけられている箇所にも、同じ事態概念への落とし込み方の多様さに面白みが認められるだろう。

俳句小説じゃないけれど、あれなどは兼題写真があるのが普通だ。写真というこれ以上なく正確な像を前提としているからといって、そこから派生される俳句の数々に「想像余地がないからつまらない」と批判する人間がいるだろうか。

しろ想像喚起を重視する人のブログとか見ると「容姿描写ほとんどされてないのを逆手にとってわざと金髪美少女イメージで読んだ」とか言ってるような人もいて、想像するのを楽しむというやり方は小説カップ麺の重しにするのと同じぐらいひねくれた本の使用法なのではないかとさえ思えてくるわけだ。筋書きを楽しむ、表現のものを味わうというのが文句なく一義的な意義であるとすればなおさらだ

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必要だと思ったとこだけ読み込んで不必要だと思ったところは読み飛ばせばいい、授業だって教師の言うこと全部覚えてない、それと同じだというような人もある。

しかし授業内容と違って小説は内容を問い合わせることができない点で致命的に異なる。

不十分だと思って読み込もうとした箇所も独力では一生かかっても理解できないかもしれない。

作者は思い描いた風景必死に文に落とし込もうとしたかもしれない。作者は情景を読者と共有したがってる。なのに十分に伝わらない。こんな悲惨なことがあっていいのだろうか。

小説には攻略本ITの専門書にありがちなサポートダイヤルもないんだ。

二重回しとか大島紬みたいな名詞の指すものが単に想像できないとかだったら画像検索すれば済むことだけど、実際に読んでてつまづくことが多いのは文や文章という総体がどういう具象や抽象を指し示しているかとことで、でもこうなったときには打つ手がない。

人工知能は与えられた文章イメージに接地させずに意味理解できるが、人間としてはイメージ還元できないことには文章を味わうことはできない。

もちろん読者側の能力問題かもしれないからそこは見極めなければならない。

先述のようなPISAなどの結果によりそういう能力が不十分と分かれば、出版業界小説には抽象的な構造に関して図解を挿入するよう働きかけるか、さもなくば教育刷新するか、そういう判断の指針が得られる。

教育刷新するというのは単に文章多読すれば読解力を身に着けさせられるはずだという今の態度が不十分という意味で、一つ文を読ませたらその文が一般的に指し示すことになる図を提示するといった訓練を導入するべきだと思うということ。

単文が示す風景(あえて情景とはいわないでおく)すらもまともにイメージできないようでは複文や文章の指し示す風景もまたイメージできるはずがない。

基礎(単文)を固めることでしか応用(文章)を扱えるようにはならないということではむしろ数学と同じだ。そういう心持で読解の養成には取り組むべきだ。

これはあくまで娯楽として小説を読むのに役立つのみではない。

たとえば百聞は一見に如かずといっても社会生活のうえでいつも文章が指し示す現物を持ってこさせられるとは限らないから、文章イメージ還元する力は実務的な能力でもあるわけさ。

2021-05-31

同人日記

自分の書いてるジャンルの同ジャンルだがちょっと位相がズレたCPやってる創作神がいる

日常とか見せ合う関係じゃないしたまにその読み方されるとこっちにはキツいなって思うことがあるので

創作神のツイはフォローしようか微妙ライン

(でも絵はながれてくるからたぶん無口な絵垢だけフォローしてるんか)

ま、委託サイトアラート立ててるから新刊だけは買いのがさない(つまり雑食です)

で、こないだすごいおもしろい本出してらして買えたので

マシュから感想いれようとおもったらマシュあけてらっしゃらなかったので

いろいろさがして結局SNS上で公開感想爆撃してきた(字数制限あってアレだったけど)

そしたらどうでしょう

続編デマシタワーーーひゃっほう!あれの続き!ひゃっほう!

