はてなキーワード: 人生はこれからとは
金曜ロードショーで千と千尋の神隠しを子供と一緒に見た。ハクと千尋のお別れのシーン、どうしようも無いくらい泣いてしまった。最初見た時よりもずっと。
6歳の子供は、ニコニコして、パパなんで泣いてるの?と聞いてくる。
この映画を20年前に見てパパはとても感動したんだ。今見ても本当にすごいよね。
でもね、今これを見ると、パパはもうどうしようもなく年をとったなって思ったんだ。子供ちゃんの人生はこれからも楽しいことがいっぱいだけどね。そんな感じで泣いちゃったんだよ。
そう子供に伝えた。
パパに残された可能性は子供ちゃんしかないんだよ。この映画を見た時はまだ色々あると思ってたけど、もう何も無いんだ。過ぎ去った20年間、パパができたことは子供ちゃんを育てたことだけなんだ。振り返って見て特に良いことも悪いこともそんなになかったのに、なにか無くしたような気持ちになったんだ。無くすほどのものなんてないのにね。
これは伝えませんでした。
みんな薄々気づいてると思うけど、もはや氷河期世代が救われる未来なんてない。どんな「支援策」とやらを打ち出そうと、20年近く非正規雇用を転々とせざるを得なかった氷河期世代が今さら安定した職を得ることは無理だし、結婚して家庭を築くという未来も手に入らない。
そんな未来のために氷河期世代が働き続ける意味なんてあるのだろうか?朝起きて非正規の安月給の仕事をしに出かけて、家に帰って飯食って風呂入ってアマプラやネトフリを観て寝るだけの日々を一生独身のまま送る。そんな人生のために働き続ける意味なんてあるのか?
「無い」というのが答えだと思う。そんな生活なら生活保護でも出来るんだから。
「働きたくないなら生活保護でいいじゃん」というムーブメントにはいまだに抵抗感を抱く人が多数派だろうけど、現実を見れば生活保護と大差ない暮らしのためにフルタイム労働をしている人はたくさんいる。少ない給料からも社会保険料や年金がこれでもかというほど天引きされる。そして天引き額はこれからも増える。そう遠からぬ未来で、働くことを諦める人はどんどん増えていくと思う。
そして、氷河期世代の人たちはもう諦めていいと思う。あなた達はもう十分苦しんだよ。上の世代の正社員たちの雇用を守るために調整弁にされ、景気が回復した頃に下の世代はゆるゆると大手への内定を勝ち取って安泰な人生を過ごしてる。上の世代も下の世代も、氷河期世代の犠牲のおかげで幸せに豊かに暮らしてる。少なくとも氷河期世代よりは経済的に豊かになるチャンスに恵まれてた。
氷河期世代の人たちは、賠償金をもらうくらいの気持ちで生活保護を受給していいと思う。一生独身で、Twitterとヤフコメに社会への文句を匿名で垂れ流すだけの人生はこれからも続くだろうけど、せめて下らない労働に人生の貴重な時間を奪われない日々を手に入れる権利はあると思う。
一昨日、近所の焼き肉店で1人で酒席を囲うことがあった。道路や河川での土木仕事でさんざん疲れた後の一杯が最高なのだ。
この日は、川に橋をかけるための準備工として土嚢を積んでいた。小さい工務店の代表として、工事費の設計積算も、現場監督も、銃器捜査、肉体労働も兼任している。
体重が2kgは減った! という確信があるくらい今日は働いた。まずは冷えたビールを注文して、牛ロース100gに、上カルビ100gに、豚のハラミ100gに、鳥のもも肉100gに、石焼ビビンバに、韓国風冷麺に・・・単品のキャベツを素手で齧りながら食べ進めていった。
本題に移ろう。
その店にはキビキビと働く女の子がいる。多分高校生~ハタチくらいかと思われる。その日も、私が注文しそうなタイミングで傍に寄って来たり、注文をしようと厨房を見た段階で気が付いたり、トイレに行っている間に私のせいで汚くなった卓を整えたりと、ファインプレーを見ることができた。
それで、さあ帰ろうかと思ったところ、「お皿拭いたら上がっていいよ」という店主の声を聞いた。あの子が上がる時間になったようだ。22時だった。
その子は壁にあった扉を開くと、中の物置から上着を取り出して、賄いを食べに奥の座席に向かったわけだ。すると、私のふたつ隣に座っていた若い男性(30才過ぎかと思われる)が、「~~ください」と、その子を呼び止めた。その際、私は何とも思ってなかったが、その子が「もうアップ……」と小さく呟いたのを聞いた。
私は〆のアイスクリームを食べていた。考え事をしていた。すると、隣から「お前人生ナメとらんか!?」という声が響いた。例の若い男性だった。ちなみに初対面だ。
