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はてなキーワード: 介護施設とは

2023-10-18

anond:20231018183517

そして移住先の介護施設厄介者あつかいされてしんでいくんですね、カックイー

2023-10-16

バカとのやり取り

リーマンショック内定取り消し内定取り消しされた学生対象とする就活内定獲得するも連鎖倒産して内定ないまま卒業派遣就職するも正社員となる前に派遣切り→同じく内定取り消しされて派遣就職してた大学同級生である彼女職場正社員の先輩と結婚景気回復するも時既に遅し→実家に帰り漫画家として一発逆転を目指すも両親から言葉暴力虐待あい家出倉庫での積み込みと介護施設で食い繋いでいたものの、膝と腰を壊し現在一人暮らししながら生活保護受給する独身中年男性

不定期で家にやってくるバカ公僕とのやりとりを紹介。

バカ公僕「同じ町内のご実家に帰られて、一度ご両親のお世話になりながら就労支援などを受けられては?ご両親は健康なようですし」

俺「父から暴言を浴びせられるので。被害届出てるので確認してください」

バカ公僕「……身体故障のある従業員にも理解があり、軽作業の割り当てが可能企業求人がありますよ」

俺「身体故障のあることを理解しておきながら事務職ではなく軽「作業」ですか?」

バカ公僕「……また来ますね〜」

俺「もう来なくていいですよ。来るならもっと話の通じる人でお願いします」

バカ公僕「……」

2023-10-04

anond:20231004130341

介護施設建物の裏。

ZOZO通販倉庫建物建物のすき間。

からは目立たない日陰にやつらは生息している!

2023-10-01

anond:20231001162824

でもそう言いつつ「介護施設おまんま食わしてケツを拭いて死んだ後の片付け」なんかしなくて済むように、必死にガキンチョに教育仕込んでるわけじゃん

それで言ったら無駄博士とか増やすより支援なんかない方がマシなんじゃないの

anond:20231001133342

あなた一人暮らしで年取って痴呆になったとき介護施設おまんま食わしてケツを拭いてくれて死んだら後片付けしてくれる世代を育てるためじゃない?認知症になって一人で街ふらふらし始めたり部屋に閉じこもって孤独死したあとに液体になったあなたを片付ける処理費用を前払いしてるだけだよ

2023-09-15

anond:20230915173837

人を扱う職場では必ず必要になってくるかもね、介護施設とか

2023-09-07

役所系入札案件

https://delete-all.hatenablog.com/entry/2023/09/07/000000

言っている事は分かる

ブコメでも勇ましい声が上がっている

業務システム化

文書電子化

道路工事

給食請負

介護施設管理

道の駅管理

結構いろんなものが「入札」という形で外部委託される

金額面だけじゃなく、管理業者が変わる事でのトラブルもある

サーモンパーク千歳記憶に新しいだろう

入札案件は大抵、すでに受けている業者が有利だ

どういう項目が必要で、何にお金がかかり、どこで調整すればいいか知っているか

ちなみに、エントリ文書電子化案件でも、金額を調べてみると、上と下で字義通りの「桁違い」で応札されている

それなりの企業が1千万応札しているのに、200万とかで応札したところは、さてどうやって帳尻合わせをするのか

まだ円が強く、日本経済大国だった頃なら、中国委託するなどが普通に行われていた

うん、なんか思い出すものがあるね

システム案件の「1円入札」事件では公取委が警告してる


今回「ホーユー」の破綻劇の結果、【子供給食を食べられない】という悲劇が公開されたことで、役所突き上げる御仁が多いが

相見積もりと違って、入札は法によって結構厳しく制限されている

考えてみて欲しい

ABC三社が金額提示、C社が安いが、B社がそこそこの値段の時

C社が不安からB社にしようというのを「役所に許した場合」の弊害

安く応札した企業を弾くのは、それなりの根拠が居る

独禁法の考え方

最低入札価格等を決定することが違反とされるのは、その行為が行われた理由いかんを問わないのであって、妥当価格水準にするためとか、対象となる商品又は役務の質を確保するためとか、不当な低価格受注を防止するためといった理由によって正当化されるものではない