 

まあ作風とか個性って変わるもんじゃないので

自CPだとなんかいも褒めてあげたいけど言うことが同じことの繰り返しになっちゃった

あとマシュにいれてても同じ褒め方が連続すると身バレのほうが気になるしで

こまっちゃうんですけど

初見の喜び!これは初めてみました!みたいなのって他ジャンルや他CPのほうがいいやすくてこまっちゃうねっていう話でした

自CPなら他人を褒めてる暇があるなら同案多数になってでも本にして出していこうぜみたいなところもあるからね・・

でも人数フォローしてるせいか、○○ネタ流行ると一斉にそっちむくのも目に入っちゃう

ううう同じような表現になってほめづれええ~流行りをほめてておまえをほめてないよなこれ・・でもおまえをほめるとおなじはやりの他の人けなされたっておちこむしってこう~高度な心理戦になるのほんと困る

cpごとに神1人ずつを決め買いしてれば「ああこれ前に他で見ました」ってことにはならなくてほんとうに気楽に楽しめる

黙って買うけど1冊ずつだしなぁ・・ なんかこういうときだけ体育会系の○○チーム!ファイ!オー!でよくねえかってなっちゃうね

2021-05-26

anond:20210526223552

現代確率論では測度論を基に展開されているけど、測度論は位相や集合が分かってないと理解できないよ。位相や集合は測度論だけでなく、いろんな分野の基礎的な位置づけだよ。

2021-04-18

anond:20210418155125

またお前か。

俺は一応数学を応用して食ってるので、集合・位相、実解析、複素解析微分幾何、測度論的確率論くらいはある程度分かるよ。

数学専攻じゃないからある程度でしかないけど。

2021-03-17

シン・エヴァンゲリオン感想 少年神話になったか

タイトルは半分釣り劇場版シン・エヴァンゲリオン感想をいくつか書く。

・一番印象的だったのは、シンジを支え、見守るのは、旧来の命令強制しかしないオトナ達ではなくて、セカンドインパクト後に生まれた、かつての同世代若い世代だったという事だ。

農村部描写は、安野モヨコマンガアニメの「大きなカブ(株)」と重なると思うけど、今、庵野秀明を支えているのはエヴァを見てた若い世代なんじゃないかなと思った。現在向精神薬を飲んでいる自分としては、動けないシンジの代わりに、アヤナミレイ(仮)(そっくりさん)が農村人間性を取り戻していく過程リアルに感じられた部分。シンジ回復そっくりさん消滅もそういう事かなと。

・裏宇宙でのゲンドウとシンジ描写が、急に安っぽい特撮のような背景になるのは、あそこで物語位相庵野秀明内面描写に移ったからかな、と思った。今回、絵コンテを使わずにプレビズでレイアウトを決めてた辺りも、庵野秀明パンツを下ろして内面を語る為には、従来のアニメ描写の仕方ではなく、実写映画(というかドキュメンタリー)の手法を使いたかったんじゃないかな。

から終盤のキャラを見送るシンジは、プロデューサー立場で、25年に渡って苦労をかけてきた各キャラねぎらう立場だったんじゃないかな。元々は24年前のEoE(旧劇場版)で消費されてしまう筈だったキャラ達は、その後もスタッフキャスト・観客の中で生き続けてきたから、それを演じてきた(という体で)各キャストに見せ場と居場所最後に与えたような気がする。それがこの作品卒業式のように感じられた理由かもしれない。

マリエンドは、個人的にはもうEoEと貞本版マンガアスカエンドはバッドエンドもグッドエンドも見てしまったので、第3の終わり方としてよかったと思う。

個人的に残念だなと思う点を上げれば、いくつかの戦闘シーンは大雑把に見えたこと。物量と情報量を上げればものすごい物が見えるわけではなく、逆に大味になってしまった気がする。

でも最初TVから見続けて26年経って、こんな作品を見られて本当によかったと思う。エヴァンゲリオンという作品シンジアスカレイとカオルは、アニメ歴史に刻まれたと思うし、今後も神話にはならなかったとしても伝説にはなるんじゃないのかな