後で店主に確認したところ、女の子が「もう上がりなので」と説明したところ、奴さんはキレたらしい。うるせえな、と思いながらも彼の主張を聞くことになった。
・お客が求めているのだから、プロの自覚があるなら応えないといけない
といったものだ。
女の子は俯いていた。マスクをしていたが、瞳をまっすぐ地面に向けて、涙目になっていた。「すいません、すいません」と答えていた。
店主の方を見ると、天然パーマの頭だけがカウンター越しに覗いている。一応、こちらの方を向いてはいる。これは、店主がビヤ樽に座って休憩している時の姿だ。私の定位置から見るとそういう眺めになる。
残りの厨房スタッフは我関せずとばかり、肉肉肉、米米米!野菜ィィィッ!!!といった雰囲気で調理に打ち込んでいた。
若い男性の説教が続く中(上の3点目の途中だった)、私は声をかけることにした。メシがまずくなったからだ。「ちょっといいですか」と声をかけると、男性はこちらを向いて、「あんた、なん?」と方言混じりにこちらを向いた。
「その子は賢いんですよ。次は大丈夫です」と言ったところ、「大丈夫じゃないさかい、こうしてる」と息を巻いて私を威嚇してくる。
「おじさん、いちびんなや」
私は、彼の目をちょっと見つめた後で、
「調子乗っとんのはお前じゃボケ。おい、黙れ。〇すぞ!! おい、お前。黙れといったろ。聞こえとるんけ、おい!」
そんなことを叫ぼうとした直前、ハッとなって我に返った。
あれは5年前、私がまだ不惑になったばかりの頃だった。
この焼き肉店で同じようなこと(迷惑客が店員に絡んだ)があった時、そんなことを叫んで、そいつを蹴っ飛ばして、店から追い出して、さらに何発かブチ殴って、店を出入り禁止になったのだ。
その後、私は反省した。暴力に訴えてはならなかったと。店主に何度も謝って許しをもらい、再入店を許可してもらった思い出がある。
私は、彼に向かってできるだけ穏便になるように答えた。
「すいませんが、私は迷惑しています。聞いていると食事がおいしくないんです。そろそろ堪えてくれませんか。店主、あっちで座ってますけど、ほら。すごい表情で睨んでますよ」
と言った。
若い男性は店主の天然パーマの方を見ると、頭を振るようにして手元の手羽先に目をやった。そして焼酎を飲み始めた……解放のサインだった。
女の子は、私の方に会釈した。表情は見ていない。トコトコと奥の座席に向かい、もう1人のアルバイトの男の子と一緒に賄いを食べ始めた。
私の考えを述べていいだろうか。
やっぱり、ああいう勘違いをした御仁は、一度ガンと言ってやらないと効かないんじゃないか。痛い目をみないと反省しないからだ。あの日はどうにかなったが、あいつはまたやるんじゃないか。
だったら、あの時リスクを冒しても、私はあいつを全力で威嚇し、場合によっては店の内外で暴力によって制裁を下してやるべきではなかったのか。彼は若かった。それも愛だと思う。
そうすれば、もうあの女の子が絡まれることはなくなる。私も焼き肉店を出入り禁止になるリスクはあるが、私と店主は10年以上の付き合いだ。謝ったら許してくれるかもしれない。
少しだけ自慢をさせてもらうが、ケンカは強い方だと思う。社会人になってからも合計で30回以上、祇園や木屋町の路上や、飲食店やスナックの中で暴れたことがある。それこそ色んな輩と戦っているが、負けたことは二度しかない。
現行犯で警察に逮捕されたこともある。が、私は経営者だからクビになることはないし、従業員だって私がこういう人間だと知っている。みんなの前で、「また捕まったよ!」と冗談交じりに言ったなら、職場がまた笑いに包まれるのだろう。
別件だが、私が奴さんくらいの年の頃だった。2005年くらいか。先斗町寄りの祇園の端っこにある居酒屋で、深夜に大学生の男が酒に酔っていた。
私は彼の2つ隣のカウンターに座っていて、その間には黒っぽいスーツの男性が座っていた。片見知りだ。彼は私を知らないかもしれない。
「俺は立命館に現役合格してるし、そのうえ~~(よく聞き取れない)~~、△△(京都で一番有名な製作所)に内定をもらっている。いつか天下を取ってやる」「あのサークルの□□さんは俺のことが好きだ。付き合いたい」「人生はこれからも楽に勝てる」、みたいなことを言っていた。
彼が黒いスーツの男性に絡んだのを覚えている。それを確かめて、酎ハイをぐいっと飲んで、卓に置きかけたところで、カウンターの椅子がガッタン!と倒れる音が聞こえた。
怒号があった。あまりに驚いた私は聞き取ることができなかった。すぐ隣を見ると、さっきの大学生が黒いスーツの男性におそらく蹴っ飛ばされて、仰向けで倒れていた。