排除方向性としては不当廉売ダンピング)での違法性を問う方向になるだろう

ガイドラインでもそれが示されているが…

ソレ(応札会社ダンピング違法性の追求)は果たして、ただ携わる事になっただけの1役人が、事業開始前の「事前に」行うべき事なのだろうか……



https://anond.hatelabo.jp/20230908193107

アホじゃないかと思う

2023-09-06

AEDに無縁の生活

なんか増田って定期的にAEDで盛り上がってるじゃん?

でも正直、全然ピンとこんのよ。

 

そもそもAEDってどこに置いてあるんだ?

と思って調べてみた。

日本全国AEDマップというサイトがある。

https://aedm.jp/

 

勤め先の半径10km圏内で見てみた

1.学校幼稚園

2.病院歯科眼科含む)

3.派出所

4.老人ホーム介護施設

5.駅

 

縁がねぇ~~~~~!

全部、縁がねぇ~~~~~!!

電車乗らねーもんな……

 

この中で一番出入りすのは病院になるんだが

病院心臓止まってる奴いたらAEDするのは俺じゃないじゃん?

たとえそれが眼科でも俺じゃなくね?え?俺?

 

マジで普通に生きてるとAEDに接する機会自体ほとんどない。

デカめのモールかにもあるみたいだけど、行かねぇしなぁ。

 

みんながAEDやるのやらんので大騒ぎしてるけど

生きてる圏内AEDってそんな頻出するもんなの?

2023-08-31

介護の外の業界人間から介護業界を見て思う浅い意見

介護施設indeed検索するとこの世のものとも思えないような月給にビビる

老人の介添えをして、夜勤もして、時には認知症の方の介護も行って。

それで疲れ果てて月給20万、夜勤明けて帰っていくときに土日休み医者オーナーベンツで出勤する。

そんな世界で人に優しくできるのかっていうと、自分には無理だ。

もう少しそのお金を配れば世界もっと優しくなれると思うんだけどな。無理だろうな。

2023-08-26

anond:20230825200355

町に住めと気楽に言うが、若い人はまだしもその土地で60年70年暮らした人は今さら他の土地適応できないよ。

無理に移住したら一気に病気になったり認知症になったりする。住み慣れた土地なら農業をできてた人も、他所土地だとそれができなくなる。受け入れる側の都会にとっても医療などへの負担が大きい。


都会に巨大な老人ホーム介護施設をいくつも建てるよりは、地方健康的に米でも作っててもらった方がよほどメリット大きいよ。そのためにインフラ維持する価値はある。

2023-08-11

anond:20230810212640

財務省が悪い説はさすがに否定できないのでは…

政府が官民連携の号令で民間予算を流しているのが原因で、文科省忖度して予算を取らないのかな?とも思います

 

五輪予算やgトラベル予算不正のようなものが無くなれば、科博予算が上がるとまでは言えないとしても

予算ばらまきを先手先手でシメ報道大手がないですね

観測してみると、例えば財政投融資資金は、福祉医療機構という民間団体が多く使ってます情報不開示団体で全容不明

団体医療機関等に低金利融資金をばらまき、医療介護施設新築計画させ、建築会社事業提供しま

すなわち不動産業政治です(ビッグモーターもそうです

自民自治体レベルでも、保育所新築補助金を回させて、立地悪くて空っぽ施設になっても(ゼネコン仕事を作った)実績だと豪語しま

国交省ゼネコン利益ものすごく甘いです

予算編成には憲法上の問題は何もないとしても、お財布から抜かれてたらしっくりしませんよね

2023-07-29

介護施設投資するのと自動車工場投資するのどっちが儲かる?

