はてなキーワード: 介錯とは
仮に作者をAさんとする。
何十周とは言わないが、合計20本くらいあるAさんのそのシリーズの動画を5、6回は見てきたと思う。
動画はシンプルで過度な編集はなく、作中入れられる解説の文体も端的でわかりやすい。派手さはないが落ち着いていて、本当に気に入っていた。
このシリーズは仲間の名前をプレイヤーが決められるのだが、ネーミングセンスも知的さとユーモアに溢れていて、動画のどこを拾い上げても作者の知性の高さを感じられた。
Aさんは私が未プレイのゲームの制限動画も投稿していたが、「Aさんだから」と視聴しにいくくらいには、自分はAさんという投稿者が好きだった。
思いだしたので最近またAさんの動画を見返していたところ《同じジャンルの別シリーズを、同じ制限プレイでクリアする》という動画がおすすめで出てきた。
あの作者だろうかと期待してリンクを開いたら、どうやら別人のようだ。
仮にBさんとする。
どうやらBさんは先発のAさんを知っていて、その上で同じコンセプトで挑戦をしているようだ。
キャプションや動画内で明文化されてはいなかったが、動画タイトルはAさんのものに寄せられていたし、制限する内容のリストについてもやはり先発のものを引き継いでいたところから、言うまでもないですよね、といった感じだろうか。
当然期待した。
あの動画を見て、いざ我もと挑戦したのだろう動画だ。気合も入っているだろう。わくわくと再生アイコンを押した。何本か視聴して思う。あまり面白くない。どうして。
理由を探しに。正直に言えば口直しの気分で、一旦止めていたAさんの動画に戻る。
・制限内容はほぼ同じ
・ちゃんとどちらも完走している
こういった部分は同じなのだが、どうしても違う。
例えば解説文の文体。これは感覚の話だが、どこか角の強いというか「初カキコ…ども」的なBさん自身の性質が滲んでみえるというか。
本人が面白いと思って載せたのであろう文中の冗談的表現も、ドヤりを感じて笑いづらい。連れ歩く仲間のネーミングセンスも、意外性や驚きがあんまりなかった。
Aさんは制限プレイの他、動画内で展開が間延びしてしまうときの穴埋めとしてシリーズの歴史を語っていたりして、それをBさんは(私が視聴した数本の動画内では)行っていなかったが、これだけが理由ではないように思う。
制限プレイ動画のメインディッシュは当然、制限を守ってクリアできているかどうかである。そこはしっかり押さえられている。
ハンバーグ頼んでつけものが出てきたとか、そういうアレじゃない。どちらも完走している。ハンバーグを頼んでしっかりハンバーグが出されている。
ゲームの色んな仕様を頭に叩き込んで、詰め将棋のような緻密さがあって尚、運を掴まなければ完走できない制限だ。
AさんBさんともに、頭だっていいはずなんだ。
なのにどうしても、あらゆるエッセンスにおいて、Bさんシリーズの視聴が増えるたびに、Aさんとの差を如実に感じてしまう。
動画のシーンの切り替えのタイミング、言葉選び、加速開始のタイミングや加速終了のタイミング、そういう様々な、感覚のセンスだ。あまりに、Aさんシリーズの完成度が良すぎた。
BさんはきっとAさんシリーズを受けて、自分なりに出来る工夫を盛り込んだのだろう。
同じレベルの、匹敵するような動画を作るぞと、Bさんなりの編集を行って投稿してくれたのだと思う。そこも感じられてよりしんどい。
似た構成だからこそシンプルに浮かび上がる随所のセンスのレベルの差があまりに分厚い。
同じ台本でも演出の差で陳腐扱いされるか王道扱いされるか分かれてしまうものだが、力量の差とは恐ろしい。
動画のメインでないはずの随所でAさんを思いだすのが辛くなって、Bさんシリーズの視聴ウィンドウをそっと閉じた。
たぶん、続きは見ない。
金銭は発生しない自己満足による創作だが、趣味として楽しんでいる。
誰かと同じテーマで──といった創作をしたことはないが、ああいう創作が出来ればと憧れを持っている人は何人かいる。
なんなら、自分の得意なこの部分だけなら憧れのあの人にも届くのではないかと思ったりしたこともある。
過去の自分のこういった思考も、全部いたたまれなくなってしまった。
Bさんの動画のもどかしいポイントが、全部自分にブーメランになって刺さってくる。
もしかせずともこれまで「うわ、あいつあの完成度で出来てるつもりかよw」みたいなこと、思われてたりしたのかな。
あ゛ーーーーーーーー!!!!!!!! やだよーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!