黒いスーツの男性はまた何か叫ぶと、大学生の脇腹の辺りを鋭く蹴った。うつ伏せ気味になった大学生を、何度も何度も革靴で踏んづけて、首根っこを掴んで引き上げたと思うと、右の拳を彼の顔に何度もぶつけていた(凄まじい台詞だった。そのまま書いたら当日記は削除されるだろう)。
私は周囲を見た。店長と思しき人間を始め、誰一人として暴行を止める様子はない。ほかの客もそうだ。それもそのはずで、スーツの男は本物の暴力団だった。相応の経験を積んでいる。
私もこの業界人を長いこと見てきた。堅気かそうでないかは、怒号の質と、暴力への慣れと、それらへの躊躇のなさで判断できる。
2022年現在、暴力団員が深夜に居酒屋を利用することは減ったし、居たとしても隅の方で大人しくしている。だが、この時代は違う。まだ彼らに勢いがあった。あの当時は、暴力団組員が数人連れで大手を振って繁華街をうろついていた(だんだん思い出してきた。この頃、木屋町の大通りで公衆の面前でのリンチ殺人事件が起きて、急に警察官が増えたのだ。それで反社や半グレが繁華街から消えた)。
この時、居酒屋の店主が警察に通報していたら復讐を受けたのは間違いない。もし、彼らが「〇す」と言ったら本当にやりかねない。いや、やるのだ。本気度が堅気の人間とは違う。
そういうオーラが立ち振る舞いから漂ってくるものだから、店側が「あのお客はもしや」と気が付いたとしても、また情報提供を受けて真実を得たとしても、何も対応することはない。これが、繁華街から反社の影が消えない理由のひとつである。
話が逸れた。大学生を見ると鼻血を流していた。何度も殴られて、男の衣服を掴んでいた片手がぶらんとなったところで、私は止めに入った。男の肩を後ろから触って、「○○の集まりでいた人だよね。店の奥の客が通報しとったで。はよ逃げ」と、彼の面子を潰さないように嘘をついた。その男は、店長と思しき人間を一睨みすると、お金を払うことなく店外に出て行った。
大学生の方を見ると、大泣きで仲間の肩につかまっていた。店員から「料金はいいですから」と説明を受けていた。
災難だったが、彼はいい勉強になっただろう。社会人になってからあまりに調子に乗ったことをしていると、ある意味で今回よりもひどい目に遭う恐れがある。その前に学べたのだから、彼はむしろツイていた。
例の反社の人は、あれから相当に勢いのある人間に育ったが、現在はわけあって娑婆にいない。あまりに男気が強すぎたのだ……。
さて、私もいい年だ。社会常識はわかっている。何事も、説得によるやり方が一番の至上なんだろう。
が、土木の仕事をしていると常々感じる。正しいやり方は、その時々の環境や条件によって変わるのだ。晴天時と小雨の日とでは、現場練りで配合するセメントと水の割合も違ってくる。
初めに戻る。私は、あの時あの状況では、女子店員と若い人(といっても30は超えてるだろうが)の未来のために、ついでに焼肉店のためにはどうするのが最上だったのだろう。またあの店で同じようなことがあった時、私はどうすればいいのか。
増田の人の知恵を貸してほしい。できればなのだが、金髪のダイダラボッチのアイコンの人か、物憂げな青っぽい女性の人か、楽しい雰囲気の黒髪の女の子か、鼻が大きい男性の人か、おたまじゃくしの人のコメントがあったらうれしい。おたまじゃくしの人は最近見ない。元気にしているのだろうか。
ワイの人生はこれから始まるやでという話
それは外圧。
世論調査でどのような結果が出ようとも、法的にいかなる正当性がなくとも、どれほど国内でデモをやろうとも、バカ老人が閣議決定で何かを決めたつもりになると勝手に承認されたと思い違いできるという事態は、もう日本人なら皆わかっているはずである。すでに民主主義の実態などこの国に存在していないので、いくら訴えても無駄である。
それなのに日本国内で街頭に出て騒げば何かが変わると思っているのはさすがに知的怠惰が過ぎるというものだ。話を聞かず、いくら街場で騒いでも喉元過ぎれば暑さを忘れると老人に学習させたのは、いま街頭に出てデモをやっている愚民たちに他ならない。愚民は学習能力がないゆえに愚民であり続けるのだ。
我々が非法行為とみなすものを止める力はもはや国内には残っていない。たった一つの賢いやり方とは、外圧に訴えて老人の愚行をやめさせることだ。
もしあなたが少しでも自分を賢いと思っているなら、もし日本が民主主義の国だと1ミリ秒でも思ったことがあるなら、今すぐに各国からの国葬出席者のリストを作らなければいけない。そして出席者の属する政党、個人事務所に向けてすぐにあたうかぎり激しい抗議のメールを送らなければならない。出席者がSNSをやっているならば直ちに公開の場でメンションして国葬への出席意図を訊さなければならない。