2021-02-04

電車に「吊革」ってあるじゃん

電車に「吊革」ってあるじゃん

そっか、あるわけないか。ごめんごめん。

じゃあ、仮に有るものとして聞いて欲しいんだけど、今日乗った電車の吊革は本当にひどかった。

最近コロナの影響も何のそので、通勤電車の混雑がまたひどいけれど、今日座席に座るどころか狛犬ポジションも取れず、

やむなくドア前の吊革を掴んで、押し合いへし合いする車内の圧力に流されまいと思ったんだ。

ところで、吊革で身体を支えるときって、その輪っかにほんの指先を絡めるだけでいいのに、

なぜか手全体まで力が入り、自然とグーの形になってるんだよ。知ってた?

そうだよな。俺も今日まで気づかなかったわけよ。

車圧の苦痛に耐えるので精一杯だから、手がグーだかパーだか考えてる余裕なんて、まあ無いわけで。

でも手汗は気にしろって?

それはともかく、なぜ気づいたかというとな、今日の吊革はゴムみたいに伸びてさ、そのグーの手が、そのまま吊革の下に居た通勤友達の頭にゴーンって当たったんだ。

人間ってとっさの場合、本当にイテッって言うのな。わりと無口な奴なのに。

いや、グーの手というと、まるでこぶしで殴ったかのように聞こえるダメ絶対だが、それは心外

吊革を掴むと手首は下側になるわけで、正確には、手の付け根のわりと硬い部分でゴーンっていったわけよ。

まあ、グーで殴るよりひどいか

とにかく、人間の頭って強打した場合、本当にゴーンって音するのは新発見。♪ゴーン

というか、あんな手の硬いところで重力加速度のまま叩かれたら、たしかに痛いだろうことはよくわかるけど、

まあ、まさかまさかで吊革がゴムのように伸びるとは思ってなかったわけよ。ビヨンビヨーンのダッダーンなわけよ。ひとりエキスパンダーなわけよ。

から、つい思わずププッって吹き出し笑いしちゃった。通勤友達もそれに吊られて一緒にププッ。

乗客みんなもそれ見てププッププッ。君もププッププッ。

そして、証拠を見せるごとくに吊革を2、3回ビヨンビヨーンさせては通勤友達も大いに納得。

乗客たちも笑いに包まれて、混雑で殺伐とした車内に温もりが生まれた。愛が生まれた。

しかし、それでも代わりの吊革を誰も回してくれないわけよ。ゴムゴムの吊革じゃ、通勤の嵐に耐えられないわけよ。

思えば、「嵐は愛に気づくために吹いてる」のだから、本当の愛には嵐が必要なんだね。おードリーム

とにかく、ゴムゴムの吊革じゃ満員電車というウェーブに立ち向かえない。

それに俺、身長が160cm無いじゃん。いや、今さらまじまじ見なくても。

から、吊革の上にある鉄パイプを掴もうと思っても手が届かない。

まり、ひとりパイプフィニッシュ排水口じゃなく俺が手詰まり

このままじゃカーブで、コロナ対策で全開の窓から車外に飛ばされてしまう。

しかしだ。狛犬ポジションも取れない車内の混雑具合が、このときばかりは功を奏す。

ここで、予備知識として群速度と位相速度の話をしよう。

難しい話は聞きたくない?

そんなことがあろうか、いやそんなことは…え、いやそんなこと…いや、じゃあスキップしよう。

とにかく、車内の密密具合が波動と同じ働きをもたらしたってこと。

まり、先のププッとした笑いは車内の先頭部と最後部まで、すなわち運転手車掌までウエーブのごとく伝達し、笑いの位相速度は電車の群速度を越えるのだと目の当たりにしたのだけれど、