どっちもどっちと思ってる人やわからないと思ってる人、

莫大な社会保障費や補助金がなかった場合でも介護工場並に儲かると思いますか?

自明ですね。景気が上向きになるほど工場投資が集中し、介護には投資は集まりません。

すると、介護職の給料は停滞し、介護サービスは低下していきます

国がテコ入れするしかないわけですが、介護老人の数は他の産業の儲けを奪う以上に増加していき、介護公務員ではありませんので、公務員以上の待遇にはなりません。

景気が回復するほど投資が集まらない介護は終わった産業として捨てられる運命にあるのです。

2023-07-22

anond:20230721171900

介護施設(短期入所)がそんな感じ

図書室は無いけど雑誌くらいなら置いてある。絵本とか

TVもある

(「勝手に出ていけない」ところはガチ刑務所だけど)

介護施設なんて介護認定受けた老人しか入れないだろ」って思うかもしれないけど

50代とかで要支援でも要介護でも無い人が偶に来る

家で何らかのトラブルがあって、どこにも行けない人

警察押し付けてくる

介護施設がそんなことやってるって国は知ってるのかなあ?

関係ないけど「短期入所利用30日を超えない様にして1日だけ家に帰って直ぐ来るってのを繰り返す遣り口」とかも国は承知の上なのかね

(ショートステイなのにロングとして使う。30日超えると実費になるから、そうならない様に何とかして1日だけ家に帰る

その他にも違った手口で「居続ける」ことが可能だ。介護保険制度の目を潜って行うチート行為だよね

ショートに居続け+老健数ヶ月利用で絶対家に帰らない。特養に入れない・有料にも入れない老人はこうやって余所に預けられている)

それは兎も角。刑務所介護施設みたいな状態らしいよね

認知症受刑者若い受刑者が面倒見るとか

老人蔓延り過ぎ

というか、老いると漏れなく受刑者状態になるのがきっついすねー(一日中椅子に座ってろって言われるとか…刑務所の方がまだマシじゃないかって思うわ)

2023-07-12

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2023-06-25

anond:20230624192838

若いときデリヘルやって、老いて稼げなくなったら介護やるのかな

でも、これからは「ご家庭に伺って異常な家族監視されながら異常な老人の介護をする訪問介護」がメインになる業界から

パッと見で発達と分かるほどヤバい人は無理かもなあ

(介護自体地獄なのに輪をかけて地獄であるところの訪問なんてやるヤツって根性凄すぎだよな。尊敬するわ)

まあ、介護施設に就業してるヤツは現段階で発達やグレーゾーンだらけだけども。たぶん訪問は無理じゃないかな。ハードル高すぎだもん

デリヘルソープの嬢の老後ってどうなってるんだろうか

2023-06-19

祖母が死んでいた

間違い電話の折り返しで母と話したとき祖母が数か月前に亡くなっていたと教えられた.

祖父はかなり前に他界している.祖母一人暮らし痴呆症も進行し,介護施設に預けてから大分経っていた.

最期は呼吸が困難になり苦痛でのたうち回った.母は何度も病院に呼び出され最終的に看取りはしたが,火葬などの手続きは叔母に任せたそうだ.

年齢的には大往生と言ってよいのだろう.祖母には末っ子一人っ子として幼少の頃は大分可愛がられた.

から伝え聞いた話によると医者を志していた才女だったようだが,時代親族がそれを許さなかったそうだ.

おぼろげながら思い出せる会話から教養の片鱗は覗かせていた.

2DKの狭い実家にほぼ毎年帰省してはいたが,親子間の関係はかなり冷え切っていたように思える.

理由ははっきりしていて,母は幼いころ大叔父レイプされたそうだ.

母は我慢強い性質ではあるものの,全てを隠しとおせるほど強靭ではない.

当時も周囲に告発したものの,祖母,つまり実の母には「お前が股を開いたんだろ」と言い捨てられたらしい.