いうべきことは少しでも頭を使えばいくらでもあるはずだ。これは国家元首の葬儀ではない、カルト教団の宣伝行為であって出席する者はこれに加担する者だと。国民の大多数がこの愚かな行事に反対しており出席者はすべからく日本の敵とみなされると。考えればいくらでもある。
英語ができないというのは今の時代に単なる言い訳だ。日本語で言うことがあればDeepLなどで翻訳してメールなりDMを投げればいいだけである。それを外国語の壁が高いとかなんとか言っているのは単なる知的怠惰である。
このようにいくらいっても冷笑的に揚げ足取りのコメントをして何かに「勝った」つもりになって、何も変えないことを選択して布団の中で屁だけこいているがゆえにあなたは愚民であるし、あなたのそのような人生はこれからも変わらないことだけが確かだ。
一昨日、近所の焼き肉店で1人で酒席を囲うことがあった。道路や河川での土木仕事でさんざん疲れた後の一杯が最高なのだ。
この日は、川に橋をかけるための準備工として土嚢を積んでいた。小さい工務店の代表として、工事費の設計積算も、現場監督も、銃器捜査、肉体労働も兼任している。
体重が2kgは減った! という確信があるくらい今日は働いた。まずは冷えたビールを注文して、牛ロース100gに、上カルビ100gに、豚のハラミ100gに、鳥のもも肉100gに、石焼ビビンバに、韓国風冷麺に・・・単品のキャベツを素手で齧りながら食べ進めていった。
本題に移ろう。
その店にはキビキビと働く女の子がいる。多分高校生~ハタチくらいかと思われる。その日も、私が注文しそうなタイミングで傍に寄って来たり、注文をしようと厨房を見た段階で気が付いたり、トイレに行っている間に私のせいで汚くなった卓を整えたりと、ファインプレーを見ることができた。
それで、さあ帰ろうかと思ったところ、「お皿拭いたら上がっていいよ」という店主の声を聞いた。あの子が上がる時間になったようだ。22時だった。
その子は壁にあった扉を開くと、中の物置から上着を取り出して、賄いを食べに奥の座席に向かったわけだ。すると、私のふたつ隣に座っていた若い男性(30才過ぎかと思われる)が、「~~ください」と、その子を呼び止めた。その際、私は何とも思ってなかったが、その子が「もうアップ……」と小さく呟いたのを聞いた。
私は〆のアイスクリームを食べていた。考え事をしていた。すると、隣から「お前人生ナメとらんか!?」という声が響いた。例の若い男性だった。ちなみに初対面だ。
後で店主に確認したところ、女の子が「もう上がりなので」と説明したところ、奴さんはキレたらしい。うるせえな、と思いながらも彼の主張を聞くことになった。
・お客が求めているのだから、プロの自覚があるなら応えないといけない
といったものだ。
女の子は俯いていた。マスクをしていたが、瞳をまっすぐ地面に向けて、涙目になっていた。「すいません、すいません」と答えていた。
店主の方を見ると、天然パーマの頭だけがカウンター越しに覗いている。一応、こちらの方を向いてはいる。これは、店主がビヤ樽に座って休憩している時の姿だ。私の定位置から見るとそういう眺めになる。
残りの厨房スタッフは我関せずとばかり、肉肉肉、米米米!野菜ィィィッ!!!といった雰囲気で調理に打ち込んでいた。
若い男性の説教が続く中(上の3点目の途中だった)、私は声をかけることにした。メシがまずくなったからだ。「ちょっといいですか」と声をかけると、男性はこちらを向いて、「あんた、なん?」と方言混じりにこちらを向いた。
「その子は賢いんですよ。次は大丈夫です」と言ったところ、「大丈夫じゃないさかい、こうしてる」と息を巻いて私を威嚇してくる。
「おじさん、いちびんなや」
私は、彼の目をちょっと見つめた後で、
「調子乗っとんのはお前じゃボケ。おい、黙れ。〇すぞ!! おい、お前。黙れといったろ。聞こえとるんけ、おい!」
そんなことを叫ぼうとした直前、ハッとなって我に返った。
あれは5年前、私がまだ不惑になったばかりの頃だった。
この焼き肉店で同じようなこと(迷惑客が店員に絡んだ)があった時、そんなことを叫んで、そいつを蹴っ飛ばして、店から追い出して、さらに何発かブチ殴って、店を出入り禁止になったのだ。
その後、私は反省した。暴力に訴えてはならなかったと。店主に何度も謝って許しをもらい、再入店を許可してもらった思い出がある。
私は、彼に向かってできるだけ穏便になるように答えた。