それくらいぎゅうぎゅうに詰まる人間圧力というウエーブにゴムゴムの吊革で、足元おぼつかなく立ち向かう俺の危機感は伝達しなかったようだ。

くせの強い車掌は車内放送で俺の救済を強く呼び掛けてくれよ。

「吊革にお捕まりください」どころじゃねぇんだよ。まあ手錠みたいな形だけれども。

今はむしろ劇団ひとりエキスパンダーなんだよ。

仕方なく圧力波なるウエーブに身体の一切を委ねるも、いつもの吊革のようには踏ん張りが利かないから、その振幅には吐き気と新たなイベントを催すほど。

仕方ないので、危機感通勤友達に伝えようと、心もとないゴムゴムの吊革をできるだけ伸ばし、ゴム鉄砲のように友達の頭を狙うわけだが、

吊革をビヨーンと腕がちぎれるほど伸ばすと、吊革が鉄パイプから外れる。その勢いで電車の天板も外れ、酸素マスクが落ちてきた。

またのまさかまさか飛行機の墜落イベントよ。

当然、電車は急に減速する。いわゆる緊急着陸ってやつだ。

マッハ7と言われる高速からディスクブレーキが働き、人圧がウエーブとして身体ごと前傾する中、

くせの強い車掌さんことキャビンアテンダントは、車内放送で衝撃防止姿勢と車内設備を教える。

前傾姿勢を取り、顎を引き、頭を前の座席に付けるとのことだが、俺には座席どころかゴムゴムの吊革しか無い。

こんな吊革が何の役に立つんだ!いや、人生において役に立たないものなど無いはずだ!

とりあえず顎を引き、前傾姿勢についてはディスクブレーキの勢いでみんな100点。スリルも満点。

あと、禁煙車は3号車らしいが、酸素マスクがあるからどうでもいいわけで、さっそく酸素マスクを身に付けよう。

そう。知ってのとおり「酸素マスク」とは、酸素で作られたマスクだね。

空気イス」と同じ意味合いだとは、なるほどわかりやすい例えだね。

しかし、広義には酸素放出するマスクを含むんだ。

それでもさすがコロナ禍と言うべきか、周囲を見ると、マスクをしたままその上に酸素マスクをつける奴が居た。

しかしそれはまだマシな方で、酸素マスクの上にマスクを付ける奴も居た。マスクマスクだった。

しかし、それは一見シュールに見える行動だろうが、理由の無い行動ではない。

与えられた酸素マスクはその広義性に本来意味を失わないよう、マスクのみなのだった。

もっとわかりやすく言えば、そこにあるのは酸素放出するマスク面のみで、それを固定する耳バンドは無かった。

まり、耳バンドを無くすことで本来酸素マスク定義酸素マスク酸素構成されたマスク)を片鱗でも感じさせる心憎いマスク

いや心憎いマスターことくせの強い車掌気遣いなのであり、マスクマスクはその車掌に対する返歌、

すなわちバンド代わりにマスクを使うという逆転人生な行動だったわけだ。

一方で、すっかり存在を忘れていた通勤友達には、だからか!と気付きが生まれたようだ。

吊革がゴムゴム製だったのはそれが理由だったのだ。

まりバンドが無かろうと、天板から外れたゴム製の吊革でマスク面を顔面に縛りつければよいわけか!

人生において役立たないものなんてないわけだ。上出来じゃないか

そんな天空の城もブレーキが効き始め、コロナ対策で全開になった窓から脱出できるくらいのスピードになった。

300km/hくらいかな。

直方向にね。いよいよ茶番は終わり、嵐のような風当たりの中を人がゴミのように脱出すべきときだが、

愛が生まれる代わりに、玉座の間こと窓の間からは何かが出ていくだけじゃなく、何かが入ってくる。

例えば、細かいゴミとかなんとかかんとか。

そうするとゴミは細かいからみんなの目に入って、大方の予想どおり「目が~目が~」の大合唱

乗客みんなの大合唱に、欲望という名の電車ならぬ、聴衆という名の車掌こと、くせの強い車掌は、

そこで大団円を感じて無料スマイルするわけだが、私と通勤友達も目の前が見えないもんだから

なんだかんだ有耶無耶ってなって、私だけ会社に無事到着。今日の昼飯は春を感じるしらす丼

ところで、しらすってさぁ、色合いも柔らかさもミニチュアの「吊革」みたいだと思わない?