出来てないのに出来てるつもりで振る舞ってたかもしれないと思うだけで顔真っ赤だわ。
それを人様が作った動画で感じてしまったということが更に失礼でダメージ二倍だよ。ファッキンガム。
どっかで聞いた、自分が同じレベルだと思ってる人は本当はもっとレベルたけーんだよとかいうの本当だった。
https://note.com/hima_kuuhaku/n/n21017428d66c
公金不正の追及で有名な自称「作家」のインフルエンサー(?)の電話番号です。
以下の理由から、絶対に架電してはいけないし、この番号からの電話に出てもいけません。
フガフガと歯の抜けたような話し方が特徴で、聞いていて不快な声で話します。機嫌が悪くなると、絶叫したり、癇癪を起こして発狂したりします。たまに喘ぎ声のようなものも聞こえます。
しかも、夜でも構わず叫んでいるので迷惑です。ご近所さんが可哀想。
ご自宅は■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。
お父上の■■■さんは、こんな失敗作が一人息子なんて同情します。介錯してあげてください。彼への温かいメッセージは、次のメールアドレスに送ってあげてください。
【■■■■■■■■】
https://www.jpnumber.com/numberinfo_0743_74_7974.html
☆●原●晃尊師、堀口くんの犯行と認知プロファイリング、宣戦布告
①堀口英利くんがTwitterで僕のCP開示をガバガバで通して入手した電話番号とメールアドレスを晒した(他には誰も知らない)
③そいつは5chに秘書と共通したワッチョイで16分で「パトロールで見つけました」と晒しに来るアホだった
堀口英利くんは開示請求で得た情報を「VPNを使ってボロン!して嫌がらせしようとする」人間であると僕は警察でも裁判所でもどこでも証言する。
ひ「僕も、これはちゃんとけじめつけさせないといけないなと思いました(にっこり)」
☆その後、暇空は堀口様に裁判で完敗。逆にけじめをつけさせられました(にっこり)
だっせえええええええええええええええええええ
これは、何らかの係争に於いて、一方当事者がそれを理由に切腹した場合、もう一方の当事者もまた切腹しなければならないというモノである。これは必ず割腹でなければならなかった。この時代、切腹の定式は未だなく故に介錯人も不在である。まあまあ痛い。なお、中国史上でもしばしば割腹という自殺手法は誠意を誇示するための手法として古くは春秋期の記録があり、汎アジア的な死生観が垣間見られる。
この際、切腹者の言い分は詮議されず、問答無用で被指名者も腹を切らざるを得なかった。係争は神明裁判などにもみられるように一種の投機的行為である。そこで、証憑に対する掛け金を天井まで釣り上げるにはどうするか。究極にして絶対誰でも出せる"テメェの腹"こそシンプルな回答になる。前払いの命によって裏打ちされた証憑は、ために既にして真実にまで昇華している。となれば係争相手も己の証憑に文字通り命を懸けるか、あるいは係争に敗れ命を落とすかのどちらかだ。どっちにしろ死ぬ。そうなった以上、抗弁は不可能で無意味なのである。
逆に腹一つで取れるのは首一つまでであって同害報復の原則はちゃんと生きている。故に係争拡大にはならないという自力救済を旨とする中世ジャップランドにしてはまあまあ抑制の効いたシステムでもあった。
可笑しいのは、このような投機的状態に陥ったなら乾坤一擲の私闘に至るか闇討ちでもすればいいものを、わざわざ自死してしまう中世ジャップの異常行動である。なんならそれを聞いただけで被指名側も恐怖のあまり頓死してしまう場合があるというから、惰弱にもほどがあるというモノだ。その辺があまり類例を見ない慣習である。
さてこれは名前が現代にまで伝わっていることからも分かる通り、慣習とは言え相当に強力かつよく知られた代物であった。発祥は少なくとも室町期までは遡ることが出来、後に戦国時代の分国法に採用されている場合が散見される。これから逃げんとする者は、上位権力である戦国大名が指揮して成敗するとまで定められている例もあり、むろん実施例もある。一方被指名者が腹を斬ればまあまあそれで済むので、一族郎党にいやいや切らされた奴もいたに違いあるまい。
さて指し腹は近世・江戸期に入り、その慣例法治主義によって、切腹者が事前に被指名者を明言して割腹、家人が使用した脇差(文字通り脇を刺した奴だなガハハ)を相手方に届けた場合に成立し、相手方はそれを以て割腹するという様式が完成する。ホント官僚主義社会ってどうしようもねぇな。
ゆえにときどきゴキブリがヨロヨロ苦しんでいるのが視界に入ることがある。
昨晩も水を飲もうと台所に行って電気をつけたところ、突然電子レンジ上で仰向けになってピクピクしているゴキブリが存在しており悲鳴を上げそうになりました。
普段はゴキブリを発見しても俯瞰で見ることが多いのですが、どういうわけか電子レンジの上で苦しんでいるので目線が横からで近いです。
ゴキブリは本当に苦しそうです。
どのトラップによって苦しんでいるのかはわかりませんが激しく触覚、脚、胴体を痙攣させています。
死を招くトラップを仕掛けておいてこんなことを言うのは無責任なのかもしれませんが、この苦しみは少しやり過ぎのような気がしました。
ですから、速やかに苦しみから開放してあげるべきなのでしょうが理性はそう命じても感情的な嫌悪感からゴキブリを間接的にでも触ることができません。
また同じく死を招くトラップを仕掛けておいてこんなことを言うべきなのではないのでしょうが自らの手で生命を終わらせることに躊躇を感じます。
私は結局逃げ出しまた。
水を飲むことも忘れて。
その後、ゴキブリがどうなったのはわかりません。
今朝、起きて電子レンジの上を見ると何もいませんでした。
あるいは私が見たのは幻だったのかもしれません。
介錯はおいどんがするでごわすって話