「すいませんが、私は迷惑しています。聞いていると食事がおいしくないんです。そろそろ堪えてくれませんか。店主、あっちで座ってますけど、ほら。すごい表情で睨んでますよ」
と言った。
若い男性は店主の天然パーマの方を見ると、頭を振るようにして手元の手羽先に目をやった。そして焼酎を飲み始めた……解放のサインだった。
女の子は、私の方に会釈した。表情は見ていない。トコトコと奥の座席に向かい、もう1人のアルバイトの男の子と一緒に賄いを食べ始めた。
私の考えを述べていいだろうか。
やっぱり、ああいう勘違いをした御仁は、一度ガンと言ってやらないと効かないんじゃないか。痛い目をみないと反省しないからだ。あの日はどうにかなったが、あいつはまたやるんじゃないか。
だったら、あの時リスクを冒しても、私はあいつを全力で威嚇し、場合によっては店の内外で暴力によって制裁を下してやるべきではなかったのか。彼は若かった。それも愛だと思う。
そうすれば、もうあの女の子が絡まれることはなくなる。私も焼き肉店を出入り禁止になるリスクはあるが、私と店主は10年以上の付き合いだ。謝ったら許してくれるかもしれない。
少しだけ自慢をさせてもらうが、ケンカは強い方だと思う。社会人になってからも合計で30回以上、祇園や木屋町の路上や、飲食店やスナックの中で暴れたことがある。それこそ色んな輩と戦っているが、負けたことは二度しかない。
現行犯で警察に逮捕されたこともある。が、私は経営者だからクビになることはないし、従業員だって私がこういう人間だと知っている。みんなの前で、「また捕まったよ!」と冗談交じりに言ったなら、職場がまた笑いに包まれるのだろう。
別件だが、私が奴さんくらいの年の頃だった。2005年くらいか。先斗町寄りの祇園の端っこにある居酒屋で、深夜に大学生の男が酒に酔っていた。
私は彼の2つ隣のカウンターに座っていて、その間には黒っぽいスーツの男性が座っていた。片見知りだ。彼は私を知らないかもしれない。
「俺は立命館に現役合格してるし、そのうえ~~(よく聞き取れない)~~、△△(京都で一番有名な製作所)に内定をもらっている。いつか天下を取ってやる」「あのサークルの□□さんは俺のことが好きだ。付き合いたい」「人生はこれからも楽に勝てる」、みたいなことを言っていた。
彼が黒いスーツの男性に絡んだのを覚えている。それを確かめて、酎ハイをぐいっと飲んで、卓に置きかけたところで、カウンターの椅子がガッタン!と倒れる音が聞こえた。
怒号があった。あまりに驚いた私は聞き取ることができなかった。すぐ隣を見ると、さっきの大学生が黒いスーツの男性におそらく蹴っ飛ばされて、仰向けで倒れていた。
黒いスーツの男性はまた何か叫ぶと、大学生の脇腹の辺りを鋭く蹴った。うつ伏せ気味になった大学生を、何度も何度も革靴で踏んづけて、首根っこを掴んで引き上げたと思うと、右の拳を彼の顔に何度もぶつけていた(凄まじい台詞だった。そのまま書いたら当日記は削除されるだろう)。
私は周囲を見た。店長と思しき人間を始め、誰一人として暴行を止める様子はない。ほかの客もそうだ。それもそのはずで、スーツの男は本物の暴力団だった。相応の経験を積んでいる。
私もこの業界人を長いこと見てきた。堅気かそうでないかは、怒号の質と、暴力への慣れと、それらへの躊躇のなさで判断できる。
2022年現在、暴力団員が深夜に居酒屋を利用することは減ったし、居たとしても隅の方で大人しくしている。だが、この時代は違う。まだ彼らに勢いがあった。あの当時は、暴力団組員が数人連れで大手を振って繁華街をうろついていた(だんだん思い出してきた。この頃、木屋町の大通りで公衆の面前でのリンチ殺人事件が起きて、急に警察官が増えたのだ。それで反社や半グレが繁華街から消えた)。
この時、居酒屋の店主が警察に通報していたら復讐を受けたのは間違いない。もし、彼らが「〇す」と言ったら本当にやりかねない。いや、やるのだ。本気度が堅気の人間とは違う。
そういうオーラが立ち振る舞いから漂ってくるものだから、店側が「あのお客はもしや」と気が付いたとしても、また情報提供を受けて真実を得たとしても、何も対応することはない。これが、繁華街から反社の影が消えない理由のひとつである。
話が逸れた。大学生を見ると鼻血を流していた。何度も殴られて、男の衣服を掴んでいた片手がぶらんとなったところで、私は止めに入った。男の肩を後ろから触って、「○○の集まりでいた人だよね。店の奥の客が通報しとったで。はよ逃げ」と、彼の面子を潰さないように嘘をついた。その男は、店長と思しき人間を一睨みすると、お金を払うことなく店外に出て行った。