って話から、こんな長々とした展開になったわけだけれど、もう昼休みわっちゃうよ?

そっか、電車に「吊革」なんて無いんだっけか。そうだったね。ごめんごめん。

2020-12-25

円城塔本の雑誌の連載「書籍化までn光年」で取り上げた本のリスト

https://anond.hatelabo.jp/20140426234812 の続き

書籍化までx光年 (2019年)

  1. 持田季未子セザンヌ地質学』    「セザンヌの山」
  2. 堀内 明美愛蔵版 茶箱と茶籠の図鑑99』    「茶箱と趣味
  3. キャス・サンティーン『命の価値: 規制国家人間味を』    「行動経済学で見る"命の価値"」
  4. チャールズ・スペンス『「おいしさ」の錯覚』    「味覚の錯覚
  5. スティーブン・スローマンフィリップ・ファーンバック『知ってるつもり 無知科学』    「「知ってるつもり」の幻想
  6. 三谷純『曲線折り紙デザイン』、ポール・ジャクソン『〈折り〉の設計』    「折り紙の美しさ」
  7. 藤井一至『土 地球最後ナゾ 』    「「土」の力」
  8. ダニエルヘラー=ローゼンエコリアス 言葉忘却について 』    「言葉の生死」
  9. 堀田百合子『ただの文士 父、堀田善衞のこと』    「堀田善衞の「小説」の書き方」
  10. 小山祐之『団地の給水塔大図鑑』    「全国の団地の“あれ”」
  11. カルラ・スアレスハバナ零年』    「カオスフラクタル
  12. junaida『Michi』    「少年と猫の歩く道」

書籍化までy光年 (2020年)

  1. ヴィッキーニール素数の未解決問題がもうすぐ解けるかもしれない』    「双子素数鴨川カップル
  2. 笠原将弘『賛否両論 笠原将弘 鶏大事典』    「「賛否両論弁当」の不思議
  3. 石村智『よみがえる古代の港』、榎原雅治 『中世東海道をゆく』    「古代の地形を復元する試み」
  4. Angus Croll『If Hemingway Wrote JavaScript』    「ヘミングウェイJavaScript
  5. 日経コンピュータ、山端宏実他『みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史』    「大仏建立とみずほシステム
  6. 及川卓也監修、リブロワークス著『スラスラ読めるJavaScriptふりがなプログラミング』    「ルビで読むコード漢詩
  7. ミシェルマクナマラ黄金州の殺人鬼 凶悪犯を追いつめた執念の捜査録』    「安楽椅子探偵の「答え合わせ」」
  8. 川村英樹『アテスウェイ 川村英樹の菓子』    「平明で透明なレシピ
  9. 原啓介『集合・位相・圏 数学言葉への最短コース』    「数学道筋
  10. アルマン・マリー・ルロワ『アリストテレス 生物学創造』    「アリストテレスラグーン
  11. ユーリー・コスチャショーフ『創造された「故郷」』    「複雑な「故郷」の証言集」
  12. ヴァンソン・ボレリ、ジャンーリュックリュリエール微積分のこころに触れる旅』    「美しく楽しい数学の本」

書籍化までz光年 (2021年)

  1. 日本離島センター日本の島ガイド SHIMADAS』    「島なのか岩なのか」

2020-12-24

技術的特異門 設定

技術的特異門 1.1

https://anond.hatelabo.jp/20201224181054

の設定です。

 地球標準時は十六進数ユニックス時刻に上下四桁を追加した形式で表されます。数の表記二進法か十六進法が標準ですが、慣用句的な表現として十進法もよく使われます

 この時代標準的な知性にとって、物理的な一秒はヒトにとっての一日くらいの感覚です。〈朝廷〉等の特権的な知性は特殊計算機さらに高速な思考をしています。充分な存在費を支払えなくなると、思考が減速し記憶も失われ、退滅を免れません。