そのときの母の絶望想像に難くないが,当然ながらそのやり取りは姉弟にも知られ,親子関係破滅した.

私はその経緯を学生の頃,母から涙ながらに電話で教わる.まさに青天の霹靂だった.

因果関係不明だが,母は障碍者手帳を持つ程度には重度の双極性障害で,私は虐待を受けていた.

短気で仕事に没頭しがちだった父と母は相性が悪く,離婚していないことが不思議なくらい夫婦仲はよろしくない.

小学生の頃,母に連れられ不倫相手の家に泊まったこともある.当時はポケモンカードを買ってもらい口封じされる程度には単純だった.

いつしかその行為も終わったが当時専業主婦だった母は精神病み,私を風呂場に閉じ込め,叩き,包丁お気に入り自転車サドルをめった刺しにした.

私は逃げるように県外に進学した.小中高大院と全て国公立だったが塾に行かせ,学費負担してくれる程度には父は稼いでいた.

勉強研究は楽しかった.指導教員にも恵まれJASSO奨学金も返済免除となる程度には業績も評価された.そこに件の電話が来た.

私は病んだ.祖母憎悪し,母を憎み,父を恨んだ.祖母に無邪気に懐いていた自身も悍ましく思った.

ほどなくして不登校となり,カフェインLD50を調べエスタロンモカをがぶ飲みした.ブルーシートを敷きドアノブを使って首を括ったが死ねなかった.

幸い研究業績は積み上げていたため,職にありつくことはできた.毎日リーマスやラミクタールを飲むことでどうにか生きている.

祖母が亡くなったと聞き,帰省の際時折見せていた物憂げな表情を思い出す.

2023-06-13

anond:20230613233151

仕事やってるお陰で育児介護もろくにしなくていいんだからそれだけで良いじゃん

それで仕事やってなかったら保育園なんか使えないし介護施設必要になっても優先順位最下層になってまず入れんぞ

2023-06-06

50代独り身おじさんの自分語り

大学卒業就職に失敗。アルバイトから物流会社に勤務するも辛すぎて数ヶ月で退職しそこから10年以上引きこもり

母が職場で倒れたことをきっかけに介護施設就職し、数年経って介護福祉士となった。それからしばらくして転職現在も勤務する私立病院事務職に就いた。この時41歳。

そこで知り合ったのが妻。

同い年でバツイチ看護師自分も向こうも職場で同僚との人付き合いが殆どなかったが、何故か挨拶する様になって会話するようになって付き合い始めた。女性交際したことは40年以上生きてて一度もなかったが、その歳だったからか初デートでも初セックスでも一切緊張しなかった。

約2年交際してから結婚。お互い歳で向こうは既に子宮全摘してるってこともあり子なし夫婦。最初は母と3人で住んでいたが間もなく亡くなったため以後は二人きりの生活になった。ご飯食べて、仕事行って、ご飯食べて、各々本読んだりテレビ観たりして、2日か3日おきくらいにセックスして、休みの日には道の駅に行くか近所を散歩するような生活をしていた。

結婚して一年半で妻の病気骨盤に再発。医師から抗がん剤放射線で進行を抑えられるレベルって言われたけど、結局そこから1年持たずに妻は亡くなった。

それから50歳の誕生日を一人で迎え今に至る。

結局自分は独りで死ぬことになったし当然後始末とかで誰かに迷惑をかけてしまう。傍から見たら孤独で不幸な人生に見えるだろうけど「自分人生は不幸だったか?」って言われたらそうは思えないんだよね。30半ばで社会人になってから妻が亡くなるまでの10年とちょっとの間に一生分の生きがいのような物を味わった気がする。テレビの前に置いてある等々力渓谷で妻と母と3人で撮った写真とかを見てたまに寂しくなるときあるけど「孤独」な気持ちにはならない。

なんで突然こんなこと書きたくなったのかわからないけど、明日も一日頑張るか。

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