大学生の方を見ると、大泣きで仲間の肩につかまっていた。店員から「料金はいいですから」と説明を受けていた。
災難だったが、彼はいい勉強になっただろう。社会人になってからあまりに調子に乗ったことをしていると、ある意味で今回よりもひどい目に遭う恐れがある。その前に学べたのだから、彼はむしろツイていた。
例の反社の人は、あれから相当に勢いのある人間に育ったが、現在はわけあって娑婆にいない。あまりに男気が強すぎたのだ……。
さて、私もいい年だ。社会常識はわかっている。何事も、説得によるやり方が一番の至上なんだろう。
が、土木の仕事をしていると常々感じる。正しいやり方は、その時々の環境や条件によって変わるのだ。晴天時と小雨の日とでは、現場練りで配合するセメントと水の割合も違ってくる。
初めに戻る。私は、あの時あの状況では、女子店員と若い人(といっても30は超えてるだろうが)の未来のために、ついでに焼肉店のためにはどうするのが最上だったのだろう。またあの店で同じようなことがあった時、私はどうすればいいのか。
増田の人の知恵を貸してほしい。できればなのだが、金髪のダイダラボッチのアイコンの人か、物憂げな青っぽい女性の人か、楽しい雰囲気の黒髪の女の子か、鼻が大きい男性の人か、おたまじゃくしの人のコメントがあったらうれしい。おたまじゃくしの人は最近見ない。元気にしているのだろうか。
https://anond.hatelabo.jp/20191204102045
がんばってると思う。ひとつひとつできることをしていると思う。できそうなことをしようとしていると思う。そんなあなたは偉い。
いろんな不安があると思う。
自立に向けて不安が大きいと思うので、少し書く。
あなたの自立を支援してくれる周りの人たちの体制を作ろう。社会とのつながりを少しずつ作って行こう。
ひきこもり状態には、なんらかの社会適応上の難しさがあり、それは何かの精神疾患があるとみなすことができる。どんな診断になるか、はっきりしたことは言えないけれども。
精神科・心療内科の精神科医が増田の自立を支援してくれる、一人目の強い味方になってくれる。
そして、障害者手帳(精神障害者保健福祉手帳)をとろう。自治体によって手続きは違うけれど、精神科医の診断書と申請書類を窓口で書く。代理人でも可能だ。まず間違いなく手帳はとれる。
もしかしたら障害者年金がもらえるかもしれない。これも精神科医に相談してみよう。
外に出て自立していくのにどうしていったらいいかわからないと思う。
そこで、精神科医と相談する。生活リズムや散歩してみるとかいろんなアドバイスをくれると思う。
ただ、社会とのつながりがほとんどない状態から、社会とのつながりがある状態に持っていくのは難しい。
自治体によってはひきこもり支援の枠組みを独自に作っているところもある。
いちおう各都道府県ごとにひきこもり支援の窓口が設置されてもいる。
不安が大きいと思うが、専門の看護師が毎週来てくれて、様子を見てくれたり色んな相談に乗ってくれる。
利用にあたってはどんなふうに訪問看護を利用するか、その作戦を立てたり生活状況の確認のために、精神科ソーシャルワーカーさんが来たりするけれど、怖い人はいない。みんな心得てる人たちばかりだ。
そうして訪問看護の利用を始めたら、あなたの自立を支援してくれる人たちが、担当の精神科ソーシャルワーカーさんや、看護師さんなど、増えていく。
そうして、自立に向けて何ができるか、どうしていけるか、相談したり作戦を立てたり、具体的に手伝ってもらったりできる。
外に出られるようになって慣れてきたら、就労移行支援も使えるし、そのほかの仕組みも使える。
あなたの人生はこれから始まる。終わってなんかない。まだこれからだ。これから始まるのだ。
あなたのこれからの人生のために、ひとつひとついっぽいっぽ、でも確実に作っていけるのだ。
不安も多いし、うまく行ったり行かなかったりすると思う。
でも、きっと、確実に地面を踏み締めていける。
応援しているよ
うなぎが絶滅危惧種で、貴重な生物ということは理解している。はてな民がうなぎを食べることを好まないのも知っている。その上で聞いて欲しい。
まず、うなぎ食は日本の文化であり、やすやすと消して良いものではないと思う。うなぎは万葉集や浮世絵にも登場するなど、古来より日本人の食文化であった。うなぎ食は日本文化そのものなのである。 それをエゴイズムでその文化を潰そうとするのは、本当に正しいのかよく考えて欲しい。うなぎ食を批判している時の自分の顔がどんなに醜いか気づいているか?