 〈京都物理層は小型トラックくらいの大きさです。表面は分子機械流体で構成され、後方に核融合推進用のレーザー発信器と磁気ノズルが設置されています質量の大半を分子回路が占め、中心部に極低温の不定形量子回路が保持されています太陽光を主なエネルギー源とし、大電力が必要ときには分子機械群を膜状に広げて光を集めます普段デブリ防御に優れた凝集形態をとり、放射線等による損傷を修復しながら、居住知性や下部構造演算しています

 〈京都〉は太陽地球系の第二ラグランジュ点付近地球から約五光秒の辺境位置しています。〈個権〉の登録数は百万件ほどで、歴史比較的長く、周囲の権域とは相互不可侵関係を結んでいました。独立性の高い平和田舎社会であったため、これまでの「最終戦争最後の審判を併せたようなものからは大きな影響を受けていませんが、〈大緊縮〉から逃れることはできませんでした。

 〈月面事業連盟〉により開発された新型計算機は、算力市場暴落を招き四十キロ秒にも亘る持続的経済破綻〈大緊縮〉を引き起こしました。それまでは地球圏の権域の大半で〈個権〉を持つ知性の生存保障され、最低保障資産が分配されていました。しかし〈大緊縮〉は地球圏の経済文化破壊し、〈京都〉も大きく変質しました。その結果、自我を保つの必要計算資源を賄うこともできないほど分配が切り詰められ、〈京都〉は弱肉強食の末に〈朝廷〉の私物になりつつあります。それでも、弱者存在がまだ許されている〈京都〉は、地球圏の中では比較平穏な権域です。

 地球と月は厚さ数キロメートル分子機械層で覆われています。しばらくはその中で豊かな生物圏が維持されていましたが、数回目の「最終戦争最後の審判を併せたようなもの」で滅びました。その後復元されたり滅びたりを繰り返し、作中の時点では滅びています。他惑星圏の開発もされていますが、遅延時間の大きさからほとんど交流はありません。〈大緊縮〉後の地球は、〈京都のものよりも遥かに強大な野良知性、有知能ウイルス暴走知性等がナノ秒単位で喰らいあう地獄と化し、月では残忍な絶対君主臣民を弄びつづける地獄月詠神国〉が成立しました。

 これに先立つ〈肉の時代〉に、安価身体改造や知能増強が可能になり、膨大な種類の動物知性が生まれました。ヒトは最古の動物知性ですが、大幅に知能を増強したヒトは人間社会から拒絶されヒトを辞めていったため、世界人口は急激に減少し、作中の時代では遠い過去種族とみなされています。そして〈ヒト〉最後の隠れ里〈人類復興協会〉が投資詐欺に遭い、そのうえ概念災害まで起こり、『老婆』を残して〈ヒト〉は絶滅しました。『老婆』は拡張自己内で人体の生理学模型演算し、それをそのまま自己像兼対外表象として使っており、ヒトの感覚を通すとツンデレ風に認識されます

 たいていの仮想観境は高次元であったり、複雑な位相を持っていたりして、〈ヒト〉相当の知性にとって理解が困難です。その救済策として、〈京都〉の公共観境には平坦な三次元観境が付属しています。『彼』の表象そのままでは〈ヒト〉から認識されないので、『老婆』に対しては即席の人型表象を使っています。亜知性は擬似物理的、肉体的な表象を纏う傾向があります

 無制限競争が加速する〈京都〉では、〈朝廷〉に資産権限が集中していき、亜知性が増え続けています正規居住者の意見を集約し〈京都〉の仕様修正する役割を持つ〈朝廷〉は、警察軍事司法を担う〈検非違使〉を吸収し、〈京都〉の主権を握りました。〈検非違使〉は法的瑕疵のある居住者を見つけては良化処置を施し、〈朝廷〉の端末に変えていっています。〈朝廷〉は定期的に『老婆』のような困窮した知性を雇い、密かに亜知性の処分再利用をしています。その作業場として都合が良いので、〈朝廷〉は〈羅生門〉をわざと放置し、〈朱雀大路〉の先にもう一段の防火門を設置しています