それから、絶滅危惧種に指定されたことと、実際に絶滅するということには大きな差があり、うなぎも現実的に絶滅するにはかなり長い年月かかると思われる。海洋は広く、海洋にいるすべてのうなぎを食べきるなど現実的ではない。生息数に影響を与えているのは確からしいが、そのサンプルデータはあくまで「日本付近を回遊しているうなぎ」に限った話である。日本以外の各地で定点観測した上でうなぎが絶滅に瀕している、というデータは存在しない。
そして最後に、ナマズや穴子などのうなぎの代替食品がさほど広まっていないという点にある。これははてな民も全く抜けている視点なので猛省して欲しい。仮にうな重の代わりに穴子重を食べよう風潮ができれば、既存のうなぎ屋も経営上の問題を抱えずにシームレスに穴子重を出す形態に移行できる。しかし現実的にそのような風潮は起こっておらず、ただ思考停止でうなぎ食に反対するだけの小さなムーブメントが起きているだけである。自己責任論が大好きな人たちにとっては「うなぎ屋を経営しているのが悪い」と言いそうだが、実際問題自己責任というだけで人の人生に口出しするのは誤りだ。彼らにも人生があり、その人生はこれからも続く。
上記を理解しているから水産庁も規制しないのである。ネットDE真実を得たうなぎ擁護派の中で実際のデータを見た人など1%にも満たないだろう。うなぎが絶滅危惧種に指定されたというのは事実であるが、だからといって思考停止して日本文化を破壊して良いというわけでは無い。思考停止せず正しいデータを持って批判することを心がけて欲しい。
恋愛ができなくなったなあ。
好きで好きで仕方がないみたいな感情はどこにいったんでせうね…。
もう最近は「浪費癖がないか」「本人及びご家族はおおらかか」「求められても苦ではないか」の3点のみしか見ていない。
20くらいの頃~昔はあ~もっとぉ~「趣味を大切にしてる人がいいな♡」とかいってバイク乗りに恋したり(そいつは今もSNSで見る限りバイク乗ってて最近複数持ちしはじめてて浪費っぷりがヤバイ結婚しなくてよかった)「寡黙な人がいいな♡ミステリアスで素敵♡」とか言って軽く発達入ってるコミュ障と付き合ったり(5年付き合った挙句「おまえのこと好きだけど結婚は一生する気ない」とバッサリいわれて別れた…)「さみしくてしかたない…」って日は自分より倍以上年上のデブでハゲのおっさんとも平気でセックスできてたのに~
気づいたらなにもかもめんどくさい。
周りは結婚ラッシュ。よくあのクソしんどい道程を完走できたね…ああ2人の人生はこれからですかそうですか。
恋愛するの好きだったんだけどな。
宇多田ヒカルとか聞いて自分の恋と重ねて自己陶酔しちゃったりして…
はあ
気持ちいいのは大好きでオナニーはどんどん上級者になっていくというかセルフ開発は進んでて感度は上がってるし性欲そのものは若いころの比ではないくらいあると思うんだけどコレが対外的な方向に全く働かない。さあ初めましての方と食事をして懇ろになって褥を重ねるに至るぞという工程を考えるとめんどいしコワイしだるい。
ツイッターとかはてなでつかず離れずの距離感でありつつ内心ひそかにシンパシーを感じている男性ユーザーと付かず離れずの絡みしてるといいなあこれくらいが落ち着くなあ気づいてる?何でもない風にいつも接しているけどあなたは私にとってその他ユーザーとは明確に違うちょっとだけ特別な存在なんだよってことでもある日突然オフとか誘ってくんないかなあ難しいなあ無理だろうなあ自分から言ってみようかなあ若いころなら何にも考えずに速攻アポとってたろうなあでもこのわたしが感じているシンパシーが実は独りよがりだったとしたら、その真実を突き付けられるのはやだなあ仮に向こうも同じように思ってくれてたとしても実物見たらうわ!デブス!ってなるだろうなあ…ああ、早いとこ痩せよ…なにをするにしてもまず痩せよう
少し長いけどすまん。
誰にも言えない事だし、自分語りでクッソ長いけど、ここでしか書けないような事だからここに書く。
小さいころからよく「空気が読めない」「突拍子も無いことを言って相手を怒らせる」「好きなことにものすごい興味を示すが少しでも嫌いな事は絶対やろうとしない」「ツメが甘い」「ケアレスミスが多い」「朝起きれない」「人の話を聞かない」「人の話をすぐ忘れる」「顔はかっこいいのに喋り出すとただのクソ野郎」と良く言われていた。
そしてそれは大人になるまで続き、大学を出てプログラマーとして就職した時に、当然悪影響が出てきた。