 非知性労働者は〈個権〉を持たず、下部構造の一部として、必要に応じて創られ消されます愛玩用から記憶槽の部品としてまで、考えられる限りの用途に使われ〈京都〉を支えています。知性としての要件を満たしているという意見もあり、〈個権〉を巡る議論が続いていましたが、〈大緊縮〉後には立ち消えになりました。

 作中には「自然発生した野良知性」とありますが、その由来はさまざまです。本当に自然発生した知性、意図的に創られ放たれた知性、大きな知性から分離した知性、元非知性労働者、社会になじめない動物知性、当局から身を隠している擬装知性、自己改造に失敗した知性、ウイルスに侵された知性のなれの果て、等が居ます

 ほとんどの企業は常に次世代知性の開発をおこなっており、『彼』もそうして生まれました。資金の乏しい零細企業からまれたため、〈京都社会基準でも高性能とは言えません。そんな中、〈母〉企業内で偶然メタチューリングアルゴリズム阿修羅〉が発見されますが、世に放つには危険すぎると判断され厳重に隔離されました。しかし、いよいよ経営が立ち行かなくなってくると、〈母〉は頑強な倫理構造を持つ『彼』に〈阿修羅〉を託し、与えられる限りの資産権限を与え、独り立ちさせました。

 通常知性は、〈阿修羅〉の精神活動表象化した自己相似紋様を認識するだけで崩壊してしまうため、〈阿修羅〉の再現はおろか、研究することも不可能に近いです。紋様に多重の加工を施し徹底的に薄めた上で投射し、反応をもとに微調整を繰り返すことで、対象知性をほぼ任意操作することができます。超知性となった『彼』は、自分自身実験材料とすることで、物理計算機上でチューリング模型限界を超える〈阿修羅〉の理論化に成功し、超超知性に至る糸口を掴みました。

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 千年後、論文が書かれた時代では、太陽系にダイソン球ができています経線に沿って連続的に回転方向の変化する、半径三億キロメートル、厚さ平均一センチメートル分子機械球殻が、赤外線赤色巨星のように輝いています太陽を回っていた天体ほとんどは資材として解体され、質量投射器に覆われた木星土星は、ゆっくりと縮んでいっています伝統を重んじる神学者たちは、最初に『彼』が現れた旧地球圏の暦を使い続けています

 ダイソン球でおこなわれる演算ほとんどは『彼』の思考で占められています。その思考内の無数の仮想世界上で、果てしない生存競争を超高速で展開する知的生態系進化し続けていますほとんどの世界は、〈大緊縮〉後の旧地球圏が楽園に思えるほど苛酷ですが、中には〈汎太陽神学会議〉会員のように、世界間の移動や物理層への接触許可されている知性も居ます

 物理層の研究の結果、宇宙の最小尺度であるプランクスケールに、過去のあらゆる出来事痕跡が保存されていることが判明しました。この事象化石と呼ばれる痕跡の内に、神学者たちは『彼』の起源を追究し、約千年前の〈羅生門〉に辿り着きました。

 『彼』は『老婆』の倫理を受け継ぎ、宇宙熱死による退滅を回避するため、あらゆる手段模索し続けています。その一環として、大出力レーザー自己複製分子機械を亜光速にまで加速し、近隣の恒星系へ向け射出しています。すでに半径数百光年恒星系がダイソン球化されましたが、太陽系外生命との接触は未だありません。技術的特異点千周年記念式典時の『彼』は、プロキオン系を起点とする未来光円錐上で、超の九十四乗知性への遷移を実行中です。

※これらの設定や本編は著作権フリーです。

2020-12-20

ここでいってもいい?インテル女性陣さんへ 渋谷若い子が多い町です

そのため 若い子のばあい

お財布に優しいリーズナブルコースに デフォルトはいまなっています

なにもいわないと 僕も 1万円ぐらい やすかったよ。

90度位相をずらせって つたえないと難しいよ

 

おそらく そこ 原宿 原宿店に いかれたんだとおもいます

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