他の人が絶対やらないようなミスを(どんなに対策をしても)繰り返す、空気が読めず場にそぐわない変なことを言い出す、ツメが甘く精密さを必要とする作業で絶対にアラが出て大惨事になる……。
自分なりに再発防止を心がけたり、周辺も怒るだけでなく一緒になんとかしようと協力してくれていたが、一向に改善しなかった。(例えば、忘れっぽさやケアレスミスを改善するためにメモをするよう心がけてもメモをすることを忘れたり、メモした事すらも忘れてしまうので、メモを忘れないためのメモが必要なレベル)
いつしか徐々に上司からの信頼は失われ(元々無かったけど)、同期は結果を出して徐々に重要な役割を任されて年収も上がっていく一方自分は上がらず、どんなに頑張っても結果が出せずに周辺に認められず、末期には鬱の初期症状に苦しんだりストレスによる衝動的な破壊行為で更に周辺の信頼も失い、配置転換を繰り返すようになった。
私生活も、ストレスと承認欲求が入り混じってはしばしば爆発し、タバコと酒と食と性欲にはけ口を見出すことしかできず、暴食に風俗通い、更に出会い系サイトで相手がデブだろうと40ぐらいのおばさんであろうと、ありとあらゆる女性と会っては即セックスしたりと荒れていった。
最終的には自分自身が耐えきれなくなり、上司からも「もう辞めろ、新卒の頃から面倒を見ていたが、ここは学校じゃないんだ。こういうことは言いたくないがもう辞めたほうがいい」と言われた。
いよいよ死を覚悟したが、その時にたまたまツテのある会社にスキルセットを買われて誘われたのを機に新卒で入って働いてきた会社を辞めた。
辞める頃はちょうどウェブ上で「大人のADHD」のバナーが頻繁に出ていた頃で、自分がまさにそういうものに当てはまっていたので、辞めた後の次の会社までの有休消化期間に家の近所の心療内科で相談したところ、ADHDだった。
自分の努力不足、能力の欠如だと思っていたことは、先天的な障害が原因のものもあったということがわかった。
そしてその日からストラテラと呼ばれる薬を処方され、しばらく飲み続けた頃に次の会社が始まった。
次の会社も似ている仕事で、当然精密さを必要とする仕事だった。
「増田さんは慎重な方」
前職では絶対に言われることが無かった(というか、丁寧とか過去の人生で一度も言われたことが無かった)ので、最初はかなり困惑した。誉め殺そうとしているのかと考えた。
でも、ある日薬を飲み忘れた時にどうやら本当にそうらしいことがわかった。
薬を飲み忘れたその日は朝が起きれなくなり、1日中頭がぼーっとして、頭がいつもの半分ぐらいしか働かない状態だった。
その日の仕事のアウトプットや自分の言動をあとで振り返った時に、「自分は今までこの状態で生きてきたのか……」と恐ろしくなった。
そりゃ仕事もできねーわ。
そういうわけで、今はこっそりADHDの治療を続けながら、転職先で頑張ってる。
ADHDだとわかった時は、自分は人と違って劣っているのか……自分のこれまでの人生はなんだったのか……と絶望した。
「ADHDの人は精密な仕事ができない。なのでライン工のようなルーティンワークや、芸術家のほうが向いているのでそういう方面を目指しましょう」といった文章があって悲しくなったりもした。つまりまともな生き方、いわゆる会社に通ってお金をいっぱい稼ぐような絵に描いたような「ふつうの生き方」はできない……低賃金でパンをねじるだけのライン工になるか、美大も出てない絵も描けない人に芸術家になれとな……たとえ発達障害であろうと俺だってお金だって欲しい……というかそもそも既婚者だし家計を維持する責任があるだろう……と絶望したりもした。
「ADHDは他には無い特性を持っているので治療はかえってマイナスになる」といった無責任な文章を見て「うるせー!俺は困ってるんだ!!」と憤ったりもした。
失った過去をやり直すことはできないが、薬を飲み始めてから過去を取り戻した、自分の人生を取り戻したと実感している。
今は仕事が本当に楽しい。できないと思っていた事ができるようになった。過去の自分と違い、何でもできる、できなくても頑張ればできるようになれる、間違えても気をつければ2回目はそれを修正できるという自信に溢れるようになってきた。
薬は高いけど、薬を飲み始めてから、頭が冴えるようになり、世の中が鮮やかに見えるようになった。
「ADHDは作られた本来は存在しない病」といった記事もどこかで見たが、ADHDだろうとなかろうとどちらにせよ俺は病院にいって投薬のお陰で元気になった。
人生はこれからだ。